宇宙。「吉田、金返せ」「ない。」「……なら、仕方ない」宇宙。 斉藤斎藤
歌集『人の道、死ぬと町』(短歌研究社)から。
2004年から2015年までの作品が収録されている。単独作、連作、詞書+短歌、文章など、さまざまなスタイルの作品がちりばめられていて退屈しない。短歌もいいな、と改めて感じる。
駅の人混みに紛れ込むと
すれ違う人みんなが
サヨリを
心の中に飼っているように
つんつん つんつん突いてくる
壺阪輝代詩集『けろけろ と』(土曜美術社)。「サヨリ」から。
「心」というテーマで書かれた詩が収録されている。
壺阪さんとは「第1回BSおかやま川柳大会」お目にかかった。彼女は『セレクション柳人・石部明集』の解説を書いていて、石部さんとのつながりでその日の選者もされていた。
懇親会で隣になったときに、連句の話になった。私が前句と付句との関係を話すと、壺阪さんは「それは詩で言えば連と連との関係になりますね」とおっしゃった。
それ以来、詩誌「ネビューラ」を送っていただいている。
鳥の巣に肩やはらかくして入る 岡野泰輔
赤ん坊花より遠いものを見て
夏暁のここにコップがあると思へ
小鳥来るあゝその窓に意味はない
初夢になんであなたが出てくるか
岡野泰輔句集『なめらかな世界の肉』(ふらんす堂)。
調べてみると、私は『俳コレ』を読んだときにこの作者の「いちばんのきれいなときを蛇でゐる」「プールまで二列に並ぶ不吉なり」「その橋を叩く菫と名をつけて」などの句にチェックを入れていた。読んでいて言葉の感覚がとてもぴったりしていて心地よい。
数の子さくさく人間関係が壊れ 瀬戸正洋
人は人を嫌ひて焼酎へ炭酸
夏の雨職場へ行きたくないと思ふ
虫売の祖国も売ってしまひけり
短日や胸ぐらつかまれてゐる姿勢
瀬戸正洋句集『へらへらと生まれ胃薬風邪薬』(邑書林)。
タイトルがユニークだし、句意もよくわかっておもしろい。
ただ、1ページ1句というのがかえって読みづらかった。
「この自販機は私、荒木が真心をこめて右手で補充しました」 斉藤斎藤
「荒木と真心」というタイトルで二首並べられているうちの一首。
固有名詞を使った歌がときどき出てくる。
「君との暮らしがはじまるだろう(仮)」では青木さん。
清談の酒家点在す梅花村 九里順子
わたくしの胸の振子は桃柳
山水を懐胎させて二人かな
滝はまた雲気となりて白き山羊
爽籟に書を読むここは白鹿洞
九里順子句集『風景』(邑書林)。
俳句フィールドの周縁ではなくてセンターで書かれているという印象の句集。
掲出句は「キッチュ山水」の章から。山水画をモチーフにして、いかにも山水画っぽい仕立てで作られている。
樹の精と身は濡れて立つ朝の斧 中川一
扉はいつか枯れ野へひらくマタイ伝
ひまわりふえる 少女のままの飼育箱
銀河から一筋ずれる坂の咳
約束の時間が過ぎる薔薇の岸
川柳句集も紹介しよう。
中川一(なかがわ・はじめ)句集『蒼より遠く』(新葉館)。
「祖国」「父」「母」「私そして旅」「妻そして家族」「師そして友」というテーマで章立てされている。こういう大時代的なやり方は現在の大勢とは逆行するが、作者もそのことに自覚的で、次のように書いている。
「言葉から発想するこの時代に、あえてこのような章分けをするのは、椙元紋太、房川素生、大山竹二、鈴木九葉、泉淳夫ほかの諸師が〝川柳は人間〟であり、だからこそ〝こころ〟、〝おもい〟を詠むと信じるからである」
私の川柳観とは異なるが、ひとつの川柳観に殉じるという点には敬意を表する。
句集に掲載されている作品も泉淳夫の系譜を受け継ぐものだろう。
如月の街 まぼろしの鶴吹かれ 泉淳夫
中川には川柳研究者としての仕事もあり、句集に収録されている「泉淳夫ノート」「天才児 小島六厘坊」は貴重な労作である。
喉の奥から父方の鹿 顔を出す 岩田多佳子
びしびしと輪ゴム飛ばしている発芽
虫ピンでとめるカーストの胸びれ
押さないで軟体動物通ります
寝ている水に声を掛けてはいけません
川柳句集をもう一冊。岩田多佳子句集『ステンレスの木』(あざみエージェント)。
岩田とは川柳句会でよく顔をあわせて、手練れの句を作るという印象があったが、こうして句集にまとめられると彼女の実力がはっきりと立上ってくる。やはり句集というものは必要だと思う。
川柳をはじめて12年。その間に作った2000句を500句まで絞り、そこから前田一石の選によって300句を句集にしたという。そういう作業によって一句一句の前で立ち止まって読める句集に仕上がっている。柳本々々の解説付き。
できることなら自分と結婚したかったと嫁が何やら得意げに言う 斉藤斎藤
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