2016年10月7日金曜日

文フリ・国文祭奈良・篠山

このところイベントが続いていて、ゆっくり川柳作品を書く時間がとれない。時間があればいい句が書けるというものでもないが、「実作」と「川柳発信の場づくり」とのバランスをとることは必要なのだろう。このごろよく頭に浮かぶのはキュレーターという言葉である。川柳の発信がひとつのシステムとして軌道に乗るためには、役割の分担が必要となる。以前はクリエーターとプロデューサーくらいの分け方で、川柳作品を書く人がいて、それを掲載する同人誌や結社誌を編集する人がいる、くらいのことで片がついていた。編集はけっこうエネルギーのいる仕事なので、作品を書きながら編集をするのは負担が大きく、クリエーターとプロデューサーを兼ねたりすると体調を崩したりする。役割分担が必要なのだが、川柳の場合はそんなことも言っていられない。
美術館にはよく行くのだが、美術展を企画し、企画したコンセプトに基づいて出品作品をリストアップして所蔵者と出品交渉をする学芸員の役割は重要だ。何をどう並べるかによって、常識を超える新しい視点が生まれたりする。そのような企画者をキュレーターと呼ぶらしい。キュレーターは単なる学芸員というより美術の新しい動向を生み出す創造者となる。文学の領域でも「編集者・漱石」というような視点や、編集そのものが創造なのだという考え方が生まれている。
たとえ規模は小さくても、同じようなことを川柳や連句でできないか、というようなことを考えたりする。私はいつから大風呂敷を広げるようになったのだろう。

9月18日、「第四回文学フリマ大阪」が堺市産業振興センターで開催された。最寄駅の中百舌鳥へは自宅から電車一本で30分もかからずに行けるので便利である。開場には午前10時過ぎに到着。出店するのは昨年に続き二回目なので、要領はわかっている。
私は2013年の第一回大阪開催のときに「文フリ」というものをはじめて体験してカルチャーショックを受けた。文学表現を発信する人、それを受容して購読する若い世代の人たちが世の中にはこんなにいるのだという驚きであった。ブースに置かれている冊子・フリーペーパーは、ふだん見慣れている川柳誌とは何と異なっていたことだろう。
短詩型では短歌の出店が多く、俳句がそれに続いている。残念ながら川柳の出店がなかったので、第二回文フリ大阪のときに申し込んでみたのだが、メールに不慣れなため出店申し込みが完了していなかった。第三回のときは失敗せずに出店することができて、「川柳界から唯一の出店」と虚勢を張ってみた。今年は文フリの雰囲気もよく分かり、落ち着いて営業することができたが、相変わらず残念なのは来場者の中に川柳人の姿がほとんど見られないことである。文フリは大多数の川柳人とは無縁であり、川柳発信の場とはとらえられていないということだろう。売れる・売れないは別として、川柳発信のひとつの場と考えないと経済利益上意味のないことになってしまう。
来年の1月22日には京都市勧業館「みやこめっせ」で文フリが開催されることになっていて、私も出店を予定しているが、状況が少しでも変わればいいと思っている。

10月1日は奈良県文化会館で「国民文化祭なら」連句の祭典のプレ大会が開催され、80数名の連句人が参加した。今年の「国文祭あいち(連句)」は10月30日に熱田神宮で開催されるが、来年は奈良である。そのプレ大会として行われたもので、「奈良県大芸術祭」の一環として参加。
近藤蕉肝(成蹊大学名誉教授)の講演「連句と神仏」は奈良と連句の関わりを歴史的に解説するだけでなく、国際的な視点から連句の重要性を指摘するものだった。近藤は山田孝雄の俳諧文法とチョムスキーの生成文法から普遍俳諧文法を着想。アメリカ留学中にジョン・ケイジと接触、ケイジと『RENGA』について話し合った。さらに、オクタビオ・パスの『RENGA』にも注目し、現在はパースの記号学と空海の密教理論を結び付けた普遍俳諧大系を模索している。近藤は国際連句や連句パフォーマンスの活動でも知られ、10月9日の「浪速の芭蕉祭」(大阪天満宮)でも国際連句の座を受けもつことになっている。
講演のあとは25座に分かれて連句実作が行われた。私の参加した座では小川廣男捌きで歌仙を巻きあげた。

10月2日は篠山で開催の「俳句と美術のコラボ展」の最終日。川柳人4名で見に行った。
JR新三田駅から小倉喜郎さんの車で会場へ。会場は小倉さんの母校だった篠山市後川(しずかわ)小学校である。
この展覧会は2年前から会合を重ね、制作・準備をして作り上げられたものだという。ふつう俳句と美術のコラボレーションといっても、俳句作品に絵を付けたり、美術作品を見て俳句を作るという程度のことだろうが、そういうものにはしたくないという主催者たちの強いこだわりがあって、異質のジャンルの表現者どうしのぶつかり合いの果てに生れた独自のアートになっている。したがって、俳人とアーティストがそれぞれ自己完結した作品を出して取り合わせるのではなくて、創造過程で葛藤や相互刺激が生まれることになる。場合によっては作品が完成せずに終わってしまったり、コラボするはずの相手が替わってしまうこともある。案内パンフには次のように書かれている。

○モノと言葉 モノと言葉を郵送し繋いでいき、それを時系列に展示する。
○場所と俳句 特定の場所からイメージされる象徴的な像を具体化する。
○俳句と俳画をライブで行う。
○俳句と映像のコラボ。
○俳人と音楽家による即興セッション。
○俳句とインタラクティブな装置とのコラボ。
○後川の情景をガラス絵と俳句で表現し、カルタも作成する。

具他的な作品についてはすでにネットでも紹介がでているし、言葉ではなかなか伝えづらいが、とても刺激的だった。
さて、同じようなことが川柳でもできるだろうか。川柳とアートとのコラボはありうるだろうか。それは促成栽培ではとてもかなえられないことであり、二人の異質な表現者が時間をかけて熟成させることによってはじめてかなうことである。この展覧会を見ながら、そういうことを強く感じた。

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