2021年12月10日金曜日

冬には冬の会い方があり

「東京新聞」11月20日の夕刊、「俳句のまなざし」の欄で外山一機が〈「女性」の句とは〉という文章を書いている。
〈「川柳スパイラル」12号が「『女性川柳』とはもう言わない」と銘打った特集を組んでいる〉と紹介したあと、外山は時実新子について〈時実新子とは、いわば主語を男性の手によって幾度も奪い去られすげ替えられてきた作家〉と評価し、俳人の杉田久女が〈虚子というひとりの男性によって歪な形でもたらされたこと〉(松本てふこ「俳句史を少しずつ書き換えながら、詠む」)と同様の問題だとしている。
「川柳スパイラル」12号は川柳界では特段の反響がなかったのだが、掲載された松本てふこの文章がこのようなかたちで取り上げられたのは嬉しいことである。

これからの赤を約束して結ぶ  峯裕見子

年末になり、来年のカレンダーをどれにしようかと迷う時期である。掲出句は「峯裕見子オリジナルカレンダー2022」より、1月の句。峯裕見子は「川柳スパイラル」12号のゲスト作品では「五月の滝後ろから入ってください」「あと少ししたら欄間の鶴も鳴く」などの句を書いている。「川柳木馬」86号から彼女の旧作を抜き出しておく。

私の脚を見ている男を見ている    峯裕見子
猫の仇討ち金目銀目を従えて
そうさなあ手向けてもらうならあざみ
夕顔の種だと言って握らせる
わかれきて晩三吉が膝の上
菊菊菊桐桐桐とうすわらい

とりあえず今はダチョウに乗ってゆけ  樹萄らき

「あざみエージェント・オリジナルカレンダー2022」から、一月の句。
樹萄らきは「川柳の仲間 旬」に所属。彼女の作品は他誌では読めないので、少し紹介しておく。

凧上げる夢見た頃が見えるかい  樹萄らき
いろいろあるさ方向音痴だもん
お引き取り願いましょうかスッと立つ
むかしむかし柘榴は怖いものだった
そんなにも明るいものは楽しいか
じゃあねって君が残したのは刹那

11月3日に開催された「2021きょうと川柳大会」の作品集が届いた。入選句のなかから一句だけ紹介しておく。

バスを待つ指の形を変えながら   富山やよい

バスを待つという状況を詠んだ句はよくあって、たとえば「バスが来るまでのぼんやりした殺意」(石部明)が思い浮かぶ。石部の句ではバスを待つあいだの内面が詠まれているが、富山の句では「指のかたち」という身体に焦点があてられている。けれども、それは身体だけとも言えなくて、指のかたちを変えるのは心の微妙な動きとも連動していることになる。それが不安とか恋情とかいう具体的な何かではなくて、指の形という含みのある表現をしているのが巧みだ。「川柳木馬」125号より富山の旧作を抜き出しておく。

コロラドに夕陽あなたは猫ですね    富山やよい
こんにちはジャングルジムが咲きました
格闘技花の形で逃げる兄
逃げ込んだ街だ消防車の赤だ
背中からオンブラ・マイ・フおんぶら鬼

「水脈」59号に一戸涼子が「フロンティアスピリット 飯尾麻佐子に捧ぐ」を書いている。飯尾麻佐子の「魚」については何度か書いたことがあるので、ここでは繰り返さない。一戸が紹介している麻佐子の作品を抜き出しておこう。

野に伏せる死魚一塊の唇に撃たれ  飯尾麻佐子
ゆうぐれの烏一族なまぐさし
渚にて指曼荼羅は散乱す
遠い喪の 一騎を刎ねし穢土の羊歯
文学論 すこし地獄を呼んでみる
眠れぬ大気 ゆわーんと にし ひがし

「朝日新聞」12月5日の「うたをよむ」の欄で水原紫苑が「今年も女性歌人の優れた歌集が次々に世にでた」と書いている。平岡直子の第一歌集『みじかい髪も長い髪も炎』から。

冬には冬の会い方がありみずうみを心臓とする県のいくつか  平岡直子

(注)「しかし、それでもなお、女性というものは存在しています。女性一般というものがなく、また、それがどのような文脈で語られるにせよ、女性は存在しています」(川上未映子『早稲田文学増刊 女性号』)

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