2021年6月25日金曜日

松本てふこの杉田久女/今泉康弘の渡邊白泉

「俳壇」五月号に松本てふこが「笑われつつ考え続けた女たち〜杉田久女とシスターフッド〜」を発表している。(杉田久女といえば高浜虚子の『国子の手紙』や松本清張の『菊枕』などの小説によって虚構化・伝説化されている。連作『虹』の愛子は虚子にとって好ましい弟子であり、国子=久女は嫌悪すべき存在であって、女弟子に対する虚子の両極の態度をよく表している。)松本の久女論は注目され、句集『汗の果実』(邑書林、2019年)も改めて読まれているようだ。
『汗の果実』のプロフィールによると、松本は2004年に辻桃子の「童子」に入会。『新撰21』(2009年)に北大路翼論を、『超新撰21』(2010年)に柴田千晶論を執筆。それ以前に松本は「豈」47号(2008年11月)の特集「青年の主張」に「平成女工哀史」を書いていて、自らの出版社勤めの裏話を披露している。北大路翼論のタイトルは「カリカチュアの怪人」、柴田千晶論のタイトルは「誰かの性欲にまみれ続けて」。『新撰21』『超新撰21』に松本は俳句作者として収録されていないので、小論の執筆者として便利使いするのを反省したのか、筑紫磐井は『俳コレ』(2011年)では自ら松本てふこの作品の撰をして小論も書いている。作品のタイトルは「不健全図書〈完全版〉」、小論のタイトルは「AKBてふこ」。磐井はこんなふうに書いている。
「松本の句が興味深いのは、面白いからでもなく、現代的であるからでも、詩的であるからでもない。どこか痛切な思いがあり、それが頭をもたげているから。俳句は楽しいのではなく、詠まずに居られないから。俳句は芸と思いながら、文学を書いているから。そういう作家として私がプロデュースしてみたのがこの句集だ」
彼が選んでいるのは次のような句である。

啓蟄や声より寝息佳きをとこ   松本てふこ
おつぱいを三百並べ卒業式
不健全図書を世に出しあたたかし
会社やめたしやめたしやめたし落花飛花
読初めの頁おほかた喘ぎ声
料峭や春画のひとの指まろし

その後、私は「庫内灯」などで松本の作品はちらちら見ていたが、2019年11月に句集『汗の果実』が発行された。松本といえば「おつぱいを三百並べ卒業式」が有名だが、それだけではない別の面もある。句集はこの時点での彼女の全体像を示している。

だんじりのてつぺんにゐて勃つてゐる
だんじりの日のしづかなる理髪店

前者の方がだんぜんおもしろいが、後者のような句もあることを目にとめておこう。松本てふこには現代的な側面と伝統的な側面があって、どちらも彼女の俳句なのだろう。

万緑に死して棋譜のみ遺しけり
花婿の胸に凍蝶挿してあり
ボクサーを汗の果実と思ふなり
吉野家に頬杖をつき桜桃忌
愛人のやうに蛙を飼つてをり

ボクサーの句は句集のタイトルになっている。そういえば、この句集の章分けが「皮」「種」「汁」「蔕」となっているのは「果実」だから、ということにいまはじめて気づいた。
生活と執筆のバランスをとりながら、これからも評論と実作に活躍してほしい。

今泉康弘の評論『渡邊白泉の句と真実』(大風呂敷出版局、2021年4月)が発行された。「円錐」などに発表された論考を再構成して一書にまとめた労作である。特に白泉の沼津時代について、白泉の息子・勝や白泉の関係者へのインタビューに基づいて丁寧に記述している。

戦争が廊下の奥に立つてゐた   渡邊白泉
街燈は夜霧にぬれるためにある
憲兵の前で滑つて転んぢやつた
銃後といふ不思議な町を丘で見た

いずれも有名な句である。
「白泉の新しさは二つある。一つは、音の響きの美しさと実験精神とが調和していること。もう一つは、戦争への違和感を高い詩的次元において表現し得たことである」と今泉は書いている。
白泉はこの高い達成ゆえに特高の弾圧を受け、執筆禁止に追い込まれた。戦後も彼は俳壇とは無関係な生き方を選んだ。本書のうち「エリカはめざむ」の章は戦後の高校教員時代の白泉の姿を丁寧に描いている。
津久井理一の『私版・短詩型文学全書』には川柳の句集も含まれていて、川柳人にとっても重要だが、その『渡邊白泉集』の刊行をめぐって津久井と白泉との間に確執があったことや、三橋敏雄の第一句集『まぼろしの鱶』の出版記念会に白泉が出席したときのことなど、興味深い記述が続く。三橋敏雄は白泉の唯一の弟子である。

今泉康弘は桐生高校俳句クラブ(顧問・林桂)で俳句を作り始めたが、同じクラブに山田耕司がいた。今泉と山田はそれ以来のコンビ。本書『渡邊白泉の句と真実』は山田の大風呂敷出版局から発行されている。今泉は「円錐」で「三鬼の弁護士」を連載中で、西東三鬼名誉回復裁判について書いている。こちらの方も楽しみだ。

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