今回は「川柳カード」8号に掲載されている畑美樹の作品を読んでゆきたい。
「三拍子」というタイトルの十句である。
雲梯をふわりと越えて波になる
小学校のころ校庭に雲梯というものがあった。
はしごを水平にしたような遊具でぶらさがりながら伝い進んでゆく。
今でも公園で見かけたときにやってみようかなと思うこともあるが、体重を考えて自重している。
語源は古代中国の兵器だったようで、雲に届くような梯子をかけて城攻めをするのだ。
この句では雲梯にぶらさがるのではなくて、ふわりと越えると言っている。身体の重さが消去されているのは、「雲」という字のイメージからだろう。
雲を越えたあとに波になるので、実体は感じられない。
あたらしい名前を売っている渚
名前と実体。
名前を変えると新しい自分になることができるのだろうか。
歌舞伎の襲名のように、名を変えることによって実体が名に追いついてゆくこともある。
渚では名前を売っているという。
買ってみようかなと思うが、迷うところだ。街の雑踏の中で売っているなら買う気がしないのだが。
納豆にからまりながら秋津島
秋津島は日本の古名。神話のイメージも感じられる。
日本という島が納豆のねばねばにからまっているというのだ。
本州が納豆ほどに縮小されている。
塩ふって島の意見を聞いていく
ここでは島に塩をふっている。
島の意見に味付けをする。悪意をもって。それとも味を濃くするために。あるいはナメクジのように溶かしてしまうために?
この句には時事を読み取らない方がよいと思う。
ここまで、波→渚→島という連想で句が続いている。
足首をくるりと回す精肉屋
精肉屋が何のために足首を回しているのかという問いは無効である。
「意味よりもほんの少し前に」という文章で畑美樹はこんなふうに書いている。
「意味がやってくる前に伝えられるもの。それは一体なんだろうか」
「コトバが意味を伝えてくるよりもほんの少しだけ前に、何かが届いてしまう、そんなかんじ」
「そこまで」という声がして匂ふ葱
意味より前にやってくるものと言うならば、それは音やリズム、感覚だろうと思って、私は畑美樹を川柳における感覚派ととらえている。
この句では声(聴覚)と匂い(嗅覚)。
「川柳カード」8号の合評会で、「匂ふ」の歴史的かなづかいが話題になった。
「そこまで」は過去をそこで区切っているのだという意見もあった。
顎の先つるりと滑らせてふたり
恋句かなと思ったが、そうではないかもしれない。恋句だとしても手がこんでいる。
足を滑らせるのではなくて、顎の先を滑らせている。あるいは、顎の先で二人が滑っている。そんなことは実景としてはないはずだが、残るのはつるりと滑る感覚である。
「ふわりと」「くるりと」「つるりと」、こういう擬態語の多用はこの作者の特徴だが、実のところ私はあまり好きではない。既成の擬態語や擬音語で感覚自体を表現するのはむつかしいのだ。
おぼろ月やがて水汲む人になる
水のイメージに戻る。
「やがて」に時間の経過がある。
「水を汲まない人」から「水を汲む人」への変化によって、何か新しいことが生まれたらいいなと思う。
水は畑美樹の原イメージである。
お前とかカワウソだとか綿の雲
水といえばカワウソでしょう。
すでにニホンカワウソは絶滅している。
この句は独白ではなくて、二人で会話しているような雰囲気が私には感じられる。
ことりことり新聞紙の三拍子
「こ・と・り」と分節すれば三拍子なのか。
新聞に書かれている内容が三拍子なのか。
小鳥・子盗り・ことり―意味はいろいろ代入できる。
わからないなりにおもしろいなと思った。
かつて私はセレクション柳人『畑美樹集』の解説で次のように書いたことがある。
「言葉と言葉の関係性や完成度に腐心している私には、言葉以前の感覚にこだわる畑美樹の作品は新鮮に見えるし、それがどのように川柳の言葉に定着してゆくのかにとても興味がある」
それから十年ほどが経過した。畑美樹が新境地を切り開くことを読者は待っている。
2015年4月25日土曜日
2015年4月17日金曜日
『関西俳句なう』
関西短詩型文芸の地盤沈下が言われるようになって久しい。
俳句について言えば、かつて関西には独自の存在感を示す俳人が何人もいた。
鈴木六林男・永田耕衣・八木三日女・橋閒石などの名が思い浮かぶ。これらの一時代を画した作者たちが亡くなったあと、関西の短詩型の世界は何だか元気がない。
そういう不満を吹き飛ばすように、このたび関西の若手俳人の作品のアンソロジーとして『関西俳句なう』(本阿弥書店)が刊行された。
塩見恵介による「はじめに」には次のように書かれている。
〈「関西俳句なう」は2011年1月1日より、俳句グループ「船団」の関西在住若手メンバー六人で立ち上げました情報サイトです〉
〈2000年代以降、社会情勢の影響が多分にあると思われますが、総合誌の話題はどうしても首都圏が中心となっており、関西に住む我々にとっては少し残念な思いをすることの多い日々が続きました〉
〈本書は、2012年現在、「船団」に所属している若手作家13人と他結社・個人の作家13人の書簡交換形式による作品五十句の発表の場としました〉
本書の帯には端的に「東京がなんぼのもんじゃ」と書かれている。
13組26人の各50句のほかミニエッセイも収録されているが、ここでは私が個人的に興味をひかれた〈久留島元VS岡田一実〉の組み合わせを取り上げる。
まず、久留島元の作品から。久留島の50句には「妖怪の国」というタイトルが付けられている。
静粛に! 今夜稲妻鑑賞会
倉阪鬼一郎の『怖い俳句』(幻冬舎新書)の巻頭には芭蕉の句「稲づまやかほのところが薄の穂」が取り上げられている。倉阪はこんなふうに書いている。
〈「言ひおほせて何かある」とは芭蕉の俳言の一つですが、これは怖さを醸成する場合にも当てはまります。「怖がらせるには、まず隠せ」といったところでしょうか〉
稲妻は恐怖を起こさせる状況設定として、しばしば用いられる。ところが久留島のこの句では、みんながガヤガヤ言いながら稲妻を鑑賞している。「ちょっと静かにしなさい」と注意しなければならないほどだ。現代では恐怖ですら消費の対象となってしまっている。
日本は妖怪の国春の川
川柳で「妖怪」という言葉を用いると「妖怪のような人」という揶揄の意味になってしまうが、この句ではそこまでの意味性は込められていないようだ。『遠野物語』や水木しげるの漫画に描かれているような妖怪の棲息する国であると言っている。妖怪は夏に似合うのに、ここでは「春の川」と取り合わせられている。
きつね来て久遠と啼いて夏の夕
きつねが来てコンと啼いたというだけの句である。それを「久遠」と書いたところに機知を感じる。狐はふつう冬の季語だが、ここでは夏にしている。
鳥の巣に鳥がいるとは限らない
では、何がいるというのだろう。おそろしいものがいるのではないか。
久留島は妖怪研究者でもあって「是害房絵巻」に関しては第一人者である。
是害房という唐土の天狗が日本にやってきて日羅房という日本の天狗と対面する。是害房は日本の僧侶と力比べを試みるが、高僧によって次々と撃退される。傷ついた是害房を天狗たちが介抱し、送別会を開いて、是害房は唐土に帰ってゆく、というような話である。
私は京都国立博物館でこの絵巻を見たことがあり、おもしろいなと思って記憶に残っている。恐ろしいはずの天狗が俳諧性をもって描かれているのだ。
台風の目の中にいるおばあさん
このおばあさんは恐ろしい存在かもしれないし、ユーモアを感じさせる存在かもしれない。そういう二重の存在として、いかようにも受け取れるように思う。
では、続いて岡田一実の作品から。
とほくに象死んで熟れゆく夜のバナナ
遠景には死んだ象がいる。近景には熟れたバナナがある。バナナは象の好物であるはずだが、それを食べる象はもういない。
蟷螂のしづかに草を持てあます
蟷螂が草の上でじっとしている。
たぶん餌となる虫がくるのを待っているのだろうが、虫はいつまでもやってこない。
蟷螂は時間を持てあましているようだが、次の瞬間には餌をとらえるかもしれない。持てあましながら、緊張しているのだ。
象も蟷螂も「もの」でありながら、かすかに喩としての意味を感じさせる。
白鳥が白くてどうでもよくて好き
本当に「どうでもよい」のだろうか。「どうでもよい」と言わないと苦しいほど好きなのではないか。
昨年発行されたこの作者の句集『境界‐border』に「はくれんの中身知りたし知らんでも良し」という句があった。二律背反的な感情がつきまとうのだ。
焚火かの兎を入れて愛しめり
最初読んだとき、焚火の中に兎を放り込むのかと思ってドキッとした。しかし、そうではなくて、焚火の輪のなかに兎も入れて一緒に暖をとっているのだろう。「かの」という言葉から三橋敏雄の「絶滅のかの狼を連れ歩く」を連想する。狼ではなくて兎をつれているのだろう。
茎容れて吸はれながらに水澄めり
花瓶に花を活けると茎は水を吸う。花の茎の水を吸われることによって花瓶の水は澄んでゆくのだ。吸われることによって濁ってゆくのではなくて、澄んでゆくと見たところに作者の感性がある。
十年以上前に巻いた妖怪賦物・胡蝶「一反木綿」の巻がある。
別所真紀さんの発句は「わが死後は一反木綿秋の風」。
抽斗からその時の付句が何句か出てきたので、書き留めておきたい。
座敷わらしと仲良しになり 漠
塗り壁にぶつかるまではともに行く 正博
妙齢をおいてけ堀の夕映に 漠
膝のあたりに人面の瘡 正博
ドラキュラに母あることのかなしさよ 真紀
(花の座では次の句を付けている。)
花の下天狗評定続きをり 正博
俳句について言えば、かつて関西には独自の存在感を示す俳人が何人もいた。
鈴木六林男・永田耕衣・八木三日女・橋閒石などの名が思い浮かぶ。これらの一時代を画した作者たちが亡くなったあと、関西の短詩型の世界は何だか元気がない。
そういう不満を吹き飛ばすように、このたび関西の若手俳人の作品のアンソロジーとして『関西俳句なう』(本阿弥書店)が刊行された。
塩見恵介による「はじめに」には次のように書かれている。
〈「関西俳句なう」は2011年1月1日より、俳句グループ「船団」の関西在住若手メンバー六人で立ち上げました情報サイトです〉
〈2000年代以降、社会情勢の影響が多分にあると思われますが、総合誌の話題はどうしても首都圏が中心となっており、関西に住む我々にとっては少し残念な思いをすることの多い日々が続きました〉
〈本書は、2012年現在、「船団」に所属している若手作家13人と他結社・個人の作家13人の書簡交換形式による作品五十句の発表の場としました〉
本書の帯には端的に「東京がなんぼのもんじゃ」と書かれている。
13組26人の各50句のほかミニエッセイも収録されているが、ここでは私が個人的に興味をひかれた〈久留島元VS岡田一実〉の組み合わせを取り上げる。
まず、久留島元の作品から。久留島の50句には「妖怪の国」というタイトルが付けられている。
静粛に! 今夜稲妻鑑賞会
倉阪鬼一郎の『怖い俳句』(幻冬舎新書)の巻頭には芭蕉の句「稲づまやかほのところが薄の穂」が取り上げられている。倉阪はこんなふうに書いている。
〈「言ひおほせて何かある」とは芭蕉の俳言の一つですが、これは怖さを醸成する場合にも当てはまります。「怖がらせるには、まず隠せ」といったところでしょうか〉
稲妻は恐怖を起こさせる状況設定として、しばしば用いられる。ところが久留島のこの句では、みんながガヤガヤ言いながら稲妻を鑑賞している。「ちょっと静かにしなさい」と注意しなければならないほどだ。現代では恐怖ですら消費の対象となってしまっている。
日本は妖怪の国春の川
川柳で「妖怪」という言葉を用いると「妖怪のような人」という揶揄の意味になってしまうが、この句ではそこまでの意味性は込められていないようだ。『遠野物語』や水木しげるの漫画に描かれているような妖怪の棲息する国であると言っている。妖怪は夏に似合うのに、ここでは「春の川」と取り合わせられている。
きつね来て久遠と啼いて夏の夕
きつねが来てコンと啼いたというだけの句である。それを「久遠」と書いたところに機知を感じる。狐はふつう冬の季語だが、ここでは夏にしている。
鳥の巣に鳥がいるとは限らない
では、何がいるというのだろう。おそろしいものがいるのではないか。
久留島は妖怪研究者でもあって「是害房絵巻」に関しては第一人者である。
是害房という唐土の天狗が日本にやってきて日羅房という日本の天狗と対面する。是害房は日本の僧侶と力比べを試みるが、高僧によって次々と撃退される。傷ついた是害房を天狗たちが介抱し、送別会を開いて、是害房は唐土に帰ってゆく、というような話である。
私は京都国立博物館でこの絵巻を見たことがあり、おもしろいなと思って記憶に残っている。恐ろしいはずの天狗が俳諧性をもって描かれているのだ。
台風の目の中にいるおばあさん
このおばあさんは恐ろしい存在かもしれないし、ユーモアを感じさせる存在かもしれない。そういう二重の存在として、いかようにも受け取れるように思う。
では、続いて岡田一実の作品から。
とほくに象死んで熟れゆく夜のバナナ
遠景には死んだ象がいる。近景には熟れたバナナがある。バナナは象の好物であるはずだが、それを食べる象はもういない。
蟷螂のしづかに草を持てあます
蟷螂が草の上でじっとしている。
たぶん餌となる虫がくるのを待っているのだろうが、虫はいつまでもやってこない。
蟷螂は時間を持てあましているようだが、次の瞬間には餌をとらえるかもしれない。持てあましながら、緊張しているのだ。
象も蟷螂も「もの」でありながら、かすかに喩としての意味を感じさせる。
白鳥が白くてどうでもよくて好き
本当に「どうでもよい」のだろうか。「どうでもよい」と言わないと苦しいほど好きなのではないか。
昨年発行されたこの作者の句集『境界‐border』に「はくれんの中身知りたし知らんでも良し」という句があった。二律背反的な感情がつきまとうのだ。
焚火かの兎を入れて愛しめり
最初読んだとき、焚火の中に兎を放り込むのかと思ってドキッとした。しかし、そうではなくて、焚火の輪のなかに兎も入れて一緒に暖をとっているのだろう。「かの」という言葉から三橋敏雄の「絶滅のかの狼を連れ歩く」を連想する。狼ではなくて兎をつれているのだろう。
茎容れて吸はれながらに水澄めり
花瓶に花を活けると茎は水を吸う。花の茎の水を吸われることによって花瓶の水は澄んでゆくのだ。吸われることによって濁ってゆくのではなくて、澄んでゆくと見たところに作者の感性がある。
十年以上前に巻いた妖怪賦物・胡蝶「一反木綿」の巻がある。
別所真紀さんの発句は「わが死後は一反木綿秋の風」。
抽斗からその時の付句が何句か出てきたので、書き留めておきたい。
座敷わらしと仲良しになり 漠
塗り壁にぶつかるまではともに行く 正博
妙齢をおいてけ堀の夕映に 漠
膝のあたりに人面の瘡 正博
ドラキュラに母あることのかなしさよ 真紀
(花の座では次の句を付けている。)
花の下天狗評定続きをり 正博
2015年4月3日金曜日
中村冨二と「川柳的技術」
「川柳カード」8号に石田柊馬が「冨二考」を発表している。25ページに及ぶ長編評論である。いまなぜ冨二なのか。
もう十年以前のことだと思うが、石田柊馬と松本仁が次のような会話を交わしているのを聞いたことがある。
「中村冨二をどう思う?」
「伝統やね」
「やっぱりそう思うか」
そばで聞いていた私にはよく理解できなかった。
現代川柳は中村冨二と河野春三から始まったというのが私の持論であり、「東の冨二、西の春三」などと言われる。その冨二が「伝統」だと言うのである。
ここで言う「伝統」とは、川柳を「伝統川柳」と「革新川柳」に二分したときの「伝統川柳」の意味で、「現代川柳」には「革新川柳」という意味が強く込められている。この二分法は現在ではすでに無効となっていると私は思っているが、戦後川柳史を理解するときの前提となるキイ・ワードである。
だから「冨二が伝統である」という認識は当時の私にはすぐに理解できないところがあったのだ。そのとき以来、冨二が伝統であるということの内実をいつか石田に解き明かしてほしいという願望を私はもっていた。
一方で、冨二には「川柳という名に残されたモノは、技術だけである」という有名な発言がある。この言葉もさまざまに解釈できて、定説というようなものはない。というより、この言葉の意味を真剣に追及した川柳人がいなかったのである。
そういうモヤモヤした疑問を吹き飛ばす文章として、石田の評論がいま目の前にある。
「川柳に残された川柳的技術」について、かつて私は次のように書いたことがある(「中村冨二と現代川柳」、『蕩尽の文芸』所収)。
〈 冨二の発言の中で最も有名なのが「川柳という名に残されたモノは、技術だけである」という言葉である。『中村冨二句集』(森林書房)の「あとがき」にあるが、同じようなことを冨二はあちこちで繰り返し語っているようだ。
この言葉はペシミズムではなく、むしろ冨二の川柳職人としての矜持を示すものだと私は受け止めている。作家精神の裏づけとしての川柳技術。山村祐の川柳中年文学説に対して、冨二は「川柳は青春の文学であってほしい」という願いをもっていた。「川柳とaの会」による合同句集『鬼』の序「火を焚く」という文章の中で冨二は次のように書いている。
「誠に過去現代を通して川柳には青春がとぼしい。そして皆無だと言われない所にボクは川柳の可能性を信じている。たとえ否定する何ものもないボクへの過去の川柳ではあっても、ボク自身や、ボクを取巻く社会の中に存在して否定するに足りる数々の現象に対して『川柳に残された川柳的技術』を武器として歩ける所まで歩いて行こうと思っている」 〉
「川柳職人としての矜持」では何も説明したことにならないが、仕方がない。
では、石田はどんなふうに述べているだろうか。
詳しくは石田の評論をお読みいただきたいが、興趣と発想の不可分性を冨二は「技術」の一語に込めたということになる。
「興趣」とは「川柳的興趣」である。では「川柳的興趣」とは何か。冨二の場合、「意味性」「大衆性」「共感性」などの伝統川柳の諸要素である。この中には「詩性」は入らないのである。
「詩性に及べば自分の意識に在る川柳性からの逸脱になる」
「詩性の追求が深まれば深まるほど、川柳の固有性と言ってもおかしくない意味性と大衆性が後退する」
「冨二の川柳についてのスピリットは意味性に留まること、その共感性の埒内に留まることであった」
「(冨二は)川柳の発展要素を詩性の追求とする議論には加わらなかった」
石田は冨二の川柳をこのようにとらえている。そして、冨二を「川柳的興趣の人」と呼ぶのである。「川柳的興趣」と「詩的興趣」に分けるとすれば、冨二は「詩性」「詩的興趣」の側に立った河野春三とは正反対の位置にいる。そういう意味で冨二は伝統の作家ということになる。詩性川柳を視野に入れつつ、冨二は川柳的興趣に留まったのである。
では、あまたの伝統の作家から冨二を区別しているものは何か。
たぶん、それが「川柳的技術」だろう。
「技術の貧困」は多くの「流れ作業」的作品を生み出した。「発想の中の技術」を含めて、冨二の作品はおもしろいのである。
石田の議論は多面的なので、以上の紹介がどこまで彼の真意を伝えているかはわからない。
冨二の捉え方についても石田とは別の見方も存在する。
たとえば、堺利彦の「中村冨二と『鴉』お時代」(『セレクション柳論』所収)。
堺は「作品は作者ではない」という冨二の言葉に注目して次のように述べている。
〈これは、川柳の作品を、その作者の私性から解き放し、作品を「ことば」そのものによって始めて定立するという先見性を表象する端的な持論と読み解くことも出来る。
今日のテクスト論からすれば常識的な作品に対するスタンスを、すでに冨二は戦前の早い時期から直感的に認識していたことになる。(中略)近代的自我を超えて読者の〈読み〉の前にあっては、作品の〈ことば〉が独り歩きするという言葉の自律性から生み出されるものが作品であるという意識があったに違いない。こうした点においても、既成の川柳からみれば、極めて革新的で〈現代〉を先取りしていた感がある。作品に張り付いた作者の近代的な自我意識が、作品の〈ことば〉によって解き放たれるという、その先見性に刮目するばかりである〉
堺の評価は現在の時点から冨二を過大評価しているところもあるが、石田とは別の冨二像を提出している。
石田の文章で興味深いのは「川柳には二つの興趣がある」という捉え方である。ひとつは「作句時に作者個人が体感する発想と興趣」であり、もうひとつは「読者が一句を読んで感じる川柳的な興趣」である。前者は作者論的な興趣、後者は読者論的な興趣だろう。石田が展開した冨二像は作者論的にとらえたものである。冨二の作品は現在の眼で読んでも少しも古くなっていない。読者は冨二の作品から川柳本来のおもしろさを感じ取ることができると思う。
もう十年以前のことだと思うが、石田柊馬と松本仁が次のような会話を交わしているのを聞いたことがある。
「中村冨二をどう思う?」
「伝統やね」
「やっぱりそう思うか」
そばで聞いていた私にはよく理解できなかった。
現代川柳は中村冨二と河野春三から始まったというのが私の持論であり、「東の冨二、西の春三」などと言われる。その冨二が「伝統」だと言うのである。
ここで言う「伝統」とは、川柳を「伝統川柳」と「革新川柳」に二分したときの「伝統川柳」の意味で、「現代川柳」には「革新川柳」という意味が強く込められている。この二分法は現在ではすでに無効となっていると私は思っているが、戦後川柳史を理解するときの前提となるキイ・ワードである。
だから「冨二が伝統である」という認識は当時の私にはすぐに理解できないところがあったのだ。そのとき以来、冨二が伝統であるということの内実をいつか石田に解き明かしてほしいという願望を私はもっていた。
一方で、冨二には「川柳という名に残されたモノは、技術だけである」という有名な発言がある。この言葉もさまざまに解釈できて、定説というようなものはない。というより、この言葉の意味を真剣に追及した川柳人がいなかったのである。
そういうモヤモヤした疑問を吹き飛ばす文章として、石田の評論がいま目の前にある。
「川柳に残された川柳的技術」について、かつて私は次のように書いたことがある(「中村冨二と現代川柳」、『蕩尽の文芸』所収)。
〈 冨二の発言の中で最も有名なのが「川柳という名に残されたモノは、技術だけである」という言葉である。『中村冨二句集』(森林書房)の「あとがき」にあるが、同じようなことを冨二はあちこちで繰り返し語っているようだ。
この言葉はペシミズムではなく、むしろ冨二の川柳職人としての矜持を示すものだと私は受け止めている。作家精神の裏づけとしての川柳技術。山村祐の川柳中年文学説に対して、冨二は「川柳は青春の文学であってほしい」という願いをもっていた。「川柳とaの会」による合同句集『鬼』の序「火を焚く」という文章の中で冨二は次のように書いている。
「誠に過去現代を通して川柳には青春がとぼしい。そして皆無だと言われない所にボクは川柳の可能性を信じている。たとえ否定する何ものもないボクへの過去の川柳ではあっても、ボク自身や、ボクを取巻く社会の中に存在して否定するに足りる数々の現象に対して『川柳に残された川柳的技術』を武器として歩ける所まで歩いて行こうと思っている」 〉
「川柳職人としての矜持」では何も説明したことにならないが、仕方がない。
では、石田はどんなふうに述べているだろうか。
詳しくは石田の評論をお読みいただきたいが、興趣と発想の不可分性を冨二は「技術」の一語に込めたということになる。
「興趣」とは「川柳的興趣」である。では「川柳的興趣」とは何か。冨二の場合、「意味性」「大衆性」「共感性」などの伝統川柳の諸要素である。この中には「詩性」は入らないのである。
「詩性に及べば自分の意識に在る川柳性からの逸脱になる」
「詩性の追求が深まれば深まるほど、川柳の固有性と言ってもおかしくない意味性と大衆性が後退する」
「冨二の川柳についてのスピリットは意味性に留まること、その共感性の埒内に留まることであった」
「(冨二は)川柳の発展要素を詩性の追求とする議論には加わらなかった」
石田は冨二の川柳をこのようにとらえている。そして、冨二を「川柳的興趣の人」と呼ぶのである。「川柳的興趣」と「詩的興趣」に分けるとすれば、冨二は「詩性」「詩的興趣」の側に立った河野春三とは正反対の位置にいる。そういう意味で冨二は伝統の作家ということになる。詩性川柳を視野に入れつつ、冨二は川柳的興趣に留まったのである。
では、あまたの伝統の作家から冨二を区別しているものは何か。
たぶん、それが「川柳的技術」だろう。
「技術の貧困」は多くの「流れ作業」的作品を生み出した。「発想の中の技術」を含めて、冨二の作品はおもしろいのである。
石田の議論は多面的なので、以上の紹介がどこまで彼の真意を伝えているかはわからない。
冨二の捉え方についても石田とは別の見方も存在する。
たとえば、堺利彦の「中村冨二と『鴉』お時代」(『セレクション柳論』所収)。
堺は「作品は作者ではない」という冨二の言葉に注目して次のように述べている。
〈これは、川柳の作品を、その作者の私性から解き放し、作品を「ことば」そのものによって始めて定立するという先見性を表象する端的な持論と読み解くことも出来る。
今日のテクスト論からすれば常識的な作品に対するスタンスを、すでに冨二は戦前の早い時期から直感的に認識していたことになる。(中略)近代的自我を超えて読者の〈読み〉の前にあっては、作品の〈ことば〉が独り歩きするという言葉の自律性から生み出されるものが作品であるという意識があったに違いない。こうした点においても、既成の川柳からみれば、極めて革新的で〈現代〉を先取りしていた感がある。作品に張り付いた作者の近代的な自我意識が、作品の〈ことば〉によって解き放たれるという、その先見性に刮目するばかりである〉
堺の評価は現在の時点から冨二を過大評価しているところもあるが、石田とは別の冨二像を提出している。
石田の文章で興味深いのは「川柳には二つの興趣がある」という捉え方である。ひとつは「作句時に作者個人が体感する発想と興趣」であり、もうひとつは「読者が一句を読んで感じる川柳的な興趣」である。前者は作者論的な興趣、後者は読者論的な興趣だろう。石田が展開した冨二像は作者論的にとらえたものである。冨二の作品は現在の眼で読んでも少しも古くなっていない。読者は冨二の作品から川柳本来のおもしろさを感じ取ることができると思う。
2015年3月27日金曜日
川柳のフルコース―笹田かなえ句集
「東奥文芸叢書」は青森県の東奥日報社創刊125周年企画として発刊され、短歌・俳句・川柳各30冊、全90冊が予定されている。この叢書の川柳句集についてはこれまで何冊か紹介したことがあるが、今回は『笹田かなえ句集 お味はいかが?』を取り上げる。
句集の編集の仕方にはいくつかのやり方があり、この句集では「前菜」「サラダ」「スープ」「メインディッシュ」「デザート」の五章に分け、各72句、全360句が収録されている。料理のフルコースが順番に出されてゆくように、句集一冊を読むことができる。発表順とかアットランダムに並べるやり方もあるが、単独句の集積ではなくて一冊の句集として読まれることを意識した構成がまず目をひく。
したがって読者としてはこのコンセプトに沿って読んでいくのが順当だろうから、ここでも各章から数句を抜き出してゆくことにしよう。
最初に「前菜」である。
立春の雨のたとえば応挙の絵
巻頭句は雨の句である。
この句集では全体に雨や水のイメージをもつ句が点在していて印象的。
外では雨が降っていて、別に絵の中でも雨が降っている必要はないのだが、応挙の絵から連想すると、たとえば兵庫県香住の大乗寺にある襖絵などが思い浮かぶ。葉のかげから子どもの顔がのぞいている。
古い道古い神社につきあたる
特に何を言っているわけでもない、情景を詠んだ句である。
こういう句の方が主観句よりも印象に残る場合がある。
待ってと言って待ってもらってもどかしい
「待って」と言えば相手は待ってくれるだろうが、待つ方も待ってもらう方も、もどかしい。自分自身がもどかしいのだが、置き去りにされてしまうのも困る。
足元を見られぬように少し浮く
「足元を見る」というフレーズがある。そこから「見られぬように」と逆の方向へゆく。現実からの浮遊はかえって足元が見えてしまうことになるかも。
虫流す排水管は暗いだろうな
誰でも経験のある共感の句。流されてゆく虫の立場で詠んでいる。
「前菜」はこれくらいにして「サラダ」に。
ものすごい緑のままで枯れていく
「ものすごい緑」とはどんな緑なんだろう。
全盛の姿のままで枯れてゆくのだ。悔いが残るとも言えるし、逆に幸せとも言える。
プランクトンの名前をいくつ言えますか
はい、言えますよ。ミジンコ・ケンミジンコ・ボルボックス・ミドリムシ・ゾウリムシ…あれ、もう言えない。
続いて「スープ」に移る。
うさぎ抱くころしてしまいそうに抱く
可愛がって抱きしめるあまり殺してしまうことがある。ここでは、その寸前で止めている。
首筋に森を通ってきた匂い
作者に見られる感覚表現はここでは嗅覚に特化されている。
「木の匂い」「雨の匂い」「せっけんの匂い」「にんにくの匂い」「日向の匂い」―匂いの句はいろいろある。
紫陽花を咲かせる声にしてください
「向日葵を咲かせる声」とか「紫陽花を咲かせる声」とか、いろいろあるとおもしろいだろうな。
いよいよ「メインディッシュ」。
くるぶしのますます白く位置に着く
スタートラインに着く。それを見ている人の視線は白い踝に注がれている。
あどけなく弱いところがもりあがる
弱いところをカバーしながら傷口は自然に治癒する。人生経験を積むと、傷を受けないようにあらかじめ弱点を鎧で覆っておくようになる。この句の作中主体はまだあどけないのだろう。
雨続く今日見たことは今日話す
明日話そうと思っていても、明日は話す相手がいないかもしれないし、そもそも話すことを忘れてしまっているかも知れない。
切り口に合うのは切った刃のかたち
「切られたもの」と「切ったもの」との関係性。敵対関係なのだが、妙な親和性がある。
最後に「デザート」。
「行基です」秋の小声に振り返る
川柳でも固有名詞はしばしば使われるが、「行基」はあまり見たことがない。
「秋の小声」ともぴったり合っている。
水に浮くなかったことにしてみても
沈むのではなく浮いてしまうのだ。何もなかったことにはできないのだろう。
絵の中の林檎は蜜のある林檎
現実の林檎は「蜜のない林檎」ばかりなのだろう。
ごきげんよう 桃はひとまず冷蔵庫
句集の最後の句。
デザートにふさわしく果実の句で終わっている。
以上、句集のコンテンツに従った読み方をしてきたが、別にどこから読んでもかまわないだろう。私には雨や水のイメージをともなう句が印象的だった。季語や切れ字を用いた句もあって、俳句的だと感じる句もあった。これは柳俳異同論とは関係のない感想である。
「ボナペティ」「メルシイ」。
句集の編集の仕方にはいくつかのやり方があり、この句集では「前菜」「サラダ」「スープ」「メインディッシュ」「デザート」の五章に分け、各72句、全360句が収録されている。料理のフルコースが順番に出されてゆくように、句集一冊を読むことができる。発表順とかアットランダムに並べるやり方もあるが、単独句の集積ではなくて一冊の句集として読まれることを意識した構成がまず目をひく。
したがって読者としてはこのコンセプトに沿って読んでいくのが順当だろうから、ここでも各章から数句を抜き出してゆくことにしよう。
最初に「前菜」である。
立春の雨のたとえば応挙の絵
巻頭句は雨の句である。
この句集では全体に雨や水のイメージをもつ句が点在していて印象的。
外では雨が降っていて、別に絵の中でも雨が降っている必要はないのだが、応挙の絵から連想すると、たとえば兵庫県香住の大乗寺にある襖絵などが思い浮かぶ。葉のかげから子どもの顔がのぞいている。
古い道古い神社につきあたる
特に何を言っているわけでもない、情景を詠んだ句である。
こういう句の方が主観句よりも印象に残る場合がある。
待ってと言って待ってもらってもどかしい
「待って」と言えば相手は待ってくれるだろうが、待つ方も待ってもらう方も、もどかしい。自分自身がもどかしいのだが、置き去りにされてしまうのも困る。
足元を見られぬように少し浮く
「足元を見る」というフレーズがある。そこから「見られぬように」と逆の方向へゆく。現実からの浮遊はかえって足元が見えてしまうことになるかも。
虫流す排水管は暗いだろうな
誰でも経験のある共感の句。流されてゆく虫の立場で詠んでいる。
「前菜」はこれくらいにして「サラダ」に。
ものすごい緑のままで枯れていく
「ものすごい緑」とはどんな緑なんだろう。
全盛の姿のままで枯れてゆくのだ。悔いが残るとも言えるし、逆に幸せとも言える。
プランクトンの名前をいくつ言えますか
はい、言えますよ。ミジンコ・ケンミジンコ・ボルボックス・ミドリムシ・ゾウリムシ…あれ、もう言えない。
続いて「スープ」に移る。
うさぎ抱くころしてしまいそうに抱く
可愛がって抱きしめるあまり殺してしまうことがある。ここでは、その寸前で止めている。
首筋に森を通ってきた匂い
作者に見られる感覚表現はここでは嗅覚に特化されている。
「木の匂い」「雨の匂い」「せっけんの匂い」「にんにくの匂い」「日向の匂い」―匂いの句はいろいろある。
紫陽花を咲かせる声にしてください
「向日葵を咲かせる声」とか「紫陽花を咲かせる声」とか、いろいろあるとおもしろいだろうな。
いよいよ「メインディッシュ」。
くるぶしのますます白く位置に着く
スタートラインに着く。それを見ている人の視線は白い踝に注がれている。
あどけなく弱いところがもりあがる
弱いところをカバーしながら傷口は自然に治癒する。人生経験を積むと、傷を受けないようにあらかじめ弱点を鎧で覆っておくようになる。この句の作中主体はまだあどけないのだろう。
雨続く今日見たことは今日話す
明日話そうと思っていても、明日は話す相手がいないかもしれないし、そもそも話すことを忘れてしまっているかも知れない。
切り口に合うのは切った刃のかたち
「切られたもの」と「切ったもの」との関係性。敵対関係なのだが、妙な親和性がある。
最後に「デザート」。
「行基です」秋の小声に振り返る
川柳でも固有名詞はしばしば使われるが、「行基」はあまり見たことがない。
「秋の小声」ともぴったり合っている。
水に浮くなかったことにしてみても
沈むのではなく浮いてしまうのだ。何もなかったことにはできないのだろう。
絵の中の林檎は蜜のある林檎
現実の林檎は「蜜のない林檎」ばかりなのだろう。
ごきげんよう 桃はひとまず冷蔵庫
句集の最後の句。
デザートにふさわしく果実の句で終わっている。
以上、句集のコンテンツに従った読み方をしてきたが、別にどこから読んでもかまわないだろう。私には雨や水のイメージをともなう句が印象的だった。季語や切れ字を用いた句もあって、俳句的だと感じる句もあった。これは柳俳異同論とは関係のない感想である。
「ボナペティ」「メルシイ」。
2015年3月20日金曜日
現代川柳ヒストリア―雑誌で見る現代川柳史
「里」144号(2015年3月)の特集は〈佐藤文香『君に目があり見開かれ』の開かれ方〉。
上田信治は「世界に『私』を与え直す」でこんなふうに書いている。
〈佐藤文香の第二句集『君に目があり見開かれ』のオリジナリティは「私性の持ち込み」と「文体の更新」にある。それは俳句が、詩として生まれ直すために、それこそ俳諧の成立以来何度となく行なってきたことだ〉
夜を水のように君とは遊ぶ仲
歩く鳥世界にはよろこびがある
知らない町の吹雪のなかは知っている
星がある 見てきた景色とは別に
町を抜けて橋に踊る海が見えた冬の
これらの句を挙げて上田は「私性」に関して〈その(作者の命名するところの)「超口語」が句に極私的な「つぶやく」主体を仮構している〉と述べている。また、「文体」に関しては〈個々の文節が五・七・五にズレつつ乗っていく感覚は、今どきの「譜割り」(旋律の各音に対する歌詞の割り振り)の複雑さを思わせる〉という。
特集には数名の論考のほか、佐藤文香による「出版記念特別作品22句」と「ぽえむ1篇(星とは何か)」が掲載されている。佐藤の新作から。
雪一面すすまぬ青はスキー我
肉塊として起き上がるスキー我
「里」の発行所である邑書林は3月に佐久から尼崎市に移転してきた。関西の俳人・川柳人にとっては「里」句会との交流がしやすくなる。
5月17日に大阪・上本町で開催される「現代川柳ヒストリア+川柳フリマ」の準備のため、このところ手元にある川柳誌を広げて、現代川柳の歴史をたどっている。
一般に川柳誌は消耗品なので、残されることが少ない。過去の川柳史に対するリスペクトがないというよりは、そもそも保存するという感覚を川柳人は持たないのだろう。
俳句の場合は「俳句文学館」があって、過去の俳誌のバックナンバーを調べるにも便利であるが、川柳の場合は「川柳文学館」のようなものはない。
川柳誌の実物を手にすると、過去の川柳人たちの息吹を実感することができるし、私たちがその流れのなかにいることが納得できるだろう。
宣伝をかねて、いま考えている内容をお知らせしてゆきたい。
現代川柳が中村冨二と河野春三からはじまった、というのが私の持論である。「東の冨二、西の春三」などと言われる。まず冨二の方から。
「鴉」は1951年1月から。(全27号)。同人は中村冨二・金子勘九郎・高井花眠・片柳哲郎・松本芳味。ガリ版刷で、当日は23号・25号の二冊を展示するが、触るとボロボロになってしまいそうので、残念ながら手にとって見ていただくわけにはいかない。また合同句集『鴉』も展示。
次に春三の方だが、まず「天馬」を展示。
「川柳ジャーナル」は比較的目にする機会があると思われる。
1966年(昭和41年)8月、「川柳ジャーナル」創刊。「海図」「鷹」「不死鳥」「流木」「馬」の各誌を統合して生まれた。「川柳ジャーナル」は終刊号を展示するが、「川柳ジャーナル」以前の5誌をあわせて見ることができるのはめったにない機会となるはずである。
河野春三の個人誌「馬」は1964年3月から1966年7月まで全15号が発行され、「川柳ジャーナル」に発展的解消された。毎号、特別作品が掲載され、6号に新子の50句、7号に草刈蒼之助50句、8号に春三の50句、9号に松本芳味の15句(多行作品「難破船」)、10号に春三の38句(黒縄抄拾遺「空蝉」)、11号に定金冬二の37句(「亡霊」)、15号は現代川柳作家自選集として56名が参加したという。
「流木」は1965年4月に京都で創刊。流木グループは橋本白史・宮田あきら・中奥治一郎・所ゆきら・上田枯粒・渡辺極堂の6人で、編集は宮田あきら。
静岡から出ていた「不死鳥」は1962年4月から1966年7月まで、全52号。私が見ることができた34号(昭和40年1月)を展示の予定。同人は中野柳窓、服部たかほ、稲村雀穂、森由旬、石川重尾の五人。
「海図」は編集発行人・山村祐。森林書房。
「鷹」は静岡の鷹集団発行。1964年~1966年7月。全33号。発行人・小泉十支尾、編集・片柳哲郎(30号から福島眞澄)。
「現代川柳作家連盟」(現川連)のことも触れておきたい。推進者となったのは岐阜の今井鴨平である。「現代川柳」は現代川柳作家連盟機関誌として岐阜で発行。1957年7月~1962年3月(全36号) 発行人・今井鴨平。しかし、現川連の会員たちは積極的な協力の姿勢をとらなかったため、鴨平は個人で「川柳現代」を発行することになる。1962年7月~1964年10月(全17号)。その「川柳現代」も1964年の鴨平によって終刊。第17号「今井鴨平追悼号」を展示する。
それ以後の川柳誌については省略するが、当日会場でご覧になっていただければ幸いである。現在、展示用の簡単なラベルを作成中。創刊から終刊まで何号あり、同人や発行人・編集人は誰かなど基本的なデータを記録するのにけっこう時間がかかる。
また、当日はパワーポイントを使って現代川柳史の流れを簡単に解説する予定。
当日は展示だけではなく、フリーマーケットを開催しているので、川柳句集を購入することができる。また、句集作者によるサイン会も予定。
あと、歌人の天野慶さんとの対談もお楽しみいただけることと思う。
フリマの出店は現在募集中。詳しいことは専用ホームページをご覧いただきたい。出店申し込みは4月末日までだが、会場はそれほど広くないので、お早めに申し込みいただけるとありがたい。
上田信治は「世界に『私』を与え直す」でこんなふうに書いている。
〈佐藤文香の第二句集『君に目があり見開かれ』のオリジナリティは「私性の持ち込み」と「文体の更新」にある。それは俳句が、詩として生まれ直すために、それこそ俳諧の成立以来何度となく行なってきたことだ〉
夜を水のように君とは遊ぶ仲
歩く鳥世界にはよろこびがある
知らない町の吹雪のなかは知っている
星がある 見てきた景色とは別に
町を抜けて橋に踊る海が見えた冬の
これらの句を挙げて上田は「私性」に関して〈その(作者の命名するところの)「超口語」が句に極私的な「つぶやく」主体を仮構している〉と述べている。また、「文体」に関しては〈個々の文節が五・七・五にズレつつ乗っていく感覚は、今どきの「譜割り」(旋律の各音に対する歌詞の割り振り)の複雑さを思わせる〉という。
特集には数名の論考のほか、佐藤文香による「出版記念特別作品22句」と「ぽえむ1篇(星とは何か)」が掲載されている。佐藤の新作から。
雪一面すすまぬ青はスキー我
肉塊として起き上がるスキー我
「里」の発行所である邑書林は3月に佐久から尼崎市に移転してきた。関西の俳人・川柳人にとっては「里」句会との交流がしやすくなる。
5月17日に大阪・上本町で開催される「現代川柳ヒストリア+川柳フリマ」の準備のため、このところ手元にある川柳誌を広げて、現代川柳の歴史をたどっている。
一般に川柳誌は消耗品なので、残されることが少ない。過去の川柳史に対するリスペクトがないというよりは、そもそも保存するという感覚を川柳人は持たないのだろう。
俳句の場合は「俳句文学館」があって、過去の俳誌のバックナンバーを調べるにも便利であるが、川柳の場合は「川柳文学館」のようなものはない。
川柳誌の実物を手にすると、過去の川柳人たちの息吹を実感することができるし、私たちがその流れのなかにいることが納得できるだろう。
宣伝をかねて、いま考えている内容をお知らせしてゆきたい。
現代川柳が中村冨二と河野春三からはじまった、というのが私の持論である。「東の冨二、西の春三」などと言われる。まず冨二の方から。
「鴉」は1951年1月から。(全27号)。同人は中村冨二・金子勘九郎・高井花眠・片柳哲郎・松本芳味。ガリ版刷で、当日は23号・25号の二冊を展示するが、触るとボロボロになってしまいそうので、残念ながら手にとって見ていただくわけにはいかない。また合同句集『鴉』も展示。
次に春三の方だが、まず「天馬」を展示。
「川柳ジャーナル」は比較的目にする機会があると思われる。
1966年(昭和41年)8月、「川柳ジャーナル」創刊。「海図」「鷹」「不死鳥」「流木」「馬」の各誌を統合して生まれた。「川柳ジャーナル」は終刊号を展示するが、「川柳ジャーナル」以前の5誌をあわせて見ることができるのはめったにない機会となるはずである。
河野春三の個人誌「馬」は1964年3月から1966年7月まで全15号が発行され、「川柳ジャーナル」に発展的解消された。毎号、特別作品が掲載され、6号に新子の50句、7号に草刈蒼之助50句、8号に春三の50句、9号に松本芳味の15句(多行作品「難破船」)、10号に春三の38句(黒縄抄拾遺「空蝉」)、11号に定金冬二の37句(「亡霊」)、15号は現代川柳作家自選集として56名が参加したという。
「流木」は1965年4月に京都で創刊。流木グループは橋本白史・宮田あきら・中奥治一郎・所ゆきら・上田枯粒・渡辺極堂の6人で、編集は宮田あきら。
静岡から出ていた「不死鳥」は1962年4月から1966年7月まで、全52号。私が見ることができた34号(昭和40年1月)を展示の予定。同人は中野柳窓、服部たかほ、稲村雀穂、森由旬、石川重尾の五人。
「海図」は編集発行人・山村祐。森林書房。
「鷹」は静岡の鷹集団発行。1964年~1966年7月。全33号。発行人・小泉十支尾、編集・片柳哲郎(30号から福島眞澄)。
「現代川柳作家連盟」(現川連)のことも触れておきたい。推進者となったのは岐阜の今井鴨平である。「現代川柳」は現代川柳作家連盟機関誌として岐阜で発行。1957年7月~1962年3月(全36号) 発行人・今井鴨平。しかし、現川連の会員たちは積極的な協力の姿勢をとらなかったため、鴨平は個人で「川柳現代」を発行することになる。1962年7月~1964年10月(全17号)。その「川柳現代」も1964年の鴨平によって終刊。第17号「今井鴨平追悼号」を展示する。
それ以後の川柳誌については省略するが、当日会場でご覧になっていただければ幸いである。現在、展示用の簡単なラベルを作成中。創刊から終刊まで何号あり、同人や発行人・編集人は誰かなど基本的なデータを記録するのにけっこう時間がかかる。
また、当日はパワーポイントを使って現代川柳史の流れを簡単に解説する予定。
当日は展示だけではなく、フリーマーケットを開催しているので、川柳句集を購入することができる。また、句集作者によるサイン会も予定。
あと、歌人の天野慶さんとの対談もお楽しみいただけることと思う。
フリマの出店は現在募集中。詳しいことは専用ホームページをご覧いただきたい。出店申し込みは4月末日までだが、会場はそれほど広くないので、お早めに申し込みいただけるとありがたい。
2015年3月13日金曜日
川合大祐の軌跡
自動ドア誰も救ってやれないよ(2002年1月)
「川柳の仲間 旬」115号の「人物クローズアップ」で私は川合大祐の名をはじめて知った。このとき川合は28歳、川柳をはじめて1年たたない時期である。
いとう岬の解説によると、「旬」113号に彼は「檻のなかから世界を眺めて」という文章を掲載している。その中で川合は自分が川柳で表現したいものは「影」であると語っている。
では、なぜ川柳なのか。
「人は不自由さの中にあってこそ、始めて本当の自由を実感できる。不自由に縛られたなかでの稀少な自由とは、無限のひろがりを持つものだ。それこそが、私が川柳という表現形態に求めるものなのだ」
おはようで今日もはじまるつなわたり
誕生日童話いっさつ火にくべる
戦争はガラスの中でピンク色
滅茶苦茶になれたらいいね うんいいね
中八がそんなに憎いかさあ殺せ(2011年9月)
「川柳コロキウム」誌上大会、丸山進選。
五七五定型のうち上五は字余りでも許容されるが、中七は比較的守られている。「中八はいけない」という川柳人が多いが、この句はそれに対して疑問を呈している。
発表以来、中八をめぐる議論ではこの句がときどき取り上げられるのを目にする。
ロミオではないあなたには興味なし(2014年11月)
「裸木」2号(編集人・いわさき楊子)。
二通りに読めると思う。
「ロミオではないあなた」には「私」は興味がない。
「私」はロミオではない(あなたもジュリエットではない)。だから、あなたには興味がない。
あとの読みの場合は、「ロミオではない」の後に切れがあることになる。
薔薇とのみ呼ばれし花よ市民A
ジャイアント馬場や水葬物語
ビンラディン/市民 ころした/ころされた
…早送り…二人は……豚になり終 (2014年11月)
「川柳カード」7号。誌上大会、兼題「早い」準特選。選者は樋口由紀子。
「/」や「…」などの記号を使った川柳を川合はしばしば書いている。
短歌ではめずらしくないが、川柳ではまだ新鮮なのだろう。
掲出句はビデオなどの早送りの感じをうまく表現している。「豚になり終」というのは皮肉である。
「川柳スープレックス」(2015年2月)
飯島章友・柳本々々・川合大祐・倉間しおり・江口ちかるの五人で「川柳スープレックス」を立ち上げた。私はプロレスの技には詳しくないが、スープレックスはバックドロップと同じような技だろうか。
「百万遍死んでも四足歩行なり」(飯田良祐)について、川合は次のように書いている。
〈川柳は檻である、と昔書いた。
スープレックスのテスト版にもそんな小文を書いたので、いつか機会があれば再掲したい。
それはともかく、僕にとっての川柳は檻だった。
五七五という定型。
それは僕にとって檻であり、その檻の不自由さのなかではじめて自由を夢見ることができる、そんな内容だったと思う。
(だから方哉も山頭火も、ある意味業に似た不自由さから逃れられなかった、という気もするのだが、それはまた別の折に)
そんな僕のアプローチと、この句のアプローチは、どこか違う。
この句は、自ら檻に入ったのだ。
五七五の檻に、自らの獣を閉じ込めるために。〉
星だって掴めるような気がしてたそれが怖くて掴まなかった(2015年3月)
「かばん」新人特集号Vol.6。
2009年10月から2013年9月に入会した23名による短歌各30首が収録されている。これに「かばん」内と「かばん」外の執筆者による歌評がそれぞれ付いている。
飯島章友は内部評で次のように書いている。
〈連作の終盤、26首目~30首目で主人公は、ふだん抑圧している影の自分に言葉を投げかけ、歩み寄りをみせている。「僕」「僕ら」と柔らかい自称になったのはその表れ。「おひさまが西から昇」るような受け入れがたい無意識下(影)の自分をも「肯定」し、「僕ら」として共に「歌う」ことで、自己の総合化へ一歩踏み出したのだ〉
手をほどく眠りに噴き出す無意識をほんとうの無へ返せるように
自由とは真夏の夜の夢なれば監視カメラを撃つ銃もなし
なあ俺よ答えてくれよ星座とは見るものなのかなるものなのか
おひさまが西から昇っただとしても肯定しよう僕は僕だと
「川柳の仲間 旬」115号の「人物クローズアップ」で私は川合大祐の名をはじめて知った。このとき川合は28歳、川柳をはじめて1年たたない時期である。
いとう岬の解説によると、「旬」113号に彼は「檻のなかから世界を眺めて」という文章を掲載している。その中で川合は自分が川柳で表現したいものは「影」であると語っている。
では、なぜ川柳なのか。
「人は不自由さの中にあってこそ、始めて本当の自由を実感できる。不自由に縛られたなかでの稀少な自由とは、無限のひろがりを持つものだ。それこそが、私が川柳という表現形態に求めるものなのだ」
おはようで今日もはじまるつなわたり
誕生日童話いっさつ火にくべる
戦争はガラスの中でピンク色
滅茶苦茶になれたらいいね うんいいね
中八がそんなに憎いかさあ殺せ(2011年9月)
「川柳コロキウム」誌上大会、丸山進選。
五七五定型のうち上五は字余りでも許容されるが、中七は比較的守られている。「中八はいけない」という川柳人が多いが、この句はそれに対して疑問を呈している。
発表以来、中八をめぐる議論ではこの句がときどき取り上げられるのを目にする。
ロミオではないあなたには興味なし(2014年11月)
「裸木」2号(編集人・いわさき楊子)。
二通りに読めると思う。
「ロミオではないあなた」には「私」は興味がない。
「私」はロミオではない(あなたもジュリエットではない)。だから、あなたには興味がない。
あとの読みの場合は、「ロミオではない」の後に切れがあることになる。
薔薇とのみ呼ばれし花よ市民A
ジャイアント馬場や水葬物語
ビンラディン/市民 ころした/ころされた
…早送り…二人は……豚になり終 (2014年11月)
「川柳カード」7号。誌上大会、兼題「早い」準特選。選者は樋口由紀子。
「/」や「…」などの記号を使った川柳を川合はしばしば書いている。
短歌ではめずらしくないが、川柳ではまだ新鮮なのだろう。
掲出句はビデオなどの早送りの感じをうまく表現している。「豚になり終」というのは皮肉である。
「川柳スープレックス」(2015年2月)
飯島章友・柳本々々・川合大祐・倉間しおり・江口ちかるの五人で「川柳スープレックス」を立ち上げた。私はプロレスの技には詳しくないが、スープレックスはバックドロップと同じような技だろうか。
「百万遍死んでも四足歩行なり」(飯田良祐)について、川合は次のように書いている。
〈川柳は檻である、と昔書いた。
スープレックスのテスト版にもそんな小文を書いたので、いつか機会があれば再掲したい。
それはともかく、僕にとっての川柳は檻だった。
五七五という定型。
それは僕にとって檻であり、その檻の不自由さのなかではじめて自由を夢見ることができる、そんな内容だったと思う。
(だから方哉も山頭火も、ある意味業に似た不自由さから逃れられなかった、という気もするのだが、それはまた別の折に)
そんな僕のアプローチと、この句のアプローチは、どこか違う。
この句は、自ら檻に入ったのだ。
五七五の檻に、自らの獣を閉じ込めるために。〉
星だって掴めるような気がしてたそれが怖くて掴まなかった(2015年3月)
「かばん」新人特集号Vol.6。
2009年10月から2013年9月に入会した23名による短歌各30首が収録されている。これに「かばん」内と「かばん」外の執筆者による歌評がそれぞれ付いている。
飯島章友は内部評で次のように書いている。
〈連作の終盤、26首目~30首目で主人公は、ふだん抑圧している影の自分に言葉を投げかけ、歩み寄りをみせている。「僕」「僕ら」と柔らかい自称になったのはその表れ。「おひさまが西から昇」るような受け入れがたい無意識下(影)の自分をも「肯定」し、「僕ら」として共に「歌う」ことで、自己の総合化へ一歩踏み出したのだ〉
手をほどく眠りに噴き出す無意識をほんとうの無へ返せるように
自由とは真夏の夜の夢なれば監視カメラを撃つ銃もなし
なあ俺よ答えてくれよ星座とは見るものなのかなるものなのか
おひさまが西から昇っただとしても肯定しよう僕は僕だと
2015年3月6日金曜日
俳句を壊す―「船団」104号
5月17日に大阪・上本町で開催される「現代川柳ヒストリア+川柳フリマ」の準備を始めている。専用のホームページの方もご覧いただきたい。ホームページから出店の申し込みができるが、小池正博まで直接お申込みいただいてもOK。また、ホームページに川柳投稿フォームを設けていて、投句できるようになっている(雑詠1句)。句会を開くわけではないが、当日会場に来られた方々に良いと思う作品に投票していただき、後日集計結果を発表することになっている。ふるって投句をお願いしたい(投句はインターネットのみの受付)。また、フリーペーパーのコーナーを設けるので、配布ご希望の方は当日ご持参いただければ机上に置かせていただく。こちらは出店料無料だが、無料配布となるのでご了解いただきたい。川柳誌のバックナンバーもお持ちいただければ無料配布可能。
さて、俳誌「船団」掲載のエッセイ、芳賀博子の「今日の川柳」は連載29回目。今回の104号は「一の麦」というタイトルで田口麦彦のことを取り上げている。芳賀は熊本まで田口に会いに出かけて、きちんと取材している。『新現代川柳必携』(三省堂)のことなど、田口の川柳活動が紹介されている。「麦彦」という号の由来は、「米」に対抗して「麦」。「日本といえば米でしょ。だったら麦でいこうと。これは私の反骨精神でね」。麦彦さんには5月の川柳フリマにも来ていただくことになっている。
「船団」同号の特集では「座談会・俳句を壊す」が読みごたえがある。関悦史・池田澄子・三宅やよいの対談で、司会は木村和也。刺激的なのは次のような部分。
関 表現しなければならない、場合によっては不愉快なところ、あるいは自分が同じような作品ばかり作ってしまうという批評的な苛立ちがあったとして、その苛立ちを含み込んで乗り越えて俳句として読めるものにする。そういう作業を、俳句形式にぶちあたっていく中で工夫して、最終的に洗練された表現にしていくわけで、それは壊すという方向ではないわけです。書かなければならないものがどこかにあって、その志とか批評性を俳句として洗練された方向にまとめ上げていく。そのまとめ上げるときに、一見壊れるという臨界点にまで踏み込んでいるという緊張感が出てくるんです。
木村 今の論でいくと、「壊す」ということのキーというか基点になるのは批評精神ということでしょうか。
関 そうでしょうね。
木村 それは、もちろん自分の俳句とか、自分の関わる現実とかいうものに対する批評精神といったものが、一見壊すというふうに見えてくるということでしょうか。
関 それともう一つは、俳句の歴史全体に対して。今まで詠まれてきたものと今自分が一緒のことをやっていてはどうしようもないという、自分に対する批評性。
「批評性」「批評精神」をキーにしているところが興味深い。あと、俳句の季語に対して関が「他者性」という視点からとらえていることも私には新鮮な感じがした。次はすべて関の発言。
「一句のなかに季語が入ったら、そこは自分が言いたいことは直接は言えてないわけです。そこに他者性、批評性が入ってくるという形で季語が生かされる」
「俳句の季語っていうのはその、メッセージを担っちゃいけない、何かものの喩え、メタファーになっちゃいけないんですよ」
「無季でやる場合は季語に変わる何かしらの他者性が入ってくるわけですよ」
川柳や連句についても触れられていて、次は三宅やよいの発言。
三宅 私は、無季の句を作ると意味が強くなっちゃうんですよ。だから川柳の人たちと句会をやっているとき、結構無季の俳句つくっていたんです。そうするとやっぱり川柳は季語がないから言葉を強くしなきゃという思いがあるんですよ。川柳は意味だ、っていう意味じゃないんですよ。それだけ言葉の選択っていうのは、季語に代わる強さとか、心情とか直接に訴えた形で言葉を出さなきゃならないから、そのときは一緒にやるときは作ったことありますけど、すごく分裂しちゃうんです自分が。
「俳句と川柳の違い」という話題になると、すぐ「川柳の意味性」で片づけられてしまうが、三宅は川柳人とも交流があるから、意味性で括ることはしていない。三宅は「川柳的っていうとすぐ意味とか、そういうとこに走るけど、決してそういうものでもないと思います」とも発言していて、さすがに現代川柳に対する理解が深い人だと思う。
最後に、古い自分を壊し新しい自分を見出すための突破口は、というような話になって、池田澄子が「私はね、そんな何も思わないの。ただ作る、ひたすら作る」と言っているのは、言葉通りには受け取れないにしても、やはりおもしろい。
座談の参加者はみな実作者だから、具体的な創作のヒントがいろいろ得られる。
自己模倣から抜けだしたいと苦吟している表現者にとっては刺激的な特集である。
さて、俳誌「船団」掲載のエッセイ、芳賀博子の「今日の川柳」は連載29回目。今回の104号は「一の麦」というタイトルで田口麦彦のことを取り上げている。芳賀は熊本まで田口に会いに出かけて、きちんと取材している。『新現代川柳必携』(三省堂)のことなど、田口の川柳活動が紹介されている。「麦彦」という号の由来は、「米」に対抗して「麦」。「日本といえば米でしょ。だったら麦でいこうと。これは私の反骨精神でね」。麦彦さんには5月の川柳フリマにも来ていただくことになっている。
「船団」同号の特集では「座談会・俳句を壊す」が読みごたえがある。関悦史・池田澄子・三宅やよいの対談で、司会は木村和也。刺激的なのは次のような部分。
関 表現しなければならない、場合によっては不愉快なところ、あるいは自分が同じような作品ばかり作ってしまうという批評的な苛立ちがあったとして、その苛立ちを含み込んで乗り越えて俳句として読めるものにする。そういう作業を、俳句形式にぶちあたっていく中で工夫して、最終的に洗練された表現にしていくわけで、それは壊すという方向ではないわけです。書かなければならないものがどこかにあって、その志とか批評性を俳句として洗練された方向にまとめ上げていく。そのまとめ上げるときに、一見壊れるという臨界点にまで踏み込んでいるという緊張感が出てくるんです。
木村 今の論でいくと、「壊す」ということのキーというか基点になるのは批評精神ということでしょうか。
関 そうでしょうね。
木村 それは、もちろん自分の俳句とか、自分の関わる現実とかいうものに対する批評精神といったものが、一見壊すというふうに見えてくるということでしょうか。
関 それともう一つは、俳句の歴史全体に対して。今まで詠まれてきたものと今自分が一緒のことをやっていてはどうしようもないという、自分に対する批評性。
「批評性」「批評精神」をキーにしているところが興味深い。あと、俳句の季語に対して関が「他者性」という視点からとらえていることも私には新鮮な感じがした。次はすべて関の発言。
「一句のなかに季語が入ったら、そこは自分が言いたいことは直接は言えてないわけです。そこに他者性、批評性が入ってくるという形で季語が生かされる」
「俳句の季語っていうのはその、メッセージを担っちゃいけない、何かものの喩え、メタファーになっちゃいけないんですよ」
「無季でやる場合は季語に変わる何かしらの他者性が入ってくるわけですよ」
川柳や連句についても触れられていて、次は三宅やよいの発言。
三宅 私は、無季の句を作ると意味が強くなっちゃうんですよ。だから川柳の人たちと句会をやっているとき、結構無季の俳句つくっていたんです。そうするとやっぱり川柳は季語がないから言葉を強くしなきゃという思いがあるんですよ。川柳は意味だ、っていう意味じゃないんですよ。それだけ言葉の選択っていうのは、季語に代わる強さとか、心情とか直接に訴えた形で言葉を出さなきゃならないから、そのときは一緒にやるときは作ったことありますけど、すごく分裂しちゃうんです自分が。
「俳句と川柳の違い」という話題になると、すぐ「川柳の意味性」で片づけられてしまうが、三宅は川柳人とも交流があるから、意味性で括ることはしていない。三宅は「川柳的っていうとすぐ意味とか、そういうとこに走るけど、決してそういうものでもないと思います」とも発言していて、さすがに現代川柳に対する理解が深い人だと思う。
最後に、古い自分を壊し新しい自分を見出すための突破口は、というような話になって、池田澄子が「私はね、そんな何も思わないの。ただ作る、ひたすら作る」と言っているのは、言葉通りには受け取れないにしても、やはりおもしろい。
座談の参加者はみな実作者だから、具体的な創作のヒントがいろいろ得られる。
自己模倣から抜けだしたいと苦吟している表現者にとっては刺激的な特集である。
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