2026年9月4日金曜日

泉淳夫の戯作

8月のNHK文化センター梅田教室「はじめまして現代川柳」で「ふあうすと」系の作者、大山竹二と泉淳夫の作品を取り上げた。大山竹二については「大山竹二における人間の探求」という文章を書いたことがあり、『蕩尽の文芸』にも収録されている。また泉淳夫については、石田柊馬の『LPの森/道化師からの伝言』に「病涯」として淳夫の『風祷』が紹介されている。そこでは次のような句が引用されていた。

たぐり寄せては小面の紐に泣かれる  泉淳夫
すすき原狂い小袖のひらひら翔つ
浮草や水の狼藉はじまりぬ

「『風祷』(1987年)は病んで声を失い弱ってゆく自分を見つめる孤影の句集である。病んでいる、病は不治のものであろう。老いの自覚もある。普遍の悲しみとはいえ、それをどのように書くか。どのように対峙するか。病老死の認識がしっかり確かに自分のものとなったときの、未知の言語空間はどのように泉淳夫にあったのだろう。世に病涯を書いた名句は多い」と石田柊馬は書いている。
『風祷』は晩年の泉淳夫の句境を表わすが、そこに至るまでの彼の歩みをまず見ておきたい。

つばくらめ都会の河は濁りゆく(『平日』)
如月の街 まぼろしの鶴吹かれ(『風話』)
雪の深さに沈める壺が音もたず
童女ひとり風と遊びてきりもなし
終着駅 枯野に椅子が一つある
凧絵師の一生賭けてきた軽さ
夢のなか絶えて会わざる馬立てり(『風祷』)
わが死後の二月よ蒼いランプを吊れ
萩の寺 小面通す 萩ざかり

『平日』は家族詠を含めた日常詠、『風話』にはそこから脱皮した粒よりの句が多い。『風祷』は柊馬のいうような病涯句。泉淳夫の句集には二系列あって、『平日』『風話』『風祷』が句集、『女絵師』『楽屋酒』『博多祭時記』が戯作と称されている。前者は泉淳夫のおもての顔、後者が淳夫のもうひとつの顔とも見えるが、どちらも同じ淳夫の顔とも言える。泉淳夫の芸の幅であり、以下、後者の戯作の方を紹介していこう。(『平日』『風話』のあと『市街逍遥』が出ているが、作者のあとがきには、第三句集と呼ぶべきものではなく、『楽屋酒』からの展開を句会作品主体に集めたものとあり、微妙な位置にある句集である。)
『女絵師』はご覧になる機会がないと思うので、多めに引用しておく。『平日』発刊を機に出された江戸情緒あふれた百句を集めた小句集である。

伊勢講にして今日を出る若旦那
突出しの姉の店知る角兵衛獅子
宿下り継母の化粧を白く見る <
両国の灯へ年隠す蛇使い
女絵師根岸の寮へ出入する
焼香の順姐さんの目が険し
検校のひとり笑いが噛む小判
三度笠江戸をぷっつり口にせず
丸山を踏絵の夜からひとり消え
広重の雨雲助の尻を打ち

一読してわかるように、江戸の市井を題材として、川柳によって過去の一時代を構築している。戯作と称しているが、遊戯的なものではなく、句の作り方はしっかりしている。『平日』の最後に「課題一郭」の章があり、たとえば「雁(森鷗外作より)」として「飴細工おとがい細い娘に育ち」「寝返りの向きも娘の住む無縁坂」「風邪気味の父を案じて二日くる」などの句が詠まれている。鷗外の小説を素材とした題詠なのである。同様に『女絵師』も江戸をテーマにした連作となる。この方法は次の『楽屋酒』『博多祭時記』でも踏襲されている。

鳥追のふるいつかせる括り顎(『楽屋酒』)
十五夜の寮に呼ばれてくる笛師
江戸中を白い夜にする芒売り
鐘紡の塀に陽がある昼の酒(『博多祭時記』)
中洲出て中洲に戻る舟遊び
博多時間何時もの顔が二人来ず

泉淳夫は博多生まれの博多っ子であった。後に小倉に転居したが、小倉には違和感を感じたようだ。『博多祭時記』はいまや過ぎ去った時代の博多の風物を川柳作品として再現しようとした句集である。「博多の町々にはその頃(大正末期~昭和初期)、こころの触れ合いを持つ善き隣人たちが、倚り合うように生活していて、その人たちの描く日々の哀歓には何とも云えない潤いと艶やかさがあった」(あとがき)
『博多祭時記』の終章「博多往来」の句を紹介しておこう。

珈琲が匂うレーロの昼下がり(東中洲)
バッテン館間奏楽に眼をつむり
鐘紡の塀道行のように添い
常盤館馬賊藝妓を丸抱え(花街)
濱新地矢野サーカスが吹き鳴らし
トロ食いに新道折れる玉屋ずし(町筋)
川端ぜんざい博多の下戸の顔が合い(店舗)
夢の久作のごたーる養子連れてくる(人物)

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