石部明が亡くなったのは2012年10月27日のことだから、すでに没後6年になる。
石部に直接会ったことのない川柳人が増えてきた現在、石部明を読み継ぎ、語り継ぐことがますます重要になっている。
「川柳カード」2号(2013年3月)は石部明の追悼号だった。そこには石部の経歴が次のように書かれている。
1939年(昭和14)、岡山県和気郡生まれ。1974年、川柳を始める。1979年、「川柳展望」会員。1987年「火の木賞」受賞、「川柳塾」会員。1989年「おかやまの風6」に参加。1992年、川柳Z賞大賞受賞。1996年「ふあうすと賞」。1998年「MANO」創刊同人。2003年「バックストローク」創刊、発行人としてシンポジウムを伴う大会を各地で開催する。2011年「バックストローク」終刊後は「BSfield」誌を発行。その作品において、日常の裏側にある異界はエロスと死を契機として顕在化され、心理の現実が華やぎのある陰翳感でとらえられる。川柳の伝統の批判的継承者として現代川柳の一翼を担う。句集に『賑やかな箱』『遊魔系』『セレクション柳人・石部明集』。共著『現代川柳の精鋭たち』。
このプロフィールの文責は私にあるが、「川柳の伝統の批判的継承者」という位置づけは間違いないものと思っている。
石部の没後、八上桐子の提案で2015年から石部明についてのフリーペーパー「THANATOS」を出すことになった。年一回9月発行で、1/4(1号)が2015年、2/4(2号)が2016年、3/4(3号)が2017年、そして最終の4/4(4号)が2018年9月に発行された。発行はknot(小池正博・八上桐子)、デザインは宮沢青。
毎回50句掲載で、資料収集は八上と私で分担した。たとえば1号では「ますかっと」掲載作品を私が調べ、「川柳展望」掲載作品を八上が調べたうえで、50句を抽出している。雑誌の初出を調べてゆくと、繰り返し使われる石部のキイ・イメージが分かったり、雑誌掲載作品と句集掲載作品との違いに気づいたりして、いろいろな発見があった。あと、私が担当したのは800字の石部論が毎回二本で、石部作品の分析と石部を中心とした川柳環境をたどることにつとめた。その中からいくつか抜粋してみよう。
〈石部明とはどのような人物だろうか。私のイメージをひとことで言うと「帰ってきた男」である。どこかへ行って帰ってくる。彼はどこで何を見てきたかを直接は語らないが、今いる世界が唯一の現実ではないことを知っている〉(1/4)
〈石部明はどのようにして石部明になったのか。
どれほど才能のある人でも、資質だけでは作品を書けないから、環境からの刺激を受けることが創作の契機となる。そういう意味で、石部明の初期の作品を読むときに私が以前から気になっていたのは「こめの木グループ」のことである〉(1/4)
〈「おかやまの風・6」は1988年10月30日、長町一吠『岨道』・西条真紀『赤い錠剤』・前原勝郎『未明の音』・徳永操『或る終章』・石部明『賑やかな箱』・前田一石『てのひらの刻』という六句集の刊行を記念して岡山メルパで開催された。このとき石部は「川柳に大嘘を書いてみたい」と発言している〉(2/4)
〈病涯句というものがある。人は病をえたときに死を凝視したり、知友の死によって痛切に死を意識したりするが、石部の句はそういうものではない。川柳ジャンルのなかに「死」の視点を持ち込み、死という別世界から生を照射することによって句を書くのは石部の発明だった。だから石部の作品においては、個人の死の具体的な姿ではなくて、「死」そのものが主題となるのである〉(2/4)
〈川柳人はどのようにして自ら納得できる一句にたどりつくのだろうか。
『遊魔系』は完成された句集である。個々の句が完成されているだけでなく、エロスとタナトスと詩が三位一体となった世界を一冊の句集として提示している。ここには石部の愛用するキイ・イメージが繰り返し用いられているが、一句の背後には捨てられたおびただしい句案が存在する。石部は自らの表象を執拗に追い求めるタイプの表現者なのだ〉(3/4)
〈現代川柳がひとつのムーブメントになるためには、個々の川柳人の活動だけではなくて、塊として川柳が認知される必要がある。倉本朝世『硝子を運ぶ』(1997年)、樋口由紀子『容顔』(1999年)なかはられいこ『脱衣場のアリス』(2001年)などに続いて発行された『遊魔系』(2002年2月)はそれ自体が現代川柳の大きなうねりを作りだすことになった〉(3/4)
〈「バックストローク」は2003年1月創刊。創刊同人34名。石部は巻頭言「形式の自由を求めて」で田中五呂八の『新興川柳論』に触れ、川柳革新に挺身した先人たちに思いをはせている。「私たちは川柳を刷新する」「川柳という形式を揺さぶるのが私たちの命題」という〉(4/4)
〈『セレクション柳人3・石部明集』の巻頭に「馬の胴体」14句が掲載されている。『遊魔系』以後の境地を示す力のこもった作品群である。作品は不特定多数の読者に届けられるものだが、このとき彼はひとりの読者を想定していた。石田柊馬である〉(4/4)
この4冊で私としては石部明を論じ尽くしたつもりだったが、読み直してみると不充分なところも多い。石部明については更にさまざまな視点から読み解くことが必要だろう。
私たちはすでに石部明以後の川柳を歩みはじめているが、石部作品を読み継ぎ、語り継ぐことによって現代川柳史は豊かなものになるはずだ。
「TANATOS」3号・4号はまだ残部があるので、ご希望の方は大会・句会などの機会に声をおかけいただきたい。
2018年11月2日金曜日
2018年10月27日土曜日
川柳作家ベストコレクション『普川素床』(新葉館出版)
新葉館から出版されているシリーズの一冊である。
「川柳の部」「短詩型作品の部」「俳句の部」の三部に分かれる。
「川柳の部」は「川柳公論」「川柳カード」「点鐘集」「東京川柳会」に発表されたもの。
逃げ水に似てあたたかい謎である
光にも尾がある生物の時間
ふと降りた街の皮膚感覚である
想像がまるごと沈む昼の深み
円よりもまるい線描春を病む
楽しみは意味から音へパンの耳
白い交通戦争です白紙の中は
多義というか多疑というか言葉
耳が鳴る空の指揮棒がうなる
四次元をとっくに超えてた四谷の鮭
川柳句集だから「川柳の部」の分量が一番多いのは当然だが、作品の傾向は多彩である。この作者は言葉に対する意識が高く、「言語」そのものをモティーフにすることがある。「意味から音へ」というフレーズや「多義」と「多疑」などのベースにあるのは、現代言語学の知識だろう。言葉は音と意味からできているが、川柳のフィールドにおいては「川柳の意味性」と言われるように、「それはどんな意味?」と問われることが多い。過剰な意味の世界から脱却するために「意味から音へ」というのはひとつの方向である。そのときに「重くれ」にならないために「そりゃあパンの耳だろう」と続けてみせるのは作者の腕前だろう。「意味」と「耳」の音の連想も働いている。
「一読明快」が唱えられる川柳フィールドで、「それでは川柳に多義的な作品はないのか」と問われるとき、「いやあ、多義というより多疑ですね」ととぼけてみせることもできる。「四次元」と「四谷」の漢数字を使った遊びも見られる。
「短詩型の部」は「連衆」に発表されたもの。
五万のわたしの窓をしめる
時計の中で鯨が暴れている
うたたねのうたたのなかのひやしんす
短詩が一本のマッチだった頃
谷口慎也が編集・発行している「連衆」は「短詩型文学誌」と銘うっているように、俳句・川柳などジャンルを越えた作者が集まっている。川柳のページには情野千里・笹田かなえなどの名を見かけるが、普川の作品は「俳句」のページに掲載されている。俳句のページには吉田健治の名も見られる。川柳と短詩の交流には様々な歴史があり、「短詩が一本のマッチだった頃」の句はその経緯をふまえて詠まれた句だろう。
普川の句集の「俳句の部」には掲載誌が明記されていないが、俳誌「ぶるうまりん」などに発表された作品だろう。
じんべい鮫泳ぐ半分はけむり
AはAならず煮凝りの中から声
梅雨の蝶は感覚の束だ
日常が通りすぎたり赤のまま
山椒魚もう足音になっている
「鮫」「煮凝り」「蝶」「山椒魚」などの季語が入っているので「俳句」と言えば言えるが、季感が感じられないので、これらの作品はむしろ「川柳の部」に入れた方が魅力が増すのではないか。というより、この句集の「川柳」「短詩」「俳句」という分類は私にはあまり意味のあるものとは思われない。発表誌が異なるというだけで、作品としてはすべて「川柳」と受け取ってかまわないだろう。
「ぶるうまりん」は俳誌だが、川柳とも交流のある雑誌で、たとえば2014年12月発行の29号には渡辺隆夫のインタビューが掲載されていた。
短詩型諸ジャンルの交流は今にはじまったことではなく、それなりの経緯があり、ジャンルを越えた視点をもつ川柳人も少数ながら存在する。普川素床の句集はそういうことを思い出させるものとなっている。
「川柳の部」「短詩型作品の部」「俳句の部」の三部に分かれる。
「川柳の部」は「川柳公論」「川柳カード」「点鐘集」「東京川柳会」に発表されたもの。
逃げ水に似てあたたかい謎である
光にも尾がある生物の時間
ふと降りた街の皮膚感覚である
想像がまるごと沈む昼の深み
円よりもまるい線描春を病む
楽しみは意味から音へパンの耳
白い交通戦争です白紙の中は
多義というか多疑というか言葉
耳が鳴る空の指揮棒がうなる
四次元をとっくに超えてた四谷の鮭
川柳句集だから「川柳の部」の分量が一番多いのは当然だが、作品の傾向は多彩である。この作者は言葉に対する意識が高く、「言語」そのものをモティーフにすることがある。「意味から音へ」というフレーズや「多義」と「多疑」などのベースにあるのは、現代言語学の知識だろう。言葉は音と意味からできているが、川柳のフィールドにおいては「川柳の意味性」と言われるように、「それはどんな意味?」と問われることが多い。過剰な意味の世界から脱却するために「意味から音へ」というのはひとつの方向である。そのときに「重くれ」にならないために「そりゃあパンの耳だろう」と続けてみせるのは作者の腕前だろう。「意味」と「耳」の音の連想も働いている。
「一読明快」が唱えられる川柳フィールドで、「それでは川柳に多義的な作品はないのか」と問われるとき、「いやあ、多義というより多疑ですね」ととぼけてみせることもできる。「四次元」と「四谷」の漢数字を使った遊びも見られる。
「短詩型の部」は「連衆」に発表されたもの。
五万のわたしの窓をしめる
時計の中で鯨が暴れている
うたたねのうたたのなかのひやしんす
短詩が一本のマッチだった頃
谷口慎也が編集・発行している「連衆」は「短詩型文学誌」と銘うっているように、俳句・川柳などジャンルを越えた作者が集まっている。川柳のページには情野千里・笹田かなえなどの名を見かけるが、普川の作品は「俳句」のページに掲載されている。俳句のページには吉田健治の名も見られる。川柳と短詩の交流には様々な歴史があり、「短詩が一本のマッチだった頃」の句はその経緯をふまえて詠まれた句だろう。
普川の句集の「俳句の部」には掲載誌が明記されていないが、俳誌「ぶるうまりん」などに発表された作品だろう。
じんべい鮫泳ぐ半分はけむり
AはAならず煮凝りの中から声
梅雨の蝶は感覚の束だ
日常が通りすぎたり赤のまま
山椒魚もう足音になっている
「鮫」「煮凝り」「蝶」「山椒魚」などの季語が入っているので「俳句」と言えば言えるが、季感が感じられないので、これらの作品はむしろ「川柳の部」に入れた方が魅力が増すのではないか。というより、この句集の「川柳」「短詩」「俳句」という分類は私にはあまり意味のあるものとは思われない。発表誌が異なるというだけで、作品としてはすべて「川柳」と受け取ってかまわないだろう。
「ぶるうまりん」は俳誌だが、川柳とも交流のある雑誌で、たとえば2014年12月発行の29号には渡辺隆夫のインタビューが掲載されていた。
短詩型諸ジャンルの交流は今にはじまったことではなく、それなりの経緯があり、ジャンルを越えた視点をもつ川柳人も少数ながら存在する。普川素床の句集はそういうことを思い出させるものとなっている。
2018年10月21日日曜日
芳賀博子句集『髷を切る』(青磁社)
岡田一実の句集『記憶における沼とその他の在所』(青磁社)が好評だ。
『小鳥』『境界 border』につぐ第三句集になる。
出版祝賀会が開かれたようだし、web上でも感想が多く書かれている。私の周囲でもこの句集が好きだという人は多い。
火蛾は火に裸婦は素描に影となる 岡田一実
コスモスの根を思ふとき晴れてくる
鷹は首をねぢりきつたるとき鳩に
鳥葬にまづ駆けつけの小鳥来る
幻聴も春の嵐も臥せて聴く
見るつまり目玉はたらく蝶の昼
椿落つ傷みつつ且つ喰はれつつ
空洞の世界を藤のはびこるよ
白藤や此の世を続く水の音
今回とりあげるのは同じ青磁舎から発行された川柳の句集のことである。
芳賀博子の句集『髷を切る』は第一句集『移動遊園地』から15年ぶりの第二句集となる。
芳賀は自作を発表するだけではなく、俳誌「船団」に「今日の川柳」を連載しているし、ホームページ「芳賀博子の川柳模様」のうち「はがろぐ」でも川柳作品を紹介するなど、現代川柳の発信につとめている川柳人のひとりである。
歩きつつ曖昧になる目的地 芳賀博子
最初の章は「ガラス猫」というタイトルで、その巻頭句である。
一句全体がひとつの状況の喩として読める。
この曖昧を私はプラス・イメージとして受け取っている。
第一句集から15年が経過して、芳賀の川柳はどのように発展・変化したのか。
壁の染みあるいは逆立ちの蜥蜴
「川柳の意味性」ということがよく言われるが、この句は壁の染みを詠んでいるだけである。人家の壁を這っているのは守宮だと思うが、壁の染みなのだから現実の蜥蜴ではなくて心象的なものだろう。「逆立ちの」というところに薄っすらと意味性が感じられるが、過剰ではない。芳賀さんがこんな書き方をするんだと思った。
そこらじゅう汚してぱっと立ち上がる
私も土を被せたひとりです
巣のようなものを作ってまた落とす
「私」を主語とした書き方(省略されている場合も含めて)である。川柳ではよく見かけるが、完成度は高い。
春暮れる消える魔球を投げあって
M78星雲へ帰るバス
「消える魔球」といえば星飛雄馬だし、「M78星雲」といえばウルトラマンである。漫画やテレビなどの素材も使っている。
かたつむり教義に背く方向へ
二度寝してまたもアメフラシと出遭う
一頭の鹿はひっそり肉食に
動物を使った三句。この書き方は魅力的だ。
交合を見守る空気清浄機
この句集のなかで一番びっくりした句。
髷を切る時代は変わったんだから
最後には雨の力で産みました
「髷を切る」は句集のタイトルにもなっている。この主語は「私」なのか第三者なのか。「時代は変わった」ということに対して、肯定・否定相半ばしながら対応して生きていこうという意識だろう。変化はきっぱりと形に表わさなければならない。
第一句集『移動遊園地』で芳賀は次のような句を書いていた。
混沌の街人間が試される
生は死を死は生を抱きたいという
トマト缶トマトまみれの日々を経て
迷ったら海の匂いのする方へ
人生をすべて黒子のせいにする
積み上げてこれっぽっちに火をつける
つながってもつながっても二体
花の種面倒なこと始めたい
芳賀博子は時実新子に師事して川柳をはじめた。ホームページ「時実新子の川柳大学」の管理も彼女がしている。
私はこれまで河野春三から時実新子に至る現代川柳のラインに対して批判的な立場で川柳を書いてきた。そこに見られる「私性」の表現は「思い」という言葉に特化され、そのことが逆に川柳の可能性を狭めていると思っている。私は時実新子論を書いたことがないし、「川柳大学」系の川柳人とは距離を置いてきた。(新子の影響を受けた一群の川柳人を私は「新子チュルドレン」と呼んでいる。)
だから、芳賀とは川柳観が異なるはずだが、こんどの句集は作品として読んでとてもおもしろかった。句の背後に作者が貼りついている主情的な書き方とは異なるものも多い。時実新子は一時代を代表する川柳人だが、時代の進展とともに川柳も変化してきている。
芳賀の句集には従来の川柳からさらに前へ進もうという意識が読み取れる。新子以後の重要な句集の一冊だろう。
『小鳥』『境界 border』につぐ第三句集になる。
出版祝賀会が開かれたようだし、web上でも感想が多く書かれている。私の周囲でもこの句集が好きだという人は多い。
火蛾は火に裸婦は素描に影となる 岡田一実
コスモスの根を思ふとき晴れてくる
鷹は首をねぢりきつたるとき鳩に
鳥葬にまづ駆けつけの小鳥来る
幻聴も春の嵐も臥せて聴く
見るつまり目玉はたらく蝶の昼
椿落つ傷みつつ且つ喰はれつつ
空洞の世界を藤のはびこるよ
白藤や此の世を続く水の音
今回とりあげるのは同じ青磁舎から発行された川柳の句集のことである。
芳賀博子の句集『髷を切る』は第一句集『移動遊園地』から15年ぶりの第二句集となる。
芳賀は自作を発表するだけではなく、俳誌「船団」に「今日の川柳」を連載しているし、ホームページ「芳賀博子の川柳模様」のうち「はがろぐ」でも川柳作品を紹介するなど、現代川柳の発信につとめている川柳人のひとりである。
歩きつつ曖昧になる目的地 芳賀博子
最初の章は「ガラス猫」というタイトルで、その巻頭句である。
一句全体がひとつの状況の喩として読める。
この曖昧を私はプラス・イメージとして受け取っている。
第一句集から15年が経過して、芳賀の川柳はどのように発展・変化したのか。
壁の染みあるいは逆立ちの蜥蜴
「川柳の意味性」ということがよく言われるが、この句は壁の染みを詠んでいるだけである。人家の壁を這っているのは守宮だと思うが、壁の染みなのだから現実の蜥蜴ではなくて心象的なものだろう。「逆立ちの」というところに薄っすらと意味性が感じられるが、過剰ではない。芳賀さんがこんな書き方をするんだと思った。
そこらじゅう汚してぱっと立ち上がる
私も土を被せたひとりです
巣のようなものを作ってまた落とす
「私」を主語とした書き方(省略されている場合も含めて)である。川柳ではよく見かけるが、完成度は高い。
春暮れる消える魔球を投げあって
M78星雲へ帰るバス
「消える魔球」といえば星飛雄馬だし、「M78星雲」といえばウルトラマンである。漫画やテレビなどの素材も使っている。
かたつむり教義に背く方向へ
二度寝してまたもアメフラシと出遭う
一頭の鹿はひっそり肉食に
動物を使った三句。この書き方は魅力的だ。
交合を見守る空気清浄機
この句集のなかで一番びっくりした句。
髷を切る時代は変わったんだから
最後には雨の力で産みました
「髷を切る」は句集のタイトルにもなっている。この主語は「私」なのか第三者なのか。「時代は変わった」ということに対して、肯定・否定相半ばしながら対応して生きていこうという意識だろう。変化はきっぱりと形に表わさなければならない。
第一句集『移動遊園地』で芳賀は次のような句を書いていた。
混沌の街人間が試される
生は死を死は生を抱きたいという
トマト缶トマトまみれの日々を経て
迷ったら海の匂いのする方へ
人生をすべて黒子のせいにする
積み上げてこれっぽっちに火をつける
つながってもつながっても二体
花の種面倒なこと始めたい
芳賀博子は時実新子に師事して川柳をはじめた。ホームページ「時実新子の川柳大学」の管理も彼女がしている。
私はこれまで河野春三から時実新子に至る現代川柳のラインに対して批判的な立場で川柳を書いてきた。そこに見られる「私性」の表現は「思い」という言葉に特化され、そのことが逆に川柳の可能性を狭めていると思っている。私は時実新子論を書いたことがないし、「川柳大学」系の川柳人とは距離を置いてきた。(新子の影響を受けた一群の川柳人を私は「新子チュルドレン」と呼んでいる。)
だから、芳賀とは川柳観が異なるはずだが、こんどの句集は作品として読んでとてもおもしろかった。句の背後に作者が貼りついている主情的な書き方とは異なるものも多い。時実新子は一時代を代表する川柳人だが、時代の進展とともに川柳も変化してきている。
芳賀の句集には従来の川柳からさらに前へ進もうという意識が読み取れる。新子以後の重要な句集の一冊だろう。
2018年9月28日金曜日
冬野虹と田中裕明
冬野虹素描展が9月8日~17日にミルクホール鎌倉で開催された。日程が合わず行けなかったのが残念だった。行けないかわりに、案内葉書の素描を眺めながら冬野虹句集『雪予報』を改めて読んでみた。『冬野虹作品集成』(書肆山田)も手元にあるが、1988年8月に沖積舎から発行された句集を開いてみる。このときの現住所は神戸になっている。
玉虫の曇りておちるまひるかな 冬野虹
夢のながさの紫苑を海へ送りたい
陽炎のてぶくろをして佇つてゐる
つゆくさのうしろの深さ見てしまふ
たくさんの鹿現はれて琵琶を弾く
『雪予報』Ⅰ(1977年~1980年の作品)から。
以前、作品集成で読んだときの印象と比べて、動詞で終る句が多いことに気づいた。そういう句に私が心ひかれるということだろう。巻頭句「鏡の上のやさしくて春の出棺」には死の表象があり、「花眩暈わがなきがらを抱きしめむ」では自己の死を幻視し、「花冷えの白い死体の猫に遭ふ」では死と猫のイメージが結びついている。
『雪予報』に「雪」の句が多いのは当然だろうが、「夢」「陽炎」「つゆくさ」も同じ手ざわりの言葉である。「陽炎のてぶくろ」というのは魅力的な言葉だ(「陽炎の」が主語とも読めるが、「陽炎のてぶくろ」でひとつながりと読みたい)。「つゆくさのうしろ」に何があるのか。川柳の眼(川柳眼)とも通じるところがあるように思う。「たくさんの鹿」の幻想。琵琶を弾いているのは人かも知れないが、鹿かもしれない。心地よいイメージの変容である。
浅蜊澄むところまできて考へる
もはやこれまでと飛び下り田螺かな
憂鬱の海へメロンを指で押す
くるまやさん今日くる河骨のあいだから
『雪予報』Ⅱ(1981年~1983年の作品)から。
詠みぶりが自在になり、俳諧性も感じる。この作者は意味よりもイメージや音韻によって作品を書く人だと思った。
十二人こはかつたのとコーラ飲む
ながい草みぢかい草の春の夢
戸を開けてわれは夜ぢゆう水すまし
ぐちやぐちやの大オムレツの君やさし
レモンスカッシュ秋田犬逃走中
『雪予報』Ⅲ(1984年~1987年の作品)から。
コーラやオムレツ、レモンスカッシュなど日常的な飲食物と別の言葉の組み合わせがおもしろく、読んでいて楽しくなる。連句的なものも感じられる。
この8月に四ツ谷龍は『田中裕明の思い出』(ふらんす堂)を上梓した。
「本書は、田中裕明についてこの三十年間に書いてきた文章をまとめたものです。『思い出』というタイトルになっていますが、思い出話だけを書いているわけではなく、彼の作品を通じて創作の本質について考えようとしたものです」(あとがき)
読みごたえがあるのは講演「田中裕明『夜の形式』とは何か」。田中が二十二歳の時に発表した「夜の形式」という謎のような文章について、現象学の視点から解明したもので、絵画・音楽の例も挙げながら詳細に論じている。印象派の批判者として村上華岳の名が挙げられているのが嬉しい。華岳の「日高河清姫図」は私も大好きな作品である。この講演は2010年1月に現俳協青年部で行われたもの。ほかにも、『夜の客人』における句頭韻の手法を指摘した「田中裕明の点睛」、陶淵明・白楽天・芭蕉・田中裕明に通底する「魚と鳥」のモティーフを語った「魚と鳥と」(第37回俳諧時雨忌連句会)、取り合わせを論じてモンタージュ理論との違いを述べた「取り合わせと俳句」など、読みどころは多い。
「多くを学んだ者にこそ、多くのことをきれいに忘れることができる可能性は大きいと、いちおう申し上げておいてもよいかもしれません。しかしあまりに多くのことを学んだために、空を翔けるための翼の力を失ってしまった人の例も、私はたくさん見てきました」(「ゆう」創刊五周年)
田中裕明の出自は「青」であるが、裕明を俳句に誘ったのは島田牙城。「しばかぶれ」第二集の特集・島田牙城で、牙城はこんなふうに語っている。
「当時は『蛍雪時代』とか『高三コース』とか、受験雑誌があったんです。そこに文芸投稿欄があって、投稿が載ると作者名と学校名が掲載されたんです。俳句欄もあって、あのころは誰やったか、中村草田男が選をしていたかな。身近な友人だけではあかんと感じてたから、これ使えるやん、と思って。田中裕明の場合は『北野高等学校気付 田中裕明様』で手紙出した。面白いなと思った作家に、いっしょに俳句をやらないかってね」
「裕明はいろんなことに手を出してたんですよ。短歌にも、詩にも、一行詩というものにも、そのころ高校生が集まって『獏』って雑誌があってそこに出していた。だから僕が誘った時に、『俳句一本にせえ』と言ったんですよ」
田中惣一郎の「島田牙城の青の時代」には昭和52年7月の項に、〈島田牙城の紹介で、北野高校三年の田中裕明が「青」に入会。裕明雑詠三句入選「紫雲英草まるく敷きつめ子が二人」「葉桜となりて細木や校舎裏」「今年竹指につめたし雲流る」〉とある。
「紫雲英草」「今年竹」の句は第一句集『山信』に収録されている。田中裕明の初心時代である。
玉虫の曇りておちるまひるかな 冬野虹
夢のながさの紫苑を海へ送りたい
陽炎のてぶくろをして佇つてゐる
つゆくさのうしろの深さ見てしまふ
たくさんの鹿現はれて琵琶を弾く
『雪予報』Ⅰ(1977年~1980年の作品)から。
以前、作品集成で読んだときの印象と比べて、動詞で終る句が多いことに気づいた。そういう句に私が心ひかれるということだろう。巻頭句「鏡の上のやさしくて春の出棺」には死の表象があり、「花眩暈わがなきがらを抱きしめむ」では自己の死を幻視し、「花冷えの白い死体の猫に遭ふ」では死と猫のイメージが結びついている。
『雪予報』に「雪」の句が多いのは当然だろうが、「夢」「陽炎」「つゆくさ」も同じ手ざわりの言葉である。「陽炎のてぶくろ」というのは魅力的な言葉だ(「陽炎の」が主語とも読めるが、「陽炎のてぶくろ」でひとつながりと読みたい)。「つゆくさのうしろ」に何があるのか。川柳の眼(川柳眼)とも通じるところがあるように思う。「たくさんの鹿」の幻想。琵琶を弾いているのは人かも知れないが、鹿かもしれない。心地よいイメージの変容である。
浅蜊澄むところまできて考へる
もはやこれまでと飛び下り田螺かな
憂鬱の海へメロンを指で押す
くるまやさん今日くる河骨のあいだから
『雪予報』Ⅱ(1981年~1983年の作品)から。
詠みぶりが自在になり、俳諧性も感じる。この作者は意味よりもイメージや音韻によって作品を書く人だと思った。
十二人こはかつたのとコーラ飲む
ながい草みぢかい草の春の夢
戸を開けてわれは夜ぢゆう水すまし
ぐちやぐちやの大オムレツの君やさし
レモンスカッシュ秋田犬逃走中
『雪予報』Ⅲ(1984年~1987年の作品)から。
コーラやオムレツ、レモンスカッシュなど日常的な飲食物と別の言葉の組み合わせがおもしろく、読んでいて楽しくなる。連句的なものも感じられる。
この8月に四ツ谷龍は『田中裕明の思い出』(ふらんす堂)を上梓した。
「本書は、田中裕明についてこの三十年間に書いてきた文章をまとめたものです。『思い出』というタイトルになっていますが、思い出話だけを書いているわけではなく、彼の作品を通じて創作の本質について考えようとしたものです」(あとがき)
読みごたえがあるのは講演「田中裕明『夜の形式』とは何か」。田中が二十二歳の時に発表した「夜の形式」という謎のような文章について、現象学の視点から解明したもので、絵画・音楽の例も挙げながら詳細に論じている。印象派の批判者として村上華岳の名が挙げられているのが嬉しい。華岳の「日高河清姫図」は私も大好きな作品である。この講演は2010年1月に現俳協青年部で行われたもの。ほかにも、『夜の客人』における句頭韻の手法を指摘した「田中裕明の点睛」、陶淵明・白楽天・芭蕉・田中裕明に通底する「魚と鳥」のモティーフを語った「魚と鳥と」(第37回俳諧時雨忌連句会)、取り合わせを論じてモンタージュ理論との違いを述べた「取り合わせと俳句」など、読みどころは多い。
「多くを学んだ者にこそ、多くのことをきれいに忘れることができる可能性は大きいと、いちおう申し上げておいてもよいかもしれません。しかしあまりに多くのことを学んだために、空を翔けるための翼の力を失ってしまった人の例も、私はたくさん見てきました」(「ゆう」創刊五周年)
田中裕明の出自は「青」であるが、裕明を俳句に誘ったのは島田牙城。「しばかぶれ」第二集の特集・島田牙城で、牙城はこんなふうに語っている。
「当時は『蛍雪時代』とか『高三コース』とか、受験雑誌があったんです。そこに文芸投稿欄があって、投稿が載ると作者名と学校名が掲載されたんです。俳句欄もあって、あのころは誰やったか、中村草田男が選をしていたかな。身近な友人だけではあかんと感じてたから、これ使えるやん、と思って。田中裕明の場合は『北野高等学校気付 田中裕明様』で手紙出した。面白いなと思った作家に、いっしょに俳句をやらないかってね」
「裕明はいろんなことに手を出してたんですよ。短歌にも、詩にも、一行詩というものにも、そのころ高校生が集まって『獏』って雑誌があってそこに出していた。だから僕が誘った時に、『俳句一本にせえ』と言ったんですよ」
田中惣一郎の「島田牙城の青の時代」には昭和52年7月の項に、〈島田牙城の紹介で、北野高校三年の田中裕明が「青」に入会。裕明雑詠三句入選「紫雲英草まるく敷きつめ子が二人」「葉桜となりて細木や校舎裏」「今年竹指につめたし雲流る」〉とある。
「紫雲英草」「今年竹」の句は第一句集『山信』に収録されている。田中裕明の初心時代である。
2018年9月22日土曜日
第六回文フリ大阪のことなど
9月9日に「第六回文学フリマ大阪」が開催された。
前回まで中百舌鳥の産業振興センターで行われたが、今回から会場が変わり、天満橋のOMMビル・会議室で開催された。会場が広くなったせいか、例年より参加者がまばらのように見えたが、実際には1794名の参加者があり大阪開催史上最大だったそうだ。
「川柳スパイラル」は唯一の川柳ブースとして出店し、「川柳スパイラル」1~3号、『川柳サイドSpiral Wave』2・3号、「THANATOS」4号などを店頭に並べた。川柳人の姿はほとんどなく、他ジャンルの実作者や読者が来店。文フリに出店する意味が歌人・俳人に川柳作品を発信することに限定されてきたようだ。
「THANATOS」は石部明を顕彰するフリペとして発行してきたが、今回の4号で終了となる。50句の選定と石部語録を八上桐子が担当し、石部論を小池正博が担当。装丁は宮沢青。
黄昏を降りるあるぜんちん一座 石部明
諏訪湖とは昨日の夕御飯である
鳥籠に鳥がもどってきた気配
また、当日は榊陽子がフリペ「虫だった。③」を作成。新作18句と自句をプリントした栞をおまけとして配布した。この栞の裏には虫が這っている絵が描かれていて、おもしろいというより気持ちが悪い。
モーリタニア産のタコと今から出奔す 榊陽子
鉛筆を集め楽しい性教育
紙の犬ならば舐めても問題ない
当日、購入したものをいくつか紹介しておきたい。
まず歌集『ベランダでオセロ』。御殿山みなみ・佐伯紺・橋爪志保・水沼朔太郎の四人による合同歌集。各百句収録。
よくはねてジョニーと呼べばまたはねて典型的な寝ぐせですなあ 御殿山みなみ
負けたてのオセロに枠を付け足してその枠が敷物になるまで 佐伯紺
三月があなたを連れ去ってゆくなら花びらまみれになってたたかう 橋爪志保
母親に彼氏ができる 母親が結婚をする 父親ができる 水沼朔太郎
「うたつかい」のブースで「うたつかい」31号と「短歌の本音」をゲット。最近、短歌の人と会う機会が増えてきたので「うたつかい」の参加歌人一覧は便利だ。牛隆介が文フリなどの「コミュニケーション疲れ」について、「もうあらゆる短歌の場は次のフェーズに移行できるのではないか」「コミュニケーションを持ちながらも、その関係に縛られず、買いたいものを買い、読みたいものを読むという態度」「文学フリマのブースに遊びに来てくれるのは嬉しいが、同人誌は買わなくてもいい」「謹呈する側に立った時も読んでもらいたい人に送ればよく、付き合いで謹呈する必要はない。そしてその上でコミュニケーションは揺るがない」と書いているのに納得した。
最後に、谷じゃこと鈴木晴香の『鯨と路地裏』から。
二十年そこらではまだ美化されず公衆電話の台だけ残る 谷じゃこ
バス停でバスを待つほど透明な人間に成り果ててしまって 鈴木晴香
「川柳スパイラル」関係で9月はいそがしく、9月1日に東京句会、9月16日に大阪句会を開催した。
東京句会は「北とぴあ」で実施。
初参加の人が何人かいて、新鮮な感じで話し合いができた。ツイッターや文フリを通じて知り合った人たちと句会の場でごいっしょできるのは嬉しいことである。
前半は「川柳スパイラル」3号の合評会で、特集「現代川柳にアクセスしよう」について感想を聞く。この特集は成功したのかコケたのか。
自由律俳句「海紅」の方の参加もあって、韻律の話も少し出た。
「川柳スパイラル」の会員欄に七七句を投句している本間かもせりは自由律俳句の作者でもある。七七句(十四字)は自由律ではなく七七定型だが、山頭火などの自由律俳人にもこの形式が見られる。七七句(短句)で四三のリズムが嫌われるのは連句の慣習で、一部川柳人のなかにも四三の禁を言う者がある。短歌の下の句における四三については、斎藤茂吉が四三の禁を過去のものとして論破してから何ら問題にはならない。
七七句は連句の短句に相当するので、本間かもせりが連句へと関心を広げてゆくのは当然の道筋だろう。
大阪句会は「たかつガーデン」で開催。今年五月の東京句会で知り合った鳥居大嗣が参加。鳥居は「AIR age」VOL.1の「コトバ、ことわり、コミュニケーション」で瀬戸夏子論を書いている。
8月25日に「第24回大阪連句懇話会」で「漢詩と連句」の話をして、小津夜景著『カモメの日の読書』を紹介した。その後二座に分かれて連句を巻いた。
10月6日に大阪天満宮で開催される「第12回浪速の芭蕉祭」では高松霞を招いて「連句ゆるり」の話などを聞くことになっている。
翌日の10月7日には「連句ゆるりin大阪」が開催されるという。その会場となる「Spin off」は岡野大嗣が運営するスペース。東京では書店B&Bとかブックカフェとかが増えているそうだが、大阪でも人が集まって文学の話ができるスペースがいろいろできればいいと思う。
私は川柳と連句の二足の草鞋をはいていて、これまではこの二つを分けて活動してきたが、最近では川柳と連句の人脈が混ざってきて相互刺激的な交流が生まれはじめている。
「現代短歌」9月号の特集は「歌人の俳句」。
「なぜかそれは短詩だった」(田中惣一郎)、「子規の俳句」(福田若之)、座談会「二足のわらじは履けないのか?」(神野紗希・東直子・藤原龍一郎・小林恭二)など。
そういえば、第6回現代短歌社賞は、門脇篤史「風に舞ふ付箋紙」に決定したそうである。
前回まで中百舌鳥の産業振興センターで行われたが、今回から会場が変わり、天満橋のOMMビル・会議室で開催された。会場が広くなったせいか、例年より参加者がまばらのように見えたが、実際には1794名の参加者があり大阪開催史上最大だったそうだ。
「川柳スパイラル」は唯一の川柳ブースとして出店し、「川柳スパイラル」1~3号、『川柳サイドSpiral Wave』2・3号、「THANATOS」4号などを店頭に並べた。川柳人の姿はほとんどなく、他ジャンルの実作者や読者が来店。文フリに出店する意味が歌人・俳人に川柳作品を発信することに限定されてきたようだ。
「THANATOS」は石部明を顕彰するフリペとして発行してきたが、今回の4号で終了となる。50句の選定と石部語録を八上桐子が担当し、石部論を小池正博が担当。装丁は宮沢青。
黄昏を降りるあるぜんちん一座 石部明
諏訪湖とは昨日の夕御飯である
鳥籠に鳥がもどってきた気配
また、当日は榊陽子がフリペ「虫だった。③」を作成。新作18句と自句をプリントした栞をおまけとして配布した。この栞の裏には虫が這っている絵が描かれていて、おもしろいというより気持ちが悪い。
モーリタニア産のタコと今から出奔す 榊陽子
鉛筆を集め楽しい性教育
紙の犬ならば舐めても問題ない
当日、購入したものをいくつか紹介しておきたい。
まず歌集『ベランダでオセロ』。御殿山みなみ・佐伯紺・橋爪志保・水沼朔太郎の四人による合同歌集。各百句収録。
よくはねてジョニーと呼べばまたはねて典型的な寝ぐせですなあ 御殿山みなみ
負けたてのオセロに枠を付け足してその枠が敷物になるまで 佐伯紺
三月があなたを連れ去ってゆくなら花びらまみれになってたたかう 橋爪志保
母親に彼氏ができる 母親が結婚をする 父親ができる 水沼朔太郎
「うたつかい」のブースで「うたつかい」31号と「短歌の本音」をゲット。最近、短歌の人と会う機会が増えてきたので「うたつかい」の参加歌人一覧は便利だ。牛隆介が文フリなどの「コミュニケーション疲れ」について、「もうあらゆる短歌の場は次のフェーズに移行できるのではないか」「コミュニケーションを持ちながらも、その関係に縛られず、買いたいものを買い、読みたいものを読むという態度」「文学フリマのブースに遊びに来てくれるのは嬉しいが、同人誌は買わなくてもいい」「謹呈する側に立った時も読んでもらいたい人に送ればよく、付き合いで謹呈する必要はない。そしてその上でコミュニケーションは揺るがない」と書いているのに納得した。
最後に、谷じゃこと鈴木晴香の『鯨と路地裏』から。
二十年そこらではまだ美化されず公衆電話の台だけ残る 谷じゃこ
バス停でバスを待つほど透明な人間に成り果ててしまって 鈴木晴香
「川柳スパイラル」関係で9月はいそがしく、9月1日に東京句会、9月16日に大阪句会を開催した。
東京句会は「北とぴあ」で実施。
初参加の人が何人かいて、新鮮な感じで話し合いができた。ツイッターや文フリを通じて知り合った人たちと句会の場でごいっしょできるのは嬉しいことである。
前半は「川柳スパイラル」3号の合評会で、特集「現代川柳にアクセスしよう」について感想を聞く。この特集は成功したのかコケたのか。
自由律俳句「海紅」の方の参加もあって、韻律の話も少し出た。
「川柳スパイラル」の会員欄に七七句を投句している本間かもせりは自由律俳句の作者でもある。七七句(十四字)は自由律ではなく七七定型だが、山頭火などの自由律俳人にもこの形式が見られる。七七句(短句)で四三のリズムが嫌われるのは連句の慣習で、一部川柳人のなかにも四三の禁を言う者がある。短歌の下の句における四三については、斎藤茂吉が四三の禁を過去のものとして論破してから何ら問題にはならない。
七七句は連句の短句に相当するので、本間かもせりが連句へと関心を広げてゆくのは当然の道筋だろう。
大阪句会は「たかつガーデン」で開催。今年五月の東京句会で知り合った鳥居大嗣が参加。鳥居は「AIR age」VOL.1の「コトバ、ことわり、コミュニケーション」で瀬戸夏子論を書いている。
8月25日に「第24回大阪連句懇話会」で「漢詩と連句」の話をして、小津夜景著『カモメの日の読書』を紹介した。その後二座に分かれて連句を巻いた。
10月6日に大阪天満宮で開催される「第12回浪速の芭蕉祭」では高松霞を招いて「連句ゆるり」の話などを聞くことになっている。
翌日の10月7日には「連句ゆるりin大阪」が開催されるという。その会場となる「Spin off」は岡野大嗣が運営するスペース。東京では書店B&Bとかブックカフェとかが増えているそうだが、大阪でも人が集まって文学の話ができるスペースがいろいろできればいいと思う。
私は川柳と連句の二足の草鞋をはいていて、これまではこの二つを分けて活動してきたが、最近では川柳と連句の人脈が混ざってきて相互刺激的な交流が生まれはじめている。
「現代短歌」9月号の特集は「歌人の俳句」。
「なぜかそれは短詩だった」(田中惣一郎)、「子規の俳句」(福田若之)、座談会「二足のわらじは履けないのか?」(神野紗希・東直子・藤原龍一郎・小林恭二)など。
そういえば、第6回現代短歌社賞は、門脇篤史「風に舞ふ付箋紙」に決定したそうである。
2018年8月31日金曜日
現代川柳にアクセスしよう
「川柳スパイラル」3号では「現代川柳にアクセスしよう」という特集を組んでいる。
現代川柳に関心のある人は潜在的に多いと思われるが、従来の川柳入門書ではカバーしきれない部分がある。特に結社に所属していない人、川柳以外のジャンルの実作者で川柳にも興味のある人、SNSを通じて川柳に触れてみたい人などにアクセスの入り口を呈示することには緊急性があるのではないかと思った。
飯島章友の「現代川柳発見」は「川柳グループに入るメリット」「川柳グループを選ぶ際の基準」「各種川柳文献の紹介」「便利なウェブサイトの紹介」など、丁寧に説明・紹介している。
川合大祐の「『二次の彼方に―前提を超えて』は対話形式で、二次創作についてだけではなく、世界を認識することは「型を与えたいという欲望」に裏打ちされている、という川柳の本質論にまで及んでいる。
柳本々々と安福望との対談「川柳を描く。となんかいいことあんですか?」は川柳と絵を描くことをめぐって多彩な話題が展開されている。紙数の関係で安福のイラストが掲載できなかったのが残念だが、安福ファンの方は連載「おしまい日記」の方のイラストをご覧いただきたい。
小池正博「五つの現代川柳」は「サラリーマン川柳」「時事川柳」「伝統川柳」「私性川柳」「過渡の時代の川柳」の五つの川柳が同時並行的に存在している現状を、現代川柳史の観点から整理したもの。川柳用語と句会のやり方についても説明している。
現代川柳にアクセスする方法はいろいろあってよいと思うが、ここではネット川柳の動きのいくつかを紹介しておきたい。
まず、飯島も紹介している「毎週web句会」は川柳塔の森山文切が運営しているウェブサイト。ネット句会は今までにもあったが、毎週更新というのはすごい。「川柳スパイラル」3号、飯島の連載「小遊星」でも対談者として森山が登場している。そこで森山は次のように語っている。
「私が運営している【毎週web句会】では、30万アクセス記念句会において没句も含めて全投句を公開し、なぜ入選か、なぜ没かを選者同士で議論する企画を実施しました。賛否両論いただきましたが、私が今後行いたいことはこのような議論ができる仕組みをwebで提供することです。議論が「川柳」を活性化すると思います」
このweb句会では川柳人だけでなく、川柳に関心のある歌人の投句も増えてきているようだ。ハンドルネームが多いので誰だかわからないところもあるが、webではまず歌人が川柳に関心を示す傾向があり、そこからオフ句会でも短歌と川柳の交流が進展してゆけばおもしろいと思う。
最近、ツイッターでよく見かけるものに「いちごつみ」がある。前の人の句から「一語」とって自分の句に入れて作り、これを一定の句数繰り返すというもの。短歌で流行っていたものを川柳でもやってみようということらしい。おもしろそうだと思えばジャンルを越えて流行してゆくのだろう。最近話題になった、森山文切と川合大祐の「いちごつみ川柳」から。
中指を般若の口に入れている 文切
入れているふしぎの海のナディア像 大祐
掲出句は私の好みで雑排の「笠段々付」に似たものを引用したが、「一語」は前の句の下五ではなくどの語をとってもよく、次の句のどこに入れてもよい。ただし、一語の摘み方には細かいルールがあるらしい。
Botというものもある。作品を打ち込んでおけば、一定間隔で自動的にツイートしてくれる。自分の作品だけをBotで配信する人もあるが、「現代川柳Bot」(くらげただよう)は現代川柳のさまざまな作品を発信している。
短歌のBotは以前からあり、川柳はどうかと検索してみたが「古川柳Bot」しかなく、がっかりしたことがあるが、いつのまにか「現代川柳Bot」が出来てびっくりした。今ではすっかり定着したようで、くらげただようの功績は大きい。短歌とは違って、句集やアンソロジーが広く流通しているわけではないので、作品の収集が大変だろう。
SNSではないが、ネットプリントという発信手段もある。
最近おもしろかったのは「当たり」vol.5の暮田真名の作品。
恐ろしくないかヒトデを縦にして 暮田真名
「恐ろしくないか~して」という文体は川柳では既視感がある。でも、ヒトデを縦にしたのには驚いた。恐ろしくもあり、おかしくもある。
ネット空間にはさまざまな作品が飛び交っている。そのすべてに可能性があるわけではないが、自分が気に入ったものにアクセスしてみるのは楽しいことだろう。たとえば、川柳や自由律の一形式に七七句があり、これに五七五をつければ前句付や連句になってゆく。
「ネット川柳」と「紙媒体の川柳」のリサイクル・リユースが求められているように思う。
現代川柳に関心のある人は潜在的に多いと思われるが、従来の川柳入門書ではカバーしきれない部分がある。特に結社に所属していない人、川柳以外のジャンルの実作者で川柳にも興味のある人、SNSを通じて川柳に触れてみたい人などにアクセスの入り口を呈示することには緊急性があるのではないかと思った。
飯島章友の「現代川柳発見」は「川柳グループに入るメリット」「川柳グループを選ぶ際の基準」「各種川柳文献の紹介」「便利なウェブサイトの紹介」など、丁寧に説明・紹介している。
川合大祐の「『二次の彼方に―前提を超えて』は対話形式で、二次創作についてだけではなく、世界を認識することは「型を与えたいという欲望」に裏打ちされている、という川柳の本質論にまで及んでいる。
柳本々々と安福望との対談「川柳を描く。となんかいいことあんですか?」は川柳と絵を描くことをめぐって多彩な話題が展開されている。紙数の関係で安福のイラストが掲載できなかったのが残念だが、安福ファンの方は連載「おしまい日記」の方のイラストをご覧いただきたい。
小池正博「五つの現代川柳」は「サラリーマン川柳」「時事川柳」「伝統川柳」「私性川柳」「過渡の時代の川柳」の五つの川柳が同時並行的に存在している現状を、現代川柳史の観点から整理したもの。川柳用語と句会のやり方についても説明している。
現代川柳にアクセスする方法はいろいろあってよいと思うが、ここではネット川柳の動きのいくつかを紹介しておきたい。
まず、飯島も紹介している「毎週web句会」は川柳塔の森山文切が運営しているウェブサイト。ネット句会は今までにもあったが、毎週更新というのはすごい。「川柳スパイラル」3号、飯島の連載「小遊星」でも対談者として森山が登場している。そこで森山は次のように語っている。
「私が運営している【毎週web句会】では、30万アクセス記念句会において没句も含めて全投句を公開し、なぜ入選か、なぜ没かを選者同士で議論する企画を実施しました。賛否両論いただきましたが、私が今後行いたいことはこのような議論ができる仕組みをwebで提供することです。議論が「川柳」を活性化すると思います」
このweb句会では川柳人だけでなく、川柳に関心のある歌人の投句も増えてきているようだ。ハンドルネームが多いので誰だかわからないところもあるが、webではまず歌人が川柳に関心を示す傾向があり、そこからオフ句会でも短歌と川柳の交流が進展してゆけばおもしろいと思う。
最近、ツイッターでよく見かけるものに「いちごつみ」がある。前の人の句から「一語」とって自分の句に入れて作り、これを一定の句数繰り返すというもの。短歌で流行っていたものを川柳でもやってみようということらしい。おもしろそうだと思えばジャンルを越えて流行してゆくのだろう。最近話題になった、森山文切と川合大祐の「いちごつみ川柳」から。
中指を般若の口に入れている 文切
入れているふしぎの海のナディア像 大祐
掲出句は私の好みで雑排の「笠段々付」に似たものを引用したが、「一語」は前の句の下五ではなくどの語をとってもよく、次の句のどこに入れてもよい。ただし、一語の摘み方には細かいルールがあるらしい。
Botというものもある。作品を打ち込んでおけば、一定間隔で自動的にツイートしてくれる。自分の作品だけをBotで配信する人もあるが、「現代川柳Bot」(くらげただよう)は現代川柳のさまざまな作品を発信している。
短歌のBotは以前からあり、川柳はどうかと検索してみたが「古川柳Bot」しかなく、がっかりしたことがあるが、いつのまにか「現代川柳Bot」が出来てびっくりした。今ではすっかり定着したようで、くらげただようの功績は大きい。短歌とは違って、句集やアンソロジーが広く流通しているわけではないので、作品の収集が大変だろう。
SNSではないが、ネットプリントという発信手段もある。
最近おもしろかったのは「当たり」vol.5の暮田真名の作品。
恐ろしくないかヒトデを縦にして 暮田真名
「恐ろしくないか~して」という文体は川柳では既視感がある。でも、ヒトデを縦にしたのには驚いた。恐ろしくもあり、おかしくもある。
ネット空間にはさまざまな作品が飛び交っている。そのすべてに可能性があるわけではないが、自分が気に入ったものにアクセスしてみるのは楽しいことだろう。たとえば、川柳や自由律の一形式に七七句があり、これに五七五をつければ前句付や連句になってゆく。
「ネット川柳」と「紙媒体の川柳」のリサイクル・リユースが求められているように思う。
2018年8月4日土曜日
ギリシアの連歌と中国の連句
毎日暑い日が続くので、想像のなかで涼しい場所を探し求めていると、古代ギリシアのイリソス川のほとりに思い当たった。プラトンの対話篇『パイドロス』の舞台になった場所である。
パイドロス ほらあそこに、ひときわ背の高いプラタナスの樹が見えますね。
ソクラテス うむ。見えるとも。
パイドロス あそこは日陰もあり、風もほどよく吹いています。それに、草が生えていて坐ることもできるし、あるいはなんでしたら寝ころぶこともできます。
ソクラテス では、そこへ連れて行ってもらおうか。
『パイドロス』のテーマは美について。数十年前に見たヴィスコンティの映画「ヴェニスに死す」はドイツの作家、グスタフ・アッシェンバッハがヴェニスで美少年に出あう物語。トーマス・マンの原作ではプラトンを引用したこんなセリフがある。
なぜなら美は、わがパイドロスよ、ただ美だけが愛すべきものであると同時に眼にも見えるものなのだ。よいかね、美はわれわれが感官によって堪えることのできる唯一の、精神的なものの形式なのだ。
ついでにラフマニノフのピアノ協奏曲の二番をかけて「ヴェニスに死す」の雰囲気にひたってみた。(中学生のときの私の理想は、ヘッセの小説に倦んだ目をセザンヌの画集に走らせ、ブラームスの音楽に耳を傾ける、というものだった。今にして思えば、それこそが俗物性だったのだ。)
さて、古代ギリシアには連歌に似たものがあった。
ギリシア語の「スコリオン」(歌)は、酒席の後で余興に歌われたものらしい。最初の人がある主題についてミルトの枝を手にしながら一句を作って歌うと、その枝を次の人に手渡す。次の人は前の句に合せて次の句を作り歌う。このようにして次々に回すことによって全体の歌が作られてゆく。
アリストパネスの『蜂』のなかに次の一節がある。
プデリュクレオン (歌って)「アテナイの市(まち)にはいまだかつて」
ピロクレオン 「汝のごとき悪徳の盗賊はなかりき」
訳が五七五→七七になっていないのが残念だ。
「アテナイの市にはいまだかつてなし」「汝のごとき悪徳の賊」とでもすれば連歌になる。
もうひとつ続けて引用すると
プデリュクレオン 「友よ、アドメトスの譚より、よき人々を愛するを学べ」
と歌ったらなんと後をつけますか。
ピロクレオン おれはな、まあ抒情詩風に
「狐の真似ごと役には立たぬ。
二股がけの日和見もまた」ってね。
踏まえている話がよくわからないので、どこが抒情詩風かも理解しがたいが、人間に対する諷刺が感じとれる。アドメトスはギリシアの英雄だが、死期を迎えたとき、運命の女神モイラは誰かが身代わりになれば死をのがれることができるとした。だが、彼の恩を受けたもので誰一人身代わりになろうというものはいなかったという。
小津夜景著『カモメの日の読書』(東京四季出版)を読んだあと、漢詩の翻訳に興味が湧いた。まず佐藤春夫の『車塵集』は古典的なもの。タイトルは「美人の香骨、化して車塵となる」という句による。『車塵集』の中から子夜の詩の訳を紹介したい。
恋愛天文学
われは北斗の星にして
千年ゆるがぬものなるを
君が心の天つ日や
あしたはひがし暮は西
鈴木漠著『連句茶話』(編集工房ノア)によれば、紀元前116年、漢の武帝の時代に長安に建立された楼閣・柏梁台の竣工祝いに対話詩「柏梁詩」が詠まれたということだ。第一句目は武帝が詠んでいる。
日月星辰四時を和す 漢 武帝
これに群臣たちが一句ずつ唱和している。この詩形は以後「柏梁体」と呼ばれ、後世の詩人たちに受け継がれる。
たとえば、李賀には柏梁体の詩が二編ある。「悩公」と「昌谷詩」だが、ここでは「悩公」(悩ましい人)の方を原田憲雄訳で紹介しよう。プレイボーイと遊女との対話になっている。
男 ぼくは宋玉 恋にやつれて
女 あたしは嬌嬈 紅お白粉で
歌ごえは春草の露
というような調子で、100句で構成されている。「昌谷詩」の方は李賀とお供の侍童との対話である。ともに独吟の連句に相当する。
鈴木漠が短歌誌「六甲」に連載している「翻訳詩逍遥」は興味深い文章で、鈴木の個人誌「おたくさ」にも転載されている。その中に、井伏鱒二訳〈「サヨナラ」ダケガ人生ダ〉(原詩「人生足別離」)をめぐって、おやっと思うことが書かれている。井伏の随筆「因島半歳記」には次のような記述があるという(高島俊男『お言葉ですが…漢字語源の筋ちがい』からの孫引きという断りがある)。
やがて島に左様ならして帰るとき、林さんを見送る人や私を見送る人が十人たらず岸壁に来て、その人たちは船が出発の汽笛を鳴らすと「左様なら左様なら」と手を振った。林さんも頻りに手を振ってゐたが、いきなり船室に駆けこんで、「人生は左様ならだけね」と云ふと同時に泣き伏した。そのせりふと云ひ挙動と云ひ、見てゐて照れくさくなつて来た。何とも嫌だと思つた。しかし後になつて私は于武陵の「飲酒」といふ漢詩を訳す際、「人生足別離」を「サヨナラダケガ人生ダ」と和訳した。無論、林さんのせりふを意識してゐたわけである。
林さんとは林芙美子のこと。昭和四年、林芙美子と井伏は尾道方面へ講演旅行をしたらしい。「何ごとも十年です。あとは余生といってよい」「二十にして心已に朽ちたり」「さよならだけが人生だ」などのフレーズはかつて文学青年たちにとっての決め科白であったが、この話が本当だとすると、「さよならだけが人生だ」という一節には屈折したニュアンスが生まれてくることになる。
(8月10日、17日は夏休みをいただいて、この時評はお休みさせていただきます。)
パイドロス ほらあそこに、ひときわ背の高いプラタナスの樹が見えますね。
ソクラテス うむ。見えるとも。
パイドロス あそこは日陰もあり、風もほどよく吹いています。それに、草が生えていて坐ることもできるし、あるいはなんでしたら寝ころぶこともできます。
ソクラテス では、そこへ連れて行ってもらおうか。
『パイドロス』のテーマは美について。数十年前に見たヴィスコンティの映画「ヴェニスに死す」はドイツの作家、グスタフ・アッシェンバッハがヴェニスで美少年に出あう物語。トーマス・マンの原作ではプラトンを引用したこんなセリフがある。
なぜなら美は、わがパイドロスよ、ただ美だけが愛すべきものであると同時に眼にも見えるものなのだ。よいかね、美はわれわれが感官によって堪えることのできる唯一の、精神的なものの形式なのだ。
ついでにラフマニノフのピアノ協奏曲の二番をかけて「ヴェニスに死す」の雰囲気にひたってみた。(中学生のときの私の理想は、ヘッセの小説に倦んだ目をセザンヌの画集に走らせ、ブラームスの音楽に耳を傾ける、というものだった。今にして思えば、それこそが俗物性だったのだ。)
さて、古代ギリシアには連歌に似たものがあった。
ギリシア語の「スコリオン」(歌)は、酒席の後で余興に歌われたものらしい。最初の人がある主題についてミルトの枝を手にしながら一句を作って歌うと、その枝を次の人に手渡す。次の人は前の句に合せて次の句を作り歌う。このようにして次々に回すことによって全体の歌が作られてゆく。
アリストパネスの『蜂』のなかに次の一節がある。
プデリュクレオン (歌って)「アテナイの市(まち)にはいまだかつて」
ピロクレオン 「汝のごとき悪徳の盗賊はなかりき」
訳が五七五→七七になっていないのが残念だ。
「アテナイの市にはいまだかつてなし」「汝のごとき悪徳の賊」とでもすれば連歌になる。
もうひとつ続けて引用すると
プデリュクレオン 「友よ、アドメトスの譚より、よき人々を愛するを学べ」
と歌ったらなんと後をつけますか。
ピロクレオン おれはな、まあ抒情詩風に
「狐の真似ごと役には立たぬ。
二股がけの日和見もまた」ってね。
踏まえている話がよくわからないので、どこが抒情詩風かも理解しがたいが、人間に対する諷刺が感じとれる。アドメトスはギリシアの英雄だが、死期を迎えたとき、運命の女神モイラは誰かが身代わりになれば死をのがれることができるとした。だが、彼の恩を受けたもので誰一人身代わりになろうというものはいなかったという。
小津夜景著『カモメの日の読書』(東京四季出版)を読んだあと、漢詩の翻訳に興味が湧いた。まず佐藤春夫の『車塵集』は古典的なもの。タイトルは「美人の香骨、化して車塵となる」という句による。『車塵集』の中から子夜の詩の訳を紹介したい。
恋愛天文学
われは北斗の星にして
千年ゆるがぬものなるを
君が心の天つ日や
あしたはひがし暮は西
鈴木漠著『連句茶話』(編集工房ノア)によれば、紀元前116年、漢の武帝の時代に長安に建立された楼閣・柏梁台の竣工祝いに対話詩「柏梁詩」が詠まれたということだ。第一句目は武帝が詠んでいる。
日月星辰四時を和す 漢 武帝
これに群臣たちが一句ずつ唱和している。この詩形は以後「柏梁体」と呼ばれ、後世の詩人たちに受け継がれる。
たとえば、李賀には柏梁体の詩が二編ある。「悩公」と「昌谷詩」だが、ここでは「悩公」(悩ましい人)の方を原田憲雄訳で紹介しよう。プレイボーイと遊女との対話になっている。
男 ぼくは宋玉 恋にやつれて
女 あたしは嬌嬈 紅お白粉で
歌ごえは春草の露
というような調子で、100句で構成されている。「昌谷詩」の方は李賀とお供の侍童との対話である。ともに独吟の連句に相当する。
鈴木漠が短歌誌「六甲」に連載している「翻訳詩逍遥」は興味深い文章で、鈴木の個人誌「おたくさ」にも転載されている。その中に、井伏鱒二訳〈「サヨナラ」ダケガ人生ダ〉(原詩「人生足別離」)をめぐって、おやっと思うことが書かれている。井伏の随筆「因島半歳記」には次のような記述があるという(高島俊男『お言葉ですが…漢字語源の筋ちがい』からの孫引きという断りがある)。
やがて島に左様ならして帰るとき、林さんを見送る人や私を見送る人が十人たらず岸壁に来て、その人たちは船が出発の汽笛を鳴らすと「左様なら左様なら」と手を振った。林さんも頻りに手を振ってゐたが、いきなり船室に駆けこんで、「人生は左様ならだけね」と云ふと同時に泣き伏した。そのせりふと云ひ挙動と云ひ、見てゐて照れくさくなつて来た。何とも嫌だと思つた。しかし後になつて私は于武陵の「飲酒」といふ漢詩を訳す際、「人生足別離」を「サヨナラダケガ人生ダ」と和訳した。無論、林さんのせりふを意識してゐたわけである。
林さんとは林芙美子のこと。昭和四年、林芙美子と井伏は尾道方面へ講演旅行をしたらしい。「何ごとも十年です。あとは余生といってよい」「二十にして心已に朽ちたり」「さよならだけが人生だ」などのフレーズはかつて文学青年たちにとっての決め科白であったが、この話が本当だとすると、「さよならだけが人生だ」という一節には屈折したニュアンスが生まれてくることになる。
(8月10日、17日は夏休みをいただいて、この時評はお休みさせていただきます。)
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