石部明が亡くなったのは2012年10月27日のことだから、すでに没後6年になる。
石部に直接会ったことのない川柳人が増えてきた現在、石部明を読み継ぎ、語り継ぐことがますます重要になっている。
「川柳カード」2号(2013年3月)は石部明の追悼号だった。そこには石部の経歴が次のように書かれている。
1939年(昭和14)、岡山県和気郡生まれ。1974年、川柳を始める。1979年、「川柳展望」会員。1987年「火の木賞」受賞、「川柳塾」会員。1989年「おかやまの風6」に参加。1992年、川柳Z賞大賞受賞。1996年「ふあうすと賞」。1998年「MANO」創刊同人。2003年「バックストローク」創刊、発行人としてシンポジウムを伴う大会を各地で開催する。2011年「バックストローク」終刊後は「BSfield」誌を発行。その作品において、日常の裏側にある異界はエロスと死を契機として顕在化され、心理の現実が華やぎのある陰翳感でとらえられる。川柳の伝統の批判的継承者として現代川柳の一翼を担う。句集に『賑やかな箱』『遊魔系』『セレクション柳人・石部明集』。共著『現代川柳の精鋭たち』。
このプロフィールの文責は私にあるが、「川柳の伝統の批判的継承者」という位置づけは間違いないものと思っている。
石部の没後、八上桐子の提案で2015年から石部明についてのフリーペーパー「THANATOS」を出すことになった。年一回9月発行で、1/4(1号)が2015年、2/4(2号)が2016年、3/4(3号)が2017年、そして最終の4/4(4号)が2018年9月に発行された。発行はknot(小池正博・八上桐子)、デザインは宮沢青。
毎回50句掲載で、資料収集は八上と私で分担した。たとえば1号では「ますかっと」掲載作品を私が調べ、「川柳展望」掲載作品を八上が調べたうえで、50句を抽出している。雑誌の初出を調べてゆくと、繰り返し使われる石部のキイ・イメージが分かったり、雑誌掲載作品と句集掲載作品との違いに気づいたりして、いろいろな発見があった。あと、私が担当したのは800字の石部論が毎回二本で、石部作品の分析と石部を中心とした川柳環境をたどることにつとめた。その中からいくつか抜粋してみよう。
〈石部明とはどのような人物だろうか。私のイメージをひとことで言うと「帰ってきた男」である。どこかへ行って帰ってくる。彼はどこで何を見てきたかを直接は語らないが、今いる世界が唯一の現実ではないことを知っている〉(1/4)
〈石部明はどのようにして石部明になったのか。
どれほど才能のある人でも、資質だけでは作品を書けないから、環境からの刺激を受けることが創作の契機となる。そういう意味で、石部明の初期の作品を読むときに私が以前から気になっていたのは「こめの木グループ」のことである〉(1/4)
〈「おかやまの風・6」は1988年10月30日、長町一吠『岨道』・西条真紀『赤い錠剤』・前原勝郎『未明の音』・徳永操『或る終章』・石部明『賑やかな箱』・前田一石『てのひらの刻』という六句集の刊行を記念して岡山メルパで開催された。このとき石部は「川柳に大嘘を書いてみたい」と発言している〉(2/4)
〈病涯句というものがある。人は病をえたときに死を凝視したり、知友の死によって痛切に死を意識したりするが、石部の句はそういうものではない。川柳ジャンルのなかに「死」の視点を持ち込み、死という別世界から生を照射することによって句を書くのは石部の発明だった。だから石部の作品においては、個人の死の具体的な姿ではなくて、「死」そのものが主題となるのである〉(2/4)
〈川柳人はどのようにして自ら納得できる一句にたどりつくのだろうか。
『遊魔系』は完成された句集である。個々の句が完成されているだけでなく、エロスとタナトスと詩が三位一体となった世界を一冊の句集として提示している。ここには石部の愛用するキイ・イメージが繰り返し用いられているが、一句の背後には捨てられたおびただしい句案が存在する。石部は自らの表象を執拗に追い求めるタイプの表現者なのだ〉(3/4)
〈現代川柳がひとつのムーブメントになるためには、個々の川柳人の活動だけではなくて、塊として川柳が認知される必要がある。倉本朝世『硝子を運ぶ』(1997年)、樋口由紀子『容顔』(1999年)なかはられいこ『脱衣場のアリス』(2001年)などに続いて発行された『遊魔系』(2002年2月)はそれ自体が現代川柳の大きなうねりを作りだすことになった〉(3/4)
〈「バックストローク」は2003年1月創刊。創刊同人34名。石部は巻頭言「形式の自由を求めて」で田中五呂八の『新興川柳論』に触れ、川柳革新に挺身した先人たちに思いをはせている。「私たちは川柳を刷新する」「川柳という形式を揺さぶるのが私たちの命題」という〉(4/4)
〈『セレクション柳人3・石部明集』の巻頭に「馬の胴体」14句が掲載されている。『遊魔系』以後の境地を示す力のこもった作品群である。作品は不特定多数の読者に届けられるものだが、このとき彼はひとりの読者を想定していた。石田柊馬である〉(4/4)
この4冊で私としては石部明を論じ尽くしたつもりだったが、読み直してみると不充分なところも多い。石部明については更にさまざまな視点から読み解くことが必要だろう。
私たちはすでに石部明以後の川柳を歩みはじめているが、石部作品を読み継ぎ、語り継ぐことによって現代川柳史は豊かなものになるはずだ。
「TANATOS」3号・4号はまだ残部があるので、ご希望の方は大会・句会などの機会に声をおかけいただきたい。
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