2018年3月24日土曜日

「信治&翼と語り尽くす夕べ」から「俳誌要覧」まで

3月20日、大阪・梅田で「信治&翼と語り尽くす夕べ」が開催された。上田信治と北大路翼という相反する作風の二人の対談ということで、60人を超える参加者があった。幹事・島田牙城、司会・中山奈々。参加者のなかで半数以上は初めて会う人たちだった。特に今までテレビ番組とか活字でしか知らなかった屍派の人たちも来ていて強烈な存在感を見せつけていた。俳句のイベントには珍しく、ボルテージの高い集まりだった。対談の内容はとても紹介しきれないし、参加者のブログやツイッターなどで当日の様子をうかがうことができると思う。

佐藤文香は現代川柳にも理解のある俳人のひとりだが、3月17日の中日新聞の夕刊、「佐藤文香の俳句展望台」に現代川柳のことが取り上げられた。まず引用されているのは次の二句である。

空腹でなければ秋とわからない    樋口由紀子
寄せ鍋の寄せ方エクセルが上手い   丸山進

前者は樋口が編集発行人の「晴」1号から、後者はなかはられこが発行人の「川柳ねじまき」4号の掲載作品である。「季語がない五七五が川柳」と言われるのに対して、逆に佐藤は「秋」「寄せ鍋」という言葉が入った川柳を挙げてみたと言う。
次に佐藤が取り上げているのは八上桐子句集『hibi』(港の人)の三句である。

向こうも夜で雨なのかしらヴェポラップ   八上桐子
その手がしなかったかもしれないこと
藤という燃え方が残されている

八上の作品は「川柳」の一般的なイメージとは異なるところで書かれている。佐藤は「八上の川柳は社会から距離があり、必ずしも笑いをもたらさない。しかし、静かな生活のおこないひとつずつが十七音のかたちにほどけてゆき、心を揺さぶられる」と書いている。

佐藤は「川柳スパイラル」創刊号のことも紹介しているが、このほど「川柳スパイラル」2号が発行された。ゲストに我妻俊樹・中山奈々・平岡直子・平田有を迎えて川柳作品を掲載している。

昆虫がむしろ救いになるだろう    我妻俊樹
縊死希望かねそんなちょび髭をして  中山奈々
口答えするのはシンクおまえだけ   平岡直子
振り上げたならそののちは下ろされる 平田有

我妻は5月5日に「北とぴあ」で開催される「川柳スパイラル」東京句会で瀬戸夏子との対談が予定されている。中山の句はつげ義春をふまえて、前の句の最後が次の句の頭に来る尻取り式の連作になっている。平岡は砂子屋書房の「日々のクオリア」に短歌鑑賞を連載中。平田はBL短歌誌「共有結晶」で知られている。他ジャンルを主なフィールドとする表現者が「川柳とは何か」というような抽象論ではなくて、実作によって川柳と交流してゆく機会が増えてゆけばいいと思う。
「川柳スパイラル」2号には飯島章友と睦月都(第63回角川短歌賞受賞)の対談のほか、上田信治の『成分表「声」』も掲載されている。「里」に連載されている「成分表」の川柳版である。

「俳誌要覧2018年版」(東京四季出版)が発行されている。
【俳文学の現在〈川柳〉】を飯島章友が執筆している。昨年この欄を担当した柳本々々は2017年版で次のように書いていた。
「川柳というジャンルのなかでいろんな人間がそれぞれの場所からこれまでとは違った光を灯そうとしている。2017年がその光を迎えとるだろう」
では2017年は現代川柳にとってどのような年だっただろうか。
飯島は物故作家のことから書きはじめている。
2016年から2017年にかけて、これまで現代川柳を牽引してきた人々が相次いで亡くなった。墨作二郎・渡辺隆夫・海地大破・脇屋川柳などである。飯島はたとえば墨作二郎について、形式の変遷を通じた作二郎の作品の変遷を丁寧に紹介している。
さらに飯島は現代川柳の新世代の作者について今後の期待を寄せている。『現代川柳の精鋭たち』や『セレクション柳人』以降の作者たちが台頭してきており、新たなアンソロジーや句集が待望されるという。
「俳誌要覧」の〈連句〉のコーナーは浅沼璞が執筆している。
浅沼はまず、日本連句協会・前会長の臼杵游児の追悼からはじめ、俳誌「オルガン」での浅沼と柳本々々との往復書簡に触れ、往復書簡という形式がきわめて連句的だったことを述べている。

さて、三月もそろそろ終わり新年度がはじまろうとしている。
現代川柳の世界を見渡してみると別に何も新しい動きはないようにも思えるが、何もないように見えて川柳も少しずつ変化している。
四月から生活環境が変わったり、新しいスタートを切る人も多いことだろう。それぞれの場でそれぞれの表現者が発信している言葉に耳を傾けてゆきたい。

2018年3月17日土曜日

短歌と川柳の日々―「井泉」80号のことなど

3月×日
短歌誌「井泉」が届く。創刊80号記念号となっている。
特集「表現の現在を截る」、各ジャンルの現在の状況が書かれている。加藤治郎は木下龍也・岡野大嗣『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』を取り上げている。小池正博「アニメとアイドルと川柳」は川合大祐・飯島章友・兵頭全郎・柳本々々などの現代川柳を紹介しているが、兵頭全郎の句の引用が間違っているので、訂正させていただく。正しくは「たぶん彼女はスパイだけれどアイドル(兵頭全郎)」。蜂飼耳「詩の現在をめぐって」は北川透からはじまり野崎有似『長崎まで』・杉本真維子『裾花』までを論じる。
江村彩「表現の現在、社会の現在」の中で飯田有子について次のように書かれているのを読んで、ちょっと驚いた。

《 『錦見映理子は「66」(ロクロクの会、2016年)において、飯田有子の『林檎貫通式』(2001年)を、「はっきりとフェミニズムの思想に貫かれた一冊」と読み解き、歌集冒頭の歌「のしかかる腕がつぎつぎ現れて永遠に馬跳びの馬でいる夢」は〈女性がのしかかられつづける性〉であることの提示であると指摘している 》

急いで『林檎貫通式』を読んでみると、巻頭歌の二首あとに次のような歌もあった。

女子だけが集められた日パラシュート部隊のように膝を抱えて   飯田有子

「飛雄馬の姉さん」「枝毛姉さん」ばかりが印象に残っているが、この歌集をきちんと読めていなかったのだなと改めて思った。「短歌ヴァーサス」5号を取り出して、入交佐妃が撮った飯田有子の表紙写真をしばらく眺めていた。

3月×日
砂子屋書房のブログ「日々のクオリア」がおもしろい。
3月5日の一首鑑賞で平岡直子は染野太朗の歌を取り上げている。

隠さずにどうしてそれを告げたのかはじめはまるでわからなかった  染野太朗

平岡は、どうして「それ」が隠されているのかがはじめはわからなかったと述べたあと、次のように書いている。

《 一首だけを取り出して読むと、なにか普通隠すべきことを率直に告げた人がいて、それに対して困惑している、ということしかわからないし、「隠さずに告げた」の主語が「私」である可能性も消せない。文脈や具体性を欠落させるのは短歌ではある手法だけど、そういった歌として読むためには、最低限必要な情報の七割くらいしかない、という印象 》

おもしろいと思ったのは、文脈を欠落させる手法が短歌にあるという指摘で、私は同じ手法が川柳にもあると思っているので、短歌もそうなのかと興味深かった。意図的に主語を隠した川柳作品があり、読みが多義的になる。そういう例が挙げられるような気がするが、いま適当な作品が思いつかない。川柳の読みがわからないという声をよく聞くのは、文脈がわからないということで、ある文脈のなかに置けば、意味はある程度とれるのである。
掲出の染野の歌は連作の一首であり、「それ」が何であるかは他の歌や歌集全体からわかるのだが、詳しいことは平岡の鑑賞をお読みいただきたい。

3月×日
「川柳スパイラル」2号の校正終了。
今号はゲストとして我妻俊樹・平岡直子・中山奈々・平田有の四人の川柳作品を掲載。
飯島章友の連載「小遊星」は第63回角川短歌賞を受賞した睦月都との対談である。
あと、上田信治にエッセイを書いていただいた。「里」に連載されている「成分表」の川柳版である。
川柳人だけでなく、他ジャンルの読者にもお楽しみいただけることと思う。3月下旬に発行予定。

3月×日
奈良で連句会があったので、そのあとお水取り(修二会)を見に行った。
2017年に奈良で国民文化祭が開催され、数年前から奈良県連句協会が立ち上げられたが、国文祭が終わった後も引き続き定例の連句会が行なわれている。
お水取りはこれまでにも何度か見たことがある。午後七時に松明の儀式がはじまるけれど、午後六時までに二月堂前の広場に入らないと混雑して見ることができない。
六時少し前に場所を確保したが、すでに混雑していて立錐の余地もない。回廊を登って行くところが良弁杉の影になって見えない位置だが、それも仕方がないことだろう。宗教行事だということを理解していない人がいて、「こんなに集まっているのだから時間を早めてはじめたらいいのに」などと無理をいう声が聞こえた。練行衆の籠松明の火はそれなりにおもしろかったが、以前見たときの震えるような感動は覚えなかった。聖なるものに対する感覚が薄れてしまったのだろう。

3月×日
「現代短歌」3月号を読む。特集「分断は越えられるか」。瀬戸夏子「非連続の連帯へ」、山田航「『貧困の抒情』のために」、佐藤通雅「リセットということ」、大田美和「分断と文学の可能性」、屋良健一郎「分断をもたらすもの~沖縄の現在~」、パネルディスカッション「分断をどう越えるか~福島と短歌~」(斎藤芳生・高木佳子・本田一弘)。
瀬戸は俵万智の『あなたと読む恋の歌百首』のことから話をはじめている。この本は短歌作品と作者を調べるのに便利なので、ときどき私も参照している。瀬戸は大田美和の次の短歌についての俵万智の鑑賞に異議を唱えている。

チェロを抱くように抱かせてなるものかこの風琴はおのずから鳴る  大田美和

それでは瀬戸が俵万智を全否定しているかというと、そうではなくて、次の歌を評価してこんなふうに言う。「根本的なところで俵万智の歌の詠みぶりも方向性も方法論にも賛成できないわたしが、それでも、その歌を愛し、暗唱してしまうこと。」

「勝ち負けの問題じゃない」と諭されぬ問題じゃないなら勝たせてほしい 俵万智

「恒常的な連帯」はむずかしいと言いながら「非連続的な、瞬間、瞬間の連帯には可能性がある」という瀬戸の文章は、特集テーマ「分断は越えられるか」にまっすぐにつながっている。

3月×日
「里」180号が届く。
3月20日は上田信治と北大路翼のトークを聞きにゆく予定。楽しみにしている。

2018年3月2日金曜日

川柳のVOICE (声)

新潮文庫で「村上柴田翻訳堂」と銘うって村上春樹と柴田元幸による翻訳シリーズが発行されている。英米文学の翻訳者と言えば、古いところでは中野好夫とか大橋健三郎とか思い浮かぶが、いま柴田元幸が第一人者なのだろう。その柴田訳による『ハックルベリー・フィンの冒けん』(研究社)が話題になっている。中学生くらいの少年であるハックが語り、書いているということを意識した訳になっていて、タイトルも「冒険」という漢字がハックには書けないだろうという想定で「冒けん」となっている。
先日、梅田の書店で柴田のトークと朗読があったので聞きにいった。『ハックルベリー・フィン』の原稿のうちM・トゥエインが本にするときには削った部分の朗読も聞くことができておもしろかった。トークのうち特に注目したのは「voice(声)」という捉え方である。柴田は作中人物のvoiceや「どう語られているか」を重要視して翻訳するというが、それとは別に作者のvoiceということも考えるという。それが作中人物のvoiceなのか、作者のvoiceなのかは明確に区別できないが、区別して考えられる場合もあるという。この部分は作者のvoiceだと思われる個所があるというのだ。柴田の話を聞きながら、これはたいへんデリケートな問題だが、作品の読みを考えるときに重要な視点だと思った。

昨年発表された川柳作品のなかで石田柊馬の次の句が気になっている。

その森にLP廻っておりますか    石田柊馬 (「川柳スパイラル」創刊号)

何となくわかるような気がするし、いろいろな状況を思い浮かべることのできる句だが、説明するとなるとむつかしい。
「その森」とはどこか。なぜ「LP」なのか。LPが廻っているのか、いないのか。廻っていることがよいことなのかどうか。
とにかく、どこかの森でCDではなくLPが廻っている。LPの回転は時間の経過を感じさせるから、時間とか記憶とかいうものと関係するだろう。私がこの句に感じるのは、LPが廻らなくなるような状況をよしとしない価値観である。止まらずに廻り続けているのかどうかを問うところに批評性を感じるのだ。

別れ際「笑止」のひと声落ちてくる   内田万貴 (「川柳木馬」155号)

誰とどういう状況で会ったのかは分からないが、別れるときに厳しい全否定の言葉を浴びせられたのである。実際に「笑止」という言葉を投げつけられたのではなくても、そう言われたかのように受け止めたのかもしれない。言われて作中主体がどう思ったか。それについては何も書いていないところに潔さがある。

散る時も力を貸してくれますね   松永千秋 (「晴」1号)

ここには「いや、嫌だ」とは言えない、相手を巻き込んでゆく語りがある。それは相手に対する信頼なのか、悪意なのか。どのような人物がこれを語っているかによって、語り方が変わってくるし、文脈も変わってくるのだ。

桃色になったかしらと蓋をとる   広瀬ちえみ (「晴」1号)

蓋のなかには何があったのか。それは桃色になるようなものなのか。いろいろなことが省略されていて、それが読みの魅力になっている作品である。

缶コーヒー掴むと消える地下の街   悠とし子 (「触光」56号)

不思議な句である。私は消えたのは地下の街だと読んでいる。ふっと消えてしまって、手のなかには缶コーヒーだけが残っている。けれども一瞬消えた街はふたたび元の姿で蘇ってくるかも知れない。消えたのは缶コーヒーの方とも読めるが、それだとスケールが小さくなってしまう。

エイがひとりで運営水中博物館    西川富恵 (「川柳木馬」155号)

これも不思議な句だが、おもしろい句でもある。
「水中博物館」というのは水族館のことだろうか。それをエイがひとりで運営しているというのは何だか変だ。エイが水槽をひとりで泳いでいるとも読めるが、それだと「運営」とは言わないだろう。おかしな味わいを楽しめばいいのかもしれない。

林檎それぞれ水平線を持っている   野沢省悟 (「触光」56号)

林檎は垂直のイメージだろうか。林檎の樹を思い浮かべるし、ニュートンの引力の話を連想すれば林檎はどうしたって垂直に落ちる。そうすると垂直と水平のコントラストの句なのか。
林檎の果実の一個一個が水平線を持っているのだと読むと、イメージが広がってくる。山に実っている林檎がそれぞれ水平線を持っているのだ。

無抵抗主義でガス室まで歩く     古谷恭一 (「川柳木馬」155号)

ホロコーストを題材にした句だが、ここまで詠みきるのは作者の力量だろう。
淡々と書かれているだけに、危機意識は強力である。

一片の鱗剥がれて砂を吐く    大野美恵 (「川柳木馬」155号)

「鱗」というのだから魚の類だろう。主語は意識的に省略されている。
一句全体で内面の状況を比喩的に表現しているとも読める。

迎えに行くよ梨よりあたたかい身体  服部真里子(「川柳スープレックス」2月1日)

「梨よりあたたかい身体」という表現が魅力的。
身体は梨よりちょっぴりあたたかいという感覚である。絶望することもなく、希望を持ちすぎることもなく、人と人との関係性が適度な距離感をもって表現されている。

2018年2月25日日曜日

京都の柳社と柳誌 ―「川柳大文字」

京都番傘の藤本秋声が編集・発行している「川柳大文字」がおもしろい。平成27年7月創刊。16ページほどの小冊子だが、月によって増ページになることもある。たとえば今年1月号は墨作二郎をとりあげて40ページに増大。月刊、今年2月で32号になる。
今まで何号か読んだことはあるが、このたび藤本秋声からバックナンバーをいただいて、創刊号から読むことができた。特に興味深いのは「京都川柳の歴史」の掘り起こしの仕事である。ちなみにタイトルの「川柳大文字」は大正7年に京都川柳社によって創刊され、大正10年40号で廃刊したものを踏襲している。
京都の川柳史については、平安川柳社以後のことは何となく見当がつくが、それ以前のことは知るのがむつかしい。私は戦前の京都における自由律川柳の雑誌「川柳ビル」に興味があって、いちど堀豊次にバックナンバーがあるか尋ねたことがあるが、一冊も残っていないという返事だった。この「川柳大文字」を読むと、戦前の京都の川柳界について貴重な情報を得ることができる。
たとえば、「京都の柳社と柳誌(4)」(第27号)には次のように書かれている。

「昭和初期、京都の川柳界に三つの流れが出来る。一は、伝統の京都川柳社。二は、平賀紅寿の京都番傘。三は川柳街社。
川柳街が京都第三の勢力になったのは昭和7年ごろである。それまでの間に、数社の柳社と合併したからであった。
『野菊』『川柳タイムス』『紙魚』『木馬』で、吉田緑朗、村岸清堂、齋藤松窓、大島無冠王、川井瞬二、宮田甫三、宮田豊次らを加えて『川柳街』は大きく発展した。以前の布部幸男独りの川柳街に対して、新たに生まれ変わったとして、「更生川柳街」と称した」

京都川柳社、京都番傘、川柳街社の三派鼎立。
京都川柳社は大正3年創立。柳誌「ぎおん」「大文字」のあと大正14年「京」を創刊。
京都番傘は吉田緑朗の葵川柳会に平賀紅寿が加わり、番傘川柳社と合併して昭和5年に誕生。句会報は最初「レフ」だったが、昭和7年に「御所柳」として創刊号を発行した。
一方、「葵」にいた吉田禄朗と村岸清堂は「京都番傘」に参加せずに「川柳タイムス」を創刊し、やがて「川柳街」と合併してゆく。
「木馬」は昭和5年、川井瞬二・大島黄子朗によって創刊。川井は京都川柳界における革新のエースだった人らしいが、昭和8年、29歳で早世する。
「川柳街」は昭和2年、布引幸夫らによって創刊。昭和7年に「川柳街」以外の数誌と合併して更生「川柳街」となる。
伝統系の「京」と新しい川柳をめざす「川柳街」が昭和初期の京都川柳界をリードしていたようだ。
昭和10年、宮田甫三・宮田豊次・大島無冠王らは「川柳ビル」を発刊。たぶん戦前の京都で最も前衛的な川柳誌だっただろうと思われる。

「川柳大文字」に掲載されている藤本秋声の「京都の川柳家列伝」「京都の柳社と柳誌」は京都川柳史を掘り起こした労作である。私が不勉強で知らないことがたくさんあった。特に印象的だったのは、川井瞬二のことである。「川柳大文字」23号(平成29年5月)から彼の作品を紹介しておく。

口笛にふと寂しさが吹けてゐる  川井瞬二
断髪のある日時計が動かない
壁にゐる俺はやつぱり一人かな
時計屋の十二時一時九時六時
戦争の悲惨さを知り恋を知り
恋人の背中をたたけば痩せてゐる五月
蜥蜴颯つと背筋に白い六月よ

川上三太郎の弟子で早世した田中幻樹のことを連想する。
離合集散をくりかえす結社と川柳誌の背後に、無名性のなかで作句を続ける川柳人の姿が立ち上がってくる。
昭和32年2月、京都の川柳結社を統一して「平安川柳社」が創立される。それ以後の京都の川柳史は比較的知られている。

2018年2月16日金曜日

二冊の句集―浪越靖政と猫田千恵子

新葉館出版から川柳作家ベストコレクションというシリーズが発行されている。本日はその中から浪越靖政と猫田千恵子の二冊の句集を紹介したい。

浪越靖政は北海道・江別市在住の川柳人。北海道は大正末年に田中五呂八が小樽で新興川柳運動を起こして以来、独自の風土と歴史をもっている。関西にいると北海道の川柳界のことはよく分からないが、浪越の編集する「水脈」を通じて様子が伝わってくる。
たとえば、「水脈」47号(2017年12月)には次のような作品が掲載されている。

足りないものばかり探している鎖骨   酒井麗水
胸像のあるヘヤ酸欠の思考       中島かよ
海馬から見放されたよドレミのド    平井詔子
月はいま点字ブロック通過中      岩渕比呂子
パピルスを剥がせば紀元前の貌     落合魯忠
切り抜きは読まずに捨てる猫のひげ   一戸涼子
未だ手放せぬ村田式銃 のようなもの  浪越靖政

浪越の句集に話を戻すが、「あとがき」によると、浪越が川柳をはじめたのは1973年、30歳のとき。小樽川柳社「こなゆき」への投句のあと、釧路川柳社・札幌川柳社・旭川源流川柳社などに所属。1996年に飯尾麻佐子を中心とする「あんぐる」創刊同人、同誌が廃刊のあと2002年に「水脈」創刊、その編集人となる。
ちなみに、飯尾麻佐子は女性川柳にとって重要な存在である。「魚」を創刊して女性川柳人に発表の場を提供した。「魚」から「あんぐる」を経て「水脈」で活躍している女性川柳人に一戸涼子がいる。
さて、浪越の句集は第一章「V字回復」、第二章「日没を待って」に分かれ、第一章は「川柳さっぽろ」掲載作品、第二章は「水脈」「短詩サロン」「バックストローク」「川柳カード」「触光」などの掲載作品だという。

旧姓で呼ぶと振り向くキタキツネ
妄想が前頭葉を占拠する
蝶と目が合って彼岸へ誘われる
Vサインしたまま雪に埋もれてく
旧石器時代の愛し方もある (以上、第一章から)

日没を待ってダミーと入れ替わる
杏仁豆腐の気持ちはどうも分からない
うっかりと見せるカラスの後頭部
三日月になっても尾行続けてる
時により入口役もする出口
自動消去まで十年を切っている (以上、第二章から)

川柳人は発表誌によって作風を使い分ける場合があり、第一章は「気楽に読んでもらえる作品」、第二章は「もう一人の自分が詠んだ作品」だという。川上三太郎の二刀流を思い出すが、読者はそんな区別を気にせずに好きな作品を読んでゆけばいいと思う。

猫田千恵子は愛知県半田市在住の川柳人。
句集の略歴によると、2009年「川柳きぬうらクラブ」に入会、2015年「ねじまき句会」に参加とある。なかはられいこが発行している「川柳ねじまき」には第3号から作品を掲載している。最新号の「川柳ねじまき」4号(2018年1月)には次のような句が掲載されている。

轢いた時ペットボトルがちぇっと鳴る   猫田千恵子
落ちちゃった少うし跳ねただけなのに
端っこの席に聞きたいことがある
頬骨のカーブが同じ顔二つ

さて、句集の方は第一章「海」、第二章「空」の二部構成。
「私の内面に向かって書いた句」を「海」、「外へ向かっていった句」を「空」としてまとめたという。私は半田市には新見南吉記念館や南吉生家を見に訪れたことがある。

全身に海沸き立ってくる 好きだ
一体は裸で眠る花の下
純粋な興味で押してみたボタン
同意する間もなく鍋に入れられる
終わったようだぞろぞろ出てきたよ
中心に立つと不安になってくる (以上、第一章)

秋の気配は肉球の温かさ
世界など何度もここで滅ぼした
人間が乗る一枚の磁気カード
連なった鳥居の奥は猫屋敷
朝になる普通の人が起きてくる (以上、第二章)

第一章には川柳性のある句が多く、第二章はそこから先に進んで冒険する句を集めているのかなと思った。そのことは、たとえば次の二句の書き方の違いに表れている。

シャツ一枚だけ北向きに干している
果てしない時空に白いシャツを干す

2018年2月9日金曜日

水にだって闇はある―八上桐子句集『hibi』

八上桐子の第一句集『hibi』(港の人)が発行された。
八上の作品は今までも「川柳ねじまき」などで読んでいるし、句会や川柳のイベントでときどき顔をあわせることもあるが、ようやく句集というまとまったかたちで彼女の作品を読むことができるようになった。
句集のプロフィールによると、八上は2004年「時実新子の川柳大学」入会。2007年終刊まで会員。以後、無所属、とある。結社や川柳グループに所属せずに、独自の存在感を示して川柳を続けるのは、それほど簡単なことではない。
2016年、八上は葉ね文庫の壁に針金アートの升田学とのコラボを展示した。新生「guca」にも紹介されているように、葉ね壁は牛隆佑のプロデュースによるアートと短詩作品の共同制作で、ときどき展示替えがある。八上の作品「有馬湯女」は腰紐に句を書いて垂らしておくという斬新なものだった。仄聞するところによると、そのときのトーク・イベントで句集の発行を望むリクエストに対して八上は前向きに応えたということだ。葉ね壁が句集上梓への契機となったのである。
八上には「本」というものに対するこだわりがある。フリーペーパーの場合でも、以前発行されていた「Senryu So」や現在発行されている「THANATOS」など、けっこう凝ったものである。活字に対するこだわりもあって、活版印刷でないと嫌だという発言を聞いたことがある。今回の句集は残念ながら活版ではなかったようだが、鎌倉の「港の人」まで出向いて装丁のプランを話し合ったというだけあって、美しい本に仕上がっている。
では、句集の収録作品について述べていこう。
全体は六章に分かれ、各章が28句ずつ、最後の章だけが32句、全部で172句が収録されている。厳選である。
読んでゆくと作者の愛用する語が繰り返し出てくるのに気づく。最も目につくのが「水」である。それは巻頭句からすでにはじまっている。

降りてゆく水の匂いになってゆく     
呼べばしばらく水に浮かんでいる名前
鳥の声になるまで水を見てなさい
水を 夜をうすめる水をください
散歩する水には映らない人と
もう夜を寝かしつけたのかしら水

愛用語というのは諸刃の刃である。自分の世界を適切に表現できると同時にマンネリズムに陥る危険をはらんでいる。けれども、この句集のおける「水」が読者を飽きさせないだけの実質をもっているのは作者の実力なのだろう。
「川」「海」「雨」など、「水」関係の句はさらに多様に展開してゆく。

少年の1人は川を読んでいる     
そうか川もしずかな獣だったのか
川沿いに来るえんとつの頃のこと
青がまた深まる画素の粗い海

「水」の句はこれまでにもたくさん書かれてきた。たとえば、畑美樹。

こんにちはと水の輪をわたされる    畑美樹
体内の水を揺らさず立ちあがる
逢うまでの水をこぼして歩いている
一本の水を買う正確な姿勢

畑美樹の場合、水は体内水位であったり恋愛感情の揺れであったり、水を中心とする世界認識であったりする。水は作者の「私性」と結びついている。
八上の場合、水は二律背反的な意味をもった存在である。それは「水」とペアになる「闇」や「夜」によって示される。

おひとりさまですかと闇に通される 
踵やら肘やら夜の裂け目から
くちびると闇の間がいいんだよ
向き合ってきれいに鳥を食べる夜

清浄な水の世界は背後に闇をかかえることによって屈折したものになる。水は闇を中和する存在でもあるし、水の背後にちらりと見える闇は、日常を破綻させないように適度にコントロールされている。
「hibi」というタイトルは最初「日々」かと思ったが、「罅」かもしれない。日常の中に入った微かな罅を八上は静かに見つめているのだろう。
あと、いいなと思った句を挙げておく。

雲の流れてインディアンの口承詩
冷蔵庫だけが大きな家でした
歩いたことないリカちゃんのふくらはぎ
その手がしなかったかもしれないこと
まばたきをするたび舟が消えている
くるうほど凪いで一枚のガラス

栞は、なかはられいこ・正岡豊・小津夜景の三人が書いている。
句集「hibi」は葉ね文庫だけではなく、東京・大阪・神戸のいくつかの書店にも置かれている。通販でも手に入る。従来、川柳句集は上梓するだけで精一杯で、本としての美しさや読者に届けるための販路まで手がまわらなかった。無所属というスタイルも含めて、八上桐子はひとつの道を切り開いたということができる。

2018年2月2日金曜日

村井見也子の川柳

1月28日、京都の「川柳 凜」の句会に出席した。
京都の川柳界はけっこう複雑で、1978年に「平安」が解散したあと、「新京都」「都大路」「京かがみ」が生まれた。さらに、「新京都」が終刊したあと、生まれた結社のひとつが「凜」である。「凜」を創立した村井見也子(むらい・みやこ)がこの1月に亡くなり、追悼の気持ちもあって「凜」の句会に参加したのである。

神の手にいつかは返す飯茶碗   村井見也子

村井見也子のよく知られている句である。
村井は1930年生まれ。結婚して京都に住むようになり、1970年に北川絢一郎に師事して川柳をはじめた。平安川柳社同人、新京都創立同人をへて、絢一郎の死後「凜」を創立。
村井の句を読む機会は少ないと思われるので、句集『薄日』(1991年)から、少し多めに抜き出しておきたい。

まぼろしと逢える切符が今ここに
信じたくなって篠つく雨を出る
弱気へのいたわりなのか朝の虹
春の雪ポストに胸の火を落す
まだ刑の終らぬ足袋を干している
いくつ訃に出会う厨の薄明り
ほつほつと火の立つ骨を拾うべし
降る雪の一色ならぬけもの道
たかが一生花を降らせて討たれよう
仰ぐ塔があって三年五年待つ
介錯はだれであろうと双乳房
不覚にも朝の枕に生き残る
爪を切る音よけものが目を覚ます
掌の蛍匂う危うい刻がくる
樹に凭れるやさしい緑ではないか
一冊の辞書をときどき敵にして
雨の日もしずかに爪が伸びてくる
父系母系の何を見たくて指めがね
低唱やうろこ一枚ずつ落す
償いは終った絵ろうそくの芯
卒塔婆一枚わが身の軽さではないか
春愁のとうふ一丁身に余る
男から見えぬところで煮こぼれる
滅ぶもの美しければ沖へ出る

新潮増刊の『短歌・俳句・川柳101年』(1993年)の1991年の欄に『薄日』が収録されていて、ちなみにこの年の短歌が加藤治郎の『マイ・ロマンサー』、俳句が江里昭彦の『ロマンチック・ラブ・イデオロギー』になっている。川柳を担当している大西泰世は村井についてこんなふうに解説している。
「『京女』と呼ぶのにふさわしい、物腰やわらかな村井見也子が詠む句材は、日常生活の中で日々必要とするもの、たとえば〈足袋〉〈傘〉であり、〈鍋〉〈箸〉〈飯茶碗〉というような、あまりにも生活に密着しすぎて、ともすれば俗に落ちやすい可能性の高いものも多い」
「しかし、それらの素材も見也子の手にかかると、一見、はかなげな表面をたたえながら、ふっと息を吹きかければ、たちまち立ち上がってくる炎を隠し持つ燠のように芯で燃え続けている一句として屹立する」

私はベタな日常詠は好まないので、「傘」「鍋」「箸」などの句は引用していない。また、「情念川柳」という言い方も好きではないが、一時期、川柳界で「情念川柳」という言葉が流行ったことがある。村井もまた「情念の見也子」という受け止め方をされている。
前掲の引用に続いて『101年』では次のように書かれている。

「考えてみれば、〈箸〉や〈飯茶碗〉のように、毎日使うものであるからこそ、愛憎を手でなぞりながら、思いを連綿と持続させることが出来るのだろう。声高に「わたくし」を叫ぶことなく、あくまでもしんしんとうたう、〈情念の見也子〉と言われるゆえんである」

「もの」と「こころ」の関係。〈情念〉と言ってしまえば、女性川柳を一面的にとらえることになってしまうが、見也子の作品は現代の眼から見て乗り越えなければならない部分を含みつつ、時実新子とは少し異なった方向性をもっているように思う。

2017年になって見也子の第二句集『月見草の沖』(あざみエージェント)が上梓された。

雨期に入る京の仏は伏し目がち
歌声をだんだん高くして泣いた
そうだまだ人形になる手があった
月見草の沖へ捧げるわが挽歌
人よりも先に笑っていくじなし
少し猫背になってやがてに近くいる
鶴になる紙を急がせてはならぬ
もの言わぬ爪から順に切ってゆく
あと少し見せていただく紙芝居
食べて寝てこわいところへ降りてゆく

現在、「凜」の発行人をつとめている桑原伸吉は、この句集が出たときに、「見也子さんの最初の句集は、平成三年に女性として意味深い内容の『薄日』があり、今は亡き定金冬二さんの序文の中に『自分に対して厳しいものを持っている。だからこそ『女ごころ』が生き生きと息をしているのであろう。』とある。作品構成の用語の一つ一つに細心の注意が払われていて、しかも定型を順守それが作者のポリシーと思う」と述べたあと、「あれから二十六年、『川柳人としての区切りという意味での上梓』と作者はおっしゃるが、同じ道を来た者にとっては言葉がない」「『月見草の沖』はやはり見也子川柳、前述の如く何かを伝えようとする一語一語に意味性があって、見事な自己表現がなされている」と書いている(「凜」70号、2017年夏)
『薄日』の世界が乗り越えられたのかどうかはともかく、生前に第二句集が出たことはよかったと思う。
「凜」は今年4月22日に「20年記念のつどい」を開催するという。創刊10年の大会のときには墨作二郎が記念講演をおこなった。自分に対して厳しかったという村井見也子の姿勢を反映してか、「凜」は対外的なアピールについては控えめである。「20年記念のつどい」が盛会となるように祈念している。

哀しいときは哀しいように背を伸ばす   村井見也子