2023年2月11日土曜日

多行川柳入門

多行書きの川柳として川柳界で最もよく知られているのは、松本芳味の次の作品だろう。

これはたたみか
芒が原か
父かえせ
母かえせ

松本芳味の句集『難破船』の第二部は多行川柳で占められている。短歌・俳句にあるものはすべて川柳でも試みられている。川柳には自由律もあれば、短句(七七句)もあり、多行川柳もある。私は基本的に川柳は口語一行詩だと思っているので、自分では多行川柳を書くことはないが、ひとりの作者が多行作品に向かうときの必然性は否定しない。今回は川柳における多行書きの作品を振り返ってみたい。

多行川柳の試みとしてまず注目されるのは、新興川柳期の中島國夫である。新興川柳期には自由律についての議論が盛んで、それと関連して多行川柳も書かれている。中島國夫の作品から、定型・自由律・二行書き・三行書きを並べて紹介する。引用は『新興川柳選集』(たいまつ社)より。

カラクリを知らぬ軍歌が勇ましい

みんなドクロとなる日烏がくん章ぶら下げる

私有のドン慾に
ケシ粒の地球

縛られた手で
ひとの紙幣ばかり
数へさせられ

二句目の「くん章」は勲章。四句目の「紙幣」には「さつ」とルビがふってある。中島は井上剣花坊の柳樽寺川柳会の同人で、「川柳人」の編集もしている。プロレタリア川柳も勃興していて、中島の句にも権力批判の傾向が強い。プロレタリア川柳の鶴彬にも多行川柳がある。

これしきの金に    鶴彬
主義!
一つ売り 二つ売り

中島の多行川柳はあまり評価されていないが、次の作品はおもしろいと思う。

ショウウインドウに化石している




ここには木村半文銭の「夕焼の中の屠牛場牛牛牛牛牛牛牛牛牛牛」とも共通する視覚表現が見られる。

さて松本芳味に話を戻すと、『難破船』の序で松本はこんなふうに書いている。
「二十歳ごろから川柳を始め、約十年ひたすら青春の感傷と抒情をうたった。その一行作品を第一部にまとめ、多行形式十五年間の作品を第二部としてまとめた」
「三十歳になってから、創作に行き詰まり、多行形式に踏切ると共に、意識的に従来の感傷をふりきり、社会と個の結合を志向し、主張し、現代川柳の確立に努力した」

月光や「救われたいとおもいます」
鶴の名を呼びて狂わば こうふくに
蓬髪の眼がうつくしいときに雪
白蝶は明日の方へ飛ぶ―僕は!?
花びらは虚空に炎える 賭けようか

こういう句が松本芳味の感傷と抒情の世界である。多行形式はそれを超克するための作者にとって必然的な道程だったことが理解できる。芳味の多行川柳をもうすこし挙げておこう。

少女の中に
不吉な
蝶が育ってゆく

地表より
虫湧き
虫湧く
炎天の飢餓

くらい性器
 玩具のハーモニカ
 は鳴るか

次に取り上げるのは河野春三である。春三の『無限階段』には多行書きの作品が十数句収録されている。

歪んだ季節の
落下傘から
飛び下りる胎児

起重機沈む
孕みしことは
舌打ちされ

現代川柳における定型と自由律、一行詩と多行詩の関係には錯綜した歴史があり、それを整理することは私の手に余るが、作品の内容と形式には有機的な関連があり、ひとりの作者が素材やテーマによって複数の形式を書き分けることはありうると思う。ただ、成功するか失敗するかは作品次第なので、五七五の定型のリズムをなぜわざわざ三行書きにするのか疑問に思うこともある。
最後に松本仁の作品を紹介しておこう。

股間から
富士をながめる
情死考

ゴッホ
明恵
いずれの耳か
高く舞う

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