2023年2月3日金曜日

松林尚志の仕事

松林尚志(まつばやし・しょうし)とは直接会ったことはないが、彼の書いた文章は折に触れて読んできた。川柳に関しては、渡辺隆夫の第三句集『かめれおん』(北宋社、2002年)の序が思い浮かぶ。松林はこんなふうに書いている。
「私は以前、といっても昭和四十年のことであるから四十年近い昔であるが、『川柳しなの』という雑誌に、石曽根民郎氏に頼まれ『現代川柳雑感』という文章を書いたことがある。何冊かお借りした句集には時実新子、河野春三、片柳哲郎、佐藤正敏氏らの句集があった。私には現代川柳の水準の高さにおおおいに学ぶところがあったのだが、一部の作品が俳句と同じ発想、同じ水準に来ていることを実感した。それは共通の詩を求めることの当然の結果といえるが、そこには川柳の本来持つ風刺やうがちが自己に向けられることからくる、自虐的傾向とそれ故の暗さや深刻さが気になり、そのことに懸念を表明した」
それに対して渡辺隆夫の川柳はどのようなものか。松林は「現代川柳と現代俳句はある面ではほとんど交叉している。しかし『亀れおん』では逆に現代俳句と競う位置から遠ざかり、かつての川柳の持った逞しい転合精神を復活させようとしている。渡辺氏はどうやら本来的川柳の在り方からの出直しを企んでいるようだ」と見ている。
渡辺隆夫の川柳をどう評価するかは「私川柳」や「現代俳句」に対してどのようなスタンスをとるかという問題とからみあっている。また「現代川柳」と「狂句」との関係にも歴史的な経緯がある。松林の見方は、「現代川柳は俳句の真似をしないで川柳本来の在り方に戻るべきだ」という俗論とは次元を異にするが、困ったことに、そのような俗論を唱える論者が「いいね」と評価するのが渡辺隆夫であることだ。私自身の渡辺隆夫論については「渡辺隆夫の孤独」(「MANO」12号)に書いたことがある。
松林は「序」の最後でこんなふうに書いている。「私が渡辺氏の今後に期待するのは、他者に向けられた毒の刃が自己にも向けられることである。諷刺でもたんなる野次馬ではなく、加害者に対する怒り、憎しみ、呪詛としての毒がなければならない」
ここには実作上の微妙な問題があって、自己に向けられる毒は諷刺の力を弱めるのではないかということだ。他者や社会を批判しつつ自己の内部の葛藤も表現しきる、両立させるのは至難の業だろう。

連句に関連して言えば、松林の『日本の韻律 五音と七音の詩学』(花神社、1996年)は連句人にとっても重要である。連句界では短句・七七句の下の七音について、4+3のリズムはよくないと言われている。四三(しさん)の禁である。芭蕉の連句には短句に四三のリズムは一句もないと言うのだが、それは近代以前の話。短歌においては齋藤茂吉の「短歌に於ける四三調の結句」によって四三調の禁から自由になり、現代短歌においては意識もされなくなった。松林の本は連句における四三調の問題を考えるときに必読の一冊である。

『俳句に憑かれた人たち』(沖積舎、2010年)は現代俳句を彩る47人の作家像をまとめたもの。私はその中で現代川柳とも関係の深い津久井理一と野田誠に注目している。
津久井理一は50冊近い「私版・短詩型文学全書」の出版、個人誌「八幡船」(ばはんせん)の発行などで、現代川柳の世界とも交流があった。松林は次のように書いている。
「理一は昭和三十八年六月、個人誌『八幡船』を発足させる。『八幡船』創刊号には野田誠が『鏡部落』を載せ、重信や八田木枯が句を寄せている。『八幡船』を持つことで理一は自らの意図を誌面に反映させつつ作家を発掘し、人脈を広げることが可能になった。私版・短詩型文学全書の第一集が出たのは四十一年二月で、阿部青鞋が最初である。次いで、野田誠、東川紀志男、瀧春一、渡邊白泉、大原テルカズと続く。紀志男、テルカズという関西、関東の最も過激な前衛を取り上げているところにも、理一の反骨精神がよく示されていると思う」
「私版・短詩型文学全書」は俳句篇のほかに川柳篇と一行詩篇があり、川柳篇として『河野春三集』『福島真澄集』『時実新子集』『草刈蒼之助集』が出ている。『山村祐集』が川柳篇ではなくて一行詩篇として発行されたことが当時の川柳界で物議をかもした。「短詩型の広場」ということが言われ、俳句と川柳の違いはジャンルの違いではなくて、エコールの違いだというエコール論が唱えられたのもこの頃である。津久井理一の句から。

ながきながき饂飩を食ひぬ特高と   津久井理一
ストへストへ七階にして螺旋階尽きる
しら髪のさらりと黒い海がある
毛野の地を日本と思ふすみれ濃し

あと、野田誠の句も紹介しておく。「永遠は」の句は私のなかでは優れた川柳作品として記憶されている。

永遠はアルミニウムでありすぎる    野田誠
ひろしまと書けばすなわちその文字燃ゆ
ことば積む はげしく零へ 近づけて
午後曇天わがこめかみの角砂糖

松林の俳句評論としては『子規の俳句・虚子の俳句』(花神社、2002年)、『桃青から芭蕉へ―詩人の誕生―』(鳥影社、2012年)が挙げられる。
前者の巻頭評論「子規―俳句の出発」では俳句と連句について次のように述べられている。
「子規のいうように連句では付句の展開を見る限り変化が生命なのであって、子規はその変化を非文学と見做したのであった。子規は文学に個の表現の一貫性をみていたから、他者による恣意的な変化を文学とは見做せなかったのである。しかし、文学を発想とは別の観点から、つまり完結した作品そのものとしてみると、変化していくところに微妙な味わいがあればそれはそれで文学として面白いのである」
後者『桃青から芭蕉へ』は芭蕉が談林から脱却していく過程を『桃青門弟独吟二十歌仙』から『虚栗』への歩みのなかにたどっている。

最後に、松林は和歌についても『和歌と王朝・勅撰集のドラマを追う』(鳥影社、2015年)を上梓している。『新古今和歌集』の巻頭歌は摂政太政大臣・藤原良経だが、彼の謎の急死など『新古今和歌集』成立の周辺を探った「藤原良経と後鳥羽院・実朝」、南北朝時代の流浪の歌びとの姿を描いた「宗良親王私記」など興味深い論考が収録されている。
松林尚志の俳人としての業績について私は詳しくないが、評論については『古典と正統』以外はあらかた手元に置いている。著者から贈呈していただいた本も多いが、礼状もださないまま時が過ぎてしまった。改めて読み直してみると、短詩型文学に対する視野の広さに基づいた優れたお仕事だと思う。

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