2021年3月5日金曜日

女性の川柳作品について(続)

瀬戸夏子の『白手紙紀行』(泥文庫)が発行された。「現代短歌」に連載されていたものが文庫サイズにまとめられていて読むのに便利である。読書日記ということだが、時評でもありアクチュアルで刺激的だ。読みながらこの数年の短詩型文学の動きを改めて思い出した。「井泉」創刊80号は2018年3月だったし、『天の川銀河発電所』発刊記念イベントで正岡豊と佐藤文香のトークを梅田蔦屋書店で聞いたのは2017年10月のことだった。印象に残る箇所はいろいろあるが、「男性は女の抒情がわからないのに、わかったふりをしていましたね」という馬場あき子の言葉がでてきて、ドキリとさせられる。

前回に続いて「女性の川柳作品」について。
時実新子が一時期、「川柳研究」の川上三太郎に投句を続けたことはよく知られている。たとえば『小説新子』では次のように書かれている。

「それから数年、新子は三太郎の胸板めがけて、句を投げつづけた。それはマスコミ川柳界に君臨する男への挑戦にちがいもなかった。
  男の凡を嗤って朝の風凍る
  一点をみつめておれば死ねそうな
三太郎からは一枚のハガキも来なかった。ただ○と×を入れた句稿が矢のように戻って来るだけである。新子は三太郎が入れた○と×の句を深く心に刻んだ。」

引用のうち句は二句だけで他は省略した。小説の一節だが、この部分に嘘はないだろう。ここで三太郎が育てたもうひとりの女性川柳人、福島真澄について書いておこう。
福島真澄は東北大学附属病院で闘病中、今野空白と出会い「杜人」に投句していたが、「川柳研究」「鷹」「川柳ジャーナル」などに所属して、病気の境涯をベースとしながら抽象的な傾向が強い作品を書いた。句集『指人形』から。

下着を換へ 繋がれた指紋に歩かされる   福島真澄
教科書に咲いた桜は散り給へ
見失つた蝶の抜け殻の掌を探す
人臭い雲が漂ひ飾り窓
夜空に穴あけてほら覗く誰か
窓の長さは一秒間だ 鳥の影

『指人形』の序で三太郎は次のように書いている。
「福島真澄の句ほどあたしを悩ませるものは少ない」
「彼女の十数年に亘る闘病生活は、それこそむごいものであった。それこそ身動き一つできない十数年であったからである。従って彼女は〈心〉だけで生きていくよりほかはなかった。だからそうして生きた。眼は病室の天井を見つめているだけである。だからそういう環境から出てくる句は水、魚、人間、草木―そういうものはどれもみな抽象化されている。それよりほかには見えないからである。従って水それは彼女の場合は〈水〉だけであって、川でも泉でも海でも水道でもない」
苦しい現実を直視する作品もあるが、現実が悲惨であればあるほど芸術が抽象的になることもある。真澄は窓から世界を見ていたのだろう。一秒間だけ鳥が横切ってゆく。

ここで前回も触れた三太郎の女性川柳観を振り返っておこう。
「作者は女性であるが、句は〝おんな〟ではないということである」
「句がみんな〝男〟になっているのである。そこで私はいった。『女性の句とは作者が女であるということだけではない。句が〝おんな〟でなければならぬ』と。」
そもそも三太郎の女性川柳観は新しいのか古いのか分からない。
時代は逆になるが、むしろ新興川柳期の田中五呂八のほうが進んだ見方をしていたように思う。五呂八が「ふたりの女流作家論」(昭和4年5月「氷原」40号)で井上信子と三笠しづ子を並べて論じていることも前回触れたが、新興川柳期の女性川柳に対する見方を詳しく見ておきたい。
五呂八は新興川柳(「氷原」掲載作品)の作風を大まかに「理智詩」「生命主義」ととらえたうえで、それとは異なった作風や思想と感情の流れもあるという。
「例えば本号で批評の的になった女流作家の如き、他の人達とはよほど変った情味を持ち、その詩想はいずれも、歌などの本質とは異る理智的統覚を帯びている点で、新抒情派の作家とでも呼ばれていいだろう。」
まず井上信子について作品を引用しながら作品の深化を論じている。ここでは便宜上原文にはないA~Eの記号を付けておく。

A 憂鬱をさへぎる夜も昼もなく
A 殻一重ぬぎ捨てがたき重さにて
B 星空を包んだ雪の夜の重さ
C 相遇ふたうしろ姿へかゝる霧
D またゝきの隙の瞳の深さかな
E 滝つ瀬の白さへ向いてのぼる石段
E 眼覚めける白紙へ今日のプログラム

五呂八のコメントを要約して紹介すると以下のようになる。Aでは「憂鬱」とか「重さ」など感情そのものを概念から説明してしまっているのに対して、Bは同じ「重さ」という感情説明語を用いても客観化されている。Cではすべてが具体化され対象を通じて自己の思想・感情が詩化されている。Dは感情・感覚の世界から思索の世界へ踏み込んでいて、川上日車の「深みとは何水甕に水のなき」を連想させる。Eは「永い間の苦悩と懐疑から必然に辿りついた生命の白道」であるという。
次に三笠しづ子について、井上信子とは「別天地」の存在だとしている。

A 誘惑をされ度い様な髪の出来
B ぐるりっと変な猫の眼男の眼
B 素晴らしい冗談一つ持て余し
C うす紅い丸さの中に在る二人
D 神経にぴったり触れた舌の尖き
D そっと撫でられて何にも見えない眼

Aは「人間的な媚態的な心持」の露骨な表現。Bについて作者は「男性に対する徹底的な懐疑主義者」であり、「辛辣な心理描写となって男性を愚弄する」。反対にCでは「恋愛詩人とでも言いたいほどの官能」を見せる。Dも恋の感覚に酔う恋愛詩。三笠しづ子においては恋愛対象への感情が冷え切ったときにまったく別人のような冷酷さに一変するのであり、「鋭い男性批判」「悪魔主義的なメス」と「恋愛至上的な感情の流れ」とが見られる。以上のように述べたあと、五呂八は次のようにまとめている。
「想うに、恋歌は徹底抒情主義であり、むしろ感情に溺れるのが本望であろうが、新興川柳に現れた恋愛詩は、同じ抒情詩に掉しても、よほど理智的であり、感覚的であり、時には批判的でさえある。その点から三笠氏など日本短詩壇的にも一つの椅子を持つ存在ではないかと思う」
さて、ここまで見てきた「女性川柳」について整理しておきたい。

1 女性川柳人でありながら男性の視点で作品を書く場合が以前は多かったこと。
2 そこで男性の指導者が「女の川柳」を求めたこと。
3 女性の作品を評価するのは主として男性川柳人であったこと。
4 女性の川柳作品に対する評価が「抒情」あるいは「新抒情主義」と呼ばれたこと。

荒っぽくまとめると以上のようなことになるだろう。 
明治・大正・昭和前期まで「女性川柳」は男性視点で論じられてきたし、その際に男性川柳人が求めるものは「女の川柳」「恋愛」「抒情」「情念」などであった。人間の知情意のうち主として「情」に関わる部分であり、理知的な部分は副次的となる。当然そこから抜け落ちるものがあり、女性が自らの視点で女性川柳を考えるための場が要請されるのは必然だろう。
こうして登場した川柳誌が飯尾マサ子の「魚」(1978年12月創刊)である。

0 件のコメント:

コメントを投稿