2021年3月12日金曜日

連歌三賢と七賢の間にて(梵燈庵主)

昨日3月11日は東日本大震災から10年の節目で、新聞やテレビでもさまざまに取り上げられた。この10年間に震災の川柳はいろいろ書かれたが、『はじめまして現代川柳』に掲載されている震災句を二句挙げておく。

きかんこんなんくいきのなかの「ん」 佐藤みさ子
春を待つ鬼を 瓦礫に探さねば    墨作二郎

前者は東日本大震災、後者は阪神淡路大震災である。いろいろ書こうと思って準備もしたのだが、震災の記憶に触れることは特に当事者の方にとっては痛みを新たにすることでもあり、ひかえることにした。だから、今回は関係のないことを書いてみる。

私は連句人なので連歌にはかかわらないようにしていたが、思うところがあって、今年は連歌集・連歌論をすこしずつ読んでいる。連歌集は『菟玖波集』『新撰菟玖波集』からはじめた。『菟玖波集』を編集した二条良基、あと救済・周阿を三賢と呼ぶ。『新撰菟玖波集』『竹林抄』などに掲載されている宗砌・平賢盛・心敬・行助・専順・智蘊・能阿が連歌七賢である。
三賢と七賢との間の時期には梵燈や今川了俊がいる。梵燈(梵燈庵主)は俗名、朝山小次郎。足利義満に仕え、連歌は二条良基・周阿に学んでいる。出家後、各地を漂泊、特に東国を旅したようだ。帰洛後の彼の連歌を「さがりたり」「下手なり」とする世評があった。それに対して、彼は「連歌は座になき時こそ連歌にて侍れ」と言ったと伝えられる(心敬『ささめごと』)。コロナ禍の現在、心に響く言葉ではないか。
さて、梵燈の連歌は京を離れて漂白しているあいだに駄目になったという評は、二条良基没後に一世を風靡した周阿の風に傾いた人たちの目から見たものとも言われる。ここで、救済・周阿・梵燈の連歌を簡単に見ておこう。

 おもへばいまぞかぎりなりけり
雨に散る花の夕の山おろし   救済

まず救済だが、「限りの別れ」(最後の別れ)という前句に、雨に散る飛花を付けている。雨と嵐によって最後の花となる。

 罪のむくいはさもあらばあれ
月残る狩場の雪の朝ぼらけ   救済

「罪の報いはどうであっても」という付けにくい前句に、西の山の端にかかる残月と雪の朝という風景を付けている。狩は鷹狩で、前句は鷹匠の心境ということになる。前句の心に対して付句は景であり、景を付けることによって前句の心をひきたてているともいえる。表現に技巧のあとがなく、前句の述懐を鮮明に情景化している。
では周阿の連歌とはどのようなものだったか。

 法に入るこそ心なりけれ
弓とりは馬の口をも引きつべし   周阿

仏法に入ることこそ誠の心なのだという前句から、法(のり)→乗り→馬の連想から、武士は主人のために馬の口をとって導かなければならない、と付けたもの。

物ごとにこゝろにかなふ時なれや
 月に雲なし花にかぜなし     周阿

物事が自分の意のままにかなう時だよという前句に対して、具体的に月に雲がない様子、花が風に散らない様子を付けたもの。
このような付句が周阿の連歌で、救済以後、一世を風靡した。現代の目からは救済との違いが分かりにくいが、「意表をつく作意、趣向と機智をてらい、秀句縁語を尽した作風は救済とは対照的」(日本古典文学大系『連歌集』)などと評される。心が主か詞(言葉)が主かという議論で言えば、救済は心主詞従、周阿は詞主心従だろう。
さて、梵燈庵は周阿の句風を継ぐと言われ、けっこう批判も多い。
「燈庵主の句、前句の心をば忘れ、唯わが句のみ面白くかざりたて、前句の眼をば失へり。其比より諸人偏(ひとへ)に前の句の心をば尋ねず、ただ並べ置き侍ると見えたり」(心敬『所々返答』)
燈庵主とは梵燈庵主のこと。現代連句でも争点になることが連歌の時代から言われていることがわかる。前句に付くということと転じることのせめぎあい、連句であることと一句独立の欲求との二律背反は連俳史のなかでダイナミックに繰り返されてきた。

 竹ある窓にちかき秋風
おき明す臥待月をひとり見て  梵燈

起きる・臥すの縁語を用い、一句の趣向が前面に出ている。ただ梵燈にしても、連歌の要諦は知悉していたはずで、そのことは彼の次のような言葉が示している。
「連歌の前の句は歌の題の如し。されば歌に題あり、連歌に前の句あり。歌を如何に読まんと思ふとも、題を悪しく心得つれば、僻事(ひがごと)多して歌にあらず。連歌も前の句を付べき様、不分別しては連歌にあらず」(梵燈庵主『長短抄』)
梵燈庵主は三賢と七賢の橋渡しをする存在として興味深く、次の宗祇の時代へとつながってゆく。
最後に神西清の小説『雪の宿り』の一節を紹介しておこう。主人公は連歌師で、松島アンズさんの「老虎亭通信・イキテク」27号でこの小説の存在を知ることができた。

「うっかり転害門を見過ごしそうになって、連歌師貞阿ははたと足をとめた。別にほかのことを考えていたのでもない。ただ、たそがれかけた空までも一面の雪に罩こめられているので、ちょっとこの門の見わけがつかなかったのである。入込んだ妻飾のあたりが黒々と残っているだけである。少しでも早い道をと歌姫越えをして、思わぬ深い雪に却って手間どった貞阿は、単調な長い佐保路をいそぎながら、この門をくぐろうか、くぐらずに右へ折れようかと、道々決し兼ねていたのである」

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