小津夜景はいわゆる俳壇とは無関係なところから登場した。
私が小津夜景の名をはじめて目にしたのは「豈」55号に掲載された「第二回攝津幸彦記念賞・準賞」の「出アバラヤ記」だった。作品は前書(詞書)+俳句の実験的なかたちになっている。句集に詞書を付けるのは高山れおな『荒東雑詩』などで見たことがあるが、小津の場合は哲学的思考がベースにあるように感じられる。
その後の彼女の活躍はめざましい。ネットを中心に実作と評論を発表、今年8月にはブログ「フラワーズ・カンフー」を立ち上げて毎日更新している。
そして、このたび第一句集『フラワーズ・カンフー』(ふらんす堂)が上梓された。
帯文を寄せているのは次の両人。
正岡豊「廃園から楽園へ」
鴇田智哉「のほほんと、くっきりと、あらわれ続ける言葉の彼方。今ここをくすぐる、花の遊び。読んでいる私を忘れてしまうのは、シャボン玉のように繰り出される愉快のせいだ」
句集の「あとがき」には次のように書かれている。
〈「出アバラヤ記」が攝津幸彦賞の準賞となったのを機に俳句を始めてから途方もなく長い二年半が経過した。この間しばしば思い出したのは「前衛であるとは死んだものが何であるかを知っているということ、そして後衛であるとは死んだものをまだ愛しているということだ」といったロラン・バルトの言葉である〉
次にあげるのは巻頭の句。
あたたかなたぶららさなり雨のふる
この句は「たぶららさ」以外何も言っていない。「タブラ・ラサ」は「白紙」であり、ひらかな表記にしている。白紙の状態から小津の俳句がはじまるのだ。
『フラワーズ・カンフー』が送られてきたとき、「出アバラヤ記」の章を読んでみた。何だか印象が違うので、「豈」掲載作品と比べてみると、ずいぶん変更されている。「あとがき」を読むと「新たに編集し直した(出アバラヤ記の改稿含む)」とある。
どのように改稿されたのか。
「ふみしだく歓喜にはいまだ遠いけれど、金星のかたむく土地はうるはしく盛つてゐる。
隠者ゐてジャージ干すらむ秋の園 」(初稿)
句集では前書きは同じだが、句が次の作に変更されている。
跡形もなきところより秋めきぬ
全体を通じて詞書の部分は手直しや追加はあるが、ほぼ初稿のままである。句の方はほとんど入替えられていて、改稿というより別の作品とも受け取れる。たとえば初稿にあった「死ぬまでに出アバラヤ記書いてみやう」という句は抹消され、タイトルにだけ痕跡が残されている。
詞書と句をセットにして読むだけでなく、句を詞書から外して一句として楽しむ読み方もありだろう。あるいは、句を外して哲学的エッセイとして読んでゆくこともできる。いずれにせよ、この作品は俳句が哲学と親和的であることを証明している。
冒頭句「たぶららさ」をはじめとしてこの句集にはふだん俳句では見慣れない単語がいろいろ出てくる。表現者は誰でも自分の心の中に辞書をもっていて、テクストのなかに愛用の語を混ぜてゆく。小津の句集に書物的(ブッキッシュ)な感じがするのは、作者が読んできたおびただしい書物が背後にあるからだろう。プレテクストに基づいた作品も多いようだ。
最後の章「オンフルールの海の歌」。
オンフルールは印象派の画家たちがよく絵を描いた港町である。数年前に短時間だけ訪れたことがある。午後の陽光が建物群を照らして美しかった。エリック・サティの生家もあって、中には入れなかったが少し嬉しい気がした。
蓮喰ひ人ねむるや櫂のない小舟
蓮喰い人か。ホメロスだったかな。
プレテクストの問題。李賀の漢詩に付けた句。八田木枯を主題として詠んだ短歌など、この句集の読みどころは多い。
最後に句集のなかで最も好きな句を挙げておく。
しろながすくじらのやうにゆきずりぬ
しろながすくじらは未了性の海を泳いでいる。
(付)週刊俳句第497号(2016年10月30日)「学生特集号」を読んだ。
大林桂の福永耕二論がおもしろかった。大林とは読書会でいっしょになったことがある。ドイツ留学から帰ってきたところらしくて、現象学やハイデガーの話を少し聞いた。俳句は「鷹」に所属しているそうだ。あと、宮﨑莉々香が「私の好きな五句」について書いている。その中に「川柳的な俳句」という言い方が出てくる。何が「川柳的」かは微妙な問題であり、どうも宮﨑はオチがあるのが川柳だと考えているフシがある。宮﨑は「蝶」のなかで私も注目している若手俳人である。「蝶」は「川柳木馬」とも交流があるので、川柳にも理解があるのかと思っていたが、「莉々香よ、お前もか」と思った。「川柳的俳句」があるなら「俳句的川柳」も存在することになり、互いに自分のもっている陳腐な「俳句イメージ」「川柳イメージ」で相手を矮小化することになってしまうのだ。
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