宮城県名取市に藤原実方の墓がある。
実方は百人一首の「かくとだにえやは伊吹のさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを」の歌で知られているし、清少納言の『枕草紙』にも登場する。
『撰集抄』などのエピソードによると、実方が東山の花見に訪れたときに、にわか雨が降ってきた。実方は騒がずに木のしたに立って次の歌を詠んだ。
さくらがり雨はふり来ぬおなじくは濡るとも花の陰にくらさん 実方
実方の装束は雨に濡れたが、人々は興あることに思った。けれども、この話を聞いた藤原行成は「歌はおもしろし。実方は痴(おこ)なり」と言った。歌はおもしろいが、実方は愚かだというわけだ。そのことを実方は深く恨み、宮中で口論となり行成の冠をたたき落したという。一条天皇は「歌枕見てまいれ」といって実方を陸奥守に左遷した。
第13回宮城県連句大会に参加するために仙台を訪れた。大会前日、狩野康子氏と永渕丹氏に案内していただいて、昨年は行けなかった実方の塚を訪れることができた。
この場所には西行も訪れている。現地には「かたみの薄」も生えていた。
朽ちもせぬその名ばかりを留めておきて枯野のすすきかたみにぞ見る 西行
松尾芭蕉は実方塚のある笠嶋に行けなかった。
「おくのほそ道」には「このごろの五月雨に道いとあしく身つかれ侍れば、よそながら眺めやりて過るに」とある。
笠島はいずこ五月のぬかり道 芭蕉
さて、「宮城県連句大会」に話を移すと、この大会は最初「あやめ草連句大会」としてスタートした(『おくのほそ道』の「あやめ草足に結ばん草鞋の緒」にちなむ)。2007年に「宮城県連句大会」と名称を変え、今年で13回目になる。応募作品の形式は半歌仙で、応募された全作品を作品集に掲載する。また、作品についての選評に力を入れるのも特徴である。
大会当日配布された『第十三回宮城県連句大会作品集』から、おもしろいと思った「三句の渡り」を紹介しておく。
美人に見とれ隙間風吹き 黄木由良
足揃示し合はせて席を取る 梅村光明
ガスの元栓閉めたかしらん 由良(「アルバム」の巻)
若冲展の犬を数える 田代洋子
花の宵目つむりて聴く笙の笛 藤田とよ
春はどこからわが心から 久保田直(「小昼どき」の巻)
包帯に傷を隠して結納へ 岡部瑞枝
千葉笑して飛ばす悪行 大橋一火
月皓々一の字一気書初めす 山地春眠子(「聖母の涙」の巻)
花篝結ふては開きまた結ふよ 川野蓼艸
蜃気楼より来たと告げる児 瀬間文乃
春帽子フランスパンを横抱きに 小池舞 (「花篝」の巻)
スピード違反君の告白 中西ひろ美
クリムトの絵のようだねと笑いあい 広瀬ちえみ
棺の内に汗のびっしり 小池舞 (「春日傘」の巻)
大阪に帰って数日後、「杜人」262号が届いた。
巻頭論文「所謂現代川柳を考える」(飯島章友)。
飯島は「川柳木馬」160号の「作家群像」にも取り上げられており、評論と実作ともに充実した活躍ぶりである。「現代川柳」には「現代の川柳」という意味のほかに「革新川柳」という意味があるが、すでにそのような区別は無効になっていることを飯島は「現代川柳」以後の世代として、短歌の状況と比較しながら整理している。
「杜人」の同人作品から。
うしろから見ると金曜日のようね 広瀬ちえみ
草たちの仕事大地を隠すこと 佐藤みさ子
順番が狂いいちにちへんな顔 浮千草
麻酔切れ急に妖気になってくる 鈴木せつ子
一斉に箱を出てゆく音符たち 加藤久子
「杜人」同人の宮本めぐみの逝去を伝えている。
花言葉集めて蝶が病んでいる 宮本めぐみ
ノンフィクションの長いながい霧笛
「杜人」217号(創刊60周年記念特集)から宮本の作品をもう少し紹介しておきたい。
季が移るわたしは眼鏡拭いている 宮本めぐみ
嵐ケ丘でうろこ一枚落したり
川向こうで寄せ木細工の軋む音
この先を思うと尻尾痒くなる
熱帯夜なれば読経を繰り返す
一族の川を飛び交う蛍たち
黙約のいちにち風に縛られる
逆光を浴びて表皮を剝いでいる
2019年6月30日日曜日
2019年6月9日日曜日
諸誌逍遥 4・5・6月
×月×日
「川柳木馬」160号。「作家群像」は飯島章友篇である。飯島とは「バックストローク」「川柳カード」「川柳スパイラル」の三誌を通じてともに歩んでいるが、プロフィールの欄を読んで改めて彼の短歌歴・川柳歴を振り返ることができた。飯島は2003年ごろから東直子の「ぷらむ短歌会」に通い、2007年には「さまよえる歌人の会」に参加、2009年には「かばん」の会員となっている。川柳の方では2009年7月の「バックストローク」27号から「ウインドノーツ」(石部明選句欄)に登場している。その翌年には「短歌現代」の新人賞を受賞しているので、「短歌も作る人なんだな」と意識したことを覚えている。2012年には「川柳カード」同人、2014年の「第三回川柳木馬大会」では選者をつとめている。「川柳スープレックス」を立ち上げたのが2015年。短歌と川柳の両方にわたる人脈を生かして、多彩な顔触れによる招待作品と川柳論を掲載している。2017年から「川柳スパイラル」同人。「小遊星」のコーナーでは小津夜景・睦月都・森山文切・八上桐子・新木マコトなど話題の人を次々にゲストに迎えて対談している。
「川柳木馬」に戻ると、「作者のことば」で飯島はこんなふうに書いている。
「前衛短歌を意識した川柳を作句し始めて以来、伝統川柳の句会では入選率がぐっと下がりました。しかし、自分の好みには素直でありたい。なぜなら、私のいちばんの読者は自分自身だからであります」
最終の湾がまぶたを閉じだした 飯島章友
鶴は折りたたまれて一輪挿しに
音叉鳴る饐えゆくののにおいさせ
天帝の手紙静かなホバリング
ああ、ああ、と少女羽音をもてあます
作家論は川合大祐と清水かおりが書いている。
飯島章友は伝統川柳についても詳しいし、「風」誌には七七句も投句している。5月5日の「川柳スパイラル」東京句会の第一部〈八上桐子句集『hibi』を読む〉では牛隆佑とともに報告者をつとめた。短歌と川柳の両面で多彩な活動を続けている。
×月×日
「船団」121号が届く。特集「俳句と音楽」。
しばらく気づかなかったが、よく読むと坪内稔典の編集後記(エンジンルーム)にびっくりすることが書かれている。
「さて、船団の会は、あと一年の活動によって完結する。125号を完結号とする予定である」「活動を完結させることについては、いろんな意見が会員の間にある。それは承知の上で、この際、船団の会の活動を終え、会員は散在する」「もっとも、散在の具体的なかたちはまだ見えていない。船団の会としてはこれからの一年をかけて、散在のかたちを追求する。それはもしかしたら俳句の新しい場の模索になるかもしれない。うまく模索できないかもしれない。でも、ともかく、新しい局面に会員の個々が立つ」
「船団」はいま絶好調で、継続しようと思えば出来るのだが、そういう時期だからこそ完結したいと坪内は言う。完結後は「船団」という名は使わないということらしい。
あと一年あるので、今後会員の方々がどのような動きを見せるのか、気になるところだ。
×月×日
「豆の木」23号が届く。25周年記念号だという。もうそんなになるのか。
書架を探してみたら「豆の木」8号が出てきた。これは10周年記念号である。13号が15周年記念号、18号が20周年記念号。年一冊のペースで歩みを続けてきたわけだ。
メンバーのうち直接会ったことのある人は少ないが、何人かの方とは親疎はあるものの若干の交流がある。
連なりの薄きところも蟻の列 岡田由季
ほぼ空の大きさである初詣 小野裕三
小鳥来るための額を空けておく こしのゆみこ
寂しくて腕に刺さった蚊の一匹 近恵
言論弾圧手袋が手の代わり 田島健一
あきらめのあかるさ昼顔の真昼 月野ぽぽな
純白のマスク視界のすべての鳥 中島憲武
星月夜介護ベッドに星を置く 宮本佳世乃
こしのゆみこの旅ノートは「ベルリン・ドレスデン・ライプチッヒ紀行」。ベルリンには私も行ったことがあり、フェルメールや森鷗外記念館のことなど興味深い。フリードリヒの絵は好きだし、ベックリンの「死の島」は福永武彦の同名の小説のモチーフともなり、後ろ向きの白衣の男は水木しげるのねずみ男のヒントになったとも言われている。
×月×日
「オルガン」17号が届く。
楽鳴りがたし蜜蜂の赤い視野 田島健一
珈琲この世にまざりあう春と夜
さくらはなびら波ながら味世界
水ぬるむ指のふたつが脚のやう 鴇田智哉
竹になりかけのあかるみつつ痒く
抽斗をひけばひくほどゆがむ部屋
野と焼かれ暮れれば星として昇る 福田若之
自販機の底から蝶がまぶしくなる
山は春もういいよもうかくれない
パンジーに灰色の茎生きぬく眼 宮本佳世乃
傍点をつけ山吹のなびきたる
つぎつぎと雹ながいながい終はりに
同人が四人になったのはややさびしい感じがするが、それぞれ力のある人たちなので問題なさそうだ。座談会は〈筑紫磐井「兜太・なかはられいこ・「オルガン」を読む〉で、前編と後編の二本立て。タイトルに、なかはられいこの名がでてくるが、川柳ではなくて社会性俳句についての話題が主となっている。
福田若之が第6回与謝蕪村賞新人賞を受賞したので、福田の受賞スピーチが掲載されている。また、蕪村の句を発句としてオルガン同人のオン座六句が巻かれている。捌きは浅沼璞。
ちるはさくら落つるは花のゆふべ哉 与謝蕪村
水あをければ水ぬるむ橋 浅沼 璞
×月×日
「Stylish century 2019 トリビュート中澤系」という冊子が手に入る。
「中澤系とわたし」というテーマで21人のエッセイを収録。また、中澤系歌集に収録されている「Stylish century」の下の句(Ok,it’s the stylish century)に参加者が上の句を付けている。
この冊子は「中澤系トリビュート」が参加者をツイッターで募集して作成したもの。
倉阪鬼一郎『怖い短歌』(幻冬舎新書)にも中澤の短歌が紹介されており、この冊子にも転載されている。
先日、葉ね文庫で中澤系の蔵書の一部を見せてもらった。
×月×日
「井泉」87号。
巻頭の招待作品のコーナーに松永千秋の川柳作品が掲載されている。
お望みは瞬間接着剤ですね 松永千秋
「おしまい」と書かれて以来モグラ的
この町の春の何だかずれている
解釈は自由浮雲が二つ
大根一本まるごとジツゾンって感じ
松永千秋とは会う機会が少なくなってしまったが、自分のペースを守って川柳を書いているのがうらやましい。
リレー評論【現代短歌に欠けているもの・過剰なもの】の江田浩司が「創作と批評に過剰をこそ求めたい」という文章を書いている。
小林秀雄の松尾芭蕉批評に触れたあと、江田は「松尾芭蕉を、終生意識に置いて創作した歌人」として玉城徹を挙げている。その玉城の言葉がとても印象的だったので、ここに紹介しておきたい。
「いったい、ジャンルの分け方などというものは、便宜にすぎません。はじめにジャンルがあるわけではない。あるジャンルには、それ固有の原理とか方法が存在すると考えるのは、一種の空想です。西洋の純粋詩、純粋小説などという思想にかぶれて〈純粋短歌〉を考えてみるのは、あまり意味のないことでしょう。
結局、それは芸術上の形式主義にほかなりません。わたしも、若い日に、その迷蒙の霧の中で、道を失いかかったことがありました。一ジャンルの中に閉じこもらず、文学全体を見まわして、もっと自由に考えてゆくことが大切でありましょう」(『短歌復活のために 子規の歌論書館』)
×月×日
「川柳の仲間 旬」223号から樹萄らきの作品を紹介する。
枯れてゆくとき花はいつでも強気 樹萄らき
無気味な笑顔 え 素顔なんですけど
視線を外すキミは勝ったと思うよね
「川柳木馬」160号。「作家群像」は飯島章友篇である。飯島とは「バックストローク」「川柳カード」「川柳スパイラル」の三誌を通じてともに歩んでいるが、プロフィールの欄を読んで改めて彼の短歌歴・川柳歴を振り返ることができた。飯島は2003年ごろから東直子の「ぷらむ短歌会」に通い、2007年には「さまよえる歌人の会」に参加、2009年には「かばん」の会員となっている。川柳の方では2009年7月の「バックストローク」27号から「ウインドノーツ」(石部明選句欄)に登場している。その翌年には「短歌現代」の新人賞を受賞しているので、「短歌も作る人なんだな」と意識したことを覚えている。2012年には「川柳カード」同人、2014年の「第三回川柳木馬大会」では選者をつとめている。「川柳スープレックス」を立ち上げたのが2015年。短歌と川柳の両方にわたる人脈を生かして、多彩な顔触れによる招待作品と川柳論を掲載している。2017年から「川柳スパイラル」同人。「小遊星」のコーナーでは小津夜景・睦月都・森山文切・八上桐子・新木マコトなど話題の人を次々にゲストに迎えて対談している。
「川柳木馬」に戻ると、「作者のことば」で飯島はこんなふうに書いている。
「前衛短歌を意識した川柳を作句し始めて以来、伝統川柳の句会では入選率がぐっと下がりました。しかし、自分の好みには素直でありたい。なぜなら、私のいちばんの読者は自分自身だからであります」
最終の湾がまぶたを閉じだした 飯島章友
鶴は折りたたまれて一輪挿しに
音叉鳴る饐えゆくののにおいさせ
天帝の手紙静かなホバリング
ああ、ああ、と少女羽音をもてあます
作家論は川合大祐と清水かおりが書いている。
飯島章友は伝統川柳についても詳しいし、「風」誌には七七句も投句している。5月5日の「川柳スパイラル」東京句会の第一部〈八上桐子句集『hibi』を読む〉では牛隆佑とともに報告者をつとめた。短歌と川柳の両面で多彩な活動を続けている。
×月×日
「船団」121号が届く。特集「俳句と音楽」。
しばらく気づかなかったが、よく読むと坪内稔典の編集後記(エンジンルーム)にびっくりすることが書かれている。
「さて、船団の会は、あと一年の活動によって完結する。125号を完結号とする予定である」「活動を完結させることについては、いろんな意見が会員の間にある。それは承知の上で、この際、船団の会の活動を終え、会員は散在する」「もっとも、散在の具体的なかたちはまだ見えていない。船団の会としてはこれからの一年をかけて、散在のかたちを追求する。それはもしかしたら俳句の新しい場の模索になるかもしれない。うまく模索できないかもしれない。でも、ともかく、新しい局面に会員の個々が立つ」
「船団」はいま絶好調で、継続しようと思えば出来るのだが、そういう時期だからこそ完結したいと坪内は言う。完結後は「船団」という名は使わないということらしい。
あと一年あるので、今後会員の方々がどのような動きを見せるのか、気になるところだ。
×月×日
「豆の木」23号が届く。25周年記念号だという。もうそんなになるのか。
書架を探してみたら「豆の木」8号が出てきた。これは10周年記念号である。13号が15周年記念号、18号が20周年記念号。年一冊のペースで歩みを続けてきたわけだ。
メンバーのうち直接会ったことのある人は少ないが、何人かの方とは親疎はあるものの若干の交流がある。
連なりの薄きところも蟻の列 岡田由季
ほぼ空の大きさである初詣 小野裕三
小鳥来るための額を空けておく こしのゆみこ
寂しくて腕に刺さった蚊の一匹 近恵
言論弾圧手袋が手の代わり 田島健一
あきらめのあかるさ昼顔の真昼 月野ぽぽな
純白のマスク視界のすべての鳥 中島憲武
星月夜介護ベッドに星を置く 宮本佳世乃
こしのゆみこの旅ノートは「ベルリン・ドレスデン・ライプチッヒ紀行」。ベルリンには私も行ったことがあり、フェルメールや森鷗外記念館のことなど興味深い。フリードリヒの絵は好きだし、ベックリンの「死の島」は福永武彦の同名の小説のモチーフともなり、後ろ向きの白衣の男は水木しげるのねずみ男のヒントになったとも言われている。
×月×日
「オルガン」17号が届く。
楽鳴りがたし蜜蜂の赤い視野 田島健一
珈琲この世にまざりあう春と夜
さくらはなびら波ながら味世界
水ぬるむ指のふたつが脚のやう 鴇田智哉
竹になりかけのあかるみつつ痒く
抽斗をひけばひくほどゆがむ部屋
野と焼かれ暮れれば星として昇る 福田若之
自販機の底から蝶がまぶしくなる
山は春もういいよもうかくれない
パンジーに灰色の茎生きぬく眼 宮本佳世乃
傍点をつけ山吹のなびきたる
つぎつぎと雹ながいながい終はりに
同人が四人になったのはややさびしい感じがするが、それぞれ力のある人たちなので問題なさそうだ。座談会は〈筑紫磐井「兜太・なかはられいこ・「オルガン」を読む〉で、前編と後編の二本立て。タイトルに、なかはられいこの名がでてくるが、川柳ではなくて社会性俳句についての話題が主となっている。
福田若之が第6回与謝蕪村賞新人賞を受賞したので、福田の受賞スピーチが掲載されている。また、蕪村の句を発句としてオルガン同人のオン座六句が巻かれている。捌きは浅沼璞。
ちるはさくら落つるは花のゆふべ哉 与謝蕪村
水あをければ水ぬるむ橋 浅沼 璞
×月×日
「Stylish century 2019 トリビュート中澤系」という冊子が手に入る。
「中澤系とわたし」というテーマで21人のエッセイを収録。また、中澤系歌集に収録されている「Stylish century」の下の句(Ok,it’s the stylish century)に参加者が上の句を付けている。
この冊子は「中澤系トリビュート」が参加者をツイッターで募集して作成したもの。
倉阪鬼一郎『怖い短歌』(幻冬舎新書)にも中澤の短歌が紹介されており、この冊子にも転載されている。
先日、葉ね文庫で中澤系の蔵書の一部を見せてもらった。
×月×日
「井泉」87号。
巻頭の招待作品のコーナーに松永千秋の川柳作品が掲載されている。
お望みは瞬間接着剤ですね 松永千秋
「おしまい」と書かれて以来モグラ的
この町の春の何だかずれている
解釈は自由浮雲が二つ
大根一本まるごとジツゾンって感じ
松永千秋とは会う機会が少なくなってしまったが、自分のペースを守って川柳を書いているのがうらやましい。
リレー評論【現代短歌に欠けているもの・過剰なもの】の江田浩司が「創作と批評に過剰をこそ求めたい」という文章を書いている。
小林秀雄の松尾芭蕉批評に触れたあと、江田は「松尾芭蕉を、終生意識に置いて創作した歌人」として玉城徹を挙げている。その玉城の言葉がとても印象的だったので、ここに紹介しておきたい。
「いったい、ジャンルの分け方などというものは、便宜にすぎません。はじめにジャンルがあるわけではない。あるジャンルには、それ固有の原理とか方法が存在すると考えるのは、一種の空想です。西洋の純粋詩、純粋小説などという思想にかぶれて〈純粋短歌〉を考えてみるのは、あまり意味のないことでしょう。
結局、それは芸術上の形式主義にほかなりません。わたしも、若い日に、その迷蒙の霧の中で、道を失いかかったことがありました。一ジャンルの中に閉じこもらず、文学全体を見まわして、もっと自由に考えてゆくことが大切でありましょう」(『短歌復活のために 子規の歌論書館』)
×月×日
「川柳の仲間 旬」223号から樹萄らきの作品を紹介する。
枯れてゆくとき花はいつでも強気 樹萄らき
無気味な笑顔 え 素顔なんですけど
視線を外すキミは勝ったと思うよね
2019年5月18日土曜日
文フリ東京ー「外出」と「て、わた し」
5月6日文フリ東京で手に入ったものの中からふたつ紹介する。
「外出」創刊号。
内山晶太・染野太朗・花山周子・平岡直子の四人による32ページの冊子。グリーンの表紙が美しい。各15首の短歌とそれぞれの文章が付いている。文語短歌が多いが、平岡直子だけが口語短歌である。
内出血できれいでとても冷たいね宝石と鳥わからないのね 平岡直子
夕暮れの皇居をまわるランナーはだんだん小さくなる気がしない?
女の子を裏返したら草原で草原がつながっていればいいのに
東京のうえにはちょうど東京のかたちの雲がかぶさっている
文章では染野太朗が飯田有子を、平岡直子が永井祐と宝川踊を、内山晶太が森岡貞香を取り上げている。花山周子のは小説?
女子だけが集められた日パラシュート部隊のように膝を抱えて 飯田有子
引き算のうちはよくてもかけ算とわり算でまずしくなっていく 永井祐
戦争はきっと西友みたいな有線がかかっていて透明だよ 宝川踊
宝川の歌は「率」10号からだが、彼は今どうしてるんだろう。
「て、わた し」6号。
海外詩を独自の視点から紹介している雑誌で、発行人は山口勲。
特集「生きづらさを越えて生きる」。
毎号、日本の表現者の作品と海外の詩人の作品を取り合わせて編集されている。
今回は、
成宮アイコ×ロレステリー・ペーニャ・ソラーノ(ドミニカの詩人)
荒木田慧×余秀華(中国の詩人)
鳥居×クリストファー・ソト(アメリカの詩人)
の三組。
全部は紹介しきれないが、詩の一節だけ引用する。
ちゃんとみんなずるくて
こんな世界で生きている
伝説にならないで (成宮アイコ「伝説にならないで」)
私の居場所は鳥のいない空や
獣のいない森ではないし、
歴史書に住んでいるわけでもなく
まして「偉大な男」の
伝記の余白の線でもない (ソラーノ「虚栄」、訳・大崎清夏)
一部の引用だけでは分かりにくいので、ご関心のある方は本誌をお読みいただきたい。
山口勲は「川柳スパイラル」5号掲載の「語り手の声が聞こえる詩」で次のように述べている。
「私が今回紹介したものは必ずしも『詩的』ではないのかもしれません。作品と人を切り離すべきだという考えから外れた前近代的な捉え方かもしれません。けれども、様々な怒りを通過した作品は近代日本が経験した言文一致とも通じ、声を通すことで社会や自分自身の生活と深く結びつく二十一世紀の文学だと信じています」
作品と作者の関係については作品評価の文脈やスタンスによってさまざまな考え方ができると思うが、現実のさまざまな問題(「て、わた し」の今号では「生きづらさ」)に対するアンテナの感度を高めておくことが必要だろう。
最後に鳥居の短歌から二首。
生きづらさという言葉の流行るさまかすり傷負ふごとく聴きをり 鳥居
称賛がなければ生きていけぬ身となり果て夜の人舎に舞へり
「外出」創刊号。
内山晶太・染野太朗・花山周子・平岡直子の四人による32ページの冊子。グリーンの表紙が美しい。各15首の短歌とそれぞれの文章が付いている。文語短歌が多いが、平岡直子だけが口語短歌である。
内出血できれいでとても冷たいね宝石と鳥わからないのね 平岡直子
夕暮れの皇居をまわるランナーはだんだん小さくなる気がしない?
女の子を裏返したら草原で草原がつながっていればいいのに
東京のうえにはちょうど東京のかたちの雲がかぶさっている
文章では染野太朗が飯田有子を、平岡直子が永井祐と宝川踊を、内山晶太が森岡貞香を取り上げている。花山周子のは小説?
女子だけが集められた日パラシュート部隊のように膝を抱えて 飯田有子
引き算のうちはよくてもかけ算とわり算でまずしくなっていく 永井祐
戦争はきっと西友みたいな有線がかかっていて透明だよ 宝川踊
宝川の歌は「率」10号からだが、彼は今どうしてるんだろう。
「て、わた し」6号。
海外詩を独自の視点から紹介している雑誌で、発行人は山口勲。
特集「生きづらさを越えて生きる」。
毎号、日本の表現者の作品と海外の詩人の作品を取り合わせて編集されている。
今回は、
成宮アイコ×ロレステリー・ペーニャ・ソラーノ(ドミニカの詩人)
荒木田慧×余秀華(中国の詩人)
鳥居×クリストファー・ソト(アメリカの詩人)
の三組。
全部は紹介しきれないが、詩の一節だけ引用する。
ちゃんとみんなずるくて
こんな世界で生きている
伝説にならないで (成宮アイコ「伝説にならないで」)
私の居場所は鳥のいない空や
獣のいない森ではないし、
歴史書に住んでいるわけでもなく
まして「偉大な男」の
伝記の余白の線でもない (ソラーノ「虚栄」、訳・大崎清夏)
一部の引用だけでは分かりにくいので、ご関心のある方は本誌をお読みいただきたい。
山口勲は「川柳スパイラル」5号掲載の「語り手の声が聞こえる詩」で次のように述べている。
「私が今回紹介したものは必ずしも『詩的』ではないのかもしれません。作品と人を切り離すべきだという考えから外れた前近代的な捉え方かもしれません。けれども、様々な怒りを通過した作品は近代日本が経験した言文一致とも通じ、声を通すことで社会や自分自身の生活と深く結びつく二十一世紀の文学だと信じています」
作品と作者の関係については作品評価の文脈やスタンスによってさまざまな考え方ができると思うが、現実のさまざまな問題(「て、わた し」の今号では「生きづらさ」)に対するアンテナの感度を高めておくことが必要だろう。
最後に鳥居の短歌から二首。
生きづらさという言葉の流行るさまかすり傷負ふごとく聴きをり 鳥居
称賛がなければ生きていけぬ身となり果て夜の人舎に舞へり
2019年5月12日日曜日
句集の時代 ―『hibi』と『補遺』
「川柳は〈読みの時代〉がはじまった」と石田柊馬が言ったのは10年以前のことだが、「読みの時代の次は何の時代ですか」と私が尋ねたところ、石田は「句集の時代かな」と答えたことがある。
いま石田柊馬の予言が現実になりつつある。単に川柳句集の出版が増えてきたというだけではない。句集一冊によって作品を世に問い、純粋読者の手に届くようなかたちで句集が発行されたり、句集の発行によって川柳活動をスタートさせる川柳人が登場してきたのである。
八上桐子の句集『hibi』(港の人)は昨年1月に初版が発行され完売した。川柳句集は発行されても知友への贈呈が主となるが、『hibi』の場合は一般の純粋読者が多く購入したことになる。今年4月に第2刷が増刷されたから、さらに広い読者に届いてゆくだろう。
先日5月5日に『hibi』の句評会が東京・王子の「北とぴあ」で開催された。
報告者は牛隆佑・飯島章友の二人だが、参加者がそれぞれ句集の感想を語り合ったので、句評会というよりは句集の読書会のようなものになった。
牛隆佑はかつて「葉ね文庫」の壁の展示で、八上桐子(川柳)と升田学(針金アート)のコラボを手がけたことがある。このときの集まりは八上が句集出版を決意するきっかけともなったので、彼は八上の作品については知悉している。
牛はまず句集の中で同じ語が頻出することを指摘した。「風」「夜」「鳥」「闇」「泡」「魚」「家」「骨」「海」「舟」「夢」「川」「みずうみ」などである。しかし、同じ語の繰り返しによって作品が単調になるというのではない。他の語との距離感によって、頻出語もそのたびに言葉の様相を変化させている、と彼は指摘する。たとえば「夜」の句では次の例のように、「石と夜」「踵・肘(身体)と夜」「鳥と夜」「おとうとと夜」「鯨と夜」「夜と水」というように他の語と組み合わせることによって、「夜」のニュアンスが微妙に異なった相貌を見せてゆく。
石を積む夜が崩れてこないよう 八上桐子
踵やら肘やら夜の裂け目から
向き合ってきれいに鳥を食べる夜
おとうとはとうとう夜の大きさに
からだしかなくて鯨の夜になる
もう夜を寝かしつけたのかしら水
牛は「水」のキーワードについて、「常に強く結びついた組み合わせ(固体)でもなければ、完全に切り離されたもの(気体)でもない。(遠近自在の)距離でそれぞれの語がつながっている」と述べた。
飯島章友は早くから八上桐子を評価してきたひとりである。「川柳スパイラル」4号でも八上と対談している、飯島は八上の句集を「表記・形状・音の類似関係からの発想」「双方向の喩的関係」「世界ふしぎ再発見」「他者・男との距離感」「苦しい『夜』と救いの『水』」という観点から詳しく分析した。たとえば「世界ふしぎ再発見」では、当たり前のことを見つめ直す句として次のような作品が挙げられた。
鳥は目を瞑って空を閉じました 八上桐子
夕暮れがギターケースにしまわれる
たんたんと等身大にする床屋
片陰のすっとからだに戻る影
灯台の8秒毎にくる痛み
また水については「水を 夜をうすめる水をください」を例に、話者にとって夜は、水で薄めないと苦しい存在で、逆にいうと話者にとって水は、救いの存在といえるのではないか、と指摘した。
当日は出版元の「港の人」も参加、増刷されたばかりの『hibi』が販売され、花束の贈呈もあった。
もう一冊、5月に発行されたばかりの句集を紹介する。
暮田真名の第一句集『補遺』(発行者・竹林樹)が上梓された。
暮田は2017年に川柳実作をはじめ、これまでネットプリント「当たり」や川柳誌「川柳スパイラル」に作品を発表してきた。句集にはこの二年間の181句が収録されている。
印鑑の自壊 眠れば十二月 暮田真名
永訣のうしろに錫が落ちている
調律をしても心が痛まない
いけにえにフリルがあって恥ずかしい
夢心地のまま漏えいしています
忌引きです おいしくなって会いにいく
私が暮田の句に注目した最初は「いけにえにフリルがあって恥ずかしい」によってだったが、それぞれの読者によって好みの作品は異なることだろう。
「OD寿司」という章があり23句が掲載されている。「寿司」の題詠とも思われるが、ひとつの題で多彩な作品を書くことができるのは作者の実力を示している。
スコールに打たれていても寿司がいい 暮田真名
寿司ひとつ握らずなにが銅鐸だ
寿司なんだ君には琴に聴こえても
音楽史上で繰り返される寿司
寿司を縫う人は帰ってくれないか
アサガオに寿司を見せびらかしていい?
『補遺』は100冊作ったというが、先日の文フリ東京で完売、発行者には増刷の用意があることと思う。
文フリでは『補遺』と同時に『当たり』総集編も販売された。ネットプリントでvol.1~vol.10が発行されていて、私もそのつどコンビニで打ち出してきたが、ネプリというのは散逸しやすいから、こうして一冊にまとめられると読むにも保存にも便利である。
シジミチョウなぐさめようとして初犯 暮田真名
共食いなのに夜が明けない
見晴らしが良くて余罪が増えてゆく
万力を抱いて眠った七日間
こんばんは天地無用の子供たち
ちなみに、最近読んだネプリからふたつ紹介しよう。
まず「第三滑走路」6号(5月1日)から。
光り続ける僕たちの密室論/世界すべてを映し出すシネマ 青松輝
天使、と言えば呼ばれたと思った子どもは水の裏に隠れた 丸田洋渡
区役所にいこう 用件を済ませてはやく夜桜でも観にいこう 森慎太郎
妻でなく麦 ははあっと気がついて文意が通る お馬も通る 森慎太郎
手続きが煩雑なのがわるい、よね?桜は散るからうつくしい、よね? 森慎太郎
もうひとつ「MITASASA」6号(5月2日発行)から。
ずっと神の救いを待ってるんですがちゃんとオーダー通ってますか 三田三郎
これいじょう、ゆくりあるくん、ふしぜんで、そのまえにおさまるきもちが、多賀盛剛
にんげんをテーブルにたたきつけたとき、こわれないほうがプロレスラー 多賀盛剛
笹川諒の詩は長いので引用できないが、一部分だけだと「執着はさわやかな巫女の姿で/橋を/渡ってゆく/ゆるく、はずれてゆく」。
増刷された『hibi』は書店や通販で手に入るし、『補遺』の方も同様である。梅田蔦屋書店では川柳のコーナーに『hibi』と『補遺』が並べられている。いま旬の川柳句集だろう。これらの句集を入り口として、現代川柳の世界が読者の方々に親しいものになってゆけばいいなと思っている。作品と読者をつなぐ通路が必要だ。
いま石田柊馬の予言が現実になりつつある。単に川柳句集の出版が増えてきたというだけではない。句集一冊によって作品を世に問い、純粋読者の手に届くようなかたちで句集が発行されたり、句集の発行によって川柳活動をスタートさせる川柳人が登場してきたのである。
八上桐子の句集『hibi』(港の人)は昨年1月に初版が発行され完売した。川柳句集は発行されても知友への贈呈が主となるが、『hibi』の場合は一般の純粋読者が多く購入したことになる。今年4月に第2刷が増刷されたから、さらに広い読者に届いてゆくだろう。
先日5月5日に『hibi』の句評会が東京・王子の「北とぴあ」で開催された。
報告者は牛隆佑・飯島章友の二人だが、参加者がそれぞれ句集の感想を語り合ったので、句評会というよりは句集の読書会のようなものになった。
牛隆佑はかつて「葉ね文庫」の壁の展示で、八上桐子(川柳)と升田学(針金アート)のコラボを手がけたことがある。このときの集まりは八上が句集出版を決意するきっかけともなったので、彼は八上の作品については知悉している。
牛はまず句集の中で同じ語が頻出することを指摘した。「風」「夜」「鳥」「闇」「泡」「魚」「家」「骨」「海」「舟」「夢」「川」「みずうみ」などである。しかし、同じ語の繰り返しによって作品が単調になるというのではない。他の語との距離感によって、頻出語もそのたびに言葉の様相を変化させている、と彼は指摘する。たとえば「夜」の句では次の例のように、「石と夜」「踵・肘(身体)と夜」「鳥と夜」「おとうとと夜」「鯨と夜」「夜と水」というように他の語と組み合わせることによって、「夜」のニュアンスが微妙に異なった相貌を見せてゆく。
石を積む夜が崩れてこないよう 八上桐子
踵やら肘やら夜の裂け目から
向き合ってきれいに鳥を食べる夜
おとうとはとうとう夜の大きさに
からだしかなくて鯨の夜になる
もう夜を寝かしつけたのかしら水
牛は「水」のキーワードについて、「常に強く結びついた組み合わせ(固体)でもなければ、完全に切り離されたもの(気体)でもない。(遠近自在の)距離でそれぞれの語がつながっている」と述べた。
飯島章友は早くから八上桐子を評価してきたひとりである。「川柳スパイラル」4号でも八上と対談している、飯島は八上の句集を「表記・形状・音の類似関係からの発想」「双方向の喩的関係」「世界ふしぎ再発見」「他者・男との距離感」「苦しい『夜』と救いの『水』」という観点から詳しく分析した。たとえば「世界ふしぎ再発見」では、当たり前のことを見つめ直す句として次のような作品が挙げられた。
鳥は目を瞑って空を閉じました 八上桐子
夕暮れがギターケースにしまわれる
たんたんと等身大にする床屋
片陰のすっとからだに戻る影
灯台の8秒毎にくる痛み
また水については「水を 夜をうすめる水をください」を例に、話者にとって夜は、水で薄めないと苦しい存在で、逆にいうと話者にとって水は、救いの存在といえるのではないか、と指摘した。
当日は出版元の「港の人」も参加、増刷されたばかりの『hibi』が販売され、花束の贈呈もあった。
もう一冊、5月に発行されたばかりの句集を紹介する。
暮田真名の第一句集『補遺』(発行者・竹林樹)が上梓された。
暮田は2017年に川柳実作をはじめ、これまでネットプリント「当たり」や川柳誌「川柳スパイラル」に作品を発表してきた。句集にはこの二年間の181句が収録されている。
印鑑の自壊 眠れば十二月 暮田真名
永訣のうしろに錫が落ちている
調律をしても心が痛まない
いけにえにフリルがあって恥ずかしい
夢心地のまま漏えいしています
忌引きです おいしくなって会いにいく
私が暮田の句に注目した最初は「いけにえにフリルがあって恥ずかしい」によってだったが、それぞれの読者によって好みの作品は異なることだろう。
「OD寿司」という章があり23句が掲載されている。「寿司」の題詠とも思われるが、ひとつの題で多彩な作品を書くことができるのは作者の実力を示している。
スコールに打たれていても寿司がいい 暮田真名
寿司ひとつ握らずなにが銅鐸だ
寿司なんだ君には琴に聴こえても
音楽史上で繰り返される寿司
寿司を縫う人は帰ってくれないか
アサガオに寿司を見せびらかしていい?
『補遺』は100冊作ったというが、先日の文フリ東京で完売、発行者には増刷の用意があることと思う。
文フリでは『補遺』と同時に『当たり』総集編も販売された。ネットプリントでvol.1~vol.10が発行されていて、私もそのつどコンビニで打ち出してきたが、ネプリというのは散逸しやすいから、こうして一冊にまとめられると読むにも保存にも便利である。
シジミチョウなぐさめようとして初犯 暮田真名
共食いなのに夜が明けない
見晴らしが良くて余罪が増えてゆく
万力を抱いて眠った七日間
こんばんは天地無用の子供たち
ちなみに、最近読んだネプリからふたつ紹介しよう。
まず「第三滑走路」6号(5月1日)から。
光り続ける僕たちの密室論/世界すべてを映し出すシネマ 青松輝
天使、と言えば呼ばれたと思った子どもは水の裏に隠れた 丸田洋渡
区役所にいこう 用件を済ませてはやく夜桜でも観にいこう 森慎太郎
妻でなく麦 ははあっと気がついて文意が通る お馬も通る 森慎太郎
手続きが煩雑なのがわるい、よね?桜は散るからうつくしい、よね? 森慎太郎
もうひとつ「MITASASA」6号(5月2日発行)から。
ずっと神の救いを待ってるんですがちゃんとオーダー通ってますか 三田三郎
これいじょう、ゆくりあるくん、ふしぜんで、そのまえにおさまるきもちが、多賀盛剛
にんげんをテーブルにたたきつけたとき、こわれないほうがプロレスラー 多賀盛剛
笹川諒の詩は長いので引用できないが、一部分だけだと「執着はさわやかな巫女の姿で/橋を/渡ってゆく/ゆるく、はずれてゆく」。
増刷された『hibi』は書店や通販で手に入るし、『補遺』の方も同様である。梅田蔦屋書店では川柳のコーナーに『hibi』と『補遺』が並べられている。いま旬の川柳句集だろう。これらの句集を入り口として、現代川柳の世界が読者の方々に親しいものになってゆけばいいなと思っている。作品と読者をつなぐ通路が必要だ。
2019年4月30日火曜日
『hibi』を読む日々
×月×日
映画館で「野田版シネカブキ 桜の森の満開の下」を見る。
坂口安吾の作品をもとに野田秀樹が『贋作 桜の森の満開の下』として書いた作品をさらに歌舞伎化したもの。タイトルは「桜の森の満開の下」だが、ストーリー自体は『夜長姫と耳男』の話である。
安吾の原作も読んでみたが、原作の方が深い。野田版はスペクタクルとして見せなければならないのでドタバタするのはやむを得ないのだろう。『吹雪物語』をまだ読んでいなかったので図書館で借りたが、途中で挫折。安吾がもだえ苦しんでいることが伝わってくる観念小説。「暗さは退屈だ」という一節が収穫。
今年の11月には「国民文化祭にいがた2019」が開催されるので新潟の「安吾 風の館」に行ってみたい。
映画を見たあとは桜の宮で現実の桜花の下を散策する。
×月×日
大阪連句懇話会で「短句七七句と自由律」の話をする。
十四字の話は今まで何度もしてきて、古くは「連句協会報」(平成14年2月)に「十四字とは何か」を掲載しているし、拙著『蕩尽の文芸』にも「『十四字』の可能性」という章がある。
「かぜひきたまふ声のうつくし」(越人)は私のもっとも愛唱する付句で、「うつくしい咳につながる間違い電話」という拙句を作ったこともある。
連句には短句と雑(無季)の句があることを改めて意識する。
(飯島章友が「川柳作家による短句フリーペーパー」を作ると言っていて、5月5日の東京句会と5月6日の文フリ東京で配付予定。参加者は飯島章友・石川聡・いなだ豆乃助・大川崇譜・川合大祐・暮田真名・小池正博・本間かもせりの8名で各5句掲載。)
×月×日
『現実のクリストファー・ロビン 瀬戸夏子ノート2009-2017』(書肆子午線)を読む。
瀬戸夏子の名をはじめて聞いたのは正岡豊に「町」を見せてもらったときだった。短歌で新しいと思うことはあまりないが、瀬戸夏子のやっていることは新しい、と正岡は言った。「町」創刊号の「すべてが可能なわたしの家で」だったと思う。
大阪グランフロントの紀伊国屋で短歌フェアがあったとき『そのなかに心臓をつくって住みなさい』を買った。この歌集では、残念ながら「すべてが可能なわたしの家で」は太字の部分が不明瞭で本来の意図がわかりにくい。
あと、「率」3号の表紙がおもしろいなと思ったことが記憶にある。
大阪で「川柳フリマ」が開催されたあと、カルチャーショックを受けた私は川柳でも同じようなイベントができないかと思った。そのころ開催されたイベント「大阪短歌チョップ」からも刺激を受けたので、文フリとは規模が違うが「川柳フリマ」を開催することにした。でっちあげたと言った方がいいかな。川柳マガジンや邑書林、あざみエージェントなどに声をかけて「現代川柳ヒストリア+川柳フリマ」(2015年5月)と銘打って川柳句集を並べた。
ネットで案内を発信すると、瀬戸夏子が参加を申し込んできた。びっくり仰天しましたね。
瀬戸は翌年の「第二回川柳フリマ」にも来てくれたし、文フリでよく顔を合わせるようになった。その延長線上で、「瀬戸夏子は川柳を荒らすな」(2017年5月)というイベントを中野サンプラザで開催したが、このタイトルはインパクトをねらったもので、彼女をバッシングするようなものではまったくない。このときは歌人にもたくさん参加していただいた。
恐い人のようなイメージが強いが、川柳に対して彼女は謙虚だった。ずっと思っていたのは、彼女は川柳に対してなぜこんなに好意的なんだろう、ということだった。
その答らしきものが本書の川柳に触れた部分からうかがえる。
5月5日の「川柳スパイラル」東京句会では瀬戸夏子を選者に招いている。『現実のクリストファー・ロビン』もそのとき販売されるようなので、まだお読みになっていない方はこの機会に。
×月×日
このところ和歌山に行くことが増えて、このお城の見える町に親しみができてきた。
県民文化会館で「連句とぴあ和歌山 はじめての人のための連句会」を開く。
簡単な解説と連句の生命線である三句の渡りについて説明。そのあとワークショップをやり、8句ほど付け進める。
和歌山城天守閣の見える喫茶店で歓談。お一人が八上桐子句集『hibi』を鞄から取り出したので、見せていただくと付箋がいっぱいついている。葉ね文庫でお求めになったようだ。読者の存在はありがたい。
和歌山ラーメンと居酒屋にもずいぶん詳しくなってきた。
×月×日
連句誌「みしみし」創刊号(みしみし舎)が届く。
「みしみし」でネット連句を展開している三島ゆかりが紙媒体で発行したものだ。
歌仙が二巻とその評釈のほか、連衆作品として短歌、俳句、川柳などが掲載されている。
淡水と海水混じる春の水 岡田由季
名を問へば答へてくるるひととゐて、あの鳥は何?あの赤き実は? 田中槐
連載が終わるこんにゃく業界誌 川合大祐
枕木にすみれ運転士は知らない 大塚凱
葉桜や丸善めざし芥川 媚庵
自転車に乗って笛吹く郵便屋 岡本遊凪
船酔ひのやうなブーツとなつてゐる 三島ゆかり
「川柳スパイラル」東京句会には連衆の何人か参加予定。「みしみし」も販売される。
×月×日
第23回えひめ俵口全国連句大会に参加のため、松山に行った。大会前日、川柳グループGOKENのメンバー数人とお話する機会があった。俳都松山と言われるが、松山は川柳も連句も盛んな地である。強力な連句精神がこの都市にも生きていることは心強い。
連句大会がすんだので、これから5月5日の〈八上桐子句集『hibi』読む〉の準備に専念する。当日は「港の人」による句集の販売もある。
暮田真名の句集『補遺』もできたようなので、こちらも読むのが楽しみだ。
映画館で「野田版シネカブキ 桜の森の満開の下」を見る。
坂口安吾の作品をもとに野田秀樹が『贋作 桜の森の満開の下』として書いた作品をさらに歌舞伎化したもの。タイトルは「桜の森の満開の下」だが、ストーリー自体は『夜長姫と耳男』の話である。
安吾の原作も読んでみたが、原作の方が深い。野田版はスペクタクルとして見せなければならないのでドタバタするのはやむを得ないのだろう。『吹雪物語』をまだ読んでいなかったので図書館で借りたが、途中で挫折。安吾がもだえ苦しんでいることが伝わってくる観念小説。「暗さは退屈だ」という一節が収穫。
今年の11月には「国民文化祭にいがた2019」が開催されるので新潟の「安吾 風の館」に行ってみたい。
映画を見たあとは桜の宮で現実の桜花の下を散策する。
×月×日
大阪連句懇話会で「短句七七句と自由律」の話をする。
十四字の話は今まで何度もしてきて、古くは「連句協会報」(平成14年2月)に「十四字とは何か」を掲載しているし、拙著『蕩尽の文芸』にも「『十四字』の可能性」という章がある。
「かぜひきたまふ声のうつくし」(越人)は私のもっとも愛唱する付句で、「うつくしい咳につながる間違い電話」という拙句を作ったこともある。
連句には短句と雑(無季)の句があることを改めて意識する。
(飯島章友が「川柳作家による短句フリーペーパー」を作ると言っていて、5月5日の東京句会と5月6日の文フリ東京で配付予定。参加者は飯島章友・石川聡・いなだ豆乃助・大川崇譜・川合大祐・暮田真名・小池正博・本間かもせりの8名で各5句掲載。)
×月×日
『現実のクリストファー・ロビン 瀬戸夏子ノート2009-2017』(書肆子午線)を読む。
瀬戸夏子の名をはじめて聞いたのは正岡豊に「町」を見せてもらったときだった。短歌で新しいと思うことはあまりないが、瀬戸夏子のやっていることは新しい、と正岡は言った。「町」創刊号の「すべてが可能なわたしの家で」だったと思う。
大阪グランフロントの紀伊国屋で短歌フェアがあったとき『そのなかに心臓をつくって住みなさい』を買った。この歌集では、残念ながら「すべてが可能なわたしの家で」は太字の部分が不明瞭で本来の意図がわかりにくい。
あと、「率」3号の表紙がおもしろいなと思ったことが記憶にある。
大阪で「川柳フリマ」が開催されたあと、カルチャーショックを受けた私は川柳でも同じようなイベントができないかと思った。そのころ開催されたイベント「大阪短歌チョップ」からも刺激を受けたので、文フリとは規模が違うが「川柳フリマ」を開催することにした。でっちあげたと言った方がいいかな。川柳マガジンや邑書林、あざみエージェントなどに声をかけて「現代川柳ヒストリア+川柳フリマ」(2015年5月)と銘打って川柳句集を並べた。
ネットで案内を発信すると、瀬戸夏子が参加を申し込んできた。びっくり仰天しましたね。
瀬戸は翌年の「第二回川柳フリマ」にも来てくれたし、文フリでよく顔を合わせるようになった。その延長線上で、「瀬戸夏子は川柳を荒らすな」(2017年5月)というイベントを中野サンプラザで開催したが、このタイトルはインパクトをねらったもので、彼女をバッシングするようなものではまったくない。このときは歌人にもたくさん参加していただいた。
恐い人のようなイメージが強いが、川柳に対して彼女は謙虚だった。ずっと思っていたのは、彼女は川柳に対してなぜこんなに好意的なんだろう、ということだった。
その答らしきものが本書の川柳に触れた部分からうかがえる。
5月5日の「川柳スパイラル」東京句会では瀬戸夏子を選者に招いている。『現実のクリストファー・ロビン』もそのとき販売されるようなので、まだお読みになっていない方はこの機会に。
×月×日
このところ和歌山に行くことが増えて、このお城の見える町に親しみができてきた。
県民文化会館で「連句とぴあ和歌山 はじめての人のための連句会」を開く。
簡単な解説と連句の生命線である三句の渡りについて説明。そのあとワークショップをやり、8句ほど付け進める。
和歌山城天守閣の見える喫茶店で歓談。お一人が八上桐子句集『hibi』を鞄から取り出したので、見せていただくと付箋がいっぱいついている。葉ね文庫でお求めになったようだ。読者の存在はありがたい。
和歌山ラーメンと居酒屋にもずいぶん詳しくなってきた。
×月×日
連句誌「みしみし」創刊号(みしみし舎)が届く。
「みしみし」でネット連句を展開している三島ゆかりが紙媒体で発行したものだ。
歌仙が二巻とその評釈のほか、連衆作品として短歌、俳句、川柳などが掲載されている。
淡水と海水混じる春の水 岡田由季
名を問へば答へてくるるひととゐて、あの鳥は何?あの赤き実は? 田中槐
連載が終わるこんにゃく業界誌 川合大祐
枕木にすみれ運転士は知らない 大塚凱
葉桜や丸善めざし芥川 媚庵
自転車に乗って笛吹く郵便屋 岡本遊凪
船酔ひのやうなブーツとなつてゐる 三島ゆかり
「川柳スパイラル」東京句会には連衆の何人か参加予定。「みしみし」も販売される。
×月×日
第23回えひめ俵口全国連句大会に参加のため、松山に行った。大会前日、川柳グループGOKENのメンバー数人とお話する機会があった。俳都松山と言われるが、松山は川柳も連句も盛んな地である。強力な連句精神がこの都市にも生きていることは心強い。
連句大会がすんだので、これから5月5日の〈八上桐子句集『hibi』読む〉の準備に専念する。当日は「港の人」による句集の販売もある。
暮田真名の句集『補遺』もできたようなので、こちらも読むのが楽しみだ。
2019年4月12日金曜日
木曜何某『いつか資源ゴミになる』
木曜何某(もくよう・なにがし)という人がいて、短歌や自由律俳句を作っているらしい。先日、ある集まりでこの人に会ったので、手元にあった句集『いつか資源ゴミになる』(2016年9月)を開いてみた。短詩型の作品は作者とは切り離されたテクストとして読むべきだと思っているが、作者の風貌に接することで作品に対する興味が湧くのも事実である。
ツリーの星を奪い合う予定だった
難しさを選んでね、の重圧
隠した血で汚してしまう
差し伸べられた手が汚い
お見舞いのフルーツに苦手なのがある
カゴは開けた何故逃げない
遺言が悪口
ショックを隠し切れてしまう
譲り合ったから四天王になった
おもしろい句を書く人だ。人と人との関係性に皮肉な眼が働いていて、川柳の批評性とも通じるところがある。
クリスマスツリーのてっぺんには星が飾られていて欲しいと思うときがあるが、手に入れることができるのは一人だけだ。「奪い合う予定」というところに屈折があり、実際は争奪に参加しなかったのかもしれないし、誰もが奪えずに星を見つめているだけなのかもしれない。助けてあげようと差し伸べられた手が汚れていて、そんな援助ならかえって要らないし、手の汚れが否応なく見えてしまうのだろう。誰もが譲り合っているうちに、そんな気がなかった自分が四天王に祭り上げられてしまっている。「四天王」が効果的だ。
表現されている状況がいろいろ想像できるので、一句を具体的な文脈に置いて読むという楽しみがある。
これ着ろよ、虹の上は寒いぞ
一人の時はドジじゃない
霊だけがカメラ目線
ビンゴだが黙っていよう
桜が怖くて酔ったふりをする
目を間違って全部似てない
電車の窓に映る自分が気まずい
空気の読みすぎで目が悪くなる
そういう気持ちになることが自分にもある、と思わせる句が多い。ビンゴだが、こだわりがあって賞品をもらいに行かない。行ってやるものかという気持ちになるが、実際には貰いに行ってしまうのが人間だ。「電車の窓に映る自分が気まずい」なんて、よく言い当てたものだ。
川柳にも自由律がある。
時実新子は自由律作品を一句も書かなかったという人があるが、そんなことはない。
神戸から出ていた「視野」に新子は自由律作品を寄せている。
「視野」は「ふぁうすと」自由律派の観田鶴太郎などが出していたもので、最初は謄写版印刷だったようだが、末期には葉書に印刷した作品を送るやりかたになった。今だと、西原天気がときどき作る葉書俳句のようなものだ。
どれもさびしさうな羅漢の顔のあちら向きこちら向き 観田鶴太郎
吹消してしばし気にのこる焔のすがた 鈴木小寒郎
ダブルベッドとさうして鍵は鍵穴にある 石河棄郎
「川柳スパイラル」5号にもちょっとだけ触れたが、かつて短詩と川柳と自由律が混在した時代があった。川柳の場合だけかもしれないが、意味を中心とする自由律には散文化の傾向があり、意味性・散文性と定型・自由律の関係、一行詩と俳句・川柳のからみあった関係性については、いつかゆっくり考えてみたいと思っている。
木曜何某の句に戻ろう。
風で飛んでいかないようにするやつも売っている
毒が無いならその色はなんだ
おもしろくなくてホッとする
半透明の電話ボックス3つ分飛び越すイルカ
先生のジョークも聞かずあの子ばっかり見て
オレンジの反対側は夜景
このアングルは入っちゃいけない所に入っている
世を渡るためのやさしさで全然かまわない
長律と短律の両方があるが、ここでは比較的長い句の方を多く選んでみた。
『いつか資源ゴミになる』の収録句のなかでは、比較的新しい作品のようだ。
「おもしろくなくてホッとする」という心理は、言われてみればそうだという説得力がある。この人はけっこう人間観察家なのだろう。
木曜何某は唯一参加している歌会でも遠慮ない批評を述べているらしい。
自信作じゃない方が選ばれた 木曜何某
ツリーの星を奪い合う予定だった
難しさを選んでね、の重圧
隠した血で汚してしまう
差し伸べられた手が汚い
お見舞いのフルーツに苦手なのがある
カゴは開けた何故逃げない
遺言が悪口
ショックを隠し切れてしまう
譲り合ったから四天王になった
おもしろい句を書く人だ。人と人との関係性に皮肉な眼が働いていて、川柳の批評性とも通じるところがある。
クリスマスツリーのてっぺんには星が飾られていて欲しいと思うときがあるが、手に入れることができるのは一人だけだ。「奪い合う予定」というところに屈折があり、実際は争奪に参加しなかったのかもしれないし、誰もが奪えずに星を見つめているだけなのかもしれない。助けてあげようと差し伸べられた手が汚れていて、そんな援助ならかえって要らないし、手の汚れが否応なく見えてしまうのだろう。誰もが譲り合っているうちに、そんな気がなかった自分が四天王に祭り上げられてしまっている。「四天王」が効果的だ。
表現されている状況がいろいろ想像できるので、一句を具体的な文脈に置いて読むという楽しみがある。
これ着ろよ、虹の上は寒いぞ
一人の時はドジじゃない
霊だけがカメラ目線
ビンゴだが黙っていよう
桜が怖くて酔ったふりをする
目を間違って全部似てない
電車の窓に映る自分が気まずい
空気の読みすぎで目が悪くなる
そういう気持ちになることが自分にもある、と思わせる句が多い。ビンゴだが、こだわりがあって賞品をもらいに行かない。行ってやるものかという気持ちになるが、実際には貰いに行ってしまうのが人間だ。「電車の窓に映る自分が気まずい」なんて、よく言い当てたものだ。
川柳にも自由律がある。
時実新子は自由律作品を一句も書かなかったという人があるが、そんなことはない。
神戸から出ていた「視野」に新子は自由律作品を寄せている。
「視野」は「ふぁうすと」自由律派の観田鶴太郎などが出していたもので、最初は謄写版印刷だったようだが、末期には葉書に印刷した作品を送るやりかたになった。今だと、西原天気がときどき作る葉書俳句のようなものだ。
どれもさびしさうな羅漢の顔のあちら向きこちら向き 観田鶴太郎
吹消してしばし気にのこる焔のすがた 鈴木小寒郎
ダブルベッドとさうして鍵は鍵穴にある 石河棄郎
「川柳スパイラル」5号にもちょっとだけ触れたが、かつて短詩と川柳と自由律が混在した時代があった。川柳の場合だけかもしれないが、意味を中心とする自由律には散文化の傾向があり、意味性・散文性と定型・自由律の関係、一行詩と俳句・川柳のからみあった関係性については、いつかゆっくり考えてみたいと思っている。
木曜何某の句に戻ろう。
風で飛んでいかないようにするやつも売っている
毒が無いならその色はなんだ
おもしろくなくてホッとする
半透明の電話ボックス3つ分飛び越すイルカ
先生のジョークも聞かずあの子ばっかり見て
オレンジの反対側は夜景
このアングルは入っちゃいけない所に入っている
世を渡るためのやさしさで全然かまわない
長律と短律の両方があるが、ここでは比較的長い句の方を多く選んでみた。
『いつか資源ゴミになる』の収録句のなかでは、比較的新しい作品のようだ。
「おもしろくなくてホッとする」という心理は、言われてみればそうだという説得力がある。この人はけっこう人間観察家なのだろう。
木曜何某は唯一参加している歌会でも遠慮ない批評を述べているらしい。
自信作じゃない方が選ばれた 木曜何某
2019年3月22日金曜日
「現代詩手帖」3月号
遅ればせながら、「現代詩手帖」3月号を読んだ。
特集「これから読む辻征夫」。「辻征夫代表詩選」(松下育夫選)の中に入っている「かぜのひきかた」をまず引用したい。この詩は私も大好きな詩である。
かぜのひきかた 辻征夫
こころぼそい ときは
こころが とおく
うすくたなびいて
びふうにも
みだれて
きえて
しまいそうになる
こころぼそい ひとはだから
まどをしめて あたたかく
していて
これはかざをひいているひととおなじだから
ひとは かるく
かぜかい?
とたずねる
それはかぜではないのだが
とにかくかぜではないのだが
こころぼそい ときの
こころぼそい ひとは
ひとにあらがう
げんきもなく
かぜです
と
つぶやいてしまう
すると ごらん
さびしさと
かなしさがいっしゅんに
さようして
こころぼそい
ひとのにくたいは
すでにたかいねつをはっしている
りっぱに きちんと
かぜをひいたのである
詩人たちの対談でもこの詩について「こころぼそさ」に寄り添う詩として取り上げられている。辻征夫は2000年1月に亡くなっているから、すでに19年が経過したことになる。私は詩集というものをあまり買わないのだが、『俳諧辻詩集』(1996年6月、思潮社)は手元にもっている。
辻の俳句について。
行く春やみんな知らない人ばかり
噛めば苦そうな不味そうな蛍かな
《蝶来タレリ!》韃靼ノ兵ドヨメキヌ
《蝶来タレリ!》は言うまでもなく安西冬衛の韃靼海峡の一行詩を踏まえている。
「噛めば苦そうな」は室生犀星に「杏あまさうな人は唾むさうな」という句があるそうだ。
辻は「作者はじつはぼくじゃなくて猫なんだ」と言ったという。主語が省略されているときは一人称を補って読むというような「私性」のルールを蹴飛ばして、猫が蛍を噛んでいる。『俳諧辻詩集』ではこんなかたちになる。
蛍
噛めば苦そうな不味そうな蛍かな
(誰だいこんなの作ったのは
土手の野良猫です?
ま いいや
鰹節で一献さしあげたいと
そいって呼んでおいで)
短歌や俳句のような定型や韻律をもたないことが「現代詩」の誇りだった。『俳諧辻詩集』はそこから風向きがかわって、定型とのコラボが試みられはじめたころの詩集である。
「現代詩手帖」に戻ると、海外詩レポートとしてパット・ボランの俳句が紹介されている。アイルランドの詩人で、タイトルは「波のかたちの群れなす俳句」(栩木伸明訳)。ダブリン湾、ブル島にて、とある。2句だけ紹介する。
揚げヒバリ名乗り出で
早起きの虫を探す
さえずりを片耳に君は君の仕事
空っぽかよ、と見るうちに
それこそがメッセージだと気づく
光のボトル
原文は五音節・七音節・五音節で書かれた三行詩。季語はない。
「新人作品」のコーナーでは柳本々々の「おはよう」が掲載されている。
連載では外山一機が村上昭夫の俳句を、井上法子が田口綾子の『かざぐるま』(短歌研究社)を取り上げている。ここでは田口綾子の短歌の方を紹介しておく。
すきなひとがいつでも怖い どの角を曲がってもチキンライスのにおい 田口綾子
あのひとの思想のようなさびしさで月の光がティンパニに降る
あの年の冬の日、今年の夏の水 君が年下なるは変はらず
今回は引用ばかりになってしまったが、辻征夫の「かぜのひきかた」からの連想で、石原吉郎の詩を紹介して終わりにしたい。
世界がほろびる日に 石原吉郎
世界がほろびる日に
かぜをひくな
ビールスに気をつけろ
ベランダに
ふとんを干しておけ
ガスの元栓を忘れるな
電気釜は
八時に仕掛けておけ
特集「これから読む辻征夫」。「辻征夫代表詩選」(松下育夫選)の中に入っている「かぜのひきかた」をまず引用したい。この詩は私も大好きな詩である。
かぜのひきかた 辻征夫
こころぼそい ときは
こころが とおく
うすくたなびいて
びふうにも
みだれて
きえて
しまいそうになる
こころぼそい ひとはだから
まどをしめて あたたかく
していて
これはかざをひいているひととおなじだから
ひとは かるく
かぜかい?
とたずねる
それはかぜではないのだが
とにかくかぜではないのだが
こころぼそい ときの
こころぼそい ひとは
ひとにあらがう
げんきもなく
かぜです
と
つぶやいてしまう
すると ごらん
さびしさと
かなしさがいっしゅんに
さようして
こころぼそい
ひとのにくたいは
すでにたかいねつをはっしている
りっぱに きちんと
かぜをひいたのである
詩人たちの対談でもこの詩について「こころぼそさ」に寄り添う詩として取り上げられている。辻征夫は2000年1月に亡くなっているから、すでに19年が経過したことになる。私は詩集というものをあまり買わないのだが、『俳諧辻詩集』(1996年6月、思潮社)は手元にもっている。
辻の俳句について。
行く春やみんな知らない人ばかり
噛めば苦そうな不味そうな蛍かな
《蝶来タレリ!》韃靼ノ兵ドヨメキヌ
《蝶来タレリ!》は言うまでもなく安西冬衛の韃靼海峡の一行詩を踏まえている。
「噛めば苦そうな」は室生犀星に「杏あまさうな人は唾むさうな」という句があるそうだ。
辻は「作者はじつはぼくじゃなくて猫なんだ」と言ったという。主語が省略されているときは一人称を補って読むというような「私性」のルールを蹴飛ばして、猫が蛍を噛んでいる。『俳諧辻詩集』ではこんなかたちになる。
蛍
噛めば苦そうな不味そうな蛍かな
(誰だいこんなの作ったのは
土手の野良猫です?
ま いいや
鰹節で一献さしあげたいと
そいって呼んでおいで)
短歌や俳句のような定型や韻律をもたないことが「現代詩」の誇りだった。『俳諧辻詩集』はそこから風向きがかわって、定型とのコラボが試みられはじめたころの詩集である。
「現代詩手帖」に戻ると、海外詩レポートとしてパット・ボランの俳句が紹介されている。アイルランドの詩人で、タイトルは「波のかたちの群れなす俳句」(栩木伸明訳)。ダブリン湾、ブル島にて、とある。2句だけ紹介する。
揚げヒバリ名乗り出で
早起きの虫を探す
さえずりを片耳に君は君の仕事
空っぽかよ、と見るうちに
それこそがメッセージだと気づく
光のボトル
原文は五音節・七音節・五音節で書かれた三行詩。季語はない。
「新人作品」のコーナーでは柳本々々の「おはよう」が掲載されている。
連載では外山一機が村上昭夫の俳句を、井上法子が田口綾子の『かざぐるま』(短歌研究社)を取り上げている。ここでは田口綾子の短歌の方を紹介しておく。
すきなひとがいつでも怖い どの角を曲がってもチキンライスのにおい 田口綾子
あのひとの思想のようなさびしさで月の光がティンパニに降る
あの年の冬の日、今年の夏の水 君が年下なるは変はらず
今回は引用ばかりになってしまったが、辻征夫の「かぜのひきかた」からの連想で、石原吉郎の詩を紹介して終わりにしたい。
世界がほろびる日に 石原吉郎
世界がほろびる日に
かぜをひくな
ビールスに気をつけろ
ベランダに
ふとんを干しておけ
ガスの元栓を忘れるな
電気釜は
八時に仕掛けておけ
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