遅ればせながら、「現代詩手帖」3月号を読んだ。
特集「これから読む辻征夫」。「辻征夫代表詩選」(松下育夫選)の中に入っている「かぜのひきかた」をまず引用したい。この詩は私も大好きな詩である。
かぜのひきかた 辻征夫
こころぼそい ときは
こころが とおく
うすくたなびいて
びふうにも
みだれて
きえて
しまいそうになる
こころぼそい ひとはだから
まどをしめて あたたかく
していて
これはかざをひいているひととおなじだから
ひとは かるく
かぜかい?
とたずねる
それはかぜではないのだが
とにかくかぜではないのだが
こころぼそい ときの
こころぼそい ひとは
ひとにあらがう
げんきもなく
かぜです
と
つぶやいてしまう
すると ごらん
さびしさと
かなしさがいっしゅんに
さようして
こころぼそい
ひとのにくたいは
すでにたかいねつをはっしている
りっぱに きちんと
かぜをひいたのである
詩人たちの対談でもこの詩について「こころぼそさ」に寄り添う詩として取り上げられている。辻征夫は2000年1月に亡くなっているから、すでに19年が経過したことになる。私は詩集というものをあまり買わないのだが、『俳諧辻詩集』(1996年6月、思潮社)は手元にもっている。
辻の俳句について。
行く春やみんな知らない人ばかり
噛めば苦そうな不味そうな蛍かな
《蝶来タレリ!》韃靼ノ兵ドヨメキヌ
《蝶来タレリ!》は言うまでもなく安西冬衛の韃靼海峡の一行詩を踏まえている。
「噛めば苦そうな」は室生犀星に「杏あまさうな人は唾むさうな」という句があるそうだ。
辻は「作者はじつはぼくじゃなくて猫なんだ」と言ったという。主語が省略されているときは一人称を補って読むというような「私性」のルールを蹴飛ばして、猫が蛍を噛んでいる。『俳諧辻詩集』ではこんなかたちになる。
蛍
噛めば苦そうな不味そうな蛍かな
(誰だいこんなの作ったのは
土手の野良猫です?
ま いいや
鰹節で一献さしあげたいと
そいって呼んでおいで)
短歌や俳句のような定型や韻律をもたないことが「現代詩」の誇りだった。『俳諧辻詩集』はそこから風向きがかわって、定型とのコラボが試みられはじめたころの詩集である。
「現代詩手帖」に戻ると、海外詩レポートとしてパット・ボランの俳句が紹介されている。アイルランドの詩人で、タイトルは「波のかたちの群れなす俳句」(栩木伸明訳)。ダブリン湾、ブル島にて、とある。2句だけ紹介する。
揚げヒバリ名乗り出で
早起きの虫を探す
さえずりを片耳に君は君の仕事
空っぽかよ、と見るうちに
それこそがメッセージだと気づく
光のボトル
原文は五音節・七音節・五音節で書かれた三行詩。季語はない。
「新人作品」のコーナーでは柳本々々の「おはよう」が掲載されている。
連載では外山一機が村上昭夫の俳句を、井上法子が田口綾子の『かざぐるま』(短歌研究社)を取り上げている。ここでは田口綾子の短歌の方を紹介しておく。
すきなひとがいつでも怖い どの角を曲がってもチキンライスのにおい 田口綾子
あのひとの思想のようなさびしさで月の光がティンパニに降る
あの年の冬の日、今年の夏の水 君が年下なるは変はらず
今回は引用ばかりになってしまったが、辻征夫の「かぜのひきかた」からの連想で、石原吉郎の詩を紹介して終わりにしたい。
世界がほろびる日に 石原吉郎
世界がほろびる日に
かぜをひくな
ビールスに気をつけろ
ベランダに
ふとんを干しておけ
ガスの元栓を忘れるな
電気釜は
八時に仕掛けておけ
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