『芭蕉七部集』を読んでいると、はっとするほど美しい短句、思わず微笑を浮かべてしまうようなユーモラスな句に出会うことがある。たとえば次のような句である。
かぜひきたまふ声のうつくし 越人
能登の七尾の冬は住うき 凡兆
浮世の果はみな小町なり 芭蕉
こんにゃくばかりのこる名月 芭蕉
馬に出ぬ日は内で恋する 芭蕉
連句は五七五の長句と七七の短句とを繰り返す詩形だが、五七五の方は俳句や川柳として独立したが、七七句の方も一句独立して作句・鑑賞に耐えるものだろう。
七七句の美しさに注目されるのが『武玉川』である。『武玉川』は江戸座の高点付句集である。高点付句は本来連句一巻のなかの付句で、長句と短句の両方が収録されている。特に短句に注目して「武玉川調」と呼ばれることがある。「武玉川調」のなかでも、次のような句はよく知られている。
鳶までは見る浪人の夢
二十歳の思案聞くに及ばず
手を握られて顔は見ぬ物
腹のたつ時見るための海
夫の惚れた顔を見に行く
肩へかけると活る手ぬぐい
猟師の妻の虹に見とれる
この『武玉川』の七七句の美しさは近代の川柳人の注目するところとなった。川柳のフィールドでは七七句を「十四字」と呼んでいる。近代川柳における「十四字」の歴史は阪井久良岐が明治38年に柳誌「五月幟」に『武玉川』の句を抄出したことにはじまる。その翌年の明治39年、大阪では小島六厘坊が「葉柳」を刊行、大阪における新川柳の草分けとなった。久良岐が十四字を川柳の一体としたのに対して、六厘坊は別種の詩形とした点で両者の考え方は異なっている。六厘坊の周辺で十四字に熱心だったのが藤村青明である。
恋はあせたり宿直のよべ 藤村青明
恋かあらず廿五の春
闇の大幕世を覆ひゆく
六厘坊は「十四字ばかりつくる青明」とからかったという。
久良岐以後の十四字作品を次に挙げてみよう。
白粉も無き朝のあひびき 川上三太郎
はつかしいほど嬉しいたより 岸本水府
いつものとこに坐る銭湯 前田雀郎
女のいない酒はさみしき 麻生路郎
時計とまったままの夜ひる 鶴彬
クラス会にもいつか席順 清水美江
うるさいなあとせせらぎのやど 下村梵
無理して逢えば何ごともなし 小川和恵
よく「五七五の最短詩形」と言われるが、こうして見ると最短詩形は七七であると思われる。ところで、俳句のフィールドにおける七七句は自由律俳句のなかに多く存在する。自由律における七七定型である。
善哉石榴を食ひこぼし座し 中村一碧楼
酢牡蛎の皿の母国なるかな 河東碧梧桐
めしをはみをる汗しとどなり 荻原井泉水
シャツ雑草にぶっかけておく 栗林一石路
入れものがない両手で受ける 尾崎放哉
うしろすがたのしぐれてゆくか 種田山頭火
つかれた脚へとんぼとまった 山頭火
私は十年以前に十四字を作っていたことがあり、セレクション柳人『小池正博集』に実作を収録している。『蕩尽の文芸』にも十四字について触れた文章がある。最近は十四字から遠ざかっているが、本間かもせりがツイッター「#かもの好物」で七七句を募集したところ、たくさんの七七句が集まったと聞くので、この詩形に関心をもつ人は潜在的に多いと思われる。以前からのファンのひとりとして十四字のことを取り上げてみた。4月6日の「大阪連句懇話会」では連句とも関連させながら、もう少し詳しいことを話してみたいと思っている。
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