2014年8月8日金曜日

「川柳の使命」について

「触光」38号(編集発行・野沢省悟)に広瀬ちえみが「高田寄生木賞―川柳の使命―」という文章を書いている。

ふる里は戦争放棄した日本    大久保眞澄

この句は「第4回高田寄生木賞」の大賞作品であり、受賞後あちらこちらで取り上げられている。広瀬の一文はこの句をめぐっての感想である。
誤解のないように最初に断っておくが、広瀬はこの作品自体について疑義を述べているのではなくて、この作品を評価した選者の評価の仕方について若干の違和感を述べている。
この句を大賞に選んだのは渡辺隆夫と野沢省悟であるが、話の順序として二人の選評をまず紹介しておく(「触光」37号)。

「お国(生まれ育った土地)はどこですか、という質問に、『戦争放棄した日本』です、という答えが返ってきたらうれしいですね。安倍総理は、たぶん、ギョッとして目を剥くでしょうね。この句には、川柳の使命のようなものがギュッと濃縮されています」(渡辺隆夫)

「昭和二十(1945)年、日本は終(負)戦を迎えた。あれから半世紀以上が過ぎ、今年は六十九年目となる。僕は戦後生まれ(昭和二八年)であるが、戦争の悲惨さは身近な人間の話や書物や映画等で知っているつもりである。戦後、今ほど戦争放棄したはずの日本が危い状況になったことはないのではないか。そういう意味でこの作品は時事句といえよう。だが忘れ去られる時事句ではなくて、今後ますます重量を持って行く作品になると僕は思う。正直に言うと『スローガン』ではないか、との思いもあり迷ったことは確かである。しかしこの作品の『ふる里』という言葉という意味は、作者の肉体から発せられた言葉と僕は感じた」(野沢省悟)

広瀬がこだわったのは、渡辺の「川柳の使命」という言葉である。
広瀬は「自分は少しも傷まない位置から発信するスローガンのような時事吟は巷にあふれており、私は正直苦手だ」と書いたうえで、こんなふうに述べている。

「さて、川柳には隆夫さんが述べる『使命のようなもの』があるのだろうか。川柳の特質のひとつである『批判』や『諷刺』にあたることをさしているのだろうが、私は『使命』という強いことばでいわれるとどこかひいてしまう。アブナイもののようで近づきたくないと思うのだ」

そもそも渡辺隆夫は、第三者的な立場から時事句を書くのを得意とする。「自分は少しも傷まない位置」から書いていると言ってもよい。なぜなら、自分の内面をくぐらせてしまうと、諷刺の矢がつい鈍ってしまうからだ。その隆夫がここでは「川柳の使命」という言葉を使っているのを私はとても興味深いことに思う。「人間というものは気をつけていないとすぐ真面目になってしまう」と常々言っている隆夫が、ここでは真面目になっているのだ。

広瀬の文章は別の視点から受賞作を評価するものになっている。
「読みによって作品の世界が再構築され、ひとり歩きを始める力を得るのだ」「詠むひとと読むひとはすこしずれており、そしてそれがまた作品を面白くしたり、読みに『使命』を与えたりさえするのだ」というのが広瀬の感想である。
私はこの問題提起をおもしろく思った。

「水脈」37号(編集・浪越靖政)。
同人作品のページの下段に作者の短文が付く。
洒井麗水が飯尾麻佐子の「魚」のことを書いている。
「魚」は1978年に創刊、1996年63号で終刊。女性だけの川柳誌として先駆的な役割を果たした。「魚」のことは「バックストローク」24号で一戸涼子に書いてもらったことがある。
酒井は飯尾の次の文章を引用している。
「もっと女性は自分を正しく知るべきであり、スマートな人とのふれ合いが出来て、その上自分が川柳で『何』を訴えたいのか、その原点を創造の基本にしっかりと持つこと。女性でありながら男性の占有物である評論にのり出してゆく意欲的姿勢を持ち、次第に論理を駆使して批評分野に開眼してゆくこと。更にその存在に光明を抱き後継する女性が日を追って増加すること。女性がより豊かな人間性によって、川柳界の明日を創ることを考えたい」
女性川柳人の活躍が目覚ましい現在、飯尾が目指したことは男性・女性を問わず継承すべき課題である。
「水脈」から二句ご紹介。

竜骨を組み込む貌と対峙する   落合魯忠

竜骨は船の背骨に相当する部分。
年齢を重ねた人間の風貌にもそれぞれの竜骨があるのだろう。

火曜日は相も変わらぬ大鏡    一戸涼子

この「大鏡」を単なる大きな鏡と読むか、古典の『大鏡』と読むか。
なぜ火曜なのか。月曜は休日明けで仕事がはじまる日だし、金曜は週末であり、それぞれのニュアンスがある。火曜は微妙な曜日である。

「第65回玉野市民川柳大会」の大会報が届いた。
特選の中から二句紹介しておく。

展開を見たくて妹の枕     吉松澄子

「展開」という題詠で、「妹の枕」を持ってきている。
「妹」の句はいろいろあるが、「枕」というとほのかにエロティシズムが感じられる。
川端康成なら姉と妹の心理劇を抒情的なはかなさで描いただろう。

天井の人で溢れる誕生日    榊陽子

「誕生日」の句もいろいろあるが、こういう誕生日は見たことがない。
天井裏に人が溢れているというのは、誕生を寿いでいると言えるが、そのような人々が見えない裏側の世界に存在するというのは何やら不気味でもある。

2014年8月2日土曜日

『野沢省悟句集 60』

『野沢省悟句集 60』(2014年7月10日、東奥日報社)が発行された。
東奥日報社創刊125周年事業として、青森県短詩型文芸作品を発信するシリーズ。短歌・俳句・川柳各30冊が予定されており、川柳からは高田寄生木をはじめ7冊目の刊行となる。
本書は2005年から2013年までの川柳作品360句を収録している。句集のタイトルに「60」とあるのは、2005年が戦後60年、2013年が野沢の還暦の年であることにちなむという。野沢の50代の作品集である。「解剖」「ひょいと」「大樹に」「逃避行」「母逝く」の五章に分けられ、「逃避行」は2011年3月11日に仙台市秋保温泉にいた作者の震災体験を詠んだもの。「母逝く」は母親への追悼句を含む。
ここでは、「解剖」の章から何句かピックアップしてみたい。

あじさいのうすくらがりのモネの指

モネといえば睡蓮だが、この句ではアジサイである。
アジサイの学名「オタクサ」はシーボルトが名付けたことも知られている。ここではそういう連想・取り合わせを外している。
「あじさいのうすくらがり」に焦点をあてているところに川柳性・意味性を感じる。暗部のほうに眼がゆくのは川柳人の本能かもしれない。
モネはジヴェルニーの家で晩年の作品を描いた。原田マハの『ジヴェルニーの食卓』はモネを主人公にした小説。
花園にアジサイがあったかどうか記憶にないが、七色に変化するアジサイにもモネも画家としての触手が動いたかもしれない。

合法的にゴッホの耳を食べている

モネの次はゴッホの句を取り上げてみる。
アルルでゴッホはゴーギャンとの共同生活に入るが、個性の強い二人は衝突し、ゴッホの耳切り事件が起こる。
「炎の人ゴッホ」という映画では、ゴッホがカーク・ダグラス、ゴーギャンがアンソニー・クインだった。
耳を切るといえば、日本では明恵上人のエピソードが有名。
事件そのものが衝撃的だが、この句ではその衝撃性に釣り合うように、「食べている」という強い言葉を用いている。
「合法的に」というのだから「非合法的に」という対義語を連想させる。
私たちはゴッホのような激しい生涯を送ることはできない。平凡な日常生活を送っているのである。けれども、心の中ではゴッホのような生涯に憧れる部分もある。
「~的」という言葉は川柳でよく使われる。

精巣という安らかなロスタイム

野沢は人間の身体の生理的機能と向き合う作品をしばしば詠んでいる。
サッカーのロスタイムは無得点に終わることもあるが、試合を決める得点が入ることもあるスリリングな時間帯である。それを「安らかな」と表現してのけた。
ヒトの生殖機能を冷徹に見据えている。

おしっこをするたび法蓮華経かな

「おしっこ」という言葉を使っている。
「川柳はこういう用語を平気で使えるからいいね」と言う人がいる。ある意味で川柳に対する蔑視を感じる。どんな用語であっても、俳句であろうと川柳であろうと、使いたければ使えばいいのだ。
この句は俗性と宗教性(聖性)の落差をおもしろがるのではなく、背後にある作者の人間観を読み取るべきだろう。

仏とは女陰化と思う秋の水

この句にも俗性即聖性という作者の人間観が表れている。
それに共感するかどうかは別の問題で、人それぞれだろう。
ただ、もの足りないのは「秋の水」の部分で季語に逃げているように感じることだ。

虚無ふたつほど冷蔵庫から持って来い

「~持ってこい」は川柳ではときどき見かける文体。
「ないはずはない抽斗を持ってこい」(西田当百)

洗っていいくちびるとだめなくちびる

それぞれに具体的なケースを代入してみるとおもしろい。

蟻は会議中なので殺します

「殺す」というのも意味の強い言葉である。
殺意は心の中の世界であり、それを表現することは現実の行為とは全く次元が異なる。
「バスを待つあいだのぼんやりした殺意」(石部明)
晩年の与謝野鉄幹は庭で蟻を殺していたという。妻の晶子に表現者として水をあけられ、時代から取り残された憤懣が心の底にあったのだろう。
この句では会議をしている蟻たちを神の視点から眺めている。

以上、野沢の作品には意味性の強度のきいた言葉を使うところに川柳性を感じるが、その根底には作者の人間観が横たわっている。
野沢は「あとがき」で次のように書いている。

「2005年からの8年余りの時期は、僕の五十代であり仕事上、夜勤勤務をしながらの川柳活動は辛いこともあった。従って自身の作品を振り返る余裕もなく、今回この句集をまとめる作業はたいへん貴重な時間であった。故成田千空氏は『川柳は俳句を革新したもの』と僕に言った。その言葉にはげまされての川柳活動であり、作家活動であったが、その結果の本句集に忸怩たる思いである」

野沢が編集発行していた「双眸」15号(2005年5月)は〈成田千空・川柳を語る〉を特集している。野沢と成田の対談などが収録されているが、ここでは成田千空の講演「俳句と川柳」(2004年11月3日、「俳句・川柳合同研究会」)から引用していきたい。俳句の季語について述べたあと、成田千空はこんなふうに発言している。

「川柳は逆に季節感はさして関係なく、人生とか世相とか時代のそういうものに対する関心に移って行く訳です。そういうことになりますから自ずから自由な発想でしかも季節とか切れ字とかに束縛されない訳ですから、素材に対しても世界が大変広いんですね。俳句の何倍も広い。そういうことも一つの形式から生まれてくるということもありますので、川柳の方がずっと自由な発想でいい作品が残ってしかるべきだと思います」

このシリーズ、川柳からは今後も、むさしや滋野さちの句集が予定されているので楽しみだ。

2014年7月26日土曜日

大阪短歌チョップと聖地・木津

7月19日(土)、大阪難波の「まちライブラリー」で開催された「大阪短歌チョップ」に行った。この日は神戸でも現代歌人集会春季大会があって、どちらに行くか迷ったのだが、神戸の方はすでに歌壇で評価の定まった歌人たちがパネラーなので、ネット歌人の多く集まる大阪の方に参加することにした。
会場は大阪木津卸売市場の近くにあった。
一日通して様々なイベントが行われているが、まず11時30分からの「むしたけのぞき」を聞く。Ustream番組「むしたけのぞき」の虫武一俊と「塔」短歌会の江戸雪とのトーク。江戸雪の話は以前一度聞いたことがあるが、そのとき彼女は複数パネラーのひとりだった。今回は短歌をはじめたきっかけや江戸雪の短歌に対する考え方を詳しく知ることができた。
「歌人は短歌からいかに離れるかが勝負(短歌を作っていない時間に)」
「言ったことは伝わらない、逆に言わないことが(読者に)伝わる」
「大事なことは自分以外のところにある」
「短歌は自己肯定の文学。しかし、そこから(自己肯定から)離れようとすることが大切」
などの言葉が印象に残った。
もうひとつ、田中ましろ(「かばん」)司会の「ネット短歌はどこへゆく?」も聴講。
まず、五、六年前のネット短歌の環境として次のようなものが挙げられていた。

夜ぷち(夜はぷちぷちケータイ短歌)
mixi GREE
ブログ
うたのわ
題詠マラソン
短歌道(たんかどう)
かんたん短歌
笹短歌ドットコム
短歌サミット

いくつか聞いたことのあるものもあるが、私にはこの全部は分からない。
次に、最近のキーワードとしては次のようなものが挙げられた。

ツイッター
オンライン・オフライン
結社のツイッター進出
Ustream
同人誌
学生短歌
文学フリマ
ネットプリント
うたの日

こういうツールの変遷にともなって、五年前と今とでは何がどう変わったのかというのが話の流れだったようだ。
ただ、個人的体験に基づいた雑駁な話が多かったので、私にはついてゆけない部分があった。「かばん」6月号に「田中ましろインタビュー」が掲載されているので、そちらの方から引用してみたい。

「投稿を続けていた、NHKラジオ『夜はぷちぷちケータイ短歌』が終了になったことがきっかけです。締め切りがないと短歌を詠まない日々だったので、番組が終わった後も、自分が短歌を定期的に詠むための場を必要と感じていました」
「短歌を始めた当時は桝野浩一さんの『かんたん短歌』の作品を多く読んでいてその影響を受けていましたが、『かんたん短歌』の作歌方法に自分の限界を感じて、少しずつ現在の詠み方に近いものにシフトしていきました」
「短歌、すごく面白いのに俳句とかに比べてどこかマイナーなんですよね、世間的に。当時は結社に対して誤解を持っていてクローズドな場で切磋琢磨してるから短歌がメジャーにならないんだと思ったりもしてました。それで、少しでも多くの人にその楽しさを知ってほしいと思って始めたのが『うたらば』です」
「ネットの魅力はやはり超結社であることだと思います。所属内だけでの短歌活動では作風や評の傾向に偏りが生まれる可能性がありますが、超結社の歌会(オンライン・オフライン問わず)に参加していると常に新しい作風や評の切り口などに出会えます。所属内での『正しいこと』が一般的には正しくない可能性もあるわけでそのあたりの補正を常に行えることがネットを利用することのメリットだと思っています」

同誌には「ネットで広げよう短歌の輪」というページがあって、「空き瓶歌会」「空き地歌会」「さまよえる歌人の会」「空き家歌会」「借り家歌会」「うたらば」「うたつかい」などが紹介されている。この日の話を聞いて、どういう人たちが運営しているのか、少し実感できた。
「昔、『短歌ヴァーサス』という雑誌がありまして…」という発言があった『短歌ヴァーサス』6号(2004年12月)を帰宅してから久しぶりに書棚から取り出してみた。「ネット短歌はだめなのか?」という特集が組まれていて、吉川宏志と荻原裕幸の対談、司会は江戸雪。五年以上たつとすべて昔話扱いされるのは、スピーディな短歌界とはいえ驚いてしまう。

会場の付近、木津卸売市場の周辺には、海鮮丼やたこ焼きなどのおいしい食べ物がいろいろある。
食事しているうちに、この近くに折口信夫の生家跡があることを思い出した。かなり以前に一度行ったことがあり、記憶を頼りに歩いていると、大国主神社を発見。木津の大国さんと呼ばれていて、境内には折口信夫の歌碑がある。そういえば、地下鉄の最寄駅は「大国町」だった。そのあと少し迷ったが、目指す公園にたどりつく。
公園の一隅に「折口信夫生誕の地」の碑があり、その傍らに歌碑が建立されている。

ほい駕籠を待ちこぞり居る人なかにおのづからわれも待ちごゝろなる

宝恵駕籠(ほえかご・ほいかご)は芸妓さんを乗せて今宮戎神社の十日戎に参詣する駕籠。新年の季語になっている。
高校生のころ、『死者の書』がとても好きだった。ぎらぎら照りつける真夏の陽光のもと木津のこの地が聖地のように思えたのは白日夢のたぐいだったろう。

2014年7月18日金曜日

『たむらちせい全句集』

『たむらちせい全句集』(沖積社)が発行された。
第一句集『海市』から第六句集『菫歌』までが収録され、さらに未完句集として2011年から2013年までの句を収めた『日日(にちにち)』が付けられている。
『菫歌』については、以前このブログで触れたことがあるが(2011年7月1日)、そのとき書いたことは、たむらちせいの全体像のほんの一部にすぎなかったのだということに改めて気付かされる。

海渡る 贋造真珠で妻を飾り
酒壜に封ずる蝮 孤島に教職得て

第一句集『海市』巻頭の二句である。
昭和35年、たむらちせいは高知県で教職についていたが、当時、石川達三の『人間の壁』に描かれているような勤務評定闘争が巻き起こった。高知でも闘争は激しかったようで、ちせいは懲罰人事で孤島・沖ノ島の中学校に転勤を命じられる。『海市』はこの島での句を収録している。
四国本島への転勤を打診されたときに、「もう少し島の俳句を作りたいから」と言って断り、さらに三年間、在島したというから凄い。

第二句集『めくら心経』では土佐の風土という主題が顕著にあらわれる。
中でも「流人墓地」は圧巻である。

流人墓地へと遮二無二岬さす 霧中
もはや霧にめしいる流人墓地遠く

「流人墓地」は人の眼をひく作品であるが、次の「落椿」の句にも心ひかれた。

落椿 鬼面童子の通せんぼ
生国をゆき 悪相の落椿

第三句集『兎鹿野抄』の、たとえば家族を詠んだ句は何と境涯詠から遠く離れていることだろう。

水餅の甕とは別の母を置く
鈴虫になるまで母を密封す
赤紐で五体を縛り風邪の妻
茎立ちてより兄たちの行方知れず
地芝居の狐忠信は姉ならむ


味元昭次の解説「たむらちせい俳句ノート」も読みごたえがある。
その中に、ちせいの親友で「青玄」の俳人である森武司のことが出てくる。森は「おとしまえはどうつけたか」という趣旨のエッセイを書き、ちせい俳句を批判した。
味元はこんなふうに書いている。
「美や個に閉じこもって現実をそ知らぬものとしたがる俳人たち。そういった危険性をちせいの俳句に見たのだろう。その危険性はまさしくあったし、今も在るといわねばならないだろう。ちせいも当然そうしたことはよく知っていたはずである。武司の批判は一方でちせいへのはげましでもありまた自分自身への問いかけでもあり、さらに今思えば、ちせい俳句の美や虚構の面白さの方向だけを見た私たち後続世代への、良くない影響を考えていたようにも思われるのである」

少し余談を加えたい。
たむらちせいの活躍した「青玄」に一人の川柳人が晩年に投句していた。
現代川柳連盟の会長をしていた今井鴨平である。
鴨平は昭和39年、急逝した。「現川連」の雑務を一手に引き受けた末の死であった。それはある意味で「川柳に殺された」ものであった。
私の手元には「川柳現代」17号があり、これは「今井鴨平追悼号」である。
鴨平は「青玄」147号から160号まで投句しているが、最後となった160号から5句紹介しておく。

黒猫が一塊となる 屋根裏の思惟     今井鴨平
女工ら離郷 屋根に石置く山峡経て
やがて手中の女 湿っぽい潮風吹き
二人きりの食卓 手がかりのない海昏れて
同じ過去持ち合う 沖に漁火燃え

鴨平がどういう気持で「青玄」に投句していたのか、今まで私にはよくわかっていないところがあった。川柳に絶望して俳句に行ったとか、そういうことではないのだ。「青玄」には信頼できる表現者がいたのである。

「蝶」208号(2014年7・8月)から、たむらちせいの近作を紹介しておこう。

七つ渕一の渕より樹雨降り     たむらちせい
近景黄薔薇紅薔薇遠景殺戮図
地梨噛んだる渋面隠し了せけり

隣のページには森武司の句が並んでいるので紹介しておく。

信長忌の水暗緑に泡立てり     森武司
朝空叩く拳銃試射音ヒトラー忌

2014年7月11日金曜日

渡辺隆夫句集『六福神』

「ぶるうまりん」という俳誌がある。須藤徹が発行人となって2004年12月に創刊されたが、須藤の死によって前回の27号は須藤の追悼号となった。今号の28号から「第二次ぶるうまりん」というべきもので、発行所は松本光雄になっている。
特集として「まるかじりインタヴュー 渡辺隆夫の世界」。
渡辺隆夫の第六句集『六福神』(角川学芸出版)は今年1月に発行されたが、今までこの時評では取り上げる機会がなかった。この特集を契機に、改めて隆夫の川柳について考えてみたい。まず、渡辺隆夫のプロフィールを紹介しておく。
1937年、愛媛県生まれ。
1988年以降、川柳グループ「わだちの会」(石川重尾)、「点鐘の会」(墨作二郎)「宇宙船」(福田弘)「短詩サロン」(吉田健治)「バックストローク」(石部明)などに参加。俳句グループ「船団京都句会」「逸の会」(花森こま)「水の会」(森田緑郎)「ぶるうまりん」(須藤徹)などにも参加。川柳の枠にとらわれず、短詩型のさまざまな表現者と交流していることがわかる。
「川柳は何でもありの五七五」「人間というものは気をつけていないと、すぐ真面目になってしまう」「川柳にはスンバラシイ伝統などなーんもない」などの言葉が強烈な印象を残している。
私は隆夫とは「点鐘の会」で顔を合わせたが、「バックストローク」同人としても交流があった。2011年に隆夫の第五句集『魚命魚辞』(邑書林)が上梓されたときに、私の句集『水牛の余波』と合同で句評会を行っている。
さて、「ぶるうまりん」のインタヴューは歌人・武藤雅治との対談になっている。
隆夫の発言の中で次の部分に注目した。

「わたしが川柳はじめた時にはね、川柳はポエジーでなければダメだというのが僕らの師匠のやり方でね。お前の川柳は下品過ぎる、川柳は俳句と太刀打ちできる位のポエジーがないといかんと言われ、これは困ったな、僕はもともとそういうポエジーのない男で、どっちかというと詩というより歌・ソングの方が合っている、そういう風に川柳を持っていけないかな、と思っておったのですけど…」

「基本的にはね、僕は川柳は何かと言われた時に、なんでもありの五七五だと言ってます。季語あり俳句もありみんな含めて川柳だという所から出発せんといかん、グングン狭まって行かないで、出発点から広いんだという線で言ってきたんだけれど、じゃあどれが川柳なんだと言われて、これが川柳だというものがないぞと思って、じゃんじゃんわしは句集を出してやるぞとやってきて、ふと振り向いたら僕の後を誰もついて来ないなあと気がついてね」

さて、『六福神』は次の句で始まっている。

キミたち曼珠沙華ミャオミャオ
ボクたち落玉華バウワウ

「落玉華」(おったまげ)は隆夫の造語である。
『魚命魚辞』のあとがきに次のように書いてある。「さて、『魚命魚辞』を読んで、代り映えしないとオナゲキの皆さまには、次回こそ、必ずオッタマゲルゾと予告して、ごあいさつに代えます」
このあとがきとの関係の有無は定かではないが、「曼珠沙華」「落玉華」と対にして、猫と犬の鳴き声をくっつけている。郷ひろみの「男の子女の子」の節で歌ってみると茶化しはいっそう強力になる。

君が代を素直に唄う浪花のポチ
ポチが唄えばタマも唄うか

「君が代」は国家権力と結びついた歌である。
タマは猫の名だが、かつてタマちゃんというアザラシがいたから、東京の猫ということになるだろう。
郷ひろみも君が代も茶化されているのだ。セックスと政治はともに隆夫にとって諷刺対象である。
女と男、猫と犬、大阪と東京などの対の発想によってヴァリエーションがどんどん展開してゆくおもしろさがある。セックスの話かと思って読んでいると政治諷刺に展開するから気をつけていなければならない。隆夫は「社会性川柳」の最後の作家である。
第二章では「老いらくの恋」が主題として取り上げられる。

老いらくの恋のエリマキトカゲかな
そうだ京都キミの紅葉も見てみたいし
芒野は不義密通の細道じゃ
高齢者のための密通相談所

「老いらくの恋」というと歌人の川田順のことなどが思い浮かぶ。
ひょっとすると隆夫は川柳における「高齢者とセックス」という表現領域を切り開いたのかもしれない。

なあ芒おれの女にならないか
ススキさんから電話、否(ノー)だってよ

私は隆夫とは川柳観が異なるが、彼の批評性や諷刺を貴重なものと思い続けてきた。隆夫はポエジー否定であるが、肝心なのは何がポエジーかということだ。
『六福神』を読みながら、私は花田清輝の「放蕩無頼のやぶれかぶれもあれば、品行方正のやぶれかぶれもある」という言葉を思い出していた。私もそろそろ次の句集の準備をしなければならないのかも知れない。
最後に『六福神』のなかでもっとも気に入った句を挙げておこう。

首括る前にオシッコしておこう   渡辺隆夫

2014年6月27日金曜日

読書日記―大阪連句懇話会

6月某日
「船団」101号を読む。
今号から表紙やレイアウトが変った。新たなスタートを切るための誌面一新だろう。
ねじめ正一のエッセイ「高橋鏡太郎・続」に注目。
100号に掲載された「高橋鏡太郎」を読んだとき、この無頼派の俳人に興味が湧いて『俳人風狂列伝』(石川桂郎)を読んでみた。本号の文章は続篇である。
新宿の居酒屋「ぼるが」の主人で俳人の高島茂のことが詳しく書いてある。もうひとり、高橋鏡太郎の友人だった山岸外史も印象的である。
今や無頼派はどこにもいなくなった。

抒情涸れしかと春水に翳うつす   高橋鏡太郎
はまなすは棘やはらかし砂に匍ひ

6月某日
『漱石東京百句』(坪内稔典・三宅やよい編、創風社出版)を読む。
『漱石松山百句』『漱石熊本百句』に続く東京篇である。
「表現されているままに読む」「漱石を知らなくても読める」というコンセプトの通り、予備知識なしに、漱石俳句に向かい合うことができる。

時鳥厠半ばに出かねたり     漱石

西園寺公望のサロン「雨声会」に招待されたときに漱石が出席を断ったときの句である。『虞美人草』執筆中なので、出席することができないというのである。漱石の反骨精神をあらわしているエピソードとして有名だが、本書ではそういうことに触れず、句を素直に鑑賞している。

雷の図にのりすぎて落にけり

漱石らしい俳諧味のある句である。

君逝きて浮世に花はなかりけり
有る程の菊抛げ入れよ棺の中

追悼句を二句並べてみた。
前者は兄嫁・登世が逝去したときの句。兄嫁は漱石の原イメージとなった女性である。
後者は大塚楠緒子に対する追悼句として知られている。

6月某日
横光利一『上海』読了。
新感覚派の集大成的作品として知られるが、今まで読む機会がなかった。
読んでみて驚いた。これは同時代のプロレタリア文学を越える社会小説ではないか。
1925年の5・30事件を描いていて、当時の国際政治・経済の動きがきちんと視野に入っている。『旅愁』の日本回帰の評判が悪いので、『上海』にも先入観があったのだ。
『家族会議』も読んでみたが、兜町の株の世界が生き生きと描かれている。特に主人公を取り巻く女性たちの姿が躍動している。横光が女を描ける小説家だとは意外だった。
横光は俳句とも関係が深い。石田波郷の句集『鶴の眼』に横光は序文を書いていて、波郷との交流が指摘されている。

蟻台上に飢ゑて月高し    横光利一

6月22日(日)
第10回大阪連句懇話会。
第4回芝不器男俳句新人賞を受賞した曾根毅をゲストに迎えて話を聞く。
曾根は一週間前の関西現俳協青年部の集まりでも話をしている。そのときのMCは小池康生。
「未定」「LOTUS」「光芒」「儒艮」など、手元にある俳誌をかかえて会場に赴いた。
今回の受賞作は「セシウム」「シーベルト」などの語を用いて原発を詠んだ句が話題となったので、まず震災体験について話してもらった。曾根は震災当日、出張で仙台にいて、実際に震災を体験している。あと、師である鈴木六林男のことなど、興味深い話を聞くことができた。
連句の座にも入ってもらって、受賞作から曾根の句を発句にして半歌仙を巻いた。

夏風や波の間に間の子供たち    曾根毅
 浜昼顔の揺れておだやか     小池正博

何も本当におだやかだと思っているわけではない。
危機意識は日常の裏側に常に貼りついているのだ。

2014年6月20日金曜日

歌人・俳人・柳人合同句歌会

「かばん」6月号が届いた。
まず開いたページは「歌人・俳人・柳人合同句歌会レポート」(飯島章友)。
3月2日に新宿の喫茶室で開催されたが、断片的な情報は入ってくるものの、今までまとまったレポートもなく、どんな様子だったか気になっていたのだ。
この集まりは「かばんの会」主催で、「馬」という題または自由詠で短歌と五七五(俳句か川柳)を1作品ずつ提出、互選するもの。
参加者は「かばん」から東直子・佐藤弓生・澤田順、こずえユノ、白辺いづみ、川合大祐、鳥栖なおこ、飯島章友。俳人は西原天気、手嶋崖元、西村麒麟。川柳人は藤田めぐみ、倉間しおり。
まず、短歌作品からピックアップする。

自転車廃棄所の銀の光の中をゆく馬を欲しがる妹のため     倉間しおり
楽しくも寂しくも無き湖の向かう岸から馬が見てゐる      西村麒麟
駆け抜ける馬のかずかず現実の世界と同じ大きさの地図     西原天気
こんなにも明るい昼を走り過ぐ馬上の人のとけゆくほどに    東直子
星を見に行こうよ井戸に落ちた星、実感馬鹿なんかほっといて  佐藤弓生
肉食ひて肉と成したるおのが身を恥づれば馬の国のガリバー   川合大祐

最高得点は6票で、倉間しおりの作品。
「イメージのカッコ良さや映像の鮮明さ、置場ではなく『廃棄所』とした上手さ、サカナクションのようなテクノロックっぽさ、『馬』という聖と『自転車廃棄所』という俗の関係から光を見つけるところなどが高い評価を得、三分野すべての参加者から票が入った」と飯島はコメントしている。
次点は五票で、西村と西原の作品。
三位が東の作品だったという。
続いて五七五作品をピックアップする。

のどけさや君の桂馬が裏返る     鳥栖なおこ
開戦前ひづめは紅くなっている    藤田めぐみ
わたしって馬だし箸は持てないし   飯島章友
春の雪ぼくらしばらく木となりて   佐藤弓生
馬が突き刺してゐる春の雷      手嶋崖元

最高得点は五票で、鳥栖・藤田・手嶋の三作品。
ジャンルを超えた短詩型の実作会・批評会はこれまでにもいろいろ試みられてきた。他ジャンルの人が作った作品がそのジャンルの作品を読み慣れている者にとって新鮮にうつることもあるし、そのジャンルに習熟している実作者ならではの作品が順当に評価されることもある。実作を通して、それぞれの形式の手触りの違いが浮き彫りにされるのが越境句会・歌会の醍醐味だろう。「短歌がじっくり分析することに向いているのに対し、俳句や川柳は分析しすぎても詰らない」という感想が会の後で出たそうだ。

特集のひとつ、陣崎草子(じんさき・そうこ)の第一歌集『春戦争』にも注目した。「かばん新人特集号Vol.5」(2011年1月)以来、陣崎は何となく気になっていた歌人である。その時のプロフィールには「絵、絵本、短歌、小説をかいています。小説『草の上で愛を』で講談社児童文学賞佳作受賞。絵本作品に『ロボットボロたん』など」とある。その後も絵本『おむかえワニさん』や穂村弘の本の装丁などで活躍している。『春戦争』は2013年9月、書肆侃侃房刊。自選20首から。

スニーカーの親指のとこやぶれてて親指さわればおもしろい夏
生きることぜんぜん面倒くさくない 笑える絵の具のぶちまけ方を
好きでしょ、蛇口。だって飛びでているとこが三つもあるし、光っているわ
夢を見るちから失わないために吠え声のごと光らす陰毛
何故生きる なんてたずねて欲しそうな戦力外の詩的なおまえ
どうせ死ぬ こんなオシャレな雑貨やらインテリアやら永遠めいて
このひとに触れずに死んでよいものか思案をしつつ撒いている水

そういえば蛇口には飛びでているとこがあるなあ、と改めて思う。
今回の自選20首には入っていないが、前掲の「新人特集号」から何首か追加しておく。

皿を割って割って割って、割ってって 雪がほんとに積もってしまう
まっすぐに落下してゆく鳥がいまいるね ほら、函館の空
海亀の目は何故あんなおそろしい 人をやめてしまいたくなる
馬鹿にされたことは誇っていい 熟れたトマトを潰した手を忘れるな
ええとても疲れるしとてもさびしいでもクレヨンの黄はきれいだとおもってる

さて、最初に紹介した合同句歌会に参加した倉間しおりは、昨年川柳句集『かぐや』(新葉館出版)を上梓して注目された十代の川柳人である。「川柳マガジン」に連載のコーナーももっている。『かぐや』からいくつか紹介しておく。

ひとりでは月に帰れぬかぐや姫     倉間しおり
憧れてキリンに化けてみるバナナ
好きな色は緑だという人に逢う
大根の白さで殴りたいあの子
ひっそりと風呂でイルカを飼ってます