2026年10月16日金曜日

伊賀上野「芭蕉祭」と三重県の連句

芭蕉の忌日は旧暦10月12日だが、芭蕉忌をいつ行うかについては二通りの考え方がある。新暦の10月開催と旧暦10月(新暦の11月)開催である。伊賀上野の芭蕉祭は前者の日程で、今年は10月12日(日)に式典が行われた。愛染院での墓前式典に続き上野市(忍者市)駅前での献花のあと、上野公園俳聖殿前にて式典。芭蕉翁献詠俳句が募集され、結果はホームページで発表されている。連句の募集もあって、特選1巻、入選15巻。伊賀上野の芭蕉祭は今年が第80回になる。
関連行事がいろいろ行われ、芭蕉翁記念館では特別展「芭蕉顕彰の歩み」が開催されている。12日にはハイトピア伊賀で「ふるさと連句会」が開催され、私も出席した。 発句を芭蕉さんにするか高虎さんにするか迷ったが、芭蕉祭なのでやはり芭蕉さんに。

秋麗翁の像の立ち姿

会場のハイトピア伊賀の五階から上野城天守閣がきれいに見える。四年前に伊賀を訪れたときライトアップされた天守閣の光景が印象に残っている。いま大河ドラマで話題になっている豊臣秀長のゆかりの地が大和郡山。金魚の産地としても有名だが、ブームで観光客も増えているようだ。秀長の家臣で築城の名手と言われたのが藤堂高虎。伊賀上野城は高虎が修築した城である。
2年前の2024年度俳文学会の全国大会もハイトピア伊賀で開催された。私は参加していないが、大会プログラムによると、「伊賀の芭蕉とその時代」という公開座談会が開かれている。
ここで三重県の連句について振り返っておきたい。
国民文化祭が三重県で開催されたのは1994年のこと。「第9回国民文化祭・みえ94」ですでに32年前のことだ。手元にある「三重県連句協会十年史」によると、国文祭の2年前、平成4年に「三重県連句協会」が設立され、翌平成5年にはプレ国民文化祭文芸大会が伊勢市観光文化会館で開催されている。本番の第9回国民文化祭みえ94連句大会は10月23日に津市勤労者福祉会館で開催され、全国から217人の連句人が集まった。前日の22日は伊勢神宮参拝のあと神宮会館で前夜祭が行われ、168人が参加した。三重県連句協会の方々の努力の結果であるが、このころは連句復興の最盛期で、振り返ってみると今昔の感がある。
国文祭後に三重県で開催された主なイベントを拾っておくと、「曽良を偲ぶ連句会」(平成9年5月)、「荒木田守武没後450年記念連句大会」(平成11年8月、いせトピア)、「片岡白華を偲ぶ連句会」(平成12年2月、四日市市文化会館)などのほか「みえ県民文化祭連句大会」、「しぐれ忌連句大会」(上野天満宮、上野市栄楽館)が毎年開催されている。また『三重県連句作品集』が平成13年までに5冊発行されている。
『三重県連句協会十年史』は平成15年の発行だが、このとき三重県には16の連句グループがあった。その多くはいま活動を続けていない。三重県は荒木田守武、松尾芭蕉のほか伊勢派俳諧の拠点であったが、明治以降には旧派の俳諧は衰えていった。それが国民文化祭を契機として2000年代前後に盛り上がりを見せた。伊賀連句会はその系譜につらなっているが、「芭蕉祭」を契機として伊賀の連衆と交流できたのは貴重な経験だった。
連句会の終了後、ひとり菅原神社(上野天満宮)に参拝した。ここは若き芭蕉が江戸に立つ前に『貝おほひ』を奉納したところである。もうすぐはじまる秋祭にはだんじりが集結することでも有名だ(ユネスコの無形文化遺産)。そういえば昼食に入ったレストランで酒瓶に9基のだんじりのラベルが貼ってあるのを見た。 街を歩いていると芭蕉句碑に出会った。芭蕉が故郷に帰ったときの句である。

 さまざまの事思ひ出す桜かな  芭蕉

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