2025年1月26日日曜日

日日是好日

1月×日
前回のこの欄で中勘助の「島守」のことを取り上げたが、勘助の初期の随筆に「夢の日記」(明治45年)がある。漱石の「夢十夜」や内田百閒の悪夢のような小説が連想されるが、それらとも少し違う中勘助の世界が感じられる。明恵上人の「夢記」も有名だが、中勘助の「夢の日記」はこんふうに書かれている。
「あらしの夜、今にも崩れようとして洞のやうになつた大波のうへにひとりの天童が小さな唇に笑みをふくんで静かに眠つてゐる。波を枕に天にむかつた額にふさふさと髪がかかつて波風の音のうちにかすかな息がきこえるかと思はれた」
「旅から旅と歩くうちにどこともしらぬ国のはての淋しい白浜へ出た。そこには小さなお宮があつて古い松原に絹糸のやうなさざ波がよつてゐる。誰ともしれず
『あはれな鳥の魂をまつる鳥の宮』
といつた。松のあひだの細路をお宮のはうへゆく。お宮のあたりには野菊、りんだう、萩、すすき、桔梗、をみなへしなど秋草が霧のなかに路を埋めてさきみだれ、使はしめの千鳥ヶ幾千羽となく海にも陸にも、ひりひり ひりひり となく。私は紅白の鈴の紐をふつてお詣りをしたのちお宮のまへの店で豆人形やおや指の頭ほどの面などを買つて帰らうとして夢がさめた」

1月×日
「井泉」109号が届く。リレー評論「今、私がアンソロジーをつくるなら」というテーマで辻聡之、江村彩、大熊桂子が書いている。辻の「不思議な弟たち」に注目した。「弟」を詠んだ短歌が12首集められている。

うつそみの 人にある我や 明日よりは 二上山を 弟背と我れ見む 大伯皇女
月足らずで生まれたらしい弟を補うようにつきのひかりは  笹井宏之
弟に奪はれまいと母の乳房をふたつ持ちしとき自我は生まれき 春日井建
雨の日に義弟全史を書き始めわからぬ箇所を@で埋める 土井礼一郎

今年は現代川柳でもアンソロジーや句集が刊行されることが期待される。

1月18日
「川柳スパイラル」大阪句会。参加者7人。兼題「新」と雑詠、それぞれ1句出句。参加者が少ないので次回からは2句出しにしようと思う。
兵頭全郎の第二句集『白騎士』(私家本工房)をもらう。今年刊行されるであろう現代川柳句集の口火を切ったかたちである。
【ホワイトナイト】について「敵対的買収を仕掛けられた対象会社を、買収者に対抗して、友好的に買収または合併する会社のこと。白馬の騎士になぞらえて、このように呼ばれる」という説明が最初に掲げられているが、句集に出てくる「白騎士」の句とどの程度の関係性があるのかは分からない。
前句付亜種(50音順)とあり、「あ」から「ん」までの50のタイトルそれぞれに4句のセットが付いている。タイトル+4句というスタイルは、「あとがき」にある通り、渡辺隆夫の『亀れおん』などに倣ったもの。渡辺隆夫と兵頭全郎を並べて引用してみよう。

「富士」 渡辺隆夫
田子の浦ゆ富士を仰げばタオル落つ
富士を見た人から税がとれないか
あれは一富士だったか武富士だったか
金のない日は富士さえ見えぬ

「映画化により」 兵頭全郎
買取に出す白騎士に欠けたもの
絵馬よりもせつない絵馬の行動力
曇天を待つ置き傘のたたずまい
マ行から身を引く人のオーディション

1月19日
みやこメッセで文学フリマ京都が開催される。主催者発表によると、来場者5541人、その内訳は出店者1313人、一般来場者4228人。「川柳スパイラル」もブースを出して参加。もう何回目になるだろう。
川柳からは「ゆに」も出店している。ゆに会員一人一句「川柳いいかも」をいただいたのでご紹介。

露草のそばを鯨の通り過ぎ おおさわほてる
寂しくはないというのにみんな来る 小原由佳
雹は降りつづき十年経っている 重森恒雄
雨脚をつかめば握りかえす雨 西田雅子
眼科まずしんと気球を見る検査 芳賀博子
どの淵もひそかに臨時バスが出る 山崎夫美子

当日ブースを出していた鈴木雀の『せいいっぱいの花柄』からも引用しておこう。

日時計のくるったままの夏至がくる
ママだった人がわたしと自称する
病名がついたらなんて歌ってた
バーチャルなからだがほしいビデオ4

1月×日
川柳の技術とは何だろう。技術的に上手な句であるのに越したことはないが、「上手い句」と「良い句」とは違うという言い方もある。中村冨二は「川柳に残されたものは技術しかない」と言った。この言葉は謎であるが、正しくは「川柳という名に残されたモノは、技術だけである」とも「川柳に残されたものは、川柳的技術だけだ」とも伝えられていて、それぞれ若干のニュアンスの違いが感じられる。
冨二の句で言えば。

美少年 ゼリーのように裸だね (直喩)
病院を挟む大きなピンセット (誇張)  
パチンコ屋 オヤあなたにも影がない(会話体)
セロファンを買いに出掛ける蝶夫妻 (擬人法)

などの技法が使われているが、技術の裏付けがあるとしても、技術だけで成り立っているわけでもなさそうだ。一時、川柳でもメタファーが流行ったが、既成の技法を使うとしても、そこに新鮮な領域を付け加えることが必要だ。

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