今年1月に矢本大雪(やもと・だいせつ)が亡くなった。
大雪は1950年生まれ。弘前川柳社、かもしか川柳社、雪灯の会、川柳誌「双眸」などで活躍した。私は大雪と直接の面識はないが、彼が「双眸」の編集をしていたときに原稿依頼があり、お世話になった。
手元に句集『火輪』(2003年12月)がある。
ゼフィルスをはらむ真冬のポストかな 矢本大雪
まっくらな胸で失禁する椿
蝶を握りつぶす説明書のとおり
吹雪呼ぶ切手を舐めてもらうため
慰謝料のかわりに添削してやろう
季語や切れ字が入っているから、一見すると俳句かと思いたくなるだろう。
大雪自身、あとがきで次のように書いている。
「私の作品には季語が多く用いられる。私の持つ叙情性がまだ多くを季感に求めているからだろう。季感にもたれすぎない叙情が表現できれば望むところなのだが、言葉でいうほど簡単ではないと感じている。もちろん私の作品は川柳である」
『火輪』以前に大雪は『新世紀の現代川柳20人集』(北宋社、2001年6月)に「空の花」100句を掲載している。その中の連作「父」から最初の5句を紹介しておく。
あたたかな父の片鱗汽笛だろうか
冷や飯に月のぬけがらそして間奏
かき氷もとの父子に戻れるか
あやとりの川の家系図もほどけ
父にたちこめる狭霧を斉唱す
また、彼は「かもしか川柳文庫」から『オノマトペ川柳辞典』『現代川柳をつくる』『動詞別川柳秀句集かもしか篇』の三冊を出している。
『動詞別…』は川柳誌「かもしか」に発表された作品を動詞別に配列した労作である。俳句では季語によって作品を分類するのが普通だが、川柳では特定の分類法がなく、類題・句題別の分類では雑詠の位置づけが困難になる。大雪は「川柳作品のおよそ八割強が動詞によって区分できる」と言いうが、同時に「動詞で川柳を分類するのは、一つの便法に過ぎない」とも述べている。
分類は大雪が残した重要な仕事のひとつである。
「双眸」でも彼は「川柳レトリカ」という連載でキイ・ワードの面から現代川柳作品を整理しようとしている。項目ごとに語義・象徴性・用例がまとめられている。『セレクション柳論』(邑書林)を編集したとき、「川柳レトリカ」から「青・蒼」「穴・孔」「蟻」の三項目を掲載させてもらった。たとえば、「青」の項目では次の作品が用例に挙げられている。
あすは知らず裸体の青きまま睡る 西条真紀
ナイフ研ぐかすかに青を零す指 松永千秋
一滴の水で研いでる青いナイフ 井出 節
「双眸」6号(2003年11月)は大山竹二特集である。
拙論「大山竹二における人間の探究」、野沢省悟「蚊を叩く―大山竹二句集を読む―」、矢本大雪「大山竹二作品ノート」などのほか「大山竹二略年譜」「大山竹二作品100句」、資料「大山竹二の川柳観」が付いている。中身の濃い特集だった。
その後、彼は川柳に意欲を失ったのか、俳句を主なフィールドとするようになった。俳句に移行した川柳人はこれまでにもいるが、私は複雑な気持ちでその光景を眺めていた。ときどき、「垂人」などで大雪の名を目にすることがあり、京都の川柳誌「凜」にも彼の句評が掲載されていた。「凜」68号(2017年1月)に掲載された文章は、大雪の絶筆なのかもしれない。辛口の句評になっている。
「川柳は最初から言葉で語り、説明しようとし過ぎてきた。それが伝える方法だと信じてきたからである。しかし、他人に句の内容を伝えることは、語ることじゃないと気づくべきだ」
「発想はものすごくいい。ただし、しじまがおしゃべりしすぎだ。これは妥協で、おそらくここに取り上げるべき言葉を見つけるのは難しい。何年もかかるかもしれない。それがふっと浮かぶとき、我々は川柳の恩寵を感じられるのだ。でも、正解はないのだろう」
2月の点鐘散歩会で京都の何必館に行ったときに北大路魯山人の展示室で魯山人の言葉が掲示されているのに出会った。正確には覚えていないが、「仕事というものはどこまでやらないといけないというものでもない。どこで終わってもそれはそれでいいのだ」というようなことが書いてあった。私はそんなふうに考えることができればずいぶん楽だなと思った。いま、大雪の残した仕事を前にして、この言葉を思い出している。
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