2月25日、大阪難波の「まちライブラリー」で「大阪短歌チョップ2」が開催された。2014年7月の第一回にも私は参加して、この時評でもレポートを書いているが(2014年7月26日)、今回もたいへん刺激的なイベントだったので報告しておきたい。
大会パンフの「ご挨拶」には次のように書かれている。
「この三年でどれだけのことが起こり、そして何が変わったのか。たとえば、大阪・中崎町に詩歌を主に扱う古書店『葉ね文庫』がオープンし、多くのお客さんで賑わっています。たとえば、安福望『食器と食パンとペン わたしの好きな短歌』(キノブックス)が発売され、多くの読者が安福さんの絵と、安福さんが選んだ短歌に魅了されました。どちらも前回の大阪短歌チョップのときにはなかったもので、三年前には想像できなかったことが今、起こっています」
「葉ね文庫」には川柳の句集や同人誌を置いてもらっているし、安福さんのイラストには最近では川柳作品も登場するようになった。短歌中心のイベントではあるが、川柳もその恩恵を受けていることがわかる。
会場には午後に着いたが、天野慶のかるた体験コーナーがはじまっていた。天野慶には一昨年の「川柳フリマ」のときにゲストに来てもらったことがある。
13時30分からのトークセッションは「あつまる、ひろがる~短歌の「場」の現場~」というテーマ。司会の土岐友浩は事情により欠席だったので光森裕樹が司会をつとめた。パネリストは荻原裕幸・田中ましろ・石井僚一。
まず石井僚一が若いのにびっくりする。石井は「短歌研究新人賞」を受賞したあと虚構論争が巻き起こったことで著名である。昨年の「川柳フリマ」で山田消児をゲストに迎えたときにも石井の短歌が話題になった。また、石井僚一短歌賞を自ら創設したことも波紋をよんだ。短歌賞に名前を冠しているので、「もう死んだ人かと思った」と言われたこともあるそうだ。北大短歌会で活躍しているというから若いはずだ。こんな人が川柳にも五、六人ほしいと思った。
司会の光森はテーマである「場」の説明からはじめた。『岩波現代短歌辞典』によれば、短歌の「場」とは、読み方に方向性を与えるもの、作者・性別・職業・結社など作者に関する情報も「場」である。「場」は一般にはメディアとか媒体という意味でも使われる。それらを含めて「場」の問題を考えてゆくということらしい。
まず、荻原について。光森はキイワードとして①インターネット②歌葉新人賞③短歌ヴァーサスの三点を挙げた。以下は、荻原自身の発言から。
荻原が同人誌「フォルテ」を立ち上げたのは、短歌研究新人賞を受賞したあと、総合誌に発表の場がないなら自分たちで同人誌を作ろうということだったらしい。ところが80年代後半、総合誌が彼らに発表の場所を提供しはじめる。既存の場ではできないと思っていたことが、歌壇に取り込まれていくという話だった。
次に、田中ましろについて。光森の上げたキイ・ワードは①うたらば②かたすみさがし③短歌男子。以下、田中の発言から。
「うたらば」は作品をネットで募集して選んだ歌に写真をつけてフリーペーパーを発行する。「短歌を知らない人に、短歌の面白さを伝えたい」ということで始めた。「フリーペーパーうたらば」のほかに「ブログパーツ短歌」も募集していて、その特徴として田中は次の5点を挙げた。①共通認識をフックにして読者を納得させる②読者の脳内に想起させるイメージが魅力的③切り取られた31文字の前後にある物語を考えさせる力がある④作中主体がどうしようもないほど人間らしくて好感が持てる⑤面白い。
フリペの場合はもう少し世界観を入れてゆくが、とにかくどう話題を作ってゆくか、イベント化するかを考えているということだった。
三人目、石井僚一について。光森のキイ・ワードは①短歌研究新人賞②石井僚一短歌賞③毎月歌壇。以下、石井の発言から。
2014年4月に「北海道大学短歌会」に入会。「父親のような雨に打たれて」で短歌研究新人賞を受賞。「石井は生きている歌会」を各地で開催。ネットプリント「毎月歌壇」の選者を谷川電話とつとめる。石井僚一短歌賞をはじめた理由をいろいろ言ったのは後づけで、「できるだけやれることはやっておこう」という気持ちからだったという。
ここで私はトーク会場から中座して、二階の「葉ねのはなし」に移動した。池上規公子の話を聞きたかったからだ。葉ね文庫は人気があるので、けっこう人が集まっていた。葉ね文庫を開店した経緯、なぜ中崎町を選んだか、理想とする本屋のイメージ、影響を受けた書店などについて語られた。これまで断片的にしか知らなかったことを、改めて彼女自身の口から聞くことができてよかった。
再びトーク会場に戻ると、石井が「歌会」をイチ押ししていることをめぐって話が進んでいた。なぜそんなに「歌会」がいいのかという疑義に対して、石井は自分にとってネットはすでに前提として最初から存在していたので、そこから「歌会」の方へ向かったと答えた。荻原にとっては「歌会」の方が前提としてあって、そこからネットの可能性の方に向かったという点が対照的だ。
田中ましろはツイッターなどで歌を発表するのは以前に比べて減る傾向にあり、ツールの使い方が変化してきているのではないかと述べていた。
あと、私が席を外していたあいだに、自分の名前を冠する短歌賞を自分で創設することの是非をめぐって応酬があったようだ。
最後に、光森によるまとめ。
光森はいま沖縄に住んでいて、沖縄のひとは「本土」「内地」という呼び方をするが、光森自身は「本土」という言い方は好きではなく、「内地」という言い方をする。沖縄は「内」に対して「外」に位置するが、「外」はさらに外延に位置するものからは「内」への通路になるわけで、短詩型の場合も同じように考えることができるのではないか、ということだった。
あと、もうひとつのトークセッション「ムシトーク!~新しい短歌こっちにもあります~」や「安福望のライブドローイング」などを見て、最後に飯田和馬と岡野大嗣の朗読を聞いてから会場を後にした。前回は俳人の姿も見かけたのに、今回は俳人・川柳人の参加がほとんどなかったのが残念な気がした。いまどこでどんなことが起こっているかを知っておくことが重要なのだ。イベントをかげで支えた牛隆佑をはじめとするスタッフのみなさんにも敬意を表しておきたい。
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