2016年7月15日金曜日

北田惟圭句集『残り火』

北田惟圭(きただ・ただよし)は大阪の川柳人。
句文集に『四角四面』(2011年)があるが、今回は今年3月に上梓された句集『残り火』を紹介したい。
この句集には2010年から2016年までの作品が収録されているが、この間、日本では東日本大震災や福島の原発事故、安保関連法の成立などの様々な出来事があった。この句集ではそれらの出来事と正面から取り組んでいる。
巻頭に置かれているのは次の句である。

蝶が舞う新月でしたあの日です   北田惟圭

「あの日」とはいつだろう。
新月だから月の出ていない夜である。夜飛ぶのは蛾であって、蝶が舞うのは幻想的な風景と受け取れる。とにかく「あの日」何かが起こった。
恋句とも読めるし、社会的な事件を詠んでいるようにも思える。
私は最初「フクシマ」のことかなと思ったが、2010年の作品として収録されているから、時が合わない。けれども、あとの句を読んでゆくと、福島の作品が多いから、この巻頭句は予言的なものとしてここに置かれているような気がした。

国ざかい消したはずですエラスムス

エラスムスは宗教改革期の人文学者で、『愚神礼賛』『平和の訴え』などで知られている。国際的な知識人だった。
2011年作品から。

メルトダウンに煮え滾る腸
咲き初めにひらひらひらと舞う核種
良くご存知ですね犠牲のシステム
巣作りの鳥が取り込む核のごみ
フクシマの灰次々と化けている
姉弟待つピアノは堪えて朽ちるまで

原発事故をテーマとした作品は現代詩や短歌・俳句で繰り返し創られているが、川柳で記憶に残るような作品は案外少ない。表層的な事件として詠まれることはあっても、自己のテーマとして正面から引き受けた作品が少ないのである。また、時事句として詠まれるだけで、作品が文芸的にも優れたものになることは簡単ではない。北田は社会的な素材と文芸性とのあいだで苦闘しながら、この大きなテーマと取り組んでいることがうかがえる。しかも、それは一過性の営為ではなく、持続的なものだった。
次にあげるのは2012年の作品である。

すべて木が騙されていて深みどり
花が咲く核種を吸って喜びの彩
幾万年の覚悟があるかと盧舎那仏
ウランが光る蟻塚の闇
被曝に嘘はないムラサキツユクサ
三万年 目覚めの悪い眠り姫
一本の柱だったか炉心だったか

北田は自らの川柳技術を駆使して、原発の主題に向かい合っている。
ここでは原発の時間的・空間的影響に視線が広がっている。風刺や反語、七七というリズム(五七五よりも圧縮されて引き締まった表現にすることができる)などが使われている。
さらに、2013年の作品を見ていこう。

廃炉の蔕に蛆がうじゃうじゃ
蟹のいた小島の磯や再稼働
事後処理として複式呼吸する
2号炉の抗がん剤はないのです
トーデンのデスクに廃炉の絵巻物

怒りは直接的になったり深化されたりする。
次は2014年の作品。

阿修羅には凍てた吐息の布告状
春の海核弾頭を隠し持ち
紫蘭ふたたび陣地ひろげる
何気なく置かれたものが化けている
もっともっと光を 過去を掘り返す
軍神が削除キー押す第九条
ウランがはしゃぐ君のポケット
首塚の位置がずれてる 再稼働

ここではもう一つのテーマ、安保法案の問題があらわれてくる。戦後の日本人が共通認識として持っていた戦争放棄の理念が揺らぎつつある。
続いて2015年。

銃を手にしたら外せなくなる的
輪唱の途中で重くなる廃炉
みかえりの阿弥陀如来が念を押す
原発の電気は使いたくないのです
情報に上手にハサミ入れたがる
シュート回転しないピストルの弾
喃語にて力説してる平和論

北田惟圭の句集『残り火』は社会詠に正面から取り組んだ、今どき珍しい川柳句集である。川柳は諷刺を得意とするものの、批評性と文芸性を兼ね備えることは至難の業である。ひとつの主題を持続的に取り上げ、深化させていくという姿勢も貴重なものだ。
最後に2016年作品から次の句を挙げて終わりたい。

黄蝶舞う一基一基と急き立てて   北田惟圭

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