2014年8月22日金曜日

川柳小説「座談会―《「現代川柳」を語る》」

 昭和39年の晩秋、金子兜太は「俳句研究」の座談会に出席するために、都内のホテルへ向かった。その日の座談会は俳人同士の集まりではなく、俳人・歌人・川柳人の合同座談会だった。俳句からは金子自身のほかに高柳重信、短歌からは岡井隆、川柳からは河野春三・松本芳味・山村祐が参加する。座談会の記録は《「現代川柳」を語る》というタイトルで「俳句研究」昭和40年1月号に掲載されることになっていた。
 前年の昭和38年に金子は岡井隆との共著『短詩型文学論』(紀伊国屋新書)を上梓しており、河野春三や山村祐などの川柳人との交流が始まっていた。金子を通じて岡井も川柳人と交流するようになっていた。高柳の師は富澤赤黄男であるが、赤黄男の周辺からは岡橋宣介などの川柳人が出ており、高柳は河野春三の出版記念会にも出席していた。
 一同が集ったあと、司会の金子兜太はまず川柳人の紹介から始めた。
「ご出席いただいた河野春三さんは、『現代川柳への理解』、山村祐さんは『続短詩私論』という、それぞれの著書を持っておられる。又、松本芳味さんは今度の『俳句研究』誌の企てに応じて一文を草しておられる。まあ我々の今まで接しえた限りでの現代川柳派の方々が此処にお集まり下さっておる訳ですが、先ず話の糸口として、今申し上げた三つの文章などを参照しながら、私、現代川柳についての横におる者としての素直な感想を述べさせて貰おうかと思います」
当時「現代川柳」という言葉がしばしば使われていたが、これは単に「現代の川柳」という意味ではなく、「伝統川柳」に対する「革新川柳」というニュアンスが強かった。
金子の言う三つの文章のうち、河野春三の『現代川柳への理解』は『短詩型文学論』の注で引用されていた。山村祐の『続短詩私論』は「川柳現代」昭和39年1月号に金子兜太・林田紀音夫・高柳重信などが書評を掲載している。また、松本芳味は「俳句研究」昭和39年10月号に「現代川柳作品展望」という文章を発表しており、そこで芳味は現代川柳を「抒情について」「社会性について」「哲学派その他」に分類して紹介していた。
これらの川柳人の著作や文章を踏まえて、金子は俳句と川柳の共通性と相違について話を切り出した。
「まず、現代川柳と我々のやっている俳句とでは内容上のスレ違いということは殆どない。ただ、両者を発生から現状へという経緯の面で考えて来ると、一つの相違が感じられる。川柳の歴史には民衆に密着した自由な発想、ほしいままな風刺作りが一貫して感じられるけれども、俳句の場合、短歌の伝統を一応踏んだ所で発句という形式を生かして育ってきた、ややアカデミックな色合を持つ。もう一つ、川柳が口語短詩であったという事、従って最短定型という事に対して、文語短詩としての俳句ほど厳格でなかったという事、この違いが非常に重要だと思う。其の違いが内容上の差まで、或いは決めてくるのではないかと僕は考えるんです」
金子は『短詩型文学論』で「河野春三は『現代川柳への理解』で、俳句と川柳が最短詩としての共通性をもち、現在では内容的にも一致している点を指摘し、『短詩』として一本のジャンルに立ち得ることを語っているが、一面の正当性をもっていると思う。ただ、両者の内容上の本質的差異(川柳の機知と俳句の抒情)は越えられない一線であると思う」と述べているから、このあたりのことについて、もう一度確かめておきたかったのだろう。

この座談会を部屋の隅でそっと聞いている二人の女性がいる。彼らはタイムトラベラーで、昭和40年前後の柳俳交流について研究している20代の俳人である。座談会の参加者からは二人の姿は見えない。この二人を仮にA子・B子と呼んでおこう。
タイムトラベラーの守るべき原則は、歴史を変えてはいけないということである。どんなにフアンであっても、金子の髪をひっぱったりしてはいけない。座談会の内容に不満があったとしても、それに口を挟んではいけないのである。
「兜太ってずいぶん若いのね」とA子が言った。
「このときまだ45歳だもの」とB子。
「川柳人とも交流があったのね」
「『海程』は加藤楸邨の系統でしょ。人間探求派だから、きっと人間諷詠の川柳とも共通点があるのよ。あっ、春三が答えるわよ。静かに」

 兜太の問題提起を受けて、河野春三が答えはじめた。
「十七音文語定型という事ですがね。発生からみて、和歌から生まれた俳句は、之に非常にふさわしい、極言すれば俳句は定型、文語に拠らねばならぬと言えるでしょう。川柳の場合、定型でしかも口語に拠ったという事ですね。之が何故かという事になると、僕は大した根拠を持っていなかったと思うんです。形式のやどかり…だったんじゃないかと考える訳です」
 春三の口からヤドカリ説が飛び出した。川柳人は比喩的表現をよく使う。春三の話はなお続く。
「(川柳の)伝統派は殆ど口語ですが、現代川柳の方は革新の途上から文語を採用している訳です。この辺が俳句と逆ですね。俳句の方では文語定型が伝統派で、口語で定型基準破調又は自由律というと革新派という事になりますが、川柳の方では、伝統の方が口語で、しかも定型、革新派の方が、文語許容で、しかも破調又は自由律という訳です」
 春三の発言を受けて山村祐が話しはじめた。山村は現代詩から川柳へと進んだ人で、人形劇団プークに所属していた。
 山村は江戸期の庶民の単純化された発想・思考が五七五のリズムに乗って、原因・展開・結果という考え方で成立したこと、春三のいう「ヤドカリ説」にすること、前句付の付句として自然に返答の順序ができてしまう、という三点を述べた。
 さきほどから議論の方向に不満そうな顔つきだった松本芳味が、たまりかねて話を切り出した。
「史的な面からの事ばかりだと、ここにいる方々とは話があわないんじゃないか。発想とか、表現とか、もっと内容的に入って行かないと」
松本は春三に嘱望されている若手川柳人で、のちに句集『難破船』を発行する。川柳における多行書きの書き手としても知られている。
金子が最初に紹介したように、松本芳味はちょうど「俳句研究」に「現代川柳作品展望」という文章を発表したばかりで、現代川柳を内容的に分類して紹介していた。「現代川柳が、現代詩の一分野―短詩を志向したとき、抒情の回復と高唱が示されたことは、短詩の本質からみて、極めて当然の現象と云えよう。人間詩・川柳―ということの再認識。そこから川柳革新の頁は始まったと云っていい。この行き方が、俳句の領域を犯すものであるとの非難は、かれら新しい川柳を志向する作家たちにはナンセンスであった」―自ら書いた文章の冒頭の一節が、鮮やかに芳味の脳裏に浮かび上がった。
松本の発言に対して、司会の金子はこんなふうに応じた。「あながちそうは思わないんです。僕の詩論からいえば、詩に内容の規定というものはない。内容は自由だという事になる。川柳と俳句が別種に存在したという事は、そこにやはり形式の差があったからだと考える訳です」
 この内容と形式の問題は、この座談会を通じて何度も繰り返されることになる。
 それまで黙って他の参加者の発言を聞いていた高柳重信がおもむろに口を開いた。
「黙って聞いていると話がどんどん先へ行ってしまう。(笑)僕は俳句作家だから、進歩的な立場の短歌に対する場合、これは文字の量が俳句とは違うんだから、形式上の差は何といっても大きいし、従ってやや無責任なシンパでおられる訳だ。だが、川柳となるとそうは行かない。一般通念からいって俳句と川柳は十七音定型という点で同じだから、どうしても辛辣なシンパという立場を取らざるを得ない」

「きゃー、これがジューシンよ。かっこいいわね」
とA子が言った。
「そうね。小池正博が一つ覚えのように繰り返している《辛辣なシンパ》というキイ・ワードがここで出てくるのよ」とB子。
「短歌に対しては無責任なシンパ、川柳に対しては辛辣なシンパって、ズバリ言ってるじゃない」
「日野草城の《善意の越境》と高柳重信の《辛辣なシンパ》は俳人の川柳に対する典型的な二つの態度なのよ」
「春三のいうヤドカリ説って何なの」
「五七五という形式を貝殻にたとえて、ヤドカリという内容がたまたま手ごろな貝殻を借りて利用した、っていうことじゃない」
「伝統川柳が口語で、現代川柳・革新川柳が文語許容なのは何で?」
「わかんない。春三氏に聞いてよ」

「俳句と川柳とではいくらか形式が違うというような話だが、両方とも五七五でありながら、どうして形式が違ったか、これが一番重要な問題だ」
高柳の話は続く。
「江戸期の、同じ時代の同じ空気を呼吸していた人達が、同じ五七五の定型で一つはいわゆる正風の俳句、一つは川柳を作っていたという事についてこれは単に形式が違うという事だけで片付けられる問題だろうか」
岡井「形式が違うってどういう事、形式は同じじゃないの?」
高柳「さっき俳句と川柳は形式が違うというような発言があったから、それに対していってる訳だ」
金子「結果的に、違う形式、といったわけだ。江戸期の川柳は口語の文章語の五七五で、俳句の方は文語の五七五だった。その違いは確かにあったとみるんだな」
高柳「同じ時代の空気を吸っている人それぞれ言葉に対するナルチシズムが違うからではないかと割りきってみることも出来る」

いつの間にか傍らに一人の男が立っているのにA子・B子は気づいた。それまで何の気配もしなかったのに、どこからこの人は現れたのだろう。男は二人と同じようにじっと座談会に聞き入っている。
「失礼ですが、あなたはどなたですか」
たまりかねてB子が聞いた。
「これは申し遅れました。私は、宮田あきらと言います。川柳を書いています」
 男の言葉には関西の雰囲気がある。京都あたりの人なのか。
「私もこの座談会を聞きたくて、タイムトラベルしてきたのですよ」
と言って男はにやりと笑った。
「なあんだ。それじゃ、私たちのお仲間じゃん」
 ほっとしてA子はつぶやいた。
「ご挨拶は後で改めて申し上げますから、座談会の続きを聞きましょう」
と宮田は言った。その表情には一種の思いつめたところがあった。

「漠然と詩を思い詩人について考えているだけでは現実に俳句や短歌を書くことは出来ない。しかも、現代短歌と現代俳句の場合は、はっきり詩形の違いが分るが、現代俳句と現代川柳の場合は区別がつかないような事が、ままあるんだ。だから、僕たちが相互に、ここで詩人を見ようとするとくには、共に熱烈に、それぞれの川柳と俳句について語る以外に方法はないと思う」
「『俳句は死んだ』というのが僕の昔からの持論だ。滅亡するんじゃなくて、俳句はもう死んでしまっているということだ。同じ観点から言えば川柳も、もうとっくに死んでる。しかも現代川柳の動きなんかみていると死んでるのに気がつかないで勝手に騒いでるといった感じがするんだ」
 重信の発言は次第に鋭さを増してきた。
「現代川柳の、文学的に高い意欲をもってるといわれている人達の川柳が、僕らの俳句に似て来てる」
 この重信の言葉を聞いたとたんに、春三の顔色が変わった。春三は元来、短気な男である。現代川柳が俳句に擦り寄ってきている、俳句の真似をしている、俳句の影響を受けている、俳句を取り入れている…そのような言説を俳人たちから何度聞かされてきたことだろう。この人たちは無意識のうちに川柳を見下しているのではないか。川柳は断じて俳句の亜流ではないのだ。
 「大反論をせざるを得ない。川柳が俳句に似て来たのではなくて、俳句が川柳に似て来た点を僕は俳人に逆にききたい」
 険悪になった空気を和らげるように、岡井隆が言った。
「高柳君が優秀な川柳は俳句に近づくといったが、優秀な俳人は段々現代詩に近づくという事もいえる(笑)」

 それまでじっと座談会を聞いていた宮田あきらが一歩前へ進んで、座談の輪に入り込もうとしたのはそのときである。
「それはあかんのや。その言い方ではだめなんや…」
 驚いたA子・B子は急に関西弁になった宮田を引き止めた。
「おじさん、歴史を変えたらだめなんです。タイムトラベルの原則を知らないのですか」
「ぼくはSFは嫌いなんや。サブカルチャーも嫌いや。この座談会の発言を訂正するために、苦労してここまで来たのや。頼むから離してくれ。川柳が俳句に近づくのやない。現代の俳句は川柳に近づき、現代の川柳が現代詩に近づく…こう反論すべきなんや」

その間に座談会は進行し、話題がすでに変わっていった。
「エコールの差というのはよろしいな。結局川柳と俳句の差は、何に傾斜して作るかというだけの差になる」と金子が言って、話は定型論の方に進んでいった。
「僕は口語にはアクチュアリティーがあると思う。これが今、大切だと思う」と岡井が言った。
高柳がこれに反応した。「そのアクチュアリティーという言葉だが、僕個人としては、自分があくまでも、最も本質的な俳句作家でありたいと覚悟をしたときからさっきいった言葉のナルチシズム、それは僕の言葉に対するナルチシズムと、それから俳句形式自体が抱く言葉に対するナルチシズムと、その双方に忠実に殉じようと思ってきたので、あえて、このアクチュアリティーをしばしば放棄することとなったけれど、川柳の方は逆にこのアクチュアリティーに殉じるために、いわゆる言葉に対するナルチシズムを、あえて犠牲にしてきたとも言えるかもしれない」

「ナルチシズムとアクチュアリティーか。メモしとかなきゃね」とA子。
「この観点はおもしろいね」とB子。
「さっきエコール論というのも出てきたね」
「俳句と川柳はジャンルの違いではなく、エコールの違いだってやつね。そうでしょ、宮田さん」
「そう。よく勉強してるね」すでに落ち着きを取り戻した宮田が標準語で言った。
「私はジャンルの違いだと思うけど」とA子。
「ここで自律的ジャンル論をやりだすと、収拾がつかなくなるわよ」とB子が注意した。

 所定の時間がそろそろ終わろうとするころ、松本芳味は次のような発言をした。
松本「ぼく、面白くないことがある。他のジャンルの、いかなる人と話をしても、皆川柳に対して優位の意識があるんだね。古川柳に示された一般概念に、現代川柳もハメこもうとする。ただ口語と文語とに分けてしまう考え方には疑問があるし、俳句の方では口語俳句をどう見ているの、否定しているの。「こんなのは川柳だ」というだけで、片付く問題ですか」
高柳「ジャンルの優位うんぬんの言葉は、僕がもっとも言ってもらいたくなかった、いわばなさけない泣き声だと思う。もし、その作家個人の実力からきたものではなしに、軽々しくジャンルの優位性をふりまわしていると思ったら、それに対して、松本さんは、自分自身の実力とその作家的権威によって、断乎として跳ねかえすべきだと思う。今日の僕は、同じ十七字の定型詩にかかわっている人間として、現代川柳についても責任あるフアンの立場から、僕の疑問や意見を述べたつもりだよ。そう受けとってほしいね」
金子「問題が煮詰まらないうちに時間が来てしまったようですが、まあ一度の座談で片付く問題でもなし、兎に角お互いに有益な話し合いでした」
河野「大変に有益でした。現代川柳は現在過渡期でして、いわば新しい川柳のイメージ作りの段階です。益々活発に運動を展開してゆこうと思います。その為にも俳句や短歌の方々と一つの広場で、短詩共通の問題をお互いに解決し合うという事が今後も行われるといいと思います」

「あー、終わっちゃった。もう少し聞きたかったのに」とA子が言った。
「兜太と春三は最後にまとめに入ったわね。広場なんて言葉は、春三の『短詩の広場』から来ているみたいね」とB子。
「松本芳味って、この座談会の進行に終始不満をもらしているよね」
「重信との間に対立軸ができたみたい。それは双方にとって不本意だったでしょうね」
「ああ、くやしいな。やはり歴史は変えられないものなんだな」と宮田が言った。
「君たちはいつの時代から来たの」
「2014年からよ」
「ボクは1975年からだ」
「金子兜太はこのころ川柳人と交流があったって、『金子兜太の世界』に寄せた文章で岡井さんが書いているから、興味をもったの。《あの謎のやうな川柳人たち》と岡井さんは言っているわ」
「ふうん、春三も祐も芳味も謎の川柳人なんだね」
宮田あきらはさびしそうに笑った。
「宮田さん」
「え、なに」
「ひとつ言ってもいいかしら」
「何でも」
「さっき、俳句が川柳に近づき、川柳が現代詩に近づくって言ったでしょ」
「うん、言ったよ」
「それって、逆の意味で、ジャンルのヒエラルキーを認めることにならないかしら」
「うーん、そうかな」
「わたし、それがすごく気になったの」
「ぼくらは川柳に詩を導入するのに一生懸命だったんだが、言われてみればそういう面もあるかも知れない。でも、君たちのように偏見なく川柳を見てくれる人がいて嬉しいよ」
「でも、ご心配なく。私たち俳句の世界で出世していくつもりですから」
「ははは、そうだな。じゃ、飲みにでもいきますか」
                          
(注)本稿は「五七五定型」4号に掲載の拙文「コラージュ『座談会』」の小説ヴァージョンで、「俳句研究」昭和40年1月号に掲載された座談会《「現代川柳」を語る》を基にしています。ただし、引用は雑誌掲載の文章に完全に忠実というわけではありません。昭和40年のこの座談会は柳俳交流のひとつのピークだったと思われます。

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