2014年8月15日金曜日

吉村毬子句集『手毬唄』

中村苑子といえば『水妖詞館』の次の句がまず思い浮かぶ。

春の日やあの世この世と馬車を駆り   中村苑子

甲殻機動隊の劇場版アニメ「イノセント」で、主人公バトーがこの句を口ずさんだとき、私は鳥肌が立ったものだ。
さて、吉村毬子は中村苑子の弟子である。
師系というものが私はあまり好きではないのだが、吉村毬子の場合はまず「師系」という言葉を使っておきたい。吉村は筋の通った俳人だからである。
吉村は「未定」を経て、現在「LOTUS」の同人。『手毬唄』(文学の森)は第一句集となる。
全248句は「藍白」「深緋」「濡羽色」「薄紅」「天色」「鳥の子色」の六章に分けられ、それぞれの色の雰囲気が各章に流れている。まず、「藍白」(あゐじろ)の巻頭句から。

金襴緞子解くやうに河からあがる

「金襴緞子の帯締めながら花嫁御寮はなぜ泣くのだろう」という童謡がある。蕗谷虹児の作と言われている。花嫁はなぜ泣くのだろう。処女でなくなるのを悲しむのだという説もある。
この句では、金襴緞子を解くように、と言う。帯を解いて河へ入るのなら分かりやすいが、河からあがるのである。では、誰が河から上がってくるのだろうか。主体は「私」かもしれないが、もしかして水妖ではないかと思えてくる。
この句の次には「日輪へ孵す水語を恣」が置かれているから、妖艶な雰囲気もある。
金襴緞子を解くということと河から上がるということとのあいだに、ある精神の状況が読み取れるのである。
「藍白」の章には「水」のイメージをベースとする句が多い。

虚空にて沐浴の二月十五日
水底のものらに抱かれ流し雛
溢れる尾 夜光虫でも海彦でもない

そして、「藍白」の章の最後には次の句。

しづかに毬白き夏野に留まりけり

「頭の中で白い夏野になっている」(高屋窓秋)に対する挨拶だろう。
作者の偏愛する「毬」の句はさまざまなヴァリエーションをとりながら、何句もあらわれる。
次の「深緋」(こきひ)の章から。

屠所遠く踊り惚けて寒椿
踊り場へ落ちる椿も風土記かな

白椿ではなくて赤い椿だろう。「深緋」のベースにあるのは火である。色で言えば赤。
「老いながら椿となって踊りけり」(三橋鷹女)が意識されている。吉村が現代俳句のどのような系譜を引き継いでいるのかが読み取れる。

纏足の少年羊歯へ血を零す
罌粟散っていま降灰を染めあげる
曼珠沙華手折る刹那に染まる羽

「濡羽色」の章から。

毬の中で土の嗚咽を聴いてゐた

この章に通底するのは土、そして黒。

自鳴琴それは未生の帯と呼び
石の中蝶の摩擦の鳴りやまず
剥製の母が透けゆく昼の虫
螺旋三昧 羽を降らせてからは
空蝉を海の擬音で包みをり

羽をもつのは虫たちや鳥たち。
土中や地上に閉じ込められ緊縛されているからこそ飛翔への願望は切実なものとなる。
「薄紅」の章では、日本の伝統的美意識である花=桜の句が詠まれている。

櫻狩ひとりひとりの浮遊かな
朝櫻傀儡は深くたたまれし

水火土風空の五大と戯れながら、さまざまな色を織り交ぜ、四季の手触りを詠み閉じ込めてゆく。その変奏のありさまが楽しめる句集となっている。

翁かの桃の遊びをせむと言ふ     中村苑子

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