2020年11月28日土曜日

尾崎放哉と自由律俳句

紅葉を見に須磨離宮公園に行ったついでに、須磨寺に立ち寄った。
須磨寺は尾崎放哉が大正3年(1924)6月から翌年春まで境内の大師堂の堂守をしていたところである。ここは放哉にとって句作開眼の地であって、俳誌「層雲」に彼の句が爆発的に掲載されることになる。

あすは雨らしい青葉の中の堂を閉める   尾崎放哉
一日物云はず蝶の影さす
静もれる森の中おののける此の一葉
沈黙の池に亀一つ浮き上る

放哉の終焉の地は小豆島で、吉村昭の小説『海も暮れきる』に描かれているが、放哉は海が好きであった。須磨の海も放哉の心をなぐさめたのだろう。
「私は性来、殊の外海が好きでありまして、海を見て居るか、波音を聞いて居ると、大抵な脳の中のイザコザは消えて無くなつてしまうのです」(「入庵雑記」)
大師堂の傍らの池畔に「こんなよい月を一人で見て寝る」の句碑がある。
翌年春、放哉は須磨寺の住職争いの内紛の影響を受けて寺を去ることになる。放哉の海の句を挙げておく。

高浪打ちかへす砂浜に一人を投げ出す
何か求むる心海へ放つ
なぎさふりかへる我が足跡も無く
波音正しく明けて居るなり

「川柳スパイラル」10号は「自由律と短句」の特集を組んでいて、「海紅」の石川聡が「自由律俳句と自由律川柳」を書いている。
自由律俳句は新傾向俳句運動の河東碧梧桐にはじまるが、荻原井泉水の「層雲」と中塚一碧楼の「海紅」を二大俳誌とする。(これ、話を単純化しているが、実際はもっと複雑です。)
放哉や山頭火は「層雲」系である。層雲自由律の俳人の作品をいくつか挙げておく。

わたの原より人も鯛つりわれも鯛つり   野村朱鱗洞
山々着飾りたれば秋という天       池原魚眠洞
陽へ病む                大橋裸木
淋しさめが君の淋しさにあひたがつてゐる 栗林一石路
無礼なる妻よ毎日馬鹿げたものを食わしむ 橋本夢道

「海紅」系の俳人に滝井孝作がいる。俳句では折柴(おりしば・せっさい)と号していた。
「私は二十一歳の時、大正三年の秋、東京に出ました。次の年の春から碧梧桐と一碧楼とで雑誌『海紅』を出すことになりまして、私も編輯を手伝いました。大正四年、五年、六年、七年、この四年間『海紅』の仕事をしてゐました」(『折柴句集』自序)

八ツ手のかげから目かくしの馬を見る馬のをるなり 滝井折柴
毛布きた人に何も言はずそのままにおいてよし
性慾かなしく十能の火灰を土にあける
金に困りぬいてゐて冬の半島を一まはりして來た
ポケットにお前のものをもつ秋の夜也

『折柴句集』はおおむね自由律だが、それ以後は定型となる。滝井には『俳人仲間』という小説もあるが、私はまだ読んでいない。
「層雲」「海紅」以外にも吉岡禅寺洞の「天の川」とか萩原蘿月の「冬木」などがあり、現代の自由律俳誌はさらに多様化しているようだ。中塚一碧楼の句とあわせて掲載しておく。

うすもの着てそなたの他人らしいこと      中塚一碧楼
団栗は無意識に轉び悪事は根強く進捗す秋日かな 中塚一碧楼
冬木の木ずれの音 たれも来ていない      吉岡禅寺洞
季節の歯車を 早くまわせ スウィートピーを まいてくれ 吉岡禅寺洞
太陽と永遠の今と潮が流れてゐる事実      萩原蘿月

「川柳スパイラル」10号にゲスト作品を掲載している岡田幸生の句集『無伴奏』は1996年に出版されたが、私の持っているのは2015年の新版である。北田傀子が序を書いていて、北田は「随句(自由律俳句)」について次のように言っている。
「句は一種の『ひらめき』(肉体感覚の)で、それは理屈で説明し得ないいわば『無条件』である。したがって随句は文章によらず韻となる。『ひらめき』は瞬時であるから句は最短の韻文(三節)となる。この韻を可能にするのは日本語(大和言葉)の特性からで、句は平常の大和言葉で表現するのでなければ実効をあげることができない」
分かりづらいところもあるが、石川聡が「自由律俳句と自由律川柳」でも触れている「三節文体構成」なのだろう。あと萩原蘿月の「感動主義」というのも調べてみると、萩原は「冬木」の創刊号で次のように書いている。
「今の俳人の弊は、注意が外的であること、感動が沈滞していること、直観力が鋭くないことである。俳句は詩であるから、俳人の素質も詩人的でなくてはならぬ。詩人は直観力の鋭いこと、内省に富んでいること、感動の絶えず流れている事などによって俗人と区別される」(大正二年十月)
いろいろな考え方があるものだ。岡田幸生に話を戻して、最後に『無伴奏』から何句か紹介しておく。

髪を切ったあなたを見つけた    岡田幸生
無伴奏にして満開の桜だ
フランスパンのしあわせがのぞいている
きょうは顔も休みだ

2020年11月13日金曜日

雑誌を読む楽しみ(連句誌・短歌誌・川柳誌・俳誌)

この秋、10・11月に出た雑誌(連句誌・短歌誌・川柳誌・俳誌)を拾い読みしてみよう。
「みしみし」という連句誌がある。2019年4月創刊で、現在7号(2020年秋)まで発行されている。同号から連句の付け合い(三句の渡り)で印象に残った箇所を挙げておきたい。

飛躍的認知の歪みかもしれず       小奈生
 階段下りるだまし絵の中        由季
トリッパのトマト煮のあるレストラン   玉簾
   (歌仙「尾長来て」の巻)

 夏のあひだを遊び呆けて        銀河
まぼろしはいつもかなはぬ夢を見せ    七
 徹底的に髪を切られる         らくだ
   (歌仙「花野」の巻)

前句の世界を三句目でがらりと転じるのが連句の基本であり、言葉と言葉の関係性の世界には短詩型文学全般に通底するものがある。
この連句誌では連衆(連句参加者)の単独作品も掲載しているので、次に紹介しよう。

蓮の花ひらく一瞬えれきてる    羽田野令
十月で青であなたのこいびとで   瀧村小奈生
弟ときのこ名付ける遊びせり    岡田由季
薄目して手のひらが手を洗ふなり  鴇田智哉
心音のここらで虹がきえるのだ   なかはられいこ
天高しまたがってみる竹箒     沖らくだ
コスモスの中に白馬を置いてくる  小林苑を

俳人の作品も川柳人の作品もあって、同じ五七五定型である。かつて柳俳合同句会に参加したことがあるが、川柳・俳句を同じ土俵で選評しあったことを思い出した。
川柳からは瀧村小奈生やなかはられいこが参加しているが、短歌誌「井泉」96号の招待作品としてなかはらの川柳が掲載されている。

読点を置くべき箇所に笠智衆
しんにょうの流れのさきに阿藤海  (以上二句「みしみし」7号)
はらはらと金輪際が降って来る
ゆうぐれのたまごのなかの式次第  (以上二句「井泉」96号)

人名の効果、「金輪際」「式次第」の通常とはずらせた使い方など多彩な作句ぶりだ。
ちなみに「井泉」ではリレー小論として田中槐が荻原裕幸『リリカル・アンドロイド』、阿波野巧也『ビギナーズラック』を取り上げているが、ここでは彦坂美喜子「『わたし』の位相の変化」について見ておきたい。短歌における「わたし」の表現は加藤治郎、穂村弘から斉藤斎藤へ、斉藤から永井祐へと変化してきたと彦坂は言う。「その永井からもう一つ若い世代の歌には、別の位相の『わたし』の表現が表われてきているように思う」 彦坂が挙げているのは次の二人である。

この町に生れていたら通ってた小学校から飛び出すボール   平出奔
ぼくの手がそこで離されたとしても新緑の日はとおくもならず 岩倉文也

「現在の若い二十代の歌人たちの『わたし』は、不在であり、未決定であり、誰からも他人であるところに存在する。それは、仮定による不在の表象、未決定、醒めた他人感覚の記述によって、作品に意識的に張り付いている『わたし』の存在感を一層露わにする」と彦坂は述べている。
短歌では「私性」がよく問題になるが、かつて川柳でも「私性」が追求された時期があるが、現在の川柳はもう少し自由で、ある意味で「いいかげん」だ。 次に挙げるのは川柳誌から。

人間を喰うウイルスの咀嚼音    伊藤良彦
まずはその都会の音を脱ぎなさい  高市すみこ
まぼろしの音になるまでおやすみなさい 吉松澄子
斎場を出ると蝉しぐれ どっと   滋野さち(以上4句「湖」11号、課題「音」)
帽子掛けにツノを掛けたら夜ですね 広瀬ちえみ
言っておくけど売れ筋のツノらしい 同
預かったお肉返却したいのです   佐藤みさ子
死を書いたころは遠くに死があった 同 (以上4句「杜人」267号)

俳誌についても見ておこう。 「船団」が終刊(散在)したあと、それぞれの俳人の動きがある。「猫街」(発行人・三宅やよい)は散在のひとつのかたちだと思う。「猫街 NECOMACHI」2号から。

わたしからわたし離れてハンモック  近江文代
ライバルは奈良の大仏麿赤͡兒     ねじめ正一
今日からは花野といってみる空き地  三宅やよい

俳誌「五七五」(編集発行・高橋修宏)6号から。

末の種ならば華厳とひらきけり  三枝桂子
丸と思ひ点とおもへば線あらはる 佐藤りえ
今生も鰓があるのに泳げない   佐藤りえ
牛曳かれ瀕死憤死と春を踏む   増田まさみ
マダム・キューリーまた陽炎を産みこぼし 高橋修宏

「蝶」246号。たむらちせい一周忌霊祭が11月9日に行なわれた。

正論を述べた奴から真葛原    味元昭次
胎内の記憶 花咲く樹海に入り  たむらちせい
紅梅を撒きたる夢の出入口     同
戸の狂ひ叩いて開ける山桜     同

「LUTUS」46号から

葉脈の薄きひかりを囀れり       曾根毅
新芽つんつん巣ごもりそして病みにけり 高橋比呂子
春あらし表徴(シーニュ)の君を忘れない 表健太郎
昏夜もう叛かんのかと花ふぶき     志賀康

「里」が出なくなったので、私にとって若手俳人の句を読めるのは「奎」だけである。「奎」15号から。

変容の対義語として牛蛙    仮屋賢一
日盛りの花器の物欲しさうな口 野住朋可
魚は魚吐いて世界が星月夜   有櫛くらげを
人間の形して紅葉狩りの真似  水の机

以前は「言葉と言葉の関係性の世界である連句」と「一句独立して屹立する川柳」というふうに分けていたけれど、最近では連句も川柳も実作をするときの姿勢に区別がない。両者の境界は混然として短詩型の世界は究極的には同じだという気がしている。

2020年11月6日金曜日

現代川柳とは何か

『はじめまして現代川柳』(書肆侃侃房)が刊行されて、現代川柳に対して新たな関心が寄せられつつあるようだ。
現代川柳への関心はここ数年来じわじわと広がってきたという実感がある。今年前半には『金曜日の川柳』(樋口由紀子編著・左右社)が上梓され、句集についても『雨曜日』(広瀬ちえみ・文学の森)をはじめ注目すべき川柳書が発行されている。この流れは急に起こったのではなく、この5年間で言えば、『大人になるまでに読みたい15歳の短歌・俳句・川柳』(ゆまに書房・川柳の選と解説:なかはられいこ)や八上桐子句集『hibi』(港の人)、樋口由紀子句集『めるくまーる』(ふらんす堂)などの川柳句集によって、現代川柳作品を読んでみたいという読者が徐々に増えてきた結果だと思われる。現代川柳の存在を発信するためには単独で散発的な仕事をしてもだめで、かたまりとしてアピールする必要があるのだ。(「川柳スパイラル」3号でも「現代川柳にアクセスしよう」という特集を組んで、アンソロジーや句集・評論集・ウェブサイト・川柳用語などの紹介を試みたことがある。)
現代川柳のアンソロジーと言えば、『現代川柳の精鋭たち』(北宋社、2000年)の存在が大きな意味をもっている。20年後の今年、『はじめまして現代川柳』が刊行されたことは偶然とは言え、現代川柳のリレーをつなぐ何らかの意味はあるだろう。『現代川柳の精鋭たち』の作者のうち10人が『はじめまして現代川柳』にも収録されている。

それでは、「現代川柳」とは何か?
定説はないが、「現代川柳」という用語は狭義・広義の二つの意味で使われている。

狭義の「現代川柳」 戦後から1970年代までの前衛的・革新的な川柳
広義の現代川柳   現代書かれている川柳というユルイとらえ方

狭義の意味の方だが、『はじめまして現代川柳』の「現代川柳小史」では「現代川柳」という呼称について河野春三の「我々の作品を今後、現代川柳という呼称に統一したい」(「天馬」2号・1957年2月)という発言を紹介している。「現代川柳」の「現代」は単に今の時代というのではなくて、「革新川柳」と同じ意味で使われていた。その中心にいたのが河野春三である。
広義の意味の方には「現代」とはいつを指すかという問題がある。「現代詩」の場合でも、昭和初年のダダやプロレタリア詩の時代、「荒地」の詩人たちなどの戦後詩、現代書かれている詩、などの様々なとらえ方ができる。読者の世代によって「現代」の範囲が動くのである。『はじめまして現代川柳』では厳密な定義を避けて、次のようなざっくりとした言い方をしている。
〈現在では伝統と革新ということはあまり言われなくなったが、伝統であれ革新であれ、文芸としての川柳を志向する作品を「現代川柳」と呼んでおこう。遊戯性は深い意味では文芸と無縁ではないし、川柳は文学か非文学かには議論もあるが、「川柳は遊び」という軽い意味のとらえかたはしないでおきたい〉

現代川柳史の時代区分についても簡単に触れておこう。
これも定説はないが、アバウトに次のように。

現代川柳第一世代 中村冨二・河野春三から墨作二郎・時実新子まで
現代川柳第二世代 石部明・石田柊馬から渡辺隆夫まで(1930年代~1940年代生まれ)
現代川柳第三世代 筒井祥文から清水かおりまで(1950年代~1960年代生まれ)
ポスト現代川柳世代 飯島章友・川合大祐から柳本々々・暮田真名まで(1970年以降)

世代で厳密に区切れるものではないし、個々の作者についてはいろいろ問題もあろう。特に中村冨二が本当に現代川柳なのかどうか(悪い意味ではない)、考えてゆけば興味深いところだ。
『はじめまして現代川柳』では現代川柳の源流として、新興川柳と戦後川柳の作者を挙げている。現代川柳と新興川柳には直接の関係はないと考える人もいるが、私は新興川柳(川上日車と木村半文銭)を現代川柳の源流として重要だと思っている。あと、「川柳ジャーナル」の作家の中から「言葉派」のルーツとして細田洋二の存在は見逃せない。
ともあれ、たくさんの読者に『はじめまして現代川柳』を手にとっていただいて、現代川柳作品のさまざまな可能性に触れていただければ嬉しい。

2020年10月30日金曜日

金築雨学の川柳

金築雨学(かねつき・うがく)は島根県の川柳人。
雨学といえば次の作品がよく知られているし、私も真っ先に思い出す。

虫に刺されたところを人は見せたがる  金築雨学

説明は何もいらないし、むずかしい言葉はひとつも使っていない。なるほどなあと読む者を納得させる。『現代川柳の精鋭たち』(北宋社、2000年)に収録されている句だが、同書からもう少し抜き出しておく。

送別会再び会うことのないように
反対は一人もいない不信感
よく似合いますよと店員が言う
深追いをしたのか人の声がせぬ
換気扇人の臭いを出しておく

川柳では「平明で深みのある句」が良いと言われることがある。インパクトのある言葉や難解な用語を用いた実験的・冒険的な作品とは別に、川柳の骨法をふまえた平明な句である。雨学の作風は伝統的な書き方で、その特徴は「穿ち」である。
新葉館出版の川柳作家全集『金築雨学』(2009年)に彼の略歴が掲載されている。

昭和16年生まれ。
昭和43年「出雲番傘」入会
昭和47年「番傘本社」同人
昭和51年「川柳展望」会員
昭和56年「風の会」創立
平成15年「バックストローク」会員

島根県の川柳人で雨学の先輩に当たるのが柴田午朗。午朗の句集『黐の木』(もちのき、1979年)のあとがきには次の一節がある。
「私も昭和初年以来『番傘』に所属しながら、川柳の伝統を踏まえつつ、現代人としての私自身の感懐を作品に加えたつもりである」「伝統か、革新か、具象か、抽象かの議論は、川柳界に於ても、また避けることの出来ない問題だが、さて自分自身の作品はどうか、と反省するとき、ただ自分の力なさを嘆くばかりである」
柴田午朗は昭和44年より4年間、「番傘」一般近詠の選者を担当した。金築雨学も柴田午朗のめざした方向性を受け継いでいるように思われる。午朗の作品では「ふるさとを跨いで痩せた虹が立つ」(『痩せた虹』1970年)が有名だが、『黐の木』から何句か紹介しておく。

峠道海へなだれて紅い魚拓     柴田午朗
ふたりきりなら鬼になるほかはなし
蛇を見た日から別れが近くなる
今日も来ない明日も来ない鶴の便り
バスよ急げ鏡の裏にひとが待つ
風に紛れてひとのこころを買いにゆく
千発の花火をあげてさようなら

金築雨学に戻ろう。『金築雨学』のあとがきに彼の詩が掲載されている。

軒の低い小さな雑貨店に入った
何が欲しいと思ったわけではなかったが
赤 青 緑 綴じられた紙風船を取った
風船の紙の手ざわりと
ささやきが耳をクスグル
千円渡したら三百円のおつりを呉れた 

(中略 子供だった「私」は67歳のおじいさんになる)

紙風船を買った雑貨店のつり銭も
まだポケットに残っていて
歩くたびに鳴る
以下余白の命も宙ぶらりんのまま
風が吹く度チャリンチャリンと鳴る

雨学とは「バックストローク」のころに二、三度会ったことがある。この句集を送っていただいたときに、短い手紙がはさまれていて、「私のやっている川柳勉強会では、あなたの理論を充分に参考にしています」とあった。私の書いたものを読んでいただいていたのだと思う。今年7月に彼は79歳で亡くなった。改めて読み直した句集から、引用して終わりにする。

拘っているのか少し熱がある    金築雨学
動物園からお父さんを連れて帰る
霧の中自分の鼻を確かめる
顔の上を誰か歩いたようだった
水面が光って帰りにくくなる
臆病な谷で山葵がよく育つ
蛇の出た話を何時もしてくれる
殺意はあった 何事も無い一日
白という面倒くさい色がある
オオカミに食べられた娘は美しい

2020年10月23日金曜日

短歌がおもしろい(正岡豊『四月の魚』など)

時評がきちんと更新できないまま時間が流れてゆく。何もしていなかったわけではないが、言葉にはまとまらない。この夏から秋にかけて入手した短歌関係の本について書いておきたい。

歌集がたくさん出版された。
まず正岡豊の『四月の魚』(書肆侃侃房)が現代短歌クラシックスの一冊として刊行される。 この歌集は1990年にまろうど社から刊行。2000年に同社から再版刊行(私が持っているのはこのときの本)。「短歌ヴァーサス」に再録。それぞれの版に追加収録されている歌があって、たとえば「短歌ヴァーサス」版では「拾遺四十五首」が付いていた。今度の版では「風色合衆国」が追加されていて、次のような歌。

「時間を殺して明日が来るとでもいうの?」「お前、眠れば明日はくるよ」  正岡豊
大島弓子はまひるの桜 さんさんと散りだせばもうお茶の時間よ

それぞれの版で少しずつ印象が違うのは読んだときのこちらの状態にもよるのだろう。今度読んでいいなと思ったのは次のような歌。

夏になれば天窓を月が通るから紫陽花の髪それまで切るな
よそをむきとぶ鳥はかならず落ちてほほえんで麦になるのであろう
この塩がガラスをのぼってゆくという嘘をあなたは信じてくれた
橋落つるとも紫陽花の帆とおもうまで耳蒼ざめてはりつめていよ

加藤英彦第二歌集『プレシピス』(ながらみ書房)も印象に残る歌集だ。第一歌集『スサノオの泣き虫』から14年、「Es」終刊から5年。

うらぎりをくり返し来し半生か内耳しびるるまで蟬しぐれ   加藤英彦
あれはだれ、あれはわが家で飼っていた犬です むかし死んだ犬です
この夏を越ゆるかどうか食ほそく鱈の身ほぐしつつ口にせぬ
夜ふけてシーツの上にいる蝶のような枯れ葉よ 今そこになにが来ているのか
その口に貴賤のひびきが匂うとき嫌だなあすこし声が艶めく
頽廃のはての宇宙にうかびたる冥王星や井上陽水

高柳蕗子『短歌の酵母Ⅲ青じゃ青じゃ』(沖積舎)は『短歌の酵母』シリーズの三冊目である。
一冊目の『短歌の酵母』(2015年)の「まえがき」には次のように書かれている。
「人間側から見れば、人は自らの意志で短歌を詠んでいるのだが、短歌の側から見れば、人間の意識に偏在し、人という酵母菌たちに短歌を詠ませているのだ。つまり人と短歌は共生関係にある」
今度の本では「青」という言葉のイメージを一冊にまとめている。青の基本イメージは空の色だが、ブルーシートの青や神秘の青、神話の青など、多様な切り口で青の短歌を集めている。引用されている作品が多いので、「青」についてのアンソロジー、データベースとしても便利である。読んでいて永井陽子の歌が特に印象に残ったので次に挙げておく。

もうすぐ空があの青空が落ちてくるそんなまばゆい終焉よ来たれ  永井陽子
仲秋のそらいちまいの群青のわが骨はみな折れてしまふよ
夏空のほとほとかたき群青も食ひつくすべし鵯の悪食
シベリアの青き地図など描きつつ心の破片を集めていたる

空の青といえば若山牧水の次の歌が有名で、本書でも最初に取り上げられている。

白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ     若山牧水
ランボーはむかしいもうとの妻であり青空を統べる骨ひとつあり 瀬戸夏子

高柳蕗子は瀬戸の歌について、〈「白鳥」からはじまった系譜の究極の姿のひとつ〉と述べている。「あの白鳥が骨になっちゃった!」というのだ。おもしろい見方だと思う。
川柳でも「青」の句が多いのでいくつか挙げておく。

ドラえもんの青を探しにゆきませんか   石田柊馬
足首に青い病気を持っている       樋口由紀子
青を着て青く解体されてゆく       松永千秋
青い絵の中で青溶く王に逢う       清水かおり

『塚本邦雄論集』(短歌研究社)は塚本邦雄生誕百年として、「現代短歌を読む会」の七人の執筆者(池田裕美子・尾崎まゆみ・楠誓英・楠見朋彥・彦坂美喜子・藤原龍一郎・山下泉)による論集。それぞれ読み応えがあるが、彦坂美喜子「塚本邦雄─その始まりの詩想」と藤原龍一郎「魔王転生─『波瀾』、『黃金律』、『魔王』を読む」が特に興味深かった。

秋になって、ヘッセの「霧の中」という詩とリルケの「秋」をときどき思い浮かべる。秋は実りの季節であると同時に黄落の時期でもある。頽落のときをどう乗りきるか。

2020年10月16日金曜日

第14回浪速の芭蕉祭

10月11日に「第14回浪速の芭蕉祭」がリモート連句で開催された。例年、大阪天満宮の梅香学院で行われているのだが、今年はコロナ禍のためオンラインで開催することになった。参加者は23名。関西・東京のほか会津・金沢・伊勢・鹿児島などからも参加があり、リモートなのでかえってご参加しやすかったようだ。
「浪速の芭蕉祭」は芭蕉終焉の地・大阪にちなんで2007年10月にスタートした。第2回から隔年ごとに連句の募吟をはじめ、第4回から第10回まで毎年募吟をおこなってきた。形式は自由で、さまざまな連句形式を同じ土俵にのせて審査するところに特徴があったが、現在は募吟を行っていない。
当日は12時40分にZoom入室、13時から約1時間、門野優・小池正博・高松霞による鼎談「若手連句人から見た現代連句の世界」、その後4セッションにわかれて連句実作を行った。鼎談では「捌き手に求められるのはルールの障りを見つける能力ではなく、付句を決定するセンス」などの発言もあり、あとの実作にプレッシャーがかかったことだろう。
小池正博捌きの座では十二調を巻いた。
十二調は昭和期に瀬川芦城が創始したが、その後絶えていたのを平成に入って岡本春人が現代向きに改革を加えたもの。 天野雨山編の『昭和連句綜覧』から昭和の十二調を紹介しておく。倉本方城・西尾其桃・寺崎方堂の三吟「冬木立の巻」である。

(再度山に登りて)
山門や句塚見返る冬木立    方城
 鶯の子のいとけなき聲   其桃
馬糞紙の積出荷物嵩はりて   方堂
  生かぢりても英語間に合ふ  城
秋も咲く茨の匂ふ窓の月     桃
  呉服祭に假の祝言      堂
約束のおへこの年期勤め上げ   城
  お國自慢の天の橋立     桃
さらさらと吹て通つた青嵐    堂
  乾き加減に落る瘡蓋     城
こつそりと花見て戻る宵の程   桃
  とりまはしよき別荘の春   堂

岡本春人は〈十二調は季の句と雑(無季)の句が半々、景の句と情の句が半々ぐらいの配分で作ります。むずかしい規則のない、新しい形式の連句です〉(『連句のこころ』)と述べている。
新派の連句について付け加えておく。最近は新派・旧派という区別をあまり言わなくなったが、美濃派・伊勢派などの伝統的俳諧を旧派、正岡子規にはじまる明治からの俳句・連句を新派という。高浜虚子は連句の重要性を認識していて、高浜年尾に雑誌「俳諧」の発行を命じ、阿波野青畝にも連句の研鑽を示唆した。年尾の『俳諧手引』の巻頭には「昭和俳諧式目」が掲載されている。青畝の「かつらぎ」系の俳人には連句の心得があり、岡本春人の「俳諧接心」に受け継がれた。

ところで、来年の国民文化祭は和歌山で開催されることになっていて、「連句の祭典」は上富田町で行われる。上富田町は熊野古道の入り口に位置していて、その一帯は口熊野と呼ばれている。
八上神社(八上王子)をはじめ由緒ある遺跡も点在している。八上王子は藤原定家の日記『後鳥羽院熊野御幸記』の建仁元年(1201)の条に、後鳥羽上皇の熊野御幸のことが記されている。また、西行法師の歌でも有名で、境内には西行歌碑も建立されている。

   熊野へまいりけるに、八上の王子の花面白かりければ、社に書きつけける
待ち来つる八上の桜咲きにけりあらくおろすなみすの山風(『山家集』上春98)

あと、田中神社のオカフジは南方熊楠が命名したことで知られている。
紀伊田辺の南方熊楠顕彰館や新宮の佐藤春夫記念館など、和歌山県にはゆかりの文学者が多い。
現在、和歌山県民文化会館で「連句とぴあ和歌山」、上富田文化会館で「はじめての人のための連句会・上富田」、二つの連句会が立ち上げられている。

以上、連句の話をしてきたが、川柳とも無関係ではない。連句には五七五の長句と七七の短句があるが、川柳にもこの両形式がある。 川柳雑誌「風」第118号(編集・発行 佐藤美文)では第21回風鐸賞が発表されている。今回の正賞、本間かもせりの作品から紹介しよう。七七句(十四字)である。

どのページにも待つ人がいる  本間かもせり
逃げて逃げてと叫ぶ天気図
となりの窓も窓を見ている
二、三歩先を歩き出す季語

連句の短句が前句とセットでひとつの世界を形作るのに対して、川柳七七句は一句独立するところに違いがあるが、本間の句は連句の付句に用いてもおもしろいように思われる。

2020年8月28日金曜日

片恋以外は平家に非ず―瀬戸夏子第三歌集『ずぶ濡れのクリスマスツリーを』

残暑のはずなのに真夏日が続き、だらだらと過ごす毎日だが、瀬戸夏子の歌集『ずぶ濡れのクリスマスツリーを』が届き、緊張感が走った。『そのなかに心臓をつくって住みなさい』『かわいい海とかわいくない海』に続く第三歌集である。正岡豊の『四月の魚』が現代短歌クラシックスの一冊として発行されるなど、このところ短歌から目が離せない。
瀬戸の歌集のタイトルになっているのは次の短歌である。

ずぶ濡れのクリスマスツリーは目を覚ましツリーの心に目隠しをする

「クリスマスツリー」といえば、第一歌集の次の歌を私はよく覚えている。

あんた、怒ってるとき、見えてるよ、神経がクリスマスツリーみたいで

この神経がひりひりするような歌と比べて、こんどのクリスマスツリーは少し抒情的になったかな、と思った。この一首に限っての話だが。いずれにしても真夏にクリスマスツリーの歌を読むのはおもしろい。
瀬戸夏子の短歌は歌人よりも現代詩人に評判がよいようだ。もちろんコアなファンは短歌にもいるのだが、瀬戸の短歌は通常の短歌の作り方とは違う。一行詩ではなくて多行詩の発想のような気がする。前後の文脈とは別のところから言葉が飛んでくるのだ。
瀬戸の言語感覚でおもしろいと思ったのは、「海でできた薔薇」「真新しい追従」「呼吸の新月」「双子のための鬼門」「荷風のための初恋」「女身の川端康成」などのフレーズ。「獅子と苺との鍵」なんて手術台の上のミシンとこうもり傘の出会いみたいだ。歌集のなかで一番気に入ったのは次の歌。

天の首絞める両手がふとゆるみ片恋以外は平家に非ず

「平家でなければ人に非ず」を屈折させて展開している。「片恋以外は平家に非ず」とは魅力的な呟きである。

なずな、恋、紫野いき標野いき途中でパン屋の娘と出会う

「なすな恋」は「保名狂乱」のさわりだし、「紫野行き標野行き」は言うまでもない。このズリ落とし方はけっこう好き。 瀬戸は柏書房のWEBマガジンの連載「そしてあなたたちはいなくなった」も好調だし、着実に仕事を進めている。
それにしてもこの歌集、水色の紙にピンクの活字とは老眼の身にとって読むのがつらい。がんばって読めという作者の声が聞こえる。

時評の更新、次はいつになるか分からないので、川柳のことも書いておきたい。

パンの耳揚げて話はまだ続く   西川富恵
生玉子ひとつだけでは多すぎる  大野美恵
氷菓ひとくち躰は混みあっている 清水かおり

「川柳木馬」165号から。
西川富恵の川柳歴は長い。川柳をはじめたのが1974年。「川柳木馬」の創立同人である。その西川の現在の境地、平明で深みのある句。
大野美恵、ひとつだけなら「少なすぎる」だろうと思わせるところからこの句の読みはスタートする。「ひとつでは多すぎる」ではなくて、「ひとつだけでは多すぎる」というところにニュアンスが生まれる。
清水かおり、氷菓をひとくち食べてみる経験は誰にでもあるが、「躰は混みあっている」という感覚は独自なものだ。物を摂取することで、体内にあるさまざまなものの存在が混みあって意識される。「体」が「躰」として感じられる。

とびきりの笑顔でエッシャー渡される 潤子
右手からまだ離れないものがある   守田啓子
誰が死んでも海岸線は美しい     細川静
諦めたのは二十四歳の窯変      滋野さち
らせん堂古書店に入る片かげり    笹田かなえ

「カモミール」4号から。
一句目、エッシャーの版画は迷宮のような世界を表現していて人気がある。川柳の題材にもしばしば使われるから新鮮さはない。だからこの句の価値は「とびきりの笑顔」にある。迷宮の世界に笑顔で誘いこむのは一種の悪意だろう。この笑顔が曲者なのだ。
二句目、「離れないもの」って何ですか?と突っ込みを入れたくなる。左手からは離れていったのだろうか。右と左に意味を読み取ろうとすると、たとえば右利きの人にとって右手は現実にかかわり、左手は夢や理想にかかわるというような対立軸が想定される。けれども、この句はそういうことを言っているのではないだろう。
三句目、一読明快。
四句目、窯変天目という茶碗がある。茶碗に窯変が生まれたように、二十四歳の時に何かがあって人生が変わったのだろう。
五句目、とある街の片隅に古書店があって、店名を「らせん堂」という。店主は老人でもよいが、文学好きの青年だとしておこう。

不安10粒サハラ砂漠で砂になる   四ツ屋いずみ
呑み込んで赤い卵を産みつける   西山奈津実
散り急ぐ桜ウイルス見すぎたか   斎藤はる香
二メートル離れて好きとか嫌いとか 浪越靖政
苔むした兄から先は考えぬ     一戸涼子

「水脈」55号から。
サハラ砂漠に砂があるのは当然だが、サハラ砂漠で不安が砂になったと言っている。砂と不安はすでに見分けがつかない。
二句目、何を呑み込んだのか。呑み込んで産みつけるまでのプロセス。
ウイルスを詠んだ二句。アプローチの違い。
一戸涼子は完成度の高い句を書いている。快心の一句ではないか。

例えば、女の自分に慣れてきた   千春

このたび発行された千春の作品集『てとてと』(私家本工房)から。
ジェンダーにまつわる自分との違和感。
自己を客観視できるようになったとも言えるし、慣れてきたことがいいのかとも思われる。
川柳におけるジェンダーの問題を考えるときに、欠かせない作品になるかも知れない。