2013年11月15日金曜日

文楽11月公演「伊賀越道中双六」

国立文楽劇場で「伊賀越道中双六」を見た。東京では9月に国立劇場で上演されたもの。「奥州安達原」「妹背山婦女庭訓」などで知られる近松半二の最後の作品と言われている。文楽でも歌舞伎でも「沼津」の段だけが上演されることが多いが、通し狂言となるのは大阪では約20年ぶりである。前回の平成4年4月のときも見た記憶があって、「通しで見るとこういう話だったのか」と思った。今回見たのは第一部(鶴が岡の段~沼津・千本松原の段)だけである。
大序「鶴が岡の段」は20年前には省略されていたので、今回はよくわかった。
和田志津馬は八幡宮の警護役の最中にもかかわらず、傾城瀬川と逢引をし、酒まで飲んで失態を演じる。和田家に伝わる名刀を狙う沢井股五郎のはかりごとによるものだ。とはいえ、志津馬というのは意志の弱い青年である。酒と女。志津馬とはこういう人物だったのか。「忠臣蔵」の勘平が「色にふけったばっかりに」と嘆くのと同じパターンで、良く言えば青春性なのであろう。
日本三大仇討というのがあって、渡辺数馬(「伊賀越」では和田志津馬)が荒木又衛門(唐木政右衛門)の助太刀によって河合又五郎(沢井股五郎)を伊賀の「鍵屋の辻」で討った「伊賀越の敵討」は有名らしい。幕府の禁制があって人形浄瑠璃では史実をそのまま書けないので、「後太平記」の時代に設定し、室町時代の話にしている。いわゆる「世界」を定めるのである(「世界」と「趣向」については『セレクション柳論』をお手元にお持ちの方は鈴木純一の「一寸先へ切りかくるなり」を参照されたい)。
「和田行家屋敷の段」で沢井股五郎は志津馬の父を殺害する。続く「円覚寺の段」では、沢井は従兄弟の沢井城五郎にかくまわれるが、ここで二つの陣営の対立がはっきりする。城五郎は足利将軍家直属の家臣である昵懇衆、殺害された和田行家は上杉家の家老だった。江戸時代の史実でいえば旗本と大名との対立となる。二つの陣営・立場にいる人々が義理のためにそれぞれ股五郎・志津馬に味方することになるので、股五郎方の人々がすべて悪人という単純な構図ではない。
「唐木政右衛門屋敷の段」は、いま郡山藩に仕えている政右衛門の屋敷が舞台である。
お谷は和田行家の娘で志津馬の姉であるが、政右衛門と駆け落ちしたために行家から勘当されている。そのような恋女房のお谷を政右衛門は突然離縁し、しかも、今夜は後妻を迎える準備をしている。
政右衛門はなぜお谷を離縁するのであろうか。
お谷の親代わりである五右衛門が抗議にやってきたのに対して、政右衛門は離縁の理由を「飽きました」と言い放つ。
これには何か訳があるに違いないと思って観客は舞台を見ている。
歌舞伎でも文楽でも「実は…」というパターンが基本構造である。表面で行なわれていることには必ず裏があり、登場人物の言動には隠された意図がある。「肚(はら)」に何かがあるのだが、それを表面に見せてはいけないのだ。そういう約束で芝居が成立していて、この二重構造が観劇の楽しみでもあるのだ。
近松半二の時代になると観客はすでに単純な構成では納得しなくなっていた。芝居の作者は捻ったり捩じったり様々な趣向をこらして「実は…」の世界を仕立てあげたのである。
何度かこの演目を見ている観客であっても興味をもって観劇することができるのは、その二重性を知りつつも眼前に繰り広げられる光景に感情移入できるからだ。
花嫁はお谷の妹・おのちであった。勘当されたお谷の父親は唐木政右衛門にとって赤の他人であって、このままでは仇打ちに参加できない。正式の婿となってはじめて舅・和田行家の敵討ができるのである。

川柳もまた近世文学の土壌の上に成立している。
「一読明快」などという川柳観がいかに浅いものであるかが分かるだろう。
『柳多留』初編の巻頭句を引用してみよう。

五番目は同じ作でも江戸産れ

改めて引用するのも気がひけるくらい有名な句である。
果たしてこの句がわかりやすいだろうか。
何が五番目なのか、江戸産れとはどういうことなのか。読者の予備知識や謎解きを前提として作られている句である。当時、「六阿弥陀詣で」というものがあり、行基作といわれる阿弥陀像を拝するためにお彼岸の時期に六つの寺を巡礼した。他の五寺は江戸の郊外にあったが、五番目の常楽院だけが江戸府内にあった。江戸人にはそれがすぐわかったのだろう。
ここでは一句を読むスピードと一句を理解するスピードに差が生まれる。一読明快とは一句を読むと同時に一句が理解できるということである。「読み」即「理解」なのである。けれども、一句を理解するためにはその句の前で立ち止まることが必要だろう。一句が喚起するものは時間をかけて読むことによってはじめて立ち上がってくるような、そういう作品もあるだろう。

短歌誌「井泉」54号のリレー評論のテーマは〈作品の「読み」について考える〉である。
島田幸典は「書かれぬものを読む、ということ」の冒頭で次のように述べている。

「歌は短い。散文的な情報量はごく限られている。にもかかわらず、われわれは歌会や雑誌の月旦、評論その他において、一首について饒舌に語る。語ることができる。
 それは情報として明示的なかたちでは表出されない部分を読むからである。勿論、的を外した深読みは興ざめだが、それでも歌を読むことには、書かれたことを手掛かりとして、そこから書かれぬことを、すなわち(含み)を掬いとる作業を伴う」

また、同じテーマについて加藤ユウ子は「わかるのにわからないは深い」という文章を書いていて、次の三首が引用されている。

瓶にさす藤の花ぶさみじかければたゝみの上にとゞかざりけり   正岡子規
赤茄子の腐れてゐたるところより幾程もなき歩みなりけり     斎藤茂吉
おじさんは西友よりずっと小さくて裏口に自転車をとめている   永井祐

これらの歌について加藤はこんなふうに言うのだ。
「三首とも、言葉で写生されたことが、あまりに当たり前の些細なことだから、かえって詩を探そうとすると戸惑いを感じる。しかし、わかるのにわからないと言う読みの屈折が、歌の世界に深く踏み込みたいという読みのエネルギーに変わるから不思議だ。こういう読みのエネルギーが何か深いものを捉まえた時が最高だ。わかるのにわからないは深いのだ、愉しい感慨だ」

先週このコーナーに書いた「わかる」「わからない」「つまらない」「おもしろい」の基準と関連して興味深い指摘だと受け止めた。文脈は異なるが、「わかるのにわからない」とは川柳でいわれる「平明で深みのある句」と似たようなことを言っているのかと思う。

2013年11月8日金曜日

解らないけれどおもしろい

「川柳木馬」138号(2013・秋)の「木馬座鑑賞」、堺利彦が8ページにわたって作品評〈解らないけれど「面白い」〉を書いている。
堺は「解るけれどつまらない」「解らないけれど面白い」の二つを対比しながら、「木馬座」(同人作品)を取り上げてゆく。たとえば次のように(それぞれ、上の句が解る句、下の句が面白い句である)。

ふる里の仁淀ブルーが湧いてくる    河添一葉
海底のワカメになっていくわたし

「清流で有名な仁淀川の透明なブルーは、きっと素晴らしいのでしょうね。そのお気持ちはよく解りますが、その事実以上の広がりは残念ながら僕には湧いてきません」
「前掲句に引き替え、この句はとても〈面白い〉持ち味が出ています。かつての明治期の新傾向川柳の〈眼のない魚となり海の底へとも思ふ 中島紫痴郎〉のような深刻な捉え方を軽やかに超えて、現代人の〈浮遊感〉が見事なまでに表現されていると感心しました」

目くばせの果ては唇セロテープ     桑名知華子
鬼灯になるピーマンの計画書

「〈喩〉を駆使した表現は、これまで川柳が開拓した貴重な財産ですが、もう一味、味付けをする工夫を重ねるとまた別の相貌が表れてきて面白みが増すのではないかと思われます」
「ひそかに『鬼灯』になってやるぞという目論見は、誰にも知られないような自分一人のひそかなプランを温めているわけですが、その『計画書』の中身が読み手にとってあれこれと想像する楽しみが残されていて、ついついひとり笑いしてしまうのです」

堺の文章を私なりに敷衍すると、句評の基準には次の4パターンがあることになる。

①解るけれどつまらない
②解っておもしろい
③解らなくてつまらない
④解らないけれどおもしろい

ここで問題となるのは①と②の差、③と④の差はどこにあるのかということである。
もちろんこれには〈読者側の問題〉があるだろう。
〈解る〉〈解らない〉という範囲は読者によって異なる。誰にでも解る句というものがあるかも知れないが、川柳が十七音の形式である以上、ある種の省略がおこなわれるのは避けられないことであり、使われている言葉や素材に対する理解も読者の経験や年齢によって異なる。また、川柳作品を読み慣れている読者と、一般的に文芸を愛好している読者とでは受け止め方が違うことも考えられる。ここではそういう問題は保留にして一般的に考えてみたい。

まず、①と②について検討してみよう。
①はどのような句なのかについて、堺は「説明句」(単なる説明に終始している句)、「報告句」(事実や情景の報告だけで終わっている句)、「道句」(倫理臭がぷんぷんしている句)、「新鮮味のない文体の句」などを挙げている。
これまで川柳は〈一読明快〉などと言われ、誰にでもよく意味が分かるように作るべきだと言われてきた。けれども、それは〈解ること〉が自己目的なのではなくて、何を解るか・どのように解るかということが問題なのだろう。
もうタイトルは忘れてしまったが、チェーホフの短編に次のような人物が登場する。彼の言うことは誰でも知っていることばかりで、独自の意見とか新しい見方などは何一つ言わないので、周囲の人間はうんざりして、彼の言葉に耳を傾けようとしないのである。
よく解るけれど退屈な川柳を読むたびに私はチェーホフの短編を思い出し、こんなふうに心の中で呟くことにしている。

「雨の降る日は天気が悪い」

それでは、②解っておもしろいというのはどのような場合だろうか。
「ふらすこてん」30号に筒井祥文が『番傘一万句集』より抜粋をしている。たとえば、次のような作品である。

ネット裏打ちたいような球がくる    天明
ボクサーになれと育てた親はなし    散二
大阪をまだ歩く気の登山服       波濤
びわ湖からモロコ一匹釣りあげる    散二
日帰りの客を見おろす泊り客      黙平
主人が世話になりましてと憎み合い   純生
たとえばのたとえからして腹がたち   狂雨
素人に貸すのこぎりはないという    甲馬
内科でもかまうものかと担ぎ込み    由紀彦
6俵を321と積み上げる       日本村

これらの句は現在読んでも私にはおもしろく感じられる。
ユーモアであったり、川柳眼を感じさせたり、ほんのちょっとしたプラスαなのだけれど、これはおもしろいと感じさせる何かがこれらの句にはある。「平明で深みのある句」とは川柳の理想だろうが、「深み」というより「浅み」とでも言うべき、深刻にならないおもしろさがあるように感じる。
ただ微妙なのは所謂「あるある句」である。
うん、そんなことがあるあると納得するような句は「膝ポン川柳」と呼ばれる。
①のレベルの句を②だと受け取ってしまうことはしばしばあるので、読みや選句能力を鍛えてゆくことが必要となる。

最後に③と④の違いについて検討してみよう。
堺が④「解らないけど面白い」の例として挙げているのが次の句である。「 」は堺の句評である。

遠近法 どきどきしてると線になる    高橋由美

「今回のテーマ『解らないけど面白い』にぴったりの句。どこが『面白い』のかということは、なかなかうまく説明はできませんが、『どきどきしてると線になる』という表現が、この句全体の一句が、不安感を抱え込んでいる現実の生活と密着感があって、言外に立ち上がってくる一つの物語を表徴していると思うのです」

おばあさんがこねこねすると面子が揃う  内田万貴

「今号の『解らないけど面白い』のテーマの最後を飾るのに会い相応しい内田万貴さんの句です」

さて、③「解らなくてつまらない」と④「解らないけどおもしろい」の違いはどこにあるのだろうか。これが最大の難問であって、このような問いを立ててしまったことを正直に言って私は後悔している。
ただ、読み手の心理から言えば、句を読むときのスピードが多少これに関係しているかも知れない。
①「解るけれどつまらない句」に対して読者は即座につまらない句として読み捨てる。
②「解っておもしろい句」に対して読者は即座におもしろい句として印象にとどめる。
「解らない句」に対して読者はその句の前で「立ち止まる」。その句には何かがあるのかもしれないが、さしあたり自分には解らない。読者はこれまでのさまざまな読句経験に照らしあわせて、その句についてあらゆる角度からアプローチを試みるだろう。けれども、ついにその句が自分にとって無縁なものと感じられるとき③「解らなくてつまらない句」となり、何らかの魅力を感じるとき④「解らないけれどおもしろい句」となる。とりあえず、そんなふうに言っておこう。

2013年11月1日金曜日

「川柳・遊魔系」句会―石部明没後1年に寄せて

10月27日(日)に大阪市立総合生涯学習センターで「川柳・遊魔系」という句会が開催された。石部が亡くなったのは昨年の10月27日、『遊魔系』は石部明の第二句集である。この句集名を冠した句会となったのは、石部が亡くなって丸一年が経過したこの日を選んだ、石部のことを忘れない川柳人たちによる集いであったからに他ならない。
句会は二部にわかれ、第一部は「『遊魔系』に見る無頼の生き方」(報告者・小池正博)、第二部は句会であった。句会は兼題が3題、席題が2題。参加者は19名という小句会だったが、それぞれの題の秀句について1時間ほどの議論する時間がとれたのは逆に幸いだったかもしれない。作句・選句・選評のうち、川柳の句会では選評に時間をとることが少ない。晩年の石部は「BSfield」の句会で選評に力を入れていたと聞いている。
ここでは第一部について報告しておこう。
小池は「川柳カード」2号に掲載された「石部明50句」をもとに、石部の作品を「現実との違和」「もうひとつの世界」「帰ってから」の三つに分けて語った。

①現実との違和

バスが来るまでのぼんやりした殺意

現実との違和は人を表現に向かわせることが多い。
日常生活を送りながら、なぜ自分はここにいるのだろうと感じることがある。それは出勤の途中であったり、家事をしながらであったり、知人に囲まれながらであったりする。眼の前の現実が唯一の現実であると思われないとき、ひとは虚構の世界に踏み込んでゆく。
「殺意」とは意味の強い言葉である。バスを待っている間にふと感じる凶暴な感情。特定の誰かに向けられたものというより、漠然とした不満足の気分。
この句を書いたとき、石部はひとつの手ごたえを感じたことだろう。善意やモラルを表層的に詠むのではなくて、日常の底に隠れていてふだんは表に出さないものをあえて表現してみせること。そこに彼の川柳の出発点があったのだろう。

水掻きのある手がふっと春の空

春の空にふっと変なものが見える。
水掻きのある手だから両生類の手だろう。見えるはずのないそのようなものが見えるというのは幻視だが、別世界への入り口がぽっかり開いたのだ。
仏の相好のひとつに水掻きがあるが、ここでは西方浄土を幻視したのではないだろう。神や天使などの神聖なものではなく、水掻きのある手は異物であり、おぞましいものである。そんなものが見えてしまうのだ。

雑踏のひとり振り向き滝を吐く

雑踏を歩いているとき、私たちは「孤独な群衆」という感じを深くする。
ところが、ここではその一人が不意に振り向いて滝を吐いた。
滝は喩ではなくて本当に滝を吐いたと受け取る方がおもしろい。滝は俳句では夏の季語だが、この句では季語ではなく、メタファーでもなく、実際に滝を吐いたのである。
それを見た人々の反応を私は次の二通りに想像してみる。
人々はいま見た光景に対して何ごともなかったように無表情にそのまま歩みを続けた。
人々は連鎖反応的にそれぞれ自らの内部にある滝を次々に吐きはじめた。
私にとって石部の作品のなかでいちばん好きな句である。

②もうひとつの世界

栓抜きを探しにいって帰らない

この世界の現実に違和感をかかえて生きている人間はふと別の世界に行ってしまうことがある。『不思議の国のアリス』や『ナルニア国物語』などのファンタジーでも繰り返し描かれているところだ。異界への通路は『アリス』では兎の穴であり、『ナルニア』ではタンスの奥である。
石部の作品ではどこかへ行って帰らない人物がしばしば描かれる。
何か大きな目的があってどこかへ行ってしまうのではなく、「栓抜き」という日常的なものを探しにゆくことが、そのまま別の世界へ消えてしまうことにつながるところが、いっそう不安感をかきたてる。

鏡から花粉まみれの父帰る
梔子となり人知れず帰郷する

異界へいった者がもう一度現実に帰ってくることはとても困難である。行くことより帰ることの方が難しいのだ。M・エンデの『果てしない物語』でも帰ってくることの困難さがひとつのテーマになっている。
鏡の世界から帰って来た父は花粉まみれになっている。鏡の世界で何があったのだろう。
ヒトの姿では帰ってこられずに別の姿で帰ってくる場合もある。周囲の人は彼が帰ってきたことに気づかない。

岬には身元引受人ひとり

日常生活に戻るためには「身元引受人」を必要とする場合もある。
岬というのは境界線にある場所である。二つの世界を行き来する出入り口になりうる場である。そういう所に身元引受人が住んでいるのだ。

③帰ってから

舌が出て鏡の舌と見つめあう

別世界(彼岸)からこの世界(此岸)に帰ってきた人にはこの世界がどう見えるのだろうか。たぶん世界は二重の存在として見えるのではないだろうか。
鏡の中の世界と鏡の外の世界。左右反対になっているとしても、見えているのは同じような像である。こちらの世界で舌を出すと、あちらの世界でも舌を出す。しかし、「舌が出て」という表現は、自分が舌を出すのではなくて、どこか別のところから不意に舌が出てきたような妙な感じがする。

オルガンとすすきになって殴りあう

この句を現実の光景と受け取ると、オルガンとすすきは殴りあうことができないだろう。
それでは何らかの隠喩と読めばよいのだろうか。
この句でも世界は二重になっている。殴り合っているのはやはりヒトとヒトだろう。けれども、それがもうひとつの世界ではオルガンとすすきの姿になっているのだ。
唯一の現実ではなく、さまざまな見え方をする世界がある。帰郷者には世界がそのように見えるのである。

石部明の作品はいろいろな読み方ができるが、当日はこのような読み方をしてみた。ただ、石部の句が単なる言葉だけで構築されているにしては妙に生々しさや説得力があるので、そこにはやはり彼の実人生が反映されているのだと感じる。若き日の石部が故郷を離れてどのような経験をしたのかは承知していないし、具体的な個々の体験は作品を読むときには不必要であるが、仮に私は石部の人生を「無頼」と呼んでみたのである。石部明は強靭な生活者であると同時に優れた川柳人でもあるという二重の存在であった。
川柳作品が川柳界を越えた外部の読者に読まれるとすれば、それは詩として、文学作品として読まれるほかはないだろう。石部明の作品は読むに値するし、私たちはこれからも石部の作品のことを語り継いでゆくことが必要だと思っている。

2013年10月25日金曜日

第7回浪速の芭蕉祭

大阪天満宮における「浪速の芭蕉祭」は平成19年に第1回が開催され、今年で第7回目になる。第2回から募吟を始め、第3回の中断をはさんで第4回から毎回募吟を続けている。今年は93巻の連句作品の応募があった。
大阪天満宮にはいろいろな講があるが、連句講の「鷽の会」があり、「浪速の芭蕉祭」を主催している。鷽は天満宮ゆかりの鳥であり、俳句にも「鷽替え」という季語がある。
応募作品の中から2人の選者によって大賞・次席・三席・佳作が選ばれる。合議制ではなくて、選者がそれぞれの判断によって選ぶから、大賞・次席・三席は2編ずつになる。今回は佳作を含めた27編の作品が「入選作品集」に掲載された。
作品集の発行にこだわっているのは、連句の普及のためにはアンソロジーが必要だと考えているからである。募吟によって良い作品が集まればそれがそのままアンソロジーになる。形式自由の募吟だから連句諸形式の手引きとしても利用することができる。今年は百韻・米字などの長い形式の作品が上位に選ばれた。一方、新形式の応募も盛んで、新旧のバランスの中で刺激を与えあう場になりつつある。
10月6日には入選作品の発表と表彰式が大阪天満宮境内の梅香学院で開催され、連句実作も行なわれた。この時期は例年、古本市が開催されていて境内が賑やかなのだが、今年の古本市は一週間後らしく、落ち着いた雰囲気である。
12時半に本殿に参拝。私は「鷽の会」代表として玉串奉奠をするのだが、一年たつとやり方を忘れてしまうので事前に自分でイメージ・トレーニングをしておく。技芸上達を祈願し、巫女の鈴も神さびた雰囲気である。
梅香学院に戻って表彰式にうつる。
臼杵游児選の大賞・百韻「大綿虫」の巻(棚町未悠捌)、次席・スワンスワン「ががんぼよ」(矢崎硯水捌)の巻、三席・お四国「白衣」(おたくさの会)の巻。佛渕健悟選の大賞・米字「朱を走らせる」(和田ひろ子捌)、次席・【Hiphop RENKU】「MAHOROBA」(Hoo),三席・和漢行半歌仙「たてよこに」(赤田玖實子捌)。
ここでは、佛渕健悟選の次席となった【Hiphop RENKU】を紹介しよう。

MAHOROBA Wakiokori by Hoo.
Started on 130503 finished on 130509

目には青葉 山ほととぎす 初鰹       Sodo
どこまでも 駆けて行こうぜこの夏を     Hoo

絵手紙 似顔絵 みんなが笑う
動物園では象さん洗う

ゆらゆらと お精霊さんの舟流し
浦々に 尾を引きながら流れ星

月の庵は草がぼうぼう
方々にある古つっかえ棒

renku renku renku Let's go

心まで CTスキャンじゃ覗けねえ
ちょっと待って 熱燗一杯 ねえお姐

小野小町は見返り美人
妄想のキス胸がジンジン

今日もまた 密かに飛ぶよオスプレイ
国政もゲームも大事さフェアプレイ

いじめ体罰ございませんと
寄付の壜へと出す1セント

renku renku renku Let's go

夜目が利き 晦日に探す杵と臼
嫁が君 ミッキーマウスに物申す

「あしたは来れる?」 答「いいとも!」
持つべきものは やはり良い友

まほろばを 驢馬に揺られて花万朶
甘茶仏 小さく天指すなんまんだ

安達太良山の空は春色
尾張うららか青柳ういろ

renku renku renku Let's go

発句は山口素堂のよく知られた句で、脇起こしであるが、脇句以下はすべて作者Hoo(木村ふう)の独吟である。作者は次のように述べている。
「新聞でヒップホップの歌詞は現代詩という記事(朝日2013年4月6日)を読み、連句でも早速挑戦してみました。ラップ風の韻を踏みやすいように『長長短短 長長短短』の8句をひとまとめとしてそれぞれに季を詠み込み、本巻はそれを三回繰り返しました。最低一花一月。特に定座は決めていません。一番ラップに会いそうな(と思っている)素堂句を発句として脇起りで始めました」
素堂がラップに合うというより、素堂のこの句がラップに合うそうである。
「入選作品集」では選評にもページを割いている。作品を選ぶだけではなくて、その作品のどこがよかったのかを検証することが実作を活性化させることにつながるからである。佛渕健悟は選評で次のように述べている。
「文の最後で韻(ライム)を踏むのがラップの特徴ですが、短詩型の五七五そのものがすでにラップに乗りやすいリズムであることを発見している日本のラッパーたちの実践には、連句の調べに新しい変化を促す契機もあるかも知れません。説教節や阿呆陀羅経的ノンシャランは現代連句のおもくれを砕くのに利きそうです」

もうひとつ、入選はしていないが反歌仙「佳き人」の巻を紹介しておきたい。「半歌仙」ではなく「反歌仙」であって、歌仙に対するアンチなのである。かつて「アンチ・ロマン」が小説の世界で次々と書かれたが、連句の世界にも実験精神が生まれてきたかという感慨をもった。歌仙だから36句あるが、ここではその前半18句だけ紹介しておく。連衆は赤坂恒子・木村ふう・梅村光明。

佳き人と思へば死ぬるまたひとり
菊を掻き分け饅頭配る
首に巻くよくよく見れば秋の蛇
スクランブルの交差点じぇじぇ!
スクランブルエッグが旨ひ洋食屋
青い目の妻大阪生まれ
ウラ
色っぽいまいどおおきにチャイナ服
三日月形のイヤリング揺れ
人気無き夜のプールで泳ぐ月
蝋燭灯して百物語
うらめしや回るお寿司が止まらない
アベノミクスに上がる血圧
年金がだんだん下がる国に居て
オスプレイ飛ぶ基地の初空
餅花に残るは母の指の跡
供物を作り奉る涅槃会     
白骨が砕けて散るは花吹雪
あなめあなめに悩む小町忌

この作品には次のようなコメントが付けられている。
「句数・体裁から見た形式は歌仙。歌仙を巻く時に適用される式目をことごとく破って歌仙を巻いてみた。歌仙の式目に反するので反歌仙。
進行の条件は前句に付いていることと 前句―付句の関係、もしくは三句の渡りに必ず障りがあること。無季の発句から始まって素秋、素春、二五、四三、新旧仮名混在等々狼藉の限りを尽くして歌仙を巻いてみた。苦労して詠み込んだ「障り」を見ていただきたい」
歌仙の表(オモテ)では神祇・釈教・恋・無常は避けることになっているが、発句はそれに逆らって「死」を詠んでいる。短句(七七句)では「四三(しさん)」と言って「4+3」のリズムを嫌うが、脇句はみごとに四三。秋の句の中では月の句がなければならず、秋三句のうち「月」の句がないものを「素秋」というが、これも敢えて素秋に(ウラに入って急に「月」が出てくるのも変である)。「秋の蛇」とは何なんだというところである。四句目と五句目に「スクランブル」という同じ語が使われていて、同字接着。六句目の「目」と三句目(大打越)の「首」が身体用語の差し合い。
このような調子で「反歌仙」が続いてゆく。
ルールを破るためにはルールを知悉していなければばらない。ルール(式目)を知らないで禁をおかすのではなくて、意図的な営為なのだ。そのことによって式目そのものの意味が改めて問い直される。
もちろん「入選作品集」には伝統的・オーソドックスな句もあり、高く評価されている。ここで敢えて実験的新形式を紹介したのは、それが硬直しがちな精神をブラッシュ・アップし連句の活性化につながると考えるからである。というより私自身とても楽しませてもらったのである。

2013年10月18日金曜日

第2回川柳カード大会

9月28日(土)、大阪・上本町の「たかつガーデン」で「第2回川柳カード大会」が開催された。昨年の第1回大会(創刊記念大会)では、池田澄子をゲストに迎えたが、今回は佐藤文香と樋口由紀子のトークが注目された。
この二人は数年前の初対面のときから気が合ったようで、樋口はその場で「バックストローク岡山大会」(2010年4月)の選者を依頼。佐藤は石田柊馬との共選で「もっと」の選者をつとめた。そのときの選評で佐藤は「自分が選ぶときに大きな基準があることに気づきました。それは、その句がこの社会にどれだけ貢献しないか、ということです。風刺はともすると社会の役に立ってしまう。真面目にでも奔放にでも、遊び上手な作品に魅力を感じる」と書いている。この選評も当時話題になった。
こういう経緯があって、今回も大会第一部のゲストとして佐藤を招いた。二人ともトークには定評があるので、当日の対談も好評だったが、その詳細は「川柳カード」4号(11月25日発行予定)に掲載されることになっている。ここでは、当日の佐藤の発言のなかから、いくつか印象的だったものをピックアップして、私なりの感想を付け加えてみたい。

○「私は俳句甲子園がなかったら、俳句に入っていないタイプの人間」
このように佐藤は言い切る。
俳句甲子園に関わっている高校生は、全国大会に出場できない学校もあるから、毎年数百人単位になる。それだけの母体があるが、その全員が俳人として残るわけではない。
8月の「大阪連句懇話会」で久留島元に「俳句甲子園」の話をしてもらったのだが、久留島は作家として俳句を続けている人間以外に、「俳句甲子園」を裏方として支えている多くの人間がいることを語った。
俳句甲子園というイベントによって、俳句作家として俳句を書き続ける人、俳句は書かないが俳句にかかわってイベントを陰で支える人などが生まれてゆく。このような潜在的な若い世代が川柳には欠けているのだ。

○「川柳では若者を呼び込むような仕掛けを何かしてるんですか」
佐藤は川柳に対していくつかの問いかけをしている。「仕掛け」はそのひとつ。
「俳句甲子園」に相当するようなイベントは残念ながら川柳にはない。ひょっとするとどこかにあるかも知れないが全国的な広がりではないだろう。
 川柳の場合、「新聞川柳」から入ることが多い。全国紙・地方紙には川柳の投句コーナーがあって、読者が葉書で投句する。選者はその地方の有力川柳人であって、何度も入選する人に対しては、句会に来ませんかというお誘いがある。そこで興味のある人は句会に出かけてゆき、さらに規模の大きな大会に参加するなどして、川柳の世界に馴染んでゆく。
 こういう階梯を踏んでゆくので、自分が本当に出会いたい川柳に出会うためには何年もかかる。川柳の句集も一般書店には並んでいないから、書物を通じて好きな作家に出会うチャンスも少ない。
 私はこういう階梯は必ずしも無意味ではなかったと思っている。本当に求めるものを探しているうちに、自分の川柳が次第に鍛えられ深まっていくからである。こういう過程を踏まない人は、意外にもろく川柳から脱落していったりする。
 けれども、現在はそんな悠長なことでは通用しないだろう。新聞川柳から句会・大会へという従来のシステムではすでに時代に対応できなくなっているのだ。

○「世間イメージと文芸ジャンルとしての核が乖離しすぎている」
私の興味は、俳人(特に若い世代の俳人)に川柳がどう受け取られているかということである。佐藤は俳句の友人の「世間イメージと文芸ジャンルとしての核が乖離しすぎている」という発言を紹介した。これが私にとっては、対談の中で最も印象に残る言葉だったのである。
ひとつのジャンルの中で先端的な部分と大衆的な部分とに隔たりがあることは、別に川柳に限らず、どのジャンルでも見られることだろう。「先端的」「大衆的」という表現が適切かどうか分からないが、「前衛的」「伝統的」という表現もぴったりしないので、とりあえずそんなふうに言っておく。「ジャンル内ジャンル」(江田浩司)と言えばいいのだろうか。
「世間イメージ」とはいわゆる「サラリーマン川柳」をさすだろう。川柳が駄洒落や表層的な滑稽をねらうものと思われているなかで、真に文芸的な資質をもった若者が川柳に入ってくるはずはない。
「外から見たときに一番手の届きやすいところにジャンルの中心があればよい」と佐藤は実に適切なアドヴァイスをしてくれたが、それができないので苦労している。

大会の第二部での特選句を次に挙げておこう。

「泣く」(湊圭史選)  コンテナの中は泣き損なった人  井上一筒
「方法」(清水かおり選) 舟偏をつけてたゆたうのも一手 徳長怜子
「赤い」(野沢省悟選)  軍隊にまっ赤なウソを売りに行く  石田柊馬
「チョコレート」(筒井祥文選) 板チョコ齧るつけまつげつける 田中峰代
「学校」(新家完司選)   学校を覆う大きな病垂れ  高島啓子
事前投句「カード」(小池正博選)  それ以上育つと赤紙が届く くんじろう

大会終了後、短時間だが正岡豊と立ち話をすることができた。
昨年の参加者は百名を越えたが、今年は85名の参加。80名規模の大会でちょうどいいのだ、というような話をした。もちろん参加者が多ければ多いほど嬉しいが、人を集めることを主目的にすると別な部分にエネルギーと時間を取られることになる。「80名でいいのだ」とは石部明が「バックストローク」大会を開催するときに言っていたことで、心の支えになっている。

午後5時からの懇親会は、くんじろうの司会で進行。出席者全員に発言していただいたので、交流の目的は十分果たされた。こういう場では川柳人は素顔をさらけだして楽しむことができる。自意識に悩んだり演技の仮面に隠れる人は少ないようである。
大会翌日は有志で奈良を散策したあと、夕方から「川柳北田辺」句会に乱入した。くんじろうが主催する句会だが、昨日の大会のメンバーと再会して封筒回しを楽しむ。ちょうど「川柳北田辺」の句会報が届いたところなので、紹介する。「俳句は句会が楽しい」と言う人が多いが、川柳人も句会が好きである。

底ぬけに明るい階段は嫌い     榊陽子
そろそろ縞馬になろう       田中博造
戦争に負けて猫など飼っている   田久保亜蘭
砂壁を食べて子供を産みました   竹井紫乙
大阪の蛸は9本足である      滋野さち
急須の蓋にたまったままの「つ」  樋口由紀子
歌まくらをジューサーに入れてから くんじろう
弁慶の耳から流れ出す黄砂     井上一筒

2013年10月11日金曜日

クリエーターとキュレーター

大阪梅田のグランフロントの紀伊国屋で「短歌フェア」が開催されているというので、出かけてみた。グランフロントはオープンしたときに訪れたときの大混雑に辟易して、やっと二度目に足を踏み入れたことになる。
売り場面積が広くどこに短歌の本が置いてあるのかも分からないので、店員さんに訊いて案内してもらった。短歌フェアは隅の方に円形書棚を取りまく形で開催されていた。それほど広いスペースではないが、ふだん書店で目にすることのない歌集・短歌誌などが置いてある。そう言えば斉藤斎藤の『渡辺のわたし』はまだ持っていなかったな。永井祐の『日本の中でたのしく暮らす』もほしい。あっ、瀬戸夏子の『そのなかに心臓をつくって住みなさい』があった!というわけで3冊買い求めた。「短歌ヴァーサス」のバックナンバーもあったが、確か私も2ページ執筆したことのある10号だけなかった。誰かが購入したのだとすれば、それはそれでよいのだろう。
短歌の門外漢にとってもこういうフェアが開催されるのは嬉しい。店長が笹井宏之のファンらしい。川柳にとってもこういうサポーターが現れないものか。
今年4月に「文学フリマ」が大阪府の堺市で開催されたときに、川柳の出店は一軒もなかった。機会があれば「川柳カード」で出店してみたいものだが、短歌・俳句・アニメなどの大量の出店の陰に埋没してしまうことだろう。川柳がどのような流通過程にも乗らないのはマーケットが成立しないからである。
マーケットと無関係なところで営まれている文学ジャンルとして、川柳と同様の状況に置かれているものに連句がある。「連句協会報」(2013年4月)に書いた「関西連句の可能性」という拙文の一節を引用する。

「『関西連句を楽しむ会』が2006年に終了したあと、関西での大規模な連句会はあまり開催されなくなった。連句だけの話ではないが、関西の地盤沈下が文芸全般に生じているようだ。俳句でも関西前衛俳句の作家たちが亡くなって、過渡期の状況が続いている。そんな中で、一昨年の国民文化祭・京都において北野天満宮や百万遍知恩寺でイベントが開催されたのは元気の出ることだった。
関西地方には連句の拠点となるような場が多い。私が関わっているものについて言うと、大阪天満宮で毎秋開催される『浪速の芭蕉祭』は2007年にスタートし、形式自由の募吟を続けている。また、『大阪連句懇話会』では毎回テーマを決めて連句の諸問題を考え、実作会を行っている。奈良県に目を転じると、蹴鞠祭で有名な桜井市の談山神社では『多武峰連歌ルネサンス』が数回開催された。長谷寺近くの與喜天満宮は能阿弥など連歌にゆかりが深く、連句にとっても重要な場である。
古来、神社や寺院は芸能の発祥と密接な関係をもっている。人が集まるところには混沌としたエネルギーが生まれ、文芸の場として活性化する。いわば連句のパワースポットなのである。
昨年の十二月に神戸の生田神社で『俳句ギャザリング』というイベントが開催された。これは連句とは無関係な催しだが、天狗俳諧とか俳句相撲、地元のアイドルグループを呼んで俳句甲子園形式で参加者と対戦させるなど、俳句を一般参加者にどのように見せるかというショー的要素を取り込んだものであった。パソコンやツイッターの使用が日常化する中で、『いかに見せるか』という視点も重要だと感じている」

川柳・連句ではほとんど聞かないが、他ジャンルの方々がよく口にする「戦略」という言葉がある。いったいどのような「戦略」によって自己の作品を発信しようとしているのか、自分が関わっているジャンルを推し進めようとしているのかが問われるのである。私は川柳・連句の世界の中では比較的「戦略」を持っている人間のように自分では思っているが、俳句や短歌の世界から見ればそんな戦略など児戯に等しいものだろう。
川柳の世界で「いかに見せるか」という方法論が語られたことは寡聞にして聞かないし、ノウハウの蓄積もない。連句においては「国民文化祭」の開催に関して行政とどう結びつくかが連句協会の理事会で毎回語られているが、これも夢のない話である。

さて、いささか古い本だが、外山滋比古の著作に『エディターシップ』(みすず書房)がある。編集が創造的な作業であることを力説するもので、クリエーターとエディターの分業が確立していない川柳の世界の現状を省みるときに考えさせられることが多い。さらに、最近よく耳にするものにキュレーターという仕事がある。今まで私が知らなかっただけだろうが、美術館の学芸員などを指すらしい。展覧会の企画などにおいて、どの作品とどの作品を並べてどのようなコンセプトで観衆に見せるかというプロなのであろう。常識的な見方で展示するのではなくて、今まで思いもよらなかった作品をつなげることによって新しい表現の地平を提示して見せる。自ら作品を作るのではないけれど、それもひとつの創造的な作業なのだろう。
こういうことに習熟した人材が川柳界には少ないから、川柳人は創作の傍ら編集したり、雑務を義務的にこなしたりしなければならない。そういうことに時間をとられているうちに、クリエーターとしての創作力が次第に衰えてゆく。

そんなことを考えると、やはりクリエーターとしての原点に戻りたくなる。「戦略」など本当は考えなくてすませたいのが川柳人の本音かも知れない。川柳島から投壜通信を送りつづける。読んでくれる人がいなくても、読者に届かなくても、いつかそれがどこかの岸辺に届くかもしれない可能性を夢見て書き続ける。そして、川柳島は無人島になる?

2013年10月4日金曜日

夢精するオスプレイ―滋野さちの川柳

9月28日に「第2回川柳カード大会」が大阪・上本町で開催され、北は北海道・青森から南は高知・熊本まで、各地の川柳人が集まった。大会はふだん誌上でしかお目にかかれない方々と出会う貴重な機会である。
青森に滋野さちという川柳人がいる。「おかじょうき」「触光」「川柳カード」の会員で、社会性川柳の書き手である。私自身は社会性川柳を書かないが、滋野の作品にはときどき目を奪われることがある。
「触光」34号の会員自選欄に次の句が掲載されている。

着地するたび夢精するオスプレイ    滋野さち

時事川柳は「消える川柳」とも呼ばれ、時間の経過とともに人々の記憶から消えてしまう。その中で、真の批評性をもった力のある句は少ない。オスプレイの句は山ほどあるが、表層的な表現にとどまっているものが多い。そんな中でこの句には読者を立ち止まらせるものがある。
オスプレイはエロティックな夢を見ているのであろうか。着地するたびに大地は犯される。この句は一見するとオスプレイの視点で書かれているように見えるが、オスプレイの姿を冷徹にとらえることによって凌辱される側の感性を表現しているのである。この戦場を飛ぶ機械がオスという名をもっているのは象徴的である。イメージは二重となり、「オスプレイ反対」を唱えるスローガンを越えた表現の高みに達している。
こういう句を読むと社会批評が文学でもあることを信じたくなる。
同号には次のような句もある。

イプシロンこける鳥獣戯画の真ん中で
空爆のアメリカ シリアのねこだまし
垂れ流しですがゲンパツ買いませんか

「鳥獣戯画」「ねこだまし」という語は川柳ではよく使われ、一句の衝撃力は「夢精するオスプレイ」に及ばない。視線は第三者の位置に後退し、批評性は現象の表面を撃つにとどまっている。

滋野は「杜人」239号に「空を飛んだ鯨―石部明のことば―」という文章を発表している。
そこで滋野は自ら疑問とするいくつかの問題を投げかけている。それは「母もの」「時事吟」「思い」「難解句」をめぐる四つの疑問である。滋野の表現そのままではないが、それらは次のようなことになるだろう。
①母を詠んだ句は甘くなるからとらないという選者もいるが、母という題材そのものがダメなのだろうか。むしろどう書くかが問われる題材なのではないだろうか。
②時事吟や社会詠は私たちが生活を詠もうとするかぎり必然的にゆきつくものではないか。
③「思いなんて必要ない」という人もいるが、「思い」がなければ川柳は書けないのではないか。
④「わからない句」には読者が作者とつながる手だてがなく、読者は置き去りにされているのではないか。

一点目、「『「母ものは三文安』」か」では「母の句」について述べている。父や母を書いた句が孫川柳と同様に甘くなるのは避けられないことだろう。
「私も初期のころ母の句をたくさん書いた。長すぎる母への反発に時間を過ぎて、ようやく心が寄り添えるようになったとき死んだから、なおさらであった」とあるのを読むと、「滋野さちよ、おまえもか」と言いたくなる。母の句を書いたことに対してではない。「母への反発」に関してである。
滋野は「母もの」は果たして書くに値しないのかを問う。
「父母を詠むから古臭いのではない。私たちは新しい表現を模索しなければならない」
間違っているところはどこにもない。けれども、古い革袋に新しい酒を入れるのはとてもむつかしいことだ。

二点目、「時を詠む」では石部明の次の句を取り上げている。

あかんべいをしてするすると脱ぐ国家   石部明

滋野は小林多喜二や鶴彬の例を挙げて、「ものを書くことに覚悟が必要だった時代」のことに触れている。
「今、自由にものを言い、行動したり、書いたりしているが、時流に乗って、上澄みを掬って書いていないか、物事の本質を見極めようという気構えを放棄していないかと、自戒している」
こういうところから、滋野の社会性川柳が生まれてくる。

三点目、私が違和感をいだくのは、滋野の「社会性」が「思い」と強く結びついていることである。川柳の読みにおいては、これまで「思い」の強度が評価軸とされることが多く、言葉によって作り出されたテクストとして読まれることが少なかったという経緯がある。作品を書くときの起動力を「思い」と呼んでしまうと、川柳のカバーする世界をずいぶん狭めることになってしまう。
「『思い』とは、句を書く時の起爆剤でもある」と滋野は述べている。
ここにも石部明が登場して、滋野に次のようなアドヴァイスをしたという。
「『思い』がなければ句は書けません。しかし、それ以前に『思いとは何か』を考えなければなりません」

四点目、滋野によれば難解と言われた「バックストローク」の作品に対して、次のようなことが言われたそうだ。
「わからなくても感じればいい」
「わかるように書かない作者が悪い」
「わからない句など、かまうな」
この整理の仕方はある意味でたいへん興味深い。多くの川柳人の本心が率直にうかがえるからだ。

「川柳を始めてたかだか10年ほどの間に『川柳大衆論』『難解句』『言葉派』『意味派』などという言葉を聞くのだが、川柳論は一方的に発表されるだけで、なかなか切り結ぶ事がないように感じている」

率直な感想だろう。批評が実作をリードするというような状況は川柳界にはない。私は現在が過渡期だと思っているから、さまざまな混乱や迷いが生じるのはむしろ当然のことだと考える。曲がりなりにも社会性を書いていた渡辺隆夫が万法を尽し終えて第一線を退いたあと、滋野さちの川柳は社会性のひとつの可能性を感じさせる。隆夫の川柳が第三者の立場からの風刺に終始したのに対して、滋野は少し違うところから川柳を書いているからだ。私は滋野の「思い」には別段興味はないが、滋野が川柳におけるどのような「批評性」を実現するかを見ていたいと思っている。