2022年8月19日金曜日

「川柳スパイラル」創刊5周年の集い

8月も後半に入り、すこしずつ季節が移り変わってゆく。
瀬戸夏子から「一夏蕩尽」という冊子を送ってもらった。2019年11月26日の日付のある文章と「2022、短歌についておもうこと」の二つが収められている。二つの文章の最初に同じ短歌が引用されている。

吹きとほる夜の草生のぴあにしも一夏蕩尽一世蕩尽  苑翠子

私は川柳を「蕩尽の文芸」と呼んだことがあるが、「一夏蕩尽」という言葉が心に刺さる。

8月5日
東京行。年内に発行予定の『現代連句集Ⅳ』(日本連句協会創立40周年記念誌)の編集会議を九段生涯学習館で行う。連句協会の歴史や座談会の原稿のほか、各地の連句グループからの作品が出そろい、印刷所に回すための打合せである。
会議終了後、近くの竹橋まで歩いて、国立近代美術館の常設展を見る。何度か来たことがあるが、まず原田直次郎の「騎龍観音」の前へ。この画家は森鷗外のドイツ留学時代の友人。ちなみに今年は鷗外没後100年にあたるが、鷗外の「妄想」に次の一節がある。「自分がまだ二十代で、まったく処女のような官能をもって、外部のあらゆる出来事に反応して、内にはかつて挫折したことのない力を蓄えていた時のことであった。自分は伯林(ベルリン)にいた」
荻原守衛の彫刻「女」や中村彝の「エロシェンコ氏の肖像」などもあった。新宿中村屋のかあさんと呼ばれた相馬黒光の周辺に集まった芸術家たちである。以前はこれらの前に立つと涙が出るほど感動したものだが、すでにそういう感覚は戻ってこない。
銀座に出たあと、両国のホテルに向かう。

8月6日
両国は芥川龍之介ゆかりの街で、散策してみる。「杜子春」の文学碑もあった。
イベントの会場・北とぴあに早い目に着く。午前中は川柳フリマを開催する予定だったが、コロナ禍のため中止。句会の準備をし、「川柳スパイラル」関係の書籍を並べる。12時を過ぎると人が集まり始める。当日の参加者は19名。
「川柳スパイラル」創刊5周年の集いは三部構成で、第一部は暮田真名・平岡直子の対談「川柳、わたしたちの無法地帯」。第二部は飯島章友・川合大祐「現代川柳のこれから」。
第三部の句会は暮田真名・平岡直子・浪越靖政・いなだ豆乃助・飯島章友・小池正博の選。詳しいことは「川柳スパイラル」16号(11月下旬発行)に掲載の予定だが、ここでは小池選の雑詠だけ紹介しておく。

花火からこぼれる指は誰だっけ     二三川練
机から椅子が引かれてしまう星      蔭一郎
阿炎およぐ偽の水平線のなか      川合大祐
ごせいばいしきもくの胴なさいます   中西軒わ
ノワールとメモワールのちにわか雨 いなだ豆乃助
川だった幅でお告げを待っている    兵頭全郎
スケルトン電卓という魂だ       平岡直子
リビングの小宇宙へとあくびする  いわさき楊子
かごめかごめ息継ぎの間の転生     浪越靖政
つめものとかぶせものから暮れてゆく 北野抜け芝
最新の縄文土器で煮炊きする      下城陽介
形式はくり返される敗戦日     いわさき楊子
自堕落の神は案外いそがしい      下城陽介
銀行 庭でサンダルをなくした      平英之
賭博でも氷で多少工夫する      今田健太郎
広告の顔らしいまま手を離す      兵頭全郎
義賊から盗み笑いを恵まれる      飯島章友
非通知で蝶がつぶれてしまったわ    平岡直子
わびさびの引き出し開けて都市を撃つ ササキリユウイチ
前屈でサラダに届くレイトショー    青沼詩郎
特選 蟹味噌の醜さだけが国語辞書   二三川練
軸吟 五年目の花火の位置を見定める  小池正博

懇親会は行わないことにしていたので、終了後はそのまま解散。両国に戻り、ちゃんこ鍋で、ひとりご苦労さん会。懇親会は川柳イベントが成功したかどうかのバロメーターで、宴会に残る人数が多ければイベントが成功だったことの証明とも言える。今回はそういうこともなく、達成感もそれほど得られなかったのはやむを得ない。シンポジウム・座談会+句会というかたちの川柳イベントを「バックストローク」「川柳カード」「川柳スパイラル」と続けてきたが、別のかたちを模索するべき時期に来ているかもしれない。

8月7日
国民文化祭おきなわの応募作品選考会議が午後からあるので、早朝の新幹線に乗り大阪に帰る。リモート会議なので東京にいてもできるのかもしれないが、自宅のパソコンからでないと不安なのだ。
国文祭「連句の祭典」の応募は一般の部とジュニアの部に分かれているが、私の担当はジュニアの部。大賞・入賞作品が决まる。
コロナに感染することもなく、無事三日間を乗り切ることができた。

あと、送っていただいた雑誌や本のご紹介。
「江古田文学」110号の特集は石ノ森章太郎。宮城県登米市にある「石ノ森章太郎ふるさと記念館」が紹介されているが、ここは朝ドラの「おかえりモネ」でも出てきた場所である。
浅沼璞が評論「『さんだらぼっち』にみる西鶴的方法」を書いている。私は「佐武と市捕物控」は読んだことがあるが、人情噺「さんだらぼっち」は読んだことがない。主人公とんぼは吉原大門前の玩具屋の住み込み職人。浅沼は石ノ森の映画的手法を指摘していて、それは連句にも通じるものだ。浅沼が「さんだらぼっち」の場面を連句化しているのは興味深い。

 身振り手振りで明かす段取り
持参金めあてに掛けを済ますらん
 もぬけの殻の広きお屋敷

「楽園」第一巻(湊合版)は楽園俳句会の創刊号から第6号までを合冊したもの。俳句作品のほか堀田季何の連載「呵呵俳話」が〈「わかる」とか「わからない」とか〉〈俳句の「私」は誰かしら〉〈リアルとリアリティ〉〈俳句と川柳の境界〉など、現在問題になっているテーマを扱っている。あと、連句作品も掲載されていて、連句界からは静寿美子が参加している。歌仙「ビオトープ」から。

帰りには栗売り切れてしまひさう   マリリン
 慌てふためき待ち合はせ場所    小田狂声
イケメンの自信過剰がいのちとり   静寿美子
 キーホルダーの合鍵はづす    市川綿帽子

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