今年は石部明没後五年に当たる。
一昨年から八上桐子と小池正博の二人で「THANATOS」というフリーペーパーを発行している。石部明の作品を毎回50句ずつ紹介し、石部明論と石部明語録を付けている。年一回発行で現在第二号まで。六月に入って、今年の第三号の作成に取りかかりはじめた。
第三号で取り扱うのは、1996年~2002年の時期。明、57歳から63歳。
「川柳大学」「MANO」『現代川柳の精鋭たち』『遊魔系』と油の乗った時期である。
ちなみに「MANO」創刊が1998年5月。『現代川柳の精鋭たち』が2000年7月。句集『遊魔系』発行が2002年2月。
この時期の作品を初出から調べてゆく作業をしていると発見もある。たとえば
嗄れた咳して死者のいる都 石部明
という句。「MANO」『遊魔系』では上掲のかたちなのに、『セレクション柳人・石部明集』では「嗄れた声」になっている。川柳では本文校異がされたことがなかった。
まだ先のことだが、「THANATOS」3号は9月18日の「文学フリマ大阪」で配付の予定である。
「里」6月号に天宮風牙が5月6日の「川柳トーク」のことを書いている(「もう一つの俳の句」)。天宮は「里」に俳諧論を連載しているが、俳諧の観点から川柳にも関心をもちイベントに参加したようだ。
「今話題の瀬戸夏子氏とその鋭い論考で俳壇でも注目の柳本々々氏の参加ということで観客には多くの歌人、俳人の姿が見られた。連句人の浅沼璞氏の姿もあり短歌、俳諧(連句)、川柳、俳句と所謂短詩系文芸人が一堂に会する席であったことが何よりも興味深い」
しかし、シンポジウムの内容そのものは天宮の俳諧論に直接寄与するものではなかったらしくて、彼はこんなふうに書いている。
「結論から言うと、一句独立の確立した現代俳句をもって俳諧を論ずることが困難であるように、現代川柳から俳諧を論ずることもまた困難であるように思う。但し、俳人としては実に実りの多いシンポジウムであった」
私は連句人でもあるから、天宮の言いたいことはよく分かる。拙著『蕩尽の文芸』の帯文に私はこんなふうに書いている。
「他者の言葉に自分の言葉を付ける共同制作である連句と、一句独立の川柳の実作のあいだに矛盾を感じることもあったが、今は矛盾が大きいほどおもしろいと思っている。連句と川柳―焦点が二つあることによって大きな楕円を描きたいのだ」
これは私の初心であったはずだが、まだ大きな楕円が描けていない。
「川柳トーク」と「文フリ東京」以後も短詩型の世界は目まぐるしく動いている。
5月21日、コープイン京都で「句集を読み合う 岡村知昭×中村安伸」というイベントが行われた(関西現俳協青年部・勉強会)。
東京でも開催された四句集(小津夜景『フラワーズ・カンフー』、田島健一『ただならぬぽ』、岡村知昭『然るべく』、中村安伸『虎の夜食』の読みのうち、関西にゆかりのある岡村と中村の句集を読むもので、岡村の句集を中村と久留島元が、中村の句集を岡村と仲田陽子が読むというものだった。仲田が中村の句集のBL読みを行ったのが印象的だった。
春立ちぬ鱗あろうとなかろうと 岡村知昭
黙祷のあとにふらつくのが仕事
雨音や斜塔を妻といたしたく
はたらくのこはくて泣いた夏帽子 中村安伸
馬は夏野を十五ページも走つたか
水は水に欲情したる涼しさよ
瀬戸夏子と平岡直子が発行している「SH」もすでに四冊目となる。
歌人である瀬戸と平岡が川柳の実作を試みていて、毎回ゲストが参加する。
「SH4」から。
作戦名…忘れたすぐに楽になる 山中千瀬
かわいいを集めたデッキで勝ち進む
友だちになろう飛行機にも乗ろう
必ず暗くなるので夜を名乗らせて 我妻俊樹
セックスの中で醤油を買いにゆく
昼過ぎまで有料だった水たまり
さくらの最良の子ども 瀬戸夏子
石鹼の裾上げ見つめ
よわい梅から耳朶を選ぶ
月蝕のような美貌が欠けている 平岡直子
ペンギンの群れを避けつつ一周す
絶滅も指名手配も断った
瀬戸は「川柳トーク」でも「川柳は長い」と発言していて、今回は短律作品を書いている。短歌が二つのパーツからできていると仮定すれば、川柳を書くときも二つのパーツの組み合わせなら短律や七七句の方が書きやすいということなのだろう。
かつて川柳と短詩の交流があった時期に(短詩が川柳に流入した時期と言った方がいいか)、短詩が長律派と短律派に分かれ、分裂していったことを思い出した。
短歌研究誌「美志」19号を送っていただいた。
特集は〈井上法子歌集『永遠でないほうの火』を読む〉。
編集後記に〈昨年は「わからない」歌について歌壇ではやりとりがあった。論争にからむよりも「読み」の実質を作っていきたい〉とある。
私は川柳と短歌の違いを考えるときに、ときどき次の二つの作品を並べてみることがある。
煮えたぎる鍋 方法は二つある 倉本朝世
煮えたぎる鍋を見すえて だいじょうぶ これは永遠でないほうの火 井上法子
倉本の作品には省略があって「方法は二つある」と言われると何と何だろうと考えてしまう。読者に預ける書き方である。「火を消す」のと「鍋の湯をぶちまける」の二つだろうな、と私は思うが、井上の短歌を読んだときに「じっと見すえる」ということもあるのだなと思った。大丈夫、これは永遠に続くのではないと自分に言い聞かせながら。
1月の「文フリ京都」では合同句集『川柳サイドSpiral Wave』を販売したが、9月の「文フリ大阪」では『川柳サイドSpiral Wave』第2号を発行・販売する予定である。今回の参加者は、飯島章友・川合大祐・小池正博・酒井かがり・樹萄らき・兵頭全郎・柳本々々の7名。
さまざまなことを形にしていくには、まだ暑い夏を越さなくてはならない。
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