2016年9月16日金曜日

口語短歌と文語短歌

明後日9月18日(日)に「文学フリマ大阪」が堺市産業振興センターで開催される。文学フリマは東京をはじめ各地で開催されているが、大阪では第四回となる。「川柳カード」の出店は昨年に続き二回目となるが、川柳からのブースは他に見当たらないので、川柳界から唯一の出店となる(ただし、「現代川柳かもめ舎」の朝妻久美子が「現代川柳ミュウミュウ」を「うたつかい」のブースで委託販売するらしい)。「川柳カード」のブースは六条くるると神大短歌会に挟まれて開店しているのでご来店をお待ちする。「川柳カード」バックナンバーと川柳カード叢書『ほぼむほん』『実朝の首』(『大阪のかたち』は品切れ)、小池正博句集『水牛の余波』『転校生は蟻まみれ』、兵頭全郎句集『n≠0』などのほか、フリーペーパー「THANATOS石部明」2/4、榊陽子「虫だった」を配布予定。

さて、俳誌「里」特集「この人を読みたい」に毎号注目しているが、9月号では堀下翔が小原奈実の短歌を取り上げている。堀下は「文語短歌の現在」で現代短歌の潮流を次のようにとらえている。
「先鋭化してゆく社会のありようを、五・七・五・七・七の定型のみを恃みとして、そこに埋没しかねない個人の実感において書く、そうした潮流がそこにはあった」
「重要なのは、1980年代。90年代生まれの世代の書き手たちが担うこの新たなメインストリームに、口語表現を前提としている節が見られる点だ」
このような潮流の中で、小原奈実は90年代生まれの歌人でありながら文語短歌の書き手である。文語表現をとるのが大勢である俳句サイドの堀下が小原に関心を持つ理由もここにあるのだろう。

往来の影なす道に稚き鳥発てばみづからをこぼしてゆきぬ   小原奈実

堀下の文章を読みながら、口語表現を主流とする川柳サイドにいる私は、現代短歌における文語短歌の在り方というより、逆に、それでは口語短歌とはいつごろから書かれているのかということに改めて関心を持った。口語短歌は「俵万智以後」にできたものではなく、「穂村弘以後」のものでもない。かつて口語短歌を書くことが、一種の「前衛」であった時代があったのだ。

私の手元にあるのは現代短歌全集・第21巻『口語歌集/新興短歌集』(改造社・昭和6年)。その中から西村陽吉と西出朝風の作品を紹介したい。

モウパツサンは狂つて死んだ 俺はたぶん狂はず老いて死ぬことだらう  西村陽吉
かあんかあんと遠い工場の鎚の音 真夏の昼のあてない空想
何か大きなことはないかと考へる空想がやがて足もとへかへる
三十を二三つ越してやうやうに ここに生きてる自分がわかつた
俺が死んだ次の瞬間もこの土手の櫻の並木は立つてゐるだろ
他人のことは他人のことだ 自分のことは自分のことだ それきりのことだ

「死ぬ時に子供等の事は?」「思はない。死んでく自分だけがいとしい。」 西出朝風
第一のその夜にすでに相容れぬ互を知つた二人だつたが。
これはまたなんて素晴らしい話題でせうこなシヤボンの話。磨き砂の話。
夢二氏が假りの住まひの縁さきに竹を四五本植ゑるさみだれ。
「手紙くらゐよこせばいいに。」「それぞれに自分の事にいそがしいから。」
一生にまたこの上の濃い色を見る日があるか、深藍の海。

西村陽吉は大正14年(1925)、口語短歌雑誌「芸術と自由」を創刊。大正15年(1926)には全国の口語歌人大会が上野公園で開かれた。西村の「芸術と自由社」(東京)のほか渡辺順三の「短歌革命社」(東京)、松本昌夫の「新時代の歌人社」(東京)、青山霞村の「カラスキ社」(京都)、清水信の「麗日詩社」(奈良)の共催だったという。この大会で「新短歌協会」が結成され、「芸術と自由」はその機関誌となったが、昭和3年(1928)に「新短歌協会」は口語短歌の形式と内容をめぐる論争を経て分裂。歌集『晴れた日』など。
西出朝風は口語短歌の草分け的存在で、大正3年(1914)全国初の口語短歌誌「新短歌と新俳句」(のちに「明日の詩歌」と改題)を創刊。妻の西出うつ木も口語歌人。
この時代の短歌史についてはプロレタリア短歌・新興短歌・口語短歌が錯綜してややこしいが、興味のある方は木俣修『昭和短歌史』などを参照していただきたい。

大正末~昭和初期の口語短歌は現在の口語短歌とはバックグラウンドが異なるが、ジャンルと時代を越えた視点をもっておくことは無意味ではない。川柳人の高木夢二郎は「新興川柳と口語歌」(「氷原」昭和3年8月)で「口語歌と川柳と其各々が詩として我々の生活表現のどの部分を各々が的確になし得るかとの問題を私は久しい以前から考へて見た」と述べて、口語短歌と新興川柳とを比較している。
口語と文語の違いは文体の問題であって、どちらが「前衛」的かとも言えない。口語が前衛的であった時代もあるし、文語が前衛的であった時代もある。しかも、短詩型のそれぞれのジャンルによって事情が異なっている。「新興短歌/新興俳句/新興川柳」を統一的にながめ、それが戦後の「前衛」、さらに「現代」にどうつながっているのか、誰か明らかにしてもらえないものだろうか。

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