2011年9月2日金曜日

『武玉川』における人間の研究

9月に入った。今週はこれといった動きもないので、閑文字を連ねることにする。
小島政二郎に『私の好きな川柳』(新装版・弥生書房・1996年)という著作がある。小島は『眼中の人』『円朝』などの著作で知られている作家で、長く芥川賞の選考委員をつとめた。本書の最初の方に室生犀星と芥川龍之介の比較が出てくる。
犀星は芭蕉以外の俳句は一切認めなかった。「元禄でなければ」というのが彼の口癖であった。芥川に言わせれば、それではあまりに視野が狭すぎる、天明の蕪村も几董も太祇も認めるに値する、ということになる。芥川がパースペクティヴに従って見ているのに対して、犀星は芭蕉一人あればその他はいらないという頑固さによっている。犀星の頑固さは芥川の柔軟さよりも犀星をより深く幸せにしたのではないか、と小島は言う。
「鑑賞家としては、芥川の態度が本当だ。しかし、小説家としてだけで、鑑賞家としてなんか問題にしていない室生は、室生の小説家としての勘で好き嫌いを云って一向差支えないのである」
小島のこの指摘を私は面白いと思う。もう一人、小島が挙げているのが久保田万太郎である。万太郎は芭蕉のような大物が嫌いで、マイナーな詩人だけが好きだった。万太郎は犀星とは逆に太祇が好きだったのだ。ちなみに小島は『俳句の天才―久保田万太郎』という本を書いている。

湯豆腐やいのちのはてのうすあかり    久保田万太郎

小島は川端康成についてのエピソードも紹介している。芥川賞・直木賞の選考委員会を開いているとき、川端は「私達はこうして私達の敵を選び出しているのですね」と言ったという。有望な後輩を生む努力をしているのだと思っていた小島はひどく驚いたのだ。

「小説家にとって、個性くらい興味のあるイキモノはない。中でも、強烈な個性に最も心を引かれる。そうして書く」「書くということは、その個性と親しく付き合うことだ。好きになれない個性もあれば、それ程でなくとも、どうにも親しくなれない個性もあり、反対に永く付き合いたくなるよき個性もあり、個性くらいその人間を語るものはあるまい」

小島は『柳多留』よりも『武玉川』の方が面白いという。以下に引用する句もほとんど『武玉川』からである。

俯けば言訳よりも美しき  『武玉川』十八篇

「普通川柳と思われている句よりも、遥かに人生に近い。少なくとも、若い女の姿態が彷彿として来る。少し贔屓して云えば、色彩を帯びて、もう少し誇張して云えば、まぶしいくらい美しい」
うつむいているのは若い女である。小言を言っているのは親か亭主だろう。いいわけをすればできるはずなのに、女はただうつむいているだけだというのである。それを美しいと見ているのは親か亭主だろうか、それとも第三者がその光景を美しいと見ているのだろうか。

牡丹をつかむやうな胸ぐら   『武玉川』六篇

「うまいなあ。若い相手の胸ぐらを掴んだ感じ。
 十四字でよくこれだけの内容を歌えたものだと思う。歌えただけなら一応の感心で済むが、うまいのだから感服するより外ない。
 夫婦喧嘩の真ッ最中、口は女の方が達者だから、相当きついことも云ったのだろうと思う。男もそれ相当興奮して、女の胸ぐらをつかんだのだ。が、女は口程にもなく、牡丹をつかむような胸ぐらだったと云うのだ。それ程絢爛と美しかったのである」
 小説家だから、場面を生き生きと想像するのがうまい。夫婦喧嘩の場でなくてもいいかも知れない。

面白い恋がいつしか凄くなり   『武玉川』四篇

「恋の本質を道破したものだろう。凄くならないような恋は恋じゃない」

一ト逃げ逃げて口を吸はせる   『武玉川』二篇

「江戸の娘さんの媚態を生き生きと描いている。江戸生まれの娘さん以外の娘では絶対にあり得ない。そこが値打ちである。
 生まれて初めてのことだし、江戸生まれの潔癖さから云っても、一も二もなく応じる気遣いはない。しかし、全く受け入れない程無情でもない。〈一ト逃げ〉するところが、江戸の娘さんの、私の好きな一点である」
ちなみに、神田忙人著「『武玉川』を楽しむ」(朝日選書)では「下町の娘の恥じらい、潔癖さと本能的な一種の媚態か、こういうことに慣れた商売女のテクニックか、どちらとも決めかねる句だ」とあって、小島の解釈と少しニュアンスが異なる。主語が省略されているので、どういう人物を描いているかで解釈が分かれるのである。

さて、小島が最後に「私が一番好きな句」として挙げているのが次の句である。

やはやはと重みのかかる芥川   『柳多留』初篇

『伊勢物語』で在原業平が二条の后を盗んで逃げる場面を詠んでいる。俵屋宗達の絵画でも有名である。
「私はこの句を読んで、二条の后の蒸すような肉体を想像する。次に、業平が二条の后を負ぶった時の、背中と胸との親しみのないギコチない感触を想像する。さて、そのまま川を渡っている間に、胸と背中との間に親しい官能の相通うものがあったに違いない」

そういえば、河野春三に「高槻異情」という詩がある。

やわやわと重みのかかる芥川
と古川柳に詠まれた芥川は
高槻市のほぼ中央を南に流れて淀川に注ぐ
夏草の生い繁るころこの川の畔に立つと
変哲もない小川を新幹線の矢が横切る
上流はやや川幅も広く桜の古木が花を競い
花の頃は雪洞が風情を作ったりするが…… (『河野春三詩集』風発行所)

本書の最後で小島はこんなふうに述べている。
「川柳の何よりの強みは、社会的体験が根底をなしていることだった。当時の一般の小説(但し、西鶴を除く)、一般の俳句(但し、芭蕉を除く)に比べると、川柳の強みは社会的体験を豊富に扱っていたことだと思う。それが、川柳に客観性と描写力を持たせた」

田辺聖子『武玉川・とくとく清水』(岩波新書)を読むと、「小島政二郎『私の好きな川柳』は誤訳・珍解が多いことで有名で、その野孤禅流の見当はずれの解釈を指摘する人は多い」ということであるが、私には小島の本は面白かったのである。

本書と同じ弥生書房から『武玉川選釈』(森銑三著)が出ている。森は作家ではないから、評釈も小島ほど面白くはなく、取り上げている句も異なっているが、「武玉川・柳樽に出ている食べ物」の章は、恋句とはまた別の川柳の一面をとらえているので、紹介する。

蕗味噌を子に嘗めさせて叱られる  『柳多留』十篇

「蕗味噌は蕗のとうの味噌あえか、とにかく苦味のある味噌なのを、亭主が面白がって箸に付けて、赤ン坊に嘗めさせる。赤ン坊がしかめッ面をする。御亭主は忽ちかみさんから叱られる」

油揚二度目の使大人なり     『柳多留』二十篇

「油揚を丁稚の長松に買いに出したら、鳶にさらわれて帰って来た。仕方のない奴だな、と二度目には下男の権助が改めてそれを買いに行く」

海鼠売つまんで見せて嫌がらせ  『武玉川』十三篇

「どうだい、旨いが買わないか。まだ生きているんだぜ、などど、わざとぬらくらしている海鼠をつまんで、女達の鼻の先へ突きつける。女どもはきやァという」

蛇足だが、『武玉川』は俳諧の高点付句集であって川柳ではないと言う人がいるが、川柳界では七七句を「武玉川調」と呼んで根強い人気があるので、アカデミックに考えるのでなければ、川柳と呼んで差し支えないと思う。

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