2011年7月22日金曜日

川柳句集の句評会

7月17日、アウィーナ大阪で渡辺隆夫句集『魚命魚辞』、小池正博句集『水牛の余波』の合同句評会が開催された。いわゆる出版記念会・祝賀会ではなく、句集の読みと評価に的を絞った純粋の句評会で、関西在住の川柳人を中心に俳人・歌人も含めて、45名が集まった。
短歌・俳句では批評会がしばしば開かれている。20代・30代で第一歌集・句集が出され、その評価を参考にして次の第二歌集・句集の方向性を模索することができる。歌集・句集が到達点ではなく、次に進むための出発点となるのだ。従って、儀礼的な祝賀は若い歌人・俳人にとって意味がない。次のステップに進むために、弱点は容赦なく指摘されることになる。もちろん短歌・俳句であっても儀礼的な祝賀会はあるのだろうが、川柳界では批評会というものはほとんど見られない。短歌史・俳句史のなかでその歌集・句集が位置づけられるのとは異なって、川柳史における句集の評価という作業は行われないのだ。渡辺隆夫の第一句集『宅配の馬』が出されたとき、渡辺は58歳だったという。今回第一句集を出した『水牛の余波』の小池は56歳。短歌・俳句に比べて川柳人の出発は遅い。

川柳における出版記念会について少し振り返ってみたい。1998年12月に尼崎で開催された森田栄一句集『パストラル』の出版会の際には、公開討論会「現代川柳は21世紀に生き残れるか」が行われた。司会は高橋古啓。
翌年発行された記念誌「川柳アトリエの会」50号(1999年6月)を読むと、このときのディスカッションでは句集『パストラル』の句について誰も一句も触れていない。パネラー各自が自己の意見を述べているだけで、具体的作品が俎上にのぼってこないのだ。むしろ同時期に発行された渡辺隆夫句集『都鳥』についての発言が多く、たまりかねた司会者が「今日は『パストラル』の記念会です」と牽制している。奇妙なことであり、句評会という意識はパネラーにはなかったのだろう。
1999年8月に姫路で開催された樋口由紀子句集『容顔』の出版記念会では、「ボーイフレンドが読む『容顔』」と題してパネルディスカッションが行われた。コーディネーターは堀本吟。パネラーが大井恒行(俳句)、荻原裕幸(短歌)、高山れおな(俳句)、長岡千尋(短歌)、藤田踏青(自由律俳句)、渡辺隆夫(川柳)である。ここでは「作品例に関して特に主張したいこと」「共鳴句」「樋口由紀子へのアドヴァイス」「短詩型現状についていちばんいいたいこと」などが挙げられている。
2001年に大阪で開催された「川柳ジャンクション」は、合同句集『現代川柳の精鋭たち』の出版にちなんだもの。「川柳の立っている場所」というテーマで荻原裕幸・藤原龍一郎・堀本吟による鼎談があった。
2006年大阪で開催された「セレクション柳人出版記念大会」は13句集を一挙に読むもので、個々の作品の読みにまで踏み込めなかった。純粋な批評会ではなく、第二部で句会が開催された。
以上、関西で開催された出版会について管見に入ったものだけを取り上げたが、『容顔』の出版会を除いて「句評会」と呼べるものではなかったことが分かる。ただ、こうした川柳における出版記念会の流れを振り返ってみると、次の二つの志向を認めることができる。
①「川柳についての放談」から「具体的作品にもとづいた根拠ある発言」へ
②「歌人・俳人のパネラー」から「川柳人自身によるパネラー」へ

さて、今回の句評会であるが、第一部『魚命魚辞』は、司会・堺利彦、パネラー・吉澤久良、小池正博、野口裕。第二部『水牛の余波』は、司会・樋口由紀子、パネラー・湊圭史、渡辺隆夫、彦坂美喜子。
第一部では司会・堺利彦の「柳界ではめずらしいパネルディスカッション形式による句集の句評会なるものを試みてみたい」という発言に続いて、パネラーの吉澤は次のように述べた(発言要旨)。

『魚命魚辞』には、パロディー、語呂合わせ、ずり落としの句が満載である。パロディーや語呂合わせは、「ああ、このことを下敷きにしているな」という〈答え〉がわかれば、それで終ってしまうことが多い。けれども、渡辺隆夫の句集には、わずかではあるが〈答え〉に収束しない句がある。

「〈答え〉に収束しない句」として吉澤は次のような句を取り上げた。これらの句は渡辺隆夫の〈柔らかい部分〉であり、それは、叙情性であったり、不条理であったり、古川柳的な情感であったりする、と吉澤はいう。

硬直の紡錘体が秋の魚
炎天下百歩歩いて皆トカゲ
縁談に土用の丑が来て座る
地の蓋を開けて極月のぞき込む
原子力銭湯へ行っておいでバカボン

続いて、小池は隆夫川柳を「私性の抹殺」「批評対象の創出」「キャラクター川柳」という三つの視点からとらえ、本句集のキーワードは「昭和」であり、隆夫の「昭和」に対する落とし前のつけ方として読んだと述べた。
隆夫は「バックストローク」創刊号の「隣りは何をする人ぞ」(「セレクション柳論」に所収)で、「現代における一般的な読みとはマンガ的読みだ」と書いている。「船団」の久留島元によると、マンガ俳句と漫画的俳句とは違う。マンガ俳句はアニメ・マンガのキャラクターを素材として詠んだ俳句。「鉄腕アトム」や「ドラえもん」などのマンガのヒーローは素材になりやすい。それに対して、漫画的俳句は素材の問題ではなくて、漫画の手法を用いた俳句ということ。隆夫の川柳にも「原子力銭湯へ行っておいでバカボン」「テポドンに紅の豚ぶちかまし」などマンガ・アニメのキャラクターを用いたものがある。けれども、これらの句は、「キャラクター川柳」ではなく、むしろ次のような句にキャラクター川柳の方法があらわれている。

乙姫社の魚語辞典はまだ出ぬか
シーラカンスは魚気の多い編集長
昭和史を他山の石とはせぬぞ、御意
魚命魚辞、また勅語かと朕びびる

「魚の国」があって、魚の出版社「乙姫社」がある。編集長はシーラカンス。この漫画的乗りをおもしろいと思わない人にはこの句集は無縁である。人間なら「ヤマ気」が多いのだが、魚だから「魚気」が多い。出そうとしている本は『魚語辞典』である。このようにして一句一句を積み上げることによって、隆夫はひとつのセカイを創り上げてゆく。では、何のためにセカイを創り上げるか。そのセカイを風刺対象にするためである。風刺対象がなければ風刺することができない。「魚の国」に「魚の天皇」がいて、御名御璽のかわりに魚命魚辞を押す。国民は魚意魚意といいながらミサイルを発射するのである。キャラクター川柳は風刺対象を作り出しつつそれを風刺する。作者と作品の間に距離をおくための絶妙の方法である。

野口は、渡辺隆夫に対する批判的な見地から次のように述べた。
『魚命魚辞』は面白い句が並んでいる句集とは思えない。野口は退屈と思える要因として次の諸点を挙げている。
①「それがどうした」感。句材の取り合わせが安易であったり、既視感がある、あるいは句材そのものが陳腐な場合に「それがどうした」感が起こりやすい。

乙女座に九十年もいて男 (女に男という当たり前すぎる配置)
北緯60度スコットランドは準白夜 (隆夫の旅吟は「絵葉書」俳句)
遠雷や生命保険の人が来る (雷から死を連想し、それが生命保険に結びつく流れ常識的な発想)

②「なんじゃこりゃ」感。句材の突飛さに頼って書いていると感じる句。その突飛さに驚けば、句としては成功なのだろうが、突飛であればあるほど鼻白む読者もあろうし、どんなに突飛でも「それで?」と問い返す読者もある。

上野駅トイレにしゃがむ西郷どん
衛兵のキルトの下はノーパンツ
ウンコなテポドン便器なニッポン

③「ああ、またか」感。やたらと同音・同字が句に出てくる。同一手法の繰り返しも、度が過ぎる。

肉欲と海水浴はオトモダチ
薔薇は咲いたかベルばらまだか
草津ヨイトコ二人はイトコ
亀鳴くと鳴かぬ亀来て取り囲む

④面白いと思った句。渡辺隆夫の言葉遊び満載の句集の中に、ねっとりとした良い味を発見する句がある。今のところ、珍重すべきほどの頻度だが、今後はこの方向に行くべき人なのではないだろうか。

デパ地下を鮮魚が泳ぐ現代の午後
頬被りてめえ松方弘樹だな
シウマイは若きシングルマザーの味
妹の背に人魚のころの銛の跡
大陸移動が骨盤にひびくの

司会の堺利彦は、「1990年代から2000年代にかけての現代川柳に大きなインパクトを与えた隆夫川柳の、そのインパクトがどういうところにあるのか、また、一部のファンから高い評価を得ているにもかかわらず、なぜ川柳界に隆夫川柳の亜流なり模倣が登場しないのか」という問題意識をもっていたようだが、パネラーの発言は必ずしもこの問いに応えるものではなかった。けれども、具体的な句を挙げながら、作品の「読み」を語ることによって、この集まりは曲がりなりにも川柳の句評会のかたちをなしていたのではないだろうか。単独句ではなくて、一冊の句集としての評価が川柳の世界でもこれから問われていくことになるだろう。
第二部については長くなるので省略させていただく。

1 件のコメント:

  1. ご無沙汰しています、毎週楽しく拝読しております。
    「漫画的俳句」について、拙論にふれていただきましたようで恐れ入ります。当日は伺えなくて残念でしたが、また内容などお聞かせ願えれば幸甚です。

    川柳句集の合評会、というのはそんなに珍しいものなんですか。句集でもたいていは出版パーティだけで、内容に触れず、「好きな一句」あげてオシマイ、なことが多いようですが、せっかく句集を出すからには精読してくれる人に出会いたいと思います。…句集にはとんと縁がありませんが。

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