時評とはけっこう困難な作業である。
音楽評論で有名な吉田秀和は、相撲の解説から批評の要諦を悟ったと述べている。現在の相撲解説は愚にもつかぬものだが(そういえば相撲自体の存続もあやぶまれる状況が続いている)、かつては相撲解説者に神風と玉の海がいて、名解説者の評価をほしいままにした。一瞬の取り口を言葉によって鮮やかに解説してみせるそのやり方は、相撲ファンのワクを越えて視聴者を魅了したのであった。
吉田秀和の評論集『主題と変奏』に収録されているシューマン論には「常に本質を語れ」(ベートーベン)というエピグラムが掲げられている。消え去るもの、移り変わる状況を取り上げながら、常に本質を見失わないこと。そこに時評なり批評なりの面目はあるのだろう。
竹中宏編集・発行による俳誌「翔臨」71号に、石田柊馬が「川柳味の変転」を執筆している。〈川柳味の場「句会」〉〈川柳の近代化〉〈川柳味と創作〉〈川柳味と詩性〉〈省略の川柳味〉の五項に分けて、前句付を出自とする川柳が近代化を目指すなかで川柳味がどのように変転してきたか、その見取り図を提示している。石田柊馬の川柳史観については、以前このブログで触れたことがある(2010年11月26日)。柊馬史観は川柳の近現代にたいするパースペクティヴを私たちに与えてくれる。
〈川柳味の場「句会」〉で柊馬は次のように述べている。
「近代化を目指した明治の時代に、先達は前句附けの受動性から、近代的な能動性を求めた。野球でいえばキャッチャーからピッチャーに変わっても川柳が書けると判断した」
「俳句で、写生という思想に基づいた実践と考察が行われていた同じ時期に、前句附けから離れた五七五だけの句を川柳と称して、川柳味と川柳の書き方をどのようにするかが個々人にゆだねられた」
ここで問われているのは、「川柳味と川柳の書き方」が川柳の近代化の中でどのように変遷してきたのか、という問題である。
前句付と『柳多留』では「うがち」と「省略」が一体化していた。川柳の近代化はこの両者の融合が分化していく過程だと柊馬は見る。前句付が題詠に変化したとき、前句付における「飛躍」「うがち」「省略」が弱くなった。題詠は主として問答体の書き方として川柳の句会に定着する。川柳を近代化した井上剣花坊と阪井久良伎は前句付の書き方を引き継いでいたが、その後の近代川柳が「題詠」より「創作」(自己表出としての「雑詠」「自由詠」)を重視するようになると、川柳味は薄められていった。
〈川柳味と創作〉では次のように述べられている。
「近代川柳の佳作の多くは、題詠から離れた創作として書かれたが、大方のレベルは自己表出と共感性の合致する位相にとどまって飽和、袋小路の内閉性を自ら好む意識が、川柳味の棚上げ状態を続けさせた」
「もちろん近代川柳の優れた句は自己表出を上位に据えつつ、川柳的な書き方を採っていた。うがちによる戯画化や暗喩などに川柳味が活きて、省略と収斂が溶け合い、それらの句は、退屈な川柳への批判を宿していた」
ところで、「退屈な川柳」とは何か。
「ちなみに、有季の俳句の日常詠にくらべて、川柳の日常詠は圧倒的に退屈なのだ。有季の俳句は、主意が退屈であれ、こころに触れない句であっても、主意と、季語や景との関わりが感じられる。主意が言葉となり一句となる往還が立ち上がるのだが、川柳の方は、日常性の断片があるだけなのだ。皮肉な見方をすれば、近代川柳では日常の断片を切り取ることにうがちが感じられ、五七五への納め方に省略が働いたのだ」
竹中宏は「翔臨」の後記「地水火風」で「俳句にもっとも近くもっとも遠い川柳に近年おこりつつある新しい波の意味あいと問題点を、今号の川柳作家石田柊馬氏の明確な分析は教えてくれる」と述べたうえで、上記の部分について「こちら(俳人)の胸にもっともつき刺さるはず。わたくしたちがなぜのんびり形式によりかかっていられるか、そのわけを、辛辣に指摘されているのだから」と感想をもらしている。
古川柳では一体化していた「うがち」と「省略」は、川柳の近代化のなかで弱体化し分化する。省略は単に表現技術と受け止められ、「詩性」の獲得が今日的な川柳、発展的な革新と意識され、省略による川柳味は顧みられなくなったという。
〈川柳味と詩性〉では次のように述べられている。
「共感性と問答体の書き方が詩性に適って、うがちの視線が自己客体化になり、喩の多様に向かった中で川柳的な省略はほとんど見られなくなった。私性と詩性が溶け合うところに表出の手応えがあったのだ。作中主体、句に書かれる作者の存在感が喩の追求を重んじさせると、川柳的な省略は表現を軽くすると感じられるのであった」
詩性川柳は「象徴語への依存」と「暗喩の追求」を専らとした。
近代川柳を超克する道として柊馬が重視するのは、「省略」である。「五七五に納める技術」と思われている「省略」を川柳味へ取り戻そうとする川柳人として、柊馬は樋口由紀子と筒井祥文の2人を挙げている。
字幕には「魚の臭いのする両手」 樋口由紀子
一から百を数えるまではカレー味
「樋口由紀子は省略の名手である。川柳そのものを求める意識が強いのである。この句(注・1句目)、強烈な省略が、言葉や意味の発信者と受信者のシチュエーションを創造させた。省略の強さは読者へ預けるちからの強さになる」
そういえば、「バックストローク」33号の「アクア・ノーツを読む」で柊馬は次のように述べていた。
「渡辺の川柳は親しそうな表情を見せているが、よほどそそっかしい読者でない限り、読者の参入を許さない孤立感を持っている。樋口の川柳は省略の厳しさで、一見読者が参入し難い感があるが、省略された量が多いということ自体、川柳では読者の参入、読者の裁量を多分に受け入れて、一句の完成は読者とともに、という川柳なのだ」
隆夫の川柳は読者の参加を許さず、樋口の川柳が読者参加型、という指摘は興味深い。省略と読者の読みへの参加(創造的読み)とはつながっている。
良いことがあってベンツは裏返る 筒井祥文
「筒井は、表現する事象にあまり拘らない川柳人であり、句会上手に多いタイプである」「『ベンツ』を課題にすれば一回りして見たあれこれは、それぞれの一句として何句も書けるのだ。しかし、世俗へ幾分か還ったところで、はじめて『ベンツ』という言葉が問いとなって、作者に問答がはじまる」
最後に柊馬は次のように言う。「ブリューゲルの有名な絵『農家の婚礼』は、婚礼としながら、花婿の姿が描かれていない」
描かれていない花婿は読者の想像に預けられている。それを読むのが読者の創造的読みであろう。
川柳における「詩性」をどう評価するかは柊馬史観のキイ・ポイントである。
「省略」という書き方を川柳味の主要なものと見るかどうか。また、「省略」と「飛躍」の差はあるのだろうか。ゆっくり考えてみたいと思った。
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