「超新撰21」の竟宴で高野ムツオが「言葉派」という用語を用いたのが印象的だった。高野は「ニューウェイブ」以前の俳句の傾向をそう呼んだのだが、現代川柳においても「思い」よりも「言葉」から出発する川柳を「言葉派」と呼ぶことがあるので、高野の発言はとても興味深かったのである。
俳句における「言葉派」とは、飯島晴子や阿部完市などのことを指すらしい。
「ぶるうまりん」16号(2010年12月発行)ではちょうど「言葉(ロゴス)としての俳句・短歌」という特集を組んでいて、飯島晴子や阿部完市などについての言及が見られる。
たとえば小倉康雄の「貴俗としての俳句・短歌」では、言語について「実用的な伝達手段=非詩的言語」「文学的な虚構などを構築するために用いられる非実用的言語=詩的言語」に二分しながら、詩的言語に関して飯島晴子の次のような言説を引用している。
「散文の言葉は内容を伝達すれば役目の終る、いわば道具だが、詩の言葉は言葉自体が目的であり、いつまでも存在し続けるものである」(「詩の言葉」、『葛の花』所収)
「言葉の向こうに、言葉を通して、現実にはない或る一つの時空が顕つかどうかというのが、一句の決め手である」(『飯島晴子読本』)
小倉の引用している飯島晴子の作品は次の2句である。
吊柿鳥に顎なき夕べかな 飯島晴子
月光の象番にならぬかといふ
また、土江香子は「物質であり精神である俳句」において、意味を拒否する俳人として阿部完市を挙げ、次のような句を取り上げている。
水色はごくんと言いLはからだ 阿部完市『地動説』
川岸ごらん郡上八幡小駄良川岸 『純白諸事』
純粋にあゆをならべてはこわす 『軽のやまめ』
故西脇順三郎氏訳つるのことば 『水売』
「花神現代俳句」の『阿部完市』(平成9年)には加藤克巳の「阿部完市とその俳句・覚書」という文章が収録されていて、阿部の特質を次のようにとらえている。
「彼の俳句は、意味の結合、構成ではなく、非意味を提示し、非意味を表記する、そこから何かの存在を一瞬とらえようとするのであろう」
「また、言葉は、句は、ひとつひとつ独立したものとして、なるべく論理的結合をさけ、結合以前にあらしめようとする」
「阿部完市にあっては、意味が先行して、それをことばで綴って表現するのではなく、ことばが先行し、言葉が詩を発見する」
以上のような飯島晴子と阿部完市の論作に加藤郁乎を加えれば、俳句における「言葉派」の輪郭がほぼ見えてくる。「言葉派」という捉え方が俳句界でどれだけ定着しているのかは分からないが、「俳句における詩的言語の追求」「言葉は意味に先行する」「非意味」「脱意味」などにその方向性があることは間違いないだろう。
詩的言語をそれぞれの詩型で追求するとき、そのジャンル固有の問題と遭遇する。
それでは翻って、川柳における「言葉派」にはどのような問題性があるだろうか。
そもそも川柳において「言葉派」という表現を最初に用いたのは誰なのかについては曖昧であるが、『現代川柳の精鋭たち』(北宋社・2000年)の「編集後記」に樋口由紀子が〈「言葉」より「思い」が先行してきた今までの流れの中からあらためて言葉の力を信じる世代が出現してきた〉と書いたあたりを嚆矢とするだろう。また、堺利彦も現代川柳の傾向を「言葉派」あるいは「新言語派」と呼んでいたように記憶する(その出典をいま特定できない)。
言葉には意味があるが、言葉自体は意味に限定されず、意味に先行するものである。けれども、用いられた言葉は意味にしたがって理解され、解釈されてしまう。詩的言語として発せられた言葉が伝達手段(非詩的言語)として理解されてしまうのである。けれども、非詩として理解されることが川柳にとって常にマイナスかというと、必ずしもそうとは言いきれない。川柳はそのような二律背反をかかえこんでいる。「川柳の意味性」といわれる所以である。樋口由紀子は、あざ蓉子の俳句と自分の川柳とを比べてこんなふうに書いたことがある。
「あざの俳句はさっといさぎよく空高く飛んでいく風船で、私の川柳は風船の紐に紙やおもりがついているために、いつまでたっても空高く飛べず、粘り強く低空飛行を続けている。紙やおもりは意味である」(「華麗なるテクニック」、「豈」34号)
このような「意味性の錘」を外す方向に現代川柳は進んでいるように思われるが、「意味性の錘」をどこまで外せるかはまだ分からない。意味性に限定されない「言葉の力」をどのように使うか、その微妙なバランスについて、攝津幸彦の次のような発言がある。
「以前は自分の生理に見合ったことばを強引に押し込めれば、別段、意味がとれなくてもいいんだという感じがあったけど、この頃は最低限、意味はとれなくてはだめだと思うようになりました。そのためにはある程度、自分の型を決めることも必要でしょうね。高邁で濃厚なチャカシ、つまり静かな談林といったところを狙っているんです」(1994年12月「太陽」特集/百人一句)
「自分の生理に見合ったことば」と「意味性」の間でどのような地点に着地するか、実作者が苦労するところだろう。私たちは攝津の「静かな談林」をも乗り越えるような、新たな表現を切り開くべき地平にさしかかっているのではないだろうか。
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