マーラーの交響曲はちゃんと聞いたことがないが、「大地の歌」だけはレコードを持っていて繰り返し聞いている。私が持っているのはワルターの指揮ではなくて、バーンスタイン指揮、ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団、フィッシャー・ディースカウのバリトン。第6楽章「告別」の最後はこんなふうに終っている。
春になれば
愛する大地は再びいたるところ花が咲き乱れ
樹々は緑に覆われて
永遠に、世界の遠き果てまでも青々と輝きわたる
永遠に… 永遠に…(ewig…)
マーラーはベートーベンなどが第9交響曲まで書いて死んだことを恐れて、彼の9番目の交響曲には番号を付けずに「大地の歌」としたという。また彼は『カラマーゾフの兄弟』を愛読していて、イワンとアリョーシャのどちらが正しいのだろうかと繰返し言っていたそうだ。
私が「大地の歌」を聞くのはこのようなマーラーの文学的イメージからなので、福永武彦も「告別」という小説の末尾で「大地の歌」を用いている。
さて、このマーラーの妻がアルマ・マーラーで、彼女は21歳のときにマーラーと結婚し、31歳で死別している。二人の最初の出会いは1901年で、アルマはこんなふうに書いている。
「1901年の11月のある午後のこと、友だちと環状通りを歩いていた私は、たまたまツッゲルカンドル夫妻に出会った。こおのツッケルカンドルという人は、すぐれた解剖学者であると同時に、洗練された趣味を持ち、ユーモアのセンスに富んだ人だった。
『今日マーラーがわが家に来るんですよ。いらっしゃいませんか』
私はお断わりだった。マーラーなどに会いたくなかった。実際のところその夏は、私は故意に、しかも、マーラーと顔を合わせる機会を避けてきたのであった。というのは、彼の評判が悪かったからである」(『グスタフ・マーラー 愛と苦悩の回想』)
その一週間後、再度誘われたアルマはマーラーと会う。マーラーは彼女に関心を示し、ふたりは結婚する。アルマは21歳、マーラーは39歳。マーラーはウイーン王立オペラ劇場(現在の国立歌劇場)の指揮者だった。
アルマはたいへん魅力的な女性だったらしく、31歳でマーラーと死別したあと、バウハウスの巨匠として有名な建築家のグロピウスと再婚、グロピウスと離婚したあと作家で詩人のフランツ・ウェルフェルと結婚、ナチスから逃れてアメリカに亡命する。恋人も多く、画家のココシュカが描いた「風の花嫁」はアルマをモデルにしたと言われる。彼女は音楽家、建築家、作家、画家をそれぞれとりこにした運命の女性である。
ココシュカはドイツ表現主義の画家で、「風の花嫁」は1914年の作。現在はバーゼルの美術館が所蔵している。船の中に男女が横たわっていて、女の方は眼をつぶっている。この絵は「風の花嫁」とも「突風」とも呼ばれていて、なぜタイトルが二つもあるのか不思議に思っていたが、ドイツ語の原題は「Windsbraut」で突風という意味になるが、WindとBrautに分けると「風の花嫁」になる。
ドイツの詩人で若くして死んだゲオルク・トラークルに「夜」という詩がある。トラークルはウイーンの滞在中、しばしばココシュカの仕事場を訪れて、この作品を見る機会があったという。「夜」はこんな詩だ(吉村博次訳)。
おまえ、荒あらしい裂け目をぼくは歌う、
夜の嵐のなかに
高くそそりたつ山脈を。
灰色をしたおまえたちの塔は
氾濫している、地獄の悪童どもで、
火をふく獣たちで、
ささくれた羊歯や唐檜で、
水晶のような花花で。
(中略)
黒ずんだ断崖をこえて
灼熱した突風が
氷河の
青い波が
死に酔ってなだれ落ち、
そして谷間では、鐘の音が
ごうごうと鳴りわたるー
(後略)
アルマはココシュカの七歳上。アルマとの生活をココシュカは「思い出すのも嫌な、落ち着きのなかった日々」と語っている。突風と結婚することはできない、ただ描くことができるだけだ、と言われるが、うなずけるところである。
さて、笹川諒の歌集『眠りの市場にて』(書肆侃侃房)に「風の花嫁」を詠んだ歌があるので、最後に紹介しておく。
ココシュカの《風の花嫁》を飾るだろう死後の白くて無音の部屋に 笹川諒
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