2023年3月10日金曜日

「川柳ねじまき」9号

3月×日
市立伊丹ミュージアムで開催されている特別展「芭蕉―不易と流行と―」を見にいく。柿衞文庫が伊丹ミュージアムに統合され、改装のためしばらく休館になっていたので、芭蕉関係の俳諧資料を久しぶりに見ることができた。東京では2021年に永青文庫で開催された展覧会である。宗祇にはじまる連歌関係の展示や時期によって書風の変化する芭蕉短冊、芭蕉筆の「旅路の画巻」など見どころがいろいろあった。統合された伊丹ミュージアムは立派なものだが、難点を言えば、以前は柿衞文庫に申し込めば講義室が使えたのに、市のイベントが優先されるようになって、個人では使えなくなったことだ。
展覧会の刺激を受けて、芭蕉関連の本をぼつぼつ読んでいるが、芭蕉の言葉として伝えられている「虚に居て実をおこなふべし。実に居て虚にあそぶべからず」ということが心に響く。虚とは言葉のことだ。

3月×日
「川柳ねじまき」9号が届く。昨年11月27日に名古屋で開催された『くちびるにウエハース』の批評会の様子が記録されている。何が語られたのか気になっていたので、参加できなかった者にとってはありがたい。
パネラーと参加者の発言が克明にテープ起こしされていて、内容が多岐に渡っているので、全体は本誌をご覧いただきたいが、ここではパネラーの平岡直子の発言をたどっておきたい。平岡は『くちびるにウエハース』をまず「時事詠」の句集ととらえている。その時々の社会や政治の出来事が反映された句集だという。『脱衣場のアリス』が「あたし」の句集(フェミニズムやシスターフッドのテーマ)なのに対して、『くちびるにウエハース』は「ぼくたち」という一人称で始まっている。

ぼくたちはつぶつぶレモンのつぶ主義者

次に平岡は言葉のカテゴリーということを言っていて、正岡豊の短歌となかはらの川柳を比べている。

中国も天国もここからはまだ遠いから船に乗らなくてはね  正岡豊
行かないと思う中国も天国も  なかはられいこ

正岡の短歌について穂村弘が「言葉のカテゴリーの越境」という切り口で批評を書いていることを紹介したうえで、平岡はなかはらの川柳の場合は「中国」と「天国」の間に「越境」ではなく「言葉のカテゴリーの無効化」が起こっているという。
「越境」にせよ「無効化」にせよ、AとBという次元の異なった単語を並べる技法は川柳にはよくあるので、平岡の指摘を興味深く読んだ。意識的に効果的に使わないといけない川柳技術である。

3月×日
挨拶句について考える。
芭蕉は挨拶句の名手だった。芭蕉最後の旅で大阪に来たとき、園女邸で詠んだのが次の句である。

しら菊の目に立て見る塵もなし  芭蕉

白菊は主の園女のことをたとえているのである。女性を花にたとえるのは常套的とはいえ、なかなか心にくい挨拶ではないか。園女はよほど嬉しかったとみえて、のちに『菊の塵』という撰集を編んでいる。
けれども芭蕉はもっと激しい挨拶句も詠んでいる。「野ざらし紀行」の旅で名古屋にやって来た芭蕉は連衆に対して次の句をぶつけている。『冬の日』の第一歌仙「狂句こがらし」の巻である。

狂句こがらしの身は竹斎に似たる哉  芭蕉

狂句に身を焦がしている我が身は竹斎に似ているというのだ。仮名草子の『竹斎』は都で食い詰めた藪医者の竹斎が郎党の「にらみの介」を連れて東海道を江戸に下る道中記。固有名詞は知っている者にはイメージの喚起力が強いが、知らない者にはイメージが湧きにくい。「竹斎」はこの時代によく読まれたようで、芭蕉=木枯らし=竹斎のイメージにはインパクトがあったのだろう。挨拶といっても私性の強い句であり、述志の句でもある。挨拶句にもいろいろなやり方があるのだ。 
『芭蕉七部集』を読んでいると、はっとする付句に出会うときがある。『冬の日』第三歌仙の「仏喰たる魚解きけり」もそのひとつ。前句が津波の句なので、津波で流出した仏像を魚が飲み込んでいて、魚の腹を裂いてみると仏像が出てきたという衝撃的な情景となる。

まがきまで津波の水にくづれ行  荷兮
 仏食ひたる魚ほどきけり    芭蕉
県ふるはな見次郎と仰がれて   重五

三句の渡りで示すと、三句目に花見次郎という人物が登場する。旧家の当主は代々、花見次郎と呼ばれているというのだが、津波の悲劇から転じるのに架空人名を使っているところが興味深い。

3月×日
我妻俊樹の歌集『カメラは光ることをやめて触った』(書肆侃侃房)が刊行されるという。我妻の歌集を待ち望んでいた人は多くて、ツイッターなどで即座に反響があった。我妻の短歌は「率」10号(2016年)の誌上歌集「足の踏み場、象の墓場」で読むことができるが、歌集のかたちで出版されればより広範な読者に届くことになる。 

バスタブの色おしえあう電話口できみは水からシャツをひろった
あの青い高層ビルの天井の数を数えてきたらさわって
手がとどくあんなにこわい星にさえ 右目が見たいものは左目
この話のつづきは箱の中で(いま、開けたばかりできれいなので)
その森がすべてうれしくなるまでにわたしたちは二匹に減っておく

「川柳スパイラル」で我妻をゲストに迎えたときに、参加者へのおみやげとして我妻の川柳作品百句を収録した冊子「眩しすぎる星を減らしてくれ」を作成した。今までにも何度か紹介したことがあるが、歌集に続いて我妻の川柳句集が出ることを祈念して、何句か挙げておく。

沿線のところどころにある気絶   我妻俊樹
サーカスに狙われ胸を守ってね
足音を市民と虎に分けている
くす玉のあるところまで引き返す
流星があみだくじではない証拠
最後にはぼくたちになる旅だった
弟と別れて苔の中華街
おにいさん絶滅前に光ろうか

3月×日
川柳句会に参加するため京都に行く。京都御所を散策。梅林のほか「黒木の梅」が満開だった。九条家の遺構「拾翠亭」が開いていたので、久し振りに入ってみる。九条池には翡翠が飛び、庭にはジョウビタキの姿があった。句会の句案をひねることは後回しにして、雰囲気に浸る。申し込めば句会・茶会にも利用できるそうだ。
次に京都に行くのは「らくだ忌」のときになる。どんな人が参加するのか楽しみだ。 

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