2022年11月18日金曜日

「豈」65号・第七回攝津幸彦記念賞

「豈」65号で第七回攝津幸彦記念賞が発表されている。正賞・なつはづき、准将は水城鉄茶・赤羽根めぐみ・斎藤秀雄の三名。
この賞は「豈」43号(2006年10月)の特集・攝津幸彦没後十年のときに摂津幸彦論を公募したことにはじまる。受賞作品は関悦史「幸彦的主体」、神野紗希「諧謔のエロス」、野口裕「ふるさとの訛なくした攝津はん珈琲ええ味出とるんやけど」の三作。このときは評論の賞だった。それから7年後の「豈」55号(2013年10月)で第二回攝津幸彦記念賞が発表される。正賞・花尻万博「乖離集(原典)」、準賞は小津夜景「出アバラヤ記」・鈴木瑞恵「無題」であった。この第二回から現在まで俳句作品の公募となっている。個人的にはこの第二回に小津夜景が登場したことが鮮明な記憶として残っている。
第三回 「豈」59号(2016年12月)正賞・生駒大祐
第四回 「豈」61号(2018年10月)最優秀賞なし、優秀賞8名
第五回 「豈」62号(2019年10月)正賞・打田峨者ん
第六回 「豈」64号(2021年11月)受賞作なし
なかなか選考の厳しい賞である。今回の第七回から水城鉄茶(みずき・てっさ)の作品を紹介しよう。水城は川柳も書いているからだ。

目隠しをされて夜明けを待っている   水城鉄茶
また蝶をけしかけられている日向
ピストルが自分の声で目を覚ます
ベーコンがたまに爆発しない星
置いてきた鏡のなかの涅槃像

川柳では比較的なじみのある表現である。選評で夏木久は「型破り・怖いものなしの無鉄砲と採るか」「新鮮な表現の挑戦者と採るか」と断ったうえで、「私は面白いと感じました」と述べている。ここでは一行書きの作品のみ引用したが、全30句のなかの三分の一近くが多行書き、変則的なレイアウト、視覚的効果をねらった作品である。次の句はそんな中でも穏当で共感できるものだろう。

咲いたので
しばらく見ないことにする

筑紫磐井は「口語俳句であり、時折定型を逸脱するが、口語そのものがもたらす詩的韻律が壺に嵌った時は快感である」と評している。
水城は川柳ではどんな作品を書いているだろうか。「川柳スパイラル」から抜き出しておく。

みずうみがみずうみをひんやりとさく (12号)
まばらなる相手のなかの禁錮刑 (13号)
現職のスーパーマンに殴られた (14号)
キムタクの内部で月を焼いている(15号)

「豈」65号には平岡直子が「川柳は消える?」というタイトルで『はじめまして現代川柳』(書肆侃侃房)の書評を書いている。「二〇一〇年代は短詩型のアンソロジーが更新されつづけた時代だった」という文章ではじまり、『新撰21』『桜前線開架宣言』『天の川銀河発電所』などの俳句や短歌のアンソロジーに対して、「川柳のアンソロジーは刊行される気配がなかった」と述べる。テン年代の現代川柳をめぐる状況は平岡の指摘の通りだった。『はじめまして現代川柳』は20年代になってようやく刊行された現代川柳アンソロジーだったという位置づけである。
現代川柳の20年代はアンソロジーだけではなくて、句集の発行が続いた時期にもなってきている。その中には平岡の『Ladies and』も含まれる。状況は「消える文芸」とは反対の方向に進んでいくようにも見える。

「川柳スパイラル」16号は8月に開催された「創刊5周年の集い」の特集。暮田真名と平岡直子の対談では「ボーカロイド世代なんです」「形式に対する『愛憎』はありません」「表現が人を傷つけること」などが語られている。飯島章友と川合大祐の対談ではこの両人のキャリアが改めて語られ、現代社会の分断や「空気」を読むことの弊害と対処法などが示されている。句会の選者は、暮田真名・平岡直子・いなだ豆乃助・浪越靖政・飯島章友・小池正博で、それぞれが選んだ作品が掲載されている。

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