2021年1月22日金曜日

「現代川柳」について

第164回芥川賞は宇佐見りんの「推し、燃ゆ」が受賞した。作者は大学生。綿矢りさ、金原ひとみに次いで3番目に若い受賞だという。手元に掲載誌の「文藝」2020年秋号があったので、遅ればせながら読んでみた。この号を買ったのは特集「覚醒するシスターフッド」のうち瀬戸夏子の「誘惑のために」が読みたかったから。瀬戸は高橋たか子の『誘惑者』について書いていた。いまちょうど「文藝」2021年春号が出ていて、瀬戸の最初の小説「ウェンディ、才能という名前で生まれてきたかった?」が掲載されている。語り手と女性詩人とのアンチ・シスターフッド的交流と『ピーターパン』を書いたバリーや『冷血』のカポーティなどのエピソードが重ねあわせられて展開する。クリストファー・ロビンの次はピーターパン?「永遠の少年」ではなくて、ウェンディの方に作者の問題意識があるのだろう。
コロナ下で自粛生活が続くが、それぞれの表現者が着々と仕事を進めている。

『はじめまして現代川柳』(書肆侃侃房)が昨年10月末に刊行されて、現代川柳に対する関心が高まるきっかけになっているようだ。
反応はいろいろあるが、まず「現代川柳というものがあることをはじめて知った」という感想がある。それにはいろいろな意味があると思う。
「古川柳」というものがあることは、たぶん誰でも知っている。『柳多留』などの古川柳に対して、「現代川柳」が存在することに対しては、単純に存在が知られていない場合と、存在は知っていても「現代川柳」は認めないという立場がある。大岡信は「折々のうた」で古川柳を取り上げたが、現代川柳は取り上げなかった。現代川柳の句会・大会に俳人を選者に招いた場合でも、「現代川柳っぽい句」は採らないというスタンスで選句されてしまう場合がある。
次に「サラリーマン川柳」「シルバー川柳」「健康川柳」などは聞いたことがあるが、「現代川柳」を読むのははじめてという場合。「〇〇川柳」というかたちで世間に流布している川柳を「属性川柳」と呼ぶことがある。ひとつの領域に特化した川柳である。そうすると「現代川柳」も「猫川柳」「犬川柳」などと同様の属性川柳のひとつということになる。現に書店ではこれらの川柳が同じように並べられている。
そういう様々な受けとめ方を含めて「はじめまして」というタイトルは時宜を得たものだったのかも知れない。書肆侃侃房が短歌の本を多く出していることもあって、本書は歌人の読者からはおおむね好意的に受け止められているようだ。
川柳人の反応はどうかというと、キャリアの長い川柳人にとっては本書に収録されている作者の大部分は既読の作品となるだろう。だから第三章の「現代川柳の源流」に収録されている川上日車や木村半文銭などの作品が逆に新鮮だったかもしれない。
ここまで「現代川柳」という言葉を曖昧に使ってきたが、それでは「現代川柳」とはどのような作品を言うのだろうか。本書では次のように述べられている。

〈伝統であれ革新であれ、文芸としての川柳を志向する作品を「現代川柳」と呼んでおこう。〉

これは実にアバウトな定義なのだが、アンソロジーへの収録に当たって、ストライクゾーンはできるだけ広く設定しておきたいというつもりもあった。「現代川柳」の議論をするより、まず作品を読んでほしいということだが、少しだけ補足をしておきたい。
本書にも書いておいたが、「現代川柳」を定義しようとすれば、河野春三に行きつく。春三の『現代川柳への理解』(天馬発行所、1962年)から引用してみよう。

〈ここに「現代川柳」というのはそうした革新的な進歩的な川柳をさして呼んでいるので、特に「現代」という文字に意識的な重点をおいていることを知ってほしい。〉
〈現在生きている人間が作った川柳であるからという意味でなら、何でも全部現代川柳といえぬことはない。然し、私達が提唱している現代川柳が意味する「現代」は少し違う。〉

「現代の川柳」と「現代川柳」は違う。春三は「現代川柳」の精神について具体的に次のように挙げている。

現代人としての意識に目覚め、現代人の手で、現代人の感覚によって川柳を作って行くこと。
川柳を非詩の立場でなく、短詩ジャンルの一分野として確立して行くこと。
根底に批評精神をもつこと。
内容の自由性を欲求すること。
日記川柳・報告川柳・綴り方川柳の名で呼ばれるトリヴィアリズムを排撃すること。
必ずしも5・7・5の一定のリズムでなしに、自分の内部要求に即応した短詩のリズムを見出してゆくこと。
作句の上にイメージを尊重すること。

今から60年前に「現代川柳」を推進しようとした川柳人の精神はこのようなものだった。それが現在そのままのかたちで「現代川柳」の内実として定義できるわけでもないから、今度のアンソロジーでは「伝統であれ革新であれ、文芸としての川柳を志向する作品」という曖昧な表現をしている。半世紀にわたる現代川柳史を意識してのことだ。

1571年、ボルドーでの法官生活から引退して故郷の村に帰ったモンテーニュは、邸宅の一隅にある塔にこもって、その後20年間『エセー』の執筆を続けた。この塔はモンテーニュの塔として有名である。塔にこもりっきりだったのかというとそうでもなく、彼はボルドーの市長を務めたり、ローマに旅行したりしている。旧教徒と新教徒の宗教戦争のさなかであり、ペストの流行もあった大変な時代である。
「最近わたしは、自分に残されているこの少しばかりの余生を静かにひとから離れて過ごすようにしよう。それ以外にはどのようなことにもかかずらうまいと、わたしにできるかぎりではあるが、心に決めて、自分の家に引退した」(「何もしないでいることについて」)
同じことをわが兼好法師は次のように言っている。
「つれづれなるままに、日くらし、硯にむかひて、心に移りゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」

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