本間かもせりは以前から七七句に関心をもっていて、「川柳スパイラル」の会員欄でも七七の実作が多かったが、このところネットでも発信が目立っている。彼がツイッターで「#かもの好物」として七七句を募集したところ、64名、130句の作品が集まったそうだ。潜在的に関心のある人を掘りおこすことに成功したと言えよう。詳しいことは彼のツイッターをご覧いただきたいが、たとえばこんな作品がある。
店長らしくないから鎖骨 たぶん
無意識尽きて村上春樹 川合大祐
コラム膨れの偽史を平積み 羽沖
モノクロームの子宮と右手 亀山朧
銀河星雲神話体系 IZU
また家出して海を見に行く 天坂
私は「川柳スパイラル」4号の「ビオトープ―現代川柳あれこれ」で本間の作品について次のように書いている。
「連句や前句付にもある短句(七七句)を独立させたのが武玉川調。本間かもせりは七七句の現代的可能性を精力的に追求中のようだ。『入道雲の遺書に打たれる』は突然の雷雨をもたらす入道雲と遺書とを連想で結びつけている。『再利用する午後の肉体』はやや抽象的で場面が想像しにくいが、肉体を物体化してとらえているところにおもしろさがある。連句の短句は前句に付かなければならないが、川柳の七七句は一句で独立することが求められるので、どのようにして他にもたれかからずに一句独立するかというところにおもしろさと困難さがある」
私自身、十四字(七七句・短句)への関心は深く、拙著『蕩尽の文芸』(まろうど社)には「十四字の可能性」という章を収録している。そこでも述べていることだが、『武玉川』には次のような完成度の高い七七句が多い。
鳶までは見る浪人の夢
二十歳の思案聞くに及ばず
手を握られて顔は見ぬ物
腹のたつ時見るための海
夫の惚れた顔を見に行く
肩へかけると活る手ぬぐい
恋しい時は猫を抱上げ
猟師の妻の虹に見とれる
これらの句は今でも古くなっていない。では、近代川柳の世界ではどんな七七句が書かれているだろうか。
白粉も無き朝のあひゞき 川上三太郎
はつかしいほど嬉しいたより 岸本水府
いつものとこに坐る銭湯 前田雀郎
時計とまったまゝの夜ひる 鶴 彬
クラス会にもいつか席順 清水美江
うるさいなあとせせらぎのやど 下村 梵
無理して逢えば何ごとも無し 小川和恵
監視カメラはオフにしていた かわたやつで
佐藤美文編集・発行による川柳雑誌「風」は、五七五形式の川柳とは別に十四字の投句欄を設けている。彼の師である清水美江にも十四字作品があることから「風」誌は十四字を川柳の遺産とする視点を受け継いでいる。
『風・十四字詩作品集』(2002年12月、新葉館出版)が発行された。この句集には22人の作品が各50句ずつ収録されており、何人かの作品を紹介してみよう。
記念写真へ今日は晴れの日 阿部儀一
紫の夜むらさきに咲く 泉 佳恵
隣と競い派手な豆まき かわたやつで
鳥の素顔を見てはいけない 小池正博
ドミノ倒しへ誰が裏切る 佐藤美文
姫が不在で欠伸する騎士 瀧 正治
中原中也連れて居酒屋 中山おさむ
秘密をかくす葉牡丹の渦 林マサ子
さて、七七句にはどうしても未完の感じがつきまとうところがある。一句独立する根拠は何だろうか。前掲の拙著では暫定的に次の三点を「十四字が一句で独立する根拠」として挙げておいた。これが現在どの程度妥当かわからないが、新しい作品の展開によって整理しなおす機会があればいいと思っている。
1 スナップショット
2 メタファー
3 詩的飛躍
1は印象の鮮明な情景描写の句。屹立感はなくても、写生やイメージの鮮明さによって完結する場合。
2は隠喩の力を借りて意味性を際立たせる場合。これは五七五形式でも同じだろうが、十四字の場合は特にメタファーの力を借りることが有効な場合がある。
3は十四字という最短詩型でポエジーを表現するには生命線ともいうべきもの。ただし、詩情などというものは計算して表現できるものではないので、失敗した場合は非常に独善的なものとなってしまう。
さて、本間は七七句からさらに連句へと関心を進めているようだ。ネットでも作品が若干発表されはじめているが、今後の進展が楽しみだ。
最後に本間の自由律作品を「海紅」から紹介しておこう。
本間は本来自由律の俳人であるが、自由律→七七句(短句)→連句という道筋は私にはごく自然な展開のように見える。短詩型文学の世界は、どの入口から入ってもすべて繋がっている。
土筆校庭跡ヲ制圧ス 「海紅」平成30年7月
目印はかつて商店だった
紅い風の端っこに座る 「海紅」平成30年8月
あの夜も寝苦しかったディエゴ・マラドーナ
月それ自体耳である 「海紅」平成30年12月
無駄使い月痩せてしまった
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