2018年5月11日金曜日

「川柳スパイラル東京句会」と「文フリ東京」

5月4日、かねてから行きたいと思っていた町田の武相荘を訪れた。
翌日の「川柳スパイラル東京句会」の打合せのため、小田急・鶴川駅で私と瀬戸夏子・我妻俊樹の三人が合流し、武相荘に向かった。タクシーを降りて竹林を通ってゆくと茅葺屋根の建物が見えてくる。武相荘は白洲次郎・白洲正子の旧邸で、居間や書斎などが保存されている。ドラマで有名な終戦期における歴史の秘められた部分や青山二郎・小林秀雄・河上徹太郎などの批評家たちの名前が頭の中で去来した。白洲正子の書斎と書架のところで足がとまり、正子の幻影をしばらく反芻した。
武相荘の喫茶室で翌日の打合せをおこなった。我妻と会うのははじめてだが、「SH」の川柳作品を読んでいるし、「川柳スパイラル」2号のゲスト作品の原稿依頼でメールのやり取りもしている。我妻は短歌も川柳も多作で、ゲスト作品10句のために400句以上作ったそうである。対談は「短歌と川柳」というざっくりしたテーマだが、できるだけ瀬戸と我妻の話を邪魔せず、フリートークで進行したいと思っていた。レジュメを作らないかわりに、我妻の川柳100句を掲載した冊子「眩しすぎる星を減らしてくれ」を作成しておいた。

5月5日、「川柳スパイラル東京句会」。参加者34名。
第一部は瀬戸と我妻のトークである。
我妻の発言について、〈「定型と日本語」だけでやらせてほしい〉とか〈川柳は引き返すこともなく通り抜ける感覚〉などが注目されたが、我妻はこんなふうに語っている。

「短歌で苦しみつつ七七を埋めようとしていたわけですが、短歌で短歌的圧力を感じつつやろうとしていたことが、川柳では圧力を感じないでできると思いました。それは日本語でものを言うときの主語なしの発話を川柳だとそのまま枠取られるという感じがあって、そのまま枠取られるとどうなるかというと、その発話を回しているグループに共有されている主語から切り離して出せるという感覚があります。短歌の場合は余った部分に「私」が宿る。短歌は上の句と下の句の二部構成で、二つあるということは往復するような感覚がありますから、行って戻ってくるところに自我が生じるのが短歌だと感じます。そういうこと抜きに、引き返さずに通り抜けるというのが私が川柳を作るときの感覚なんです。
短歌も引き返すし、俳句も引き返すけれど、川柳は引き返さないで通り抜けるという感覚があって、短歌についても本当は通り抜けられるんだけれど、何かそこに〈定型と日本語だけがある〉というのとは異なることになってしまっています。通り抜けずに戻ってきて「私」をやりましょうという暗黙の了解になっています。それはなしにしたい。もっと川柳のように短歌を作りたいというのが今の私の感覚なんです」

「率」10号の誌上歌集『足の踏み場、象の墓場』の「あとがき」で我妻は「書き手など、偶々そこに生えていた草のようなものだ。無駄に繁茂して読者の視界を遮っていないことを願うばかりである」と書いていて、たいへん印象的だったのだが、この日の発言を聞いて、彼の真意がいくぶん理解できたように思った。
当日配布した「眩しすぎる星を減らしてくれ」より五句紹介する。

沿線のところどころにある気絶       我妻俊樹
くす玉のあるところまで引き返す
弟と別れて苔の中華街
おにいさん絶滅前に光ろうか
ふくろうの名前がひとつずつ鐘だ

第二部の句会では、兼題が五題。各題につき二句出句。
結果は「川柳スパイラル」のホームページに掲載している。
浅沼璞を選者に迎えたこともあって、当日は連句人の参加が多く、若手連句人の交流の場ともなったことは望外の喜びであった。ジャンルの横断と交流は私がこの20年間心がけてきたことだが、短歌・俳句・川柳・連句・現代詩などが互いに他者を照らし合うことによって自己認識を深めてゆく契機となるはずだ。拙著『蕩尽の文芸』に「他者の言葉に自分の言葉を付ける共同制作である連句と、一句独立の川柳の実作のあいだに矛盾を感じることもあったが、いまは矛盾が大きいほどおもしろいと思っている。連句と川柳―焦点が二つああることによって大きな楕円を描きたいのだ」と書いたのはずいぶん以前のことだが、初心に戻ることが私自身にとっても必要だと改めて感じた。

5月6日、文フリ東京で手に入ったものから、いくつか紹介しておく。
平田有作品集『対岸へ渡る』(共有結晶文庫)。前半には短歌、後半には川柳が収録されている。平田は「川柳スパイラル」2号のゲスト作品に「家族のすえ」10句を発表している。そのときのプロフィールにはこんなことが書かれている。「BLに支えられる自分の躓きがどんどん少なっていくことがさみしくもうれしいです。いつも世界からはぐれてしまう存在のことを考えています」主となるフィールドはBL短歌なのだろうが、私は川柳作品にも注目している。ここでは後半の川柳から五句挙げておく。この作品集は通販でも手に入るようだ。

ひまわりもやりきったのよ種がある     平田有
ゆびの毛も増えればいずれ鳥の思想
靴下は脱ぐ天の川を泳ぐなら
魚たちを釣り上げるたびさようなら
摘むならばやわらかな部位迷わずに

大村咲希と暮田真名の出しているフリーペーパー「当たり」vol.4。暮田は川柳作品と一句評、大村は短歌作品と一首評をそれぞれ書いている。

昔から博士ばかりが拐うから        暮田真名
枠外で反目しあうペットたち    
ウイルスのあられのなかを走ったね

一句評で暮田は「ヘルシンキオリンピックの角砂糖」(石田柊馬)を取り上げて、こんなふうに書いている。
「『ヘルシンキオリンピックの角砂糖』に思いを馳せるとき、世界は『選手』や『メダル』にしか目を向けなかった頃とは違った様相を見せる。この句から受ける出鱈目な印象は、あるいは世界そのものの出鱈目さなのだ」
「当たり」はネットプリントでも配信中(5月15日まで)。

「て、わたし」4号。発行人の山口勲とは「川柳スパイラル東京句会」ではじめて会った。この雑誌は裏表紙に記載されているコメントによると「日本と世界のいまを生きる詩を紹介する雑誌」という。「対になった作家の詩を通じ、異なる社会で書かれた響きあう言葉を探っています。」今号は次の三組が取り合わされている。
瀬戸夏子×yae×エミリー・ジョンミン・ユン
三木悠莉×パスカル・プティ
井坂洋子×ケレイブ・レイ・キャンドリリ
掲載作品から瀬戸の川柳と短歌を紹介しておこう。

水の犬が抱き合っている真夜中の        瀬戸夏子
多数派の美のよりどころ小指の裁判
きみにいつも頬を打たれた、ああ、まったくただよう月の電子レンジだ
満員は、ここ、ここにもあってサイダーや砂糖をすっかりまぶされた肘

エミリー・ジョン・ミンは訳者・山口勲によると、釜山生まれ、11歳のとき北米に渡り、現在博士課程に在籍しながらアジア系アメリカ人の文芸誌の編集をしている人だという。 yaeはポエトリリーディングを中心に活動している。在日韓国人四世だが、日本に帰化したことが「アンチカミングアウト」で語られている。
この雑誌を通じて、今まで読んだことがなかった表現者の存在を知ることができた。

「ジュリエットと白雪姫が美しいカップルになることを想像し、二人がつゆ疑わずに口づけするのを見たいと願う。(または、目覚めていることはあなた自身を理解しやすくする)」(ケレイブ・レイ・キャンドリリ)

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