1月19日
国立文楽劇場で文楽初春公演を見る。
八代目竹本綱太夫五十回忌追善と六代目竹本織太夫襲名披露を兼ねた公演である。
竹本咲甫太夫を改め、竹本織太夫となる、その襲名口上は師匠の咲太夫がつとめた。歌舞伎では口上を本人もいうが、文楽では本人は黙って礼をしているだけである。
新・織太夫の演目は「摂州合邦辻」。
玉手御前が義理の息子である俊徳丸に恋をする。このテーマはフランス古典劇のラシーヌ「フェードル」とよく比べられる。
玉手御前の変相。親を訪ねてゆく娘としての玉手御前、恋に狂乱する女としての玉手御前、本心を明かしたあとの母としての玉手御前。彼女の三変が見どころ、聴きどころである。
文楽を見た後、梅田蔦屋書店、スタンダードブックストア心斎橋、葉ね文庫の三軒の書店を回る。蔦屋書店では置いてある川柳本を確認。スタンダードブックストアは先日『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』(木下龍也・岡野大嗣)のトークがあった店。短歌のフェアもやっている。この歌集は重版出来になったそうで、短歌に関心が集まり、あわせて他の歌集も売れるといいなと思う。川柳にも注目が集まるともっと嬉しい。
瀬戸夏子がツイッターで「葉ね文庫さん、わたしが知ってる空間のなかでいちばん近いのは自分が在籍していたころの早稲田短歌会の部室かもなあ、と思い、なつかしくなりました」と書いている。本があって、やってきた人が本についての話ができる空間は貴重だ。
1月20日
「川柳スパイラル」京都句会を開催。
創刊号の合評会を兼ねた句会で、昨年12月に東京で開いたが、関西句会は京都でおこなうということになった。中京区上妙覚寺町にある町屋を会場に借りたので、ふだんとは異なる雰囲気が味わえたのではないかと思う。近くには京都国際漫画ミュージアムもある。
高知から「川柳木馬」の清水かおりを招いて、お話をうかがった。
海地大破の話からはじめる。清水にはあらかじめ大破さんの五句選をしてきてもらう。
階段を降りてさすらう鰯かな
雨だれをじっと見ている脳軟化
はらわたで拍子木が鳴るさむい一日
妻は他人で虹の真下の遺書を書く
満月の猫はひらりとあの世まで
大破の作品がルサンチマンや病涯句という図式からはみ出すものを持っていること、「死」のテーマに関して石部明と比べることで両者の作品に新たな光を当てることができるのではないか、など新たな発見があった。このときの対談内容は「川柳スパイラル」第2号に掲載する予定。
対談のあと創刊号の合評会。同人作品と会員の出席者の作品を中心に話し合う。
休憩をはさんで句会。句会の速報は「川柳スパイラル」掲示板に掲載してある。
終了後、近くの居酒屋で懇親会。
東京句会と京都句会では参加者も異なり、同じ内容の繰り返しにならなかったので、今後も東京と関西の両方で句会を続けてゆきたい。次回の東京句会は5月5日(「文フリ東京」の前日)「北とぴあ」で開催の予定。
1月21日
「第二回文フリ京都」に、「川柳スパイラル」として出店した。
「川柳スパイラル」のほか、清水かおりにもって来てもらった「川柳木馬」のバックナンバーも並べた。
この日は午後から京都で連句会があり、連句人が数人、午前中に来てくれた。
あと、ブースに立ち寄った未知の方々と川柳の話をしたが、短詩型文学に興味をもつ人であっても川柳のことはあまり知られていないということを改めて感じた。
「庫内灯」3号を購入。
「現代詩手帖」1月号の俳句時評で外山一機が触れていたので、読みたいと思っていた冊子である。特に読みたかったのは正井となかやまなな(中山奈々)の文章。
「私とBLと俳句と短歌」で正井はこんなふうに書いている。
〈 対話を求める方に対しては、真摯に応えたいと思います。しかし、自らが評価する側にいると信じて疑わない人の言う、「なぜBLか、必然性はあるのか」という要請に答える義務はないと私は思います。なぜなら、BL短歌やBL俳句、あるいはBLは、評価したい側のためのものではないからです 〉
正井がこのように書くのは、私にもよくわかるような気がする。現代川柳もまた俳句や短歌から説明を求められ続けてきたからだ。
正井とは読書会「昭和俳句なう」でいっしょになったことがあるし、文フリでも何度か顔をあわせたことがあるが、「庫内灯」3号はBLというものがどういうものか知りたい人には必読の一冊だと思う。
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