2017年4月14日金曜日

『熊本地震の記憶』(熊本県川柳協会 編)

三月末、島原・天草の旅に出かけた。
博多で「かもめ」に乗り換え、諫早からは島原鉄道で島原まで。「かもめ」なのに車体に燕の絵があるのが不思議だったが、スマホで検索すると旧つばめの車両も一部使われているということで納得する。島原鉄道は「しまてつ」と呼ばれて地元では親しまれているようだ。
島原は湧水のきれいな町である。
島原城でキリシタン資料を見たあと、武家屋敷や鯉の泳ぐ町を散策。水屋敷と四明荘ではゆっくりできた。
翌日は雲仙に向かった。
島原から遠くに見えていた平成新山がバスの車窓から間近に見えた。
普賢岳の噴火から25年以上が経過した。噴火でできた山が平成新山である。
雲仙では仁田峠からロープウェイで山上へ。ガスで景色はまったく見えなかったが、気温が低く霧氷を見ることができた。
あと、地獄めぐりと「お山の情報館」で地学と火山について詳しく知ることができた。
島原に来たからには、やはり原城は見逃すわけにはいかない。
石垣のほかは何も残っていないと分かっていたが、その場所に立つことで感じられるものがある。例年なら桜の時期のはずなのに花は一輪も咲いていなかった。天草四郎。海がひたすら青かった。
口之津港からフェリーに乗って天草へ渡る。
天草では本渡から周遊バスに乗り、キリシタン関連のコースを巡った。
天草コレジヨ館、﨑津教会、天草ロザリオ館、大江教会。
明治期、北原白秋・吉井勇・与謝野鉄幹・平野万里・木下杢太郎の五人は「五足の靴」の旅で大江教会のガルニエ神父を訪れている。この旅から白秋の南蛮趣味が生まれ、歌集『邪宗門』に結実したことはよく知られている。
最終日、天草の本渡から快速バスで熊本へ出た。

旅行から帰って、キリシタン関係の本を読んでみた。
特に天正少年遣欧使節に興味を持ったので、三浦哲郎の『少年讃歌』を読んでいる途中。長い小説なので、少年使節はなかなかローマに到着しない。
伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルチノの四人のうち、ミゲルは棄教したと伝えられ、ジュリアンは弾圧で穴吊りの刑を受け殉教したという。ジュリアンと同じ刑を受けて棄教したのが、遠藤周作の『沈黙』に出てくるフェレイラ神父である。

地元の人には当然のことだが、島原は長崎県、天草は熊本県である。
本日4月14日は熊本地震からちょうど一年目になる。
熊本在住の川柳人・田口麦彦さんから『熊本地震の記憶』(熊本県川柳協会 編)を送っていただいたので、この句集を紹介しておきたい。
「まえがき」には「熊本に住む私たち川柳人は、熊本地震の被害者であり、経験をした証言者でもある」「それぞれが脳裏に刻み込んだ『証言』を読み込んだ句を作っている。この記憶を吟社の枠を外して熊本県の川柳人という大きなくくりでまとめ、後世に残すことが絶対的な義務であると考え、この本の出版となった」とある。
発行者・熊本県川柳協会。編集は黒川孤遊・井芹陶次郎・津下良。
写真も多く使われていて手に取りやすい。10句紹介する。

いつもの城はいつもと違う空を向く   黒川福
平凡は非凡と思うあの日から      原萬理
解体を待つ家魂のぶらり        阪本ちえこ
暗闇で聞くクマモトのうめき声     黒川孤遊
苦しみを巻いて餃子を食べた朝     上田美知子
全国に地名知れたか益城町       菊本千賀子
仮設入居感謝する人拒む人       鷲頭英司
ストーカーのように余震が迫ってくる  前田秋代
天変地異地球も生身なんだろう     久保洋子
風船を上げて小さな仮店舗       小島萌

巻末に熊本県川柳協会会長の古閑萬風が「ごあいさつ」として次のように述べている。
「この川柳句集は、熊本県在住の川柳作家が、自分の心や身体に刻み込んだ地震の恐怖、復興への気構えなどを、十七音の世界で鮮烈に詠った句を集大成したものであります。熊本日日新聞社、益城町役場、熊本市役所、熊本総合事務所、出水神社(水前寺公園)のご協力をいただき、川柳に加えて写真も数多く使い、ビジュアルな句集としてまとめ、地震の記録として語り継いでいける形になっています」
「災害に直面した時の人間がそのまま詠われているのも、人間を詠む川柳ならば、でしょう。『川柳で見た熊本地震』として記憶にとどめていただければ幸いです」

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