2015年1月30日金曜日

酒場詩人・ビブリオバトル・ツイッター

吉田類の『酒場詩人の流儀』(中公新書)を読んだ。
テレビでときどき「吉田類の酒場放浪記」を見ているので、俳句と酒の好きなおじさん程度に思っていたが、読んでみると筋がね入りのナチュラリストであり、山登りや釣りや昆虫の話が満載で興味深かった。
吉田が高知県仁淀川町の出身だということも知った。こんな一節がある。
「誰かから『清酒と合うおススメの料理は何?』と尋ねられれば、〝ウツボのしゃぶしゃぶ〟と即答するほど気に入っている。平皿へ白牡丹の花びらみたいに盛り付けて供されれば、元のウツボの姿とはほど遠い。厚めにスライスされた白身を、箸にとって10秒ほど熱湯へくぐらせる。フグのしゃぶしゃぶと似た食感が得られ、柚子ポン酢との相性も申し分ない」
うーん、「ウツボのしゃぶしゃぶ」か。
私は高知に何度か行ったが、そのたびにウツボのから揚げを食べそこなった。宴会の一次会で飲み過ぎて、二次会でウツボが出るころにはもう訳がわからなくなっているからだ。まして、ウツボのしゃぶしゃぶである。食べるチャンスがあれば逃がさないようにしたい。
吉田類は北海道とも縁が深い。五十嵐秀彦の句集『無量』の帯文を吉田が書いている。
「川の外科医」と言われる福留脩文が「近自然工法」で川を再生させる話も印象的である。

ビブリオバトルについてあちこちで耳にするようになって、学校の読書教育の場でも関心が高まっている。公式サイトによると、次のようなルールになっている。

1.発表参加者が読んで面白いと思った本を持って集まる。
2.順番に一人5分間で本を紹介する。
3.それぞれの発表の後に参加者全員でその発表に関するディスカッションを2~3分行う。
4.全ての発表が終了した後に「どの本が一番読みたくなったか?」を基準とした投票を参加者全員で行い,最多票を集めたものを『チャンプ本』とする。

昨年七月の「大阪短歌チョップ」でも、「この歌集がすごい!」という歌集紹介コーナーがあったが、川柳でも句集紹介に応用できるかもしれない。

先日のセンター試験の国語の問題で、佐々木敦の『未知との遭遇』という文章が出題された。ツイッターとインターネットの問題に言及されていて、ネット上でもちょっとした話題になった。
佐々木はこんなふうに書いている。

「ネット上で教えを垂れる人たちは、特にある程度有名な方々は、他者に対して啓蒙的な態度を取るということに、一種の義務感を持ってやってらっしゃる場合もあるのだろうと思います。僕も啓蒙は必要だと思うのですが、どうも良くないと思うのは、ともするとネット上では、啓蒙のベクトルが、どんどん落ちていくことです」

掲示板やブログには「~について教えてください」という書き込みがよくある。佐々木はこれを「教えて君」と呼び、教えてあげる人を「教えてあげる君」と呼ぶ。自分で調べればすぐわかることを、質問者と解答者がいっしょになって川が下流に流れるように、どんどんものを知らない人へと向かってゆく。この事態を指して佐々木は「啓蒙のベクトルが落ちる」と言うのだ。
センター試験の問題には(注)がついていて、「ツイッター」には「インターネットにおいて『ツイート』や『つぶやき』と呼ばれる短文を投稿。閲覧できるサービス。なお、閲覧したツイートに反応して投稿することを『リプライを飛ばす』などという」とある。十代の受験生には必要ない注だが、ツイッターに馴染みのうすいものにとっては、「そうなんだ」と理解しやすいかもしれない。
問題はこのリプライである。佐々木の文章を続ける。

「ツイッターでも、ちょっとしたつぶやきに対して『これこれはご存知ですか?』というリプライを飛ばしてくる人がいますが、つぶやいた人は『教えてあげる君』に教えられるまでもなく、それは知っていて、その上でつぶやいたのかも知れない。だから僕は『教えて君』よりも『教えてあげる君』の方が、場合によっては問題だと思います」

ところで、インターネットにおいて顕著に見られる問題は「君の考えたことはとっくに誰かが考えた問題」であるということ。

「ではどうして自分が考えたことをすでに考えた誰かが必ずといっていいほど存在するのか。それは要するに、過去があるから、大袈裟に言えば、人類がそれなりに長い歴史を持っているから、です」
「しかしわれわれは過去のすべてを知っているわけではない。だからオリジナルだと思ってリヴァイバルをしてしまうことがある。それゆえ生じてくる問題にいかに対すればいいのか」
「単純な答えですが、順番はともかくとして、自力で考えてみること、過去を参照することを、ワンセットでやるのがいいのだと思います」

さらに、佐々木は「盗作、パクリをめぐる問題」に触れている。

「意識せずして過去の何かに似てしまっているものに、誰かが気付いて『これって○○だよね』という指摘をする。それを自分自身の独創だと思っていた者は、驚き、戸惑う。しかし、その一方では、意識的な盗作をわからない人たちもいるわけです。明らか意識的にパクっているのだけれども、受け取る側のリテラシーの低さゆえに、オリジナルとして流通してしまう、ということもしばしば起こっている」

他人のツイートをパクって、自分が考えたことのようにして発信する人がいるらしい。「パクツイ」と言って、ツイートのパクリである。リツイートするのではなく、自分のツイートとして素知らぬ顔で発信する人がけっこういるそうだ。何のためにそんなことをするのか。何でもいいから注目されたい、という気持がベースにあるのだろう。パクツイがばれるとそれなりの制裁を覚悟しなければならないが、他人の考えたコンテンツをパクって自分の手柄として配信することは、さまざまな場面で見られることかも知れない。
センター試験問題の(注)には「リテラシー 読み書き能力。転じて、ある分野に関する知識を活用する基礎的な能力」とある。

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