2014年6月6日金曜日

月に間接キス ― 森茂俊の川柳

『川柳 その作り方・味わい方』(番傘川柳本社・編)という本がある。
番傘85周年を記念して刊行されたもので、この大会には私も参加したが、大会直前に本書の編集と大会の開催に尽力した亀山恭太が亡くなったことを鮮明に覚えている。
本書に収録されている番傘同人の句から、大阪府の川柳人を紹介する。

看護婦の集合写真白すぎる        岩井三窓
まだ家が買えぬ百石取りの武士      海堀酔月
加代ちゃんが好き加代ちゃんに通せんぼ  柏原幻四郎
わが生涯と鍾乳石の一センチ       亀山恭太
天高く月夜のカニに御座候        杉本一本杉
人ひとり愛しぬけずに殺せずに      田頭良子
ご意見はともかく灰が落ちますよ     野里猪突
一善を積む偶然を大切に         牧浦完次
濡れたままてるてる坊主うなだれる    森茂俊

本日の主人公として森茂俊のことを書いてみたい。
森茂俊が「川柳木馬35周年記念大会」で選者のトリをつとめたことは記憶に新しい。
ここでは「ふらすこてん」33号(5月1日発行)に掲載されている茂俊の句を読んでみたい。

ホタルイカ月に間接キスをして   森茂俊
月面へ降り立つ貝柱を提げて
切符売場を覗くと海の嵐だった
目の前で海が寝ているたこ焼き屋
ブータンの山と交換しませんか

「ホタルイカ」の句の「間接キス」とは、たとえば珈琲カップで相手が口をつけたところから別の人が飲んだりする場合。恋人でなくても微妙な状況である。掲出句では、男がひとりホタルイカの沖漬けを肴に一杯やっているのだろう。ホタルイカを口に運ぶ。まるで月に間接キスしているみたいだな、という想念がふと頭をよぎる。風流でも月では仕方ないか、という哀愁も混じる。「ホタルイカ」が月に間接キスをしているとも読めるが、ホタルイカのあとに切れがあり、「私」(作中主体)が月に間接キスをしているのだ、というふうに受け取っている。
二句目。アポロの乗組員のように月面に降り立つとき、貝柱を提げているという。これも貝柱を肴に一杯やっているときに、貝柱を提げて月面に降りたらおもしろいな、と思ったのかもしれない。
三句目は海に転じ、最後の句は山に転じている。10句掲載のうち5句しか引用していないが、句の配列に何となく流れがあるのがおもしろい。

森茂俊といえば、「第2回BSおかやま川柳大会」(2009年4月11日)で特選をとった次の句が印象的である。兼題は「図」。

23ページのメロン図について   森茂俊

選者は歌人の彦坂美喜子。
そのときの選評で彦坂は次のように書いている。
〈なぜ23ページなのか。メロン図とは何か。「について」とは何を指すのか。ここには何一つ答えをみつけだすことは出来ない。メロンという果物の表面にある模様がわずかに図を想起させる。が、これとてもメロン図の確証ではない。諧謔も穿ちもユーモアもアイロニーもない。この句に出会った時の「ナニ、コレ?」という読者の一様な心境。それこそが最大の諧謔と穿ちといえないだろうか。この句の言葉の外部で、個々の心情を巻き込んで生起している表現の場所を考えない限り、この作品を川柳として認めることは出来ないだろう。究極のところで辛うじて繋ぎとめられている現在の言葉の場所がここにある、と思う。だが、しかし、それゆえに一回性の表現という限界も併せ持つ〉
私も同じ「図」という題で彦坂と共選だったから、よく覚えている。
このときの私は別の句を特選にとり、選評ではしきりに「マンガ的読み」を強調している。彦坂の選句眼の優位は明らかだろう。

「バックストロークin仙台」のときに、青葉城にでかけた一行の中で、茂俊が「真田幸村の銅像はどこですか」と尋ねたエピソードがいまも語り継がれている。もちろん本人は「伊達政宗」のつもりだったのだ。この話は茂俊自身がブログで書いているから、ここに紹介しても彼は怒らないだろう。

茂俊は番傘同人で、「二七会」の会長もしている。
二七会は岸本水府が創設した由緒ある句会である。
『番傘川柳百年史』の1959年(昭和34年)の項から、「川柳二七会の設立」の記事を引用しておこう。
〈「川柳二七会」は7月27日に結成された。9月1日の創刊号にその経緯が載っているが、もともと芸人の楽日後の27日は皆が集まりやすいので、何かやろうという事になり、水府を会長に芸能人、作家、学者、画家など様々な分野の人が会員となって川柳会をスタートさせた。昭和40年水府没後、会長は橋本橘次、深尾吉則、牧浦完次、森茂俊と受け継がれ、平成21年には創立50周年の節目を迎える〉

「蕩尽の文芸」というのが私の持論だが、川柳は活字や句集だけでは分からない世界である。川柳もまた「座の文芸」としての一面をもっている。

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