関西に井上一筒(いのうえ・いーとん)という不思議な川柳人がいる。「一筒」という号はたぶん麻雀から来ているのだろう。ピンズの1は「イーピン」というが「イートン」という呼び方もあるらしい。私の父はこの牌がでると「浅草の芸者・一丸(市丸)さん」と言っていた。井上一筒は「川柳瓦版の会」という結社に所属しているが、あちこちの句会に出没している。川柳句会では選者が句を読むと、すかさず作者が名のることになっていて、これを「呼名」というが、句会で「イートン」という呼名があると、もうそれだけで笑いが起こるようだ。
「川柳木馬」130号の「作家群像」のコーナーでは、この一筒が取り上げられている。一筒の経歴が何か分かるかと期待したが、プロフィールを読んでも具体的なことは何も書かれていないし、「作者のことば」も同様である。作者についての情報は伏せて、作品だけを読んでほしいということだろう。
湊圭史と古谷恭一が作家論を書いている。湊は一筒作品を読むキーワードとして「生真面目さからくるロマンティシズム」と「意表をつくスピード」を挙げている。ふつうは裏腹の関係にある二つの要素が微妙に配分されているところにおもしろさがあるというのだ。古谷は一筒作品を「笑い」の面からとらえ、秋竜山のナンセンス漫画を見るようだと述べている。そういえば、『秋竜山の江戸川柳と一勝負』(池田書店)という本を先ごろ古本で見つけた。
以下、一筒の作品をいくつか紹介してみよう。
雅楽頭殿めしつぶがついています 井上一筒
伝統川柳の書き方である。「酒井雅楽頭(うたのかみ)」をはじめ、時代劇では幕閣の一員としてよく登場する。権力ある武士が不用意にも口のあたりに幼児のような飯粒を付けているというのだ。私が川柳をはじめたときに、次のような句を知って、おもしろいなと思った。
ご意見はともかく灰が落ちますよ 野里猪突
やんわりと相手を風刺する、伝統川柳の一つの手法だろう。作中主体である「私」と相手との関係性が目に見えるようである。「雅楽頭」は時代を江戸時代にしているが、現代における雅楽頭のような存在を揶揄しているとも読める。
けれども次のような句になると、単なる時代劇の一こまではすまされなくなる。
殿中でござるカピバラの残像 一筒
忠臣蔵の世界であろうか。松の廊下あたりをカピバラが横切った。南米原産で世界最大のネズミと言われている。最近はいろいろキャラクターにもなっているようだ。時空があわない。その落差による滑稽感。不条理演劇の一場面を見るようだ。
なぜ殿中にカピバラがいるのかという問いは無効なのだ。「残像」だから本当は存在しないのだという解釈も理に落ちてしまう。「殿中」と「カピバラ」のふたつの像が一句のなかで共存しているおもしろさを感じとればいいのだろう。「雅楽頭殿…」では時間のズレだったものが、ここでは時間・空間のズレへと手が込んできている。
絵画でコラージュという技法がある。別々の断片を糊で一つの画面に張り合わせる。たとえば忠臣蔵の画面にカピバラを貼り付ける。本来関係ないものである方が衝撃力は大きくなる。けれども、眺めているうちに、カピバラが殿中にマッチしはじめてきたならば、この句は成功なのだろう。
膝の水を抜く空海的な意味
ネストリウス派のどくだみの煎じ方
一筒はさらにエスカレートする。「膝の水を抜く意味」に「空海的」という言葉を挿入する。「どくだみの煎じ方」に「ネストリウス派の」という修飾を付けてみる。「空海」「ネストリウス派」という記号が投げ込まれることによって日常的文脈は変容する。
湊圭史は「慣れていない読者は戸惑うかもしれないが、技法的にはそれほど複雑ではない」と述べ、「ひとつの文脈にまったく文脈が異なるものを導入したり、ある文脈に通常は考えられない限定を与えたりすることで、言葉の世界が曲げられるパターン」と指摘している。
「空海」や「ネストリウス派」が単なる記号なのか、それともこの単語が選ばれていることに意味があるのかどうかは微妙である。「最澄」ではなくて「空海」であり、「アリウス派」ではなくて「ネストリウス派」というところに語の選択は当然あるだろうが、記号的なものとしてそこで読みをとどめるか、密教的世界や三位一体の教義までイメージを広げていくかは読者に任されている。
古谷恭一は「己の体験以外の言葉には、なかなか感動は生れない」と述べている。また、湊圭史は時代的連関は句語の外で「一種のおもり」として機能するものとして、一筒作品に「一種のロマンティシズム」を読み取っている。
8時にはこむらがえりになる予定
「こむらがえり」の句は、60句の冒頭に据えられている。しかし、この句を冒頭句にして、しかも「こむらがえり」というタイトルまで付けたのが成功だったのかどうか。意味性の強い言葉であるだけに、精神のこむらがえりを笑うとか、文脈にこむらがえりを起こさせるとかの表現意図を見透かされることになってしまうからだ。
天竺を越えて来た銀の前置詞
絵画と言葉のコラージュである。
天竺を越えて来たのは三蔵法師などの取経僧のイメージであろうか。ヒマラヤを越える鶴のイメージかも知れない。これを「前置詞」という言葉の世界へつないでいる。
御手付き中﨟ジオラマを掠める
「木馬」に掲載された60句の中で、私がもっとも好む作品である。
私は最初、ジオラマの中を御手付き中﨟が走り過ぎるのかと思ったが、それだとつまらない。御手付き中﨟がジオラマを持ち去ったのだろう。それは殿さまの大切にしているジオラマだった(と私は勝手に読んでいる)。
ジオラマは明治時代に日本に入ってきたようだから、もとより時代があわない。あまり大きなジオラマだと持ち去るのにたいへんだから、箱型の風景画程度のものだろう。殿さまはフィギュアなども愛好していたかもしれない。家宝ではなくジオラマを盗んだ中臈の気持は、その後顧みられなくなったことに対する憎しみだろうか、それとも皿屋敷のお菊の場合のような愛情の試しだろうか。あるいは、新奇なジオラマそのものに対する少女じみた好奇心だろうか。
どうやら一筒の術中に陥ったようだ。
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