「俳句空間 豈」50号が「21世紀を語ろう 10年目の検証」「21世紀の俳句を占う」という特集を行っている。21世紀の俳句を占い、俳句の未来を考える、という趣旨のようだ。
「10年目の検証」では次のような文章が印象に残った。
〈 二十一世紀の俳句を占うというテーマに即して結論を先にいうならば、二十一世紀といえども人生が豊かになるような気付きをもたらす俳句という詩型の力は揺るぎないということである。それだけ五・七・五、十七音の詩型は強固であり、究極の短詩型として成熟していると思うのである 〉(牛田修嗣)
〈 現代を詠むとは、例えば「地下鉄サリン事件」そのものを詠むことではなく、「地下鉄サリン事件」を背景に「切実な自己」を詠むことだ 〉(柴田千晶)
前者は、俳句形式に対する揺るぎない信頼を代表する意見。後者は、時代と私性との関係についての意見である。一般にこの特集では前者のような意見が多かったが、それは単なる信仰告白のようなもので、俳句の門外漢にとってはそれほど興味をもてなかった。短詩型に関心のある者にとって共通の問題意識となりうるのは、後者のような視点である。
「週刊俳句」173号の「豈50号を読む」で野口裕はこの特集について、〈 若い頃、富士正晴の文章を読みすぎたせいか、ことあるごとに彼の小説のタイトル「どうなとなれ」が頭の中で響いて困る。こんな特集はなおさらのところがある 〉と述べている。
「俳句の未来」についてなら「どうなとなれ」でもいいのだが、翻って、「川柳の未来」について考えてみると、そう言ってもいられない。
いささか旧聞に属するが、6月6日に青森で開催された「川柳ステーション2010」(おかじょうき川柳社)のトークセッションでは「川柳に未来はあるのか?」というテーマが掲げられた。発表誌「おかじょうき」7月号を読むと、パネラーの畑美樹が次のような発言をしている。
〈 川柳に未来はあるのかと言うことですが、人的な若さ、いわゆる世代交代のことと、川柳そのものの未来ということの二つのことがあると思います 〉
一番目の問題「人的な若さ」「世代交代」とは、たぶん川柳人の高齢化とか、結社の後継者不足とか、若い世代にどうやって川柳に関心を持ってもらうか、とかいう問題だろう。二番目の問題「川柳そのものの未来」とは、現代川柳が今後どのように展開していくか、川柳のことばはどうなっていくか、川柳という形式に新しい表現領域の可能性があるか、などの問いであろう。二番目の問いを抜きにして、いきなり一番目の問いを問題にするところに現在の川柳界の傾向が見られる。結社経営と経済の問題はここから出てくる。けれども、本質的なのは第二の問いであり、これに正面から応えるようなシンポジウムはほとんど見られない。多くの場合、「川柳の未来は大丈夫」という根拠のない楽観論で終わってしまうのである。
多くの川柳人は啓蒙主義的な川柳観をもっているふしがある。
即ち、川柳はおもしろいのだが、そのおもしろさが十分普及していないから、特に若い世代の人に川柳のおもしろさをアピールしていかなくてはならない、という考え方である。けれども、川柳は本当におもしろいのだろうか。本当におもしろければ、放っておいても一定数の十代・二十代の人たちが参加してくるはずではないか。
啓蒙主義的な川柳観を乗り越えて、冷徹に川柳形式を見直したときに、真の意味での危機意識が生まれてくる。川柳というジャンルなり詩形が未来にわたって生命力を持ち続けるかどうか、という問題である。文芸としての刺激に乏しいジャンルはいずれ滅亡するほかはないだろう。石田柊馬の「最後の川柳ランナー」論はそこから出てくる。
次の世代に川柳のバトンを渡していく。ところが、渡そうとしても次の走者が誰もいない…誰だってそんな悲惨な目にはあいたくないだろう。
「川柳の未来」― 富士正晴にならって、「どうなとなれ」と言いたくなってきたが、蛇足を続ける。
ゼロ年代以降、川柳にニュー・ウェイヴが起こり多様化が加速した。
それは同時に、現代川柳が川柳界だけではなくて、短詩型文学全体に向けて発信する動きでもあった。
クローズドからオープンへ。
文芸としての刺激は他ジャンルとの交流の中で川柳を問い直すことから生まれるものだろう。川柳の未来は川柳だけを考えていても見出しにくいものである。川柳もまた短詩型文学全体の動きと連動している。
一方で、川柳の未来を問うことは、川柳の現在位置を問うことでもある。いま求められているのは、新しい現代川柳史だろう。
座の文芸として句会・大会を楽しむこと、外に向かって川柳をアピールしていくこと、川柳が作者の手から離れてテクストとして自律すること、近代・現代川柳のアンソロジーを作ること、川柳において批評が一定の役割を果たすこと。川柳の世界でなされるべきことはまだいろいろあるはずだ。そういう意味では、川柳はまだ行き詰まってはいない、と言っていいかも知れない。
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