年末に当たり、今年の連句界についても振り返っておきたい。
12月に日本連句協会創立40周年記念誌『現代連句集Ⅳ』が発行された。日本連句協会の前身である連句懇話会は1981年に創立。10年ごとに『現代連句集』を発行して、今回で4冊目になる。巻頭に「連句の愉しみ」(小津夜景)・「連句が好きだから」(堀田季何)のエッセイが二編。「日本連句協会の歩み」、座談会「現代連句の伝統と多様性」(小池正博・鈴木千惠子・宮川尚子・高松霞・門野優・山中たけを)のほか連句作品として「国民文化祭文部科学大臣賞等受賞作品」(第27回徳島~第36回和歌山)、各地の連句グループ作品84巻を収録している。
エッセイを寄稿している小津夜景は著書のあちこちで連句について触れている。小津と須藤岳史との往復書簡『なしのたわむれ』は連句の付け合いの呼吸で書かれているし、第二句集『花と夜盗』(書肆侃侃房)のうち「夢擬的月花的」(ゆめもどきてきつきはなてき)は連句の「月花(つきはな)の句」を一句立てにしたものである。月花の句は連句では春季扱いになる。
月を呑む花の廃墟を照らすため 夜景
月と花比良の高ねを北にして 芭蕉
堀田季何は今年最も活躍した俳人のひとりだが、連句の心得もある。堀田の主宰する「楽園俳句会」は6月に冊子版を発行しているが、連句作品も掲載されている。この両人に限らず、連句に対する関心が広がりつつある。
「江古田文学」110号に浅沼璞が「『さんだらぼっち』にみる西鶴的方法」を書いている。『さんだらぼっち』は石ノ森章太郎の時代物漫画だが、西鶴のような俳諧(連句)的な方法が使われているという。そもそも西鶴が漫画的と言うこともできる。浅沼は連句以外のジャンルにおける連句的な要素を分析してゆく「連句への潜在的意欲」という方法をとっているが、小津や堀田のように連句への顕在的意欲を示す表現者がふえてきていることになる。
以下、各地の連句大会を紹介する。
3月20日に日本連句協会の総会と全国大会が両国の江戸東京博物館で開催された。リアルでの参加32名、リモートでの参加が24名というハイブリッド連句会となった。
4月29日、「第26回えひめ俵口全国連句大会」が松山の子規記念博物館で開催。愛媛県知事賞の歌仙「秋高し」の巻(高塚霞捌き)の名残りの表よりご紹介。
口髭に触れてかたびら雪の消え 徹心
三代続く城の門番 忠史
香しき菓子を焼くのを趣味として 孝子
南回りのけふのフライト 孝子
アメリカの株の上下にそはそはし 徹心
桶屋儲かる仕組複雑 千惠子
6月12日、第二回全国リモート連句大会。(日本連句協会主催)
6月26日、第16回宮城県連句大会。コロナ禍の大会が中止になり、後日作品集が送付される。この大会は残念ながら今回で終了になるという。
7月27日~29日。徳島城博物館和室にて「夏休み子ども連句教室」が開催。一日目「俳句をつくろう」、二日目「長句に短句を付けよう」、三日目「句をつないでいこう」の三日間のプログラム。
9月11日、南砺市いなみ全国連句大会2022。
1993年に第一回大会が開催され、ほぼ4年ごとに回を重ね、今年で第八回を迎える。
富山県知事賞受賞の歌仙「冬夕焼」の巻の表六句。
かつてこのやうな恋あり冬夕焼 鈴木了斎
慕情凍てつく文箱の底 杉本聰
除雪車の角曲がりゆく音消えて 了斎
絡繰時計喇叭吹き出す 聰
月からの金糸銀糸に指からめ 了斎
和紙に切り抜く芙蓉一輪 聰
10月は芭蕉にちなんんだイベントが続いた。芭蕉終焉の地・大阪では大阪天満宮の「浪速の芭蕉祭」。まず10月2日にリモートによるプレイベントを開催。浅沼璞と小池正博の対談のあとオン座六句と非懐紙の二座に分かれてリモート連句。一週間後の10月9日には大阪天満宮の梅香学院でリアル句会を開会。天満宮本殿参拝のあと、関西現俳協青年部長の久留島元をゲストに迎えての座談会と実作会。
伊賀上野では10月11日・12日に第76回芭蕉祭(伊賀上野)が開催された。
元禄七年(1694)、芭蕉の帰郷にあわせて、伊賀上野の門人たちが芭蕉実家の敷地に庵を建てる。芭蕉は8月15日に月見の会を催し、料理が振舞われた。芭蕉自筆の「月見の献立」が残っており、昨年、伊賀市に寄贈された。芭蕉祭の前日、10月11日の夜に「月見の献立歓迎会」がハイトピア伊賀で開催され、私も参加することができた。月見の献立にちなんだ料理が提供され、貴重な経験をする。
翌日の12日は俳聖殿の前で芭蕉祭の式典。連句の部では半歌仙「頓て死ぬ」の巻(梅村光明捌き)が特選になっており、その裏の一句目から六句目までを紹介する。
牧閉ざす馬柵遠くまでなだらかに 満璃
逢へぬ日続き募るいとしさ 裕子
女子会のすぐ盛り上がる恋懺悔 光明
ぐうたら亭主まづは槍玉 満璃
議員席スマホ居眠りここかしこ 裕子
熱きおでんのコント大受け 光明
最後に、国文祭おきなわ(美ら島おきなわ文化祭2022)が沖縄県南城市を会場として開催された。10月29日吟行会。30日、南城市文化センターにて表彰式・実作会。一般の部、文部科学大臣賞は二十韻「大試験」の巻(富山県、杉本聰捌き)が受賞した。
大試験終えて少女の顔となる 宇野恭子
たんぽぽの絮飛ばす道端 奥野美友紀
潮干狩りバケツそれぞれ手に提げて 北野眞知子
母が伝授の結び三角 大島朋子
ジュニアの部・文部科学大臣賞は三つ物「かぜのしっぽ」(鈴木千惠子捌き)。
はるのかぜかぜにしっぽはどこにある 植田泰就
にげられちゃったおたまじゃくしに 植田結衣
赤ちゃんの目が光ってるときかわいい 結衣
あと、ネットでは昨年スタートした季刊「連句新聞」が今年も春夏秋冬4号を発信。冊子版の特別編も準備中だという。
個人企画のイベントでは12月、東京アーツ&スペース本郷で高松霞による「連句の赤い糸」が開催。展示のほか連句ライブ、連句盆踊りが実施された。
座の文芸としての連句はコロナ禍の影響を受け苦境に立たされたが、リモート連句をはじめ工夫しながら進んできている。今後も連句は顕在的に・潜在的に続いていくことだろう。
2022年12月25日日曜日
2022年回顧(川柳篇)
年末になったので、一年間を振り返ってみたい。昨年の2021年回顧では川合大祐『スロー・リバー』、湊圭伍『そら耳のつづきを』、飯島章友『成長痛の月』を取りあげたが、ここでは今年刊行された川柳句集を中心に、2022年を回顧してみる。
まず、4月に暮田真名の『ふりょの星』(左右社)が発行された。挿画・吉田戦車、帯文・Dr.ハインリヒ。既成の川柳句集のイメージを打ち破る一冊だが、暮田はすでに川柳歴7年。現代詩歌文学館の朗読・トークイベントに出演、「ねむらない樹」6号、「文学界」2021年5月号、関西現俳協HPなどに寄稿するなど、若手川柳人として注目されていた。
暮田についてはこの時評でもそのつど触れてきたし、「OD寿司」は有名になったので、ここでは「県道のかたちになった犬がくる」について述べてみたい。すでに書いたこともあるが、「かたち」という言葉を使った句は川柳ではしばしば見かける。
指切りのかたちのままの灰がある 西秋忠兵衛
県道のかたちになった犬がくる 暮田真名
では、暮田のどこが新しいのだろうか。「県道が犬のかたちになった」「犬が県道のかたちになった」―言葉の世界では何とでも言えるが、「県道が犬のかたちになった」の方が多少理解しやすいのは、たとえば犬のかたちのビスケットのようにイメージしやすいからだ。「犬が県道のかたちになった」の方は飛躍感が大きく読者の理解を越える。県道と犬との新しい関係性が一句の中で成立している。
言葉と言葉の関係性に対する感覚は人によって異なるが、無関係な言葉を強引に結びつければそれでいいというわけではない。8月に開催された「川柳スパイラル」創刊5周年の集いで、暮田は「私は本当に川柳を作りたくて、今までに読んだ川柳が好きだから、その延長線上にあるものを書きたいという気持ちがある」と発言している。暮田の川柳が既成の川柳人にも受け入れられやすいのは、こういうベースがあるからだ。
『ふりょの星』の内容はもとより、流通の仕方も従来の川柳句集とは異なっている。書店の店頭販売や通販はもちろんだが、ヴィレッジバンガードに並んだことも話題になった。川柳句集といえば贈呈が中心で若干書店に並ぶこともあったが、出版社が営業・流通に尽力してくれるなどということは以前では想像もできなかった。暮田は「川柳句会こんとん」や川柳講座「あなたが誰でもかまわない川柳入門」などで川柳の裾野を広げる活動をしている。
5月には平岡直子『Ladies and』(左右社)が出た。「川柳スパイラル」創刊5周年の集いでは暮田と平岡の対談があったが、両人はこんなふうに語っている(「川柳スパイラル」16号)。
暮田 二冊の句集の印象なんですけれど、『ふりょの星』が取りこぼした層を『Ladies and』がしっかりとキャッチしてくれていると思っています。『ふりょの星』は見た目がポップすぎて、何だこれはと思われた人もあるでしょうし、取りあげられ方も従来の川柳句集とは違っていたと思います。
平岡 いい棲み分け、分業化ができた感じだよね。わたしは『ふりょの星』の外見がすごく好きで、好きなだけじゃなくて、こういう句集を見たのは初めてなのに、ああそうそう川柳ってこういうものだったよね、って、どこか「川柳の本来の姿」を見ているような気持ちにもなります。
平岡の句集評についてはすでに書いたことがあるが(「白鳥の流血と金色に泣く女の子」、「川柳スパイラル」15号)、改めて『Ladies and』を読み直してみると、批評性のある作品が目につく。批評性というのは諷刺や時代批判、政治批判も含めて広くカバーするときの言葉である。
いい水は人が飛び込んだら消える
木漏れ日のようね手首をねじりあげ
絶滅も指名手配も断った
むしゃくしゃしていた花ならなんでもよかった
九月尽でしたか警察呼びますよ
平岡の作品の批評性・諷刺性は『Ladies and』というタイトルのメッセージにもあらわれているが、川柳作品だけでなくて、最近の短歌作品にも顕在化しているように思われるが、それはもともと作者のなかにあったものなのだろう。
続いて6月に発行されたのが、なかはられいこ『くちびるにウエハース』(左右社)。
「鉄棒に片足かけるとき無敵」という句は川柳界ではよく知られているので、『脱衣場のアリス』に収録されているような気がしていたが、『アリス』以後の作品。私は『はじめまして現代川柳』の解説でなかはらについて「それまで演歌的な作品が多かった川柳の世界で、なかはらはポップス系川柳の書き手として登場した」と書いている。この句にも同じ傾向が見られるが、問題はなかはらの書き方がどのように進化していったかということだ。
鉄棒に片足かけるとき無敵
魚の腹ゆびで裂くとき岸田森
「~とき」のあとの着地点が後者では明らかに遠くまで飛んでいる。新しい関係性が通常結びつかない語と語の結びつきになっているのだ。人名を使うのは一種のテクニックでもある。キャリアの長い川柳人はそれなりに過去の川柳作品を読んでいるから、先行作品の発想と表現をどう乗り越えるかに苦心する。
電熱器にこっと笑うようにつき 椙元紋太
豆電球が(おやすみ、さくら)ぽっと点く なかはられいこ
この二句の発想には共通点があると思われるが、表現の仕方が進化・深化している。句集のタイトルにもなっている「空に満月くちびるにウエハース」。空の満月と身体性との取り合わせは驚くほどのことではないが、くちびるとウエハースの取り合わせに作者独自の感性がうかがえる。意味ではなくて感覚的な句である。
11月の文フリ東京でササキリユウイチ『馬場にオムライス』を手に入れた。
ふくろうの唾液で目指す不躾さ
ゆらめくものをゆらめきで突く
鳥には餌を丸のみするイメージがあるが、唾液もあるそうだ。けれど「ふくろうの唾液」とはふだん聞きなれない異化効果のある言葉だ。着地点は「不躾さ」。俳句なら季語を持ってきたりするところである。「ふくろう・唾液」と「不躾さ」の関係性のなかに作者の新鮮な感覚がある。
後者は短句(七七句)。川柳では武玉川調とか十四字とか呼ばれるが、暮田真名が愛用するので、若い世代にも浸透してきているようだ。ここでは「ゆらめく」「ゆらめき」という同語反復によって一句を成立させている。
この二句を見るだけでもササキリが現代川柳の技術をマスターしていることがうかがえる。問題はそこからどう新領域を切り開いていくかということだ。
腐った喉でささやく馬場にオムライス
問十二 豆電球で呵責せよ
椅子は椅子だったとしてもママが好き
必ずや無職の天使がやってくる
マダガスカルの治安を乱すな
「問十二 豆電球で呵責せよ」「必ずや無職の天使がやってくる」などは従来の感覚で理解できる作品。この作者独自の言語感覚は「馬場にオムライス」「マダガスカルの治安」にあるだろう。人名を使った川柳もおもしろいが、先行作品として川合大祐などが思い浮かぶ。
サマセット・モームが巨大化する梅雨 川合大祐
エラスムス背中の汗でもらい泣き ササキリユウイチ
12月、小池正博句集『海亀のテント』(書肆侃侃房)刊行。
川柳句集が次々に発行されるので、キャリアの長い川柳人は自分の現在位置を句集で示す必要がある。感心してばかりもいられないのだ。それなりに長く川柳に関わっていると生まれてくる虚無感について、川上日車は『日車句集』の序で次のように書いている。「人生の果てに辿りついた私は、これでなにもすることはない。ただ、峻烈な世上の批判は、やがて一句も遺さず削ってくれるであろう」
今年読んだ川柳誌の中で印象に残ったのは佐藤みさ子と柳本々々の往復書簡「わたしって、なんですか?」(「What’s」2号)だが、佐藤みさ子の「わたし」がどのようなものなのかは「虚無感との闘い/裁縫箱」(「セレクション柳論」所収)を読めばよくわかる。
昨年から今年にかけて、現代川柳に関心をもつ人が増えたのは、ひとつは短歌界隈の表現者で川柳の実作をする人が現れたこと、もうひとつはネットやSNSを主な発表舞台とする表現者が目立つようになったことによる。個人で発信できるツールが増えたことによって、従来の結社・句会や新聞の川柳欄・同人誌などの紙媒体を中心とした川柳活動とは無縁なところで作品を発表することが可能になっている。
そういう状況が進んでいるのは短歌の世界で、「かばん」12月号の特集「ネット短歌の歩き方」が参考になる。荻原裕幸と東直子の対談が興味深いし、「ネット短歌の歩き方・ガイド」のコーナーでは、短歌の総合サイト、投稿サイト、Twitter、LINE、ツイキャス、Twitterスペース、YouTube、夏雲システム、note、ネットプリント、Zoomなどが紹介されている。川柳の世界でもネットを駆使する世代が今後増えていくのだろう。ネット川柳はリアルの句会で言葉を鍛えられる機会を飛び越して自由に自己表現ができるので、新鮮である反面危ういところもある。リアル句会では新人が次第に既成の川柳イメージにとらわれて面白味のない作品を量産するようになることもある。それぞれプラス・マイナスがあるだろう。どのような方法で川柳にかかわってゆくかは個人が決めることだが、現代川柳の世界が今後どのように進んでゆくのか、来年に向けてのさらなる展開を期待している。
まず、4月に暮田真名の『ふりょの星』(左右社)が発行された。挿画・吉田戦車、帯文・Dr.ハインリヒ。既成の川柳句集のイメージを打ち破る一冊だが、暮田はすでに川柳歴7年。現代詩歌文学館の朗読・トークイベントに出演、「ねむらない樹」6号、「文学界」2021年5月号、関西現俳協HPなどに寄稿するなど、若手川柳人として注目されていた。
暮田についてはこの時評でもそのつど触れてきたし、「OD寿司」は有名になったので、ここでは「県道のかたちになった犬がくる」について述べてみたい。すでに書いたこともあるが、「かたち」という言葉を使った句は川柳ではしばしば見かける。
指切りのかたちのままの灰がある 西秋忠兵衛
県道のかたちになった犬がくる 暮田真名
では、暮田のどこが新しいのだろうか。「県道が犬のかたちになった」「犬が県道のかたちになった」―言葉の世界では何とでも言えるが、「県道が犬のかたちになった」の方が多少理解しやすいのは、たとえば犬のかたちのビスケットのようにイメージしやすいからだ。「犬が県道のかたちになった」の方は飛躍感が大きく読者の理解を越える。県道と犬との新しい関係性が一句の中で成立している。
言葉と言葉の関係性に対する感覚は人によって異なるが、無関係な言葉を強引に結びつければそれでいいというわけではない。8月に開催された「川柳スパイラル」創刊5周年の集いで、暮田は「私は本当に川柳を作りたくて、今までに読んだ川柳が好きだから、その延長線上にあるものを書きたいという気持ちがある」と発言している。暮田の川柳が既成の川柳人にも受け入れられやすいのは、こういうベースがあるからだ。
『ふりょの星』の内容はもとより、流通の仕方も従来の川柳句集とは異なっている。書店の店頭販売や通販はもちろんだが、ヴィレッジバンガードに並んだことも話題になった。川柳句集といえば贈呈が中心で若干書店に並ぶこともあったが、出版社が営業・流通に尽力してくれるなどということは以前では想像もできなかった。暮田は「川柳句会こんとん」や川柳講座「あなたが誰でもかまわない川柳入門」などで川柳の裾野を広げる活動をしている。
5月には平岡直子『Ladies and』(左右社)が出た。「川柳スパイラル」創刊5周年の集いでは暮田と平岡の対談があったが、両人はこんなふうに語っている(「川柳スパイラル」16号)。
暮田 二冊の句集の印象なんですけれど、『ふりょの星』が取りこぼした層を『Ladies and』がしっかりとキャッチしてくれていると思っています。『ふりょの星』は見た目がポップすぎて、何だこれはと思われた人もあるでしょうし、取りあげられ方も従来の川柳句集とは違っていたと思います。
平岡 いい棲み分け、分業化ができた感じだよね。わたしは『ふりょの星』の外見がすごく好きで、好きなだけじゃなくて、こういう句集を見たのは初めてなのに、ああそうそう川柳ってこういうものだったよね、って、どこか「川柳の本来の姿」を見ているような気持ちにもなります。
平岡の句集評についてはすでに書いたことがあるが(「白鳥の流血と金色に泣く女の子」、「川柳スパイラル」15号)、改めて『Ladies and』を読み直してみると、批評性のある作品が目につく。批評性というのは諷刺や時代批判、政治批判も含めて広くカバーするときの言葉である。
いい水は人が飛び込んだら消える
木漏れ日のようね手首をねじりあげ
絶滅も指名手配も断った
むしゃくしゃしていた花ならなんでもよかった
九月尽でしたか警察呼びますよ
平岡の作品の批評性・諷刺性は『Ladies and』というタイトルのメッセージにもあらわれているが、川柳作品だけでなくて、最近の短歌作品にも顕在化しているように思われるが、それはもともと作者のなかにあったものなのだろう。
続いて6月に発行されたのが、なかはられいこ『くちびるにウエハース』(左右社)。
「鉄棒に片足かけるとき無敵」という句は川柳界ではよく知られているので、『脱衣場のアリス』に収録されているような気がしていたが、『アリス』以後の作品。私は『はじめまして現代川柳』の解説でなかはらについて「それまで演歌的な作品が多かった川柳の世界で、なかはらはポップス系川柳の書き手として登場した」と書いている。この句にも同じ傾向が見られるが、問題はなかはらの書き方がどのように進化していったかということだ。
鉄棒に片足かけるとき無敵
魚の腹ゆびで裂くとき岸田森
「~とき」のあとの着地点が後者では明らかに遠くまで飛んでいる。新しい関係性が通常結びつかない語と語の結びつきになっているのだ。人名を使うのは一種のテクニックでもある。キャリアの長い川柳人はそれなりに過去の川柳作品を読んでいるから、先行作品の発想と表現をどう乗り越えるかに苦心する。
電熱器にこっと笑うようにつき 椙元紋太
豆電球が(おやすみ、さくら)ぽっと点く なかはられいこ
この二句の発想には共通点があると思われるが、表現の仕方が進化・深化している。句集のタイトルにもなっている「空に満月くちびるにウエハース」。空の満月と身体性との取り合わせは驚くほどのことではないが、くちびるとウエハースの取り合わせに作者独自の感性がうかがえる。意味ではなくて感覚的な句である。
11月の文フリ東京でササキリユウイチ『馬場にオムライス』を手に入れた。
ふくろうの唾液で目指す不躾さ
ゆらめくものをゆらめきで突く
鳥には餌を丸のみするイメージがあるが、唾液もあるそうだ。けれど「ふくろうの唾液」とはふだん聞きなれない異化効果のある言葉だ。着地点は「不躾さ」。俳句なら季語を持ってきたりするところである。「ふくろう・唾液」と「不躾さ」の関係性のなかに作者の新鮮な感覚がある。
後者は短句(七七句)。川柳では武玉川調とか十四字とか呼ばれるが、暮田真名が愛用するので、若い世代にも浸透してきているようだ。ここでは「ゆらめく」「ゆらめき」という同語反復によって一句を成立させている。
この二句を見るだけでもササキリが現代川柳の技術をマスターしていることがうかがえる。問題はそこからどう新領域を切り開いていくかということだ。
腐った喉でささやく馬場にオムライス
問十二 豆電球で呵責せよ
椅子は椅子だったとしてもママが好き
必ずや無職の天使がやってくる
マダガスカルの治安を乱すな
「問十二 豆電球で呵責せよ」「必ずや無職の天使がやってくる」などは従来の感覚で理解できる作品。この作者独自の言語感覚は「馬場にオムライス」「マダガスカルの治安」にあるだろう。人名を使った川柳もおもしろいが、先行作品として川合大祐などが思い浮かぶ。
サマセット・モームが巨大化する梅雨 川合大祐
エラスムス背中の汗でもらい泣き ササキリユウイチ
12月、小池正博句集『海亀のテント』(書肆侃侃房)刊行。
川柳句集が次々に発行されるので、キャリアの長い川柳人は自分の現在位置を句集で示す必要がある。感心してばかりもいられないのだ。それなりに長く川柳に関わっていると生まれてくる虚無感について、川上日車は『日車句集』の序で次のように書いている。「人生の果てに辿りついた私は、これでなにもすることはない。ただ、峻烈な世上の批判は、やがて一句も遺さず削ってくれるであろう」
今年読んだ川柳誌の中で印象に残ったのは佐藤みさ子と柳本々々の往復書簡「わたしって、なんですか?」(「What’s」2号)だが、佐藤みさ子の「わたし」がどのようなものなのかは「虚無感との闘い/裁縫箱」(「セレクション柳論」所収)を読めばよくわかる。
昨年から今年にかけて、現代川柳に関心をもつ人が増えたのは、ひとつは短歌界隈の表現者で川柳の実作をする人が現れたこと、もうひとつはネットやSNSを主な発表舞台とする表現者が目立つようになったことによる。個人で発信できるツールが増えたことによって、従来の結社・句会や新聞の川柳欄・同人誌などの紙媒体を中心とした川柳活動とは無縁なところで作品を発表することが可能になっている。
そういう状況が進んでいるのは短歌の世界で、「かばん」12月号の特集「ネット短歌の歩き方」が参考になる。荻原裕幸と東直子の対談が興味深いし、「ネット短歌の歩き方・ガイド」のコーナーでは、短歌の総合サイト、投稿サイト、Twitter、LINE、ツイキャス、Twitterスペース、YouTube、夏雲システム、note、ネットプリント、Zoomなどが紹介されている。川柳の世界でもネットを駆使する世代が今後増えていくのだろう。ネット川柳はリアルの句会で言葉を鍛えられる機会を飛び越して自由に自己表現ができるので、新鮮である反面危ういところもある。リアル句会では新人が次第に既成の川柳イメージにとらわれて面白味のない作品を量産するようになることもある。それぞれプラス・マイナスがあるだろう。どのような方法で川柳にかかわってゆくかは個人が決めることだが、現代川柳の世界が今後どのように進んでゆくのか、来年に向けてのさらなる展開を期待している。
2022年12月16日金曜日
小津夜景第二句集『花と夜盗』
京都・南座の顔見世で「松浦の太鼓」を見た。忠臣蔵のサイド・ストーリーで、第一幕では俳諧師の其角が両国橋のたもとで赤穂浪士の大高源吾と出会う。源吾は俳名を子葉といい、其角宗匠とは交流があった。別れ際に二人は俳諧の付合をする。
年の瀬や水の流れと人の身は 其角
あした待たるるその宝船 子葉
第二幕、赤穂浪士びいきの松浦候が吉良邸の隣に屋敷を構えている。其角をまじえて俳諧の座が進行するが、片岡仁左衛門の演じる松浦候は愛嬌のある役で、観客をわかせていた。俳諧(連句)が芝居の背景にあって、楽しく観ることができた。
小津夜景の第二句集『花と夜盗』(書肆侃侃房)を読む。
第一章「四季の卵」は春の句にはじまり、季節の順に進行して、美意識の強い句がならんでいる。
春なれば棺の窓をあけておく
脱皮したのは虹の尾をふんだから
副葬の品のひとつを月として
シャボン玉よりもほろ酔ふ小雪なれ
のっけから渦巻くツバメ探偵社
死者の棺は葬儀の参列者がお別れできるように、顔の部分に窓が開かれている。それが閉じられて葬儀が終るのだが、まるで死者が春なので自ら窓を開けているような感じがする。棺をいくつも置いてある場所があって、春なので管理者がその窓を開けて空気を入れ替えている状景とも考えてみたが、死者が冬眠から目覚めるようにして棺の窓をあけたのだという気がする。「春はまぼろし」というタイトルのなかの一句で、幻想的な世界である。
二句目、何が脱皮したのか書かれていないが、虹の尾という表現があるので、蛇のイメージだろう。虹は蛇と重なる。
三句目は月の句だが、月も副葬品のひとつだという。古墳の副葬品に鏡や勾玉があるように、ここでも死者のイメージが使われている。
四句目、しゃぼん玉は春の季語だが、ここでは「小雪」で冬の句。
五句目、燕は春の季語だが、ここでは「ツバメ探偵社」という固有名詞に変えられている。春夏秋冬と巡行して再び春に戻ってくる。
ところどころに遊び心も見られて、「狂風忍者伝」のタイトルで「甲賀一匹エウレカの野に死にき」、「花と夜盗」のタイトルで「風花の生まれてけふの伊勢屋かな」という時代物の句があったりして、西洋的教養と俳諧の結合が興味深い。
第二章「昔日の庭」では多彩な詩形がちりばめられている。「陳商に贈る」では有名な李賀の漢詩を長句(五七五)と短句(七七)で連句的に訳してある。
長安有男児 長安の都に男の子ありにけり
二十心已朽 はやも朽ちたる二十歳の心
小津はかつてこんなふうに書いている。「李賀の詩は感情のゆらぎが大きいので、訳すときは5・7・5と7・7とを連想でつないでゆく連句の形式を借りると、意味の流れが不自然にならない。ひらめきに重きを置いた作品は、連句的インプロヴィゼーションとおおかた相性がよい、というのが個人的な印象だ」(『カモメの日の読書』)
「二十歳にしてすでに心朽ちたり」とか「『サヨナラ』ダケガ人生ダ」(井伏鱒二『厄除け詩集』)などは、かつての文学青年たちが愛誦したフレーズだ。鈴木漠『連句茶話』(編集工房ノア)によると、李賀には柏梁体(漢詩連句)の詩が二篇ある。その一篇「悩公」(悩ましい人)は男女の恋のかけ合いになっている(原田憲雄訳注『李賀歌詩編』東洋文庫)。
小津の句集に戻ると、武玉川調(七七句)、クーシューの俳句による翻訳、都々逸(七七七五)などの作品が収録されている。さまざまな詩形に習熟している詩人としては高橋睦郎が思い浮かぶが、小津夜景のカバーしている範囲も広い。
山宣死していまは蛍に
マンホールにも霧の追手が
夢の夜を Dans un monde de reve,
渡る舟にて Sur un bateau de passage,
ちよつと逢ふ Rencontre d`un instant.
うその数だけうつつはありやあれは花守プルースト
水に還つた記憶の無地を虹でいろどるフラミンゴ
第三章「言葉と渚」では訓読みの長い漢字を組み合わせた三文字俳句、月花の句など。
全体を通じて、美意識の中に遊びの句がまじり、読んでいて楽しい。知的に処理された俳諧精神に満ちた句集である。
年の瀬や水の流れと人の身は 其角
あした待たるるその宝船 子葉
第二幕、赤穂浪士びいきの松浦候が吉良邸の隣に屋敷を構えている。其角をまじえて俳諧の座が進行するが、片岡仁左衛門の演じる松浦候は愛嬌のある役で、観客をわかせていた。俳諧(連句)が芝居の背景にあって、楽しく観ることができた。
小津夜景の第二句集『花と夜盗』(書肆侃侃房)を読む。
第一章「四季の卵」は春の句にはじまり、季節の順に進行して、美意識の強い句がならんでいる。
春なれば棺の窓をあけておく
脱皮したのは虹の尾をふんだから
副葬の品のひとつを月として
シャボン玉よりもほろ酔ふ小雪なれ
のっけから渦巻くツバメ探偵社
死者の棺は葬儀の参列者がお別れできるように、顔の部分に窓が開かれている。それが閉じられて葬儀が終るのだが、まるで死者が春なので自ら窓を開けているような感じがする。棺をいくつも置いてある場所があって、春なので管理者がその窓を開けて空気を入れ替えている状景とも考えてみたが、死者が冬眠から目覚めるようにして棺の窓をあけたのだという気がする。「春はまぼろし」というタイトルのなかの一句で、幻想的な世界である。
二句目、何が脱皮したのか書かれていないが、虹の尾という表現があるので、蛇のイメージだろう。虹は蛇と重なる。
三句目は月の句だが、月も副葬品のひとつだという。古墳の副葬品に鏡や勾玉があるように、ここでも死者のイメージが使われている。
四句目、しゃぼん玉は春の季語だが、ここでは「小雪」で冬の句。
五句目、燕は春の季語だが、ここでは「ツバメ探偵社」という固有名詞に変えられている。春夏秋冬と巡行して再び春に戻ってくる。
ところどころに遊び心も見られて、「狂風忍者伝」のタイトルで「甲賀一匹エウレカの野に死にき」、「花と夜盗」のタイトルで「風花の生まれてけふの伊勢屋かな」という時代物の句があったりして、西洋的教養と俳諧の結合が興味深い。
第二章「昔日の庭」では多彩な詩形がちりばめられている。「陳商に贈る」では有名な李賀の漢詩を長句(五七五)と短句(七七)で連句的に訳してある。
長安有男児 長安の都に男の子ありにけり
二十心已朽 はやも朽ちたる二十歳の心
小津はかつてこんなふうに書いている。「李賀の詩は感情のゆらぎが大きいので、訳すときは5・7・5と7・7とを連想でつないでゆく連句の形式を借りると、意味の流れが不自然にならない。ひらめきに重きを置いた作品は、連句的インプロヴィゼーションとおおかた相性がよい、というのが個人的な印象だ」(『カモメの日の読書』)
「二十歳にしてすでに心朽ちたり」とか「『サヨナラ』ダケガ人生ダ」(井伏鱒二『厄除け詩集』)などは、かつての文学青年たちが愛誦したフレーズだ。鈴木漠『連句茶話』(編集工房ノア)によると、李賀には柏梁体(漢詩連句)の詩が二篇ある。その一篇「悩公」(悩ましい人)は男女の恋のかけ合いになっている(原田憲雄訳注『李賀歌詩編』東洋文庫)。
小津の句集に戻ると、武玉川調(七七句)、クーシューの俳句による翻訳、都々逸(七七七五)などの作品が収録されている。さまざまな詩形に習熟している詩人としては高橋睦郎が思い浮かぶが、小津夜景のカバーしている範囲も広い。
山宣死していまは蛍に
マンホールにも霧の追手が
夢の夜を Dans un monde de reve,
渡る舟にて Sur un bateau de passage,
ちよつと逢ふ Rencontre d`un instant.
うその数だけうつつはありやあれは花守プルースト
水に還つた記憶の無地を虹でいろどるフラミンゴ
第三章「言葉と渚」では訓読みの長い漢字を組み合わせた三文字俳句、月花の句など。
全体を通じて、美意識の中に遊びの句がまじり、読んでいて楽しい。知的に処理された俳諧精神に満ちた句集である。
2022年12月3日土曜日
八上桐子の「夜」
11月×日
昨年11月に京都の連句人に誘われて柚子の里に行った。保津峡近くの水尾は柚子発祥の地とも言われ、この季節には一帯に柚子が実っている。気持ちのよいところだったので、今年も連句の会に参加させてもらうことにした。料理屋が数件あり、宿泊はできないが柚子風呂に入ってリフレッシュしたあと、鶏スキを食べながら連句を巻く。近くに清和天皇社があり、神さびたところだった。清和天皇は陽成天皇に譲位したあと、出家して畿内巡幸。水尾に隠棲し、31歳で崩御。柚子の里では雲海も見られるという。
11月×日
日本現代詩歌文学館の館報「詩歌の森」が届く。暮田真名の「三十一文字の川柳?」を読む。このタイトルはどういう意味だろうと思っていたが、読んでみて話の筋道が少し理解できた。
「川柳スパイラル」東京句会(2018年5月)のトークで我妻俊樹は「短歌は上の句と下の句の二部構成で、二つあるということは往復するような感覚がありますから、行って戻ってくるところに自我が生じるのが短歌だと感じます。そういうこと抜きに、引き返さず抜けるというのが私が川柳を作るときの感覚なんです」「短歌は引き返すけれど、川柳は引き返さないで通り抜ける」「もっと川柳のような短歌を作りたい」と述べている(「川柳スパイラル」3号)。
暮田はこの発言を念頭に置きながら、笹井宏之の短歌に触れている。
ぱりぱりとお味噌汁まで噛んでいる平年並みの氷河期らしい 笹井宏之
この森で軍手を売って暮らしたい まちがえて図書館を建てたい
暮田は前者を「引き返している」歌、後者を「通り抜けている」歌としている。後者では上の句の作中主体と下の句の作中主体は別の人間という解釈である。「三十一文字の川柳」とは微妙な表現だが、短歌から川柳へという暮田の道筋が何となく納得できる。
11月×日
「川柳木馬」173・174合併号が届く。作家群像は八上桐子。ここ二年あまりの作品から60句が掲載され、暮田真名と西原天気の作品論が付いている。
花の夜を平すちいさい木の楽器 八上桐子
三つ編みのうしろへ伸びてゆく廊下
桔梗剪る鋏が夜も切ってしまう
噴水を夜の子どもが降りてくる
増えすぎた鳩を空へと敷きつめる
Kokoro kokoro こぼしつづける鳩
たましいはなべてすずしいえびかずら
うたいましょうこれを夜だと言うのなら
『はじめまして現代川柳』の解説で私は八上の句に表れる「水」と「闇」(夜)のペアについて、「清浄な水の世界は背後に闇をかかえることによって屈折したものになる。水は闇を中和する存在でもあるし、水の背後にちらりと見える闇は、日常を破綻させないように適度にコントロールされている」と分かったようなことを書いているが、夜のモティーフは更に多彩に展開されている。注目されるのは私性から出発した八上が「こころ」や「たましい」にまで表現領域を拡げていることだ。
Kokoro kokoro こぼしつづける鳩
たましいはなべてすずしいえびかずら
前者では鳩のオノマトペに重ねられているし、後者のひらかな表記の句は今回の60句のなかで最も印象に残る作品となっている。八上は「作者のことば」として、若い世代の川柳人が続々と現れている状況にふれ、自己の「現在位置」を確かめたい、という意味のことを書いている。先行世代の川柳人はそれぞれの現在位置を示す用意が必要だろう。
11月×日
「里」205号を読む。叶裕の文章で「屍派」が10月に解散したことを知る。特集は「U-50が読む句集『広島』」。昭和30年に発行された合同句集『広島』が大量500冊発見されたニュースは他の俳誌でも取り上げられているが、アンダー50歳の俳人がこの句集について述べている。堀田季何の文章に引用されている句から紹介しておこう。
屍の中の吾子の屍を護り汗だになし
みどり児は乳房を垂るる血を吸へり
蟬鳴くな正信ちゃんを思い出す
廃墟すぎて蜻蛉の群を眺めやる
『広島』には専門俳人の句も収録されている。「広島や卵食ふ時口ひらく」(西東三鬼)は有名である。「里」には川嶋ぱんだ選の百句も掲載されている。
11月×日
「オルガン」31号を読む。
じきにコスモス古く古びていく僕らだ 福田若之
立ちすくむ秋多羅葉がすべて見る 宮本佳世乃
蛇轢かれ菊の姿となりにけり 田島健一
芋の葉が含み笑ひのかほをする 鴇田智哉
福田若之と鴇田智哉の〈往復書簡「主体」について〉も掲載されている。その中で引用されている「約束の寒の土筆を煮て下さい」(川端茅舎)が印象に残る。他に宮本佳世乃と浅沼璞の両吟・オン座六句「古き沼」の巻。またゲスト作品に宮崎莉々香の俳句が載っており、久しぶりに彼女の作品を読むことができて嬉しかった。
鶏頭は生命体に囲まれる 宮﨑莉々香
芒も群れのなまあぱや群れながらぱや
わたくしを出てぽろんぽはからすうり
柿に心をあなたは家で届かない
11月×日
「外出」8号を読む。
憐れむべき髪の多さと思いつつ自分の髪を押さえていたり 花山周子
ちがふと答へるのも差別のやうでだまつてゐるがだまるのも罪 染野太朗
グラタンは一夜を冷えて壊れたりかたちのなかのもの壊れたり 内山晶太
刑事ドラマのなかで刑事はひざまずきわたしのことを知りたいという 平岡直子
それぞれエッセイを書いていて、花山周子「振動」、平岡直子「ゴジラ」、内山晶太「ハレー彗星」、染野太朗「J-POP Review:ミセスマーメイド」。
海外の竜が炎を吐いていて 停止 そのずっと手前の酢の物 平岡直子
昨年11月に京都の連句人に誘われて柚子の里に行った。保津峡近くの水尾は柚子発祥の地とも言われ、この季節には一帯に柚子が実っている。気持ちのよいところだったので、今年も連句の会に参加させてもらうことにした。料理屋が数件あり、宿泊はできないが柚子風呂に入ってリフレッシュしたあと、鶏スキを食べながら連句を巻く。近くに清和天皇社があり、神さびたところだった。清和天皇は陽成天皇に譲位したあと、出家して畿内巡幸。水尾に隠棲し、31歳で崩御。柚子の里では雲海も見られるという。
11月×日
日本現代詩歌文学館の館報「詩歌の森」が届く。暮田真名の「三十一文字の川柳?」を読む。このタイトルはどういう意味だろうと思っていたが、読んでみて話の筋道が少し理解できた。
「川柳スパイラル」東京句会(2018年5月)のトークで我妻俊樹は「短歌は上の句と下の句の二部構成で、二つあるということは往復するような感覚がありますから、行って戻ってくるところに自我が生じるのが短歌だと感じます。そういうこと抜きに、引き返さず抜けるというのが私が川柳を作るときの感覚なんです」「短歌は引き返すけれど、川柳は引き返さないで通り抜ける」「もっと川柳のような短歌を作りたい」と述べている(「川柳スパイラル」3号)。
暮田はこの発言を念頭に置きながら、笹井宏之の短歌に触れている。
ぱりぱりとお味噌汁まで噛んでいる平年並みの氷河期らしい 笹井宏之
この森で軍手を売って暮らしたい まちがえて図書館を建てたい
暮田は前者を「引き返している」歌、後者を「通り抜けている」歌としている。後者では上の句の作中主体と下の句の作中主体は別の人間という解釈である。「三十一文字の川柳」とは微妙な表現だが、短歌から川柳へという暮田の道筋が何となく納得できる。
11月×日
「川柳木馬」173・174合併号が届く。作家群像は八上桐子。ここ二年あまりの作品から60句が掲載され、暮田真名と西原天気の作品論が付いている。
花の夜を平すちいさい木の楽器 八上桐子
三つ編みのうしろへ伸びてゆく廊下
桔梗剪る鋏が夜も切ってしまう
噴水を夜の子どもが降りてくる
増えすぎた鳩を空へと敷きつめる
Kokoro kokoro こぼしつづける鳩
たましいはなべてすずしいえびかずら
うたいましょうこれを夜だと言うのなら
『はじめまして現代川柳』の解説で私は八上の句に表れる「水」と「闇」(夜)のペアについて、「清浄な水の世界は背後に闇をかかえることによって屈折したものになる。水は闇を中和する存在でもあるし、水の背後にちらりと見える闇は、日常を破綻させないように適度にコントロールされている」と分かったようなことを書いているが、夜のモティーフは更に多彩に展開されている。注目されるのは私性から出発した八上が「こころ」や「たましい」にまで表現領域を拡げていることだ。
Kokoro kokoro こぼしつづける鳩
たましいはなべてすずしいえびかずら
前者では鳩のオノマトペに重ねられているし、後者のひらかな表記の句は今回の60句のなかで最も印象に残る作品となっている。八上は「作者のことば」として、若い世代の川柳人が続々と現れている状況にふれ、自己の「現在位置」を確かめたい、という意味のことを書いている。先行世代の川柳人はそれぞれの現在位置を示す用意が必要だろう。
11月×日
「里」205号を読む。叶裕の文章で「屍派」が10月に解散したことを知る。特集は「U-50が読む句集『広島』」。昭和30年に発行された合同句集『広島』が大量500冊発見されたニュースは他の俳誌でも取り上げられているが、アンダー50歳の俳人がこの句集について述べている。堀田季何の文章に引用されている句から紹介しておこう。
屍の中の吾子の屍を護り汗だになし
みどり児は乳房を垂るる血を吸へり
蟬鳴くな正信ちゃんを思い出す
廃墟すぎて蜻蛉の群を眺めやる
『広島』には専門俳人の句も収録されている。「広島や卵食ふ時口ひらく」(西東三鬼)は有名である。「里」には川嶋ぱんだ選の百句も掲載されている。
11月×日
「オルガン」31号を読む。
じきにコスモス古く古びていく僕らだ 福田若之
立ちすくむ秋多羅葉がすべて見る 宮本佳世乃
蛇轢かれ菊の姿となりにけり 田島健一
芋の葉が含み笑ひのかほをする 鴇田智哉
福田若之と鴇田智哉の〈往復書簡「主体」について〉も掲載されている。その中で引用されている「約束の寒の土筆を煮て下さい」(川端茅舎)が印象に残る。他に宮本佳世乃と浅沼璞の両吟・オン座六句「古き沼」の巻。またゲスト作品に宮崎莉々香の俳句が載っており、久しぶりに彼女の作品を読むことができて嬉しかった。
鶏頭は生命体に囲まれる 宮﨑莉々香
芒も群れのなまあぱや群れながらぱや
わたくしを出てぽろんぽはからすうり
柿に心をあなたは家で届かない
11月×日
「外出」8号を読む。
憐れむべき髪の多さと思いつつ自分の髪を押さえていたり 花山周子
ちがふと答へるのも差別のやうでだまつてゐるがだまるのも罪 染野太朗
グラタンは一夜を冷えて壊れたりかたちのなかのもの壊れたり 内山晶太
刑事ドラマのなかで刑事はひざまずきわたしのことを知りたいという 平岡直子
それぞれエッセイを書いていて、花山周子「振動」、平岡直子「ゴジラ」、内山晶太「ハレー彗星」、染野太朗「J-POP Review:ミセスマーメイド」。
海外の竜が炎を吐いていて 停止 そのずっと手前の酢の物 平岡直子
2022年11月26日土曜日
文学フリマ東京35
11月20日、東京流通センターで「文学フリマ東京35」が開催された。主催者発表では来場者7445名(出店者・一般来場者含む)、うち出店者は約1969名(入場証枚数より算出)ということだ。一般来場者は約5476名。「川柳スパイラル」でもブースを出したが、私は主に店番をしていたので、会場を充分に見て回ることができなかった。お話しできなかった方、見落としたところも多いが、入手できた句集・冊子について紹介しておきたい。
まず、ササキリユウイチ句集『馬場にオムライス』から10句選。
ふくろうの唾液で目指す不躾さ ササキリユウイチ
ゆらめくものをゆらめきで突く
腐った喉でささやく馬場にオムライス
問十二 豆電球で呵責せよ
泉は鏡の誤記であろうか
かさぶたは悟性の端で捨ててよし
椅子は椅子だったとしてもママが好き
銀色のものことごとく縁をきり
必ずや無職の天使がやってくる
マダガスカルの治安を乱すな
完成度の高い句を書ける人だけれど、それを意識的に崩して、ラブレー風なスカトロジーにしてみたり、「パピプペポ」で西沢葉火かと思ったらカタカナ多用の句群だったり、「川柳式問答法」と言いながら少しも問答構造でない句を集めてタイトルに内容を裏切らせてみたり、いろいろな試みをしている。
「砕氷船」4号は俳人・歌人・川柳人の三人によるユニット。
紅筆に唇できあがる時雨かな 斉藤志保
踏みしだくことも話のたねとして 暮田真名
再会は遠くともありうるだろう白銀色の帆を張りゆかな 榊原紘
榊原紘とは初対面で、帰宅後手元にあった歌集『悪友』(書肆侃侃房)を改めて読んでみた。よいことかどうか分からないが、短詩型文学は作者に直接会うことによって作品の理解が深まる場合がある。
すれ違う手首の白い春の果て犬が傷つく映画は観ない 榊原紘『悪友』
機嫌なら自分でとれる 地下鉄のさらに地下へと乗り換えをする
隅田川沿いを歩いて(嘘みたい)いつかは海に着くのだろうね
乾遥香+大橋なぎ咲のブースでフリーペーパーをもらう。
幽霊を見たことがない 幽霊を見たことがある人がいるのに
ワンピース一枚かぶってここに来たわたしの言うことを信じてね
乾遥香には「川柳スパイラル」のゲスト作品に寄稿してもらったことがある。フリペの「主な作品」にも記載があるので、紹介しておきたい。
現実のことばかり白い薔薇ばかり 乾遥香「夢と魔法」(「川柳スパイラル」12号)
前髪切ってちいさな鏡だったのね
誘おうかなわたしの国に誘おうかな
以前から気になっていた「滸」(ほとり)が委託販売されていたことに後から気づいて、入手できなくて残念に思っていたら、大阪に帰ったあと送っていただいた。4号の特集は「『沖縄文学選』収録 詩作品評」。高良真実が紹介している、久米島出身の詩人・清田政信の作品に注目した。
夜の河をまたいで
あんやんぱまん ぼくはきみに会いにいった
(中略)
華麗に汚しめりこんでゆく
目蓋をふせてなお慄えやまぬあんやんぱまん
きみは方位を失い、 祈りのかたちをえらぶ
漂流死体のようだ
(清田政信「不在の女」)
「滸」掲載の高良真実の作品から。
霜降りの肉はうれしく我が内にもかやうなる斑あらばより楽し
火星など見ゆる宵には水筒へいまだに耳をあてたくなりぬ
液化ガスを運べる船は一昼夜かけてすべてを吐きいだすなり
「ねじまわし」4号、生駒大祐と大塚凱の二人誌だが、ゲストに第68回角川俳句賞を受賞した西生ゆかりや名古屋在住の若林哲哉などが参加している。企画「第1回ボキャブラドラフト会議」など。
芒折り取りて古書肆を泳ぎたり 生駒大祐
仮病もしもしと雪虫がちな日の 大塚凱
最後に、瀬戸夏子の日記形式の冊子『二〇二二年の夏と秋』。これは読んでいただくしかない。
まず、ササキリユウイチ句集『馬場にオムライス』から10句選。
ふくろうの唾液で目指す不躾さ ササキリユウイチ
ゆらめくものをゆらめきで突く
腐った喉でささやく馬場にオムライス
問十二 豆電球で呵責せよ
泉は鏡の誤記であろうか
かさぶたは悟性の端で捨ててよし
椅子は椅子だったとしてもママが好き
銀色のものことごとく縁をきり
必ずや無職の天使がやってくる
マダガスカルの治安を乱すな
完成度の高い句を書ける人だけれど、それを意識的に崩して、ラブレー風なスカトロジーにしてみたり、「パピプペポ」で西沢葉火かと思ったらカタカナ多用の句群だったり、「川柳式問答法」と言いながら少しも問答構造でない句を集めてタイトルに内容を裏切らせてみたり、いろいろな試みをしている。
「砕氷船」4号は俳人・歌人・川柳人の三人によるユニット。
紅筆に唇できあがる時雨かな 斉藤志保
踏みしだくことも話のたねとして 暮田真名
再会は遠くともありうるだろう白銀色の帆を張りゆかな 榊原紘
榊原紘とは初対面で、帰宅後手元にあった歌集『悪友』(書肆侃侃房)を改めて読んでみた。よいことかどうか分からないが、短詩型文学は作者に直接会うことによって作品の理解が深まる場合がある。
すれ違う手首の白い春の果て犬が傷つく映画は観ない 榊原紘『悪友』
機嫌なら自分でとれる 地下鉄のさらに地下へと乗り換えをする
隅田川沿いを歩いて(嘘みたい)いつかは海に着くのだろうね
乾遥香+大橋なぎ咲のブースでフリーペーパーをもらう。
幽霊を見たことがない 幽霊を見たことがある人がいるのに
ワンピース一枚かぶってここに来たわたしの言うことを信じてね
乾遥香には「川柳スパイラル」のゲスト作品に寄稿してもらったことがある。フリペの「主な作品」にも記載があるので、紹介しておきたい。
現実のことばかり白い薔薇ばかり 乾遥香「夢と魔法」(「川柳スパイラル」12号)
前髪切ってちいさな鏡だったのね
誘おうかなわたしの国に誘おうかな
以前から気になっていた「滸」(ほとり)が委託販売されていたことに後から気づいて、入手できなくて残念に思っていたら、大阪に帰ったあと送っていただいた。4号の特集は「『沖縄文学選』収録 詩作品評」。高良真実が紹介している、久米島出身の詩人・清田政信の作品に注目した。
夜の河をまたいで
あんやんぱまん ぼくはきみに会いにいった
(中略)
華麗に汚しめりこんでゆく
目蓋をふせてなお慄えやまぬあんやんぱまん
きみは方位を失い、 祈りのかたちをえらぶ
漂流死体のようだ
(清田政信「不在の女」)
「滸」掲載の高良真実の作品から。
霜降りの肉はうれしく我が内にもかやうなる斑あらばより楽し
火星など見ゆる宵には水筒へいまだに耳をあてたくなりぬ
液化ガスを運べる船は一昼夜かけてすべてを吐きいだすなり
「ねじまわし」4号、生駒大祐と大塚凱の二人誌だが、ゲストに第68回角川俳句賞を受賞した西生ゆかりや名古屋在住の若林哲哉などが参加している。企画「第1回ボキャブラドラフト会議」など。
芒折り取りて古書肆を泳ぎたり 生駒大祐
仮病もしもしと雪虫がちな日の 大塚凱
最後に、瀬戸夏子の日記形式の冊子『二〇二二年の夏と秋』。これは読んでいただくしかない。
2022年11月18日金曜日
「豈」65号・第七回攝津幸彦記念賞
「豈」65号で第七回攝津幸彦記念賞が発表されている。正賞・なつはづき、准将は水城鉄茶・赤羽根めぐみ・斎藤秀雄の三名。
この賞は「豈」43号(2006年10月)の特集・攝津幸彦没後十年のときに摂津幸彦論を公募したことにはじまる。受賞作品は関悦史「幸彦的主体」、神野紗希「諧謔のエロス」、野口裕「ふるさとの訛なくした攝津はん珈琲ええ味出とるんやけど」の三作。このときは評論の賞だった。それから7年後の「豈」55号(2013年10月)で第二回攝津幸彦記念賞が発表される。正賞・花尻万博「乖離集(原典)」、準賞は小津夜景「出アバラヤ記」・鈴木瑞恵「無題」であった。この第二回から現在まで俳句作品の公募となっている。個人的にはこの第二回に小津夜景が登場したことが鮮明な記憶として残っている。
第三回 「豈」59号(2016年12月)正賞・生駒大祐
第四回 「豈」61号(2018年10月)最優秀賞なし、優秀賞8名
第五回 「豈」62号(2019年10月)正賞・打田峨者ん
第六回 「豈」64号(2021年11月)受賞作なし
なかなか選考の厳しい賞である。今回の第七回から水城鉄茶(みずき・てっさ)の作品を紹介しよう。水城は川柳も書いているからだ。
目隠しをされて夜明けを待っている 水城鉄茶
また蝶をけしかけられている日向
ピストルが自分の声で目を覚ます
ベーコンがたまに爆発しない星
置いてきた鏡のなかの涅槃像
川柳では比較的なじみのある表現である。選評で夏木久は「型破り・怖いものなしの無鉄砲と採るか」「新鮮な表現の挑戦者と採るか」と断ったうえで、「私は面白いと感じました」と述べている。ここでは一行書きの作品のみ引用したが、全30句のなかの三分の一近くが多行書き、変則的なレイアウト、視覚的効果をねらった作品である。次の句はそんな中でも穏当で共感できるものだろう。
咲いたので
しばらく見ないことにする
筑紫磐井は「口語俳句であり、時折定型を逸脱するが、口語そのものがもたらす詩的韻律が壺に嵌った時は快感である」と評している。
水城は川柳ではどんな作品を書いているだろうか。「川柳スパイラル」から抜き出しておく。
みずうみがみずうみをひんやりとさく (12号)
まばらなる相手のなかの禁錮刑 (13号)
現職のスーパーマンに殴られた (14号)
キムタクの内部で月を焼いている(15号)
「豈」65号には平岡直子が「川柳は消える?」というタイトルで『はじめまして現代川柳』(書肆侃侃房)の書評を書いている。「二〇一〇年代は短詩型のアンソロジーが更新されつづけた時代だった」という文章ではじまり、『新撰21』『桜前線開架宣言』『天の川銀河発電所』などの俳句や短歌のアンソロジーに対して、「川柳のアンソロジーは刊行される気配がなかった」と述べる。テン年代の現代川柳をめぐる状況は平岡の指摘の通りだった。『はじめまして現代川柳』は20年代になってようやく刊行された現代川柳アンソロジーだったという位置づけである。
現代川柳の20年代はアンソロジーだけではなくて、句集の発行が続いた時期にもなってきている。その中には平岡の『Ladies and』も含まれる。状況は「消える文芸」とは反対の方向に進んでいくようにも見える。
「川柳スパイラル」16号は8月に開催された「創刊5周年の集い」の特集。暮田真名と平岡直子の対談では「ボーカロイド世代なんです」「形式に対する『愛憎』はありません」「表現が人を傷つけること」などが語られている。飯島章友と川合大祐の対談ではこの両人のキャリアが改めて語られ、現代社会の分断や「空気」を読むことの弊害と対処法などが示されている。句会の選者は、暮田真名・平岡直子・いなだ豆乃助・浪越靖政・飯島章友・小池正博で、それぞれが選んだ作品が掲載されている。
この賞は「豈」43号(2006年10月)の特集・攝津幸彦没後十年のときに摂津幸彦論を公募したことにはじまる。受賞作品は関悦史「幸彦的主体」、神野紗希「諧謔のエロス」、野口裕「ふるさとの訛なくした攝津はん珈琲ええ味出とるんやけど」の三作。このときは評論の賞だった。それから7年後の「豈」55号(2013年10月)で第二回攝津幸彦記念賞が発表される。正賞・花尻万博「乖離集(原典)」、準賞は小津夜景「出アバラヤ記」・鈴木瑞恵「無題」であった。この第二回から現在まで俳句作品の公募となっている。個人的にはこの第二回に小津夜景が登場したことが鮮明な記憶として残っている。
第三回 「豈」59号(2016年12月)正賞・生駒大祐
第四回 「豈」61号(2018年10月)最優秀賞なし、優秀賞8名
第五回 「豈」62号(2019年10月)正賞・打田峨者ん
第六回 「豈」64号(2021年11月)受賞作なし
なかなか選考の厳しい賞である。今回の第七回から水城鉄茶(みずき・てっさ)の作品を紹介しよう。水城は川柳も書いているからだ。
目隠しをされて夜明けを待っている 水城鉄茶
また蝶をけしかけられている日向
ピストルが自分の声で目を覚ます
ベーコンがたまに爆発しない星
置いてきた鏡のなかの涅槃像
川柳では比較的なじみのある表現である。選評で夏木久は「型破り・怖いものなしの無鉄砲と採るか」「新鮮な表現の挑戦者と採るか」と断ったうえで、「私は面白いと感じました」と述べている。ここでは一行書きの作品のみ引用したが、全30句のなかの三分の一近くが多行書き、変則的なレイアウト、視覚的効果をねらった作品である。次の句はそんな中でも穏当で共感できるものだろう。
咲いたので
しばらく見ないことにする
筑紫磐井は「口語俳句であり、時折定型を逸脱するが、口語そのものがもたらす詩的韻律が壺に嵌った時は快感である」と評している。
水城は川柳ではどんな作品を書いているだろうか。「川柳スパイラル」から抜き出しておく。
みずうみがみずうみをひんやりとさく (12号)
まばらなる相手のなかの禁錮刑 (13号)
現職のスーパーマンに殴られた (14号)
キムタクの内部で月を焼いている(15号)
「豈」65号には平岡直子が「川柳は消える?」というタイトルで『はじめまして現代川柳』(書肆侃侃房)の書評を書いている。「二〇一〇年代は短詩型のアンソロジーが更新されつづけた時代だった」という文章ではじまり、『新撰21』『桜前線開架宣言』『天の川銀河発電所』などの俳句や短歌のアンソロジーに対して、「川柳のアンソロジーは刊行される気配がなかった」と述べる。テン年代の現代川柳をめぐる状況は平岡の指摘の通りだった。『はじめまして現代川柳』は20年代になってようやく刊行された現代川柳アンソロジーだったという位置づけである。
現代川柳の20年代はアンソロジーだけではなくて、句集の発行が続いた時期にもなってきている。その中には平岡の『Ladies and』も含まれる。状況は「消える文芸」とは反対の方向に進んでいくようにも見える。
「川柳スパイラル」16号は8月に開催された「創刊5周年の集い」の特集。暮田真名と平岡直子の対談では「ボーカロイド世代なんです」「形式に対する『愛憎』はありません」「表現が人を傷つけること」などが語られている。飯島章友と川合大祐の対談ではこの両人のキャリアが改めて語られ、現代社会の分断や「空気」を読むことの弊害と対処法などが示されている。句会の選者は、暮田真名・平岡直子・いなだ豆乃助・浪越靖政・飯島章友・小池正博で、それぞれが選んだ作品が掲載されている。
2022年9月4日日曜日
現代川柳とモダニズム
「ねむらない樹」9号の特集は「詩歌のモダニズム」である。川柳からは小池正博が「現代川柳におけるモダニズム」を寄稿し、小樽の田中五呂八、大阪の木村半文銭、堺の墨作二郎などの作品を紹介している。
モダニズムとは何かという定義について、中井亜佐子は特有の美的様式(広義)と文学史上の時代区分(狭義)という二つのやり方があるという。前者には韻律を破壊した自由な形式や前衛的な語法やイメージがある。後者はたとえば1910年ごろから両世界大戦の間の期間までというような時代区分で、ヨーロッパ文学ではジョイスやエリオットなどの活躍した時期である。
「ねむらない樹」に収録されている論考でも、この二つの定義が錯綜していて、広義のモダニズムととらえて新興短歌から現代までを見渡している文章もあれば、狭義のモダニズム短歌の、たとえば前川佐美雄に焦点をしぼった文章もある。
広義のモダニズムについては話が拡散するので、以下、狭義のモダニズムについて触れていきたい。大正末年から昭和初年にかけて短詩型文学の世界で新興文学運動が起こった。新興短歌、新興俳句、新興川柳がそれぞれのジャンルで生れている。
特集の文章で三枝昻之は「モダニズムの既成の価値の否定という特徴からは、プロレタリア短歌も広い意味でのモダニズム短歌といえる」と書いている。昭和3年に結成された新興歌人連盟は両者の統一戦線だったが、結成したかと思ったらすぐに解散。「なぜ新興短歌は直後に分裂したか。既成の価値と伝統短歌の否定という点では共通するが、表現の芸術性を重視するのがモダニズム短歌、階級意識からの社会改革を意図するのがプロレタリア短歌。短く言うと、文学か政治か、その力点の置き方で分かれた」というのが三枝の見方。さらに、モダニズム短歌も文語か口語か、定型か自由律かに分かれ、主流は口語自由律であったという。
以前はプロレタリア文学とモダニズム文学を対立的にとらえるのが普通であり、実際、両者は対立していたのだが、都市文学という視点から統一的にとらえようという見方が出てきている。これに口語短歌や自由律がからんで、話が錯綜してくる。
私はこの時期の口語短歌の歌人では西村陽吉の作品に注目しているので、この機会に紹介しておく。
モウパツサンは狂つて死んだ 俺はたぶん狂はず老いて死ぬことだらう 西村陽吉
何か大きなことはないかと考へる空想がやがて足もとへかへる
他人のことは他人のことだ 自分のことは自分のことだ それきりのことだ
西村陽吉の歌集『晴れた日』(昭和2年)から。大正14年、西村を中心として口語短歌運動の機関誌「芸術と自由」が創刊。翌15年には全国口語歌人の統一団体として「新短歌協会」が結成された。しかし、文語によって成立した定型を口語短歌はとるべきではないという自由律派が台頭して協会は分裂した。西村は定型派であり、文学観上は啄木以来の生活派だったので、やがてプロレタリア短歌の陣営からも攻撃されることになる。
プロレタリア短歌に関して、私が利用しているのは「日本プロレタリア文学全集」(新日本出版社)の『40 プロレタリア短歌・俳句・川柳集』で、三つのジャンルを見渡すことができるので便利だ。新興歌人連盟が分裂したあとプロレタリア派は「無産者歌人連盟」を結成し、昭和4年には「プロレタリア歌人同盟」ができる。「プロレタリア歌人同盟」は短歌が詩の方向に向かって解消の道を歩むことによって封建性を克服することができるという短歌否定論をかかえていたが、そのような考え方に対する批判も生まれてゆく。短詩型と詩の関係には紆余曲折がある。
モダン都市という観点から興味深いと思ったのは、「ねむらない樹」の特集で黒瀬珂瀾が紹介している石川信雄だ。
わが肩によぢのぼつては踊りゐたミツキイ猿を沼に投げ込む 石川信雄
シネマ・ハウスの闇でくらした千日のわれの眼を見た人つひになき
歌集『シネマ』(昭和11年)に収録されているが、制作されたのは昭和5・6年ごろだという。こういう作品を読むと、私は日野草城の次のような句を思い出す。
春の夜の自動拳銃夫人の手に狎るる 日野草城
白き手にコルト凛凛として黒し
夫人嬋娟として七人の敵を持つ
愛しコルト秘む必殺の弾丸(たま)を八つ
コルト睡(い)ぬロリガンにほふ乳房(ちち)の蔭
日野草城の句集『転轍手』(昭和13年)に収録されている「マダム コルト」という連作。一句目の「自動拳銃」には「コルト」とルビが付けられていて「コルト夫人」と読ませる。元になるのが映画なのか小説なのか確認できていないが、B級映画の雰囲気がある。
川柳では川上三太郎が映画「未完成交響楽」をもとに連作川柳を書いている。昭和10年の作品で10句のうち4句だけ引用する。
およそ貧しき教師なれども譜を抱ゆ 川上三太郎
わが曲は街の娘の所有(もの)でよし
りずむーそれは貴女の顫音(こえ)のその通り
アヴエマリアわが膝突いて手を突いて
個々の作者には作風や文学観の変遷があり、プロレタリア派とか芸術派とか一概に言えないのだが、大正末年から昭和初年にかけての新興文学運動にはジャンルを越えた時代精神があり、それらを共時的にとらえる必要があるだろう。「ねむらない樹」の特集では川柳について田中五呂八や木村半文銭などの芸術派を中心に紹介しているが、プロレタリア派も含めてモダニズムをとらえるなら、鶴彬などの存在も視野に入れなければならない。木村半文銭と鶴彬の激しい論争もあったのだが、それはまた別の話題である。
モダニズムとは何かという定義について、中井亜佐子は特有の美的様式(広義)と文学史上の時代区分(狭義)という二つのやり方があるという。前者には韻律を破壊した自由な形式や前衛的な語法やイメージがある。後者はたとえば1910年ごろから両世界大戦の間の期間までというような時代区分で、ヨーロッパ文学ではジョイスやエリオットなどの活躍した時期である。
「ねむらない樹」に収録されている論考でも、この二つの定義が錯綜していて、広義のモダニズムととらえて新興短歌から現代までを見渡している文章もあれば、狭義のモダニズム短歌の、たとえば前川佐美雄に焦点をしぼった文章もある。
広義のモダニズムについては話が拡散するので、以下、狭義のモダニズムについて触れていきたい。大正末年から昭和初年にかけて短詩型文学の世界で新興文学運動が起こった。新興短歌、新興俳句、新興川柳がそれぞれのジャンルで生れている。
特集の文章で三枝昻之は「モダニズムの既成の価値の否定という特徴からは、プロレタリア短歌も広い意味でのモダニズム短歌といえる」と書いている。昭和3年に結成された新興歌人連盟は両者の統一戦線だったが、結成したかと思ったらすぐに解散。「なぜ新興短歌は直後に分裂したか。既成の価値と伝統短歌の否定という点では共通するが、表現の芸術性を重視するのがモダニズム短歌、階級意識からの社会改革を意図するのがプロレタリア短歌。短く言うと、文学か政治か、その力点の置き方で分かれた」というのが三枝の見方。さらに、モダニズム短歌も文語か口語か、定型か自由律かに分かれ、主流は口語自由律であったという。
以前はプロレタリア文学とモダニズム文学を対立的にとらえるのが普通であり、実際、両者は対立していたのだが、都市文学という視点から統一的にとらえようという見方が出てきている。これに口語短歌や自由律がからんで、話が錯綜してくる。
私はこの時期の口語短歌の歌人では西村陽吉の作品に注目しているので、この機会に紹介しておく。
モウパツサンは狂つて死んだ 俺はたぶん狂はず老いて死ぬことだらう 西村陽吉
何か大きなことはないかと考へる空想がやがて足もとへかへる
他人のことは他人のことだ 自分のことは自分のことだ それきりのことだ
西村陽吉の歌集『晴れた日』(昭和2年)から。大正14年、西村を中心として口語短歌運動の機関誌「芸術と自由」が創刊。翌15年には全国口語歌人の統一団体として「新短歌協会」が結成された。しかし、文語によって成立した定型を口語短歌はとるべきではないという自由律派が台頭して協会は分裂した。西村は定型派であり、文学観上は啄木以来の生活派だったので、やがてプロレタリア短歌の陣営からも攻撃されることになる。
プロレタリア短歌に関して、私が利用しているのは「日本プロレタリア文学全集」(新日本出版社)の『40 プロレタリア短歌・俳句・川柳集』で、三つのジャンルを見渡すことができるので便利だ。新興歌人連盟が分裂したあとプロレタリア派は「無産者歌人連盟」を結成し、昭和4年には「プロレタリア歌人同盟」ができる。「プロレタリア歌人同盟」は短歌が詩の方向に向かって解消の道を歩むことによって封建性を克服することができるという短歌否定論をかかえていたが、そのような考え方に対する批判も生まれてゆく。短詩型と詩の関係には紆余曲折がある。
モダン都市という観点から興味深いと思ったのは、「ねむらない樹」の特集で黒瀬珂瀾が紹介している石川信雄だ。
わが肩によぢのぼつては踊りゐたミツキイ猿を沼に投げ込む 石川信雄
シネマ・ハウスの闇でくらした千日のわれの眼を見た人つひになき
歌集『シネマ』(昭和11年)に収録されているが、制作されたのは昭和5・6年ごろだという。こういう作品を読むと、私は日野草城の次のような句を思い出す。
春の夜の自動拳銃夫人の手に狎るる 日野草城
白き手にコルト凛凛として黒し
夫人嬋娟として七人の敵を持つ
愛しコルト秘む必殺の弾丸(たま)を八つ
コルト睡(い)ぬロリガンにほふ乳房(ちち)の蔭
日野草城の句集『転轍手』(昭和13年)に収録されている「マダム コルト」という連作。一句目の「自動拳銃」には「コルト」とルビが付けられていて「コルト夫人」と読ませる。元になるのが映画なのか小説なのか確認できていないが、B級映画の雰囲気がある。
川柳では川上三太郎が映画「未完成交響楽」をもとに連作川柳を書いている。昭和10年の作品で10句のうち4句だけ引用する。
およそ貧しき教師なれども譜を抱ゆ 川上三太郎
わが曲は街の娘の所有(もの)でよし
りずむーそれは貴女の顫音(こえ)のその通り
アヴエマリアわが膝突いて手を突いて
個々の作者には作風や文学観の変遷があり、プロレタリア派とか芸術派とか一概に言えないのだが、大正末年から昭和初年にかけての新興文学運動にはジャンルを越えた時代精神があり、それらを共時的にとらえる必要があるだろう。「ねむらない樹」の特集では川柳について田中五呂八や木村半文銭などの芸術派を中心に紹介しているが、プロレタリア派も含めてモダニズムをとらえるなら、鶴彬などの存在も視野に入れなければならない。木村半文銭と鶴彬の激しい論争もあったのだが、それはまた別の話題である。
2022年8月19日金曜日
「川柳スパイラル」創刊5周年の集い
8月も後半に入り、すこしずつ季節が移り変わってゆく。
瀬戸夏子から「一夏蕩尽」という冊子を送ってもらった。2019年11月26日の日付のある文章と「2022、短歌についておもうこと」の二つが収められている。二つの文章の最初に同じ短歌が引用されている。
吹きとほる夜の草生のぴあにしも一夏蕩尽一世蕩尽 苑翠子
私は川柳を「蕩尽の文芸」と呼んだことがあるが、「一夏蕩尽」という言葉が心に刺さる。
8月5日
東京行。年内に発行予定の『現代連句集Ⅳ』(日本連句協会創立40周年記念誌)の編集会議を九段生涯学習館で行う。連句協会の歴史や座談会の原稿のほか、各地の連句グループからの作品が出そろい、印刷所に回すための打合せである。
会議終了後、近くの竹橋まで歩いて、国立近代美術館の常設展を見る。何度か来たことがあるが、まず原田直次郎の「騎龍観音」の前へ。この画家は森鷗外のドイツ留学時代の友人。ちなみに今年は鷗外没後100年にあたるが、鷗外の「妄想」に次の一節がある。「自分がまだ二十代で、まったく処女のような官能をもって、外部のあらゆる出来事に反応して、内にはかつて挫折したことのない力を蓄えていた時のことであった。自分は伯林(ベルリン)にいた」
荻原守衛の彫刻「女」や中村彝の「エロシェンコ氏の肖像」などもあった。新宿中村屋のかあさんと呼ばれた相馬黒光の周辺に集まった芸術家たちである。以前はこれらの前に立つと涙が出るほど感動したものだが、すでにそういう感覚は戻ってこない。
銀座に出たあと、両国のホテルに向かう。
8月6日
両国は芥川龍之介ゆかりの街で、散策してみる。「杜子春」の文学碑もあった。
イベントの会場・北とぴあに早い目に着く。午前中は川柳フリマを開催する予定だったが、コロナ禍のため中止。句会の準備をし、「川柳スパイラル」関係の書籍を並べる。12時を過ぎると人が集まり始める。当日の参加者は19名。
「川柳スパイラル」創刊5周年の集いは三部構成で、第一部は暮田真名・平岡直子の対談「川柳、わたしたちの無法地帯」。第二部は飯島章友・川合大祐「現代川柳のこれから」。
第三部の句会は暮田真名・平岡直子・浪越靖政・いなだ豆乃助・飯島章友・小池正博の選。詳しいことは「川柳スパイラル」16号(11月下旬発行)に掲載の予定だが、ここでは小池選の雑詠だけ紹介しておく。
花火からこぼれる指は誰だっけ 二三川練
机から椅子が引かれてしまう星 蔭一郎
阿炎およぐ偽の水平線のなか 川合大祐
ごせいばいしきもくの胴なさいます 中西軒わ
ノワールとメモワールのちにわか雨 いなだ豆乃助
川だった幅でお告げを待っている 兵頭全郎
スケルトン電卓という魂だ 平岡直子
リビングの小宇宙へとあくびする いわさき楊子
かごめかごめ息継ぎの間の転生 浪越靖政
つめものとかぶせものから暮れてゆく 北野抜け芝
最新の縄文土器で煮炊きする 下城陽介
形式はくり返される敗戦日 いわさき楊子
自堕落の神は案外いそがしい 下城陽介
銀行 庭でサンダルをなくした 平英之
賭博でも氷で多少工夫する 今田健太郎
広告の顔らしいまま手を離す 兵頭全郎
義賊から盗み笑いを恵まれる 飯島章友
非通知で蝶がつぶれてしまったわ 平岡直子
わびさびの引き出し開けて都市を撃つ ササキリユウイチ
前屈でサラダに届くレイトショー 青沼詩郎
特選 蟹味噌の醜さだけが国語辞書 二三川練
軸吟 五年目の花火の位置を見定める 小池正博
懇親会は行わないことにしていたので、終了後はそのまま解散。両国に戻り、ちゃんこ鍋で、ひとりご苦労さん会。懇親会は川柳イベントが成功したかどうかのバロメーターで、宴会に残る人数が多ければイベントが成功だったことの証明とも言える。今回はそういうこともなく、達成感もそれほど得られなかったのはやむを得ない。シンポジウム・座談会+句会というかたちの川柳イベントを「バックストローク」「川柳カード」「川柳スパイラル」と続けてきたが、別のかたちを模索するべき時期に来ているかもしれない。
8月7日
国民文化祭おきなわの応募作品選考会議が午後からあるので、早朝の新幹線に乗り大阪に帰る。リモート会議なので東京にいてもできるのかもしれないが、自宅のパソコンからでないと不安なのだ。
国文祭「連句の祭典」の応募は一般の部とジュニアの部に分かれているが、私の担当はジュニアの部。大賞・入賞作品が决まる。
コロナに感染することもなく、無事三日間を乗り切ることができた。
あと、送っていただいた雑誌や本のご紹介。
「江古田文学」110号の特集は石ノ森章太郎。宮城県登米市にある「石ノ森章太郎ふるさと記念館」が紹介されているが、ここは朝ドラの「おかえりモネ」でも出てきた場所である。
浅沼璞が評論「『さんだらぼっち』にみる西鶴的方法」を書いている。私は「佐武と市捕物控」は読んだことがあるが、人情噺「さんだらぼっち」は読んだことがない。主人公とんぼは吉原大門前の玩具屋の住み込み職人。浅沼は石ノ森の映画的手法を指摘していて、それは連句にも通じるものだ。浅沼が「さんだらぼっち」の場面を連句化しているのは興味深い。
身振り手振りで明かす段取り
持参金めあてに掛けを済ますらん
もぬけの殻の広きお屋敷
「楽園」第一巻(湊合版)は楽園俳句会の創刊号から第6号までを合冊したもの。俳句作品のほか堀田季何の連載「呵呵俳話」が〈「わかる」とか「わからない」とか〉〈俳句の「私」は誰かしら〉〈リアルとリアリティ〉〈俳句と川柳の境界〉など、現在問題になっているテーマを扱っている。あと、連句作品も掲載されていて、連句界からは静寿美子が参加している。歌仙「ビオトープ」から。
帰りには栗売り切れてしまひさう マリリン
慌てふためき待ち合はせ場所 小田狂声
イケメンの自信過剰がいのちとり 静寿美子
キーホルダーの合鍵はづす 市川綿帽子
瀬戸夏子から「一夏蕩尽」という冊子を送ってもらった。2019年11月26日の日付のある文章と「2022、短歌についておもうこと」の二つが収められている。二つの文章の最初に同じ短歌が引用されている。
吹きとほる夜の草生のぴあにしも一夏蕩尽一世蕩尽 苑翠子
私は川柳を「蕩尽の文芸」と呼んだことがあるが、「一夏蕩尽」という言葉が心に刺さる。
8月5日
東京行。年内に発行予定の『現代連句集Ⅳ』(日本連句協会創立40周年記念誌)の編集会議を九段生涯学習館で行う。連句協会の歴史や座談会の原稿のほか、各地の連句グループからの作品が出そろい、印刷所に回すための打合せである。
会議終了後、近くの竹橋まで歩いて、国立近代美術館の常設展を見る。何度か来たことがあるが、まず原田直次郎の「騎龍観音」の前へ。この画家は森鷗外のドイツ留学時代の友人。ちなみに今年は鷗外没後100年にあたるが、鷗外の「妄想」に次の一節がある。「自分がまだ二十代で、まったく処女のような官能をもって、外部のあらゆる出来事に反応して、内にはかつて挫折したことのない力を蓄えていた時のことであった。自分は伯林(ベルリン)にいた」
荻原守衛の彫刻「女」や中村彝の「エロシェンコ氏の肖像」などもあった。新宿中村屋のかあさんと呼ばれた相馬黒光の周辺に集まった芸術家たちである。以前はこれらの前に立つと涙が出るほど感動したものだが、すでにそういう感覚は戻ってこない。
銀座に出たあと、両国のホテルに向かう。
8月6日
両国は芥川龍之介ゆかりの街で、散策してみる。「杜子春」の文学碑もあった。
イベントの会場・北とぴあに早い目に着く。午前中は川柳フリマを開催する予定だったが、コロナ禍のため中止。句会の準備をし、「川柳スパイラル」関係の書籍を並べる。12時を過ぎると人が集まり始める。当日の参加者は19名。
「川柳スパイラル」創刊5周年の集いは三部構成で、第一部は暮田真名・平岡直子の対談「川柳、わたしたちの無法地帯」。第二部は飯島章友・川合大祐「現代川柳のこれから」。
第三部の句会は暮田真名・平岡直子・浪越靖政・いなだ豆乃助・飯島章友・小池正博の選。詳しいことは「川柳スパイラル」16号(11月下旬発行)に掲載の予定だが、ここでは小池選の雑詠だけ紹介しておく。
花火からこぼれる指は誰だっけ 二三川練
机から椅子が引かれてしまう星 蔭一郎
阿炎およぐ偽の水平線のなか 川合大祐
ごせいばいしきもくの胴なさいます 中西軒わ
ノワールとメモワールのちにわか雨 いなだ豆乃助
川だった幅でお告げを待っている 兵頭全郎
スケルトン電卓という魂だ 平岡直子
リビングの小宇宙へとあくびする いわさき楊子
かごめかごめ息継ぎの間の転生 浪越靖政
つめものとかぶせものから暮れてゆく 北野抜け芝
最新の縄文土器で煮炊きする 下城陽介
形式はくり返される敗戦日 いわさき楊子
自堕落の神は案外いそがしい 下城陽介
銀行 庭でサンダルをなくした 平英之
賭博でも氷で多少工夫する 今田健太郎
広告の顔らしいまま手を離す 兵頭全郎
義賊から盗み笑いを恵まれる 飯島章友
非通知で蝶がつぶれてしまったわ 平岡直子
わびさびの引き出し開けて都市を撃つ ササキリユウイチ
前屈でサラダに届くレイトショー 青沼詩郎
特選 蟹味噌の醜さだけが国語辞書 二三川練
軸吟 五年目の花火の位置を見定める 小池正博
懇親会は行わないことにしていたので、終了後はそのまま解散。両国に戻り、ちゃんこ鍋で、ひとりご苦労さん会。懇親会は川柳イベントが成功したかどうかのバロメーターで、宴会に残る人数が多ければイベントが成功だったことの証明とも言える。今回はそういうこともなく、達成感もそれほど得られなかったのはやむを得ない。シンポジウム・座談会+句会というかたちの川柳イベントを「バックストローク」「川柳カード」「川柳スパイラル」と続けてきたが、別のかたちを模索するべき時期に来ているかもしれない。
8月7日
国民文化祭おきなわの応募作品選考会議が午後からあるので、早朝の新幹線に乗り大阪に帰る。リモート会議なので東京にいてもできるのかもしれないが、自宅のパソコンからでないと不安なのだ。
国文祭「連句の祭典」の応募は一般の部とジュニアの部に分かれているが、私の担当はジュニアの部。大賞・入賞作品が决まる。
コロナに感染することもなく、無事三日間を乗り切ることができた。
あと、送っていただいた雑誌や本のご紹介。
「江古田文学」110号の特集は石ノ森章太郎。宮城県登米市にある「石ノ森章太郎ふるさと記念館」が紹介されているが、ここは朝ドラの「おかえりモネ」でも出てきた場所である。
浅沼璞が評論「『さんだらぼっち』にみる西鶴的方法」を書いている。私は「佐武と市捕物控」は読んだことがあるが、人情噺「さんだらぼっち」は読んだことがない。主人公とんぼは吉原大門前の玩具屋の住み込み職人。浅沼は石ノ森の映画的手法を指摘していて、それは連句にも通じるものだ。浅沼が「さんだらぼっち」の場面を連句化しているのは興味深い。
身振り手振りで明かす段取り
持参金めあてに掛けを済ますらん
もぬけの殻の広きお屋敷
「楽園」第一巻(湊合版)は楽園俳句会の創刊号から第6号までを合冊したもの。俳句作品のほか堀田季何の連載「呵呵俳話」が〈「わかる」とか「わからない」とか〉〈俳句の「私」は誰かしら〉〈リアルとリアリティ〉〈俳句と川柳の境界〉など、現在問題になっているテーマを扱っている。あと、連句作品も掲載されていて、連句界からは静寿美子が参加している。歌仙「ビオトープ」から。
帰りには栗売り切れてしまひさう マリリン
慌てふためき待ち合はせ場所 小田狂声
イケメンの自信過剰がいのちとり 静寿美子
キーホルダーの合鍵はづす 市川綿帽子
2022年8月13日土曜日
「川柳スパイラル」15号と大阪句会
時評を更新する時間がとれないままに、ものごとがそれなりに進んでゆく。いろいろな想念が浮かんでは消えてゆくが、何もかも書くことはできないし、何が本質的なことなのか後になってみないと分からないことも多い。
暮田真名の発信力が目覚ましい。「ユリイカ」8月号の特集「現代語の世界」に暮田は「川柳のように」を寄稿している。現代語というテーマに関連して、短歌からは初谷むいが、川柳からは暮田真名の文章が掲載されているから、この両人が新しい表現者として注目されているのだろう。暮田は「現代川柳」というときの「現代」の意味、「現代川柳」と「詩」との関係について暮田自身の立場を述べたあと、何人かの川柳人の作品を紹介している。この文章から感じとれるのは暮田の「川柳愛」である。「詩」ではなくて「川柳」を書きたいということで、「川柳スパイラル」創刊5周年の集いでも、川柳が好きだという発言があった。現代川柳と詩との関係(いわゆる「詩性川柳」)には歴史的な経緯があるので、二者択一できる問題でもない。
7月23日に神戸で「現代歌人集会」が開催された。
村松正直の講演のほかパネルディスカッションに平岡直子・笹川諒・山下翔が出るので聞きにいった。短歌の読み方・読まれ方についてなのだが、作者に関するデータが作品の読みに影響するか、しないかの出口の見えない議論が続いている。当日のレジュメで笹川が「人生派」「言葉派」という分け方に疑問を呈しているのが印象に残った。「現代歌人集会会報」55号に笹川は「テーマに関連して最近思うこと」を書いているが、歌会で「短歌というより詩として読みました」という発言をする人があるらしい。このことも気になっている。
「川柳スパイラル」15号の特集は「暮田真名と平岡直子」。暮田の句集『ふりょの星』の句集評を我妻俊樹が書いているほか、一句鑑賞を8人の評者が執筆している。それぞれが取り上げた暮田の句を挙げておこう。
柳本々々 星のかわりに巡ってくれる
榊原紘 選球眼でウインクしたよ
笹川諒 ☆定礎なんかしないよ ☆繰り返し
湊圭伍 クリオネはドア・トゥ・ドアの星だろう
三田三郎 生い立ちの代わりに脱脂綿がある
大塚凱 やがて元通りに嘘になるだろう
瀬戸夏子 おそろいの生没年をひらめかす
中山奈々 飲食はみんながいなくなってから
編集人の方で調整したわけではないが、それぞれが取り上げた句が一句も重ならなかったのはおもしろい。また、柳本、笹川、湊の選んだ句に「星」が入っているのも後から気づいたことである。創刊5周年の集いで暮田が指摘したことだが、榊原の一句鑑賞では本文の中に「星」という言葉が出てくるのだった。
ゲスト作品も紹介しておこう。
佐伯紺「非常口」10句は「ここまでは闇ここからは暗い闇」ではじまり、「さいごまであかるいままの非常口」で終わる。闇から光へという構成である。特におもしろいと思ったのは次の句。
どの略歴もあなたは同じ年生まれ 佐伯紺
当たり前のことを敢えて書くことによって不思議な感覚が生まれる。佐伯紺はネットプリント「Ink」でも川柳を発表していて、現在3号まで出ている。
かきあげのアイデンティティ・クライシス 佐伯紺
目には目の歯にははるかなパンまつり
青魚の青さくらいで名乗りたい
もうひとりのゲスト、多賀盛剛はナナロク社の「第2回あたらしい歌集選考会」で岡野大嗣に選ばれている。「川柳スパイラル」には定型・自由律を取り混ぜて掲載。
こっちこないでください右の耳から橋が見えてて 多賀盛剛
口から出てくるその橋を渡る人についていった
不思議なユーモアがあり、長律作品に作者の本領があるのかなと思った。
現代歌人集会の翌日、7月24日に大阪・上本町で「川柳スパイラル」大阪句会が開催された。以下、句会作品の紹介。
兼題「踏む」
踏み倒すほどの未来のチョココロネ 中山奈々
星の生誕△金鳥の渦踏んで 金川宏
靴下の裏に貼り付く秘密基地 蟹口和枝
鐘の音を踏んでしまってからの棋士 宮井いずみ
猫たちよハイビスカスを踏みなさい 笹川諒
世へおいで靴のかかとを踏むために 橋詰志保
背表紙を踏んで八月やってくる 西田雅子
海の日に踏んづけ山の日に咲いた 芳賀博子
月面のコピー写真を踏んでいる 平岡直子
熱帯魚踏んでみたらばどうなるの 榊陽子
不法投棄された踏み絵の復讐劇 三田三郎
桔梗草踏めば昭和が盆踊り まつりぺきん
蜘蛛の糸踏む蜘蛛がいて銀河の朝 兵頭全郎
雑詠
ビタミンのどれからも連絡が来ない 中山奈々
オーロラがゆっくり動く膝の裏 蟹口和枝
ゆるされず笑う間接照明 兵頭全郎
彗星です将来の夢は衝突です 三田三郎
七回も人間宣言したなんて 平岡直子
朝顔の顔から喉へかかる空 芳賀博子
カニ缶が全員亡霊だなんて 榊陽子
ぐりとぐらはなかよくそれをうめました 橋爪志保
流血をぬぐうぞうきん美術館 小池正博
ヒクイドリめくだんだら塾講師 宮井いずみ
この猫は雅語学校を逃げました 笹川諒
角砂糖の心中おまえが言うな 金川宏
「川柳スパイラル」の掲示板で紹介するべきだが、旧掲示板は7月末で終了し、新しい掲示板はまだ使い慣れていないので、この場で紹介しておくことにした。
暮田真名の発信力が目覚ましい。「ユリイカ」8月号の特集「現代語の世界」に暮田は「川柳のように」を寄稿している。現代語というテーマに関連して、短歌からは初谷むいが、川柳からは暮田真名の文章が掲載されているから、この両人が新しい表現者として注目されているのだろう。暮田は「現代川柳」というときの「現代」の意味、「現代川柳」と「詩」との関係について暮田自身の立場を述べたあと、何人かの川柳人の作品を紹介している。この文章から感じとれるのは暮田の「川柳愛」である。「詩」ではなくて「川柳」を書きたいということで、「川柳スパイラル」創刊5周年の集いでも、川柳が好きだという発言があった。現代川柳と詩との関係(いわゆる「詩性川柳」)には歴史的な経緯があるので、二者択一できる問題でもない。
7月23日に神戸で「現代歌人集会」が開催された。
村松正直の講演のほかパネルディスカッションに平岡直子・笹川諒・山下翔が出るので聞きにいった。短歌の読み方・読まれ方についてなのだが、作者に関するデータが作品の読みに影響するか、しないかの出口の見えない議論が続いている。当日のレジュメで笹川が「人生派」「言葉派」という分け方に疑問を呈しているのが印象に残った。「現代歌人集会会報」55号に笹川は「テーマに関連して最近思うこと」を書いているが、歌会で「短歌というより詩として読みました」という発言をする人があるらしい。このことも気になっている。
「川柳スパイラル」15号の特集は「暮田真名と平岡直子」。暮田の句集『ふりょの星』の句集評を我妻俊樹が書いているほか、一句鑑賞を8人の評者が執筆している。それぞれが取り上げた暮田の句を挙げておこう。
柳本々々 星のかわりに巡ってくれる
榊原紘 選球眼でウインクしたよ
笹川諒 ☆定礎なんかしないよ ☆繰り返し
湊圭伍 クリオネはドア・トゥ・ドアの星だろう
三田三郎 生い立ちの代わりに脱脂綿がある
大塚凱 やがて元通りに嘘になるだろう
瀬戸夏子 おそろいの生没年をひらめかす
中山奈々 飲食はみんながいなくなってから
編集人の方で調整したわけではないが、それぞれが取り上げた句が一句も重ならなかったのはおもしろい。また、柳本、笹川、湊の選んだ句に「星」が入っているのも後から気づいたことである。創刊5周年の集いで暮田が指摘したことだが、榊原の一句鑑賞では本文の中に「星」という言葉が出てくるのだった。
ゲスト作品も紹介しておこう。
佐伯紺「非常口」10句は「ここまでは闇ここからは暗い闇」ではじまり、「さいごまであかるいままの非常口」で終わる。闇から光へという構成である。特におもしろいと思ったのは次の句。
どの略歴もあなたは同じ年生まれ 佐伯紺
当たり前のことを敢えて書くことによって不思議な感覚が生まれる。佐伯紺はネットプリント「Ink」でも川柳を発表していて、現在3号まで出ている。
かきあげのアイデンティティ・クライシス 佐伯紺
目には目の歯にははるかなパンまつり
青魚の青さくらいで名乗りたい
もうひとりのゲスト、多賀盛剛はナナロク社の「第2回あたらしい歌集選考会」で岡野大嗣に選ばれている。「川柳スパイラル」には定型・自由律を取り混ぜて掲載。
こっちこないでください右の耳から橋が見えてて 多賀盛剛
口から出てくるその橋を渡る人についていった
不思議なユーモアがあり、長律作品に作者の本領があるのかなと思った。
現代歌人集会の翌日、7月24日に大阪・上本町で「川柳スパイラル」大阪句会が開催された。以下、句会作品の紹介。
兼題「踏む」
踏み倒すほどの未来のチョココロネ 中山奈々
星の生誕△金鳥の渦踏んで 金川宏
靴下の裏に貼り付く秘密基地 蟹口和枝
鐘の音を踏んでしまってからの棋士 宮井いずみ
猫たちよハイビスカスを踏みなさい 笹川諒
世へおいで靴のかかとを踏むために 橋詰志保
背表紙を踏んで八月やってくる 西田雅子
海の日に踏んづけ山の日に咲いた 芳賀博子
月面のコピー写真を踏んでいる 平岡直子
熱帯魚踏んでみたらばどうなるの 榊陽子
不法投棄された踏み絵の復讐劇 三田三郎
桔梗草踏めば昭和が盆踊り まつりぺきん
蜘蛛の糸踏む蜘蛛がいて銀河の朝 兵頭全郎
雑詠
ビタミンのどれからも連絡が来ない 中山奈々
オーロラがゆっくり動く膝の裏 蟹口和枝
ゆるされず笑う間接照明 兵頭全郎
彗星です将来の夢は衝突です 三田三郎
七回も人間宣言したなんて 平岡直子
朝顔の顔から喉へかかる空 芳賀博子
カニ缶が全員亡霊だなんて 榊陽子
ぐりとぐらはなかよくそれをうめました 橋爪志保
流血をぬぐうぞうきん美術館 小池正博
ヒクイドリめくだんだら塾講師 宮井いずみ
この猫は雅語学校を逃げました 笹川諒
角砂糖の心中おまえが言うな 金川宏
「川柳スパイラル」の掲示板で紹介するべきだが、旧掲示板は7月末で終了し、新しい掲示板はまだ使い慣れていないので、この場で紹介しておくことにした。
2022年7月22日金曜日
小池康生句集『旧の渚』
俳誌「奎」には若手俳人の作品が掲載されているので、現代俳句の動向を知るのに便利だ。22号から同人三人の句を紹介する。
沈丁花病みても夜行性の母 中山奈々
行く春のあなたの声に角砂糖
煙ることにはじめから なっていた 細村星一郎
大木にいくつか窓がある恐怖
抜け落ちて五人囃子のだれかの鬢 木田智美
鳥ぐもり二次発酵の生地と寝る
ルピナスは摘めないそんな資格はない
「奎」の発行人・小池康生と知り合ったのは神戸で開催された「俳句Gathering」のイベントのときだった。2012年から3年連続で年末に神戸で開催されたもので、「俳句で遊ぼう」というコンセプトのもと、シンポジウムのほか地元アイドルとの句会バトルなどがあって、賑やかなイベントだった。全3回の日程と会場は以下の通り。
第一回 2012年12月22日 生田神社
第二回 2013年12月21日 生田神社
第三回 2014年12月20日 柿衞文庫
それぞれこの「川柳時評」で取り上げていて、第一回については2012年12月28日の時評、第二回については2013年12月27日の時評、第三回については2014年12月26日の時評で紹介している。小池康生と私が共演したのは第2回のときで、クロストーク「俳句vs川柳~連句が生んだ二つの詩型~」というコンテンツで、小池正博・小池康生のW小池による対談と連句実作のワークショップが行われている。事前の打ち合わせで、三宮センター街の地下の居酒屋に入り二人で飲んだことも思い出になる。
その後、小池康生は「奎」を創刊し、関西の若手俳人の求心力になった。第一句集『旧の渚』(ふらんす堂)は2012年4月に発行されているから、この時評は10年遅れの鑑賞となる。
『旧の渚』は「旧の渚」「風の尖」「新の渚」「風の骨」の四章にわかれているが、私のおもしろいと思った句は「旧の渚」の章に多い。
家族とは濡れし水着の一緒くた
家族とは何かという問いを洗濯機のイメージでとらえている。洗濯するときは親とは別々に洗ってほしいという向きもあるが、濡れた水着でも一緒くたに洗うのが家族だという。そうあってほしいという願望なのかも知れないが、句集の巻頭にこの句が置かれているのには作者の思い入れがあるのだろう。
滝壺を出て水音をやりなほす
滝壺の水音に最初・途中・最後という区別があるわけではないだろうが、滝の音をもう一度はじめからやり直そうという気持ちは、写生というより比喩的な状況を言い当てているようにも思われる。そういう気持ちになるのは、滝壺のなかにいたときではなく、滝壺を出たあとで振り返る余裕があるからなのだろう。
星飛んで人は痩せたり太つたり
流れ星と地上に生きる人間との対比。
竜胆のどこが嫌ひか考へる
どこが好きなのかではなく、嫌いなところを考えている。誰でも竜胆が好きとは限らなくて、好き嫌いは個人的なものである。ひとつの対象のなかには好きな部分があっても嫌いな部分も必ずあるから、そのことに意識的であるのは大人の態度と言うこともできる。
生まれつき晩年である海鼠かな
海鼠の句では「階段が無くて海鼠の日暮かな」(橋閒石)が有名だが、この句では日暮を通り越して晩年に至っている。それも生まれたときから晩年だと言うのだ。
セーターに出会ひの色の混ぜてあり
セーターに何を混ぜるか。デザインや模様や心情など、さなざまな発想が可能だろう。ここでは色を選んでいるが、「出会いの色」というかたちで人間関係のニュアンスを表現している。
蝶の名を黄泉の入口にて忘れ
現世で覚えた蝶の名を黄泉にゆく入口で忘れてしまう。次元の異なる世界では価値観も経験も通用しなくなる。現実世界で蝶の名が価値であるかどうかも疑問である。
生活の隣に枝垂桜かな
生活と枝垂桜がやや対立的にとらえられている。生活と枝垂桜は無関係ではないはずだが、現実の生活は力闘的なものだから、枝垂桜のことばかり考えて生活するわけにもいかない。けれども生活の隣には枝垂桜の姿が常に見えているのだ。
他の章からも何句か引用する。
かいつぶり沈みし空を見にゆけり
水仙に途切れとぎれの風の尖
きつかけはパセリが好きといふところ
筋書きのくるくる変はる水遊び
「竜胆のどこが嫌ひか考へる」「きつかけはパセリが好きといふところ」このような狭間で生活に自足するわけでもなく、文学に逃避するわけでもなく、折り合いをつけながら僕らは生きていくのだろう。
沈丁花病みても夜行性の母 中山奈々
行く春のあなたの声に角砂糖
煙ることにはじめから なっていた 細村星一郎
大木にいくつか窓がある恐怖
抜け落ちて五人囃子のだれかの鬢 木田智美
鳥ぐもり二次発酵の生地と寝る
ルピナスは摘めないそんな資格はない
「奎」の発行人・小池康生と知り合ったのは神戸で開催された「俳句Gathering」のイベントのときだった。2012年から3年連続で年末に神戸で開催されたもので、「俳句で遊ぼう」というコンセプトのもと、シンポジウムのほか地元アイドルとの句会バトルなどがあって、賑やかなイベントだった。全3回の日程と会場は以下の通り。
第一回 2012年12月22日 生田神社
第二回 2013年12月21日 生田神社
第三回 2014年12月20日 柿衞文庫
それぞれこの「川柳時評」で取り上げていて、第一回については2012年12月28日の時評、第二回については2013年12月27日の時評、第三回については2014年12月26日の時評で紹介している。小池康生と私が共演したのは第2回のときで、クロストーク「俳句vs川柳~連句が生んだ二つの詩型~」というコンテンツで、小池正博・小池康生のW小池による対談と連句実作のワークショップが行われている。事前の打ち合わせで、三宮センター街の地下の居酒屋に入り二人で飲んだことも思い出になる。
その後、小池康生は「奎」を創刊し、関西の若手俳人の求心力になった。第一句集『旧の渚』(ふらんす堂)は2012年4月に発行されているから、この時評は10年遅れの鑑賞となる。
『旧の渚』は「旧の渚」「風の尖」「新の渚」「風の骨」の四章にわかれているが、私のおもしろいと思った句は「旧の渚」の章に多い。
家族とは濡れし水着の一緒くた
家族とは何かという問いを洗濯機のイメージでとらえている。洗濯するときは親とは別々に洗ってほしいという向きもあるが、濡れた水着でも一緒くたに洗うのが家族だという。そうあってほしいという願望なのかも知れないが、句集の巻頭にこの句が置かれているのには作者の思い入れがあるのだろう。
滝壺を出て水音をやりなほす
滝壺の水音に最初・途中・最後という区別があるわけではないだろうが、滝の音をもう一度はじめからやり直そうという気持ちは、写生というより比喩的な状況を言い当てているようにも思われる。そういう気持ちになるのは、滝壺のなかにいたときではなく、滝壺を出たあとで振り返る余裕があるからなのだろう。
星飛んで人は痩せたり太つたり
流れ星と地上に生きる人間との対比。
竜胆のどこが嫌ひか考へる
どこが好きなのかではなく、嫌いなところを考えている。誰でも竜胆が好きとは限らなくて、好き嫌いは個人的なものである。ひとつの対象のなかには好きな部分があっても嫌いな部分も必ずあるから、そのことに意識的であるのは大人の態度と言うこともできる。
生まれつき晩年である海鼠かな
海鼠の句では「階段が無くて海鼠の日暮かな」(橋閒石)が有名だが、この句では日暮を通り越して晩年に至っている。それも生まれたときから晩年だと言うのだ。
セーターに出会ひの色の混ぜてあり
セーターに何を混ぜるか。デザインや模様や心情など、さなざまな発想が可能だろう。ここでは色を選んでいるが、「出会いの色」というかたちで人間関係のニュアンスを表現している。
蝶の名を黄泉の入口にて忘れ
現世で覚えた蝶の名を黄泉にゆく入口で忘れてしまう。次元の異なる世界では価値観も経験も通用しなくなる。現実世界で蝶の名が価値であるかどうかも疑問である。
生活の隣に枝垂桜かな
生活と枝垂桜がやや対立的にとらえられている。生活と枝垂桜は無関係ではないはずだが、現実の生活は力闘的なものだから、枝垂桜のことばかり考えて生活するわけにもいかない。けれども生活の隣には枝垂桜の姿が常に見えているのだ。
他の章からも何句か引用する。
かいつぶり沈みし空を見にゆけり
水仙に途切れとぎれの風の尖
きつかけはパセリが好きといふところ
筋書きのくるくる変はる水遊び
「竜胆のどこが嫌ひか考へる」「きつかけはパセリが好きといふところ」このような狭間で生活に自足するわけでもなく、文学に逃避するわけでもなく、折り合いをつけながら僕らは生きていくのだろう。
2022年7月15日金曜日
平岡直子句集『Ladies and』
朝日新聞の「短歌時評」に山田航の「歌人が川柳に驚く訳」が掲載されたのは2021年4月18日だった。山田は「最近、若手歌人のあいだに現代川柳ブームが訪れている」と述べ、その理由として次のようなことを挙げている。「短歌の中の〈私〉と作者が同一視される近代的な読まれ方に窮屈さを覚えていた現代の歌人たちにとって、それをすでに軽々と乗り越えていた川柳のメタ・フィクションは魅力的なものとして映ったのだろう」
この流れのなかで、川柳の読者にとどまらず、現代川柳の実作を発表する作者が増えてきている。平岡直子句集『Ladies and』(左右社)はその良質の成果である。
私は平岡の川柳句集を「歌人が書いた川柳」というような捉え方をしておらず、本格的な川柳句集だと思っているのだが、ここでは歌人が表現手段のひとつとして川柳を選んでいる潮流のなかで取り上げておく。
私が平岡直子の川柳をはじめて読んだのは『SH』(2015年5月)に掲載された20句だった。『Ladies and』では「12人」の章に収録されている。平岡の川柳歴が7年というのはこの時から数えてのことだろう。私は「12人」の章では「金色に泣かないで知らない女の子」という句が好きなのだが、なかはられいこがすでに句集の栞で取り上げているので、ここでは他の何句かを引用しておく。
一年とはロックスターが12人 平岡直子
一年12か月を12人のロックスターに置き換えている。具体名は挙げられていないので、読者は一月から十二月までお好みのシンガーの名を当てはめてみるのも一興だろう。「~とは」という題を呈示しておいて、それに想定外のものを取り合わせるのは川柳の基本形である。
右胸のあなたが放火したあたり
食べおえてわたしに踏切が増える
一句目は恋句とも読めるし、悪意やルサンチマンの方向でも読める。二句目はすこし手がこんでいて、食べる前に踏切があるのではなくて、食べ終えてから踏切が増えていることに気づいている。踏切は常にあったのだが、それが状況によって増えていくのだ。「踏切」は意味や隠喩として読まれやすい言葉だが、「食べおえて」との関係性で安直な意味に陥っていない。「あなた」「わたし」という人称代名詞が使われているところに、うっすら短歌的な匂いがする。
殴られた地球最後のつけまつげ
殴られたのは地球なのか、つけまつげなのか。あるいは両方なのか。地球がつけまつげをしているような変なイメージも思い浮かんで、おもしろい句だ。
階段になれたら虹をこぼれたい 平岡直子
サルビヤ登る 天の階段 から こぼれ 細田洋二
どちらも不思議な句だが、細田洋二が二つの文脈を混交させて詩的なイメージを生み出しているのに対して、平岡の方は「私」または作中主体の意志や願望をあらわしている。「虹」と「サルビヤ」のイメージも異なる。
平岡直子の句集については、今後いろいろ語られることと思うが、紀伊國屋国分寺店で開催された「こんなにもこもこ現代川柳」フェアにフリーペーパーとして我妻俊樹の『眩しすぎる星を減らしてくれ』にも触れておこう。これは川柳作品100句が収録された冊子である。
沿線のところどころにある気絶 我妻俊樹
足音を市民と虎に分けている
いいんだよ十二時ばかり知らせても
おにいさん絶滅前に光るろうか
佐伯紺はネットプリント「Ink」vol.2(7月1日発行)で川柳を発表している。
花びらにまぎれて強くなり方を 佐伯紺
仕上げてもいいよ五月の霜柱
かき揚げのアイデンティティ・クライシス
試供品で暮らして家が旅になる
目には目の歯にははるかなパンまつり
橋爪志保のネットプリント「千柳」vol.1から。
天使にはFのコードと寝煙草を 橋爪志保
かわいそう鳥の翼の列島は
「嫌なこと次々と思い出しマーチ」
7月2日に青森の「おかじょうき川柳社」の主催で「川柳ステーション2022」が開催された。句会は「祭」の題で、なかはられいこ、二村典子、瀧村小奈生が選をしている。すでにおかじょうきのホームページなどで入選句が発表されているので、何句か紹介しておく。
こんにゃくを担ぐよ貧血のぼくら 中山奈々
長靴が東映まんがまつり型 西沢葉火
ニンニクの芽が出て祭.com 笹田かなえ
「つらいのはきみだけじゃない」を流鏑馬 はちご仔拾
シャーマンはタナカさん似で憑依中 四ツ谷いずみ
彦坂美喜子は「井泉」104号の「評論の世界を拓く若い歌人たち」でこんなふうに書いている。「作品は批評にさらされ、論じられなくては、意味がない。特に若い世代の作品を論じる若い批評家が必要である。最近、短歌総合誌などに若い歌人の座談会や、評論などを読む機会が増え、教えられることが多々ある」 若い世代の作品を先行世代が論じたり評価したりすることがあってもいいと思うが、若い世代の感性は若い世代でないとわからない部分もあり、現代川柳においても新たにあらわれてきている表現を同時代の感性で論じてゆくことが必要になってくることと思う。
この流れのなかで、川柳の読者にとどまらず、現代川柳の実作を発表する作者が増えてきている。平岡直子句集『Ladies and』(左右社)はその良質の成果である。
私は平岡の川柳句集を「歌人が書いた川柳」というような捉え方をしておらず、本格的な川柳句集だと思っているのだが、ここでは歌人が表現手段のひとつとして川柳を選んでいる潮流のなかで取り上げておく。
私が平岡直子の川柳をはじめて読んだのは『SH』(2015年5月)に掲載された20句だった。『Ladies and』では「12人」の章に収録されている。平岡の川柳歴が7年というのはこの時から数えてのことだろう。私は「12人」の章では「金色に泣かないで知らない女の子」という句が好きなのだが、なかはられいこがすでに句集の栞で取り上げているので、ここでは他の何句かを引用しておく。
一年とはロックスターが12人 平岡直子
一年12か月を12人のロックスターに置き換えている。具体名は挙げられていないので、読者は一月から十二月までお好みのシンガーの名を当てはめてみるのも一興だろう。「~とは」という題を呈示しておいて、それに想定外のものを取り合わせるのは川柳の基本形である。
右胸のあなたが放火したあたり
食べおえてわたしに踏切が増える
一句目は恋句とも読めるし、悪意やルサンチマンの方向でも読める。二句目はすこし手がこんでいて、食べる前に踏切があるのではなくて、食べ終えてから踏切が増えていることに気づいている。踏切は常にあったのだが、それが状況によって増えていくのだ。「踏切」は意味や隠喩として読まれやすい言葉だが、「食べおえて」との関係性で安直な意味に陥っていない。「あなた」「わたし」という人称代名詞が使われているところに、うっすら短歌的な匂いがする。
殴られた地球最後のつけまつげ
殴られたのは地球なのか、つけまつげなのか。あるいは両方なのか。地球がつけまつげをしているような変なイメージも思い浮かんで、おもしろい句だ。
階段になれたら虹をこぼれたい 平岡直子
サルビヤ登る 天の階段 から こぼれ 細田洋二
どちらも不思議な句だが、細田洋二が二つの文脈を混交させて詩的なイメージを生み出しているのに対して、平岡の方は「私」または作中主体の意志や願望をあらわしている。「虹」と「サルビヤ」のイメージも異なる。
平岡直子の句集については、今後いろいろ語られることと思うが、紀伊國屋国分寺店で開催された「こんなにもこもこ現代川柳」フェアにフリーペーパーとして我妻俊樹の『眩しすぎる星を減らしてくれ』にも触れておこう。これは川柳作品100句が収録された冊子である。
沿線のところどころにある気絶 我妻俊樹
足音を市民と虎に分けている
いいんだよ十二時ばかり知らせても
おにいさん絶滅前に光るろうか
佐伯紺はネットプリント「Ink」vol.2(7月1日発行)で川柳を発表している。
花びらにまぎれて強くなり方を 佐伯紺
仕上げてもいいよ五月の霜柱
かき揚げのアイデンティティ・クライシス
試供品で暮らして家が旅になる
目には目の歯にははるかなパンまつり
橋爪志保のネットプリント「千柳」vol.1から。
天使にはFのコードと寝煙草を 橋爪志保
かわいそう鳥の翼の列島は
「嫌なこと次々と思い出しマーチ」
7月2日に青森の「おかじょうき川柳社」の主催で「川柳ステーション2022」が開催された。句会は「祭」の題で、なかはられいこ、二村典子、瀧村小奈生が選をしている。すでにおかじょうきのホームページなどで入選句が発表されているので、何句か紹介しておく。
こんにゃくを担ぐよ貧血のぼくら 中山奈々
長靴が東映まんがまつり型 西沢葉火
ニンニクの芽が出て祭.com 笹田かなえ
「つらいのはきみだけじゃない」を流鏑馬 はちご仔拾
シャーマンはタナカさん似で憑依中 四ツ谷いずみ
彦坂美喜子は「井泉」104号の「評論の世界を拓く若い歌人たち」でこんなふうに書いている。「作品は批評にさらされ、論じられなくては、意味がない。特に若い世代の作品を論じる若い批評家が必要である。最近、短歌総合誌などに若い歌人の座談会や、評論などを読む機会が増え、教えられることが多々ある」 若い世代の作品を先行世代が論じたり評価したりすることがあってもいいと思うが、若い世代の感性は若い世代でないとわからない部分もあり、現代川柳においても新たにあらわれてきている表現を同時代の感性で論じてゆくことが必要になってくることと思う。
2022年7月9日土曜日
滋野さちと兵頭全郎―「現実」と「拡張現実」―
第12回高田寄生木賞は千春の「川柳とパートナーと私」が受賞した。この賞は野沢省悟の編集発行している「触光」が募集しているもので、当初は川柳作品が対象だったが、第7回から「川柳に関する論文・エッセイ」を募集するようになった。千春のエッセイは川合大祐句集『スロー・リバー』や千春自身の『てとてと』出版の経緯を述べたものである。選考は野沢自身が行っているが、傾向としては評論よりもエッセイに重心が置かれているようだ。千春の文章は「触光」74号に掲載されているので、そちらをお読みいただきたい。私もこの賞に二度応募したことがあり、今回は第8回(2018)のときに書いたものを再録しておきたい。少し以前の文章なので若干古くなっている部分があるが、基本的な問題意識はいまも変わっていない。
滋野さちと兵頭全郎―「現実」と「拡張現実」―
時代の変化が激しい。
グローバル化、金融資本主義、ネオリベなどによって格差や紛争が世界規模で広がっている。現実の急激な変化についてゆくことはむつかしい。また、インターネットやSNSの普及によって、従来の書物を中心とした教養体系が崩壊し、サブカルチャーだと思っていたコミックやアニメはいまや若者の常識となっていて、コミックやゲームの話についてゆくことが困難になった。
それではデジタルや仮想現実の世界だけが優位なのかというと、一方で現実回帰も進んでいる。たとえば、CDではなくてLPレコードが静かなブームになっているという。ジャケットを含め「情報」ではなくて「物」としての所有感を得ることができるからだそうだ。アイドルも以前のようなテレビやレコードで遠くから眺め憧れている存在ではなくて、ライブアイドルは握手したり実際に触れあったりすることができる存在になっている。虚構ではなくて現実の時代がやってきたのである。
文学は現実から独立した虚構の世界を構築するものだと私は思っていた。川柳が文学であるならば、川柳においても作者や環境から自立したテクストとして作品を作り、読むべきである。これがテクスト論の立場である。けれども、現実は虚構を超えて予想できないスピードで進んでいる。いま世界の各地で戦争や飢餓や病気によってたくさんの人が死んでいる。日本に住んでいるとそのような現実を直接目にする機会はない。けれども、インターネットやSNSからは悲惨な現実の映像が流れ込んでくる。ネットやSNSは現実から逃避する働きをすることもあるが、拡大された現実と向き合うツールでもある。現実は目に見えるものだけではなく、その上にバーチャルな情報を重ねることによって拡大される。このような現実を「拡張現実」と呼ぶ。
このような時代に川柳は現実と虚構をどうとらえ直すべきだろうか。本稿では滋野さちと兵頭全郎という二人の対極的な川柳人の作品を取り上げて考えてみたい。この二人に何の関係があるのかと思われる向きもあるだろう。けれども、この二人の対極的な表現者の作品を通して現代川柳の最先端の課題をさぐろうというのが本稿のテーマである。
ソマリアのだあれも座れない食卓 滋野さち
「杜人」創刊七十周年記念大会(2017年11月)での作品である。兼題「席」、選者は高橋かづき。
ソマリアは日本からは遠い国で、内戦とか海賊とか断片的な情報は入ってくるものの、この国の現実に向かいあう機会はほとんどない。けれども、滋野は川柳のかたちでソマリアの現実と向き合った。焦点は食卓にしぼられている。食卓に家族や人々が集まって食事をする。それは人間として生きる基本的に必要な情景である。まず食事ができるということが生存の出発点なのだ。けれども、ここでは食卓に誰も座れない。不在なのである。戦争や飢えや社会の混乱がその背後に提示され、「だあれもいない」という不在が強調される。
ソマリアに実際に行って現実を見ることはむつかしい。だから、川柳人は想像力をはたらかせて現実をとらえようとする。日本のテレビでは放映されなくても、海外のメディアやSNSなどによって、現代ではいろいろな映像を見ようとすれば見ることができるだろう。新聞の見出し程度のことばで残酷な現実をとらえようと思えれば、安易で薄っぺらな表現になってしまう。滋野さちはそのような陥穽におちいることなく、時事的なテーマを書くことのできる数少ない川柳人である。
滋野さち句集『オオバコの花』(2015年5月、東奥文芸叢書)から彼女の作品を抜き出してみよう。
川 流れる意味を探している 滋野さち
米を研ぐ昨日も今日も模範囚
落人の家系どこまで不服従
十本の指を何回生きるのか
相討ちの顔で朝食食っている
杉はドーンと倒れ私のものになる
滋野は川に託して流れる意味、人生の意味を問うている。米を研ぐ毎日を「模範囚」ととらえる感覚は、毎日の生活に対する違和感から生じるのであり、「不服従」の感覚をどこかで抱えていることになる。
日常の中に生きながら、日常を超える生の意味を問う、それが滋野の「私性」である。現実に埋没するのではなく、現実を見据え、現実を超える視線が社会や世界に向けられるとき、滋野の批評性が発揮されることになる。
雨だれの音が揃うと共謀罪 滋野さち
親知らず抜くと国家が生えてくる
戦争は卵胎生ときどきアルビノ
ペットです軍用犬に向きません
自分史が有害図書の棚にある
ステルスが来るってよゲンパツ飛び越えて
時事句は「消える川柳」と呼ばれることが多い。詠まれた時点ではインパクトがあるが、時間の経過とともに古くなり、忘れられてゆく。射程距離のきわめて短い作品になってしまうのだ。時事を詠みながら、普遍性をもつ作品を書くのは至難の業だといえる。
滋野の時事句が普遍性をもつのは、それが作者の「私性」とわかちがたく結びついているからだろう。第三者的な視点ではなく、滋野は「私」の視点から出発する。
着地するたび夢精するオスプレイ 滋野さち
この句が発表されたとき、私は秀句として注目した。人によっては「オスプレイ」の「オス」を「メス」に引っ掛けた言葉遊びと捉えて否定的に見る向きもあるかもしれない。けれども、私はそういうふうには受け取らなかった。一見するとオスプレイという凌辱する側の視点から書かれているように見えるが、この句は凌辱される側から書かれているのだ。受身形で書くとインパクトが弱くなるので能動形で書かれているが、決してオスプレイの側に立った句ではない。冷徹に詠むことによって基地の不条理さが際立つところに政治性と文学性を両立させる滋野の到達点がある。
このような滋野さちの川柳とは対極的な作品を書いているのが兵頭全郎である。
たぶん彼女はスパイだけれどプードル 兵頭全郎
「川柳スパイラル」創刊号(2017年11月)掲載の作品で、〈『悲しみのスパイ』小林麻美MVより〉というタイトルの十句のうちの一句である。 小林麻美は「雨音はショパンの調べ」などの曲で知られ、70年代から80年代にかけて活躍したアイドルである。全郎の句は彼女のミュージック・ビデオから連想して作った句になる。この句の作中主体である「彼女」は現実の彼女ではなく、「映像としての彼女」、「アイドルとしての彼女」である。だから、彼女がスパイであると同時にプードルであることに何の不思議もないのだ。
現実から出発するのではなくて映像などから触発されて作品を書くのは全郎のひとつの特徴である。全郎句集『n≠0 PROTOTYPE』(2016年3月、私家本工房)から何句か抜き出してみよう。
どうせ煮られるなら視聴者参加型 兵頭全郎
付箋を貼ると雲は雲でない
地球のない時代の青のインク壺
へとへとの蝶へとへとの蕾踏む
おはようございます ※個人の感想です
一句目、テレビなどの映像の世界を「視聴者参加型」と言っている。受動的に映像を見るのではなく、こちらからも参加しようというのだが、それはどっちみち煮られてしまうというペシミスティックな認識があるからだ。二句目、「雲」は「雲」であるはずなのに、付箋を貼ると別のものに変容するという。ここでは実体と名前が乖離している。三句目は「地球のない時代」に飛躍している。そんな時代にインク壺があるはずがないのだが、これは言葉のなかでだけ成立する世界である。四句目はナンセンスのようだが、「いろはにほへと」の「へと」を使った句であって、作句の出発点が現実ではなく言葉である。五句目はテレビ・ショッピングなどでよく聞くフレーズだが、「おはようございます」という挨拶さえ個人の感想に解消されてしまっている。
全郎の作品においては世界を批評する根拠である「私」というようなものはすでに解体・消失しており、むしろ「私性」というフィルターを通さないことによってとらえがたい現実の一端を切りとることに成功しているように見える。
現実を現実のままとらえる従来の方法ではすでに拡張された現実をとらえきることはできない。現実と虚構との関係は常に問われなければならないし、虚構を書けばそれですむというものでもない。変転する世界を川柳はどのように書くのかを考えるときに、滋野さちと兵頭全郎を統一的にながめる視線のなかに現代川柳の可能性があるのではないだろうか。
滋野さちと兵頭全郎―「現実」と「拡張現実」―
時代の変化が激しい。
グローバル化、金融資本主義、ネオリベなどによって格差や紛争が世界規模で広がっている。現実の急激な変化についてゆくことはむつかしい。また、インターネットやSNSの普及によって、従来の書物を中心とした教養体系が崩壊し、サブカルチャーだと思っていたコミックやアニメはいまや若者の常識となっていて、コミックやゲームの話についてゆくことが困難になった。
それではデジタルや仮想現実の世界だけが優位なのかというと、一方で現実回帰も進んでいる。たとえば、CDではなくてLPレコードが静かなブームになっているという。ジャケットを含め「情報」ではなくて「物」としての所有感を得ることができるからだそうだ。アイドルも以前のようなテレビやレコードで遠くから眺め憧れている存在ではなくて、ライブアイドルは握手したり実際に触れあったりすることができる存在になっている。虚構ではなくて現実の時代がやってきたのである。
文学は現実から独立した虚構の世界を構築するものだと私は思っていた。川柳が文学であるならば、川柳においても作者や環境から自立したテクストとして作品を作り、読むべきである。これがテクスト論の立場である。けれども、現実は虚構を超えて予想できないスピードで進んでいる。いま世界の各地で戦争や飢餓や病気によってたくさんの人が死んでいる。日本に住んでいるとそのような現実を直接目にする機会はない。けれども、インターネットやSNSからは悲惨な現実の映像が流れ込んでくる。ネットやSNSは現実から逃避する働きをすることもあるが、拡大された現実と向き合うツールでもある。現実は目に見えるものだけではなく、その上にバーチャルな情報を重ねることによって拡大される。このような現実を「拡張現実」と呼ぶ。
このような時代に川柳は現実と虚構をどうとらえ直すべきだろうか。本稿では滋野さちと兵頭全郎という二人の対極的な川柳人の作品を取り上げて考えてみたい。この二人に何の関係があるのかと思われる向きもあるだろう。けれども、この二人の対極的な表現者の作品を通して現代川柳の最先端の課題をさぐろうというのが本稿のテーマである。
ソマリアのだあれも座れない食卓 滋野さち
「杜人」創刊七十周年記念大会(2017年11月)での作品である。兼題「席」、選者は高橋かづき。
ソマリアは日本からは遠い国で、内戦とか海賊とか断片的な情報は入ってくるものの、この国の現実に向かいあう機会はほとんどない。けれども、滋野は川柳のかたちでソマリアの現実と向き合った。焦点は食卓にしぼられている。食卓に家族や人々が集まって食事をする。それは人間として生きる基本的に必要な情景である。まず食事ができるということが生存の出発点なのだ。けれども、ここでは食卓に誰も座れない。不在なのである。戦争や飢えや社会の混乱がその背後に提示され、「だあれもいない」という不在が強調される。
ソマリアに実際に行って現実を見ることはむつかしい。だから、川柳人は想像力をはたらかせて現実をとらえようとする。日本のテレビでは放映されなくても、海外のメディアやSNSなどによって、現代ではいろいろな映像を見ようとすれば見ることができるだろう。新聞の見出し程度のことばで残酷な現実をとらえようと思えれば、安易で薄っぺらな表現になってしまう。滋野さちはそのような陥穽におちいることなく、時事的なテーマを書くことのできる数少ない川柳人である。
滋野さち句集『オオバコの花』(2015年5月、東奥文芸叢書)から彼女の作品を抜き出してみよう。
川 流れる意味を探している 滋野さち
米を研ぐ昨日も今日も模範囚
落人の家系どこまで不服従
十本の指を何回生きるのか
相討ちの顔で朝食食っている
杉はドーンと倒れ私のものになる
滋野は川に託して流れる意味、人生の意味を問うている。米を研ぐ毎日を「模範囚」ととらえる感覚は、毎日の生活に対する違和感から生じるのであり、「不服従」の感覚をどこかで抱えていることになる。
日常の中に生きながら、日常を超える生の意味を問う、それが滋野の「私性」である。現実に埋没するのではなく、現実を見据え、現実を超える視線が社会や世界に向けられるとき、滋野の批評性が発揮されることになる。
雨だれの音が揃うと共謀罪 滋野さち
親知らず抜くと国家が生えてくる
戦争は卵胎生ときどきアルビノ
ペットです軍用犬に向きません
自分史が有害図書の棚にある
ステルスが来るってよゲンパツ飛び越えて
時事句は「消える川柳」と呼ばれることが多い。詠まれた時点ではインパクトがあるが、時間の経過とともに古くなり、忘れられてゆく。射程距離のきわめて短い作品になってしまうのだ。時事を詠みながら、普遍性をもつ作品を書くのは至難の業だといえる。
滋野の時事句が普遍性をもつのは、それが作者の「私性」とわかちがたく結びついているからだろう。第三者的な視点ではなく、滋野は「私」の視点から出発する。
着地するたび夢精するオスプレイ 滋野さち
この句が発表されたとき、私は秀句として注目した。人によっては「オスプレイ」の「オス」を「メス」に引っ掛けた言葉遊びと捉えて否定的に見る向きもあるかもしれない。けれども、私はそういうふうには受け取らなかった。一見するとオスプレイという凌辱する側の視点から書かれているように見えるが、この句は凌辱される側から書かれているのだ。受身形で書くとインパクトが弱くなるので能動形で書かれているが、決してオスプレイの側に立った句ではない。冷徹に詠むことによって基地の不条理さが際立つところに政治性と文学性を両立させる滋野の到達点がある。
このような滋野さちの川柳とは対極的な作品を書いているのが兵頭全郎である。
たぶん彼女はスパイだけれどプードル 兵頭全郎
「川柳スパイラル」創刊号(2017年11月)掲載の作品で、〈『悲しみのスパイ』小林麻美MVより〉というタイトルの十句のうちの一句である。 小林麻美は「雨音はショパンの調べ」などの曲で知られ、70年代から80年代にかけて活躍したアイドルである。全郎の句は彼女のミュージック・ビデオから連想して作った句になる。この句の作中主体である「彼女」は現実の彼女ではなく、「映像としての彼女」、「アイドルとしての彼女」である。だから、彼女がスパイであると同時にプードルであることに何の不思議もないのだ。
現実から出発するのではなくて映像などから触発されて作品を書くのは全郎のひとつの特徴である。全郎句集『n≠0 PROTOTYPE』(2016年3月、私家本工房)から何句か抜き出してみよう。
どうせ煮られるなら視聴者参加型 兵頭全郎
付箋を貼ると雲は雲でない
地球のない時代の青のインク壺
へとへとの蝶へとへとの蕾踏む
おはようございます ※個人の感想です
一句目、テレビなどの映像の世界を「視聴者参加型」と言っている。受動的に映像を見るのではなく、こちらからも参加しようというのだが、それはどっちみち煮られてしまうというペシミスティックな認識があるからだ。二句目、「雲」は「雲」であるはずなのに、付箋を貼ると別のものに変容するという。ここでは実体と名前が乖離している。三句目は「地球のない時代」に飛躍している。そんな時代にインク壺があるはずがないのだが、これは言葉のなかでだけ成立する世界である。四句目はナンセンスのようだが、「いろはにほへと」の「へと」を使った句であって、作句の出発点が現実ではなく言葉である。五句目はテレビ・ショッピングなどでよく聞くフレーズだが、「おはようございます」という挨拶さえ個人の感想に解消されてしまっている。
全郎の作品においては世界を批評する根拠である「私」というようなものはすでに解体・消失しており、むしろ「私性」というフィルターを通さないことによってとらえがたい現実の一端を切りとることに成功しているように見える。
現実を現実のままとらえる従来の方法ではすでに拡張された現実をとらえきることはできない。現実と虚構との関係は常に問われなければならないし、虚構を書けばそれですむというものでもない。変転する世界を川柳はどのように書くのかを考えるときに、滋野さちと兵頭全郎を統一的にながめる視線のなかに現代川柳の可能性があるのではないだろうか。
2022年7月1日金曜日
Z世代の川柳と短歌―暮田真名と初谷むい
暮田真名の『ふりょの星』と平岡直子の『Ladies and』が左右社から発行され、現代川柳の季節がやって来たという感じがする。これまでも先人たちの努力によって川柳は継承・発信されてきたのだが、従来の川柳界の枠を越えて現代川柳が盛り上がりを見せている。その直接的な転機となったのは2017年5月に中野サンプラザで開催されたイベント「瀬戸夏子は川柳を荒らすな」かもしれない。このときの句会で私ははじめて暮田真名に出合ったのだが、参加者の中には初谷むいもいた。
東京ははんこにどと会えないのかな 初谷むい
印鑑の自壊 眠れば十二月 暮田真名
兼題は「印」。小池正博と瀬戸夏子の共選で、上掲の二句は選者二人ともに選ばれている。暮田はこの少し前に現代川柳に関心をもったようだが、このイベントに参加したときのことを次のように書いている。
「そんな折、タイミング良く瀬戸夏子と小池正博の『川柳トーク 瀬戸夏子は川柳を荒らすな』が開催された。後半は瀬戸、小池に加え兵頭全郎、柳本々々という四名のパネリストが、各々の選んだ現代川柳の十句をもとに現代川柳の可能性を探るという内容だった。ここで川柳の鑑賞が扱われていたことは、川柳への抵抗を軽減させてくれた。特に柳本々々のスリリングな語りに惹きつけられたことを記憶している。また、このときミニ句会のために初めて川柳を作った。ビギナーズラックというべきか、その句が瀬戸、小池の両氏に抜かれ、調子に乗って句作を続けている」(「川柳人口を増やすには」、「杜人」263号、2019年9月)
その後の暮田真名の活躍はネットや雑誌などでよく知られている。暮田の句集『ふりょの星』はZ世代の川柳句集と言われているが、それでは暮田真名のどこが新しかったのだろうか。Z世代とは1990年代半ばから2000年代はじめにかけて生まれた世代をさすようで、ネットを駆使した情報収集・発信を得意とすると言われている。暮田は川柳をはじめてから二年後の2019年に句集『補遺』(私家版)をだしているし、ネットプリント「当たり」の発行、「こんとん句会」の参加者をネットで募るなど、従来の川柳人とは異質な発信の仕方をしている。それだけに句会を主戦場とする川柳人にはまだ十分認知されていないが、『ふりょの星』がベテランの川柳人たちによってどう評価されるかは、今後のことになるだろう。
今回はそういう発信の仕方についてではなくて、暮田の作品が従来の川柳と比べてどこが新しいのかを問うことにしたい。作品の新しさにもいろいろあって、川柳とは無関係の世界からいきなり川柳の世界に登場して作品を書き出すような表現者の新しさもあれば、川柳の遺産を知悉したうえで新しい作品領域を切り開いていくような表現者もある。ここではいささか恣意的ではあるが、暮田の作品と先行世代の川柳作品とを比べてみることにしたい。
ぎゅっと押しつけて大阪のかたち 久保田紺
県道のかたちになった犬がくる 暮田真名
「かたち」を詠んだ二句。久保田紺の「大阪のかたち」は具体的には表現されていないが、「大阪のかたち」からたとえば大阪寿司のイメージを思い浮かべることができる。暮田の「県道のかたち」は具体的な像を結ばないし、ましてその犬がどんな姿をしているのか分からない。言葉だけで成立しているナンセンスな世界なのだ。
多目的ホールを嫌う地霊なり 石田柊馬
本棚におさまるような歌手じゃない 暮田真名
この二句は発想が似ている。柊馬の句には強烈なメッセージ性があり、どんな目的にでもこだわりなく対応できるような存在に対する嫌悪感が顕わである。暮田の作品ではそのような自己主張は薄められている。
さびしくはないか味方に囲まれて 佐藤みさ子
恐ろしくないかヒトデを縦にして 暮田真名
発想ではなく文体が似ている。佐藤の作品には箴言に似た普遍性を感じるのだが、暮田の句からは感覚の独自性を感じる。本来ヒトデは横なのかどうかも定かではないが、それを縦にすることが楽しいか、それとも恐ろしいか。そんなことを考えた人は今までいなかっただろう。
都鳥男は京に長居せず 渡辺隆夫
京都ではくびのほきょうを忘れずに 暮田真名
暮田の作品にはめずらしく批評性を感じる句である。渡辺隆夫は句集『都鳥』で京都を諷刺対象にしたあと、さっさと関東に帰っていった。この場合は首の補強の方が嫌味の度合いはきついかもしれない。
恣意的に二句を並べてみただけなので確かなことは言えないのだが、暮田が先行する川柳作品を読み込んでいることが感じられる。「OD寿司」は石田柊馬の「もなか」連作と比較されるだろうが、その止めの句(最後の句)は次のようになっている。
山の向こうにやさしいもなかが待っている 石田柊馬
もし寿司と虹の彼方へ行けたなら 暮田真名
連作の最後をオプティムズムでしめくくりたいという気持ちはよくわかる。けれども、「虹の彼方」は暮田にしては甘すぎる。もし、この止めの句が柊馬の句のパロディであり、そこまで意識して詠まれているとすれば相当なものだ。
初谷むいの方に話を移そう。「瀬戸夏子は川柳を荒らすな」のあと、初谷は「川柳スパイラル」4号のゲスト作品に川柳10句を発表しているが、ここでは「ねむらない樹」6号に掲載された作品(川柳5句・短歌5首)のなかから二組紹介しておこう。
終末論うさぎに噛まれた跡がある
うさぎ屋さんがめっきり開店しなくなる 終末のうわさを信じてる
会いたくなるからおれは人には戻らない
変だよ 手紙も電話も手話も花火も会いたくなるからだめなんて変
初谷は川柳も書けるが、やはり歌人なのだなと思う。突き放した断言よりも「私性」の表現の方が彼女の本領なのだろう。掲出の二首は歌集『わたしの嫌いな桃源郷』では「終末概論」の章に収録されている。別の章にはこんな歌がある。
知らない町でパン屋を探すなきゃないでよかったけれどパン屋はあった 初谷むい
探しているパン屋はないならないでかまわない。けれども、あるならそれはちょっと嬉しいことだ。絶対的なものはすでになく、希望が実現することも特に期待されていない。桃源郷といえば陶淵明の「桃花源記」が有名で、李白の「桃李園」などが思い浮かぶ。文人たちは文芸の理想の場を求めたが、そのような場所は言葉の世界においても構築することがむずかしい。ユートピアとはどこにもない場所という意味だそうだ。
「川柳スパイラル」次号15号(7月25日発行予定)では暮田真名と平岡直子について特集する。『ふりょの星』句集評は我妻俊樹が執筆、一句鑑賞は柳本々々・榊原紘・笹川諒・湊圭伍・三田三郎・大塚凱・瀬戸夏子・中山奈々の8人が書いている。また、「川柳スパイラル」創刊5周年の集い(8月6日、東京・北とぴあ)では暮田と平岡の対談のほか、飯島章友・川合大祐・湊圭伍の座談会が予定されている。
東京ははんこにどと会えないのかな 初谷むい
印鑑の自壊 眠れば十二月 暮田真名
兼題は「印」。小池正博と瀬戸夏子の共選で、上掲の二句は選者二人ともに選ばれている。暮田はこの少し前に現代川柳に関心をもったようだが、このイベントに参加したときのことを次のように書いている。
「そんな折、タイミング良く瀬戸夏子と小池正博の『川柳トーク 瀬戸夏子は川柳を荒らすな』が開催された。後半は瀬戸、小池に加え兵頭全郎、柳本々々という四名のパネリストが、各々の選んだ現代川柳の十句をもとに現代川柳の可能性を探るという内容だった。ここで川柳の鑑賞が扱われていたことは、川柳への抵抗を軽減させてくれた。特に柳本々々のスリリングな語りに惹きつけられたことを記憶している。また、このときミニ句会のために初めて川柳を作った。ビギナーズラックというべきか、その句が瀬戸、小池の両氏に抜かれ、調子に乗って句作を続けている」(「川柳人口を増やすには」、「杜人」263号、2019年9月)
その後の暮田真名の活躍はネットや雑誌などでよく知られている。暮田の句集『ふりょの星』はZ世代の川柳句集と言われているが、それでは暮田真名のどこが新しかったのだろうか。Z世代とは1990年代半ばから2000年代はじめにかけて生まれた世代をさすようで、ネットを駆使した情報収集・発信を得意とすると言われている。暮田は川柳をはじめてから二年後の2019年に句集『補遺』(私家版)をだしているし、ネットプリント「当たり」の発行、「こんとん句会」の参加者をネットで募るなど、従来の川柳人とは異質な発信の仕方をしている。それだけに句会を主戦場とする川柳人にはまだ十分認知されていないが、『ふりょの星』がベテランの川柳人たちによってどう評価されるかは、今後のことになるだろう。
今回はそういう発信の仕方についてではなくて、暮田の作品が従来の川柳と比べてどこが新しいのかを問うことにしたい。作品の新しさにもいろいろあって、川柳とは無関係の世界からいきなり川柳の世界に登場して作品を書き出すような表現者の新しさもあれば、川柳の遺産を知悉したうえで新しい作品領域を切り開いていくような表現者もある。ここではいささか恣意的ではあるが、暮田の作品と先行世代の川柳作品とを比べてみることにしたい。
ぎゅっと押しつけて大阪のかたち 久保田紺
県道のかたちになった犬がくる 暮田真名
「かたち」を詠んだ二句。久保田紺の「大阪のかたち」は具体的には表現されていないが、「大阪のかたち」からたとえば大阪寿司のイメージを思い浮かべることができる。暮田の「県道のかたち」は具体的な像を結ばないし、ましてその犬がどんな姿をしているのか分からない。言葉だけで成立しているナンセンスな世界なのだ。
多目的ホールを嫌う地霊なり 石田柊馬
本棚におさまるような歌手じゃない 暮田真名
この二句は発想が似ている。柊馬の句には強烈なメッセージ性があり、どんな目的にでもこだわりなく対応できるような存在に対する嫌悪感が顕わである。暮田の作品ではそのような自己主張は薄められている。
さびしくはないか味方に囲まれて 佐藤みさ子
恐ろしくないかヒトデを縦にして 暮田真名
発想ではなく文体が似ている。佐藤の作品には箴言に似た普遍性を感じるのだが、暮田の句からは感覚の独自性を感じる。本来ヒトデは横なのかどうかも定かではないが、それを縦にすることが楽しいか、それとも恐ろしいか。そんなことを考えた人は今までいなかっただろう。
都鳥男は京に長居せず 渡辺隆夫
京都ではくびのほきょうを忘れずに 暮田真名
暮田の作品にはめずらしく批評性を感じる句である。渡辺隆夫は句集『都鳥』で京都を諷刺対象にしたあと、さっさと関東に帰っていった。この場合は首の補強の方が嫌味の度合いはきついかもしれない。
恣意的に二句を並べてみただけなので確かなことは言えないのだが、暮田が先行する川柳作品を読み込んでいることが感じられる。「OD寿司」は石田柊馬の「もなか」連作と比較されるだろうが、その止めの句(最後の句)は次のようになっている。
山の向こうにやさしいもなかが待っている 石田柊馬
もし寿司と虹の彼方へ行けたなら 暮田真名
連作の最後をオプティムズムでしめくくりたいという気持ちはよくわかる。けれども、「虹の彼方」は暮田にしては甘すぎる。もし、この止めの句が柊馬の句のパロディであり、そこまで意識して詠まれているとすれば相当なものだ。
初谷むいの方に話を移そう。「瀬戸夏子は川柳を荒らすな」のあと、初谷は「川柳スパイラル」4号のゲスト作品に川柳10句を発表しているが、ここでは「ねむらない樹」6号に掲載された作品(川柳5句・短歌5首)のなかから二組紹介しておこう。
終末論うさぎに噛まれた跡がある
うさぎ屋さんがめっきり開店しなくなる 終末のうわさを信じてる
会いたくなるからおれは人には戻らない
変だよ 手紙も電話も手話も花火も会いたくなるからだめなんて変
初谷は川柳も書けるが、やはり歌人なのだなと思う。突き放した断言よりも「私性」の表現の方が彼女の本領なのだろう。掲出の二首は歌集『わたしの嫌いな桃源郷』では「終末概論」の章に収録されている。別の章にはこんな歌がある。
知らない町でパン屋を探すなきゃないでよかったけれどパン屋はあった 初谷むい
探しているパン屋はないならないでかまわない。けれども、あるならそれはちょっと嬉しいことだ。絶対的なものはすでになく、希望が実現することも特に期待されていない。桃源郷といえば陶淵明の「桃花源記」が有名で、李白の「桃李園」などが思い浮かぶ。文人たちは文芸の理想の場を求めたが、そのような場所は言葉の世界においても構築することがむずかしい。ユートピアとはどこにもない場所という意味だそうだ。
「川柳スパイラル」次号15号(7月25日発行予定)では暮田真名と平岡直子について特集する。『ふりょの星』句集評は我妻俊樹が執筆、一句鑑賞は柳本々々・榊原紘・笹川諒・湊圭伍・三田三郎・大塚凱・瀬戸夏子・中山奈々の8人が書いている。また、「川柳スパイラル」創刊5周年の集い(8月6日、東京・北とぴあ)では暮田と平岡の対談のほか、飯島章友・川合大祐・湊圭伍の座談会が予定されている。
2022年6月17日金曜日
初谷むい『わたしの嫌いな桃源郷』のことなど
初谷むいの第二歌集『わたしの嫌いな桃源郷』(書肆侃侃房)が5月に刊行された。初谷のことを最初に意識したのはツイッター名の「む犬」が記憶に残ったからだったか、それとも短歌の友人から若手歌人では初谷むいが面白いと聞いたからだっただろうか。2017年の「瀬戸夏子は川柳を荒らすな」にも彼女は来ていたはずだし、「川柳スパイラル」も毎号送っている。第一歌集の『花は泡、そこにいたって会いたいよ』は話題をあつめ、収録されている短歌はいろいろなかたちで引用された。
今度の歌集のタイトル『わたしの嫌いな桃源郷』とはずいぶん反語的である。帯の「不完全なぼくらの、完全な世界へのわるぐち」というキャッチ・コピーも二律背反的だ。巻頭には次の歌が掲載されている。
それはたとえば、百年育てて咲く花を信じられるかみたいな話?
百年育てれば咲く花というものがあるのか、ないのか。ペシミスティックなこの世界でそのような花の存在を信じるのは、すでに自分がいなくなった世界に希望が持てるかどうかという「信」のレベルの話になる。「それはたとえば」と言っているから、この歌の前に省略されているものがある。また、最後に疑問符がついていて、相手に対する問いかけになっている。意識されているのは相手との関係性なのだろう。
だから世界を愛しているよ 花器として余談の日々をうつくしくゆく
この世界に出口などないたそがれがみえるあたしは変わらずここにいる
生きづらい世界がこのようなものとしてとらえられている。出口のない世界と変わらない「私」。けれども、「私」は世界を愛しているし、美しいものと思おうとしている。花を飾るのは現実が酷薄であるからだ。
ぼくたちは海を見ながら飽きていく貝を拾ってすべてを捨てて
海を見ながらの感想。相手との関係性はやがて飽きられ、貝殻のように拾ったり捨てたりする。やがて終わるものであるからこそ、いまは完全でありたいのだ。 この歌集には「わたし」「ぼく」「あなた」「きみ」などの人称代名詞が頻出する。良くも悪くも短歌なのだなあと思う。他者との関係性は恋愛の場面に典型的にあらわれるから、恋歌が多くなるのは当然なのだろう。ゲーテの『若きウェルテルの悩み』でシャルロッテはウェルテルにとって世界そのものが凝縮したような存在であって、失恋は世界との断絶を意味してしまう。人間関係は行きづまると息苦しいので、すこし別の題材に目を転じたくなる。初谷の第一歌集で私が気に入っているのは「全自動わんこ」だが、第二歌集では「二次元の女の子」が登場する。
よろしくねあたし二次元の女の子おなかは空かないけどここにいる
あたし二次元の女の子この世界に生まれたきもちくらいわかるよ
短歌の話題を続けよう。
内山晶太・染野太朗・花山周子・平岡直子の四人による同人誌「外出」は評価が高いが、すでに7号まで発行されている。今号では花山周子が63首発表しているのが注目される。
くちびるは煙草の灰を量産しなお燃え残る唯一のもの 内山晶太
はなびらのほうから触れにくる時期は遠さがふいに親しさを増す
赤ちゃんは自分のサイズがわからずにスマホのなかへ送られてくる 平岡直子
勝手に泡が出てくる勝手に泡が出てくるこれ鬱なのかなあ
怒りとは自己憐憫なりあじさいの若葉が指にざらついている 染野太朗
切る人の独占欲の表れだそうだよ髪を切られる夢は
新しくしたカーテンが生活になじむ速度が鬱だと思う 花山周子
机の下に乾電池拾うこのなかに電気は残っているのだろうか
紀野恵編集の「七曜」204号。紀野の歌集『遣唐使のものがたり』については以前紹介したが、本誌では白居易の漢詩からインスピレーションを得た二次創作「楽天生活」が連載されている。
暮讀一巻書 會意如嘉話 ゆふべ読むふみ こころにひびく
しろねこも世かいをおもふぼくだつて生きていくこと大切なんだ 紀野恵
藤原龍一郎『寺山修司の百首』(ふらんす堂)が発行された。藤原の『赤尾兜子の百句』をこのコーナーで取り上げたことがあるが、今回は寺山修司の短歌である。寺山については改めて説明する必要もないだろうが、藤原は解説で次のように書いている。
「かつて寺山修司はサブカルチャー・シーンのスーパースターであった。いや、サブカルチャーというより、正確にはカウンター・カルチャー・シーンといった方がよいだろう。寺山修司の表現行為は、すべてのジャンルのメインストリームに対する明確で意志的なカウンターであった」
よく知られている歌ばかりだが、何首か引用しておきたい。
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや
わが撃ちし鳥は拾わで帰るなりもはや飛ばざるものは妬まぬ
間引かれしゆゑに一生欠席する学校地獄のおとうとの椅子
かくれんぼの鬼とかれざるまま老いて誰をさがしにくる村祭
「マッチ擦る」について藤原は「この一首は極めつけのカッコよさだ。日活アクション映画の石原裕次郎や小林旭を連想しても差し支えない。寺山修司は通俗性もやさしく包み込んでいるのだから」と書いている。藤原の解説も本書の魅力である。ちなみに寺山は川柳界では「川柳は便所の落書きになれ」という発言で有名。
私は「写生」という方法には興味がないから、アララギ派の短歌は無縁だと思っていた。けれども藤沢周平の『白埴の瓶』という長塚節を主人公とする小説を読んで、アララギの短歌に少し触れる機会があった。子規の没後に「馬酔木」そして「アララギ」を作ったのは伊藤左千夫と長塚節である。
牛飼いが歌よむ時に世のなかの新しき歌大いにおこる 伊藤左千夫
人の住む国辺を出でて白波が大地両分けしはてに来にけり
馬追虫の髭のそよろに来る秋はまなこを閉ぢて想ひ見るべし 長塚節
白埴の瓶こそよけれ霧ながら朝はつめたき水くみにけり
この程度の歌は私でも暗誦している。この二人を並べて論じているのが土屋文明である。文明の『短歌入門』のなかの「短歌小径」では子規・左千夫・節の三者の短歌を比較しながら、特に左千夫と節の変遷を克明にたどっている。左千夫の初期の作品に「森」の題詠がある。
かつしかや市川あたり松を多み松の林のなかに寺あり 伊藤左千夫
かつしかの田中にいくつ神の森の松を少み宮居さぶしも
森中のあやしき寺の笑ひ声夜の木霊にひびきて寂し
手許にある『伊藤左千夫歌集』ではこの三首のうち前の二首が収録されていて、三首目は掲載されていない。三首目は子規の写生概念からはみ出すのだろう。土屋文明は「写生」と「趣向」という言葉を用いている。三首目は趣向の強い歌ということになる。ところが、私は三首目の方がおもしろいように感じる。俳句では「景気」と「趣向」という言い方をする。私が蕪村を好きなのは、景気の句の背後に趣向が隠されているという二重性が楽しめるからである。
左千夫の歌集を読んでみて驚いたのは晩年の恋歌である。『野菊の墓』の作者だから純情な恋かと思っていたら、そうではない。一方の長塚節にも恋歌がある。アララギ派では断然、茂吉がおもしろいと思っていたが、先入観をはずせば、左千夫や節の作品もそれなりにおもしろい。あと、永井佑が「近代の短歌を完成させてその後のあらゆる変革を呑み込み、短歌の外側にいる人の頭に?マークを浮かばせる特有の磁場を作り上げた人、現在まで通用している短歌のOSを書いた人間、それがどうも土屋文明みたいなのだ。短歌の秘密のかぎは土屋文明が持っている」(「土屋文明『山下水』のこと」、「率」5号)と書いているのを読んでから土屋文明のことが気になっていたが、『短歌入門』を読むと、そういうこともあるかなとも思った。
今度の歌集のタイトル『わたしの嫌いな桃源郷』とはずいぶん反語的である。帯の「不完全なぼくらの、完全な世界へのわるぐち」というキャッチ・コピーも二律背反的だ。巻頭には次の歌が掲載されている。
それはたとえば、百年育てて咲く花を信じられるかみたいな話?
百年育てれば咲く花というものがあるのか、ないのか。ペシミスティックなこの世界でそのような花の存在を信じるのは、すでに自分がいなくなった世界に希望が持てるかどうかという「信」のレベルの話になる。「それはたとえば」と言っているから、この歌の前に省略されているものがある。また、最後に疑問符がついていて、相手に対する問いかけになっている。意識されているのは相手との関係性なのだろう。
だから世界を愛しているよ 花器として余談の日々をうつくしくゆく
この世界に出口などないたそがれがみえるあたしは変わらずここにいる
生きづらい世界がこのようなものとしてとらえられている。出口のない世界と変わらない「私」。けれども、「私」は世界を愛しているし、美しいものと思おうとしている。花を飾るのは現実が酷薄であるからだ。
ぼくたちは海を見ながら飽きていく貝を拾ってすべてを捨てて
海を見ながらの感想。相手との関係性はやがて飽きられ、貝殻のように拾ったり捨てたりする。やがて終わるものであるからこそ、いまは完全でありたいのだ。 この歌集には「わたし」「ぼく」「あなた」「きみ」などの人称代名詞が頻出する。良くも悪くも短歌なのだなあと思う。他者との関係性は恋愛の場面に典型的にあらわれるから、恋歌が多くなるのは当然なのだろう。ゲーテの『若きウェルテルの悩み』でシャルロッテはウェルテルにとって世界そのものが凝縮したような存在であって、失恋は世界との断絶を意味してしまう。人間関係は行きづまると息苦しいので、すこし別の題材に目を転じたくなる。初谷の第一歌集で私が気に入っているのは「全自動わんこ」だが、第二歌集では「二次元の女の子」が登場する。
よろしくねあたし二次元の女の子おなかは空かないけどここにいる
あたし二次元の女の子この世界に生まれたきもちくらいわかるよ
短歌の話題を続けよう。
内山晶太・染野太朗・花山周子・平岡直子の四人による同人誌「外出」は評価が高いが、すでに7号まで発行されている。今号では花山周子が63首発表しているのが注目される。
くちびるは煙草の灰を量産しなお燃え残る唯一のもの 内山晶太
はなびらのほうから触れにくる時期は遠さがふいに親しさを増す
赤ちゃんは自分のサイズがわからずにスマホのなかへ送られてくる 平岡直子
勝手に泡が出てくる勝手に泡が出てくるこれ鬱なのかなあ
怒りとは自己憐憫なりあじさいの若葉が指にざらついている 染野太朗
切る人の独占欲の表れだそうだよ髪を切られる夢は
新しくしたカーテンが生活になじむ速度が鬱だと思う 花山周子
机の下に乾電池拾うこのなかに電気は残っているのだろうか
紀野恵編集の「七曜」204号。紀野の歌集『遣唐使のものがたり』については以前紹介したが、本誌では白居易の漢詩からインスピレーションを得た二次創作「楽天生活」が連載されている。
暮讀一巻書 會意如嘉話 ゆふべ読むふみ こころにひびく
しろねこも世かいをおもふぼくだつて生きていくこと大切なんだ 紀野恵
藤原龍一郎『寺山修司の百首』(ふらんす堂)が発行された。藤原の『赤尾兜子の百句』をこのコーナーで取り上げたことがあるが、今回は寺山修司の短歌である。寺山については改めて説明する必要もないだろうが、藤原は解説で次のように書いている。
「かつて寺山修司はサブカルチャー・シーンのスーパースターであった。いや、サブカルチャーというより、正確にはカウンター・カルチャー・シーンといった方がよいだろう。寺山修司の表現行為は、すべてのジャンルのメインストリームに対する明確で意志的なカウンターであった」
よく知られている歌ばかりだが、何首か引用しておきたい。
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや
わが撃ちし鳥は拾わで帰るなりもはや飛ばざるものは妬まぬ
間引かれしゆゑに一生欠席する学校地獄のおとうとの椅子
かくれんぼの鬼とかれざるまま老いて誰をさがしにくる村祭
「マッチ擦る」について藤原は「この一首は極めつけのカッコよさだ。日活アクション映画の石原裕次郎や小林旭を連想しても差し支えない。寺山修司は通俗性もやさしく包み込んでいるのだから」と書いている。藤原の解説も本書の魅力である。ちなみに寺山は川柳界では「川柳は便所の落書きになれ」という発言で有名。
私は「写生」という方法には興味がないから、アララギ派の短歌は無縁だと思っていた。けれども藤沢周平の『白埴の瓶』という長塚節を主人公とする小説を読んで、アララギの短歌に少し触れる機会があった。子規の没後に「馬酔木」そして「アララギ」を作ったのは伊藤左千夫と長塚節である。
牛飼いが歌よむ時に世のなかの新しき歌大いにおこる 伊藤左千夫
人の住む国辺を出でて白波が大地両分けしはてに来にけり
馬追虫の髭のそよろに来る秋はまなこを閉ぢて想ひ見るべし 長塚節
白埴の瓶こそよけれ霧ながら朝はつめたき水くみにけり
この程度の歌は私でも暗誦している。この二人を並べて論じているのが土屋文明である。文明の『短歌入門』のなかの「短歌小径」では子規・左千夫・節の三者の短歌を比較しながら、特に左千夫と節の変遷を克明にたどっている。左千夫の初期の作品に「森」の題詠がある。
かつしかや市川あたり松を多み松の林のなかに寺あり 伊藤左千夫
かつしかの田中にいくつ神の森の松を少み宮居さぶしも
森中のあやしき寺の笑ひ声夜の木霊にひびきて寂し
手許にある『伊藤左千夫歌集』ではこの三首のうち前の二首が収録されていて、三首目は掲載されていない。三首目は子規の写生概念からはみ出すのだろう。土屋文明は「写生」と「趣向」という言葉を用いている。三首目は趣向の強い歌ということになる。ところが、私は三首目の方がおもしろいように感じる。俳句では「景気」と「趣向」という言い方をする。私が蕪村を好きなのは、景気の句の背後に趣向が隠されているという二重性が楽しめるからである。
左千夫の歌集を読んでみて驚いたのは晩年の恋歌である。『野菊の墓』の作者だから純情な恋かと思っていたら、そうではない。一方の長塚節にも恋歌がある。アララギ派では断然、茂吉がおもしろいと思っていたが、先入観をはずせば、左千夫や節の作品もそれなりにおもしろい。あと、永井佑が「近代の短歌を完成させてその後のあらゆる変革を呑み込み、短歌の外側にいる人の頭に?マークを浮かばせる特有の磁場を作り上げた人、現在まで通用している短歌のOSを書いた人間、それがどうも土屋文明みたいなのだ。短歌の秘密のかぎは土屋文明が持っている」(「土屋文明『山下水』のこと」、「率」5号)と書いているのを読んでから土屋文明のことが気になっていたが、『短歌入門』を読むと、そういうこともあるかなとも思った。
2022年6月3日金曜日
江田浩司歌集『メランコリック・エンブリオ』
江田浩司の第一歌集『メランコリック・エンブリオ』が現代短歌社から文庫版で発行された。本書は1996年、北冬社より刊行されたもので、そのときの栞(岡井隆・谷岡亜紀・藤原龍一郎)も収録され、文庫版解説(神山睦美)、江田浩司自筆略年譜、文庫版あとがきが付いている。歌集名のメランコリック・エンブリオは「憂鬱なる胎児」という意味で、次のような歌が詠まれている。
やさしさは海鳴りの時期 エンブリオ翼の生えたメランコリック 江田浩司
「時期」には「とき」というルビがふられている。「憂鬱な胎児」については後で触れるとして、私が江田の名を意識したのは山中千恵子論の書き手としてであった。あと、同人誌「ES」は19号から終刊の30号まで手元にあって、江田浩司、加藤英彦、谷村はるか、山田消児などの名前は読者の私にとって親しいものだった。 ちょうど、短歌の「私性」をめぐる議論を山田消児が展開していて、それは山田の『短歌が人を騙すとき』(彩流社)にまとめられている。この評論集に収録されている「『私』に関する三つの小感」で山田は現代川柳について触れている。山田が引用している川柳作品は次のような作品だ。
弟が銀の燭台狙いおる 石田柊馬
赤ん坊と視線が合わぬように産む 佐藤みさ子
月光に臥すいちまいの花かるた 石部明
町ふたつ越えて決闘しに行くの 広瀬ちえみ
あと、文中には『セレクション柳論』(邑書林)についても言及されている。のちに「現代川柳ヒストリア(川柳フリマ)」(2016年5月)のイベントを開いたときに山田をゲストに招いた。このときの対談「短歌の虚構・川柳の虚構」は「川柳カード」12号(2016年7月)に掲載されている。
また、江田は万来舎のウェブサイト「短歌の庫」に評論を掲載していて、第171回「小池正博句集『水牛の余波』を読んで思ったこと」では現代川柳について触れている(『緑の闇に拓く言葉』2013年、万来舎)。
「ES」26号(2013年11月)は「妖怪」という特集で私は「逗子物語」20句を寄稿している。
物の怪の棲む寺だから夢精する 小池正博
かの人はおのれの舌に火をのせて言葉の井戸を覗きこみたり 江田浩司
では本題の江田の歌集に戻ろう。第一歌集だけあって作者の初心や時代性が刻印されている。本書の歌は六部に分けられているが、その第一部から何首か引用してみよう。
憎しみの翼ひろげて打ち振れば少年の雨期しずかにめぐる
人生のオルガスムスに鰭を振る冷たき楕円浮かびくるなり
ちぐはぐな羽打ち振りて首一つキャベツ畑を越えてゆくなり
どのように傷つけたらば楽しからんわたしの中に眠るわたしを
さかしらに君の詩想をなめているわが舌にふる刺のあまさよ
われはまた観念の豚まろびつつ知の脱糞を拝みており
なんという詩型か俺の狂気さえ小間物店にならぶ言の葉
「憎しみの翼」は巻頭歌。憎しみの翼をもつ少年を詠んで、文学的出発を告げる歌になっている。二首目は自足した円的世界ではなくて、楕円を詠んでいることが注目される。中心がひとつである円に対して、焦点が二つある楕円の世界である。現実との異和をかかえる心性にとっては一元論的な円より二元論的な楕円のイメージがふさわしい。三首目の羽は現実を越えてゆくことへの希求だろう。永遠に守ろうとする日常的現実を永遠に越えてゆこうとするのだが、山崎方代の「そこだけが黄昏れていて一本の指が歩いてゆくではないか」が「一本の指」なのに対して、江田が「首一つ」と詠んでいるのは興味深い。歌集にには巻末エッセイ「他者の声」という文章が収録されていて、作者が他者と出会うことによって自己を意識化するに至った経緯が述べられている。それでめでたしめでたしならば話は簡単だが、自意識と他者との関係性は痛みを伴うもので、上掲の四首目から七首目までは内部の「私」に対する二律背反的な思いと短歌という詩形に対する自嘲がテーマとなっている。
巻末の自筆年譜によると、この作者の青春は70年代後半から80年代にかけてのようだが、歌集からその時代の雰囲気がうかがわれ、現在の青春の姿とはずいぶん違う。個人的にはATG(アート・シアター・ギルド)の映画や小川徹が編集していた「映画芸術」などを思い出す。
さて、歌集の第三部には「メランコリック・エンブリオ」の章があり、最初に紹介した歌のほかに次のような作品が詠まれている。
夜明は股を開き鏡を見てささやくくちびるの傷—雨が
パゾリーニの恋人にならん死を生みて少女は濡れるまで闇が好き
落ちる君の手 瞳の中の七つの鐘は七つの封印
無数の翼よポプラは郵便配達に三度詩を語る
わが内に卵の孵る所あり 昏きあけぼのを予言しており
映画のイメージが点在するし、セックスの欲望もベースに感じられる。「メランコリック・エンブリオ」(憂鬱なる胎児)というタイトルそのものがフロイトと結びつけて論じられやすいが、ここには母胎から苦に満ちた世界への誕生にうめくような作品の姿がある。生まれ出た幼児は自己中心性をもっているが、独我論や根源的な自己中心性を越えてゆくためには他者との出会いが必要となる。他者によって意識化された「私」は再び他者の視点によって「私」を相対化しなければならない。第二部にマヤコフスキー、ローザ・ルクセンブルク、ツェランなどの名が出てくるが、特に重要だと思われるのは俳諧との出会いだろう。第三部の「思考する卵」の章では俳句と短歌がセットで掲載されている。
父の髪を梳けば卵が転がりぬ
その先は測定不能らんらんと転がってゆくずぶ濡れ卵
混血の卵は北へ転がりぬ
自裁するコトバは無量の鏡かな泥にまみれて卵は笑う
思考の枠をメタメタメタと寒卵
ヘテロエッグに抒情をすこし擦り付けて国境線で酔っぱらってさ
江田は大学で村松知次に俳諧を学んでいる。村松友次は俳句・連句の世界では村松紅花として知られている。江田の歌集『逝きし者のやうに』には村松知次を追悼する歌が収められている。
紅花とふ俳号を虚子に賜りて風花のごとき俳句をなしぬ
『メランコリック・エンブリオ』には903首の短歌と33句の俳句が収録されていて、さまざまな読み方ができると思う。作者の原点、出発点が第一歌集としてきちんとまとめられているのはしあわせなことだ。歌集にはこんな歌もある。
ガス室に入る間際に犬を撫でほほえみているユダヤの子供
やさしさは海鳴りの時期 エンブリオ翼の生えたメランコリック 江田浩司
「時期」には「とき」というルビがふられている。「憂鬱な胎児」については後で触れるとして、私が江田の名を意識したのは山中千恵子論の書き手としてであった。あと、同人誌「ES」は19号から終刊の30号まで手元にあって、江田浩司、加藤英彦、谷村はるか、山田消児などの名前は読者の私にとって親しいものだった。 ちょうど、短歌の「私性」をめぐる議論を山田消児が展開していて、それは山田の『短歌が人を騙すとき』(彩流社)にまとめられている。この評論集に収録されている「『私』に関する三つの小感」で山田は現代川柳について触れている。山田が引用している川柳作品は次のような作品だ。
弟が銀の燭台狙いおる 石田柊馬
赤ん坊と視線が合わぬように産む 佐藤みさ子
月光に臥すいちまいの花かるた 石部明
町ふたつ越えて決闘しに行くの 広瀬ちえみ
あと、文中には『セレクション柳論』(邑書林)についても言及されている。のちに「現代川柳ヒストリア(川柳フリマ)」(2016年5月)のイベントを開いたときに山田をゲストに招いた。このときの対談「短歌の虚構・川柳の虚構」は「川柳カード」12号(2016年7月)に掲載されている。
また、江田は万来舎のウェブサイト「短歌の庫」に評論を掲載していて、第171回「小池正博句集『水牛の余波』を読んで思ったこと」では現代川柳について触れている(『緑の闇に拓く言葉』2013年、万来舎)。
「ES」26号(2013年11月)は「妖怪」という特集で私は「逗子物語」20句を寄稿している。
物の怪の棲む寺だから夢精する 小池正博
かの人はおのれの舌に火をのせて言葉の井戸を覗きこみたり 江田浩司
では本題の江田の歌集に戻ろう。第一歌集だけあって作者の初心や時代性が刻印されている。本書の歌は六部に分けられているが、その第一部から何首か引用してみよう。
憎しみの翼ひろげて打ち振れば少年の雨期しずかにめぐる
人生のオルガスムスに鰭を振る冷たき楕円浮かびくるなり
ちぐはぐな羽打ち振りて首一つキャベツ畑を越えてゆくなり
どのように傷つけたらば楽しからんわたしの中に眠るわたしを
さかしらに君の詩想をなめているわが舌にふる刺のあまさよ
われはまた観念の豚まろびつつ知の脱糞を拝みており
なんという詩型か俺の狂気さえ小間物店にならぶ言の葉
「憎しみの翼」は巻頭歌。憎しみの翼をもつ少年を詠んで、文学的出発を告げる歌になっている。二首目は自足した円的世界ではなくて、楕円を詠んでいることが注目される。中心がひとつである円に対して、焦点が二つある楕円の世界である。現実との異和をかかえる心性にとっては一元論的な円より二元論的な楕円のイメージがふさわしい。三首目の羽は現実を越えてゆくことへの希求だろう。永遠に守ろうとする日常的現実を永遠に越えてゆこうとするのだが、山崎方代の「そこだけが黄昏れていて一本の指が歩いてゆくではないか」が「一本の指」なのに対して、江田が「首一つ」と詠んでいるのは興味深い。歌集にには巻末エッセイ「他者の声」という文章が収録されていて、作者が他者と出会うことによって自己を意識化するに至った経緯が述べられている。それでめでたしめでたしならば話は簡単だが、自意識と他者との関係性は痛みを伴うもので、上掲の四首目から七首目までは内部の「私」に対する二律背反的な思いと短歌という詩形に対する自嘲がテーマとなっている。
巻末の自筆年譜によると、この作者の青春は70年代後半から80年代にかけてのようだが、歌集からその時代の雰囲気がうかがわれ、現在の青春の姿とはずいぶん違う。個人的にはATG(アート・シアター・ギルド)の映画や小川徹が編集していた「映画芸術」などを思い出す。
さて、歌集の第三部には「メランコリック・エンブリオ」の章があり、最初に紹介した歌のほかに次のような作品が詠まれている。
夜明は股を開き鏡を見てささやくくちびるの傷—雨が
パゾリーニの恋人にならん死を生みて少女は濡れるまで闇が好き
落ちる君の手 瞳の中の七つの鐘は七つの封印
無数の翼よポプラは郵便配達に三度詩を語る
わが内に卵の孵る所あり 昏きあけぼのを予言しており
映画のイメージが点在するし、セックスの欲望もベースに感じられる。「メランコリック・エンブリオ」(憂鬱なる胎児)というタイトルそのものがフロイトと結びつけて論じられやすいが、ここには母胎から苦に満ちた世界への誕生にうめくような作品の姿がある。生まれ出た幼児は自己中心性をもっているが、独我論や根源的な自己中心性を越えてゆくためには他者との出会いが必要となる。他者によって意識化された「私」は再び他者の視点によって「私」を相対化しなければならない。第二部にマヤコフスキー、ローザ・ルクセンブルク、ツェランなどの名が出てくるが、特に重要だと思われるのは俳諧との出会いだろう。第三部の「思考する卵」の章では俳句と短歌がセットで掲載されている。
父の髪を梳けば卵が転がりぬ
その先は測定不能らんらんと転がってゆくずぶ濡れ卵
混血の卵は北へ転がりぬ
自裁するコトバは無量の鏡かな泥にまみれて卵は笑う
思考の枠をメタメタメタと寒卵
ヘテロエッグに抒情をすこし擦り付けて国境線で酔っぱらってさ
江田は大学で村松知次に俳諧を学んでいる。村松友次は俳句・連句の世界では村松紅花として知られている。江田の歌集『逝きし者のやうに』には村松知次を追悼する歌が収められている。
紅花とふ俳号を虚子に賜りて風花のごとき俳句をなしぬ
『メランコリック・エンブリオ』には903首の短歌と33句の俳句が収録されていて、さまざまな読み方ができると思う。作者の原点、出発点が第一歌集としてきちんとまとめられているのはしあわせなことだ。歌集にはこんな歌もある。
ガス室に入る間際に犬を撫でほほえみているユダヤの子供
2022年5月13日金曜日
紀野恵歌集『遣唐使のものがたり』
紀野恵の歌集『遣唐使のものがたり』(砂子屋書房)が上梓された。天平時代の遣唐使のことを素材にして一巻を編んでいる。歴史と文学が好きな者にとっては興味深い試みだ。
発端の最初の歌。
なつかしき曾祖母触りし文箱より崩れさうなる紙の束出づ
祖先から伝わる物語の記憶という導入だろう。紀氏のうちでは紀貫之が有名だが、紀文足(きのふみたり)は遣唐使の通訳として渡唐している。貫之が土佐の国まで瀬戸内海を渡ったのに対して、文足は唐に渡ったのだから、よりスケールが大きい。しかも彼は帰国のときにたいへんな困難に遭遇している。文足の祖父も唐に行っているが、父は行ったことがない。そんな文足の父が思いを述べた歌。
大海をわが子は越えよ(とは思へど)吾が往かざりし長安を見よ(とは思へど)
遣唐使のひとり、秦朝元(はたのちょうげん)は唐で生れている。彼の父の弁正法師も唐に赴き、唐で息子・朝元をもうけた。父は唐で死んだが、朝元は日本に帰国。のちに遣唐使の一員として入唐。父・弁正が碁の相手をしていた李隆基は皇帝・玄宗となっていた。朝元は父の縁で皇帝から厚遇される。
皇上となる秋天に我が父と碁を打ちたまひ 碁石のつめたさ
このように物語の人物に成り代わって歌が詠まれている。遣唐使の物語がそれぞれの人物によって多視点から構成される仕組みである。 遣唐使を描いた歴史小説といえば、井上靖の『天平の甍』が有名だが、その冒頭には次のように書かれている。
「朝廷で第九次遣唐使発遣のことが議せられたのは聖武天皇の天平四年で、その年の八月十七日に、従四位上多治比広成が大使に、従五位下中臣名代が副使に任命され、そのほか大使、副使とともに遣唐使の四官と呼ばれている判官、録事が選出された。判官は秦朝元以下四名、録事も四名である。そして翌九月には近江、丹波、播磨、安芸の四カ国に使節が派せられ、それぞれ一艘ずつの大船の建造が命じられた」
歌集『遣唐使のものがたり』が扱っているのもこのときのことで、鑑真を日本に招聘するために派遣された栄叡と普昭もこの船に乗っているが、それはまた別の話。
往路の航海は心配されたようなこともなく、無事に唐に到着する。
文足 恐ろしと思ひし我が身や早や昔 なんだなんだなんだ着いたり
Intermezzo「長安の日本人」の章が挿入されている。井真成(せいしんせい・いのまなり)は入唐留学生で長安に暮らしている。
己れには何かが足りぬ日に夜を夜に日を継ぎ書籍学べども 真成
葉つぱとんとん葉つぱとんとん葉つぱだけ旦那様には滋養必要 真成宅のばあや
この真成は長安で客死するのだが、2004年に墓誌が発見されて研究者のあいだで話題になった。ばあやの歌など、俳諧性もあって読者を飽きさせない。
大唐の様子は本書を読んでいただくことにして、復路に話を進めたい。復路はそれぞれの船が困難をきわめ、四船のうち一船はどうなったか消息不明である。 大使・多治比広成の第一船は種子島に着いている。中臣名代の第二船はいったん南海に漂着したが、一行は洛陽に戻り、再度出航・帰国することができた。『天平の甍』には次のように書かれている。「ちょうどこの名代らが洛陽を去る直前に、こんどは判官平群広成の第三船の消息が広州都督によって報ぜられた。広成らは遠く林邑国に流され、その大部分は土人に殺され、生存者はわずか広成ら四人であるということであった。玄宗はすぐ安南都督に生存者を救うことを命じた」
『遣唐使のものがたり』の後半は広成・紀文足たち四人が苦心のすえ日本に帰るまでを追いかけている。この船は難破して崑崙に漂着し、百余名のうち四人が生き残った。安南都護府を経て唐に戻り、渤海から日本へと帰還することになる。
崑崙王 名月はたひらかに照る大国のちからの傘も透明にして
安倍仲麻呂 帰るため来るのだ 吾は帰すためゐるのだ唐の絹に馴染んで
みんな去つていくのだ 地の上海のうへ探してもさがしてもゐないのだ
これがその物語である後の世のわが言を継ぐ者へ置くべし
作者の直接的な自己表現ではなく、物語の登場人物を通して歌が表現される。役割、キャラクターの詩であり、劇詩ともいえる。物語はポリフォニックであり、他視点的に構成されているから、単調にはならず、中にはユーモアや批評性を感じさせる歌もある。現代の視点から詠まれている歌も混ぜられている。短歌表現の可能性を広げる試みだと思った。
(付録)の部分。阿倍中麻呂が日本に帰るというので王維が詠んだ送別の漢詩は有名である。その一節「魚眼射波紅」の二次創作として、紀野は次のように詠んでいる。
(魚の眼になみだ)私は中心にゐるのだ世界見渡せるのだ
波を射てみつめつづけて紅となりて眼はなほ東看る
発端の最初の歌。
なつかしき曾祖母触りし文箱より崩れさうなる紙の束出づ
祖先から伝わる物語の記憶という導入だろう。紀氏のうちでは紀貫之が有名だが、紀文足(きのふみたり)は遣唐使の通訳として渡唐している。貫之が土佐の国まで瀬戸内海を渡ったのに対して、文足は唐に渡ったのだから、よりスケールが大きい。しかも彼は帰国のときにたいへんな困難に遭遇している。文足の祖父も唐に行っているが、父は行ったことがない。そんな文足の父が思いを述べた歌。
大海をわが子は越えよ(とは思へど)吾が往かざりし長安を見よ(とは思へど)
遣唐使のひとり、秦朝元(はたのちょうげん)は唐で生れている。彼の父の弁正法師も唐に赴き、唐で息子・朝元をもうけた。父は唐で死んだが、朝元は日本に帰国。のちに遣唐使の一員として入唐。父・弁正が碁の相手をしていた李隆基は皇帝・玄宗となっていた。朝元は父の縁で皇帝から厚遇される。
皇上となる秋天に我が父と碁を打ちたまひ 碁石のつめたさ
このように物語の人物に成り代わって歌が詠まれている。遣唐使の物語がそれぞれの人物によって多視点から構成される仕組みである。 遣唐使を描いた歴史小説といえば、井上靖の『天平の甍』が有名だが、その冒頭には次のように書かれている。
「朝廷で第九次遣唐使発遣のことが議せられたのは聖武天皇の天平四年で、その年の八月十七日に、従四位上多治比広成が大使に、従五位下中臣名代が副使に任命され、そのほか大使、副使とともに遣唐使の四官と呼ばれている判官、録事が選出された。判官は秦朝元以下四名、録事も四名である。そして翌九月には近江、丹波、播磨、安芸の四カ国に使節が派せられ、それぞれ一艘ずつの大船の建造が命じられた」
歌集『遣唐使のものがたり』が扱っているのもこのときのことで、鑑真を日本に招聘するために派遣された栄叡と普昭もこの船に乗っているが、それはまた別の話。
往路の航海は心配されたようなこともなく、無事に唐に到着する。
文足 恐ろしと思ひし我が身や早や昔 なんだなんだなんだ着いたり
Intermezzo「長安の日本人」の章が挿入されている。井真成(せいしんせい・いのまなり)は入唐留学生で長安に暮らしている。
己れには何かが足りぬ日に夜を夜に日を継ぎ書籍学べども 真成
葉つぱとんとん葉つぱとんとん葉つぱだけ旦那様には滋養必要 真成宅のばあや
この真成は長安で客死するのだが、2004年に墓誌が発見されて研究者のあいだで話題になった。ばあやの歌など、俳諧性もあって読者を飽きさせない。
大唐の様子は本書を読んでいただくことにして、復路に話を進めたい。復路はそれぞれの船が困難をきわめ、四船のうち一船はどうなったか消息不明である。 大使・多治比広成の第一船は種子島に着いている。中臣名代の第二船はいったん南海に漂着したが、一行は洛陽に戻り、再度出航・帰国することができた。『天平の甍』には次のように書かれている。「ちょうどこの名代らが洛陽を去る直前に、こんどは判官平群広成の第三船の消息が広州都督によって報ぜられた。広成らは遠く林邑国に流され、その大部分は土人に殺され、生存者はわずか広成ら四人であるということであった。玄宗はすぐ安南都督に生存者を救うことを命じた」
『遣唐使のものがたり』の後半は広成・紀文足たち四人が苦心のすえ日本に帰るまでを追いかけている。この船は難破して崑崙に漂着し、百余名のうち四人が生き残った。安南都護府を経て唐に戻り、渤海から日本へと帰還することになる。
崑崙王 名月はたひらかに照る大国のちからの傘も透明にして
安倍仲麻呂 帰るため来るのだ 吾は帰すためゐるのだ唐の絹に馴染んで
みんな去つていくのだ 地の上海のうへ探してもさがしてもゐないのだ
これがその物語である後の世のわが言を継ぐ者へ置くべし
作者の直接的な自己表現ではなく、物語の登場人物を通して歌が表現される。役割、キャラクターの詩であり、劇詩ともいえる。物語はポリフォニックであり、他視点的に構成されているから、単調にはならず、中にはユーモアや批評性を感じさせる歌もある。現代の視点から詠まれている歌も混ぜられている。短歌表現の可能性を広げる試みだと思った。
(付録)の部分。阿倍中麻呂が日本に帰るというので王維が詠んだ送別の漢詩は有名である。その一節「魚眼射波紅」の二次創作として、紀野は次のように詠んでいる。
(魚の眼になみだ)私は中心にゐるのだ世界見渡せるのだ
波を射てみつめつづけて紅となりて眼はなほ東看る
2022年5月7日土曜日
発信と着信
「短歌ヴァーサス」10号(2006年12月)のコラム・ヴァーサスで私は次のように書いた。「川柳はこれまで短詩型文学の中でも微弱な電波しか発信してこなかった。よほど感度の高いアンテナを出していなければ、川柳作品をカバーすることは困難であった。ところが、近年、川柳作品のテクストが句集の形として一般読書界にも目に触れる機会が多くなってきた」(「着信アリ」)
あれから15年あまり、現代川柳は発信を続け、ようやく読書界から注目されるようになってきた。私たちはずっとそこにいたのだが、現代川柳が存在することに気づく人びとが増えてきたのだ。発信しなければ受信も着信もない。ただ、発信の仕方は時代によって変化していくのだろう。句会・大会中心の川柳も捨てがたいが、それとは別の多様な表現ツールが生まれている。
さまざまな表現者が発信を続けていて、そのすべてを受信することはできないが、このコーナーで今まで取り上げてきた書物や雑誌について、その後の展開について補足的に触れておきたい。
堀田季何の『人類の午後』は邑書林から出版されているが、「里」198号(3月号)で島田牙城が堀田に受賞インタビューをしている。芸術選奨文部科学大臣新人賞は他ジャンルもまじえての賞で、俳人で受賞するのは四人目だという。受賞の感想を堀田はこんなふうに述べている。
「俳句限定でない賞だというのは大きいです。評論以外の文学全般、概ね五十歳以下の作家の全作品が対象ですから、様々な小説や歌集や詩集と競った上で頂けたわけです。私は、専門俳人や俳句愛好者などでなく、一般の文学全般が好きな人たちを含めた範囲を読者として想定していますので、今回の受賞は嬉しかったです」
また、ロシアのウクライナ侵攻などの問題が噴出している中での受賞について、「『人類の午後』は、そういった人類の性、そして人間が棲む世界の現実を、日常の時も非日常の時も、様々な視点と技術で描いています」と語っている。今後の活動としては英語句集や歌集を考えていて、活動の範囲も海外に広げたいという。
さらに「里」199号(4月号)では上田信治の『成分表』を特集している。高橋睦郎、大塚凱、瀬戸正洋、雨宮慶子が寄稿しているが、高橋睦郎の手書き原稿がそのまま印刷・掲載されているのに驚かされる。「成分表」は163回を数え、今後も続いてゆくのが楽しみだ。
『成分表』に続いて素粒社から出版された小津夜景『なしのたわむれ』についてはすでに取りあげたが、「スケザネ図書館」で小津夜景と須藤岳史の対談が4月30日に公開され、両人の話を聞くことができた。YouTubeで見ることができるので便利だ。連句の話も出るかと思っていたが、連句については別テイクで公開されるようだから、そちらを待つことにする。
川柳誌については、まず「川柳木馬」172号。巻頭の招待作家は樋口由紀子。
自転車で轢くにはちょうどいい椿 樋口由紀子
今家に卵は何個あるでしょう
会員作品も紹介しておく。鑑賞を江口ちかるが書いている。大野美恵は第46回高知県短詩型文学賞・佳作を受賞。
反論も罪のひとつと竈馬 畑山弘
雨は本降り愛しいものは変化する 岡林裕子
よければ聞いてくれ ため息だけでも 高橋由美
オリエント急行からの空手形 田久保亜蘭
シナリオにないが今日から影になる 立花末美
フェイントをかけて振り向く世界像 小野善江
これにてと虎口で消える案内人 内田万貴
髭を剃る辺境論に飽いたので 古谷恭一
暮れるまで潜っていたい花図鑑 萩原良子
うつむいただけでYESになっていた 山下和代
卵管をひらく一瞬にして罰 大野美恵
書を捨ててまた三日月を呑み込むか 清水かおり
「What’s」2号(編集発行・広瀬ちえみ)、招待作家・なかはられいこ。
明け方の夢が外気に触れるまで なかはられいこ
だれか思ってだれかになった猫といる
「里」の叶裕が論作に存在感を示す。佐藤みさ子と柳本々々の往復書簡も掲載されている。
安吾忌に吹くでたらめなハーモニカ 叶裕
肺魚のように眠る木漏れ日がまう 妹尾凛
さあせんそうよけんぽう9じょうよ 佐藤みさ子
待ち受け画面にときどきでるおばけ 加藤久子
帰ったらまずうんざりを片付けて 広瀬ちえみ
あれから15年あまり、現代川柳は発信を続け、ようやく読書界から注目されるようになってきた。私たちはずっとそこにいたのだが、現代川柳が存在することに気づく人びとが増えてきたのだ。発信しなければ受信も着信もない。ただ、発信の仕方は時代によって変化していくのだろう。句会・大会中心の川柳も捨てがたいが、それとは別の多様な表現ツールが生まれている。
さまざまな表現者が発信を続けていて、そのすべてを受信することはできないが、このコーナーで今まで取り上げてきた書物や雑誌について、その後の展開について補足的に触れておきたい。
堀田季何の『人類の午後』は邑書林から出版されているが、「里」198号(3月号)で島田牙城が堀田に受賞インタビューをしている。芸術選奨文部科学大臣新人賞は他ジャンルもまじえての賞で、俳人で受賞するのは四人目だという。受賞の感想を堀田はこんなふうに述べている。
「俳句限定でない賞だというのは大きいです。評論以外の文学全般、概ね五十歳以下の作家の全作品が対象ですから、様々な小説や歌集や詩集と競った上で頂けたわけです。私は、専門俳人や俳句愛好者などでなく、一般の文学全般が好きな人たちを含めた範囲を読者として想定していますので、今回の受賞は嬉しかったです」
また、ロシアのウクライナ侵攻などの問題が噴出している中での受賞について、「『人類の午後』は、そういった人類の性、そして人間が棲む世界の現実を、日常の時も非日常の時も、様々な視点と技術で描いています」と語っている。今後の活動としては英語句集や歌集を考えていて、活動の範囲も海外に広げたいという。
さらに「里」199号(4月号)では上田信治の『成分表』を特集している。高橋睦郎、大塚凱、瀬戸正洋、雨宮慶子が寄稿しているが、高橋睦郎の手書き原稿がそのまま印刷・掲載されているのに驚かされる。「成分表」は163回を数え、今後も続いてゆくのが楽しみだ。
『成分表』に続いて素粒社から出版された小津夜景『なしのたわむれ』についてはすでに取りあげたが、「スケザネ図書館」で小津夜景と須藤岳史の対談が4月30日に公開され、両人の話を聞くことができた。YouTubeで見ることができるので便利だ。連句の話も出るかと思っていたが、連句については別テイクで公開されるようだから、そちらを待つことにする。
川柳誌については、まず「川柳木馬」172号。巻頭の招待作家は樋口由紀子。
自転車で轢くにはちょうどいい椿 樋口由紀子
今家に卵は何個あるでしょう
会員作品も紹介しておく。鑑賞を江口ちかるが書いている。大野美恵は第46回高知県短詩型文学賞・佳作を受賞。
反論も罪のひとつと竈馬 畑山弘
雨は本降り愛しいものは変化する 岡林裕子
よければ聞いてくれ ため息だけでも 高橋由美
オリエント急行からの空手形 田久保亜蘭
シナリオにないが今日から影になる 立花末美
フェイントをかけて振り向く世界像 小野善江
これにてと虎口で消える案内人 内田万貴
髭を剃る辺境論に飽いたので 古谷恭一
暮れるまで潜っていたい花図鑑 萩原良子
うつむいただけでYESになっていた 山下和代
卵管をひらく一瞬にして罰 大野美恵
書を捨ててまた三日月を呑み込むか 清水かおり
「What’s」2号(編集発行・広瀬ちえみ)、招待作家・なかはられいこ。
明け方の夢が外気に触れるまで なかはられいこ
だれか思ってだれかになった猫といる
「里」の叶裕が論作に存在感を示す。佐藤みさ子と柳本々々の往復書簡も掲載されている。
安吾忌に吹くでたらめなハーモニカ 叶裕
肺魚のように眠る木漏れ日がまう 妹尾凛
さあせんそうよけんぽう9じょうよ 佐藤みさ子
待ち受け画面にときどきでるおばけ 加藤久子
帰ったらまずうんざりを片付けて 広瀬ちえみ
2022年4月30日土曜日
川柳誌あれこれ
暮田真名句集『ふりょの星』(左右社)、4月28日発売になり、大阪では梅田蔦屋書店でサイン本が平積みされている。フェア「はじめての詩歌」もはじまっていて、川柳人からは暮田のほか、なかはられいこも参加している。『ふりょの星』については反響を見てから、改めて触れる機会があると思う。
今回は川柳誌を中心に管見に入った冊子を取りあげることにする。
「湖」は浅利猪一郎の編集発行で秋田県仙北市から出ているが、4月発行の14号には第14回「ふるさと川柳」(誌上句会)の結果が掲載されている。課題は「無」。全国から533名、1310句の投句があった。12人の選者により、入選1点、佳作2点、秀句3点を配点し、合計点で順位を決定する。上位5句を挙げておく。
9点 無になれば跳び越せそうな鉤括弧 梶田隆男
8点 どうしても無職と書かすアンケート 二藤閑歩
7点 埴輪から一度聴きたい無駄話 加納起代子
7点 不愛想な大工多弁な鉋屑 植田のりとし
7点 僕は無名何を焦っていたのだろ 石澤はる子
どの選者がどの句を選んでいるかが興味のあるところで、佳作・秀句で点数をかせぐ句もあれば、まんべんなく入選をとって高得点になる場合もある。ここでは丸山進選と小池正博選の秀句を見ておこう。
秀句(丸山進選)
友がきも兎小鮒も居ぬ故郷 近藤圭介
無愛想な大工多弁な鉋屑 植田のりとし
埴輪から一度聴きたい無駄話 加納起代子
秀句(小池正博選)
埴輪から一度聴きたい無駄話 加納起代子
点景になって舞台の袖に立つ 越智学哲
無作為の美だろう釉薬の流れ 藤子あられ
選者によって取る句が重なったり違ったりするのが共選のおもしろさである。句会は「題」という共通の土俵のなかで競い合うもので、否定論者もいるが川柳の特質のひとつだ。
2005年、丸山進を講師に迎えて発足した「おもしろ川柳会」が17年・200回を数え、記念誌『おもしろ川柳200回記念合同句集』が発行された。「200回分のドラマ」で青砥和子はこんなふうに書いている。「川柳は、人間の喜怒哀楽や森羅万象を自由に詠めるのですから、恐れず、自分の思いを五七五の十七音にしたためてみることです。ただここで気を付けることがあります。それは、人目を気にして、句が美談やスローガンになってしまうこと」
黙食はずっとしている倦怠期 浅見和彦
落ちていた一円硬貨あざだらけ 佐藤克己
焼き鳥の煙魔界に入ります 中川喜代子
なぜ戦うこんなきれいな星なのに 金原朱美子
今ならば竜馬は月へ行ったはず 真理猫子
グーを出す引き下がらないように出す 青砥和子
性格はアルカリ性の友ばかり 丸山進
巻末に丸山進の「思い出の川柳」という文章が収録されている。
「1996・8月 仕事は現役のシステム屋で、全国あちこちの顧客へ出張が多かった。新幹線の中、週刊誌(文春)をよく読んだ。川柳コーナーがあり、初めて入選したのが時実新子選の『いい人は悲劇の種を抱いている』だった。これで病みつきとなり、投稿を続け何度か入選した」
定年退職後、公民館や体育館で夜勤の業務を行うようになり、公民館の職員から川柳講座を依頼される。2005年5月、川柳講座「おもしろ川柳」のスタート。
川柳への入り口と川柳人のひとつの軌跡を示しているので、丸山進の場合を紹介してみた。
もう一誌、丸山進が関わっているのがフェニックス川柳会(瀬戸)。この4月で10年の節目を迎えるという。「川柳フェニックス」17号から。
コロナがハブでワクチンがマングース 北原おさ虫
輪廻待つ列にうっかり並んだの 長岡みゆき
透明になってやりたいことはない 稲垣康江
うっかりと三角なのに丸くなり 三好光明
梨・葡萄元のサイズに戻りたい 安藤なみ
獣だけ欲しがる土地は持っている 高橋ひろこ
月光を飲んで治した夢遊病 丸山進
数年前の句集だが、最近読む機会があった青田煙眉(青田川柳)の『牛のマンドリン』(2018年、あざみエージェント)から。
蟻一匹 美しい本だった 上った 青田川柳
蝶蝶の春 空気の布団が濡れる
馬が算盤をはじいて戦後の荷を下す
コーヒーの中で少女の時計が射たれた
一つの寝袋に黙って森が入ってます
牛のマンドリンを聞く騎兵―秋の胃
橋がかり少年螢になったまま
目が咲いた一生かけて咲きました
山村祐は「牛のマンドリン」の句をシュールレアリスムの現代川柳として評価した。
川柳新書「青田煙眉集」(1958年11月)で彼は「新しい実験を試みること、川柳を通して現代の危機を描くこと、この二つは私自身にとっても創作上大切なことなのです」と書いている。
根岸川柳は「連唱」という形式を発案し、青田はそれを普及させようとした。連唱は連句とは異なり、約束ごとにとらわれず、発句から挙句までほのかな連鎖をもって自由に展開したものだという。句数は決まっていないようである。次に挙げるのは青田煙眉作品で、「川柳新書」掲載の連唱「時計の裏」、19句のうち最初の6句である。
洗面器濡れない雲を摑まえる
鼻の奥から古いフイルム
生生流転、犬好きの犬だった
胎児を嗅げば金網がある
東条の掛算に両手でイコール
棒の孤独は―影が冬です
今回は川柳誌を中心に管見に入った冊子を取りあげることにする。
「湖」は浅利猪一郎の編集発行で秋田県仙北市から出ているが、4月発行の14号には第14回「ふるさと川柳」(誌上句会)の結果が掲載されている。課題は「無」。全国から533名、1310句の投句があった。12人の選者により、入選1点、佳作2点、秀句3点を配点し、合計点で順位を決定する。上位5句を挙げておく。
9点 無になれば跳び越せそうな鉤括弧 梶田隆男
8点 どうしても無職と書かすアンケート 二藤閑歩
7点 埴輪から一度聴きたい無駄話 加納起代子
7点 不愛想な大工多弁な鉋屑 植田のりとし
7点 僕は無名何を焦っていたのだろ 石澤はる子
どの選者がどの句を選んでいるかが興味のあるところで、佳作・秀句で点数をかせぐ句もあれば、まんべんなく入選をとって高得点になる場合もある。ここでは丸山進選と小池正博選の秀句を見ておこう。
秀句(丸山進選)
友がきも兎小鮒も居ぬ故郷 近藤圭介
無愛想な大工多弁な鉋屑 植田のりとし
埴輪から一度聴きたい無駄話 加納起代子
秀句(小池正博選)
埴輪から一度聴きたい無駄話 加納起代子
点景になって舞台の袖に立つ 越智学哲
無作為の美だろう釉薬の流れ 藤子あられ
選者によって取る句が重なったり違ったりするのが共選のおもしろさである。句会は「題」という共通の土俵のなかで競い合うもので、否定論者もいるが川柳の特質のひとつだ。
2005年、丸山進を講師に迎えて発足した「おもしろ川柳会」が17年・200回を数え、記念誌『おもしろ川柳200回記念合同句集』が発行された。「200回分のドラマ」で青砥和子はこんなふうに書いている。「川柳は、人間の喜怒哀楽や森羅万象を自由に詠めるのですから、恐れず、自分の思いを五七五の十七音にしたためてみることです。ただここで気を付けることがあります。それは、人目を気にして、句が美談やスローガンになってしまうこと」
黙食はずっとしている倦怠期 浅見和彦
落ちていた一円硬貨あざだらけ 佐藤克己
焼き鳥の煙魔界に入ります 中川喜代子
なぜ戦うこんなきれいな星なのに 金原朱美子
今ならば竜馬は月へ行ったはず 真理猫子
グーを出す引き下がらないように出す 青砥和子
性格はアルカリ性の友ばかり 丸山進
巻末に丸山進の「思い出の川柳」という文章が収録されている。
「1996・8月 仕事は現役のシステム屋で、全国あちこちの顧客へ出張が多かった。新幹線の中、週刊誌(文春)をよく読んだ。川柳コーナーがあり、初めて入選したのが時実新子選の『いい人は悲劇の種を抱いている』だった。これで病みつきとなり、投稿を続け何度か入選した」
定年退職後、公民館や体育館で夜勤の業務を行うようになり、公民館の職員から川柳講座を依頼される。2005年5月、川柳講座「おもしろ川柳」のスタート。
川柳への入り口と川柳人のひとつの軌跡を示しているので、丸山進の場合を紹介してみた。
もう一誌、丸山進が関わっているのがフェニックス川柳会(瀬戸)。この4月で10年の節目を迎えるという。「川柳フェニックス」17号から。
コロナがハブでワクチンがマングース 北原おさ虫
輪廻待つ列にうっかり並んだの 長岡みゆき
透明になってやりたいことはない 稲垣康江
うっかりと三角なのに丸くなり 三好光明
梨・葡萄元のサイズに戻りたい 安藤なみ
獣だけ欲しがる土地は持っている 高橋ひろこ
月光を飲んで治した夢遊病 丸山進
数年前の句集だが、最近読む機会があった青田煙眉(青田川柳)の『牛のマンドリン』(2018年、あざみエージェント)から。
蟻一匹 美しい本だった 上った 青田川柳
蝶蝶の春 空気の布団が濡れる
馬が算盤をはじいて戦後の荷を下す
コーヒーの中で少女の時計が射たれた
一つの寝袋に黙って森が入ってます
牛のマンドリンを聞く騎兵―秋の胃
橋がかり少年螢になったまま
目が咲いた一生かけて咲きました
山村祐は「牛のマンドリン」の句をシュールレアリスムの現代川柳として評価した。
川柳新書「青田煙眉集」(1958年11月)で彼は「新しい実験を試みること、川柳を通して現代の危機を描くこと、この二つは私自身にとっても創作上大切なことなのです」と書いている。
根岸川柳は「連唱」という形式を発案し、青田はそれを普及させようとした。連唱は連句とは異なり、約束ごとにとらわれず、発句から挙句までほのかな連鎖をもって自由に展開したものだという。句数は決まっていないようである。次に挙げるのは青田煙眉作品で、「川柳新書」掲載の連唱「時計の裏」、19句のうち最初の6句である。
洗面器濡れない雲を摑まえる
鼻の奥から古いフイルム
生生流転、犬好きの犬だった
胎児を嗅げば金網がある
東条の掛算に両手でイコール
棒の孤独は―影が冬です
2022年4月22日金曜日
「幻想の短歌」―「文學界」5月号
今月の短詩型界隈で最も話題になったのは、たぶん「文學界」5月号の特集「幻想の短歌」だろう。巻頭表現、我妻俊樹の「小鳥が読む文章」10首が掲載されている。
セロファンの春画の朝凪にのまれていなくなろうとしてたのかしら 我妻俊樹
堂園昌彦による幻想短歌アンソロジー80首、10人による短歌7首、批評やエッセイ、座談会など盛沢山な内容だが、大森静佳・川野芽生・平岡直子の座談会「幻想はあらがう」に注目した。この三人は『葛原妙子歌集』(書肆侃侃房)の「栞」に文章を書いている。葛原妙子は「幻視の歌人」と呼ばれているが、川野が「幻視者の瞼」という捉え方をしているのに対して、平岡が見慣れた景色(言葉)を見慣れない景色(言葉)に再構成することが葛原の「写生」であり、「幻視、といわれたら半分悔しいと思う」と書いていたのが気になっていた。今回の対談では文脈は異なるが、「この三人の中で、いちばん『幻想的』と言われるのは私だと思うんですけど、意外と私、幻想的ではないんですね」と川野が言っているのがおもしろかった。現実よりファンタジー・異界の方がリアルだというのが川野のスタンスだとすれば、現実に対する批評性もそこから生れてくるだろう。一方で、リアルな世界に対して独自な見方をすることで結果的に幻想につながっていく(読者にとって)のが平岡の短歌なのかなと思った。
平岡の紹介に初の川柳句集『Ladies and』(左右社)が5月下旬に刊行予定とある。また特集では暮田真名が我妻俊樹の短歌について書いている。暮田の句集『ふりょの星』も近日発行されることになっている。
前回紹介した『なしのたわむれ』だが、須藤岳史がヴィオラ・ダ・ガンバについて語っているところが興味深かったので書き留めておく。この楽器は18世紀の後半に姿を消してしまったのだが、20世紀になってから再発見された。忘れ去られたのはこの楽器が王や貴族に愛されていたので、フランス革命のときにアンシャン・レジームの象徴とみなされたことと、音楽の場が宮殿や貴族の邸宅からコンサートホールに移ったため、楽器が広い会場でもよく聞こえるものに改造されていったからだという。変化を続ける社会への対応を拒んで消えて行った楽器を、須藤は「敗者」ではなく「無冠の王のような楽器」と書いている。あとコロナ禍で演奏会がキャンセルになる状況について、演奏会がなくても音楽家は練習をするが、やはり本番がないと下手になるというところ。また、良い音は文脈のなかで決定されるというところ。文芸においてもいろいろな意味で関係性が重要な契機になるのだろう。
「川柳スパイラル」14号の特集「今井鴨平と現川連の時代」で「川柳現代」の11号・14号が手元にないと書いたところ、野沢省悟に送っていただいたので、両号に掲載されている作品を紹介しておく。牛尾絋二の柳俳誌時評にも注目した。
石と寝て石の奇蹟を五色に睡むる 横山三星子
銀の壺奴隷の卑屈さを耐える 定金冬二
〈私〉を綴じ込んで脹らんでゆくカルテ 柴崎柴舟
生きてきて 生きていて 屈辱の膝がしら 時実新子
波が空缶を洗いバカンスに嘔吐する 中島正行
防人歌虫の滅びて地の憂ひ 篠崎堅太郎
岡山の詩誌「ネビューラ」の代表・壺阪輝代はセレクション柳人『石部明集』(邑書林)で石部明論を書いている。同誌80号「ふるさとの在り処」で壺阪は石部の次の句に触れている。
空瓶の転がりゆくはわが故郷 石部明
この句について「石部明論」では次のように書かれていた。
「年を経るごとに、詰まっていたものが減っていき、ついに空っぽになっていくという現実。その虚しさに気づいた時、故郷が靄の中から浮かび上がってくる。そこへ向かって転がっていく空瓶は、作者自身に他ならない。この故郷は、生まれ育った故郷というよりも、生まれる前に棲んでいた故郷のように私には思える」
これに付け加えて壺阪は今号の「ネビューラ」で「この句に出会った時、私は自分の内面を見透かされているような衝撃を覚えた。『作者自身』の箇所を『私自身』に置きかえれば、この感想は、私自身に向かって言っている言葉なのだ」と言う。
壺阪が『石部明集』で取り上げていた他の句も紹介しておこう。
傘濡れて家霊のごとく畳まれる 石部明
折鶴のほどかれてゆく深夜かな
手を入れて水の形を整える
死顔の布をめくればまた吹雪
石部明について繰り返し語ることが必要だ。
セロファンの春画の朝凪にのまれていなくなろうとしてたのかしら 我妻俊樹
堂園昌彦による幻想短歌アンソロジー80首、10人による短歌7首、批評やエッセイ、座談会など盛沢山な内容だが、大森静佳・川野芽生・平岡直子の座談会「幻想はあらがう」に注目した。この三人は『葛原妙子歌集』(書肆侃侃房)の「栞」に文章を書いている。葛原妙子は「幻視の歌人」と呼ばれているが、川野が「幻視者の瞼」という捉え方をしているのに対して、平岡が見慣れた景色(言葉)を見慣れない景色(言葉)に再構成することが葛原の「写生」であり、「幻視、といわれたら半分悔しいと思う」と書いていたのが気になっていた。今回の対談では文脈は異なるが、「この三人の中で、いちばん『幻想的』と言われるのは私だと思うんですけど、意外と私、幻想的ではないんですね」と川野が言っているのがおもしろかった。現実よりファンタジー・異界の方がリアルだというのが川野のスタンスだとすれば、現実に対する批評性もそこから生れてくるだろう。一方で、リアルな世界に対して独自な見方をすることで結果的に幻想につながっていく(読者にとって)のが平岡の短歌なのかなと思った。
平岡の紹介に初の川柳句集『Ladies and』(左右社)が5月下旬に刊行予定とある。また特集では暮田真名が我妻俊樹の短歌について書いている。暮田の句集『ふりょの星』も近日発行されることになっている。
前回紹介した『なしのたわむれ』だが、須藤岳史がヴィオラ・ダ・ガンバについて語っているところが興味深かったので書き留めておく。この楽器は18世紀の後半に姿を消してしまったのだが、20世紀になってから再発見された。忘れ去られたのはこの楽器が王や貴族に愛されていたので、フランス革命のときにアンシャン・レジームの象徴とみなされたことと、音楽の場が宮殿や貴族の邸宅からコンサートホールに移ったため、楽器が広い会場でもよく聞こえるものに改造されていったからだという。変化を続ける社会への対応を拒んで消えて行った楽器を、須藤は「敗者」ではなく「無冠の王のような楽器」と書いている。あとコロナ禍で演奏会がキャンセルになる状況について、演奏会がなくても音楽家は練習をするが、やはり本番がないと下手になるというところ。また、良い音は文脈のなかで決定されるというところ。文芸においてもいろいろな意味で関係性が重要な契機になるのだろう。
「川柳スパイラル」14号の特集「今井鴨平と現川連の時代」で「川柳現代」の11号・14号が手元にないと書いたところ、野沢省悟に送っていただいたので、両号に掲載されている作品を紹介しておく。牛尾絋二の柳俳誌時評にも注目した。
石と寝て石の奇蹟を五色に睡むる 横山三星子
銀の壺奴隷の卑屈さを耐える 定金冬二
〈私〉を綴じ込んで脹らんでゆくカルテ 柴崎柴舟
生きてきて 生きていて 屈辱の膝がしら 時実新子
波が空缶を洗いバカンスに嘔吐する 中島正行
防人歌虫の滅びて地の憂ひ 篠崎堅太郎
岡山の詩誌「ネビューラ」の代表・壺阪輝代はセレクション柳人『石部明集』(邑書林)で石部明論を書いている。同誌80号「ふるさとの在り処」で壺阪は石部の次の句に触れている。
空瓶の転がりゆくはわが故郷 石部明
この句について「石部明論」では次のように書かれていた。
「年を経るごとに、詰まっていたものが減っていき、ついに空っぽになっていくという現実。その虚しさに気づいた時、故郷が靄の中から浮かび上がってくる。そこへ向かって転がっていく空瓶は、作者自身に他ならない。この故郷は、生まれ育った故郷というよりも、生まれる前に棲んでいた故郷のように私には思える」
これに付け加えて壺阪は今号の「ネビューラ」で「この句に出会った時、私は自分の内面を見透かされているような衝撃を覚えた。『作者自身』の箇所を『私自身』に置きかえれば、この感想は、私自身に向かって言っている言葉なのだ」と言う。
壺阪が『石部明集』で取り上げていた他の句も紹介しておこう。
傘濡れて家霊のごとく畳まれる 石部明
折鶴のほどかれてゆく深夜かな
手を入れて水の形を整える
死顔の布をめくればまた吹雪
石部明について繰り返し語ることが必要だ。
2022年4月15日金曜日
小津夜景・須藤岳史『なしのたわむれ』―付合文芸としての往復書簡
紀野恵が編集している短歌誌「七曜」に紀野は「楽天生活」というタイトルで漢詩と短歌のコラボレーションを連載している。たとえば203号(2022年3月)では白居易の漢詩「早朝思退去」に次のような訳が付けられている。詩・白居易/歌・紀野恵&ハク(白猫)。
霜嚴月苦欲明天 しもはきびしく つきさへにがい
忽憶閑居思浩然 かつてのんびり 暮らしてゐたが
自問寒燈夜半起 さむくてくらい うちからおきる
何如暖被日高眠 もつとぬくぬく あさ寝がしたい
唯慙老病彼朝服 いいとしなのに 仕ごとを辞めず
莫慮飢寒計俸錢 もつと欲しいと かねをかぞへる
隨有隨無且歸去 もういいだらう もういいかげん
擬求豐足是何年 いまがまんぞく するときなんだ
漢詩は七言律詩だが、それぞれの漢句に対応するような短歌が八首掲載されている。最初の「月」の歌と最後の「満足」を紹介しておこう。
あかときの月が苦しい照らさないで照らさないでと眠る鴨たち
故郷には何んにも無いんだ満ち足りたそらが包んでゐるだけだつた
歌の作者は紀野恵&ハク(白猫)ということになっている。手の込んだ試みで、まず漢詩と現代語訳の取り合わせがある。漢詩の訳としては、井伏鱒二の『厄除け詩集』(人生足別離・さよならだけが人生だ)などが思い浮かぶが、紀野はさらに短歌を取り合わせることによって重層化させている。短歌だけを独立させて読むこともできるが、発想の起点になった漢詩と重ねて読むと複雑な味わいとなるようだ。
小津夜景・須藤岳史の往復書簡『なしのたわむれ』(素粒社)が好評だ。小津はフランス・ニース在住の俳人・エッセイスト、須藤はオランダ・ハーグ在住の古楽器奏者。この二人による書簡のやりとりが24通収められている。ⅠとⅡに分かれ、Ⅰの第1信から第12信までは小津の書簡が前で須藤が後、Ⅱの第13信から第24信までは須藤が前で小津が後というように前後が交代している。連句の歌仙では両吟の場合、途中で長句・短句が入れ替わる「あさり場」というのがある。前句と付句の順が交代するように、書簡の順も交代するのだと思った。小津はこれまでも連句の方法について語っていて、本書にも連句についての言及があるが、それは後で触れることにする。
第1信は小津の手紙である。空と海の話のあとに、紀野恵の短歌が引用されている。
ことりと秋の麦酒をおくときにおもへよ銀の条がある空 紀野恵
「銀の条(すじ)」とは悲しみに目もくれない鳥のようにからっぽの空を飛んだものだけがのこす存在の架空の傷跡、だと小津は言う。
第2信は須藤岳史の手紙。須藤はエミリー・ディキンソンの詩や葛原妙子の短歌について触れている。
晩夏光おとろへし夕 酢は立てり一本の壜の中にて 葛原妙子
前の手紙に触発されながら、その連想によって自らの思索を深めてゆく。この往復書簡は何だか付け句のやりとりに似ている。そのことに小津は自覚的で、第7信に連句のことが出てくる。芭蕉七部集の歌仙「市中は」の巻。そして小津が冬泉や羊我堂と巻いた歌仙「宝船」。「おわりに」(小津夜景)には〈連載が始まってすぐ「この往復書簡は『対話』ではなく、連句の付けと転じによる『響き合い』の作法に則ったほうがよさそうだ」と気づき、ちょっとだけ軌道修正されました〉とも述べられている。この人は意識的な表現者である。
その二人の「付けと転じ」「響き合い」については、実際に本書をお読みいただきたいが、付けと転じは書簡のやり取りだけではなくて、それぞれの書簡の内部にもうかがえる。
書名にもなっている第3信「なしのたわむれ」ではワインや梨酒の話から梨を詠んだ次の狂歌が引用されている。
梨花一枝あめよりむまき御肴は類もなしの花の白あへ 平秩東作
『狂歌若菜集』に掲載されていて、梨の白和えを肴に酒を飲んだときの作品。白居易の「梨花一枝春雨を帯びたり」を踏まえたうえで、梨の白和えの方が類ないという。梨は「ありのみ」とも呼ばれるから、連想は存在と非在についての考察へ、さらにマルグリット・デュラスの「私は一日中海をながめているような人間じゃないわ」という発言につながってゆく。まさに連句の「三句の渡り」のようだなと思い、勝手に付合に変換してみた。
酒肴には梨の白和えいかがです
あるのですかと風のおもかげ
一日中海を見ているわけじゃない
自己の内部における連想のつながりと、自己と他者のあいだの詩想の受け渡し。往復書簡も一種の付合文芸なのだなと思った。「連句への潜在的意欲」を唱えたのは浅沼璞だったが、連句的発想はさまざまなジャンルや場面で潜在的に、顕在的にあらわれてくるもののようだ。
和漢連句という形式がある。和句と漢句のコラボで、押韻などのルールもあるが、説明は省略して、『第七回浪速の芭蕉祭献詠連句入選作品集』(平成25年)から和漢行半歌仙「たてよこに」の巻の裏の部分を紹介しておきたい。
惜春に塵界の人懐かしく 赤田玖實子
同床異夢もアバンチュールよ 鵜飼佐知子
妻 推 測 夫 嘘 木村 ふう
小 面 化 般 若 赤坂 恒子
佳 酒 注 墓 石 梅村 光明
秋 涼 訪 古 瓦 玖實子
霜嚴月苦欲明天 しもはきびしく つきさへにがい
忽憶閑居思浩然 かつてのんびり 暮らしてゐたが
自問寒燈夜半起 さむくてくらい うちからおきる
何如暖被日高眠 もつとぬくぬく あさ寝がしたい
唯慙老病彼朝服 いいとしなのに 仕ごとを辞めず
莫慮飢寒計俸錢 もつと欲しいと かねをかぞへる
隨有隨無且歸去 もういいだらう もういいかげん
擬求豐足是何年 いまがまんぞく するときなんだ
漢詩は七言律詩だが、それぞれの漢句に対応するような短歌が八首掲載されている。最初の「月」の歌と最後の「満足」を紹介しておこう。
あかときの月が苦しい照らさないで照らさないでと眠る鴨たち
故郷には何んにも無いんだ満ち足りたそらが包んでゐるだけだつた
歌の作者は紀野恵&ハク(白猫)ということになっている。手の込んだ試みで、まず漢詩と現代語訳の取り合わせがある。漢詩の訳としては、井伏鱒二の『厄除け詩集』(人生足別離・さよならだけが人生だ)などが思い浮かぶが、紀野はさらに短歌を取り合わせることによって重層化させている。短歌だけを独立させて読むこともできるが、発想の起点になった漢詩と重ねて読むと複雑な味わいとなるようだ。
小津夜景・須藤岳史の往復書簡『なしのたわむれ』(素粒社)が好評だ。小津はフランス・ニース在住の俳人・エッセイスト、須藤はオランダ・ハーグ在住の古楽器奏者。この二人による書簡のやりとりが24通収められている。ⅠとⅡに分かれ、Ⅰの第1信から第12信までは小津の書簡が前で須藤が後、Ⅱの第13信から第24信までは須藤が前で小津が後というように前後が交代している。連句の歌仙では両吟の場合、途中で長句・短句が入れ替わる「あさり場」というのがある。前句と付句の順が交代するように、書簡の順も交代するのだと思った。小津はこれまでも連句の方法について語っていて、本書にも連句についての言及があるが、それは後で触れることにする。
第1信は小津の手紙である。空と海の話のあとに、紀野恵の短歌が引用されている。
ことりと秋の麦酒をおくときにおもへよ銀の条がある空 紀野恵
「銀の条(すじ)」とは悲しみに目もくれない鳥のようにからっぽの空を飛んだものだけがのこす存在の架空の傷跡、だと小津は言う。
第2信は須藤岳史の手紙。須藤はエミリー・ディキンソンの詩や葛原妙子の短歌について触れている。
晩夏光おとろへし夕 酢は立てり一本の壜の中にて 葛原妙子
前の手紙に触発されながら、その連想によって自らの思索を深めてゆく。この往復書簡は何だか付け句のやりとりに似ている。そのことに小津は自覚的で、第7信に連句のことが出てくる。芭蕉七部集の歌仙「市中は」の巻。そして小津が冬泉や羊我堂と巻いた歌仙「宝船」。「おわりに」(小津夜景)には〈連載が始まってすぐ「この往復書簡は『対話』ではなく、連句の付けと転じによる『響き合い』の作法に則ったほうがよさそうだ」と気づき、ちょっとだけ軌道修正されました〉とも述べられている。この人は意識的な表現者である。
その二人の「付けと転じ」「響き合い」については、実際に本書をお読みいただきたいが、付けと転じは書簡のやり取りだけではなくて、それぞれの書簡の内部にもうかがえる。
書名にもなっている第3信「なしのたわむれ」ではワインや梨酒の話から梨を詠んだ次の狂歌が引用されている。
梨花一枝あめよりむまき御肴は類もなしの花の白あへ 平秩東作
『狂歌若菜集』に掲載されていて、梨の白和えを肴に酒を飲んだときの作品。白居易の「梨花一枝春雨を帯びたり」を踏まえたうえで、梨の白和えの方が類ないという。梨は「ありのみ」とも呼ばれるから、連想は存在と非在についての考察へ、さらにマルグリット・デュラスの「私は一日中海をながめているような人間じゃないわ」という発言につながってゆく。まさに連句の「三句の渡り」のようだなと思い、勝手に付合に変換してみた。
酒肴には梨の白和えいかがです
あるのですかと風のおもかげ
一日中海を見ているわけじゃない
自己の内部における連想のつながりと、自己と他者のあいだの詩想の受け渡し。往復書簡も一種の付合文芸なのだなと思った。「連句への潜在的意欲」を唱えたのは浅沼璞だったが、連句的発想はさまざまなジャンルや場面で潜在的に、顕在的にあらわれてくるもののようだ。
和漢連句という形式がある。和句と漢句のコラボで、押韻などのルールもあるが、説明は省略して、『第七回浪速の芭蕉祭献詠連句入選作品集』(平成25年)から和漢行半歌仙「たてよこに」の巻の裏の部分を紹介しておきたい。
惜春に塵界の人懐かしく 赤田玖實子
同床異夢もアバンチュールよ 鵜飼佐知子
妻 推 測 夫 嘘 木村 ふう
小 面 化 般 若 赤坂 恒子
佳 酒 注 墓 石 梅村 光明
秋 涼 訪 古 瓦 玖實子
2022年4月10日日曜日
堀田季何『人類の午後』
この句集については本欄の1月7日でも少し触れたが、そのときは句集の全体像について述べる余裕がなかった。というより、テーマが大きすぎて私には扱いかねたと言った方がよい。いまウクライナで戦争がはじまって、この句集がいっそうリアルで重要なものになったように思われる。すぐれた句集は予言的である。
『人類の午後』は前奏・Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ・後奏の五章に分かれ、Ⅰは雪月花、Ⅱは各種季題、Ⅲは四季の句を収録している。前奏ではナチや戦争、テロなどが詠まれており、後奏では現代日本の日常性にひそむ危機意識が詠まれている。旧字・旧かな使用。まず前奏から紹介しよう。巻頭句の前に次の言葉が前書きのように置かれている。
リアリティとは、「ナチは私たち自身のやうに人閒である」といふことだ。(ハンナ・アーレント)
一九三八年一一月九日深夜
水晶の夜映寫機は砕けたか
息白く唄ふガス室までの距離
「水晶の夜」(クリスタル・ナハト)はドイツで起きた反ユダヤ主義の暴動で、シナゴーグなどの建物が破壊された。飛び散ったガラスの破片が月光にきらめいていたので、水晶の夜と呼ばれている。破壊されたものの中に映写機のレンズもあったのだろうか。現実の像を映す映写機の役割。この事件がひとつの転換点となって、ホロコーストへとつながってゆくことが第二句によって示されている。
和平より平和たふとし春遲遲と
戦爭と戦爭の閒の朧かな
後奏は「飽食終日」として次の句が掲載されている。
春の日の箸もて挾むハムの片
「片」には「ひら」とルビがふられている。前奏の戦争やテロに対して日常性を対置するには「食物」の素材がふさわしい。
惑星の夏カスピ海ヨーグルト
鷲摑みに林檎や手首捻れば捥げ
湯豆腐やひとりのときは肉いれて
前奏と後奏にはさまれた部分は時空を超えた世界の森羅万象が素材となっている。連句の歌仙一巻が36句でコスモロジーを表現するように、この句集一冊で人類の古今東西の歴史や文化をちりばめた構成になっている。
Ⅰに収録されている雪月花の句は次のようなものだ。
雪穴を犬跳ねまはる崩しつつ
雪女郎冷凍されて保管さる
語るべし月の怪力亂神を
龜ケ崎遮光器土偶花待てる
それぞれの連作の中から一句だけ抜いているのでわかりにくいかもしれないが、屈折した美意識が見られる。連作ひとつめの「雪」には「雪が溶けると、犬の糞を見ることになる」というイヌイットの諺が添えられ、ふたつめの連作には「雪女郎=人権なき者」とされている。「月」は死の意識と結びついており、「花」は青森で発掘された土偶の眼を通して捉えられる。花の句の前には『三冊子』(「白冊子」)の次の言葉が添えられている。
「花といふは櫻の事ながら都而春花をいふ」
「都而」は「すべて」。俳諧(連句)では「花」は桜のことであるが、「花」という言葉を使わなければ正花(花の座)にならない。逆に、梅・菊・牡丹など桜以外の花を下心に隠して「花」と詠んだ場合でも正花になる。堀田の次のような句は背後に何を隠しているのだろうか。高野ムツオが言うようにすべてが桜だとしても、それは何と変容されていることだろう。
花の樹を抱くどちらが先に死ぬ
花降るや死の灰ほどのしづけさに
では恋は? Ⅱのなかに「陽炎の中にて幼女漏しゐる」という句があり、恩田侑布子が「栞」で取り上げている。私は『犬筑波集』や川柳を連想する。
佐保姫の春立ちながら尿をして 山崎宗鑑
かげろうのなかのいもうと失禁す 石部明
陽炎の中にて幼女漏しゐる 堀田季何
「前奏」に戻ると、次のような句が収められている。
片陰にゐて處刑臺より見らる
ミサイル來る夕焼なれば美しき
息白く國籍を訊く手には銃
ぐちょぐちょにふつとぶからだこぞことし
1月7日の時評で私はこんなふうに書いている。 「この作者が相手取っているのは人類史全体ということだろう。古今東西の歴史や文化、政治経済などの人類の営みそのものがテーマなのだ。こういう試みは現代川柳で行われてもよいはずのテーマである。批評性こそ本来、川柳の得意とする領域であったはずだ。現代川柳はサタイア(諷刺)とポエジー(詩性)の両立を目指しているように思えるが、堀田の場合にはテーマは重くても表現は重くれに陥らず、俳諧性を失っていないところがやはり俳句なのだろう」
ここで次の二句を並べてみようか。
地球儀の日本赤し多喜二の忌 堀田季何
鶴彬以後安全な川柳あそび 渡辺隆夫
川柳の場合、社会的事件は時事句の中にあらわれてくる。ウクライナを詠んだ川柳も近ごろ散見されるが、最近の時事句ではコロナを詠んだ次の作品が印象的だった。
ええ時計してますやん株さん!! 中西軒わ(「川柳スパイラル」14号)
株屋のことではなくて私はオミクロン株のことだと受け取っている。ウイルスに対して「ええ時計してますやん」とおちょくってみせるのは一種の俳諧性であり、川柳精神である。
『人類の午後』にはこんな句もある。
とりあへず踏む何の繪かわからねど
風鈴の音また一人密告さる
秋深き隣の人が消えました
『人類の午後』を読み直してみて改めて感じたのは、この作者が俳諧の伝統を踏まえたうえで作品を書いているということだ。連句への造詣は随所にうかがえるし、重い現実と向かい合うとき俳諧精神が支えになる。『人類の午後』は俳諧精神が現実と切り結ぶところに生れた句集だろう。
『人類の午後』は前奏・Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ・後奏の五章に分かれ、Ⅰは雪月花、Ⅱは各種季題、Ⅲは四季の句を収録している。前奏ではナチや戦争、テロなどが詠まれており、後奏では現代日本の日常性にひそむ危機意識が詠まれている。旧字・旧かな使用。まず前奏から紹介しよう。巻頭句の前に次の言葉が前書きのように置かれている。
リアリティとは、「ナチは私たち自身のやうに人閒である」といふことだ。(ハンナ・アーレント)
一九三八年一一月九日深夜
水晶の夜映寫機は砕けたか
息白く唄ふガス室までの距離
「水晶の夜」(クリスタル・ナハト)はドイツで起きた反ユダヤ主義の暴動で、シナゴーグなどの建物が破壊された。飛び散ったガラスの破片が月光にきらめいていたので、水晶の夜と呼ばれている。破壊されたものの中に映写機のレンズもあったのだろうか。現実の像を映す映写機の役割。この事件がひとつの転換点となって、ホロコーストへとつながってゆくことが第二句によって示されている。
和平より平和たふとし春遲遲と
戦爭と戦爭の閒の朧かな
後奏は「飽食終日」として次の句が掲載されている。
春の日の箸もて挾むハムの片
「片」には「ひら」とルビがふられている。前奏の戦争やテロに対して日常性を対置するには「食物」の素材がふさわしい。
惑星の夏カスピ海ヨーグルト
鷲摑みに林檎や手首捻れば捥げ
湯豆腐やひとりのときは肉いれて
前奏と後奏にはさまれた部分は時空を超えた世界の森羅万象が素材となっている。連句の歌仙一巻が36句でコスモロジーを表現するように、この句集一冊で人類の古今東西の歴史や文化をちりばめた構成になっている。
Ⅰに収録されている雪月花の句は次のようなものだ。
雪穴を犬跳ねまはる崩しつつ
雪女郎冷凍されて保管さる
語るべし月の怪力亂神を
龜ケ崎遮光器土偶花待てる
それぞれの連作の中から一句だけ抜いているのでわかりにくいかもしれないが、屈折した美意識が見られる。連作ひとつめの「雪」には「雪が溶けると、犬の糞を見ることになる」というイヌイットの諺が添えられ、ふたつめの連作には「雪女郎=人権なき者」とされている。「月」は死の意識と結びついており、「花」は青森で発掘された土偶の眼を通して捉えられる。花の句の前には『三冊子』(「白冊子」)の次の言葉が添えられている。
「花といふは櫻の事ながら都而春花をいふ」
「都而」は「すべて」。俳諧(連句)では「花」は桜のことであるが、「花」という言葉を使わなければ正花(花の座)にならない。逆に、梅・菊・牡丹など桜以外の花を下心に隠して「花」と詠んだ場合でも正花になる。堀田の次のような句は背後に何を隠しているのだろうか。高野ムツオが言うようにすべてが桜だとしても、それは何と変容されていることだろう。
花の樹を抱くどちらが先に死ぬ
花降るや死の灰ほどのしづけさに
では恋は? Ⅱのなかに「陽炎の中にて幼女漏しゐる」という句があり、恩田侑布子が「栞」で取り上げている。私は『犬筑波集』や川柳を連想する。
佐保姫の春立ちながら尿をして 山崎宗鑑
かげろうのなかのいもうと失禁す 石部明
陽炎の中にて幼女漏しゐる 堀田季何
「前奏」に戻ると、次のような句が収められている。
片陰にゐて處刑臺より見らる
ミサイル來る夕焼なれば美しき
息白く國籍を訊く手には銃
ぐちょぐちょにふつとぶからだこぞことし
1月7日の時評で私はこんなふうに書いている。 「この作者が相手取っているのは人類史全体ということだろう。古今東西の歴史や文化、政治経済などの人類の営みそのものがテーマなのだ。こういう試みは現代川柳で行われてもよいはずのテーマである。批評性こそ本来、川柳の得意とする領域であったはずだ。現代川柳はサタイア(諷刺)とポエジー(詩性)の両立を目指しているように思えるが、堀田の場合にはテーマは重くても表現は重くれに陥らず、俳諧性を失っていないところがやはり俳句なのだろう」
ここで次の二句を並べてみようか。
地球儀の日本赤し多喜二の忌 堀田季何
鶴彬以後安全な川柳あそび 渡辺隆夫
川柳の場合、社会的事件は時事句の中にあらわれてくる。ウクライナを詠んだ川柳も近ごろ散見されるが、最近の時事句ではコロナを詠んだ次の作品が印象的だった。
ええ時計してますやん株さん!! 中西軒わ(「川柳スパイラル」14号)
株屋のことではなくて私はオミクロン株のことだと受け取っている。ウイルスに対して「ええ時計してますやん」とおちょくってみせるのは一種の俳諧性であり、川柳精神である。
『人類の午後』にはこんな句もある。
とりあへず踏む何の繪かわからねど
風鈴の音また一人密告さる
秋深き隣の人が消えました
『人類の午後』を読み直してみて改めて感じたのは、この作者が俳諧の伝統を踏まえたうえで作品を書いているということだ。連句への造詣は随所にうかがえるし、重い現実と向かい合うとき俳諧精神が支えになる。『人類の午後』は俳諧精神が現実と切り結ぶところに生れた句集だろう。
2022年4月1日金曜日
ネット川柳とリアル句会の分断
4月に入った。久しぶりに角川『短歌』を買ったのは、4月号に掲載の平岡直子の短歌がお目当てである。
宝石より宝石箱がすきなこと一パーセントになってからだね 平岡直子
平岡の短歌にはときどきアフォリズム的なフレーズが現れる。作者にはそんなつもりがないかもしれないが、読む方がそう受け止めるのだ。「宝石」より「宝石箱」が好きという断言が一種の箴言を思わせる。
あと、特別企画として全国の大学短歌会が紹介されている。かつて筑紫磐井は若手俳人の登場に対して、「若手は甘やかされて育つ」と言ったことがあるが、そういう面はあるかもしれない。
「近づきたい だけど理解はされたくない」雨音だけが=のまま 山下塔矢
彼もまたオリーブオイルを選ぶから年齢詐称は今日でやめよう 永井さよ
生れる前のデビューアルバム聴き擦ってあたし神格飛び火しました 府田確
大きいコメダ 小さいコメダ どこにいてもそれなりに楽しくてくやしい 伊縫七海
近づいたら工業廃水だったこと をわざわざ書いて送る絵はがき 関寧花
この号、歌壇時評も興味深い。前田宏「世代間の分断とは何か」は価値観の多様化による世代間の分断について書いている。かつて篠弘は1993年版の『短歌年鑑』で次の三つの世代の分極について述べたという。
茂吉・白秋・空穂・文明らの影響を受けた戦前世代から戦中派の人たち
昭和30年代から現代短歌運動を目撃し、それを超えようとする試みを展開する人たち
俵万智以降のライトバース時代に出現し、口語文体によって時代の雰囲気を捉えようとする人たち
現代では戦前世代が減少して二区分になっているが、現在の分断は世代の違いによるのではなく、結社と非結社の間にあると前田は述べている。結社は年長組、非結社は年少組が多いので、世代間の分断のように見えるが、問題の本質は「結社という各世代を串刺しにする継承・教育システム」と「非結社という若手世代中心の自己教育システム」が併存しているところにあると前田は見ている。この対立は歌評方法にもあらわれていて、「作者の言葉選びや叙述の適否を評しながら作品世界を作者と読者で共同創造していこうとする」方法(読みを通じて一首を深化していこうとする価値観)と「そう書かれたんだからそう書くだけの理由があると理解しないといけない」という方法(一首を既に完成形と見て享受しようとする価値観)に分かれていく。
前田の分析が興味深かったのは、川柳にひきつけて考えると、ネット川柳と結社句会の川柳の分断を感じるからである。従来の川柳においてはそのような分断は見られなかった。ネットを駆使するような若い世代の川柳人が皆無だったからだ。ところが近年になってネットを主戦場とする表現者が増えてきて、リアルの川柳句会を経験しなくても自由に作品発表が可能となっている。既成の川柳界とは無縁のところで作品が書かれていて、互いに影響を与えることはないが、今後の推移を見まもっていきたい。
さて今回は、従来型の川柳誌をいくつか紹介しておく。
京都で隔月に発行されている「川柳草原」120号(2022年3月号)から会員作品。
排他的水域を横泳ぎする 河村啓子
ハッシュタグ星の話を聴きにいく みつ木もも花
激痛を伴うほどの嘘じゃない 岡谷樹
五本指の靴下それぞれの孤独 柳本恵子
発禁の詩歌がとぐろを巻いている 高橋蘭
かじかむ手ひたせと雪国の人の 徳山泰子
走るのに疲れ休むのにも疲れ 中野六助
次は同誌の句会作品。
百舌よ百舌それは私の薬指 酒井かがり
羽根つきぎょうざの羽根があるではないか 森田律子
人形のまま長い夢見続けて 岡谷樹
木の椅子に時が坐った跡がある 嶋澤喜八郎
傘立てに花子の冬が残されて 清水すみれ
「凜」89号から。
試されていたのは僕の方でした こうだひでお
足音は次女久しぶりの廊下 辻嬉久子
愛想笑いの栓を閉め忘れた昨日 桑原伸吉
冷蔵庫の聖地にタマゴしまし顔 永峯八重
行間にウエストミンスターの鐘 中林典子
最後の一葉の夢 飛ぶ教室 里上京子
尖ってた頃の青くさい疲れ 笠嶋恵美子
こいびとのこゆびましろきすりりんご 内田真理子
「川柳北田辺」123号では中山奈々の川柳作品に注目。
火鉢から酢茎でてくるまで眠る 中山奈々
あかさたなはま病んでラーメン啜る
木星が見えるまでバターを塗った
通り魔と目されている舌シチュー
とろ箱を棺桶としてビスタチオ
いざなみのみこと愛用のしょう油
これだけ奔放な句だと、すでに句会の限界を超えているし、逆に句会(席題)だからこそ瞬発力を発揮して詠めた句だとも言える。
最後に、3月4日のこのコーナーで紹介した「蝶」の木村リュウジの作品が「LOTUS」49号にも掲載されているので紹介する。多行俳句である。
たなびくや 木村リュウジ
夢のたびらの
ゆかたびら
宝石より宝石箱がすきなこと一パーセントになってからだね 平岡直子
平岡の短歌にはときどきアフォリズム的なフレーズが現れる。作者にはそんなつもりがないかもしれないが、読む方がそう受け止めるのだ。「宝石」より「宝石箱」が好きという断言が一種の箴言を思わせる。
あと、特別企画として全国の大学短歌会が紹介されている。かつて筑紫磐井は若手俳人の登場に対して、「若手は甘やかされて育つ」と言ったことがあるが、そういう面はあるかもしれない。
「近づきたい だけど理解はされたくない」雨音だけが=のまま 山下塔矢
彼もまたオリーブオイルを選ぶから年齢詐称は今日でやめよう 永井さよ
生れる前のデビューアルバム聴き擦ってあたし神格飛び火しました 府田確
大きいコメダ 小さいコメダ どこにいてもそれなりに楽しくてくやしい 伊縫七海
近づいたら工業廃水だったこと をわざわざ書いて送る絵はがき 関寧花
この号、歌壇時評も興味深い。前田宏「世代間の分断とは何か」は価値観の多様化による世代間の分断について書いている。かつて篠弘は1993年版の『短歌年鑑』で次の三つの世代の分極について述べたという。
茂吉・白秋・空穂・文明らの影響を受けた戦前世代から戦中派の人たち
昭和30年代から現代短歌運動を目撃し、それを超えようとする試みを展開する人たち
俵万智以降のライトバース時代に出現し、口語文体によって時代の雰囲気を捉えようとする人たち
現代では戦前世代が減少して二区分になっているが、現在の分断は世代の違いによるのではなく、結社と非結社の間にあると前田は述べている。結社は年長組、非結社は年少組が多いので、世代間の分断のように見えるが、問題の本質は「結社という各世代を串刺しにする継承・教育システム」と「非結社という若手世代中心の自己教育システム」が併存しているところにあると前田は見ている。この対立は歌評方法にもあらわれていて、「作者の言葉選びや叙述の適否を評しながら作品世界を作者と読者で共同創造していこうとする」方法(読みを通じて一首を深化していこうとする価値観)と「そう書かれたんだからそう書くだけの理由があると理解しないといけない」という方法(一首を既に完成形と見て享受しようとする価値観)に分かれていく。
前田の分析が興味深かったのは、川柳にひきつけて考えると、ネット川柳と結社句会の川柳の分断を感じるからである。従来の川柳においてはそのような分断は見られなかった。ネットを駆使するような若い世代の川柳人が皆無だったからだ。ところが近年になってネットを主戦場とする表現者が増えてきて、リアルの川柳句会を経験しなくても自由に作品発表が可能となっている。既成の川柳界とは無縁のところで作品が書かれていて、互いに影響を与えることはないが、今後の推移を見まもっていきたい。
さて今回は、従来型の川柳誌をいくつか紹介しておく。
京都で隔月に発行されている「川柳草原」120号(2022年3月号)から会員作品。
排他的水域を横泳ぎする 河村啓子
ハッシュタグ星の話を聴きにいく みつ木もも花
激痛を伴うほどの嘘じゃない 岡谷樹
五本指の靴下それぞれの孤独 柳本恵子
発禁の詩歌がとぐろを巻いている 高橋蘭
かじかむ手ひたせと雪国の人の 徳山泰子
走るのに疲れ休むのにも疲れ 中野六助
次は同誌の句会作品。
百舌よ百舌それは私の薬指 酒井かがり
羽根つきぎょうざの羽根があるではないか 森田律子
人形のまま長い夢見続けて 岡谷樹
木の椅子に時が坐った跡がある 嶋澤喜八郎
傘立てに花子の冬が残されて 清水すみれ
「凜」89号から。
試されていたのは僕の方でした こうだひでお
足音は次女久しぶりの廊下 辻嬉久子
愛想笑いの栓を閉め忘れた昨日 桑原伸吉
冷蔵庫の聖地にタマゴしまし顔 永峯八重
行間にウエストミンスターの鐘 中林典子
最後の一葉の夢 飛ぶ教室 里上京子
尖ってた頃の青くさい疲れ 笠嶋恵美子
こいびとのこゆびましろきすりりんご 内田真理子
「川柳北田辺」123号では中山奈々の川柳作品に注目。
火鉢から酢茎でてくるまで眠る 中山奈々
あかさたなはま病んでラーメン啜る
木星が見えるまでバターを塗った
通り魔と目されている舌シチュー
とろ箱を棺桶としてビスタチオ
いざなみのみこと愛用のしょう油
これだけ奔放な句だと、すでに句会の限界を超えているし、逆に句会(席題)だからこそ瞬発力を発揮して詠めた句だとも言える。
最後に、3月4日のこのコーナーで紹介した「蝶」の木村リュウジの作品が「LOTUS」49号にも掲載されているので紹介する。多行俳句である。
たなびくや 木村リュウジ
夢のたびらの
ゆかたびら
2022年3月26日土曜日
現代川柳クロニクル―2012年~2017年
この時評では「現代川柳クロニクル」と題してゼロ年代の現代川柳の動きを略述したことがある(2021年10月23日・29日)。その際、2011年9月の「バックストロークin名古屋」開催と11月の「バックストローク」36号の終刊で記述が終わっている。ゼロ年代の現代川柳の流れは2011年の「バックストローク」の終刊をもって一区切りとすると理解してのことである。次のテン年代の現代川柳について書かなくてはならないのだが、この時期については個人的な活動が中心となり、極私的な記述になることが避けられないので、ご了解いただきたい。
2012年は石部明が亡くなった年であり、喪失感とともに新しい動きがはじまった年でもある。
同年3月、仙台で大友逸星追悼句会が開催された。川柳杜人社発行の大友逸星遺句集『逸』から抜き出しておこう。
にんげんがややおもしろくなってきた 大友逸星
骨折の訳は言えない笑うから
アメリカのパンツを穿いて動けない
うっかりと握り返してしまったが
バス停をずらす誰も居ないので
4月14日「BSおかやま川柳大会」が岡山県天神山文化プラザで開催される。私は入院中の石部明の代選をした。「石部明さんの代選ということなので、明さんならどのような句を選ぶだろうと思いながら選句した。けれども、結局は自分なりの選をするしかない。その句の前で立ち止まり、なぜなんだろうと考えさせてくれるような〈読みのおもしろさ〉のある句を選んだ」というようなことを選後評で私は言っている。大会の翌日、病院に石部を見舞いにいったが、それが彼と話した最後となった。
「Field BSおかやま句会」23号から。
音声認証 ドアときどき壁或いは君 蟹口和枝
菜の花は悲鳴を映す準備です 小西瞬夏
風はまだリベルタンゴを暗譜中 内田真理子
徳利の首から下は皆女優 くんじろう
鳥の肝鳥のかたちにしてあげる 榊陽子
9月15日、「川柳カード創刊記念大会」が大阪・上本町の「たかつガーデン」で開催される。このとき「川柳カード」はまだ創刊されていない。創刊前に花火を打ち上げようという意図だったが、110名の参加があった。池田澄子と樋口由紀子の対談「素直じゃダメなのよ、疑うところからしか始まらない」11月発行の「川柳カード」創刊号にこの大会の記録が掲載されている。10月27日、石部明逝去。
2013年、3月発行の「川柳カード」2号は「石部明の軌跡」を特集。また4月20日には「石部明追悼川柳大会」が岡山県天神山文化プラザで開催された。
9月28日、第2回川柳カード大会。佐藤文香と樋口由紀子の対談「トレンディな俳句・ダサおもしろい川柳」。
2014年4月19日、「第3回木馬川柳大会(創立35周年記念大会)」が高知市で開催された。「ありえない十七音に逢えるかも」というテーマで、味元昭次と兼題「ゼロ」の共選をした。「川柳木馬」140・141合併号から。
ゼロの箱からふとん屋の声がする 樋口由紀子
ゼロじゃないまだ一本の松がある 藤本ゆたか
すずらんの頷くほどの自分探し 山本三香子
彗星だと言いはる筒状の冷気 内田万貴
午前中なら消印は海ですが 徳長怜子
帝国の版図を熱っぽく語る 古谷恭一
早送りしても私は紙吹雪 郷田みや
7月20日、「川柳ねじまき」創刊。
(せり、なずな)だれか呼ぶ声(ほとけのざ) なかはられいこ
敬老の日にいただいた電気椅子 丸山進
わたしたち海と秋とが欠けている 瀧村小奈生
歩いたことないリカちゃんのふくらはぎ 八上桐子
9月10日、『新現代川柳必携』(田口麦彦)発行。
「川柳カード叢書」として『ほぼむほん』(きゅういち)が9月に発行される。これに続き2015年1月に『実朝の首』(飯田良祐)、5月に『大阪のかたち』(久保田紺)が刊行。
ほぼむほんずわいのみそをすするなり きゅういち
経済産業省へ実朝の首持参する 飯田良祐
ぎゅっと押し付けて大阪のかたち 久保田紺
2015年5月 17日、大阪・上本町で「現代川柳ヒストリア」主催の「川柳フリマ」を開催。「文学フリマ」から刺激をうけて、川柳でもフリマができないかという試みである。「雑誌で見る現代川柳史」として、「鴉」「天馬」「鷹」「不死鳥」「馬」「川柳ジャーナル」「川柳現代」などの柳誌の展示と解説。ゲストに天野慶を迎えて対談「川柳をどう配信するか」。フリマの出店は7団体あり、瀬戸夏子と平岡直子の参加が大きな出来事だった。
9月12日、第3回川柳カード大会。柳本々々と小池正博の対談「現代川柳の可能性」。
2016年5月22日、第二回「川柳フリマ」開催。「句集でたどる現代川柳の歩み」の解説は石田柊馬。対談「短歌の虚構・川柳の虚構」のゲストは山田消児。出店は12グループ。
7月3日、第67回玉野市民川柳大会が開催される。男女共選の川柳句会で、全国から人が集まったが、この大会を最後に終了することになった。「川柳たまの」472号にはさまれた前田一石の挨拶文には次のように書かれている。
「玉野市民川柳大会は多くの川柳作家に可愛いがられ、親しまれ、また期待されてきましたが、この67回大会をもって終わらせて頂きます。参加された方々をはじめ、多くの仲間たちには誠に申し訳ないことですが、当玉野の会員の高齢化、減少は如何ともしがたく、ここ数年来の最大の問題点でありましたが、改善するに至りませんでした」
最後の大会の特選句を挙げておく。
「姿勢」新家完司選 車椅子押して姿勢を立て直す 畑佳余子
「姿勢」酒井かがり選 フィギュアの僕がおどけて少年A 北原照子
「化石」石田柊馬選 肉食系女子の化石に違いない 柴田夕起子
「化石」草地豊子選 出兵の父は化石になり帰還 原 修二
「太陽」きゅういち選 三回噛むとプチプッチとお日様 浜 純子
「太陽」長谷川博子選 太陽を今日は半分だけもらう 西村みなみ
「潜む」古谷恭一選 滝田ゆうわたしの路地に潜んでる 斉尾くにこ
「潜む」榊陽子選 潜むには大きな音を出すカバン 川添郁子
「高」 前田一石選 だらだらのばす七月の座高 中西軒わ
12月23日、墨作二郎没。91歳。
2017年3月、「川柳カード」14号で終刊。
5月6日、川柳トーク「瀬戸夏子は川柳を荒らすな」(中野サンプラザ)開催。このときはじめて暮田真名に会った。
11月4日、「川柳杜人」70周年
11月「川柳スパイラル」創刊。
書かなかったことも多いが、「川柳スパイラル」創刊以後のことは現在進行形であり、これからのことに属する。
2012年は石部明が亡くなった年であり、喪失感とともに新しい動きがはじまった年でもある。
同年3月、仙台で大友逸星追悼句会が開催された。川柳杜人社発行の大友逸星遺句集『逸』から抜き出しておこう。
にんげんがややおもしろくなってきた 大友逸星
骨折の訳は言えない笑うから
アメリカのパンツを穿いて動けない
うっかりと握り返してしまったが
バス停をずらす誰も居ないので
4月14日「BSおかやま川柳大会」が岡山県天神山文化プラザで開催される。私は入院中の石部明の代選をした。「石部明さんの代選ということなので、明さんならどのような句を選ぶだろうと思いながら選句した。けれども、結局は自分なりの選をするしかない。その句の前で立ち止まり、なぜなんだろうと考えさせてくれるような〈読みのおもしろさ〉のある句を選んだ」というようなことを選後評で私は言っている。大会の翌日、病院に石部を見舞いにいったが、それが彼と話した最後となった。
「Field BSおかやま句会」23号から。
音声認証 ドアときどき壁或いは君 蟹口和枝
菜の花は悲鳴を映す準備です 小西瞬夏
風はまだリベルタンゴを暗譜中 内田真理子
徳利の首から下は皆女優 くんじろう
鳥の肝鳥のかたちにしてあげる 榊陽子
9月15日、「川柳カード創刊記念大会」が大阪・上本町の「たかつガーデン」で開催される。このとき「川柳カード」はまだ創刊されていない。創刊前に花火を打ち上げようという意図だったが、110名の参加があった。池田澄子と樋口由紀子の対談「素直じゃダメなのよ、疑うところからしか始まらない」11月発行の「川柳カード」創刊号にこの大会の記録が掲載されている。10月27日、石部明逝去。
2013年、3月発行の「川柳カード」2号は「石部明の軌跡」を特集。また4月20日には「石部明追悼川柳大会」が岡山県天神山文化プラザで開催された。
9月28日、第2回川柳カード大会。佐藤文香と樋口由紀子の対談「トレンディな俳句・ダサおもしろい川柳」。
2014年4月19日、「第3回木馬川柳大会(創立35周年記念大会)」が高知市で開催された。「ありえない十七音に逢えるかも」というテーマで、味元昭次と兼題「ゼロ」の共選をした。「川柳木馬」140・141合併号から。
ゼロの箱からふとん屋の声がする 樋口由紀子
ゼロじゃないまだ一本の松がある 藤本ゆたか
すずらんの頷くほどの自分探し 山本三香子
彗星だと言いはる筒状の冷気 内田万貴
午前中なら消印は海ですが 徳長怜子
帝国の版図を熱っぽく語る 古谷恭一
早送りしても私は紙吹雪 郷田みや
7月20日、「川柳ねじまき」創刊。
(せり、なずな)だれか呼ぶ声(ほとけのざ) なかはられいこ
敬老の日にいただいた電気椅子 丸山進
わたしたち海と秋とが欠けている 瀧村小奈生
歩いたことないリカちゃんのふくらはぎ 八上桐子
9月10日、『新現代川柳必携』(田口麦彦)発行。
「川柳カード叢書」として『ほぼむほん』(きゅういち)が9月に発行される。これに続き2015年1月に『実朝の首』(飯田良祐)、5月に『大阪のかたち』(久保田紺)が刊行。
ほぼむほんずわいのみそをすするなり きゅういち
経済産業省へ実朝の首持参する 飯田良祐
ぎゅっと押し付けて大阪のかたち 久保田紺
2015年5月 17日、大阪・上本町で「現代川柳ヒストリア」主催の「川柳フリマ」を開催。「文学フリマ」から刺激をうけて、川柳でもフリマができないかという試みである。「雑誌で見る現代川柳史」として、「鴉」「天馬」「鷹」「不死鳥」「馬」「川柳ジャーナル」「川柳現代」などの柳誌の展示と解説。ゲストに天野慶を迎えて対談「川柳をどう配信するか」。フリマの出店は7団体あり、瀬戸夏子と平岡直子の参加が大きな出来事だった。
9月12日、第3回川柳カード大会。柳本々々と小池正博の対談「現代川柳の可能性」。
2016年5月22日、第二回「川柳フリマ」開催。「句集でたどる現代川柳の歩み」の解説は石田柊馬。対談「短歌の虚構・川柳の虚構」のゲストは山田消児。出店は12グループ。
7月3日、第67回玉野市民川柳大会が開催される。男女共選の川柳句会で、全国から人が集まったが、この大会を最後に終了することになった。「川柳たまの」472号にはさまれた前田一石の挨拶文には次のように書かれている。
「玉野市民川柳大会は多くの川柳作家に可愛いがられ、親しまれ、また期待されてきましたが、この67回大会をもって終わらせて頂きます。参加された方々をはじめ、多くの仲間たちには誠に申し訳ないことですが、当玉野の会員の高齢化、減少は如何ともしがたく、ここ数年来の最大の問題点でありましたが、改善するに至りませんでした」
最後の大会の特選句を挙げておく。
「姿勢」新家完司選 車椅子押して姿勢を立て直す 畑佳余子
「姿勢」酒井かがり選 フィギュアの僕がおどけて少年A 北原照子
「化石」石田柊馬選 肉食系女子の化石に違いない 柴田夕起子
「化石」草地豊子選 出兵の父は化石になり帰還 原 修二
「太陽」きゅういち選 三回噛むとプチプッチとお日様 浜 純子
「太陽」長谷川博子選 太陽を今日は半分だけもらう 西村みなみ
「潜む」古谷恭一選 滝田ゆうわたしの路地に潜んでる 斉尾くにこ
「潜む」榊陽子選 潜むには大きな音を出すカバン 川添郁子
「高」 前田一石選 だらだらのばす七月の座高 中西軒わ
12月23日、墨作二郎没。91歳。
2017年3月、「川柳カード」14号で終刊。
5月6日、川柳トーク「瀬戸夏子は川柳を荒らすな」(中野サンプラザ)開催。このときはじめて暮田真名に会った。
11月4日、「川柳杜人」70周年
11月「川柳スパイラル」創刊。
書かなかったことも多いが、「川柳スパイラル」創刊以後のことは現在進行形であり、これからのことに属する。
2022年3月18日金曜日
前句付と川柳味―石田柊馬の川柳論
近所の公園を歩いているとツグミの姿を見かけることが多くなった。けっこう何羽も見つけることができる。冬の間は単独行動をするようだが、北へ帰るときには群れになるので、そろそろ集まりだしているのだろう。もうすぐツグミの姿が見られなくなるはずで、季節は確実に進んでいる。
少年の見遣るは少女鳥雲に 中村草田男
この鳥雲はどの鳥のことだろうか。急に気になってきた。ツグミだろうか。季語が比喩的に使われているけれど、どの鳥を思い浮かべるかによってイメージが多少変わってくる。高橋和巳に「飛翔」という短編があり、一時期高校の教科書にも載っていた。この小説の鳥の群れはツグミだろうが、最後は霞網にかかって死滅する。壊滅してゆく学生運動と重なるイメージである。
今回は川柳のルーツである前句付について触れてみたいが、そういう気になったのは本を整理していて、雑誌のバックナンバーが出てきたからである。「翔臨」71号(2011年6月)に石田柊馬の「川柳味の変転」という文章が掲載されていて、興味深い内容になっている。石田はまず次のように述べている。
「川柳の性質は前句附けで出来上がった。俳諧でいわれる平句が川柳のポジションであり、前句附けでは、先に書かれた七七を受けて五七五を展開する受け身が、川柳味と書き方をつくった。『誹風柳多留』は、前句附けの書き手がうがちと省略を合せる遊戯感覚の書き方をいまに伝えている」
石田の本文では「前句附け」、私の文中では「前句付」という表記にしておく。俳諧と川柳の関係を史的にとらえる視野をもっていたのは前田雀郎だったが、現代川柳の作者のなかで、川柳を前句付と関連させてとらえたのは河野春三であった。春三は前句付に遡ることによって、「うがち」などの三要素とは異なる生活詩としての川柳の可能性を唱えた。石田柊馬も前句付から説き起こしており、川柳を俳諧の平句と位置付けている。「川柳性」という言葉を使うと、何が「川柳性」なのかむずかしい議論になるが、石田は「川柳味」という言葉を使っていて、古川柳から現代川柳にいたる川柳本来の持ち味というくらいのニュアンスだろう。その「川柳味」には「うがち」と「省略」のふたつが含まれると見ている。以下、彼のいうところを辿ってみよう。
石田はまず川柳味の場として「句会」を取りあげている。
「近代化を目指した明治の時代に、先達は前句附けの受動性から、近代的な能動性を求めた。野球でいえばキャッチャーからピッチャーに変わっても川柳が書けると判断した」
前句付を前句からの受動性と見れば、一句独立した川柳は能動性となる。それをキャッチャーからピッチャーへの変化に例えているのは川柳人らしいサービス精神だろう。
「今の眼で見れば、前句附けの質を題詠に引いたときに、前句附けでの飛躍、うがち、省略などが弱くなったと見えるが、前句附けの感覚を越えて、新しい共感性の文芸を一般化することが近代化の実践であったのだろう。題詠は、主に、問答体の書き方を川柳に定着させた。その代表的な場が句会であった」
川柳味の近代化に関しては、前句付から離れたとはいえ、明治の川柳には『柳多留』を思わせる発想と表現の名残りがあるとして、井上剣花坊と阪井久良岐の作品が挙げられている。では、剣花坊・久良岐以後の近代川柳はどうだろうか。
「近代川柳の佳作の多くは、題詠から離れた創作として書かれた」が、大方のレベルは「自己表出と共感性」の位相にとどまって、飽和状態になり、袋小路におちいったという。そして「川柳味」は題詠の方に現れていたと見る。また「川柳の日常詠は圧倒的に退屈なのだ」とも言い、退屈な川柳への批判として次のような句を挙げている。
舐めれば癒える傷 秋陽を占める犬たち 小泉十支尾
倒されて聴くこおろぎの研ぎすまし 時実新子
草いちめん脱走の快感をまてり 草刈蒼之助
首塚の木に鈴なりのあかるさや 福島真澄
その後に「詩性川柳」の時代がやってくる。「うがち」や「省略」より「私の思い」を上位に置く川柳が主流になる。
母系につながる一本の高い細い桐の木 河野春三
花を咲かせ 二秒ほど血をしたたらす 中村冨二
芒野の顔出し遊び何処まで行く 泉淳夫
水を汲む追っているのか追われてか 岩村憲治
川柳的な省略はほとんど見られなくなり、暗喩(メタファー)の追求が重んじられるようになる。象徴語への依存と暗喩の追及が川柳から省略を遠ざけたのだと石田は見ている。
そんな中で省略によって川柳味を取り戻そうとしている作者として樋口由紀子と筒井祥文が挙げられている。
一から百を数えるまではカレー味 樋口由紀子
良いことがあってベンツは裏返る 筒井祥文
以上、石田柊馬の2011年の時点での川柳観を見てきた。石田は「川柳性」の中核に「川柳味」があり、それが川柳の近代化や詩性川柳によって弱まっていると考えているようだ。「川柳味」を「うがち」と「省略」に限定すればそのような把握になるだろうが、限定的な「川柳味」よりも広義の「川柳性」にはもっと様々な要素が含まれる。「川柳の味」というようなものは確かに存在するし、私も「川柳味」を否定しないが、前句付や伝統川柳のなかだけに「川柳味」があるとも思わない。「詩性川柳」の行きづまりに関しては、行きづまったのは「私性川柳」であり、「詩性」と「私性」を分離することが必要だというのが私の立場である。川柳が前句付をルーツとすることから、前句あるいは題からの飛躍によって川柳の一句が成立するとすれば、現代川柳の詩的飛躍は川柳の本質や構造をふまえた正統的な方向だとも思っている。石田柊馬の「川柳味の変転」論を読み返してみて、いろいろ思うところがあったが、現在進行形の川柳の動向のなかで今それぞれの表現者がどのような位置にいるのか確認しておくことが重要だろう。
少年の見遣るは少女鳥雲に 中村草田男
この鳥雲はどの鳥のことだろうか。急に気になってきた。ツグミだろうか。季語が比喩的に使われているけれど、どの鳥を思い浮かべるかによってイメージが多少変わってくる。高橋和巳に「飛翔」という短編があり、一時期高校の教科書にも載っていた。この小説の鳥の群れはツグミだろうが、最後は霞網にかかって死滅する。壊滅してゆく学生運動と重なるイメージである。
今回は川柳のルーツである前句付について触れてみたいが、そういう気になったのは本を整理していて、雑誌のバックナンバーが出てきたからである。「翔臨」71号(2011年6月)に石田柊馬の「川柳味の変転」という文章が掲載されていて、興味深い内容になっている。石田はまず次のように述べている。
「川柳の性質は前句附けで出来上がった。俳諧でいわれる平句が川柳のポジションであり、前句附けでは、先に書かれた七七を受けて五七五を展開する受け身が、川柳味と書き方をつくった。『誹風柳多留』は、前句附けの書き手がうがちと省略を合せる遊戯感覚の書き方をいまに伝えている」
石田の本文では「前句附け」、私の文中では「前句付」という表記にしておく。俳諧と川柳の関係を史的にとらえる視野をもっていたのは前田雀郎だったが、現代川柳の作者のなかで、川柳を前句付と関連させてとらえたのは河野春三であった。春三は前句付に遡ることによって、「うがち」などの三要素とは異なる生活詩としての川柳の可能性を唱えた。石田柊馬も前句付から説き起こしており、川柳を俳諧の平句と位置付けている。「川柳性」という言葉を使うと、何が「川柳性」なのかむずかしい議論になるが、石田は「川柳味」という言葉を使っていて、古川柳から現代川柳にいたる川柳本来の持ち味というくらいのニュアンスだろう。その「川柳味」には「うがち」と「省略」のふたつが含まれると見ている。以下、彼のいうところを辿ってみよう。
石田はまず川柳味の場として「句会」を取りあげている。
「近代化を目指した明治の時代に、先達は前句附けの受動性から、近代的な能動性を求めた。野球でいえばキャッチャーからピッチャーに変わっても川柳が書けると判断した」
前句付を前句からの受動性と見れば、一句独立した川柳は能動性となる。それをキャッチャーからピッチャーへの変化に例えているのは川柳人らしいサービス精神だろう。
「今の眼で見れば、前句附けの質を題詠に引いたときに、前句附けでの飛躍、うがち、省略などが弱くなったと見えるが、前句附けの感覚を越えて、新しい共感性の文芸を一般化することが近代化の実践であったのだろう。題詠は、主に、問答体の書き方を川柳に定着させた。その代表的な場が句会であった」
川柳味の近代化に関しては、前句付から離れたとはいえ、明治の川柳には『柳多留』を思わせる発想と表現の名残りがあるとして、井上剣花坊と阪井久良岐の作品が挙げられている。では、剣花坊・久良岐以後の近代川柳はどうだろうか。
「近代川柳の佳作の多くは、題詠から離れた創作として書かれた」が、大方のレベルは「自己表出と共感性」の位相にとどまって、飽和状態になり、袋小路におちいったという。そして「川柳味」は題詠の方に現れていたと見る。また「川柳の日常詠は圧倒的に退屈なのだ」とも言い、退屈な川柳への批判として次のような句を挙げている。
舐めれば癒える傷 秋陽を占める犬たち 小泉十支尾
倒されて聴くこおろぎの研ぎすまし 時実新子
草いちめん脱走の快感をまてり 草刈蒼之助
首塚の木に鈴なりのあかるさや 福島真澄
その後に「詩性川柳」の時代がやってくる。「うがち」や「省略」より「私の思い」を上位に置く川柳が主流になる。
母系につながる一本の高い細い桐の木 河野春三
花を咲かせ 二秒ほど血をしたたらす 中村冨二
芒野の顔出し遊び何処まで行く 泉淳夫
水を汲む追っているのか追われてか 岩村憲治
川柳的な省略はほとんど見られなくなり、暗喩(メタファー)の追求が重んじられるようになる。象徴語への依存と暗喩の追及が川柳から省略を遠ざけたのだと石田は見ている。
そんな中で省略によって川柳味を取り戻そうとしている作者として樋口由紀子と筒井祥文が挙げられている。
一から百を数えるまではカレー味 樋口由紀子
良いことがあってベンツは裏返る 筒井祥文
以上、石田柊馬の2011年の時点での川柳観を見てきた。石田は「川柳性」の中核に「川柳味」があり、それが川柳の近代化や詩性川柳によって弱まっていると考えているようだ。「川柳味」を「うがち」と「省略」に限定すればそのような把握になるだろうが、限定的な「川柳味」よりも広義の「川柳性」にはもっと様々な要素が含まれる。「川柳の味」というようなものは確かに存在するし、私も「川柳味」を否定しないが、前句付や伝統川柳のなかだけに「川柳味」があるとも思わない。「詩性川柳」の行きづまりに関しては、行きづまったのは「私性川柳」であり、「詩性」と「私性」を分離することが必要だというのが私の立場である。川柳が前句付をルーツとすることから、前句あるいは題からの飛躍によって川柳の一句が成立するとすれば、現代川柳の詩的飛躍は川柳の本質や構造をふまえた正統的な方向だとも思っている。石田柊馬の「川柳味の変転」論を読み返してみて、いろいろ思うところがあったが、現在進行形の川柳の動向のなかで今それぞれの表現者がどのような位置にいるのか確認しておくことが重要だろう。
2022年3月11日金曜日
「私性」とジャンルの圧
短歌・俳句・川柳の三ジャンルの関係には微妙なものがある。読者として作品を読むだけなら問題はないだろうが、特に実作者として関わる場合には屈折した陰影が生まれてくるようだ。たとえば、短歌と川柳の両形式をひとりの表現者が実作するという場合、ふたつの形式を截然と分けて別人格になって言葉を紡ぐのだろうか。あるいは、短歌が川柳に、川柳が短歌に浸透してゆくのだろうか。
短歌と川柳は形式が違うが内容には相通じるものがある、と言われることがある。誰がそんなことを言っているのか、そのような発言にはどんな根拠があるのかと問われても困るが、短歌と川柳には何らかの親和性があるような気がするのは事実である。では、短歌と川柳に通底するものがあるとすれば、それは何だろうか。たぶんそれは「私性」というものだろう。
短歌の「私性」はさておいて、川柳においては「私性川柳」と呼ばれる作品がある。私は「私性川柳」は河野春三を理論的根拠とし、時実新子をピークとする流れととらえている。
おれの ひつぎは おれがくぎうつ 河野春三
凶暴な愛が欲しいの煙突よ 時実新子
作品の根拠は「私」であり、「私」の思いを主として表現している。
私は「私性川柳」のすべてを否定するわけではないけれども、矮小化された「私性」は評価しない。「私」の表現が説得力をもつのは作者のかかえている人生上の事実によってであり、言葉によって作品世界を構築するという考え方は薄かった。それはしばしば作者の病気や苦悩の告白というかたちをとる。病気や生の苦しみは多かれ少なかれ誰にでもあるが、それを訴える人に対して川柳人は「よい川柳が書けるから、よかったね」と言うだろう。これは変化球を投げているのだが、半ば本音も混じっている。暗鬱な句を書いてきた作者が「これからは明るい作品も書きたい」というのに対して、「いや、あなたは病気や苦悩を書くべきで、明るい句はだめだ」と忠告したという話もある。結局、従来の川柳では作品の説得力は作者のかかえている現実によるので、作品の表現レベルによるのではなかった。作品の背後に作者の顔が貼りついているのは気持ちが悪い。
「私性川柳」の解毒剤としてかつて私が考えたのは細田洋二の「言葉の再生」と渡辺隆夫のキャラクター川柳であった。
サルビヤ登る 天の階段 から こぼれ 細田洋二
月よりの使者まだ来ぬかベランダマン 渡辺隆夫
「川柳ジャーナル」のメンバーの中で細田洋二は唯一の「言葉派」であった。渡辺隆夫は作者の実人格とは次元の異なるキャラクターを作中に作り出し、それを諷刺することによって川柳の批評性を守った。
ここで私は「短歌と川柳は形式が違うが内容には相通じるものがある」という言説を、「ある種の短歌とある種の川柳には共通性がある」と言い直さなければならない。ある種の短歌とは「私性」の強い短歌であり、ある種の川柳とは「私性川柳」である。
ところが、近年になって不思議な事態が生まれてきて、現代川柳に「私性」からの解放を見る見方が出てきている。従来、短歌から川柳へと向かう通路は「私性」であったのが、「私性」への同調圧力からの解放のために、「ことば」を入り口とする新たな回路として現代川柳が捉えられはじめたようだ。それほど「私性」の圧は短歌のフィールドで強いのだろう。現代短歌に「言葉派」がどれくらい存在しているのか不明だし、現代川柳の「言葉派」も川柳界全体から見ればマイナーな存在である。ただ、渡辺隆夫が川柳を「何でもありの五七五」と言ったように、川柳が比較的自由な感じがするのだろう。
ジャンルの圧というものはどのフィールドでも存在する。川柳では「一読明快」ということが言われ、意味や作者の実生活上の事実ではなく、テクストの言葉から川柳を読み解くことにまだ慣れていない。現代川柳の難解さや意味不明の作品に対して川柳の危機を唱える人も多い。「それは川柳ではない」。
かつて堺利彦は「分からないけれどおもしろい」と「分かるけれどつまらない」という評価軸を提出したことがあった。川柳表現もこのふたつのあいだで揺れ動いている。「分からないしつまらない」という失敗作も多く見られるが、作品の読みに対するストライク・ゾーンは人によって異なるのだろう。
いずれにしても、ジャンルの圧というものは無視できないが、それぞれの表現者がそれぞれの表現を試みるなかで、新しい作品、新しい作者が生まれてくる可能性を注視しておきたい。
短歌と川柳は形式が違うが内容には相通じるものがある、と言われることがある。誰がそんなことを言っているのか、そのような発言にはどんな根拠があるのかと問われても困るが、短歌と川柳には何らかの親和性があるような気がするのは事実である。では、短歌と川柳に通底するものがあるとすれば、それは何だろうか。たぶんそれは「私性」というものだろう。
短歌の「私性」はさておいて、川柳においては「私性川柳」と呼ばれる作品がある。私は「私性川柳」は河野春三を理論的根拠とし、時実新子をピークとする流れととらえている。
おれの ひつぎは おれがくぎうつ 河野春三
凶暴な愛が欲しいの煙突よ 時実新子
作品の根拠は「私」であり、「私」の思いを主として表現している。
私は「私性川柳」のすべてを否定するわけではないけれども、矮小化された「私性」は評価しない。「私」の表現が説得力をもつのは作者のかかえている人生上の事実によってであり、言葉によって作品世界を構築するという考え方は薄かった。それはしばしば作者の病気や苦悩の告白というかたちをとる。病気や生の苦しみは多かれ少なかれ誰にでもあるが、それを訴える人に対して川柳人は「よい川柳が書けるから、よかったね」と言うだろう。これは変化球を投げているのだが、半ば本音も混じっている。暗鬱な句を書いてきた作者が「これからは明るい作品も書きたい」というのに対して、「いや、あなたは病気や苦悩を書くべきで、明るい句はだめだ」と忠告したという話もある。結局、従来の川柳では作品の説得力は作者のかかえている現実によるので、作品の表現レベルによるのではなかった。作品の背後に作者の顔が貼りついているのは気持ちが悪い。
「私性川柳」の解毒剤としてかつて私が考えたのは細田洋二の「言葉の再生」と渡辺隆夫のキャラクター川柳であった。
サルビヤ登る 天の階段 から こぼれ 細田洋二
月よりの使者まだ来ぬかベランダマン 渡辺隆夫
「川柳ジャーナル」のメンバーの中で細田洋二は唯一の「言葉派」であった。渡辺隆夫は作者の実人格とは次元の異なるキャラクターを作中に作り出し、それを諷刺することによって川柳の批評性を守った。
ここで私は「短歌と川柳は形式が違うが内容には相通じるものがある」という言説を、「ある種の短歌とある種の川柳には共通性がある」と言い直さなければならない。ある種の短歌とは「私性」の強い短歌であり、ある種の川柳とは「私性川柳」である。
ところが、近年になって不思議な事態が生まれてきて、現代川柳に「私性」からの解放を見る見方が出てきている。従来、短歌から川柳へと向かう通路は「私性」であったのが、「私性」への同調圧力からの解放のために、「ことば」を入り口とする新たな回路として現代川柳が捉えられはじめたようだ。それほど「私性」の圧は短歌のフィールドで強いのだろう。現代短歌に「言葉派」がどれくらい存在しているのか不明だし、現代川柳の「言葉派」も川柳界全体から見ればマイナーな存在である。ただ、渡辺隆夫が川柳を「何でもありの五七五」と言ったように、川柳が比較的自由な感じがするのだろう。
ジャンルの圧というものはどのフィールドでも存在する。川柳では「一読明快」ということが言われ、意味や作者の実生活上の事実ではなく、テクストの言葉から川柳を読み解くことにまだ慣れていない。現代川柳の難解さや意味不明の作品に対して川柳の危機を唱える人も多い。「それは川柳ではない」。
かつて堺利彦は「分からないけれどおもしろい」と「分かるけれどつまらない」という評価軸を提出したことがあった。川柳表現もこのふたつのあいだで揺れ動いている。「分からないしつまらない」という失敗作も多く見られるが、作品の読みに対するストライク・ゾーンは人によって異なるのだろう。
いずれにしても、ジャンルの圧というものは無視できないが、それぞれの表現者がそれぞれの表現を試みるなかで、新しい作品、新しい作者が生まれてくる可能性を注視しておきたい。
2022年3月4日金曜日
琉歌と連句
今年の国民文化祭は沖縄で開催される。連句については、「美ら島おきなわ文化祭2022」の「連句の祭典」が10月29日に吟行会、10月30日に実作会(南城市文化センター)が開催されることになっている。今年に入ってから沖縄関係の本を読むことが多くなった。昨年の「国文祭わかやま」のときは南方熊楠の本をいくつか読んだが、今年は伊波普猷の『古琉球』『をなり神の島』を読んで、琉歌のことなどを調べている。南城市は琉歌の盛んなところで、琉歌募集事業が行われている。国文祭では連句と琉歌のコラボも計画されているようだ。
琉歌にはいろいろな種類があるが、普通には「上句・八八 下句・八六」あわせて三十音の定型短歌をさしている。18世紀の代表的な琉歌の作者、恩納なべの作品を紹介する。
恩納岳あがた ウンナダキアガタ
里が生まれ島 サトゥガウマリジマ
もりもおしのけて ムインウシヌキティ
こがたなさな クガタナサナ
(恩納岳の向こうに、恋人の産まれた村がある。
山もおしのけて、こちら側に引き寄せたいものだ。)
恩納なべと並んで有名な吉屋思鶴(よしや・うみづる)の琉歌も紹介しておこう。
流れゆる水に ナガリユルミズィニ
桜花浮けて サクラバナウキティ
色きよらさあてど イルジュラサアティドゥ
すくて見ちやる スクティンチャル
この琉歌には伝説があって、歌会の席で「流れゆる水に桜花浮けて」という上の句に、ある男が下手な下の句を付けて失笑を買ったところ、よしやが「色きよらさあてどすくて見ちゃる」と付けて喝采されたという。また、別の物語ではよしやが出した上の句に下の句を付けたのが仲里按司だということになっている。仲里按司との恋は実らなかったという脚色もある。
琉歌と和歌のコラボとして新しくできたのが仲風(なかふう)という形式で、上の句が七五(七七または五五の場合もある)、下の句が八六。大和の七五音と琉球の八六音とのコラボになる。現代でも琉歌と連句との共演には可能性がありそうだ。
さて、2月に届いた俳誌・川柳誌から作品を紹介しよう。まず俳誌から。
笹鳴きや青から溶かしゆく絵の具 木村リュウジ
「蝶」254号に今泉康弘が「ここは泣いてもいいベンチ」を書いていて、27歳で亡くなったこの俳人を追悼している。木村は「海原」「ロータス」などに参加、「蝶」関係では「兎鹿野句会」にも投句して「高知は第二の故郷だ」と言っていたという。「口紅を拭う二月のみずうみに」「桃を剥く指や影絵のあふれだす」「山茶花ほっここは泣いてもいいベンチ」などの句がある。
手が線をひく蓑虫の暮らしぶり 田島健一
「オルガン」27号から。「手が線をひく」と「蓑虫の暮らしぶり」との関係が分かりにくいが、まったく無関係というのでもなくて、イメージのなかで何かしらつながっている。関係があるとしても、その距離が遠いから説明できないし、無理に説明しようとするとつまらないことになってしまう。季語の本意から読み解くという常套手段も無効のようだが、取合せという点では俳句的とも言えるのだろう。「渡り鳥食べると硬いフォトグラフ」「追放会議ふくろうが声つかい切る」「菜種蒔く靴の歴史のあかるさに」
次に川柳誌「触光」73号から。
みかん箱開けてどの子を選ぼうか 青砥和子
からっぽに詰め込みすぎるから痛い
「みかん箱」だから「どの子」は蜜柑のことだろうが、みかんから離れて一句全体を比喩的に読むこともできる。「からっぽに」も箱のことを言っているが、「痛い」というのだから物を詰め込んでいる場合だけでもなさそうだ。日常的な情景を詠みながら、そこから少し深いところに意味を届かせている。
靴先から黄泉平坂冬に入る 小野善江
展開が面白すぎるポップコーン
人ではなく何かを待って冬木立
同じく「触光」から。小野善江は「蝶」に俳句も投句している。ここでは「冬」「冬木立」という季語も使っているから、柳俳の間に線引きはしていないのだろう。ただ、小野の場合は川柳作品の場合の方がより飛躍感がある。
深みから出てくる筋肉をつけて 広瀬ちえみ
「垂人」41号から。主語が省略されているので、いろいろな状況が想像できる。深みから「私」なり「ある人物」が出てくる。しかも、「筋肉」を付けて。深みとか闇とかいうものが単なるマイナスではなくて、そこを潜り抜けることによってプラスに転じるものとして捉えられている。広瀬ちえみの川柳には一種のオプティミズムがある。「マントから一抱えもの葱を出す」「点滴はきょうでおしまいオーイ雲」「猫帰る向こうの国のごはん食べ」
連句に戻ると、「藝文攷」2021(日大大学院芸術学研究科文芸学専攻)に浅沼璞の「『西鶴独吟百韻自註絵巻』考(一)」が掲載されている。晩年の西鶴は『世間胸算用』などが有名だが、俳諧に復帰もしていた。俳諧と浮世草子という二つのジャンルをもっていたのである。西鶴における詩と散文の混交を示すものとして浅沼は『西鶴独吟百韻自註絵巻』を取りあげている。自らの独吟俳諧に浮世草子風の自註を施したものである。
役者笠秋の夕に見つくして
着ものたゝむやどの舟待
埋れ木に取付貝の名を尋ね
このような三句の渡りに談林親句体から元禄疎句体への志向がうかがえると浅沼は説く。ちなみに浅沼のこの論考は「ウラハイ」(週刊俳句)に連載された「西鶴ざんまい」を加筆修正して論文化したということである。
琉歌にはいろいろな種類があるが、普通には「上句・八八 下句・八六」あわせて三十音の定型短歌をさしている。18世紀の代表的な琉歌の作者、恩納なべの作品を紹介する。
恩納岳あがた ウンナダキアガタ
里が生まれ島 サトゥガウマリジマ
もりもおしのけて ムインウシヌキティ
こがたなさな クガタナサナ
(恩納岳の向こうに、恋人の産まれた村がある。
山もおしのけて、こちら側に引き寄せたいものだ。)
恩納なべと並んで有名な吉屋思鶴(よしや・うみづる)の琉歌も紹介しておこう。
流れゆる水に ナガリユルミズィニ
桜花浮けて サクラバナウキティ
色きよらさあてど イルジュラサアティドゥ
すくて見ちやる スクティンチャル
この琉歌には伝説があって、歌会の席で「流れゆる水に桜花浮けて」という上の句に、ある男が下手な下の句を付けて失笑を買ったところ、よしやが「色きよらさあてどすくて見ちゃる」と付けて喝采されたという。また、別の物語ではよしやが出した上の句に下の句を付けたのが仲里按司だということになっている。仲里按司との恋は実らなかったという脚色もある。
琉歌と和歌のコラボとして新しくできたのが仲風(なかふう)という形式で、上の句が七五(七七または五五の場合もある)、下の句が八六。大和の七五音と琉球の八六音とのコラボになる。現代でも琉歌と連句との共演には可能性がありそうだ。
さて、2月に届いた俳誌・川柳誌から作品を紹介しよう。まず俳誌から。
笹鳴きや青から溶かしゆく絵の具 木村リュウジ
「蝶」254号に今泉康弘が「ここは泣いてもいいベンチ」を書いていて、27歳で亡くなったこの俳人を追悼している。木村は「海原」「ロータス」などに参加、「蝶」関係では「兎鹿野句会」にも投句して「高知は第二の故郷だ」と言っていたという。「口紅を拭う二月のみずうみに」「桃を剥く指や影絵のあふれだす」「山茶花ほっここは泣いてもいいベンチ」などの句がある。
手が線をひく蓑虫の暮らしぶり 田島健一
「オルガン」27号から。「手が線をひく」と「蓑虫の暮らしぶり」との関係が分かりにくいが、まったく無関係というのでもなくて、イメージのなかで何かしらつながっている。関係があるとしても、その距離が遠いから説明できないし、無理に説明しようとするとつまらないことになってしまう。季語の本意から読み解くという常套手段も無効のようだが、取合せという点では俳句的とも言えるのだろう。「渡り鳥食べると硬いフォトグラフ」「追放会議ふくろうが声つかい切る」「菜種蒔く靴の歴史のあかるさに」
次に川柳誌「触光」73号から。
みかん箱開けてどの子を選ぼうか 青砥和子
からっぽに詰め込みすぎるから痛い
「みかん箱」だから「どの子」は蜜柑のことだろうが、みかんから離れて一句全体を比喩的に読むこともできる。「からっぽに」も箱のことを言っているが、「痛い」というのだから物を詰め込んでいる場合だけでもなさそうだ。日常的な情景を詠みながら、そこから少し深いところに意味を届かせている。
靴先から黄泉平坂冬に入る 小野善江
展開が面白すぎるポップコーン
人ではなく何かを待って冬木立
同じく「触光」から。小野善江は「蝶」に俳句も投句している。ここでは「冬」「冬木立」という季語も使っているから、柳俳の間に線引きはしていないのだろう。ただ、小野の場合は川柳作品の場合の方がより飛躍感がある。
深みから出てくる筋肉をつけて 広瀬ちえみ
「垂人」41号から。主語が省略されているので、いろいろな状況が想像できる。深みから「私」なり「ある人物」が出てくる。しかも、「筋肉」を付けて。深みとか闇とかいうものが単なるマイナスではなくて、そこを潜り抜けることによってプラスに転じるものとして捉えられている。広瀬ちえみの川柳には一種のオプティミズムがある。「マントから一抱えもの葱を出す」「点滴はきょうでおしまいオーイ雲」「猫帰る向こうの国のごはん食べ」
連句に戻ると、「藝文攷」2021(日大大学院芸術学研究科文芸学専攻)に浅沼璞の「『西鶴独吟百韻自註絵巻』考(一)」が掲載されている。晩年の西鶴は『世間胸算用』などが有名だが、俳諧に復帰もしていた。俳諧と浮世草子という二つのジャンルをもっていたのである。西鶴における詩と散文の混交を示すものとして浅沼は『西鶴独吟百韻自註絵巻』を取りあげている。自らの独吟俳諧に浮世草子風の自註を施したものである。
役者笠秋の夕に見つくして
着ものたゝむやどの舟待
埋れ木に取付貝の名を尋ね
このような三句の渡りに談林親句体から元禄疎句体への志向がうかがえると浅沼は説く。ちなみに浅沼のこの論考は「ウラハイ」(週刊俳句)に連載された「西鶴ざんまい」を加筆修正して論文化したということである。
2022年2月25日金曜日
川柳は「母」をどう詠んできたか
「文藝」2022年春季号は「母の娘」という特集をしている。イ・ランの「母と娘たちの狂女の歴史」、「物語化された『母』を解放するブックガイド20」、平岡直子の「お母さん、ステルス戦闘機」など興味深い内容になっている。
ところで川柳において「母」のテーマはどのように扱われてきたのだろうか。「母」は「父」や「妻」とならんで、しばしば詠まれてきた。今回は『近・現代川柳アンソロジー』(新葉館出版)から「母」を詠んだ作品を紹介してみたい。
その前に出発点となるのは『柳多留』の次の句である。
母親はもつたいないがだましよい 『誹風柳多留』初編619
「~は~」という文体の問答構造になっているから、川柳の基本形と言える。母親というものはどういう存在かについて二面的なとらえ方をしている。いわゆる「うがち」の句。アフォリズム(箴言)に通じるところもあり、母親に対する川柳人の見方の原点がここにある。では近代に入るとどうなるだろうか。以下『近・現代川柳アンソロジー』からの引用になる。
母老いて小さくなりし飯茶碗 井上剣花坊
はゝのする通りに座る仏の灯 西島〇丸
母の日の母が笑ってみな笑い 前田伍健
母一人子一人線香花火消え 濱夢助
母親の留守の鋏がよく切れる 小田夢路
井上剣花坊は明治の新川柳(近代川柳)の創始者のひとり。母のイメージが飯茶碗や仏壇と結びついている。古典的な家族の姿である。家庭の中心に母の存在があって、母が笑うとみんなが笑うのだ。近代になると「母」を客観的・批評的に眺めるのではなくて、「母」に対する「思い」や感情が入ってくる。本来、「思い」は個人的なものであるはずだが、川柳の場合は社交文芸の面があるので、個人の独自な感情というより、誰もが共感するような社会的感情が選ばれる。この中では小田夢路の句だけ、少し異質である。
世の中におふくろほどのふしあはせ 吉川雉子郎
母ある夜母も不幸をしたはなし 山路星文洞
お袋の一つ話はスリに会い 伊志田孝三郎
お袋も小手をかざせば腕時計 富野鞍馬
おふくろと駅から歩く秋祭り 進藤一車
初霜は母が見つけただけで消え 北村白眼子
男の子の母に対する視点から詠まれた句。吉川雉子郎は『宮本武蔵』を書いた吉川英治の川柳名。彼は川上三太郎の友人で川柳の作者としても著名。山路星文洞、伊志田孝三郎はそれぞれ母の語る話に焦点をあてている。
母ひとり静けさにいるお元日 藤島茶六
ふと母の白髪へ映える陽を眺め 佐藤鶯渓
母と来たころの芦の湖小さい船 近江砂人
ほんとうに疲れた足袋を 母は脱ぎ 永田暁風
母いつか寝て月光の写真集 中川一
母の孤独や老い、母との思い出など、説明は不要だろう。
壕を出た無事な母子の手の温み 河村露村女
母と出て母と内緒の氷水 前田雀郎
母と一と言今朝沓下の新らしき 房川素生
母子ねむる勾玉のごと対い合い 光武弦太朗
母に聴くわがおひたちの蝶遠き 田辺幻樹
母子関係の句である。河村露村女の句は戦争中の防空壕を詠んだもの。前田雀郎の句は母と子の隠微な共犯関係。房川素生は新しい靴下を整えてくれた母と少ない言葉で感情が伝わっており、光武弦太朗は母子関係を勾玉にたとえている。田辺幻樹は川上三太郎の門下で、「川柳研究」の詩性派を代表する作者。現在では「蝶」を出した程度では詩性川柳と言えないかもしれないが、当時としては新鮮だっただろう。
母系につながる一本の高い細い桐の木 河野春三
この句は「母」をテーマとした句とは少し外れるかもしれないが、母系というパースペクティブで時間の流れを感じさせ、それを一本の桐の木で象徴している。現代川柳のなかで忘れることのできない作品のひとつである。
これはたたみか
芒が原か
父かえせ
母かえせ 松本芳味
松本芳味は多行川柳の代表的作者。母のテーマというより、父と母のペアの表現だが、ここで紹介しておく。
台所妻にもなれず母にもなれず 林ふじを
子供は母をためしつづける花畠 前田芙巳代
母はまだひとりでまたぐ水たまり 森中惠美子
てのひらの傷から湧いて母の水 児玉怡子
母からの手紙ひらけば酢の匂い 木本朱夏
老母よははよ急がねば鐘鳴り止まん 西条真紀
林ふじをは「ベッドの絶叫夜のブランコ乗る」で有名な川柳人。良妻賢母型の女性観に対する異議申立てである。あとの作品は、子ども、特に娘の視点から見た母の像である。娘の母に対する関係はふつうエレクトラ・コンプレックスと呼ばれるが、ここではそのような深層心理は表現されていない。
亡母の闇この世は雨が降っています 橘高薫風
花野より亡母来て父の浮かれよう 伊藤律
母が死に母が飼ってた鳥も死ぬ 新家完司
母死んで天高々と葱を吊る 酒谷愛郷
亡き母を詠んだ句。「亡母」と書いて「はは」と読ませる。川柳の句会では選者の披講を耳で聞いて理解するので、選者は「はは」と読んだあと、「亡き母」の「はは」ですと説明を入れたりする。橘高薫風の句は亡き母とこの世に生きる私との対話。男性視点に対して伊藤律は女性視点から浮かれる父に対して冷静な目を向けている。新家完司はユーモアと笑いを得意とする作者だが、この場合は逆に冷徹に母の死を受け止めている。酒谷愛郷の場合も感情に流れていないが、母と葱のイメージが結びついているところが古風。
軽い女で母で死にたし 沖ゆく舟よ 金山英子
母だった記憶が欠けて行く夕陽 滋野さち
母を誹れば肉のこすれる音がする 高鶴礼子
女性の作者の句である。「軽い女=母」という金山の句、母だったことを過去形で語る滋野の句、母を誹ることが自己をそしることにつながる高鶴の句。それぞれ、自己の内なる母と対峙している。
代理母に白湯を注げば午後のキオスク きゅういち
ここまで来れば、母に対する感傷性とは無縁になる。「母」をテーマとした川柳はもっと多様であるはずで、すでに『近・現代川柳アンソロジー』の範囲を越える。たとえば『はじめまして現代川柳』に収録されている次の句などはどうだろう。
かあさんを指で潰してしまったわ 榊陽子
「母親はもつたいないがだましよい」の「うがち」の句からはじまった「母」のテーマは榊のこの悪意ある句によってひとつの結末を迎えている。「母」を詠む川柳はさらなる新機軸を打ち出すことができるだろうか。
ところで川柳において「母」のテーマはどのように扱われてきたのだろうか。「母」は「父」や「妻」とならんで、しばしば詠まれてきた。今回は『近・現代川柳アンソロジー』(新葉館出版)から「母」を詠んだ作品を紹介してみたい。
その前に出発点となるのは『柳多留』の次の句である。
母親はもつたいないがだましよい 『誹風柳多留』初編619
「~は~」という文体の問答構造になっているから、川柳の基本形と言える。母親というものはどういう存在かについて二面的なとらえ方をしている。いわゆる「うがち」の句。アフォリズム(箴言)に通じるところもあり、母親に対する川柳人の見方の原点がここにある。では近代に入るとどうなるだろうか。以下『近・現代川柳アンソロジー』からの引用になる。
母老いて小さくなりし飯茶碗 井上剣花坊
はゝのする通りに座る仏の灯 西島〇丸
母の日の母が笑ってみな笑い 前田伍健
母一人子一人線香花火消え 濱夢助
母親の留守の鋏がよく切れる 小田夢路
井上剣花坊は明治の新川柳(近代川柳)の創始者のひとり。母のイメージが飯茶碗や仏壇と結びついている。古典的な家族の姿である。家庭の中心に母の存在があって、母が笑うとみんなが笑うのだ。近代になると「母」を客観的・批評的に眺めるのではなくて、「母」に対する「思い」や感情が入ってくる。本来、「思い」は個人的なものであるはずだが、川柳の場合は社交文芸の面があるので、個人の独自な感情というより、誰もが共感するような社会的感情が選ばれる。この中では小田夢路の句だけ、少し異質である。
世の中におふくろほどのふしあはせ 吉川雉子郎
母ある夜母も不幸をしたはなし 山路星文洞
お袋の一つ話はスリに会い 伊志田孝三郎
お袋も小手をかざせば腕時計 富野鞍馬
おふくろと駅から歩く秋祭り 進藤一車
初霜は母が見つけただけで消え 北村白眼子
男の子の母に対する視点から詠まれた句。吉川雉子郎は『宮本武蔵』を書いた吉川英治の川柳名。彼は川上三太郎の友人で川柳の作者としても著名。山路星文洞、伊志田孝三郎はそれぞれ母の語る話に焦点をあてている。
母ひとり静けさにいるお元日 藤島茶六
ふと母の白髪へ映える陽を眺め 佐藤鶯渓
母と来たころの芦の湖小さい船 近江砂人
ほんとうに疲れた足袋を 母は脱ぎ 永田暁風
母いつか寝て月光の写真集 中川一
母の孤独や老い、母との思い出など、説明は不要だろう。
壕を出た無事な母子の手の温み 河村露村女
母と出て母と内緒の氷水 前田雀郎
母と一と言今朝沓下の新らしき 房川素生
母子ねむる勾玉のごと対い合い 光武弦太朗
母に聴くわがおひたちの蝶遠き 田辺幻樹
母子関係の句である。河村露村女の句は戦争中の防空壕を詠んだもの。前田雀郎の句は母と子の隠微な共犯関係。房川素生は新しい靴下を整えてくれた母と少ない言葉で感情が伝わっており、光武弦太朗は母子関係を勾玉にたとえている。田辺幻樹は川上三太郎の門下で、「川柳研究」の詩性派を代表する作者。現在では「蝶」を出した程度では詩性川柳と言えないかもしれないが、当時としては新鮮だっただろう。
母系につながる一本の高い細い桐の木 河野春三
この句は「母」をテーマとした句とは少し外れるかもしれないが、母系というパースペクティブで時間の流れを感じさせ、それを一本の桐の木で象徴している。現代川柳のなかで忘れることのできない作品のひとつである。
これはたたみか
芒が原か
父かえせ
母かえせ 松本芳味
松本芳味は多行川柳の代表的作者。母のテーマというより、父と母のペアの表現だが、ここで紹介しておく。
台所妻にもなれず母にもなれず 林ふじを
子供は母をためしつづける花畠 前田芙巳代
母はまだひとりでまたぐ水たまり 森中惠美子
てのひらの傷から湧いて母の水 児玉怡子
母からの手紙ひらけば酢の匂い 木本朱夏
老母よははよ急がねば鐘鳴り止まん 西条真紀
林ふじをは「ベッドの絶叫夜のブランコ乗る」で有名な川柳人。良妻賢母型の女性観に対する異議申立てである。あとの作品は、子ども、特に娘の視点から見た母の像である。娘の母に対する関係はふつうエレクトラ・コンプレックスと呼ばれるが、ここではそのような深層心理は表現されていない。
亡母の闇この世は雨が降っています 橘高薫風
花野より亡母来て父の浮かれよう 伊藤律
母が死に母が飼ってた鳥も死ぬ 新家完司
母死んで天高々と葱を吊る 酒谷愛郷
亡き母を詠んだ句。「亡母」と書いて「はは」と読ませる。川柳の句会では選者の披講を耳で聞いて理解するので、選者は「はは」と読んだあと、「亡き母」の「はは」ですと説明を入れたりする。橘高薫風の句は亡き母とこの世に生きる私との対話。男性視点に対して伊藤律は女性視点から浮かれる父に対して冷静な目を向けている。新家完司はユーモアと笑いを得意とする作者だが、この場合は逆に冷徹に母の死を受け止めている。酒谷愛郷の場合も感情に流れていないが、母と葱のイメージが結びついているところが古風。
軽い女で母で死にたし 沖ゆく舟よ 金山英子
母だった記憶が欠けて行く夕陽 滋野さち
母を誹れば肉のこすれる音がする 高鶴礼子
女性の作者の句である。「軽い女=母」という金山の句、母だったことを過去形で語る滋野の句、母を誹ることが自己をそしることにつながる高鶴の句。それぞれ、自己の内なる母と対峙している。
代理母に白湯を注げば午後のキオスク きゅういち
ここまで来れば、母に対する感傷性とは無縁になる。「母」をテーマとした川柳はもっと多様であるはずで、すでに『近・現代川柳アンソロジー』の範囲を越える。たとえば『はじめまして現代川柳』に収録されている次の句などはどうだろう。
かあさんを指で潰してしまったわ 榊陽子
「母親はもつたいないがだましよい」の「うがち」の句からはじまった「母」のテーマは榊のこの悪意ある句によってひとつの結末を迎えている。「母」を詠む川柳はさらなる新機軸を打ち出すことができるだろうか。
2022年2月18日金曜日
「川柳ねじまき」と「川柳木馬」
最近では川柳のネット句会も増えてきて、暮田真名の「ぺら句会」、湊圭伍の「海馬川柳句会」、川柳スープレックスの「七七句会」など、あちこちで開催されている。昨年の夏には「川柳ねじまき」による「十七人の選者による十七題のネット句会」が開催された。「ねじまき句会」十七周年を記念したもので、123名の参加者、1996句の投句があったという。その選考会の記録が「川柳ねじまき」8号に掲載されているので紹介する。大賞は次の句である。
七ってさたまに突風混ざるよね 尾崎良仁
討論では次のような発言がある。
「非常に感性がいいなという気がします」
「この句はすごく突破力のある句だと思いました。耳で聞いてすぐわかるんだけれども、意味はすぐにはわからない。意味はわからないんだけれども何だかおもしろい」
「わりと意味性を外した句が多いと思いましたが、世の中でやっている普通のつくり方でつくった意味性のある句の中にかなりいい句が多いなと思ったので、何となく意味を飛ばすという句には目がいかなかったですね」
「場には、飛ばすという場とロジカルにつくる場があって、ロジカルな句の中にもいい句がいっぱいあるじゃないかと最近思うんですよ」
「川柳を読んでいて、ちっとも突飛なことじゃないんだけど、そこから新しい切り口っていうか、今まで自分が意識してなかったこととか、どっかにあったけどまだ言葉にしてなかったことが見えてくるとうれしい気持ちになりますよね」
いろいろな川柳観が交錯していて興味深い。「感性」「突破力」「意味性」「飛ばすこととロジカルなこと」「新しい切り口」など、評価の基準はさまざまである。「普通のつくり方」「一般的なつくり方」というのも時代や集団によって変わってくるものだし、意味性のある句が良い場合もあれば詩的飛躍の句がおもしろい場合もある。川柳の書き方は作者によって異なるし、同じ作者でも場合によって異なることもあるが、読み手の方はそれぞれの書き方のなかで成功しているか失敗しているかを判断することになるのだろう。
大賞句以外の作品について、既成の構文を使う場合はよほど新しさが感じられないといただけないという意見や、十七音の中で何かを対比させるときに、構文は有効なんじゃないかという意見があった。固有名詞に関しては「俳句で言う季語のようなもの」と捉えているという発言もあり、突っ込んだ議論がなされていることがうかがえる。
封開ける時にハサミは嗚咽した 尾崎良仁
次に同人の作品も紹介しておく。あと、連句作品として二十韻「梅二月」の巻が掲載されている。
撫でてやる日本列島きゅーと鳴く なかはられいこ
あふれない水でいましょう いよう 瀧村小奈生
S席で立ち上がる半跏思惟像 中川喜代子
こしあんになっても空を忘れない 米山明日歌
たましいはなべてすずしいえびかずら 八上桐子
ナスカより星降る音の生中継 青砥和子
しばらくはチラシを食べる空家の戸 安藤なみ
せせらぎの大きな青にむせている 妹尾凛
コンビニで四時間遊ぶのも辛い 丸山進
変身するときは背中から割れる 岡谷樹
大仏の研究室から来た扉 二村典子
息継ぎにうっかり浮いて掬われる 猫田千恵子
「川柳木馬」171号、巻頭で内田万貴が高知県立文学館で開催された「生誕150年幸徳秋水展」について書いている。秋水は四万十市に生れた社会主義者で「平民新聞」を創刊、大逆事件で処刑された。高知は自由民権運動の盛んな土地で、「間島パルチザンの歌」で有名なプロレタリア詩人・槙村浩もここで生れている。連句関係では寺田寅彦のゆかりの地で、寺田寅彦記念館もある。文学・思想の面でも興味深い土地柄である。
「川柳木馬」同人作品から紹介しよう。
牛乳をこぼして猫を呼んでいる 古谷恭一
舌足らず自分をしゃぶるハーモニカ 大野美恵
貉藻も咲いたことだし許してあげる 萩原良子
深呼吸ひとつであらかたが開く 内田万貴
英国史薔薇の名札を見て怒る 畑山弘
百均で「これはいくら」と訊いている 小野善江
玉手箱売る自販機があるらしい 森乃鈴
昨日から肉感のある広辞苑 清水かおり
やあ!なんて言ってみたけどあれは誰? 山下和代
過ぎたこと木の裂けることありやなしや 岡林裕子
浜木綿の痛みほどではないけれど 立花末美
最低賃金の下っ腹を喰う 田久保亜蘭
ネバネバしてる 勇気とか感動とか 高橋由美
高橋由美が10年ぶりに本誌に復帰していることに注目した。
集めてみたよ でも君の蛍じゃなかった 高橋由美
君のパスワード 僕の設計図に見える
君と僕の関係性はさまざまで、求めていたような「君の蛍」ではなかったと失望することもあれば、君のパスワードと僕の設計図が重なって見える場合(幻影にすぎないとしても)もある。一時期の「木馬」誌で「君」「僕」などの人称代名詞が多用されていて、その代表的な作者が高橋由美だった。作風は10年前と基本的にはかわっていないようだが、今後の作品の展開が楽しみだ。
七ってさたまに突風混ざるよね 尾崎良仁
討論では次のような発言がある。
「非常に感性がいいなという気がします」
「この句はすごく突破力のある句だと思いました。耳で聞いてすぐわかるんだけれども、意味はすぐにはわからない。意味はわからないんだけれども何だかおもしろい」
「わりと意味性を外した句が多いと思いましたが、世の中でやっている普通のつくり方でつくった意味性のある句の中にかなりいい句が多いなと思ったので、何となく意味を飛ばすという句には目がいかなかったですね」
「場には、飛ばすという場とロジカルにつくる場があって、ロジカルな句の中にもいい句がいっぱいあるじゃないかと最近思うんですよ」
「川柳を読んでいて、ちっとも突飛なことじゃないんだけど、そこから新しい切り口っていうか、今まで自分が意識してなかったこととか、どっかにあったけどまだ言葉にしてなかったことが見えてくるとうれしい気持ちになりますよね」
いろいろな川柳観が交錯していて興味深い。「感性」「突破力」「意味性」「飛ばすこととロジカルなこと」「新しい切り口」など、評価の基準はさまざまである。「普通のつくり方」「一般的なつくり方」というのも時代や集団によって変わってくるものだし、意味性のある句が良い場合もあれば詩的飛躍の句がおもしろい場合もある。川柳の書き方は作者によって異なるし、同じ作者でも場合によって異なることもあるが、読み手の方はそれぞれの書き方のなかで成功しているか失敗しているかを判断することになるのだろう。
大賞句以外の作品について、既成の構文を使う場合はよほど新しさが感じられないといただけないという意見や、十七音の中で何かを対比させるときに、構文は有効なんじゃないかという意見があった。固有名詞に関しては「俳句で言う季語のようなもの」と捉えているという発言もあり、突っ込んだ議論がなされていることがうかがえる。
封開ける時にハサミは嗚咽した 尾崎良仁
次に同人の作品も紹介しておく。あと、連句作品として二十韻「梅二月」の巻が掲載されている。
撫でてやる日本列島きゅーと鳴く なかはられいこ
あふれない水でいましょう いよう 瀧村小奈生
S席で立ち上がる半跏思惟像 中川喜代子
こしあんになっても空を忘れない 米山明日歌
たましいはなべてすずしいえびかずら 八上桐子
ナスカより星降る音の生中継 青砥和子
しばらくはチラシを食べる空家の戸 安藤なみ
せせらぎの大きな青にむせている 妹尾凛
コンビニで四時間遊ぶのも辛い 丸山進
変身するときは背中から割れる 岡谷樹
大仏の研究室から来た扉 二村典子
息継ぎにうっかり浮いて掬われる 猫田千恵子
「川柳木馬」171号、巻頭で内田万貴が高知県立文学館で開催された「生誕150年幸徳秋水展」について書いている。秋水は四万十市に生れた社会主義者で「平民新聞」を創刊、大逆事件で処刑された。高知は自由民権運動の盛んな土地で、「間島パルチザンの歌」で有名なプロレタリア詩人・槙村浩もここで生れている。連句関係では寺田寅彦のゆかりの地で、寺田寅彦記念館もある。文学・思想の面でも興味深い土地柄である。
「川柳木馬」同人作品から紹介しよう。
牛乳をこぼして猫を呼んでいる 古谷恭一
舌足らず自分をしゃぶるハーモニカ 大野美恵
貉藻も咲いたことだし許してあげる 萩原良子
深呼吸ひとつであらかたが開く 内田万貴
英国史薔薇の名札を見て怒る 畑山弘
百均で「これはいくら」と訊いている 小野善江
玉手箱売る自販機があるらしい 森乃鈴
昨日から肉感のある広辞苑 清水かおり
やあ!なんて言ってみたけどあれは誰? 山下和代
過ぎたこと木の裂けることありやなしや 岡林裕子
浜木綿の痛みほどではないけれど 立花末美
最低賃金の下っ腹を喰う 田久保亜蘭
ネバネバしてる 勇気とか感動とか 高橋由美
高橋由美が10年ぶりに本誌に復帰していることに注目した。
集めてみたよ でも君の蛍じゃなかった 高橋由美
君のパスワード 僕の設計図に見える
君と僕の関係性はさまざまで、求めていたような「君の蛍」ではなかったと失望することもあれば、君のパスワードと僕の設計図が重なって見える場合(幻影にすぎないとしても)もある。一時期の「木馬」誌で「君」「僕」などの人称代名詞が多用されていて、その代表的な作者が高橋由美だった。作風は10年前と基本的にはかわっていないようだが、今後の作品の展開が楽しみだ。
2022年2月11日金曜日
自由律川柳誌「視野」
『近・現代川柳アンソロジー』(新葉館出版)は堺利彦・桒原道夫の編集による労作だが、そのなかに觀田鶴太郎(かんだ・つるたろう)と石川棄郎(いしかわ・すてろう)が収録されている。この二人は川柳における自由律の作者である。自由律川柳についてはあまり語られることがないので、少し詳しく紹介しておこう。
觀田鶴太郎は「ふあうすと」の同人だったが、1930年代に入って「ふあうすと」内部に自由律川柳が台頭し、論争が行われたようで、鶴太郎は同人を辞退し、1934年に自由律川柳誌「視野」(孔版8ページ)を創刊する。 詩川柳を志していた彼は井泉水・放哉・一石路などの自由律俳句運動に刺激を受けていた。「視野」には鶴太郎のほか大野了念、石川棄郎、枝松規堂、伊良子擁一などが集まった。
1941年に視野発行所から出された『自由律川柳合同句集Ⅰ』(編集・伊良子擁一、発行・石川棄郎)という冊子がある。私が持っているのは墨作二郎による復刻版だが、そこに鶴太郎が「『視野』小史」を書いている。
「『視野』は昭和十年三月、『ふあうすと』自由律派の觀田鶴太郎、大野了念、石河棄郎、枝松規堂、それに自由律短歌から来た伊良子擁一らの手によって、謄写版8頁と云う貧しい出発がなされた。規堂の編集手腕は、翌十一年一月には活版24頁にまで成長せしめ二十人に近い自由律作家を擁するに至らしめた。その間『芥子粒』の鈴木小寒郎、河西白鳥らの来り援くるあり、なお柳壇の各方面から寄稿を得るなど、極めて活発な動きを見せていたが、惜しくもその十一月には規堂を亡い、ここに一頓座を呈するに至ったが、石河棄郎、鈴木正次と編集を承けつぎ、昭和十四年四月一回の休刊もなく五十号を迎うるに至った」「昭和十~十二年の間殷盛を見せた自由律川柳誌も十三年頃には殆ど姿を没し去って、『視野』は残る唯一の自由律川柳誌となってしまった。五十号より擁一が編集に当り、自由律川柳運動再建のため奮闘が続けられている」(石河棄郎は石川棄郎と同じ)
『自由律川柳合同句集Ⅰ』から「視野」の作品を引用しておく。
どれもさびしさうな羅漢の顔のあちら向きこちら向き 觀田鶴太郎
刻々の水あくまで赫く限りあるものの目前 鈴木小寒郎
姉弟の鼻が似てゐる話きいてゐる顔 大野了念
かさりと枯葉の郵便受に一枚きてゐる 石河棄郎
これで眠れるねむり薬の軽い音さへ 枝松規堂
炎天のだだつぴろい橋桁をむんずと渡る兵 河西白鳥
鈴木小寒郎の「自由律川柳小史」によると、自由律川柳は自然発生的には井上剣花坊や川上日車などによる「破調」の試みがあったが、意識的な出発は河野鉄羅漢などによる「街燈」(大正七年一月創刊、岡山)によってなされた。その後、分散的な時期を経て、第二期がはじまったのが「視野」(昭和十年、神戸)の創刊である。「視野」は自由律専門誌であって、柳誌の一部分に自由律作品が掲載されるというかたちではない。自由律の川柳誌としては他に、「手」(大阪)「紫」(名古屋)「川柳ビル」(京都)などがあった。「視野」の主張は「現代口語の短詩的活用」「生活真実描写」「自然諷詠の積極的許容」などであったという。
『近・現代川柳アンソロジー』に収録されている觀田鶴太郎の作品を五句挙げておこう。
わが家へ近い月夜のステツキをふる 觀田鶴太郎
菊のせて人力車がゆく
広告が傾いてゐて菜の花の盛り
バスちらと海見せてそれからの揺れよう
わたしに似た羅漢さんをみつけてだまつてゐる
鶴太郎の死後、1952年に石川棄郎は「視野」を復活させる。雑誌ではなくハガキ版で、印刷されたハガキをそのまま送るようになっている。
1952年11月号から、二句ずつ紹介しておく。
白い霧が流れる青い月に吹く風 大野了然
赤とんぼ陽なたぼっこの絵本にくる
小荷物は蕎麦の袋、添えてある姉の候文 山本浄平
夢に見て雪樹につまず道にもつまず消える
濡れてレインコートのルーデサックのようなお嬢さんで 石川棄郎
それだけのことだとくるりと女へ背を向けて寝る
家内みな出払って、ほこりをそっと寝ている 三村洪翠
昼風呂、首だけが留守番している
パチンコ屋の花輪も雨で、ヤットン節のレコード 及川文福
どっしり仏具屋の重い火鉢でお年寄りばかり
わたしにはわたしの夢がありますミシンの音 重福草洋
麦少しのびて風のとむらいの列の後につづく
興味深いのは時実新子の自由律作品が「視野」に散見されることである。新子には自由律作品はないと思っている人がいるかもしれないが、そんなことはない。資料的な意味もあるので、新子の「視野」掲載作品をいくつか抜き出しておく。
夫が封を切っている私へ来た手紙(1956年12月)
落葉の道シモーヌを想う私は子連れ
ここにかなしき夫婦像あり闇は脈打ち(1958年8月)
思慕の限りなければ釜底光らす
やがて朝の心が宿る獣欲の木偶
テレビ番組の山下清絵はこう画くとマジックのすでに無中で(1958年12月)
触覚に問いつめられてゆく汗の指紋に壁が崩れる
魚臭、三等車は息切れの窓に景色を映さない(1959年1月)
スチームは嘔吐を続け車内灯悉く朝の陽に抗う
雨の舗道に片恋の吸盤押しつけられて卯の花開く(1959年6月)
拾った恋を白い林に埋めて五月、青衣の孤独
同じ時期に墨作二郎も出句している。作二郎らしい長律作品である。
シンドバッドの眼は黄色い灯をともしている。その満員電車の未知の男女(1958年8月)
黄牛のふくらみが昇天する訓え。トマトの溢血を傷のように噛むのか
これは浴室の跡の水色のタイルの一枚に、短い影の茂りに詩人の活字
風の神は飴をしゃぶりながら恋の仕事をする。詩人は荒々しさを書くのに(1958年12月)
ニンフが好きになっても溜息の大きさが笑われます。風の神様の骨折れること
静かに呼吸しているのに波が白くなって風の神の鼻先に桜貝、蝶は寒いのです
北風と西風の昔話しは美しい秋の夕景に輝やいています。祝福されるフロラ
自画像の裏に黒い疲れが坐っている。マッチのラベルの並んだ灯(1959年1月)
霧の中から糖化したいのち。ザボンの熟れた寒い光りを知っていたが
指先の海が光る 吊された糸は焼場へ行った蝶の悲しいヒゲなのか
あと河野春三「遮断木おりる 牛の盲従のいつまでか」「銀行から死を抽出すより外はない」「夕陽射られて知だらけの運河のすべて」や清水美江「陽と微風に誘い出されたはちが僕を呼んでる」「疎林の入日踏みつつ帰棟する白衣」「風媒花の確率の中で種がふくらむ」などの作品も掲載されている。
棄郎の句が最後に掲載されているのは、1975年9月の次の句である。ハガキ版「視野」は1978年1月で終わっている。
階段を昇る ふたつのまなこ ひとつのいき 石川棄郎
觀田鶴太郎は「ふあうすと」の同人だったが、1930年代に入って「ふあうすと」内部に自由律川柳が台頭し、論争が行われたようで、鶴太郎は同人を辞退し、1934年に自由律川柳誌「視野」(孔版8ページ)を創刊する。 詩川柳を志していた彼は井泉水・放哉・一石路などの自由律俳句運動に刺激を受けていた。「視野」には鶴太郎のほか大野了念、石川棄郎、枝松規堂、伊良子擁一などが集まった。
1941年に視野発行所から出された『自由律川柳合同句集Ⅰ』(編集・伊良子擁一、発行・石川棄郎)という冊子がある。私が持っているのは墨作二郎による復刻版だが、そこに鶴太郎が「『視野』小史」を書いている。
「『視野』は昭和十年三月、『ふあうすと』自由律派の觀田鶴太郎、大野了念、石河棄郎、枝松規堂、それに自由律短歌から来た伊良子擁一らの手によって、謄写版8頁と云う貧しい出発がなされた。規堂の編集手腕は、翌十一年一月には活版24頁にまで成長せしめ二十人に近い自由律作家を擁するに至らしめた。その間『芥子粒』の鈴木小寒郎、河西白鳥らの来り援くるあり、なお柳壇の各方面から寄稿を得るなど、極めて活発な動きを見せていたが、惜しくもその十一月には規堂を亡い、ここに一頓座を呈するに至ったが、石河棄郎、鈴木正次と編集を承けつぎ、昭和十四年四月一回の休刊もなく五十号を迎うるに至った」「昭和十~十二年の間殷盛を見せた自由律川柳誌も十三年頃には殆ど姿を没し去って、『視野』は残る唯一の自由律川柳誌となってしまった。五十号より擁一が編集に当り、自由律川柳運動再建のため奮闘が続けられている」(石河棄郎は石川棄郎と同じ)
『自由律川柳合同句集Ⅰ』から「視野」の作品を引用しておく。
どれもさびしさうな羅漢の顔のあちら向きこちら向き 觀田鶴太郎
刻々の水あくまで赫く限りあるものの目前 鈴木小寒郎
姉弟の鼻が似てゐる話きいてゐる顔 大野了念
かさりと枯葉の郵便受に一枚きてゐる 石河棄郎
これで眠れるねむり薬の軽い音さへ 枝松規堂
炎天のだだつぴろい橋桁をむんずと渡る兵 河西白鳥
鈴木小寒郎の「自由律川柳小史」によると、自由律川柳は自然発生的には井上剣花坊や川上日車などによる「破調」の試みがあったが、意識的な出発は河野鉄羅漢などによる「街燈」(大正七年一月創刊、岡山)によってなされた。その後、分散的な時期を経て、第二期がはじまったのが「視野」(昭和十年、神戸)の創刊である。「視野」は自由律専門誌であって、柳誌の一部分に自由律作品が掲載されるというかたちではない。自由律の川柳誌としては他に、「手」(大阪)「紫」(名古屋)「川柳ビル」(京都)などがあった。「視野」の主張は「現代口語の短詩的活用」「生活真実描写」「自然諷詠の積極的許容」などであったという。
『近・現代川柳アンソロジー』に収録されている觀田鶴太郎の作品を五句挙げておこう。
わが家へ近い月夜のステツキをふる 觀田鶴太郎
菊のせて人力車がゆく
広告が傾いてゐて菜の花の盛り
バスちらと海見せてそれからの揺れよう
わたしに似た羅漢さんをみつけてだまつてゐる
鶴太郎の死後、1952年に石川棄郎は「視野」を復活させる。雑誌ではなくハガキ版で、印刷されたハガキをそのまま送るようになっている。
1952年11月号から、二句ずつ紹介しておく。
白い霧が流れる青い月に吹く風 大野了然
赤とんぼ陽なたぼっこの絵本にくる
小荷物は蕎麦の袋、添えてある姉の候文 山本浄平
夢に見て雪樹につまず道にもつまず消える
濡れてレインコートのルーデサックのようなお嬢さんで 石川棄郎
それだけのことだとくるりと女へ背を向けて寝る
家内みな出払って、ほこりをそっと寝ている 三村洪翠
昼風呂、首だけが留守番している
パチンコ屋の花輪も雨で、ヤットン節のレコード 及川文福
どっしり仏具屋の重い火鉢でお年寄りばかり
わたしにはわたしの夢がありますミシンの音 重福草洋
麦少しのびて風のとむらいの列の後につづく
興味深いのは時実新子の自由律作品が「視野」に散見されることである。新子には自由律作品はないと思っている人がいるかもしれないが、そんなことはない。資料的な意味もあるので、新子の「視野」掲載作品をいくつか抜き出しておく。
夫が封を切っている私へ来た手紙(1956年12月)
落葉の道シモーヌを想う私は子連れ
ここにかなしき夫婦像あり闇は脈打ち(1958年8月)
思慕の限りなければ釜底光らす
やがて朝の心が宿る獣欲の木偶
テレビ番組の山下清絵はこう画くとマジックのすでに無中で(1958年12月)
触覚に問いつめられてゆく汗の指紋に壁が崩れる
魚臭、三等車は息切れの窓に景色を映さない(1959年1月)
スチームは嘔吐を続け車内灯悉く朝の陽に抗う
雨の舗道に片恋の吸盤押しつけられて卯の花開く(1959年6月)
拾った恋を白い林に埋めて五月、青衣の孤独
同じ時期に墨作二郎も出句している。作二郎らしい長律作品である。
シンドバッドの眼は黄色い灯をともしている。その満員電車の未知の男女(1958年8月)
黄牛のふくらみが昇天する訓え。トマトの溢血を傷のように噛むのか
これは浴室の跡の水色のタイルの一枚に、短い影の茂りに詩人の活字
風の神は飴をしゃぶりながら恋の仕事をする。詩人は荒々しさを書くのに(1958年12月)
ニンフが好きになっても溜息の大きさが笑われます。風の神様の骨折れること
静かに呼吸しているのに波が白くなって風の神の鼻先に桜貝、蝶は寒いのです
北風と西風の昔話しは美しい秋の夕景に輝やいています。祝福されるフロラ
自画像の裏に黒い疲れが坐っている。マッチのラベルの並んだ灯(1959年1月)
霧の中から糖化したいのち。ザボンの熟れた寒い光りを知っていたが
指先の海が光る 吊された糸は焼場へ行った蝶の悲しいヒゲなのか
あと河野春三「遮断木おりる 牛の盲従のいつまでか」「銀行から死を抽出すより外はない」「夕陽射られて知だらけの運河のすべて」や清水美江「陽と微風に誘い出されたはちが僕を呼んでる」「疎林の入日踏みつつ帰棟する白衣」「風媒花の確率の中で種がふくらむ」などの作品も掲載されている。
棄郎の句が最後に掲載されているのは、1975年9月の次の句である。ハガキ版「視野」は1978年1月で終わっている。
階段を昇る ふたつのまなこ ひとつのいき 石川棄郎
2022年2月4日金曜日
上田信治の『成分表』と俳句
上田信治のエッセイ集『成分表』(素粒社)が好評である。
俳誌「里」に連載されたものだが、裏表紙の部分に掲載されているので、「里」が届くと裏表紙から読み始める人が多かったのではないだろうか。俳誌に連載されたときと比べて、本書では俳句の要素を少し抑えてより一般読者を対象としているようだ。
上田自身が「定義」の章で触れているように、これはアランのプロポや定義集と同じような試みである。たとえば、次のような一節がある。
「私たちはきっと、言うほど他人に興味がない」(「フェイスブック」)
「アイロニーは『やられたらやりかえす』ための武器ではない。むしろ逆に『やられている』状況を味わいつくすための、自己本位の道具だ」(「アイロニー」)
「表現が進歩しなければいけない理由の一つは、飽きるからだ」(「発泡酒」)
「表現において『分かる』『分からない』の区別などは、わりとどうでもいいことだ。分かるも分からないも、表玄関の話であって、言葉にならないものは、いつも、裏口を開けて勝手に入ってくるから」(「あふれる」)
上田は「あふれる」の文章の最後に次の俳句を引用している。
遅き日の手にうつくしき海の草 田中裕明
現代川柳についても「成分表」のスタイルで何か書いてもらえないかと思って、上田に原稿を依頼したことがある。「川柳スパイラル」2号に掲載された「成分表『声』」というエッセイで、そこで取り上げられたのは次の句だった。
その森にLP廻っておりますか 石田柊馬
私が本書『成分表』に少し不満なのは、帯に「『あたしンち』の共作者にして俳人、漫画家のオットでもある著者の日常と思索」あることだ。私にとって上田信治は「漫画家のオット」ではなくて「俳人・上田信治」である。
上田信治句集『リボン』(邑書林)から抜き出しておこう。
朝顔のひらいて屋根のないところ
鶏頭に西瓜の種のやうな虫
中くらゐの町に一日雪降ること
紅葉山から蠅がきて部屋に入る
絨毯に文鳥のゐてまだ午前
夢のやうなバナナの当り年と聞く
山にいくつ鹿のさびしい鼻のある
意味性と作意に満ちた現代川柳の書き方とは異なるが、ふつうなら見過ごしてしまうような情景を言葉で言い留める上田独自の世界である。私には波多野爽波の俳句のよさがよく分からないのだけれど、例えば空なら空について、何かの言葉を当ててみることによって、初めてここはこんな場所だったのかと気づく、と上田は述べている(「似合う」)。引用されているのは爽波の次の句である。
冬の空昨日につづき今日もあり 波多野爽波
句集『リボン』が出たとき「あとがき」も評判になった。上田はこんなふうに書いている。
「さいきん、俳句は『待ち合わせ』だと思っていて。
言葉があって対象があって、待ち合わせ場所は、その先だ」
「せっかくなので、すこし遠くで会いたい」
「いつもの店で、と言っておいて、じつはぜんぜん違う店で。
あとは、ただ感じよくだけしていたい」
『リボン』の栞は中田剛、柳本々々、依光陽子が書いていて、柳本は上田の句「今走つてゐること夕立来さうなこと」に注目している(「今、走っている」)。
2018年3月に「信治&翼と語り尽くす夕べ」というイベントが大阪・梅田で開催されて、上田信治と北大路翼という異色の顔合わせだった。語られた内容はもう忘れてしまったが、屍派の誰かが酔って床に転がっているなど、濃くて衝撃的な集まりだった。
俳誌「里」に連載されたものだが、裏表紙の部分に掲載されているので、「里」が届くと裏表紙から読み始める人が多かったのではないだろうか。俳誌に連載されたときと比べて、本書では俳句の要素を少し抑えてより一般読者を対象としているようだ。
上田自身が「定義」の章で触れているように、これはアランのプロポや定義集と同じような試みである。たとえば、次のような一節がある。
「私たちはきっと、言うほど他人に興味がない」(「フェイスブック」)
「アイロニーは『やられたらやりかえす』ための武器ではない。むしろ逆に『やられている』状況を味わいつくすための、自己本位の道具だ」(「アイロニー」)
「表現が進歩しなければいけない理由の一つは、飽きるからだ」(「発泡酒」)
「表現において『分かる』『分からない』の区別などは、わりとどうでもいいことだ。分かるも分からないも、表玄関の話であって、言葉にならないものは、いつも、裏口を開けて勝手に入ってくるから」(「あふれる」)
上田は「あふれる」の文章の最後に次の俳句を引用している。
遅き日の手にうつくしき海の草 田中裕明
現代川柳についても「成分表」のスタイルで何か書いてもらえないかと思って、上田に原稿を依頼したことがある。「川柳スパイラル」2号に掲載された「成分表『声』」というエッセイで、そこで取り上げられたのは次の句だった。
その森にLP廻っておりますか 石田柊馬
私が本書『成分表』に少し不満なのは、帯に「『あたしンち』の共作者にして俳人、漫画家のオットでもある著者の日常と思索」あることだ。私にとって上田信治は「漫画家のオット」ではなくて「俳人・上田信治」である。
上田信治句集『リボン』(邑書林)から抜き出しておこう。
朝顔のひらいて屋根のないところ
鶏頭に西瓜の種のやうな虫
中くらゐの町に一日雪降ること
紅葉山から蠅がきて部屋に入る
絨毯に文鳥のゐてまだ午前
夢のやうなバナナの当り年と聞く
山にいくつ鹿のさびしい鼻のある
意味性と作意に満ちた現代川柳の書き方とは異なるが、ふつうなら見過ごしてしまうような情景を言葉で言い留める上田独自の世界である。私には波多野爽波の俳句のよさがよく分からないのだけれど、例えば空なら空について、何かの言葉を当ててみることによって、初めてここはこんな場所だったのかと気づく、と上田は述べている(「似合う」)。引用されているのは爽波の次の句である。
冬の空昨日につづき今日もあり 波多野爽波
句集『リボン』が出たとき「あとがき」も評判になった。上田はこんなふうに書いている。
「さいきん、俳句は『待ち合わせ』だと思っていて。
言葉があって対象があって、待ち合わせ場所は、その先だ」
「せっかくなので、すこし遠くで会いたい」
「いつもの店で、と言っておいて、じつはぜんぜん違う店で。
あとは、ただ感じよくだけしていたい」
『リボン』の栞は中田剛、柳本々々、依光陽子が書いていて、柳本は上田の句「今走つてゐること夕立来さうなこと」に注目している(「今、走っている」)。
2018年3月に「信治&翼と語り尽くす夕べ」というイベントが大阪・梅田で開催されて、上田信治と北大路翼という異色の顔合わせだった。語られた内容はもう忘れてしまったが、屍派の誰かが酔って床に転がっているなど、濃くて衝撃的な集まりだった。
2022年1月28日金曜日
正岡豊の川柳論
「川柳スパイラル」13号に正岡豊は「勾玉のつづきを」という文章を書いている。湊圭伍の川柳句集『そら耳のつづきを』の句集評なのだが、正岡自身の川柳観・文学観が強く表現されている。正岡はこんなふうに書いている。
〈句集『そら耳のつづきを』のあとがきを読むと、出てくる会やグループ、川柳作家の名前を通すことによって、ここ十数年の川柳の流れの中で湊さんが腰を据えたりふらふらしたりしながら「川柳」を生きて来たのだな、と私には思えてくる。そういう「腰を据えたりふらふらしたりする」ことを、私はとても「うつくしい」ものだと思う。現在の世界に於いて「栄光」があるのは「悲惨」があるからだが、その二項対立からの「脱出」は、実は「非望」なのではない。「脱出」が求めるものは、「結実」なのである〉
正岡は現代川柳の変遷を数十年に渡って見続けてきた表現者である。彼は「獏」の時代はもちろん、山村祐の短詩運動も知っているし、「MANO」以後の現代川柳の動きも知悉している。一方、湊圭伍は2000年代の終わりごろから川柳と関わりはじめている。句集の「あとがき」には湊が参加したことのある「北の句会」「ふらすこてん」「バックストローク」「川柳カード」などの名が挙げられているし、「点鐘」「木馬」「杜人」「触光」「ねじまき」などの川柳誌も列挙されている。正岡はそういう流れのなかで湊の『そら耳のつづきを』の位置をとらえている。
現代川柳の変遷、特に「MANO」以後の20年間の歩みはまだ歴史化されていない。すでにこの時期のことを知らずに川柳を書き始めている作者もあるが、湊はゼロ年代以降の現代川柳の動きをある程度体験していることになる。その上で『そら耳のつづきを』を上梓しているのだから、正岡のいう二項対立からの脱出と結実が問われることになる。
湊は「あとがき」で筒井祥文・石部明・石田柊馬の三名を自分の「師」にあたるひとたちであると言っている。正岡が挙げているこの三名の作品例は次のような句である。
めっそうもございませんが咲いている 筒井祥文
もし生まれ変われるのなら酢か煙 石部明
首噛めば首から櫻噴きあがる 石田柊馬
〈筒井には奇想をてのひらですくうような接近の感覚がある。石部の句には死と生を常に一句に引き寄せる形で作句してきた者の持つ乾いた無頼がある。石田には底深い「現在」への沈潜した怒りがある〉―ただし、簡単に言えるほどこれらの作者は単純なわけではないと断わったうえで、正岡は次のように言う。
〈ただそれでも、湊はこれらの川柳作家が達したところを確認しながら、なお「以降」を書いてゆかねばならない。「以降」はどこにあるだろう。私は結局はどこにでもあるのだと思う。逆に言えばもう「以前」はどこにもない、という実感からくる「希望と閉塞のダブルバインド」を生きること、それが「以降」ということであろう〉
私は『はじめまして現代川柳』で「ポスト現代川柳」という言葉を使ったが、本当に「現代川柳」以後の新たな可能性が生まれているのかというと、そのようなものはまだないとも言えるし、いま生まれつつあるのだとも言える。現代川柳の遺産とは無関係なところで現在の作品を書くことは別に否定されるべきことではないが、過去の作品を少しでも乗り越えて「以後」を書くことはそれほど簡単ではない。
ところで、正岡の関心のひとつに「短詩」「一行詩」がある。
〈「川柳」に対する私の関心のひとつは、川柳作家たちが時として意識無意識的に一種の「一行詩」という形式へ流れてゆく部分のあることである〉と正岡は言う。『そら耳のつづきを』には「短律」と「長律」の句が収録されている。湊の短律と長律の句を二句ずつ挙げておく。
おい思想だな
蘭体動物
饅頭が降りしきる中で口づけを交わす敵同士
マーク・トウェインからハックルベリーへ短い手紙
かつて山村祐は「川柳は現代詩として堪え得るか」という評論を書き、一行詩誌「短詩」を主宰した。短詩は長律派と短律派に分かれていて、それぞれ相容れない要素があって解体していったが、川柳が一行詩に近づいた時期があり、川柳を一行詩に解消してよいのかという議論があったことは事実である。湊が現代川柳の遺産を踏まえたうえで作品を書いていることは、句集の帯に「川柳の伝統を批判的に受け継ぐ」とあることからも明らかだ。
そら耳のつづきを散っていくガラス 湊圭伍
この句について、正岡は次のように言っている。
〈私は「そら耳」に対して「勾玉」を思ってみたりした。意味のあるようなないような、装飾品や祭祀の品であるといわれれば納得はするが、形にもその名前にも、なじみと違和の両方を思うようなものを。そこでこの一文にそういう題をつけてみた。短詩型の一作品というのは、ひとによっては「御守り」のようなものとして抱きかかえられるように愛されることがある〉
確かな実体を感じとることがむずかしいけれど、それがないとも言えない現代川柳の世界で、手応えのある「結実」を得ることは困難な作業となっている。「現代川柳」が曖昧なままで「ポスト現代川柳」を論じることは本当はできないのだが、曖昧なまま論じざるを得ないところもあって、事態は朦朧としている。そのなかで「つづき」を語ることは、正岡のいうように「勾玉」のようなものかも知れない。
〈流れる時間の中で、ものがきらめくのは一瞬のことだろうか〉
〈句集『そら耳のつづきを』のあとがきを読むと、出てくる会やグループ、川柳作家の名前を通すことによって、ここ十数年の川柳の流れの中で湊さんが腰を据えたりふらふらしたりしながら「川柳」を生きて来たのだな、と私には思えてくる。そういう「腰を据えたりふらふらしたりする」ことを、私はとても「うつくしい」ものだと思う。現在の世界に於いて「栄光」があるのは「悲惨」があるからだが、その二項対立からの「脱出」は、実は「非望」なのではない。「脱出」が求めるものは、「結実」なのである〉
正岡は現代川柳の変遷を数十年に渡って見続けてきた表現者である。彼は「獏」の時代はもちろん、山村祐の短詩運動も知っているし、「MANO」以後の現代川柳の動きも知悉している。一方、湊圭伍は2000年代の終わりごろから川柳と関わりはじめている。句集の「あとがき」には湊が参加したことのある「北の句会」「ふらすこてん」「バックストローク」「川柳カード」などの名が挙げられているし、「点鐘」「木馬」「杜人」「触光」「ねじまき」などの川柳誌も列挙されている。正岡はそういう流れのなかで湊の『そら耳のつづきを』の位置をとらえている。
現代川柳の変遷、特に「MANO」以後の20年間の歩みはまだ歴史化されていない。すでにこの時期のことを知らずに川柳を書き始めている作者もあるが、湊はゼロ年代以降の現代川柳の動きをある程度体験していることになる。その上で『そら耳のつづきを』を上梓しているのだから、正岡のいう二項対立からの脱出と結実が問われることになる。
湊は「あとがき」で筒井祥文・石部明・石田柊馬の三名を自分の「師」にあたるひとたちであると言っている。正岡が挙げているこの三名の作品例は次のような句である。
めっそうもございませんが咲いている 筒井祥文
もし生まれ変われるのなら酢か煙 石部明
首噛めば首から櫻噴きあがる 石田柊馬
〈筒井には奇想をてのひらですくうような接近の感覚がある。石部の句には死と生を常に一句に引き寄せる形で作句してきた者の持つ乾いた無頼がある。石田には底深い「現在」への沈潜した怒りがある〉―ただし、簡単に言えるほどこれらの作者は単純なわけではないと断わったうえで、正岡は次のように言う。
〈ただそれでも、湊はこれらの川柳作家が達したところを確認しながら、なお「以降」を書いてゆかねばならない。「以降」はどこにあるだろう。私は結局はどこにでもあるのだと思う。逆に言えばもう「以前」はどこにもない、という実感からくる「希望と閉塞のダブルバインド」を生きること、それが「以降」ということであろう〉
私は『はじめまして現代川柳』で「ポスト現代川柳」という言葉を使ったが、本当に「現代川柳」以後の新たな可能性が生まれているのかというと、そのようなものはまだないとも言えるし、いま生まれつつあるのだとも言える。現代川柳の遺産とは無関係なところで現在の作品を書くことは別に否定されるべきことではないが、過去の作品を少しでも乗り越えて「以後」を書くことはそれほど簡単ではない。
ところで、正岡の関心のひとつに「短詩」「一行詩」がある。
〈「川柳」に対する私の関心のひとつは、川柳作家たちが時として意識無意識的に一種の「一行詩」という形式へ流れてゆく部分のあることである〉と正岡は言う。『そら耳のつづきを』には「短律」と「長律」の句が収録されている。湊の短律と長律の句を二句ずつ挙げておく。
おい思想だな
蘭体動物
饅頭が降りしきる中で口づけを交わす敵同士
マーク・トウェインからハックルベリーへ短い手紙
かつて山村祐は「川柳は現代詩として堪え得るか」という評論を書き、一行詩誌「短詩」を主宰した。短詩は長律派と短律派に分かれていて、それぞれ相容れない要素があって解体していったが、川柳が一行詩に近づいた時期があり、川柳を一行詩に解消してよいのかという議論があったことは事実である。湊が現代川柳の遺産を踏まえたうえで作品を書いていることは、句集の帯に「川柳の伝統を批判的に受け継ぐ」とあることからも明らかだ。
そら耳のつづきを散っていくガラス 湊圭伍
この句について、正岡は次のように言っている。
〈私は「そら耳」に対して「勾玉」を思ってみたりした。意味のあるようなないような、装飾品や祭祀の品であるといわれれば納得はするが、形にもその名前にも、なじみと違和の両方を思うようなものを。そこでこの一文にそういう題をつけてみた。短詩型の一作品というのは、ひとによっては「御守り」のようなものとして抱きかかえられるように愛されることがある〉
確かな実体を感じとることがむずかしいけれど、それがないとも言えない現代川柳の世界で、手応えのある「結実」を得ることは困難な作業となっている。「現代川柳」が曖昧なままで「ポスト現代川柳」を論じることは本当はできないのだが、曖昧なまま論じざるを得ないところもあって、事態は朦朧としている。そのなかで「つづき」を語ることは、正岡のいうように「勾玉」のようなものかも知れない。
〈流れる時間の中で、ものがきらめくのは一瞬のことだろうか〉
2022年1月21日金曜日
春逝けど汝は踊りつつ戻る(安井浩司)
現代俳句と連句の関係を考えるとき、必ず思い浮かべる文章がある。坪内稔典『過渡の詩』に寄せた高柳重信の次のような一節である。
「正岡子規の意図した新しい俳句形式は、共同制作による俳諧の連句を非文学として否定し、その冒頭の発句のみを完全に独立させようというものであった。しかし、わずか十七字前後の片言隻句をもって一つの完成した言語空間を構築しようという試みは、はじめに子規が考えたよりも、はるかに多くの困難を孕んでいたのである」
少し注をはさんでおくと、正岡子規は「芭蕉雑談」(明治26年)で「発句は文学なり。連俳は文学に非ず。故に論ぜざるのみ。連俳固より文学の分子を有せざるに非ずといえども文学以外の分子をも併有するなり。而して其の文学の分子のみを論ぜんには発句を以て足れりとなす」と述べている。これがいわゆる子規の「連俳非文学論」である。ところが子規は「俳諧三佳書序」(明治32年)で『猿蓑』『續明烏』『五車反古』について「此等の集にある連句を連句を読めばいたく興に入り感に堪ふるので、終にはこれ程面白い者ならば自分も連句をやつて見たいといふ念が起つて来る」と述べ、前言と矛盾することを言っている。晩年の子規は連句肯定だったかも知れない。それはともかく、前掲の高柳重信の文章は近代文芸として俳句が出発した経緯を受け止めたものと言えるだろう。重信はさらに次のように述べている。
「脇句以下の一切の付句を拒絶して一句の完全な自立を目指すという意図は、それを厳密に考えてみると、ただ単に脇を付ける習慣を廃止することではなかった。まことに俳句形式の名に値するものは、もはや如何なる言葉の流入も流出も許さぬような表現の一回性を獲得し、それがエンドレスに回転してやまないという円環的な言語構造を備えていなければならぬのであった。それは奇跡的な完璧さを持つ一種の神聖言語というべきで、その在るべき俳句との邂逅を生涯の悲願としたような少数の良心的な俳人の軌跡が、とかく悲劇的な様相を示すことになるのは、むしろ当然であろう」
重信の言うような困難を乗り越えようとして、坪内稔典は「過渡の詩」「片言性」を唱え、攝津幸彦は「静かな談林」を志向した。連句側では浅沼璞の「連句への潜在的意欲」などが思い浮かぶ。では重信のいう神聖言語としての在るべき俳句形式を目指した現代俳人は誰だろうか。安井浩司はそのような「絶対言語」を追い求めた俳人のひとりである。
安井浩司の軌跡を語る力は私にはないので、ここでは安井の第十句集『汝と我』を見ておこう。この句集のコンテンツは「一句集一作品」である。
柘榴種散って四千の蟲となれ
はたはたがよぎる青髪一世きり
野蛇みな縦横の糸で出来ておる
静歌やふと空中をゆく藤の蔓
春はひとつに百秋の鹿跳ねて
虻高し山は海から来るものを
巻頭の句、柘榴種が散って四千の蟲になるのだという。あとに続くさまざまな句がこの句から飛び散って変容していくような感じがする。蟲はメタモルフォーズして、「はたはた」「蛇」「藤の蔓」「鹿」「虻」などになる。「はたはた」は安井の故郷・秋田に馴染のある魚だし、「蛇」は神話的な存在でもあり脱皮してゆくものでもある。藤の蔓はどこまでも伸びてゆくし、鹿は百の秋という時間を越えてゆく。虻の複眼には世界が映っているはずで、山と海の関係性もどうなっているのか立ち止まらせる。
こういう世界観はふつうアニミズムと呼ばれるが、このあと句集にはこれらの生物が繰り返し詠まれることになる。「はたはた」「蛇」「虻」の句を挙げておく。
はたはたはみな機布へとび込まん
はたはたの脚と翅のみ遺さんや
はたはたはくだるや滝から川波へ
はたはたの幾千の翅川波に
夏蛇は身を継ぎ行くや神宮道
夏蛇や石を過ぎて荘家の門
庭に下り書家が蛇を洗いおる
さまざまな蛇持ち寄るや雲の下
蛇の舌の花逢うも相遇わず
天地を悲しむ顔より虻去らず
花嫁の眼球の虻は消えざるも
諸々の詩人を経て虻帰りけり
春虻は唸る假面の長鼻に
夏虻は眼から入るや脳髄に
山虻来れば大亀甲を楯として
一句独立の一回性と「一句集一作品」との間には乖離があるが、一句によって世界を構築することと一句集によってコスモロジーを表現することには通底するものもある。興味深いのは、『汝と我』には「連歌」の句が見られることだ。
鴉の崖に夢想連歌おこるらん
色あげて行くや連歌の上の空
紅の花連歌となり廻りつつ
「バクチの樹植えて蕉門恐るに足らず」という句もあり、芭蕉に対するかすかな意識がなかったとは言えないだろう。この句集における「汝」とは誰か。「汝」が他者であれば連句へとつながるところが出てくるが、「汝」が作者の幻想のなかで生み出された存在だとすれば、それは真の他者ではなくて「我」の一部分ということになる。
有耶無耶の関ふりむけば汝と我 安井浩司
春逝けど汝は踊りつつ戻る
1月に届いた諸誌から紹介しておく。前回も触れた短歌誌「井泉」、編集発行人が竹村紀年子から彦坂美喜子に変わった。彦坂は詩集『子実体日記』の著者で、「川柳スパイラル」7号に「〈型〉を越えるために」を寄稿してもらっている。
夜空から人のかたちの薄い紙が降ってくるあとからあとから 彦坂美喜子
それはゆきそれはみずそれはたましひそれはほねかけらになったそれはひと
やってる感、あるあるという言葉飛び交いコトバだけ増殖するからだ
「里」195号では早川徹の「外来生物考」に注目した。現代俳句の中で外来生物はどのように扱われているか。いろいろ興味深いことが書かれている。「牛蛙」は夏の季語だが、ウシガエルは大正七年ごろにはじめて日本に持ち込まれたという。ブラックバスの移入は大正十四年。
水面に身を任せ浮く牛蛙 右城暮石
乗込みにブラックバスもゐたりけり 茨木和生
外来植物では背高泡立草が明治時代に渡来したそうだ。逆に日本から海外に侵出したものでは、葛が特にアメリカでは「侵略的外来生物」として被害を与えている。
熊野には泡立草を入れしめず 右城暮石
葛の崖覗けり身投ぐべくもなく 谷口智行
「正岡子規の意図した新しい俳句形式は、共同制作による俳諧の連句を非文学として否定し、その冒頭の発句のみを完全に独立させようというものであった。しかし、わずか十七字前後の片言隻句をもって一つの完成した言語空間を構築しようという試みは、はじめに子規が考えたよりも、はるかに多くの困難を孕んでいたのである」
少し注をはさんでおくと、正岡子規は「芭蕉雑談」(明治26年)で「発句は文学なり。連俳は文学に非ず。故に論ぜざるのみ。連俳固より文学の分子を有せざるに非ずといえども文学以外の分子をも併有するなり。而して其の文学の分子のみを論ぜんには発句を以て足れりとなす」と述べている。これがいわゆる子規の「連俳非文学論」である。ところが子規は「俳諧三佳書序」(明治32年)で『猿蓑』『續明烏』『五車反古』について「此等の集にある連句を連句を読めばいたく興に入り感に堪ふるので、終にはこれ程面白い者ならば自分も連句をやつて見たいといふ念が起つて来る」と述べ、前言と矛盾することを言っている。晩年の子規は連句肯定だったかも知れない。それはともかく、前掲の高柳重信の文章は近代文芸として俳句が出発した経緯を受け止めたものと言えるだろう。重信はさらに次のように述べている。
「脇句以下の一切の付句を拒絶して一句の完全な自立を目指すという意図は、それを厳密に考えてみると、ただ単に脇を付ける習慣を廃止することではなかった。まことに俳句形式の名に値するものは、もはや如何なる言葉の流入も流出も許さぬような表現の一回性を獲得し、それがエンドレスに回転してやまないという円環的な言語構造を備えていなければならぬのであった。それは奇跡的な完璧さを持つ一種の神聖言語というべきで、その在るべき俳句との邂逅を生涯の悲願としたような少数の良心的な俳人の軌跡が、とかく悲劇的な様相を示すことになるのは、むしろ当然であろう」
重信の言うような困難を乗り越えようとして、坪内稔典は「過渡の詩」「片言性」を唱え、攝津幸彦は「静かな談林」を志向した。連句側では浅沼璞の「連句への潜在的意欲」などが思い浮かぶ。では重信のいう神聖言語としての在るべき俳句形式を目指した現代俳人は誰だろうか。安井浩司はそのような「絶対言語」を追い求めた俳人のひとりである。
安井浩司の軌跡を語る力は私にはないので、ここでは安井の第十句集『汝と我』を見ておこう。この句集のコンテンツは「一句集一作品」である。
柘榴種散って四千の蟲となれ
はたはたがよぎる青髪一世きり
野蛇みな縦横の糸で出来ておる
静歌やふと空中をゆく藤の蔓
春はひとつに百秋の鹿跳ねて
虻高し山は海から来るものを
巻頭の句、柘榴種が散って四千の蟲になるのだという。あとに続くさまざまな句がこの句から飛び散って変容していくような感じがする。蟲はメタモルフォーズして、「はたはた」「蛇」「藤の蔓」「鹿」「虻」などになる。「はたはた」は安井の故郷・秋田に馴染のある魚だし、「蛇」は神話的な存在でもあり脱皮してゆくものでもある。藤の蔓はどこまでも伸びてゆくし、鹿は百の秋という時間を越えてゆく。虻の複眼には世界が映っているはずで、山と海の関係性もどうなっているのか立ち止まらせる。
こういう世界観はふつうアニミズムと呼ばれるが、このあと句集にはこれらの生物が繰り返し詠まれることになる。「はたはた」「蛇」「虻」の句を挙げておく。
はたはたはみな機布へとび込まん
はたはたの脚と翅のみ遺さんや
はたはたはくだるや滝から川波へ
はたはたの幾千の翅川波に
夏蛇は身を継ぎ行くや神宮道
夏蛇や石を過ぎて荘家の門
庭に下り書家が蛇を洗いおる
さまざまな蛇持ち寄るや雲の下
蛇の舌の花逢うも相遇わず
天地を悲しむ顔より虻去らず
花嫁の眼球の虻は消えざるも
諸々の詩人を経て虻帰りけり
春虻は唸る假面の長鼻に
夏虻は眼から入るや脳髄に
山虻来れば大亀甲を楯として
一句独立の一回性と「一句集一作品」との間には乖離があるが、一句によって世界を構築することと一句集によってコスモロジーを表現することには通底するものもある。興味深いのは、『汝と我』には「連歌」の句が見られることだ。
鴉の崖に夢想連歌おこるらん
色あげて行くや連歌の上の空
紅の花連歌となり廻りつつ
「バクチの樹植えて蕉門恐るに足らず」という句もあり、芭蕉に対するかすかな意識がなかったとは言えないだろう。この句集における「汝」とは誰か。「汝」が他者であれば連句へとつながるところが出てくるが、「汝」が作者の幻想のなかで生み出された存在だとすれば、それは真の他者ではなくて「我」の一部分ということになる。
有耶無耶の関ふりむけば汝と我 安井浩司
春逝けど汝は踊りつつ戻る
1月に届いた諸誌から紹介しておく。前回も触れた短歌誌「井泉」、編集発行人が竹村紀年子から彦坂美喜子に変わった。彦坂は詩集『子実体日記』の著者で、「川柳スパイラル」7号に「〈型〉を越えるために」を寄稿してもらっている。
夜空から人のかたちの薄い紙が降ってくるあとからあとから 彦坂美喜子
それはゆきそれはみずそれはたましひそれはほねかけらになったそれはひと
やってる感、あるあるという言葉飛び交いコトバだけ増殖するからだ
「里」195号では早川徹の「外来生物考」に注目した。現代俳句の中で外来生物はどのように扱われているか。いろいろ興味深いことが書かれている。「牛蛙」は夏の季語だが、ウシガエルは大正七年ごろにはじめて日本に持ち込まれたという。ブラックバスの移入は大正十四年。
水面に身を任せ浮く牛蛙 右城暮石
乗込みにブラックバスもゐたりけり 茨木和生
外来植物では背高泡立草が明治時代に渡来したそうだ。逆に日本から海外に侵出したものでは、葛が特にアメリカでは「侵略的外来生物」として被害を与えている。
熊野には泡立草を入れしめず 右城暮石
葛の崖覗けり身投ぐべくもなく 谷口智行
2022年1月15日土曜日
「見たことのないもの」
年頭に最初に読む本は重要である。今年は俳論を勉強しようと思い、『去来抄』と『三冊子』を読んでみた。『去来抄』を読むのは初めてではないが、連句の実作をやっていると今までわからなかったところや読み過ごしていた部分の意味が少し見えてくる。
『去来抄』の冒頭、芭蕉の歳旦吟について述べてある。
蓬莱に聞かばや伊勢の初だより 芭蕉
蓬莱は三方の上にのせる新年の飾り物。蓬莱を前にして伊勢からの初便りを聞きたいという歳旦吟である。元になる和歌があって、慈鎮和尚(慈円)の次の歌をふまえている。
この春は伊勢に知る人おとづれて便うれしき花柑子かな 慈円
芭蕉は次のように語っている。「いせに知る人おとづれて便りうれしきと、慈鎮和尚のよみ侍る、便りの一字の出處にて、いささか歌のこころにたよらず」 便りという言葉の出所は慈鎮和尚の歌だが、芭蕉は蓬莱と取り合わせ、「初」の一字を加えることによって歳旦の神聖な気分を表現したのだろう。言葉と心(発想)の関係でいえば、言葉は盗んでも良いが、発想は盗んではいけないということになる。
『去来抄』先師評の二つ目のエピソードは次の句である。
辛崎の松は花より朧にて 芭蕉
「にて」の留めが発句にふさわしいか、という議論で有名。其角は「『にて』は『かな』にかよう」と言い、去来は「即興感偶」と説明したが、芭蕉は「角・来が辯皆理屈なり。我はただ花より松の朧にて、おもしろかりしのみ」と語っている。「即興感偶」とは意味の深い言葉である。その場の即興、その場で感じたことを言葉にする。墨作二郎は川柳について「自分の思いを自分の言葉で書く」と言っていたが、「思い」と「言葉」の関係は簡単ではない。
短歌誌「井泉」103号のリレー小論のテーマは【短歌の〈可能性〉について考える―発展?衰退?停滞?】である。大井学は「何度でも」で次のように問いかけている。
「先行作品は数多あり、独創的な表現は新たに生れ続ける。そうした中なぜ『この私』が、あえて新しく歌を作り続けるのか。なぜあなたは新しい歌を作ろうとするのか?」
江村彩は「『見たことのない』短歌の未来―平岡直子小論」で平岡の第一歌集『みじかい髪もながい髪も炎』を取りあげている。
きみの頬テレビみたいね薄明の20世紀の思い出話 平岡直子
平岡の歌集の巻頭に置かれている歌である。この歌について江村は「きみの頬」が「テレビみたいね」という比喩をどうとらえればよいか、時制も現在のことなのか「20世紀の思い出話」としての過去の発言なのか不明だ、と断ったうえで次のように述べている。「1950年代以降広く普及したテレビが、今やインターネットに押されて視聴率の低迷をみている状態を考慮すると、『きみの頬』はテレビという(半ば)過去の遺物のようで、さらに『薄明』には『薄命』も重なる」「『きみの頬』を『20世紀の思い出話』のような古い映像を写すもおのとしてとらえる見方には、実人生に依拠して詠われることの多かった従来の短歌への批判が込められていると思ってよいのではないか」
そして江村が「『見たことのない』短歌の未来が切り拓かれていく可能性を、信じていいと思える」として挙げているのは次の歌である。
見たことがないものだけを重ねればオーロラになる 見たことのない 平岡直子
「見たことがないもの」と「見たことのないもの」の関係は微妙だが、ここで平岡の歌集から三首並べて挙げておきたい。
こぼされてこんなかなしいカルピスの千年なんて見たことがない
見たこともない蛍にたとえるからにはいつか蛍を見るのだろう
見たことがないものだけを重ねればオーロラになる 見たことのない
「外出」6号は昨年11月に発行されたが、遅ればせながら読むことができた。
セーターのなかでしずかにだまってるけどこれだってサービスなのよ 平岡直子
しずかなる豆腐のような明け方にただ盆栽を信じて眠い 花山周子
馬脚数千そろわばやがて透きとおる秋ためなわの雨脚として 内山晶太
「外出」6号は「染野太朗特集」で、染野のロングインタビューが掲載されている。
そんなに忙しいのに会ってくれたんだと言ったあなたの声が思い出せない 染野太朗
最後に昨年末に刊行された川柳のアンソロジーについて。『近・現代川柳アンソロジー』(新葉館出版)は明治の窪田而笑子から現代の川合大祐まで、300名の作品を集成したもの。各人25句。桒原道夫・堺利彦編。「長年、川柳に携わってきた者として、少しは川柳文芸に対して恩返しができたのかなあという気持ちもあります」(堺利彦「編集を了えて)
『去来抄』の冒頭、芭蕉の歳旦吟について述べてある。
蓬莱に聞かばや伊勢の初だより 芭蕉
蓬莱は三方の上にのせる新年の飾り物。蓬莱を前にして伊勢からの初便りを聞きたいという歳旦吟である。元になる和歌があって、慈鎮和尚(慈円)の次の歌をふまえている。
この春は伊勢に知る人おとづれて便うれしき花柑子かな 慈円
芭蕉は次のように語っている。「いせに知る人おとづれて便りうれしきと、慈鎮和尚のよみ侍る、便りの一字の出處にて、いささか歌のこころにたよらず」 便りという言葉の出所は慈鎮和尚の歌だが、芭蕉は蓬莱と取り合わせ、「初」の一字を加えることによって歳旦の神聖な気分を表現したのだろう。言葉と心(発想)の関係でいえば、言葉は盗んでも良いが、発想は盗んではいけないということになる。
『去来抄』先師評の二つ目のエピソードは次の句である。
辛崎の松は花より朧にて 芭蕉
「にて」の留めが発句にふさわしいか、という議論で有名。其角は「『にて』は『かな』にかよう」と言い、去来は「即興感偶」と説明したが、芭蕉は「角・来が辯皆理屈なり。我はただ花より松の朧にて、おもしろかりしのみ」と語っている。「即興感偶」とは意味の深い言葉である。その場の即興、その場で感じたことを言葉にする。墨作二郎は川柳について「自分の思いを自分の言葉で書く」と言っていたが、「思い」と「言葉」の関係は簡単ではない。
短歌誌「井泉」103号のリレー小論のテーマは【短歌の〈可能性〉について考える―発展?衰退?停滞?】である。大井学は「何度でも」で次のように問いかけている。
「先行作品は数多あり、独創的な表現は新たに生れ続ける。そうした中なぜ『この私』が、あえて新しく歌を作り続けるのか。なぜあなたは新しい歌を作ろうとするのか?」
江村彩は「『見たことのない』短歌の未来―平岡直子小論」で平岡の第一歌集『みじかい髪もながい髪も炎』を取りあげている。
きみの頬テレビみたいね薄明の20世紀の思い出話 平岡直子
平岡の歌集の巻頭に置かれている歌である。この歌について江村は「きみの頬」が「テレビみたいね」という比喩をどうとらえればよいか、時制も現在のことなのか「20世紀の思い出話」としての過去の発言なのか不明だ、と断ったうえで次のように述べている。「1950年代以降広く普及したテレビが、今やインターネットに押されて視聴率の低迷をみている状態を考慮すると、『きみの頬』はテレビという(半ば)過去の遺物のようで、さらに『薄明』には『薄命』も重なる」「『きみの頬』を『20世紀の思い出話』のような古い映像を写すもおのとしてとらえる見方には、実人生に依拠して詠われることの多かった従来の短歌への批判が込められていると思ってよいのではないか」
そして江村が「『見たことのない』短歌の未来が切り拓かれていく可能性を、信じていいと思える」として挙げているのは次の歌である。
見たことがないものだけを重ねればオーロラになる 見たことのない 平岡直子
「見たことがないもの」と「見たことのないもの」の関係は微妙だが、ここで平岡の歌集から三首並べて挙げておきたい。
こぼされてこんなかなしいカルピスの千年なんて見たことがない
見たこともない蛍にたとえるからにはいつか蛍を見るのだろう
見たことがないものだけを重ねればオーロラになる 見たことのない
「外出」6号は昨年11月に発行されたが、遅ればせながら読むことができた。
セーターのなかでしずかにだまってるけどこれだってサービスなのよ 平岡直子
しずかなる豆腐のような明け方にただ盆栽を信じて眠い 花山周子
馬脚数千そろわばやがて透きとおる秋ためなわの雨脚として 内山晶太
「外出」6号は「染野太朗特集」で、染野のロングインタビューが掲載されている。
そんなに忙しいのに会ってくれたんだと言ったあなたの声が思い出せない 染野太朗
最後に昨年末に刊行された川柳のアンソロジーについて。『近・現代川柳アンソロジー』(新葉館出版)は明治の窪田而笑子から現代の川合大祐まで、300名の作品を集成したもの。各人25句。桒原道夫・堺利彦編。「長年、川柳に携わってきた者として、少しは川柳文芸に対して恩返しができたのかなあという気持ちもあります」(堺利彦「編集を了えて)
2022年1月7日金曜日
霞さへまだらに立つや寅の年
新年おめでとうございます。
今年も現代川柳と連句をよろしくお願いします。
すでにお正月気分ではありませんが、最初に歳旦三つ物(拙吟)を。
旅始張子の虎にまたがって
貸し切りの湯にひたる初夢
週末はちょっと無理して会いましょう
発句・脇は新年。第三は新年を旧暦で考えれば春、新暦と考えれば雑(無季)になるが、ここでは雑にしてみた。
寅年なので虎の川柳を探したが、あまり作品例が見つからなかった。虎は季語ではないので『川柳歳時記』(奥田白虎)にも項目がない。猫の川柳はいくらもあるが、虎は意味性が強く、「虎の威を借る狐」とか「猫でない証拠に竹を描いておき」とか慣用句に使われ、「大虎になる」といえば酔漢のことだし、与謝野鉄幹の虎剣調など、連想に片寄りがある。関西では阪神タイガースのイメージが強い。
『続類題別番傘川柳一万句集』(昭和58年12月)に一句掲載されている。
虎もわたしも檻をぬけると殺される 安井久子
俳句では『現代歳時記』(金子兜太・黒田杏子・夏石番矢編、成星出版)の「雑」の部に次の句がある。この歳時記には「雑」の部(無季俳句)が収録されているのが嬉しい。
わが湖あり日蔭真暗な虎があり 金子兜太
人語行き 虎老いて 虎の斑もなし 折笠美秋
虎吼えてかの山頂を老けさせる 安井浩司
炎の輪くぐりて虎の闇に消ゆ 須藤徹
虎ノ斑ニ塵劫無死ノ黄沙天 宮﨑二健
さて、昨年刊行されたなかで、この時評で取り上げられなかった堀田季何の『人類の午後』について触れておきたい。第四詩歌集と銘うたれている。前奏・Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ・後奏の五章に分かれ、Ⅰは雪月花、Ⅱは各種季題、Ⅲは四季の句を収録したものという。前奏ではナチや戦争、テロなどが詠まれており、後奏では現代日本の日常性にひそむ危機意識が詠まれている。
息白く國籍を訊く手には銃 堀田季何
雪女郎冷凍されて保管さる
一頭の象一頭の蝶を突く
雙六に勝つ夭折のごとく勝つ
地球儀の日本赤し多喜二の忌
「跋」に曰く、「句集全體は、古の時より永久に變はらぬ人間の様々な性(さが)及び現代を生きる人間の懊悩と安全保障といふ不易流行が軸になつてゐる。一介の人閒として、人閒及び人類の實(じつ)を追ひ求め、描くことへの愚かな執念である」
この作者が相手取っているのは人類史全体ということだろう。古今東西の歴史や文化、政治経済などの人類の営みそのものがテーマなのだ。こういう試みは現代川柳で行われてもよいはずのテーマである。批評性こそ本来、川柳の得意とする領域であったはずだ。現代川柳はサタイア(諷刺)とポエジー(詩性)の両立を目指しているように思えるが、堀田の場合にはテーマは重くても表現は重くれに陥らず、俳諧性を失っていないところがやはり俳句なのだろう。「跋」には支考の虚実論についての言及があるが、「人類の關はる一切の事象は、實」だとしても、この詩歌集を読んで虚実自在という感じがした。
今年に入って、砂子屋書房の「日々のクオリア」で井上法子の連載がはじまった、1月3日には次の短歌が取り上げられている。
おうどんに舌を焼かれて復讐のうどん博士は海原をゆく 山中千瀬
(『さよならうどん博士』私家版, 2016)
山中千瀬は川柳とまったく無縁というわけでもない。手元にある『SH』から彼女の川柳を抜き出しておこう。
なんとなく個室に長居してしまう 山中千瀬(『SH2』)
江の島をめちゃ劇的にゆく子ども
あとのないしらうおたちの踊り食い
ちょっと泣きアクエリアスで補った
りんじんがいってりんかにばらがわく (『SH3』)
火と刃物 お料理は死にちかくてヤ
ごめんねと言われてつぶされて羽虫
「百年はどうだった?」「楽しかったよ」
あの子にはずっと意地悪でいてほしい
ほんとうのわらびもち うそのわらびもち (『SH4』)
5年ほど前の作品だが、今読んでも古くなっていないと思う。井上法子の連載、1月5日は紀野恵を取りあげている。
川柳では1月1日に暮田真名が「こんとん句会」の結果を発表した。23名、各10句の投句があったという。大賞は松尾優汰と二三川練。各2句ずつ紹介しておくが、詳しくは暮田のnoteを参照してほしい。
ロシア民謡のメロディーで捌かれる 松尾優汰
ごめんと言って涅槃をまたぐ
富士山の気持ちで猫を迷いなさい 二三川練
クッキーに隠れたビスケット どこだ
今年もそれぞれの表現者が発信を続けていくことだろう。現代川柳のフィールドにおいては、従来の句会と結社誌・同人誌を中心とした川柳界とSNSを中心としたネット川柳とが互いに交わることなく併存している模様である。両者がどこかで交差することがあるかもしれないが、今年は私などの予想を大きく超えていくような、新しい出来事が起こらないものかと初夢のように期待している。
今年も現代川柳と連句をよろしくお願いします。
すでにお正月気分ではありませんが、最初に歳旦三つ物(拙吟)を。
旅始張子の虎にまたがって
貸し切りの湯にひたる初夢
週末はちょっと無理して会いましょう
発句・脇は新年。第三は新年を旧暦で考えれば春、新暦と考えれば雑(無季)になるが、ここでは雑にしてみた。
寅年なので虎の川柳を探したが、あまり作品例が見つからなかった。虎は季語ではないので『川柳歳時記』(奥田白虎)にも項目がない。猫の川柳はいくらもあるが、虎は意味性が強く、「虎の威を借る狐」とか「猫でない証拠に竹を描いておき」とか慣用句に使われ、「大虎になる」といえば酔漢のことだし、与謝野鉄幹の虎剣調など、連想に片寄りがある。関西では阪神タイガースのイメージが強い。
『続類題別番傘川柳一万句集』(昭和58年12月)に一句掲載されている。
虎もわたしも檻をぬけると殺される 安井久子
俳句では『現代歳時記』(金子兜太・黒田杏子・夏石番矢編、成星出版)の「雑」の部に次の句がある。この歳時記には「雑」の部(無季俳句)が収録されているのが嬉しい。
わが湖あり日蔭真暗な虎があり 金子兜太
人語行き 虎老いて 虎の斑もなし 折笠美秋
虎吼えてかの山頂を老けさせる 安井浩司
炎の輪くぐりて虎の闇に消ゆ 須藤徹
虎ノ斑ニ塵劫無死ノ黄沙天 宮﨑二健
さて、昨年刊行されたなかで、この時評で取り上げられなかった堀田季何の『人類の午後』について触れておきたい。第四詩歌集と銘うたれている。前奏・Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ・後奏の五章に分かれ、Ⅰは雪月花、Ⅱは各種季題、Ⅲは四季の句を収録したものという。前奏ではナチや戦争、テロなどが詠まれており、後奏では現代日本の日常性にひそむ危機意識が詠まれている。
息白く國籍を訊く手には銃 堀田季何
雪女郎冷凍されて保管さる
一頭の象一頭の蝶を突く
雙六に勝つ夭折のごとく勝つ
地球儀の日本赤し多喜二の忌
「跋」に曰く、「句集全體は、古の時より永久に變はらぬ人間の様々な性(さが)及び現代を生きる人間の懊悩と安全保障といふ不易流行が軸になつてゐる。一介の人閒として、人閒及び人類の實(じつ)を追ひ求め、描くことへの愚かな執念である」
この作者が相手取っているのは人類史全体ということだろう。古今東西の歴史や文化、政治経済などの人類の営みそのものがテーマなのだ。こういう試みは現代川柳で行われてもよいはずのテーマである。批評性こそ本来、川柳の得意とする領域であったはずだ。現代川柳はサタイア(諷刺)とポエジー(詩性)の両立を目指しているように思えるが、堀田の場合にはテーマは重くても表現は重くれに陥らず、俳諧性を失っていないところがやはり俳句なのだろう。「跋」には支考の虚実論についての言及があるが、「人類の關はる一切の事象は、實」だとしても、この詩歌集を読んで虚実自在という感じがした。
今年に入って、砂子屋書房の「日々のクオリア」で井上法子の連載がはじまった、1月3日には次の短歌が取り上げられている。
おうどんに舌を焼かれて復讐のうどん博士は海原をゆく 山中千瀬
(『さよならうどん博士』私家版, 2016)
山中千瀬は川柳とまったく無縁というわけでもない。手元にある『SH』から彼女の川柳を抜き出しておこう。
なんとなく個室に長居してしまう 山中千瀬(『SH2』)
江の島をめちゃ劇的にゆく子ども
あとのないしらうおたちの踊り食い
ちょっと泣きアクエリアスで補った
りんじんがいってりんかにばらがわく (『SH3』)
火と刃物 お料理は死にちかくてヤ
ごめんねと言われてつぶされて羽虫
「百年はどうだった?」「楽しかったよ」
あの子にはずっと意地悪でいてほしい
ほんとうのわらびもち うそのわらびもち (『SH4』)
5年ほど前の作品だが、今読んでも古くなっていないと思う。井上法子の連載、1月5日は紀野恵を取りあげている。
川柳では1月1日に暮田真名が「こんとん句会」の結果を発表した。23名、各10句の投句があったという。大賞は松尾優汰と二三川練。各2句ずつ紹介しておくが、詳しくは暮田のnoteを参照してほしい。
ロシア民謡のメロディーで捌かれる 松尾優汰
ごめんと言って涅槃をまたぐ
富士山の気持ちで猫を迷いなさい 二三川練
クッキーに隠れたビスケット どこだ
今年もそれぞれの表現者が発信を続けていくことだろう。現代川柳のフィールドにおいては、従来の句会と結社誌・同人誌を中心とした川柳界とSNSを中心としたネット川柳とが互いに交わることなく併存している模様である。両者がどこかで交差することがあるかもしれないが、今年は私などの予想を大きく超えていくような、新しい出来事が起こらないものかと初夢のように期待している。