年頭に最初に読む本は重要である。今年は俳論を勉強しようと思い、『去来抄』と『三冊子』を読んでみた。『去来抄』を読むのは初めてではないが、連句の実作をやっていると今までわからなかったところや読み過ごしていた部分の意味が少し見えてくる。
『去来抄』の冒頭、芭蕉の歳旦吟について述べてある。
蓬莱に聞かばや伊勢の初だより 芭蕉
蓬莱は三方の上にのせる新年の飾り物。蓬莱を前にして伊勢からの初便りを聞きたいという歳旦吟である。元になる和歌があって、慈鎮和尚(慈円)の次の歌をふまえている。
この春は伊勢に知る人おとづれて便うれしき花柑子かな 慈円
芭蕉は次のように語っている。「いせに知る人おとづれて便りうれしきと、慈鎮和尚のよみ侍る、便りの一字の出處にて、いささか歌のこころにたよらず」
便りという言葉の出所は慈鎮和尚の歌だが、芭蕉は蓬莱と取り合わせ、「初」の一字を加えることによって歳旦の神聖な気分を表現したのだろう。言葉と心(発想)の関係でいえば、言葉は盗んでも良いが、発想は盗んではいけないということになる。
『去来抄』先師評の二つ目のエピソードは次の句である。
辛崎の松は花より朧にて 芭蕉
「にて」の留めが発句にふさわしいか、という議論で有名。其角は「『にて』は『かな』にかよう」と言い、去来は「即興感偶」と説明したが、芭蕉は「角・来が辯皆理屈なり。我はただ花より松の朧にて、おもしろかりしのみ」と語っている。「即興感偶」とは意味の深い言葉である。その場の即興、その場で感じたことを言葉にする。墨作二郎は川柳について「自分の思いを自分の言葉で書く」と言っていたが、「思い」と「言葉」の関係は簡単ではない。
短歌誌「井泉」103号のリレー小論のテーマは【短歌の〈可能性〉について考える―発展?衰退?停滞?】である。大井学は「何度でも」で次のように問いかけている。
「先行作品は数多あり、独創的な表現は新たに生れ続ける。そうした中なぜ『この私』が、あえて新しく歌を作り続けるのか。なぜあなたは新しい歌を作ろうとするのか?」
江村彩は「『見たことのない』短歌の未来―平岡直子小論」で平岡の第一歌集『みじかい髪もながい髪も炎』を取りあげている。
きみの頬テレビみたいね薄明の20世紀の思い出話 平岡直子
平岡の歌集の巻頭に置かれている歌である。この歌について江村は「きみの頬」が「テレビみたいね」という比喩をどうとらえればよいか、時制も現在のことなのか「20世紀の思い出話」としての過去の発言なのか不明だ、と断ったうえで次のように述べている。「1950年代以降広く普及したテレビが、今やインターネットに押されて視聴率の低迷をみている状態を考慮すると、『きみの頬』はテレビという(半ば)過去の遺物のようで、さらに『薄明』には『薄命』も重なる」「『きみの頬』を『20世紀の思い出話』のような古い映像を写すもおのとしてとらえる見方には、実人生に依拠して詠われることの多かった従来の短歌への批判が込められていると思ってよいのではないか」
そして江村が「『見たことのない』短歌の未来が切り拓かれていく可能性を、信じていいと思える」として挙げているのは次の歌である。
見たことがないものだけを重ねればオーロラになる 見たことのない 平岡直子
「見たことがないもの」と「見たことのないもの」の関係は微妙だが、ここで平岡の歌集から三首並べて挙げておきたい。
こぼされてこんなかなしいカルピスの千年なんて見たことがない
見たこともない蛍にたとえるからにはいつか蛍を見るのだろう
見たことがないものだけを重ねればオーロラになる 見たことのない
「外出」6号は昨年11月に発行されたが、遅ればせながら読むことができた。
セーターのなかでしずかにだまってるけどこれだってサービスなのよ 平岡直子
しずかなる豆腐のような明け方にただ盆栽を信じて眠い 花山周子
馬脚数千そろわばやがて透きとおる秋ためなわの雨脚として 内山晶太
「外出」6号は「染野太朗特集」で、染野のロングインタビューが掲載されている。
そんなに忙しいのに会ってくれたんだと言ったあなたの声が思い出せない 染野太朗
最後に昨年末に刊行された川柳のアンソロジーについて。『近・現代川柳アンソロジー』(新葉館出版)は明治の窪田而笑子から現代の川合大祐まで、300名の作品を集成したもの。各人25句。桒原道夫・堺利彦編。「長年、川柳に携わってきた者として、少しは川柳文芸に対して恩返しができたのかなあという気持ちもあります」(堺利彦「編集を了えて)
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