新年おめでとうございます。
今年も現代川柳と連句をよろしくお願いします。
すでにお正月気分ではありませんが、最初に歳旦三つ物(拙吟)を。
旅始張子の虎にまたがって
貸し切りの湯にひたる初夢
週末はちょっと無理して会いましょう
発句・脇は新年。第三は新年を旧暦で考えれば春、新暦と考えれば雑(無季)になるが、ここでは雑にしてみた。
寅年なので虎の川柳を探したが、あまり作品例が見つからなかった。虎は季語ではないので『川柳歳時記』(奥田白虎)にも項目がない。猫の川柳はいくらもあるが、虎は意味性が強く、「虎の威を借る狐」とか「猫でない証拠に竹を描いておき」とか慣用句に使われ、「大虎になる」といえば酔漢のことだし、与謝野鉄幹の虎剣調など、連想に片寄りがある。関西では阪神タイガースのイメージが強い。
『続類題別番傘川柳一万句集』(昭和58年12月)に一句掲載されている。
虎もわたしも檻をぬけると殺される 安井久子
俳句では『現代歳時記』(金子兜太・黒田杏子・夏石番矢編、成星出版)の「雑」の部に次の句がある。この歳時記には「雑」の部(無季俳句)が収録されているのが嬉しい。
わが湖あり日蔭真暗な虎があり 金子兜太
人語行き 虎老いて 虎の斑もなし 折笠美秋
虎吼えてかの山頂を老けさせる 安井浩司
炎の輪くぐりて虎の闇に消ゆ 須藤徹
虎ノ斑ニ塵劫無死ノ黄沙天 宮﨑二健
さて、昨年刊行されたなかで、この時評で取り上げられなかった堀田季何の『人類の午後』について触れておきたい。第四詩歌集と銘うたれている。前奏・Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ・後奏の五章に分かれ、Ⅰは雪月花、Ⅱは各種季題、Ⅲは四季の句を収録したものという。前奏ではナチや戦争、テロなどが詠まれており、後奏では現代日本の日常性にひそむ危機意識が詠まれている。
息白く國籍を訊く手には銃 堀田季何
雪女郎冷凍されて保管さる
一頭の象一頭の蝶を突く
雙六に勝つ夭折のごとく勝つ
地球儀の日本赤し多喜二の忌
「跋」に曰く、「句集全體は、古の時より永久に變はらぬ人間の様々な性(さが)及び現代を生きる人間の懊悩と安全保障といふ不易流行が軸になつてゐる。一介の人閒として、人閒及び人類の實(じつ)を追ひ求め、描くことへの愚かな執念である」
この作者が相手取っているのは人類史全体ということだろう。古今東西の歴史や文化、政治経済などの人類の営みそのものがテーマなのだ。こういう試みは現代川柳で行われてもよいはずのテーマである。批評性こそ本来、川柳の得意とする領域であったはずだ。現代川柳はサタイア(諷刺)とポエジー(詩性)の両立を目指しているように思えるが、堀田の場合にはテーマは重くても表現は重くれに陥らず、俳諧性を失っていないところがやはり俳句なのだろう。「跋」には支考の虚実論についての言及があるが、「人類の關はる一切の事象は、實」だとしても、この詩歌集を読んで虚実自在という感じがした。
今年に入って、砂子屋書房の「日々のクオリア」で井上法子の連載がはじまった、1月3日には次の短歌が取り上げられている。
おうどんに舌を焼かれて復讐のうどん博士は海原をゆく 山中千瀬
(『さよならうどん博士』私家版, 2016)
山中千瀬は川柳とまったく無縁というわけでもない。手元にある『SH』から彼女の川柳を抜き出しておこう。
なんとなく個室に長居してしまう 山中千瀬(『SH2』)
江の島をめちゃ劇的にゆく子ども
あとのないしらうおたちの踊り食い
ちょっと泣きアクエリアスで補った
りんじんがいってりんかにばらがわく (『SH3』)
火と刃物 お料理は死にちかくてヤ
ごめんねと言われてつぶされて羽虫
「百年はどうだった?」「楽しかったよ」
あの子にはずっと意地悪でいてほしい
ほんとうのわらびもち うそのわらびもち (『SH4』)
5年ほど前の作品だが、今読んでも古くなっていないと思う。井上法子の連載、1月5日は紀野恵を取りあげている。
川柳では1月1日に暮田真名が「こんとん句会」の結果を発表した。23名、各10句の投句があったという。大賞は松尾優汰と二三川練。各2句ずつ紹介しておくが、詳しくは暮田のnoteを参照してほしい。
ロシア民謡のメロディーで捌かれる 松尾優汰
ごめんと言って涅槃をまたぐ
富士山の気持ちで猫を迷いなさい 二三川練
クッキーに隠れたビスケット どこだ
今年もそれぞれの表現者が発信を続けていくことだろう。現代川柳のフィールドにおいては、従来の句会と結社誌・同人誌を中心とした川柳界とSNSを中心としたネット川柳とが互いに交わることなく併存している模様である。両者がどこかで交差することがあるかもしれないが、今年は私などの予想を大きく超えていくような、新しい出来事が起こらないものかと初夢のように期待している。
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