2022年1月21日金曜日

春逝けど汝は踊りつつ戻る(安井浩司)

現代俳句と連句の関係を考えるとき、必ず思い浮かべる文章がある。坪内稔典『過渡の詩』に寄せた高柳重信の次のような一節である。

「正岡子規の意図した新しい俳句形式は、共同制作による俳諧の連句を非文学として否定し、その冒頭の発句のみを完全に独立させようというものであった。しかし、わずか十七字前後の片言隻句をもって一つの完成した言語空間を構築しようという試みは、はじめに子規が考えたよりも、はるかに多くの困難を孕んでいたのである」

少し注をはさんでおくと、正岡子規は「芭蕉雑談」(明治26年)で「発句は文学なり。連俳は文学に非ず。故に論ぜざるのみ。連俳固より文学の分子を有せざるに非ずといえども文学以外の分子をも併有するなり。而して其の文学の分子のみを論ぜんには発句を以て足れりとなす」と述べている。これがいわゆる子規の「連俳非文学論」である。ところが子規は「俳諧三佳書序」(明治32年)で『猿蓑』『續明烏』『五車反古』について「此等の集にある連句を連句を読めばいたく興に入り感に堪ふるので、終にはこれ程面白い者ならば自分も連句をやつて見たいといふ念が起つて来る」と述べ、前言と矛盾することを言っている。晩年の子規は連句肯定だったかも知れない。それはともかく、前掲の高柳重信の文章は近代文芸として俳句が出発した経緯を受け止めたものと言えるだろう。重信はさらに次のように述べている。

「脇句以下の一切の付句を拒絶して一句の完全な自立を目指すという意図は、それを厳密に考えてみると、ただ単に脇を付ける習慣を廃止することではなかった。まことに俳句形式の名に値するものは、もはや如何なる言葉の流入も流出も許さぬような表現の一回性を獲得し、それがエンドレスに回転してやまないという円環的な言語構造を備えていなければならぬのであった。それは奇跡的な完璧さを持つ一種の神聖言語というべきで、その在るべき俳句との邂逅を生涯の悲願としたような少数の良心的な俳人の軌跡が、とかく悲劇的な様相を示すことになるのは、むしろ当然であろう」

重信の言うような困難を乗り越えようとして、坪内稔典は「過渡の詩」「片言性」を唱え、攝津幸彦は「静かな談林」を志向した。連句側では浅沼璞の「連句への潜在的意欲」などが思い浮かぶ。では重信のいう神聖言語としての在るべき俳句形式を目指した現代俳人は誰だろうか。安井浩司はそのような「絶対言語」を追い求めた俳人のひとりである。

安井浩司の軌跡を語る力は私にはないので、ここでは安井の第十句集『汝と我』を見ておこう。この句集のコンテンツは「一句集一作品」である。

柘榴種散って四千の蟲となれ
はたはたがよぎる青髪一世きり
野蛇みな縦横の糸で出来ておる
静歌やふと空中をゆく藤の蔓
春はひとつに百秋の鹿跳ねて
虻高し山は海から来るものを

巻頭の句、柘榴種が散って四千の蟲になるのだという。あとに続くさまざまな句がこの句から飛び散って変容していくような感じがする。蟲はメタモルフォーズして、「はたはた」「蛇」「藤の蔓」「鹿」「虻」などになる。「はたはた」は安井の故郷・秋田に馴染のある魚だし、「蛇」は神話的な存在でもあり脱皮してゆくものでもある。藤の蔓はどこまでも伸びてゆくし、鹿は百の秋という時間を越えてゆく。虻の複眼には世界が映っているはずで、山と海の関係性もどうなっているのか立ち止まらせる。
こういう世界観はふつうアニミズムと呼ばれるが、このあと句集にはこれらの生物が繰り返し詠まれることになる。「はたはた」「蛇」「虻」の句を挙げておく。

はたはたはみな機布へとび込まん
はたはたの脚と翅のみ遺さんや
はたはたはくだるや滝から川波へ
はたはたの幾千の翅川波に

夏蛇は身を継ぎ行くや神宮道
夏蛇や石を過ぎて荘家の門
庭に下り書家が蛇を洗いおる
さまざまな蛇持ち寄るや雲の下
蛇の舌の花逢うも相遇わず

天地を悲しむ顔より虻去らず
花嫁の眼球の虻は消えざるも
諸々の詩人を経て虻帰りけり
春虻は唸る假面の長鼻に
夏虻は眼から入るや脳髄に
山虻来れば大亀甲を楯として

一句独立の一回性と「一句集一作品」との間には乖離があるが、一句によって世界を構築することと一句集によってコスモロジーを表現することには通底するものもある。興味深いのは、『汝と我』には「連歌」の句が見られることだ。

鴉の崖に夢想連歌おこるらん
色あげて行くや連歌の上の空
紅の花連歌となり廻りつつ

「バクチの樹植えて蕉門恐るに足らず」という句もあり、芭蕉に対するかすかな意識がなかったとは言えないだろう。この句集における「汝」とは誰か。「汝」が他者であれば連句へとつながるところが出てくるが、「汝」が作者の幻想のなかで生み出された存在だとすれば、それは真の他者ではなくて「我」の一部分ということになる。

有耶無耶の関ふりむけば汝と我  安井浩司
春逝けど汝は踊りつつ戻る

1月に届いた諸誌から紹介しておく。前回も触れた短歌誌「井泉」、編集発行人が竹村紀年子から彦坂美喜子に変わった。彦坂は詩集『子実体日記』の著者で、「川柳スパイラル」7号に「〈型〉を越えるために」を寄稿してもらっている。

夜空から人のかたちの薄い紙が降ってくるあとからあとから  彦坂美喜子
それはゆきそれはみずそれはたましひそれはほねかけらになったそれはひと
やってる感、あるあるという言葉飛び交いコトバだけ増殖するからだ

「里」195号では早川徹の「外来生物考」に注目した。現代俳句の中で外来生物はどのように扱われているか。いろいろ興味深いことが書かれている。「牛蛙」は夏の季語だが、ウシガエルは大正七年ごろにはじめて日本に持ち込まれたという。ブラックバスの移入は大正十四年。

水面に身を任せ浮く牛蛙  右城暮石
乗込みにブラックバスもゐたりけり 茨木和生

外来植物では背高泡立草が明治時代に渡来したそうだ。逆に日本から海外に侵出したものでは、葛が特にアメリカでは「侵略的外来生物」として被害を与えている。

熊野には泡立草を入れしめず   右城暮石
葛の崖覗けり身投ぐべくもなく  谷口智行

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